2015.10.30

「普遍性」を持つ演目なんてない――古典を現代化するということ

木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下裕一さんインタビュー

文化 #SYNODOS演劇事始#木ノ下歌舞伎#心中天の網島

この秋、「心中天の網島」が上演された。歌舞伎座でも文楽劇場でもなく、小劇場である。小劇場で見る近松心中ものは、テンガロンハットをかぶってジーパンのベルトに脇差しを差した治兵衛やワンピースを着た小春が義太夫ならぬミュージカル音楽を歌い上げるもので、こうして文字にするとミスマッチなのだが、絶妙に見せるし聞かせる。古典とミュージカルを掛け合わせて抜群に面白い現代演劇ができるなんて、何か秘策を使っているに違いない。主宰の木ノ下裕一氏に話をうかがった。(取材・構成/長瀬千雅)

僕の仕事は、古典の作家と現代の演出家の仲人なんです

――「心中天の網島」を拝見して、「近松ってこんなに面白かったんだ!?」と思いました。歌舞伎は好きで「河庄」(注)なんかも見ているけれど、小劇場にはほとんど足を運んだことがないという知人を誘って行ったのですが、すごく面白かったと言っていました。心中物で感極まったことはなかったかも、って。

そう言っていただけたらうれしいですが、やはりなんと言っても、糸井(幸之介)さんの力です。

(注)「〜天の網島」原作の上巻をもとに改作された演目

――木ノ下歌舞伎は、主宰の木ノ下さんが、演目ごとに、気鋭の演出家を招いて作品を作りますが、今回の「心中天の網島」では、「FUKAIPRODUCE羽衣」の座付き作家・演出家の糸井幸之介さんとタッグを組まれました。

僕の仕事をざっくり言うと、糸井さんと作者の近松門左衛門の仲人をしたということです。「この二人、出会わしてみたらきっと面白いんじゃないかな」と思ったのがそもそもの始まり。稽古自体は2カ月ほどですが、糸井さんとは2年ぐらいかけて上演プランを練ったり、台本を作る作業をしました。「ちゃんと出会ってもらう」ということですね。

――近松と糸井幸之介さん、どんなところが合うと思ったのでしょう。

今の歌舞伎や文楽で上演されている「心中天の網島」のホンは、近松の原作とけっこう遠いんですよね。遠いというのは、長い上演の歴史の中でどんどん改作されているし、のちの作家が書き直したものが現在、底本になっていたりするんです。だから、原作を読むと、違った近松像が現れてくるんですね。その部分と糸井さんは、すごく合うなと思った。

近松が行った偉業はいろいろありますが、中でも大きな革命は、日本ではじめて庶民を主人公に芝居を書いたということです。松岡和子さんなどは「世界ではじめて」とおっしゃっているようですが。

――近松は1700年前後の人ですよね。

そうです。「心中天の網島」(注)の初演は、享保五年(1720年)です。世界ではじめてかどうかは僕はわからないのでいちおう日本でとしておきますが、日本ではじめて庶民を主人公にした芝居を書いたのが近松なんです。

かたや糸井さんは、社会の隅っこで生きている人々の喜怒哀楽をすくいとれる人。人間は孤独だということを前提にして、温かいまなざしを注ぐ人。それだけでなく、主人公たちを包み込んでいる社会と、さらにもう一つ大きな宇宙規模のものまで同時に描くんです。しかも言葉の力で、レトリックを駆使してどんどん世界を広げていく。近松もそうなんです。

「心中天の網島」なら、水の町・大阪の川の網、人間関係というしがらみの網、そして人間たちを操る「天の網(運命・神意)」……と「網」というキーワードで世界をえがききっています。しかも、近松は浄瑠璃、糸井さんは「妙ージカル」というふうに、音曲の力を借りる。そういうところが、すごく共通するなと思ったんですね。

でもやはり僕らの時代と近松が生きていた時代は違う時代ですので、近松の原作をそのまま一言一句変えずにやったところで、当時の人が見ていたであろう感覚はわからない。じゃあ、そのギャップをどういうふうに埋めていったら、近松と同時代の観客が見ていたであろう感覚に近づけるか。

