2023.04.28

「現代サプライサイド経済学」と「第三の道」――マクロ経済政策の見取り図(その3)

中里透 マクロ経済学・財政運営

経済

このところ、「現代サプライサイド経済学」が注目を集めている。イエレン米財務長官がバイデン政権のアジェンダとして掲げるこの「経済学」については、経済成長と格差是正の同時達成を目指す画期的なプランと評する向きが日本にもあるようだ。だが、はたしてこれは「新しい」経済政策と言えるのだろうか。以下ではこのことについて考えてみたい。

サプライサイド経済学の「位相」

今から40年ほど前にも「サプライサイド経済学」が注目を集めたことがある。これは税制と社会保障制度の歪みが貯蓄不足と投資不足をもたらしているという認識に立って税制改革と年金改革を行うとともに(主な提唱者はハーバード大学のマーティン・フェルドスタイン教授(当時))、規制緩和を通じて供給面から経済の活性化を図ろうというアイデアだ。

もっとも、より一般的には、サプライサイド経済学はラッファーカーブとともに記憶されているかもしれない。南カリフォルニア大学のアーサー・ラッファー教授(当時)がワシントンのレストランでナプキンに書いたとされるグラフは、税率が高すぎるために経済活動が阻害され、その結果、税収がむしろ減っているということを示すものであった(もし仮にこのような事態が生じているとすれば、思い切った減税をすることでむしろ税収が増えることになる)。

サプライサイド経済学は、レーガン大統領の経済政策(レーガノミクス)、とりわけその減税政策の理論的支柱となった。減税と規制緩和という提案からわかるように、当時のサプライサイダーは「小さな政府」を志向するものであり、政治的には共和党と親和性がある。

これに対し、最近話題の「現代サプライサイド経済学」は、経済活動に対する政府の積極的な介入を求めるという点で相対的に「大きな政府」を志向するものであり、政治的には民主党と親和性がある。イエレン財務長官の発言などをもとにこの「経済学」のポイントをまとめると、労働力確保のための雇用政策や人材の育成、インフラ投資などを通じて経済の供給力拡大と経済的格差の是正を同時達成することが、そのねらいとされている。気候変動への取り組みにおいて規制緩和が奏功していないというイエレン財務長官の発言からは、規制緩和に対してやや消極的な態度がうかがわれる。

このようにみてくると、伝統的なサプライサイダーと現代サプライサイド経済学は、ともに供給重視という姿勢をとりつつも、目指す経済の姿や政府の関与のあり方に対しては真逆の方向性をもっているように思われる。「現代」の側から見ると、従来のサプライサイダーは新自由主義的で、トリクルダウンの発想に立っているということになるだろう。

「高圧経済論」と「現代サプライサイド経済学」

イエレン財務長官というと、思い出されるのはFRB(米連邦準備理事会)議長だった時の「高圧経済論」だ。この議論では経済が需要超過の状態に到達した局面でも金融緩和や財政拡張を続け、労働市場などの需給をタイト化させることが、経済の供給面にもプラスの効果をもたらし格差是正につながるとされる。つまり、需要と供給は別個にあるのではなく相互に影響を与えており、この場合には需要を増やすマクロ経済政策に、供給力の拡大と生産性の向上という面でも重要な意味があるということになる。供給面の効果と格差是正の双方に目配りをするという点で、高圧経済論と現代サプライサイド経済学は同じ地平のもとにある。

需要超過の状態になり物価が上がる局面でも粘り強く景気刺激を続けるという点で、高圧経済の取り組みは「オーバーシュート型コミットメント」の実践という面があるが、この1年ほどについていうと、財政金融両面における需要刺激が資源高と相まってインフレの高進をまねき、オーバーシュート型のコミットメントはビハインド・ザ・カーブ、すなわち物価の動きに対して対応が後手に回る結果をもたらしてしまった。

高圧経済論がやや後景に退いて現代サプライサイド経済学が前面に押し出されるようになった理由について、ややうがった見方をすれば、物価が想定を上回って高進し高圧経済のマイナスの側面が強調されかねない局面にあって、批判を回避しつつ雇用政策やインフラ投資などを通じた経済底上げの重要性を訴えるための方便として、現代サプライサイド経済学というパッケージが利用されているようにも見える。

「アベノミクス」と「現代サプライサイド経済学」

米国におけるこの動きに対する日本国内の反応をながめていると、これからは財政金融政策による需要刺激よりも供給サイドの改革を重視する経済政策をとるべきであり、この点において現代サプライサイド経済学が大いに参考になるという趣旨の提案がみられる。この提案には、財政金融政策による需要刺激を続けてきたとされるアベノミクスを暗に批判する意味合いも含まれているようだ。

もっとも、このような形で経済の需要側と供給側を対置する見方は、2つの意味でやや皮相的なものということになるかもしれない。ひとつは、現代サプライサイド経済学と密接な関係を持つ高圧経済論が、需要超過のもとでも粘り強く需要刺激を続けるべきという提案であったことが見落とされているということだ。高圧経済論は経済の需要面と供給面は密接不可分という認識に立つものというであることを踏まえれば、短期の需要刺激と中長期の視点に立つ供給力の強化を単純に対置させてよいのかという点についても留意が必要となる。

もちろん、高圧経済論の枠組みに乗らず、経済の需要面と供給面は分けて考えるべきという主張はあってもおかしくないが(高圧経済の取り組みは、気をつけないと潜在成長率の引き上げよりも物価上昇につながってしまう可能性もある)、その場合には高圧経済論と同じ方面から提案されている現代サプライサイド経済学についても、割り引いて話を聞くべきということになるだろう。

