2013.02.27

日本の産業と経済政策 ―― 過去、現在、未来

岩田規久男、南部鶴彦、最終講義 特別講師・八田達夫

経済 #産業組織#公共政策#マネーサプライ論争#インフレーションターゲット#最終講義

2013年1月16日、さまざまな功績を残してきたふたりの経済学者、岩田規久男氏、南部鶴彦氏の最終講義がひらかれた。特別講師として八田達夫氏をむかえて開かれた本講義には、日本や世界で活躍する経済学者たちが集っていた。長年の教員生活において、彼らはどのような研究を行い、業績を残してきたのか。現代の日本が抱えるエネルギー政策、経済政策の問題とは。そして若い経済学者になにを期待するか。ここに記録する。(構成/金子昂)

 

南部鶴彦先生の過去の研究について

宮川 みなさん、本日はお集り頂きありがとうございます。司会を務めさせていただきます学習院大学の宮川努です。今日は「日本の産業と経済政策 ―― 過去、現在、未来」と題し、今年度かぎりで学習院大学を退職される岩田規久男先生、南部鶴彦先生の最終講義を行います。なお特別講師として、八田達夫先生にもご参加いただいております。

まずは南部先生と岩田先生に、日本の産業政策とマクロ経済政策について、それぞれ15分ほどお話をいただこうと思います。はじめに南部先生、よろしくお願いいたします。

南部 ご紹介いただきました南部鶴彦です。今日はわたしがこれまでにどのような研究を行ってきたのか、そしてこれから研究したいと思っているテーマについて簡単にお話したいと思います。

わたしの専門は、産業組織、規制の経済学、そして産業経済学です。初めて興味をもって研究をしたのは産業組織論と環境経済学でしたが、1982年に『産業組織と公共政策の理論』を出版し、この分野の研究に区切りをつけました。

1970年代に研究者になりましたから、いま考えると早々に区切りをつけています。なぜここまで早く区切りをつけたかというと、70年代に日本の産業は大発展し、80年代初の時点では日本の産業を対象とした分析を考える必要がなくなったためです。小宮隆太郎先生も「産業組織論は、sick industryを研究するもので、健康な産業を取り上げて論文を書いても仕方がない」とおっしゃっていますね。それを聞いてわたしも納得をして、通常の一般的な産業組織の研究に区切りをつけました。

つぎになにを研究するか考えたとき、当時もっとも重要な問題は電電公社や国鉄に代表される公共企業だと思いました。ただわたしは鉄道にあまり興味をもっていなかったので、電気通信産業の問題を研究することにし、90年代までに数冊の本を出版しました。当時、電気通信産業について体系的にまとめた研究はありませんでしたので、しっかり成果を残すことができたと思っています。ただ技術進歩によって、わたしが研究したころの通信産業と現在の通信産業はまったく様相が異なったため、当時の研究は通用しなくなってしまっています。

医薬品や医療器具の価格規制問題にも取り組みました。医薬品にかけられている薬価規制制度という価格規制は、日本のメーカーを守る一方で、世界市場への発展の芽を摘んでしまっていたんです。それからステークホルダーの利害ばかりが考慮されていた診療報酬制度についても、抜本的な視点から経済学的な議論にもとづき考えてきました。

2000年に入ると、環境とエネルギーをテーマに『エナジー・エコノミクス』を、今日おいでになっている西村陽先生と出版しています。この本は、わずか10年前に執筆したものですが、すでにもっと新しい視点が必要になっていると感じています。以上が、わたしがいままでに行ってきた研究です。

今後、研究したいテーマについて

さて次に、現在わたしが関心をもっているテーマについてお話します。

ひとつは通信産業です。このテーマで本を書くとしたら『メディコムエコノミクス』としたいですね。メディコムとは、メディアとコミュニケーションをあわせた言葉です。テレビ局や電話会社、yahooやgoogleのようなインターネットメディア、クラウドコンテンツ、そしてアップル社のiPadのようなデバイスの発展など、さまざまな観点から現在のメディアとコミュニケーションについて、政策も含めて研究してみたいです。