それは「であろう」ということでしかありえないんですが、そこには糸井さんの同時代に対する感覚や問題意識が不可欠で、いかに時代や感覚の差をつなぎ、今に生きる近松劇にするかということが大きなテーマでした。

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「心中天の網島」舞台写真 撮影:東直子

(注)【あらすじ】大坂天満の紙屋主人・治兵衛は、妻子ある身ながら、遊女・小春と深く馴染み、ひそかに心中の約束をしていた。しかしある日、治兵衛は、小春が「死にたくない」と告白するのを耳にする。治兵衛は激怒して小春に別れを言い渡すが、実は小春は、治兵衛の女房・おさんに頼まれてわざと愛想づかしをしていたのだった。その事実を知った治兵衛は、小春がひとり死ぬつもりであることを悟る。治兵衛とおさんは小春を殺すまいとするが、おさんの実父・五左衛門が現れ、おさんは実家へ連れ戻されてしまった。その夜、治兵衛は小春を連れ出し、死への道行を歩みはじめる……。(木ノ下歌舞伎公式サイトより http://kinoshita-kabuki.org/amishima/

――小春を身請けするためにありったけの着物を質に入れようとする場面では、着物ではなく洋服、しかもジャージや手編みのマフラー、バッグや婚約指輪といったものになっていて、現代の夫婦らしさが出ていました。

そういう細かい工夫もそうなんですが、私は、性根をつかんだ上で飛躍している、というふうに感じたんです。劇中で5曲、糸井さんが書き下ろしていますが、たとえば「錆びた時計」という曲で歌われる「生まれた時から死ぬまで/心の時計は動く 生まれた時から死ぬまで/どんなに錆びてても/動いている」とかは、すごく現代的な感覚なんじゃないかなと思ったんですが。

「時計」というキーワードは糸井さんから出てきたものですね。当然、ごく限られた人しか時計を目にしなかった江戸時代の近松の原作にはないんです。でも、辛い中でもとにかく生き続けなきゃいけない小春の心情がよく出ていますよね。

その反面、原文を踏襲している部分もあって、後半の「田舎の母さん元気かしら?/手内職して裏屋住まい」という部分は原文からもってきています。原文はもっと文語体ですが。

「半分寝ぼけてご飯食べる/半分寝ぼけて抱かれてみる」も本当にいい歌詞だと思います。小春は廓で生きているわけです。今の風俗産業とは全然違って、廓はもっと縛りがあるし、本当にその中でしか生きられない。すごく狭い世界、しかも色町というバーチャルな世界でしか生きてない人ですからね、小春ちゃんは。そんなおぼろげで儚い小春の存在を「寝ぼけて」という言葉で浮かび上がらせているのだと思います。

「錆びた時計」は、原作でいえば「小春のくどき」という有名なくだりに相当します。小春の置かれている状況や心情を、彼女自身がオペラのアリアのように歌い上げる箇所なのですが、ようは小春という女性の背景が歌と共に垣間見えればいいんですよね。そういう意味で、この「錆びた時計」は近松の原作とそう遠くはないんです。近いどころか、かなり原作に忠実だと思う。いわば、近松の「糸井語訳」です。

一方でおさんは、夫が愛人と死んでも生き続けなきゃいけない。糸井さんはわりとはじめから、残された人の視点もちゃんと描きたいとおっしゃっていました。演出家としていちばん興味があるのはじつはおさんと息子の勘太郎だって。

そういうことを聞いていたので、この歌詞を見たときは、息苦しくてハードな世界しか生きられない小春ちゃんの心情を見せつつ、死ぬまでは生き続けなきゃいけないということ、残された人たちが生き続けるということ、という三つのテーマが入っていて、なるほどなと思いました。

――行き場を失って心中するって悲劇なんですが、いちゃつきながら歌うのを見ると「このバカップルめ」みたいな、ちょっとせつなさ混じりのおかしみも感じます。

糸井さんは僕よりも、近松とアーティスト同士として付き合える人なんですね。糸井さんは劇作家でもあるから、古典という変な気負いもフィルターもなく近松に素手で触れにいく。だって、そうじゃないと、「ねえ あなた/まだ私を見てる?」なんて、あの原文からは出てこないじゃないですか。