もうひとつ留意すべきことは、「アベノミクス=財政金融政策による需要刺激」というよくありがちな公式は、実際には成り立たないということだ。アベノミクスには2015年9月に「新・三本の矢」が加わり、「経済の好循環の実現」に向けて「働き方改革」「人づくり革命」「生産性革命」など供給側重視の政策が進められてきた(2017年9月25日の経済財政諮問会議に提出された民間議員ペーパー「安倍内閣において重点的に取組むべき課題について」には、「需給ギャップが縮小する中で、財政機能の重点を「需要創出」から「サプライサイド強化」等にシフトすべき」との指摘もみられる)。

岸田内閣の看板政策である「新しい資本主義」は、その内容が多岐にわたっていて必ずしも範囲が明確ではないが、岸田内閣の経済政策はアベノミクスと不連続な変化を伴うものではなく、むしろアベノミクスの大枠を継承するものとなっていることにも留意が必要である(この点の詳細については「金融所得課税で経済成長?――アベノミクスと「キシダノミクス」のあいだ」(https://synodos.jp/opinion/economy/27452/)をご参照ください)。

安倍内閣から菅内閣を経て岸田内閣に引き継がれた「経済の好循環の実現」という取り組みは、「アベノミクスはトリクルダウンを目指すもの」という批判に応えるべく進められてきたものであり、その問題意識は現代サプライサイド経済学の議論を先取りしたものということもできるだろう(政労使協議を開催して総理自らが賃上げを要請し、子育て支援などの家族関係支出を大幅に増やした安倍内閣の経済政策を新自由主義的ととらえるのであれば、「新自由主義」という言葉の意味は相当に修正を迫られるということになる)。

菅直人総理の「第三の道」

伝統的なサプライサイド経済学の問題点を指摘するイエレン財務長官の発言をながめていると、「小泉構造改革」を批判して「第三の道」を提唱した菅直人総理(当時)のことが思い出される。菅総理は自民党の伝統的な政策を公共事業中心の「第一の道」、小泉内閣が進めてきた「聖域なき構造改革」を「第二の道」としたうえで、「第二の道」を「行き過ぎた市場原理主義に基づき、供給サイドに偏った、生産性重視の経済政策」と批判した(第174回国会における菅内閣総理大臣所信表明演説)。伝統的なサプライサイド経済学に異を唱えるイエレン財務長官のスタンスは、菅総理のスタンスにそっくりだ。

菅総理の「第三の道」は消費増税の議論と結びつき、菅総理が財務大臣だった時の「増税をしても、使い道を間違えなければ、景気はよくなる」というフレーズとともに広く知られることとなった。「第三の道」では、増税によって確保した財源を利用して医療、介護、環境分野などの産業を育成し、雇用を創出することで、所得の増加と格差の是正を目指すとされていた。

これまでのところ「増税をしても」は明示的に含まれていないようだが、政府の積極的な関与を通じて雇用を創出するというイエレン財務長官のアイデアは、菅総理の「第三の道」における「小野理論」を思い出させるものだ。

これらの点を踏まえると、現代サプライサイド経済学は「新しい」経済政策というよりは、かなり既視感のあるもののように見えてくる。

この道はいつか来た道?

菅総理の「第三の道」には、賛同の声とともにさまざまな批判や疑問の声が寄せられた。財政支出を通じて雇用を創出しても、それが持続的な経済成長につながるかは不確かだというのが、そのひとつだ。菅総理が「第一の道」として異を唱えた公共事業も、公共工事の実施による直接的な雇用の拡大だけを目的としたものではなく、産業の誘致など供給面の効果を期待して実施されてきたものであり、それが企図したような効果をもたらさなかったために「無駄な公共事業」と認識されるようになったものである。

昭和30年代に経済成長の隘路と認識された社会資本の不足(たとえば「駅頭滞貨」)に対して適切な対応がなされなかったら、高度経済成長期の日本の姿は異なったものとなっていただろうことを踏まえれば、公共事業もさまざまであり(東名高速道路や東海道新幹線を「無駄な公共事業」という人は少ないだろう)、このことは社会保障など他の分野の支出についても同様に言える。財政支出のコスパ(費用対効果)は事業ごとに精査が必要であり、ある分野の事業はよいもの、別の分野の事業は悪いものと先験的に決められるものではない。バイデン政権のもとで計画されているプロジェクトについても、このことは同様に言える。

となれば、輸入学問のようにいきなり現代サプライサイド経済学を参照するよりも、菅総理の「第三の道」がその後どのような経過をたどったかを確認することが、地に足のついた議論を進めていくうえで大事な留意点ということになる。もちろん、有望な分野に重点的に投資をするのは大事なことだが、何が有望かを見極めるのは容易なことではなく、財政支出を投じれば思った通りの結果が得られるものというほど話は単純でない。

このことを考えるには、民主党政権の頃から続けられてきた「成長戦略」がどのような成果をもたらしたのかを確認することが役に立つだろう(もちろん、民主党政権の成長戦略は「悪い成長戦略」で、自公政権の成長戦略は「良い成長戦略」ということにもならない)。

菅総理の「第三の道」が党派による選好の違いを反映した政治的なメッセージであったのと同じように、現代サプライサイド経済学も米民主党政権の選好を反映した政治的なメッセージというところが多分にあるように思われる。海外の事例に学ぶことはよいことだが、少し冷めた目で落ち着いて今後の推移をながめていくことが、「この道はいつか来た道」ということを繰り返さないためにも大事ということになる。

プロフィール

中里透マクロ経済学・財政運営

1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。

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