ふたつ目は薬価基準制度や診察報酬制度です。これは結局のところ全体としての平均値の上限を決める仕組みです。価格の上限を定める規制方式のひとつはプライスキャップですが、プライスキャップについては90年代にかなり研究が進みました。そこでの蓄積を医療や薬価の舞台でどのように運用していくかを考えるつもりです。

そして三つ目は電力について。『エナジー・エコノミクス』には発電に関する研究が足りていなかったと出版後に気が付きました。発電産業に関する考え方は、今日登壇されている八田先生と意見が合わないのですが(笑)、それについてはあとでお話したいと思います。

最後は経済物理学ですね。物理学は19世紀に経済学に対して大きな貸しをつくっています。というのも、われわれ経済学者が使用している「均衡」などのアイディアは物理学から借りてきたものなのです。どうもわたしにはこの均衡について、肝心要のところが語られていないように思う。

経済学者は超過需要・超過供給の場合、価格が上下することで速やかに均衡価格に落ち着くと考えます。わたしも学生にはそのように教えていますが、本当にそうなのか検証してみたいのです。じつは物理学にとって均衡はたいへん危険な状態とされています。相転移といって、気体が液体に、液体が個体に相が転移するさい、中間に臨界点があります。臨界点における分子の揺らぎは非常に暴力的で、なかなか均衡点に到達しないのです。

経済物理における外国為替や株価、商品市場などの分析によると、しばしば均衡が大きくふれることが指摘されています。経済学においても、じつは均衡価格に向かってシステムはスムーズに移行すると仮定してよいのか、考えていきたいと思っています。

岩田規久男先生が経済学を志した経緯

宮川 南部先生ありがとうございました。では次に、岩田先生にこれまでの研究と日本経済についてお話いただきたいと思います。

岩田 みなさんお集まりいただきありがとうございます。今日は、わたしが経済学を志したきっかけと現在の経済政策についてお話したいと思います。

大学卒業後にちょうど父が退職しまして、大学院にいくお金はだせないと言われてしまいました。心ならず銀行に就職したものの、やはり嫌々ながらの就職は続かないもので、4か月で辞めてしまった。ちなみに南部先生も1ヵ月で辞められています(笑)。

どんなに苦しくても大学院に行き研究者になろうと決心し、東京大学の大学院を受験しました。このとき南部先生も同じように試験を受けられ、運よくふたりとも合格しました。

もともとわたしは経済理論それ自体にあまり興味がなく、その応用である経済政策を研究し、世の中の役に立てばと思い、東京大学大学院にあるふたつのコース、「理論経済コース」と「応用経済コース」の、応用経済コースを選択しました。

当時、応用経済コースで近代経済学を教えられていたのは、その頃はまだ助教授であった小宮隆太郎先生だけでした。小宮先生の研究室を訪れて指導教官をお願いしにいったのですが、とにかく怖かったですね(笑)。小宮先生に「きみはなにをやりたいのか」と聞かれて、ケインズ経済学くらいしか知らなかったものですから「財政政策、金融政策がやりたい」と答えたら「ふーん」と言われてしまった。

あの頃は、経済安定政策よりは経済成長論が流行っていて、財政・金融政策のような短期的な政策を研究する雰囲気がなかったんですね。小宮先生は「ずいぶん古いやつだな」とお思いになったのかもしれません。

大学院に入って1年後、医学部で事件が起こり、東京大学大学院経済学部研究科が無期限ストに入ってしまった。勉強できなくなって困っていたところ、小宮先生が開発銀行設備投資研究所のアルバイトを紹介くださった。その研究所の面接で「もうひとり困っている大学院生がいるので一緒に採用してください」とお願いしたら、南部先生も採用していただきました(笑)。