――紙屋内でおさんと治兵衛が歌う「簞笥の思い出」ですね。あれも名曲でした。

まずは、300年分の上演の歴史を概観する

――木ノ下さんは「補綴」を綿密にされるということですが、演出家との共同作業に入る前は、どういうことをするんですか。

作品を作るときに何をするかというと、まずはじめに演出家と演目を選びます。そのあとは、その演目が、初演から現在までのあいだにどれだけ上演されてきて、どこで解釈が大きく変わって、どこで違う意味を持って、ということを1年ぐらいかけてずっと追っていくんです。

――まず研究するということですね。資料を集めるだけでも膨大な作業量ですよね。

「心中天の網島」なら享保からですから、300年ぐらいありますからね。全部はさすがに目を通しきれないので、だいたい10個ぐらいにその演目のターニングポイントを絞るんです。

――たとえばどんなふうに?

演劇史の中でですが、もちろんまずは初演ですね。「心中天の網島」は近松の晩年の作品で、元禄バブルがはじけて、そのあとの享保という文化も経済も冷え込んだ低迷期に入ったときに書かれたホンだということは、やはり念頭に置いておきたい。それから、近松が活躍した元禄期の大坂は、文芸復興の時代で、庶民の識字率がぐっと上がったんだそうです。出版も盛んになって、同時代人には井原西鶴や松尾芭蕉がいます。

――町人が文化の担い手になったと言われる時代ですね。

ですが、文芸復興ブームが去って、70年ぐらい経つと、学力が低下するんです。そこで近松の原作が難しくなってしまう。だから、70年後ぐらいの作家が近松のホンにどんどん手を加えてしまいます。わかりやすくするために。

――今で言うと、20世紀初頭の文学が新訳で出るみたいな感じでしょうか。

そんな感じですね。その後、明治維新を経て近代になって、やはり近松の原作に戻すべきだという運動が起こります。他にも細かく見ていけばたくさん変遷はあるんですが、たとえばそういうふうに、歴史を追っていきます。

――なるほど。私は、50年後100年後に、木ノ下さんのような古典好きな人が現れたら、きっと、今回の上演台本や記録映像を探し出して、「2015年の木ノ下裕一さんという人は、『心中天の網島』をこう解釈してこうやったんだな」というふうに参照するんじゃないかなと、勝手に妄想してました。

いやいや、今はまだ規模が大きくないですからね。木ノ下歌舞伎なんて、歴史に埋もれちゃいますよ(笑)。いずれそういう存在になれたら嬉しいですね!

――でも、「木ノ下歌舞伎叢書」(注)があるじゃないですか。たとえ1部でも2部でも、紙の本が残っていれば、きっと誰かが見つけ出すと思うんです。

(注)作品ごとに、フィールドワークの成果や戯曲の解釈などの研究と、演出プランや演出家の論考などの創作の、両面の資料をおさめた木ノ下歌舞伎オリジナルの刊行物

そうなれるように精進します! 叢書はそのために作っているようなものですから。

でも、思ったより多くのお客様がお買い求めくださるんですよ。それは、古典についてもっと知りたいと思ってくださったからだと思うんですね。

たまたまですが、僕たちが「三人吉三」(2014年初演)をやる少し前に、コクーン歌舞伎で「三人吉三」が上演されたんですね。それがNEWシネマ歌舞伎という映画になって、ちょうど僕たちが東京で再演したのと同じ時期に上映されていました。

「黒塚」(2013年初演)をやったときも、文楽で「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」があって、さらにその少し前には歌舞伎で市川猿之助さんがやってらして。同時期に同じ演目が伝統芸能で上演されることが多かったので、それを見てきましたという人も多かったです。

反対に、木ノ下歌舞伎の「三人吉三」を見た人が歌舞伎に行ってくれたらうれしいし、「心中天の網島」を見た人が文楽に行ってくれたらうれしいし。そうやってどんどん、芋づる式に広がっていく楽しさってありますよね。その芋づるを仕掛けたいという気持ちはあります。だから、木ノ下歌舞伎って、もちろん演劇を作りたい団体ですが、大きく何がしたいのって聞かれたら、大層になってしまいますが、「知的好奇心の復権」ということだと思うんです。

アーティストにアーティストをぶつける

――「三人吉三」では、初演以来150年間、上演されたことがなかったという「地獄の場」を含めた、通し上演に挑戦されました(注)。全三幕、休憩含めて5時間という大作でした。

(注)河竹黙阿弥の「三人吉三」は、安政七年(1860年)に「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)」として初演されたがあまり評判にならず、いったん上演が途絶える。黙阿弥の死後、明治になって、廓の話をカットした「三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)」として上演され、人気を博す。2014年に初演された木ノ下歌舞伎の「三人吉三」の演出は杉原邦生。

参考)「三人吉三」特設サイトの木ノ下さんによる音声ガイダンス

「三人吉三」舞台写真 撮影:鈴木竜一朗(日光堂)
「三人吉三」舞台写真 撮影:鈴木竜一朗(日光堂)

木ノ下歌舞伎の大きな特徴のひとつは、テキストのことで言えば、普段あまり日のあたらない場面やエピソードにこそじつは力点があるのだということを、しっかりと読み解くということですね。「三人吉三」で言えばほとんど上演されない場面を上演して全貌を取り上げるということだし、「黒塚」では老婆の過去を挿入することで勧善懲悪のステレオタイプに陥らずに描く。

今回の「心中天の網島」で言えばやはり紙屋内の場面ですよね。あそこは、お茶屋で小春と治兵衛が縁を切る場面と比べて上演頻度が低いんですが、そこを取り上げて、おさんと治兵衛の関係をちゃんと描くからドラマになる。これもちょっと大げさな言葉になりますが、それが木ノ下歌舞伎のドラマトゥルギーだということです。

――演目はどんな基準で選ぶんですか?

やはり今の歌舞伎と比較してどう違うかを見るのが面白かったりするので、できるだけメジャーなものを選ぼうとしています。

――古典といっても、その時代その時代で常に無数の作品が生み出されているわけで、その中で今に残っているものは相当、数少ないですよね。そこは、すぐれたものが残っていると考えていいんでしょうか?

僕は、それ、違うと思うんですよ。

――違いますか。

すぐれた文学が残るのではないと思います。近松なんて、坪内逍遥たちが再発見、再評価するまでは長いあいだ埋もれていました。鶴屋南北も大正ぐらいまでは埋もれていて、「東海道四谷怪談」の一部分がやっと上演されていたぐらい。だから、すぐれたものが残るとは限らないし、すぐれていなくても残るものがあるわけです。その差は何かと言うと、手を加えた人がいたかどうかです。「これをいま上演するためには何が必要か」と考えて、上演した人がいたかどうか。

余談ですが、河出書房新社から出ている、池澤夏樹さん個人編集の「日本文学全集」がありますよね。

――はい。町田康さんの「宇治拾遺物語」の新訳、面白いですよね。川上未映子さんの「たけくらべ」もよかったです。

あの全集が出た時、すごく悔しかったんです。あれは日本文学を池澤夏樹的に選び直しているわけです。川端康成も三島由紀夫も入っていない。もしかすると「近現代作家集」にまとめて入れるつもりなのかもしれないけど、いずれにしても扱いは小さい。でも、中上健次は1人1巻でどんと入っている。

発刊の順番も、まず池澤氏本人の新訳による「古事記」が出た。その次が中上健次なんです。中上健次は近代文学の地層深くに含まれた神話、たとえば熊野の神話などを掘り起こして自分の問題として引き寄せた上で、一つの大きなサーガを作った。つまり、古事記的な世界の現代化ですよね。