設備投資研究所のアルバイトは非常に恵まれた環境でした。東京大学の図書館よりも資料がそろっていて、コピーもただでできる。さらに宇沢弘文教授という大先生が顧問をやっていらっしゃった。小宮、宇沢とふたりの巨人に指導を受けたのはわたしくらいではないでしょうか。お二人の先生にご指導いただいたからこそ今日のわたしがあるといっても過言ではありません。ですからわたしは規制改革論者で、政府系の機関はいらないという立場をとってはいますが、開発銀行については一度も批判したことがありません(笑)。

修士論文は設備投資をテーマに書きました。論文を書くために企業金融を勉強していたところ、ちょうど小宮先生も企業金融を研究されていました。先生に声を掛けられて、『企業金融の理論』を日本経済出版社から共著で出版しました。

4年ほど設備投資研究所にお世話になり、上智大学で金融論を教えていました。じつは金融論はあまりやっていなかったのですが(笑)。

土地問題と環境問題の研究

1970年代に、小宮先生が書かれた地価問題の論文を読んで非常に感銘を受けました。日本人は、地価が高すぎて住宅が買えないことが原因で貧しいんだと思った。そこでわたしも土地・住宅問題を研究し始め、小宮先生と「地価理論の混乱を糾す」という論文を書きました。当時はマルクス経済学が、独特な地価の決定理論を展開していたため、わたしの初めての論争となる地価論争がはじまった。わたしはいままでいろいろな論争をしてきましたが、地価論争がきっかけで、論争するスタイルになったように思います。

1977年には『土地と住宅の経済学』という、土地・住宅問題についてまとめた本を出版しています。

日本は、線路沿いに住宅密集地がありますね。しかし欧米を旅行すると、都市を出ると、あとは農地ばかりで住宅をみかけないんです。コンパクトに都市に住んでいるということです。近代の交通体系から考えると、このような土地利用でないと環境のよい都市はできないのではないかと思いました。

加えて、当時は大阪空港騒音訴訟、新幹線騒音訴訟、自動車の騒音公害問題など、騒音問題がとてもクローズアップされていた。この問題も土地の利用方法が不適切なために生まれていると思いました。土地問題は法律にも関連します。そこで土地の買収や騒音被害者にはどのように賠償すべきかを「損失賠償の経済分析」という論文にまとめました。

こうした研究をしていたところ、経済学者のもうひとりの巨人・稲田献一先生から「環境問題を研究してみないか」と言われた。というわけで、環境問題を10年ほど文科省の科学研究費の援助を受けながら研究しました。このとき稲田先生から八田先生を紹介いただき、一緒に研究しました。

しばらくは環境問題の研究をしていたのですが、1980年代にバブルで地価があがり、出版社やマスコミから「昔、土地問題を研究していたでしょう」と声がかかるようになり、土地問題に先祖返りしました。このときは上智大学の山崎福寿先生などと共著で『土地税制の理論的・計量的分析』という本を出版しています。

マネーサプライ論争の始まり

そして90年代にバブルが崩壊しました。

あるときわたしの上智大学の教え子、というよりもわたしが教わったというべきなのかもしれませんが、大和総研で働いていた岡田靖さんが1枚のグラフをもってきてわたしにこう言いました。「岩田先生、マネーサプライがこんなに落ちています。日銀はこれを放置しているんですよ」。

岡田さんがもってきたグラフを見ると、マネーサプライが1930年代のアメリカそっくりに急激に減少しているのです。「これを放置しているなんてけしからん!」と思い、1992年9月に、週刊東洋経済に「『日銀理論』を放棄せよ」を寄稿しました。ちなみにこの題名はわたしがつけたものではありません。出版社が命名する権利をもっているんです。初めて題名をみたとき「『放棄せよ』なんて酷いじゃないか!」と思いましたが、確かに「放棄せよ」といった内容ですからしょうがないですね(笑)。

「『日銀理論』を放棄せよ」では、「世界の標準的な理論からみて、日銀理論はおかしい。このままでは日本はどんどん悪くなる」と主張しました。この主張に対して、日本銀行の翁邦雄さんが反対してきた。マネーサプライ論争の始まりです。地価論争に始まり、さまざまな論争をやって、もう論争はこりごりだと思っていたのに、また始まってしまいました。

1998年に消費者物価指数でも日本はデフレになりました。論争は本格化していくのですが、どういうわけか日本銀行を支持するエコノミストばかりで、孤立無援状態でした。しかも師匠である小宮隆太郎先生が、「日本銀行の金融政策は100点満点だ」といった論文を書かれた。このときは決定的なダメージを受けましたね。師匠との論争は非常に難しいんですよ。日本は目上の人に敬語を使わなくてはいけませんよね。皆さんもぜひ敬語で論争してみてください。難しいですよ(笑)。

孤立無援の状況で孤独な戦いをしていたのですが、東洋経済新報社の中山英貴さんの呼びかけで昭和恐慌の研究が始まり、わたしにも研究仲間ができました。これにはとても救われましたね。

もう20年くらい日銀理論を批判してきましたが、安倍首相が現れて、少しずつ変化の兆しがみえてきました。日本銀行の金融政策が変わって、デフレ脱却への道筋がみえてきているように思います。あとは、若い人たちにリフレ政策を理論化して欲しいなというのがいまのわたしの願いです。

岩田先生と南部先生とのなれそめについて

宮川 貴重なお話をありがとうございました。お二人とも広い意味での公共政策に深く関わってこられたことがいまのお話でおわかりいただけたかと思います。次に八田先生にお話いただきたいと思います。

八田 八田達夫です。まずはお二人とのなれそめについて、その後で、わたしが経済学に興味をもったきっかけをお話したいと思います。

南部先生とは1997年に電気事業分科会で知り合いました。わたしは電気事業に関する研究は行っていなかったのですが、道路や鉄道の混雑の抑制策としての混雑料金について研究していました。電力システムの設計においても混雑抑制が重要な点だと思い、この分野に入っていくことに決め、電気事業分科会に参加したわけです。南部先生とはそれ以来のお付き合いになります。

大阪大学社会経済研究所にアメリカの大学から着任した直後に、稲田献一先生が「研究費が必要だろう。岩田さんに頼んであげよう」とおっしゃって、岩田先生のもとで環境に関する研究をはじめたのが、岩田先生とのなれそめです。

当時わたしは帰国したばかりで、東京とニューヨークの人口密度の都心からの分布が違うことに強い印象を受けていました。ニューヨークでは、人口密度も地価も都心ではものすごく高いのですが、少し離れるとストンと落ちるのです。しかし東京では都心から離れた郊外でも人口密度も地価も高いままです。この違いの原因を調べてみようと考えました。都市内の人口配置は都市の住宅環境に大きな影響を与える要因なので、環境のグループに入れてもらって良いだろうという理屈をたてて、岩田先生のもとで環境に関する研究をはじめました。

東京とニューヨークのこのような違いの原因として、通勤手当が思い当りました。日本の税制では、通勤手当は所得税の対象になりませんが、アメリカの場合、通勤費は自前となります。ですからアメリカでは都心に住むインセンティブがあります。中心地から離れた場所に住んでも通勤手当はありませんので、よほど大きな家に住みたい人だけが住居を構えるんです。この研究では、東京の都市モデルをつくり、通勤手当を所得税の対象とすると、東京の地価分布がニューヨーク並に変化することを示しました。