そのあとに『夏目漱石・森鴎外・樋口一葉』の巻がくるんです。中上健次は私小説的な自我や近代性を否定した作家ですが、漱石や鴎外などの私小説黎明期の作品をちゃんと読むと、彼らが近代という巨大な時代に、「個(私)」で立ち向かっていたことがよくわかる。

「中上さんはそういっていますが、かつては私小説も、時代との軋轢を内包した〈大きな物語〉だったんですよ」という編者の主張が垣間見えます。というような仕組みで、全集自体が一つの大きな物語になっているんです。あれは見事だと思いました。文学史的には偏っているんですよ。でもそれがいい。常に選び直されるとはそういうことじゃないかと思うんです。

しかも収録されるほとんど古典作品は現代の作家に新訳させている。学者が訳すのではなく、アーティストにアーティストをぶつけるということは、現代化ですよね。これは、木ノ下歌舞伎がしたいことととても重なるんです。だから、嫉妬するくらい悔しい(笑)。

――なるほど。では木ノ下歌舞伎がこれから演目を増やしていくとして、メジャーな演目でなくてもいいという状況だとしたら、やってみたい演目はありますか。

どんなものでも、これは面白くなる!という勝算があればやるんじゃないでしょうか。それで成功したのはコクーン歌舞伎の「天日坊」ですね。もとは河竹黙阿弥の非常にマイナーな作品、長らく埋もれてしまっていたこの演目を、宮藤官九郎さんが黙阿弥のテーマ性を新たに掘り起こして書き直し、串田和美さんが演出した。

クドカンや串田さん、そして中村勘九郎さんたちという「選び取る人」が出てきたから、僕らはそれを見ることができて、面白いと思うことができた。やはり古典は、そういう人がいるかどうかです。

僕は「普遍性」って嫌いな言葉なんです。よく入門書なんかで「古典芸能は普遍性があるからいつの時代の人の胸も打つんです」とか書いてあるんですが、そんなわけないですよね。

子どもを亡くした親の心情でも、子どもがバタバタ死んでいく時代と今とでは全然違うと思います。それをあたかもバリアフリーであるかのようにでっちあげるのはよくないですね。

――よく言われることですが、それこそ「演劇」という言葉自体が西洋から輸入されたもので、近代的な「演劇」と「古典芸能」には断絶があるという認識があるじゃないですか。

断絶、ありますね。

――何かのインタビューで、木ノ下さんが「小学校の音楽室に外国人の音楽家の肖像画しかかかってないのはおかしい」とおっしゃっているのを読みまして。

そうそう、あれは不思議に思った方がいいですよ。しかも唯一の日本人が山田耕筰と滝廉太郎でしょ。二人とも西洋の音楽をいかに日本的に取り込むかということをした人で、純古典の人ではない。そこには宮城道雄も豊竹山城少掾もいなければ富崎春昇もいないわけですから。

日本で古典を演劇で扱うことは、もちろん先人はたくさんいたし、今も先輩がたくさんいらっしゃって、それぞれ大きな業績を残されているんですが、全体からするとやはりマイナーなんです。木ノ下歌舞伎はこんなことをやっていて、今日もこうしてインタビューにきてくださっていますが、たとえばここがイギリスで、ぼくたちがシェイクスピアばかりやっている劇団だったら。

――たしかに。珍しくないかもしれません。

そうでしょう? 埋もれますよね。だからうちはそこに便乗している部分があって、断絶があるからこそ、隙間産業で生き延びているという矛盾があります。だから「断絶」を悪くばかり言っていてはいけませんね(笑)。

――なるほど。ただ、抽象的な言い方になってしまいますが、その断絶の埋め方がとても誠実だと思ったんです。歴史はややもすると恣意的に利用されますよね。過剰に美化されたり、隠されたり、今を否定するためだったり。

日本の西洋近代化による断絶は演劇史にもたぶんあって、私たちは古典をすごく遠いものに感じてしまったり、反対に自分たちに近づけようとしすぎて「当代の人気演出家にやらせて採算とらせろ」みたいな話にすぐなってしまうわけですが、木ノ下さんは歴史をそのままに見つめていて、なんというか、古典と現代がすごく健全につながっている感じがしたんです。