思い返すとわたしは理想的な経済学の教育を受けてきました。学生時代はマルクス経済学が盛んな時代であったのですが、わたしが学部2年生の時に大学で使われていた教科書はサミュエルソンでした。混雑料金について初めて知ったのもサミュエルソンの教科書によってです。次に、お二人のお話にもでてきた小宮先生がお書きになったものを読んで、日本には価格メカニズムが十分に導入されていないことを知り、これから経済学の役割は大きくなると感じました。また、当時のニューズウィークで、サミュエルソンとフリードマンが隔週で市場の役割や混雑料金など、アメリカの諸問題についてコラムを書いていたんです。このコラムでますます経済学の面白さに気がつきました。

その後、本四架橋の三候補地間の費用便益の比較をする建設省の理工系の人たちのチームに一年間入れてもらいました。そのなかで、わたしは計量経済学による地域経済分析をしました。アメリカの大学への入学願書では、「世界で一番大きな橋の費用便益分析を行った」のだということを大いに宣伝して、留学することができました。

いま考えると若いときに理論と実証を勉強したことはとてもよかったと思います。学部生のころに何に関心を持っているかが、のちのちまで影響しました。

本当に市場に任せていいのだろうか

宮川 ありがとうございました。

みなさんご存知のように、東日本大震災後、これからのエネルギーの見直しが重要な問題になっています。そこで南部先生、八田先生には、これからのエネルギー政策のあり方についてお話をいただきたいと思います。

また岩田先生には先ほどのお話にもありましたが、マクロ経済政策、とくにデフレ脱却策に焦点をあててご意見をお聞かせいただきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

南部 エネルギー政策のお話をする前に、少しだけ別の話をさせてください。

70年代の開発銀行設備投資研究所にあった日本経済研究センターは、若いエコノミストが勉強をする場を提供してくれていました。いま思うと、とても豊かな環境でしたね。70年代にはそういう場が生まれる「ゆとり」があったんです。現在はそういう雰囲気がどうも欠けている。いま環境には問題があると思います。

それから、日本銀行についてわたしは金融専門ではないので違う観点からお話を少しさせてください。日本銀行は一種の官僚組織となっていて、そもそも組織としておかしいように思います。どうも官僚としてしか動いていないように見える。

いまの日銀は物価を上げないことを目標に動いているのではないか。日銀の役割のひとつはマネーサプライをコントロールすることです。物価を上げると減点、物価を下げると加点されるといった評価をすべき機関ではありません。フリードマン的に言えば、官僚化している日銀はもはや解体したほうがいいのではないでしょうか。

では宮川先生からいただいたお題であるエネルギー政策についてお話したいと思います。八田先生とはいろいろなところでお話をさせていただいていますし、この場で真正面から論争したくないので、ひとつだけ大きな食い違いについてお話します。

わたしは発送電の分離には反対の立場をとっています。発電を分離して電気を自由につくって売ることができるようにして、完全に競争的なマーケットをつくるべきだという主張がありますが、実際の発電市場はオフ・ピークのときだけ競争的な市場です。わたしは電力需要がピークのとき、制約が一切ない場合、発電業者は価格を上げ放題なのではないかという危惧をしているんです。これが起こらないようにするひとつの仕組みは送電会社が発電会社を合併して垂直統合することです。

わたしは投機に対して不信感を持っています。わたしもサミュエルソンを読みましたが、どうしても投機が効率的な資源配分を促すようには思えないのです。先ほども述べたように、経済物理の研究を見ますと、ある特定の微分方程式を使った場合、投機、あるいはバブルは起こりませんが、別の微分方程式を使うとバブルが起こってしまうんです。

電力の送電分離を行った場合、電力は将来市場で売買をせざるをえず、結局、金融先物市場を介して電力を売り買いすることになりますよね。本当に金融市場に任せていいのか確信が持てないのです。