うれしいな。そういっていただけると。

――で、木ノ下さんはいったいどうしてそういう態度でいられるのかと。

やはり愛情でしょうか(笑)。手前味噌ですがその自覚はあるんです。やっぱり古典が好きですもん。この面白さ、どうしたら多くの人に伝わるだろうという問いがいつも活動の基本になってます。

あと、今の日本って国家レベルで歴史を鑑みる力が落ちていると思います。また、「国家レベルで」とか言うと今度は隣国とのあいだの歴史認識問題のようなものにすり替えられてしまいますが、そうじゃなくて。

歴史にないことをしてはいけないとか、変えてはいけないということではなく、変えるときに、何が理由でこうなっているのか、どういうことがあってそのあとどうなったのか、過去にそういう事例はなかったのか、それが今回にあてはまるかどうか、ということをすべて鑑みた上で検証する必要があるということです。

その姿勢は、国政や地方行政から、演劇まですべてに共通するべきなんじゃないかと思います。やっぱり歴史の中にしか、これから(未来)の革新的な道筋は浮かんでこないと思うんです。ベタな言い方ですが、古典の演目を扱うとはそういうことなんですね。古典に取り組むと、自分たちがどう歴史と向かい合うかがすごく問われますから。

木ノ下裕一さん
木ノ下裕一さん

完コピゆえに浮かび上がる現代性

――木ノ下歌舞伎では手法の一つとして「完コピ稽古」(注)をやられていますよね。あれも面白いなと思うんですが。

(注)現行歌舞伎の舞台映像を見ながら台詞や動きを完全にコピーすること。

日本の古典演劇のテキストは文字だけでは成立しなくて、様式が常につきまといます。節回しや身体の使い方などが前提となって書かれていますから、シェイクスピアのように台詞だけ取り出して上演できるものではない。だからそこをクリアしないといけない。それで歌舞伎の映像を見て「完全にコピーする」というステップを踏むんです。

ただ、やってみるとわかるんですが、やはり歌舞伎役者ではない僕たちには、ほんとうの意味で「完全にコピーする」ということはできない。今までいちばん多くタッグを組んできた演出家の杉原邦生さんはそれを「絶望する時間」と呼んでいましたが、いくら真似してもできないんですね。だから、違う方法でクリアしますという、そのスタート地点に立つためのものですね。

「黒塚」舞台写真 撮影:清水俊洋
「黒塚」舞台写真 撮影:清水俊洋

――面白かったのが、「黒塚」に出演していた俳優の一人にダンサーの人がいたじゃないですか。不思議なことに、ダンサーだと知っていたわけじゃないし、歌舞伎の動きを忠実に再現しているんだけど、ダンスに見えたんです。「この人絶対コンテンポラリーとかストリートダンスとかが踊れる人に違いない」って思いました。逆に今が照射されるというか。

そうなんですよ。その面白さはなかなか理解されなくて、評論家の先生なんかには中途半端に引用したり完コピしても意味がないと言われたりもするんですが、それは全然違う話で、これまでもテキストだけ切り取って現代的な発想でやる芝居なんて腐るほどあったし、そうやったって面白くないんやから。

――(笑)。はい。

それに、完コピをするのは、俳優さんに歌舞伎を完璧にやってほしいからではないんです。歌舞伎の型を引用することはありますが、がんばって歌舞伎をやろうとするけど歌舞伎にならないという、そのできてなさ具合に、現代人の身体が浮かび上がってきてしまうということが起こるんです。

――逆に、この人すごく歌舞伎っぽいという人もいて。

「心中天の網島」も完コピ稽古を行ったんですが、伊東沙保さんが演じるおさんの口説きの場面で、「あんまりじゃ治兵衛どの それほど名残惜しくば 誓紙書かぬがよいわいの」というところは、歌舞伎だともっと歌い上げるような義太夫が流れて、おさんの俳優はそれに合わせて動くんですね。