CO2排出量削減のために必要な観点

宮川 どうもありがとうございます。それでは八田先生から現状のエネルギー政策についてご意見をお願いします。

八田 今日は、南部先生とわたしの意見が一致するところをお話したいと思っていたのですが(笑)、少しだけお話をしましょう。

アメリカでは発送電が一体になっていますが、ヨーロッパの多くの国、ベルギー、チェコ、デンマーク、フィンランド、フランス、ドイツ、ハンガリー、イタリア、ポーランド、ポルトガル、スロバキア、スロベニア、スペイン、スウェーデン、オランダなどでは、発電と送電を別会社にしています。それから所有権の分離をやっているというのは少ないけれどもチェコ、デンマーク、フィンランド、イタリア、ポルトガル、スロバキア、スペイン、スウェーデン、オランダが行っています。

このように発送電分離の実験はかなり進んでいる。世界で初めて送電線を開放し、自由化したのは1932年のノルウェーです。それからいまに至るまで、さまざまな積み重ねがあり、ヨーロッパは発送電の自由化が進みました。発送電分離に関しては、頭でっかちにならずに一つひとつ課題を解決していくことが大切でしょう。

つぎに原発と地球温暖化対策について述べたいと思います。

日本は地球温暖化対策として、ゼロ・エミッション推進にこだわり、原発や再生可能エネルギーに補助を与えています。

しかし風力発電や太陽熱発電は全体の0.25%と、小さい割合しか担っていない。であれば割合の高い火力発電の技術進歩を促したほうがよっぽど効率がいいのではないでしょうか。技術進歩でなくても、CO2を多く排出する石炭からガスに燃料を変えるだけで、CO2の排出量は減らすことができます。

火力発電の技術進歩を促したり、CO2削減になるような燃料転換を促すためには、炭素税をかけることがもっとも有効です。日本のCO2トン当たりのエネルギー税率は、他国に比べてまだまだ低いので高くする余地があります。あとガソリン、軽油、天然ガス、重油、石炭など、燃料によってCO2トン当たりの税率が違うのはおかしい。本当に排出量を減らしたいのであれば均等にすべきです。炭素税率の引き上げは、原発や再生可能エネルギーへの補助よりも意味があることだと思います。

しかし政治家も役所も再生可能エネルギー業界に恩を売りたいと思っているようですね。みなさんご存知の通り、固定価格買取制度によって、特定の企業はぼろ儲けしました。国の補助によって、いまの未熟な技術で、日本全国で太陽熱発電がおこなわれるようになった。5、6年もすればもっと技術が進歩しているはずです。効率的にCO2排出量を減らすのであれば、炭素税をかけるべきだと思います。

そして最後に重要なことは、もし日本が他国よりもCO2排出量の削減に貢献したいと考えているならば、日本の国内で25%の削減を目指すのではなく、日本よりもGDPあたりのCO2の排出量が高い中国、インドといった途上国に日本の優れた技術を持っていくほうが効率的なはずです。すでに排出量の少ない日本が、乾いたぞうきんをしぼるように、原発や、再生可能エネルギーに膨大なお金をかけるよりも理にかなっているのではないでしょうか。

CO2排出量削減のためには、このように改善点がまだまだたくさんあります。対策のために炭素税を中心に据えないと、再生可能エネルギー業界も、原発業界のように利権追求業界になってしまう可能性があると思います。

バレンタイン・ショック、安倍ショック後の市場の反応

宮川 南部先生、八田先生、貴重なお話をありがとうございました。それでは最後に岩田先生から直近のマクロ経済政策、金融政策についてお話をいただければと思います。

岩田 わたしは20年ほど、ことあるごとにインフレーションターゲットの話をしてきましたが、今日もその話をしますね(笑)。

デフレは、人々がデフレを予想して行動するために起こります。ということは、人々がインフレを予想すればインフレが起きるはずです。人々がインフレを予想するようになるためには、金融政策を変えなくてはいけない。わたしは長い間この話をしつづけてきました。

マーケットは日銀の金融政策レジームや日銀総裁の発言、日本銀行当座預金などに注目して行動を変えます。レジームが変わったとマーケットが判断するとなにが起きるか。好例が2012年2月14日の「バレンタイン・ショック」と2012年11月14日の「安倍ショック」ですね。

バレンタイン・ショックとは、日本銀行が「1%のインフレ率を目途に金融緩和を行う」と約束したところ、翌々日にマーケットが反応して,以後、予想インフレ率が急激にあがったことを指します。それまで予想インフレ率はマイナス、つまりデフレが予想されていたわけですが、バレンタイン・ショック以降、予想インフレ率は急激に右上がりになりました。しかし5月25日をピークにまた下がってしまう。これは白川総裁が、「やっぱり金融政策だけではデフレから脱却できない」という趣旨の発言をしたことによって、マーケットが反応した結果です。

2012年11月14日の安倍ショックもマーケットは同様の反応をみせました。そもそも予想インフレ率があがると、どのようなルートで景気が回復に向かうのか、いくつかお話したいと思います。

まずは円安ルートですね。予想インフレ率があがった場合、円で預金をもっていると少しずつ目減りしてしまいます。ですから円を手放して外貨を手に入れようとする。マーケットで円が売られることで、円はどんどん安くなります。円安によって輸出も増え需要が拡大し、デフレ脱却へと向かうわけです。

それから株高のルート。安倍ショック以前の株価と現在の株価を比べてみましょう。9000円台から8000円代まで下降トレンドを辿っていた株価は、安倍ショックをさかいに、去年の年末には1万395円まで上がっています。株価が上がれば増資が行われるようになりますから、資金調達が容易になって設備投資が増えます。また,資産効果から消費も増えます。

他にも予想実質金利低下のルートや地価の上昇ルートもある。予想インフレ率があがることで4つのルートから景気は回復に向かうわけです。

デフレ脱却のために必要なこととは

先ほどマーケットは日銀当座預金にも注目していると言いました。日銀当座預金が増えつづけると予想インフレ率があがります。当座預金をみて日銀がどのような金融政策をとっているのかを判断するためです。

ただ日銀当座預金を増やしたときの予想のインフレ率の上がり方は、アメリカに比べると小さいんですよね。これは日銀が、「日銀が流動性を供給しても物価は上がらない。物価を上げるには、政府の成長戦略や財政の持続可能性の確保、そして構造改革が必要だ」と言っているせいです。こんなことをいう中央銀行は日銀だけですよ。世界中の中央銀行は金融政策で物価を安定的な水準に維持できると言っています。

そんな日銀のもとでも、予想インフレ率があがると円安・株高になっています。ですから今後、安倍首相がうまくレジームを転換してくれるとしたら、株は買い時ですよ。もちろんレジームが変わらなければ意味がありませんから、買って損しても責任はとりません(笑)。

日銀のレジームをチェンジさせるために必要なことは、日銀法を改正することでしょう。日銀法の改正について「日銀の独立性を阻害する」とマスコミは報道しますが、中央銀行の独立性とは、手段の独立性のことなのです。考えてみてください。企業が営業マンに対して「目標も手段もお前が決めろ」と言っているようでは経営が成り立たないでしょう。経営者や上司が、なにをどれだけ売るという目標を決めて、社員が達成のための手段を考えるわけです。中央銀行も同じで、目標は政府が決めて、手段を日銀が決めればいい。

「日銀当座預金が増えても銀行から民間にお金が流れなければデフレは脱却できない」と主張する人も多いですね。じつはわたしもこの批判にはなかなか反論できずにいました。でも反証を教えてくれたのが、先ほども話にでてきました岡田靖さんです。彼は残念ながら2年ほど前に亡くなってしまいました。

ここからが今日の話の肝です。2000年代初め、小泉政権時代に外需主導によって輸出が伸びて景気が回復しました。設備投資も増え、生産も増えた。景気は回復しているものの銀行貸出は、2005年6月までずっと減少しました。そこからはゆるやかに貸出は増えていくわけですが、なぜこのようなことが起きたのでしょうか。