今回は義太夫ではなく台詞にしたんですが、動作はほぼ歌舞伎と同じなんです。治兵衛が顔にかぶせている手ぬぐいをとって、涙をさわって、前掛けをとって、たたんで、丸めて、手ぬぐいで涙を拭いて返す。でも、それを現代的な身体で伊東さんが見事に再構築しているから歌舞伎の動きには見えない。どう見ても現代演劇でした。

伊東さんが言っていたことで面白かったのが、「完コピ稽古をしているときは様式だと思っていたけど、やってみると、この言葉をしゃべるためにはここでこの前掛けをはずさないと言えないということがわかる」と。

どういう動きをすればその台詞を言う状態になれるかということが型にパッケージされていて、それをなぞってみると心情のほうに行き着くと言っていました。俳優さんだからこそわかる感覚なのでしょうけど、面白いな、すごいなと思いましたね。

――まさか近松も、おさんがスカートをはいてこの台詞を言おうとは想像しなかったでしょうね。

近松はもう死んでいるし、会えない人ですが、「ちょっと見にきてくださいよ」と言いたい気分でいます。「あなたは350年前に日本の演劇界を牽引してましたけど、350年後の今にも糸井幸之介さんというすっごく面白い人がいて、この人が作るものを見たらきっと嫉妬しますよ」って言いたいです。

今でも能や狂言、文楽、歌舞伎は上演されていますから、ホンは古くても、同時代の人が演じているわけですよね。同じ演目でも時代によって全然解釈が違うし、見え方も違うし、劇場の機構自体も違う。古典芸能は、アップデートされ続けないと生きられないという宿命を負っています。だから、そのホンがまずあって、それがどんどんアップデートされてきたという歴史そのものが、そのアップデートの最先端に自分たちがいるということも含めて、面白いなと思うんです。

◎公演記録

心中天の網島

【京都公演】アトリエ劇研アソシエイトアーティスト公演

日程:2015年年9月16日(水)〜20日(日)

会場:アトリエ劇研

【東京公演】

日程:2015年9月23日(水・祝)〜10月7日(水)

会場:こまばアゴラ劇場

作|近松門左衛門

監修・補綴|木ノ下裕一

演出・作詞・音楽|糸井幸之介(FUKAIPRODUCE羽衣)

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出演|伊東沙保 小林タクシー 島田桃子 武谷公雄 西田夏奈子 日髙啓介 若松朋茂

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音楽監修|manzo

舞台監督|大鹿展明 美術|島 次郎 照明|中山奈美 音響|小早川保隆×齋藤学 衣裳|大野知英

所作指導|宗山史 文芸|関亜弓 補綴助手|稲垣貴俊 演出助手|中村未希 演出部|岩澤哲野

宣伝美術|外山央 宣伝写真|東直子

制作|本郷麻衣 制作補|堀朝美 三栖千陽

制作協力|坂田厚子

協力|FUKAIPRODUCE羽衣 ギフト ZOKKY プリッシマ ティー・オー・ピー株式会社 Sugar Sound

企画・製作・主催|木ノ下歌舞伎

共催|アトリエ劇研[京都公演]

提携|(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場[東京公演]

助成|芸術文化振興基金 公益財団法人セゾン文化財団

プロフィール

木ノ下裕一「木ノ下歌舞伎」主宰

1985年和歌山市生まれ。小学校3年生の時、上方落語を聞き衝撃を受け、古典芸能への関心を広げていく。京都造形芸術大学(映像・舞台芸術学科)で現代の舞台芸術を学び、2006年に古典演目の現代的上演を行う木ノ下歌舞伎を旗揚げ。作品の補綴・監修という立場をとりつつ、様々な演出家とタッグを組みながら創作するスタイルをとっている。近作に、『義経千本桜』(2012年 総合演出:多田淳之介、演出:白神ももこ・杉原邦生)、『三人吉三』(2014年,2015年 演出:杉原邦生)などがある。その他古典芸能に関する執筆、講座など多岐にわたって活動中。2014年度よりセゾン文化財団ジュニアフェロー。急な坂スタジオサポートアーティスト。アトリエ劇研アソシエイトアーティスト。現在は武智歌舞伎についての博士論文を執筆中。

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