デフレになると企業は設備投資を少なくして、あまったお金を内部留保にまわします。リーマンショック後を見てみると、日本企業は半期で12兆円、年間24兆円ものお金をあまらせています。企業がお金をあまらせているなんて日本だけですよ。企業というのは本来、内部留保だけでは設備投資の資金が足りないので、株式を発行したり、借入をしたりするわけです。それが日本企業の場合、あまったお金を預金にまわしたり、その他の金融資産で運用したりする。モノやサービスを生産するはずの企業が金融資産にお金を向けたら経済はおしまいです。

企業は金余りです。したがって、日本の場合、デフレ脱却からしばらくのあいだは、企業はその余っているお金で設備投資や生産拡大のための資金を調達できますから、銀行からの借り入れに頼る必要がないんですね。しかもデフレ脱却の初期は、株価が急騰しますから増資もしやすくなる。銀行に頼る必要はますますなくなるんです。銀行から借りなくても企業の余っているお金が動き出す。だから,銀行の貸し出しに頼らずにデフレから脱却できるんです。これを15年くらいずっと話しているのに、マスコミも日本の経済学者もまったく耳を傾けない。15年も同じ話をさせられたらわたしだって怒りますよ(笑)。

以上が、わたしが長い間、話してきた内容です。

若い学生に向けたメッセージ

宮川 ありがとうございました。最後に、先生方から若い学生にメッセージをお願いいたします。

南部 いま少子化が問題になっていますが、高齢化問題は40年前から話題になっていましたね。デフレの原因に、消費が増えないことがありますが、その一因は日本のお年寄りがケチでお金を使わないことでしょう。ヨーロッパのスキー場に行くと、年配のかたがたくさんいますが、日本ではどこにいっても若者ばかりです。

つまり消費を増やすためには、若い方にたくさん子どもを産んでもらうしかないのです。ただここには非対称の問題があります。なぜなら男性は子どもを産むことができない。そして女性が子どもを産みたいと思わなければ、政策的なことをいくらやっても子どもの数は増えません。ですから若い男性の学生諸君は、女性が結婚して子どもを産みたいと思えるくらいに魅力的な人間になってください(笑)。

岩田 さすが、南部先生は発想が違いますね。みなさん頑張って下さい(笑)。

わたしからは、インプットを大切にしてほしいと言いたいですね。アメリカの学生は積極的に発言しているといいますが、そのアウトプットは大量にインプットしているからできるものです。

以前話題になったサンデルさんの授業も、学生は事前にかなりインプットしているから、白熱した議論ができるんです。日本の大学の入学試験は、勉強がいやになって、大学に入ったらもう勉強したくなくなる類のものだと思いますが、少し休んだ後は、いろんなことをインプットして欲しいですね。図書館に行くと、いつも閑古鳥が鳴いていますから、席を奪い合うくらい勉強してください。これを最後のメッセージにしたいと思います。どうもありがとうございました。

八田 わたしはいつもこういうとき「経済学やったほうがいいよ」と言うことにしています。しかし今日いらっしゃった方は経済学を勉強されている方がほとんどだと思うので、「学生のあいだに、ぜひ英語を勉強してください。」と申し上げようと思います。

日本社会は閉鎖的なところがありますから、日本にいれば、行き止まりにはまってしまうこともあるでしょう。しかしそこで外国に出る選択肢があれば、別の道が開けます。いまは英語を勉強する環境は充実していますから、自分の将来のためにも英語を勉強することをおすすめしたいと思います。

宮川 貴重なお話ありがとうございました。とても充実した最終講義になったと感じております。先生方は今年度で学習院を離れられてしまいますが、今後の一層のご活躍を確信しております。

(2013年1月16日 学習院大学にて)

プロフィール

岩田規久男経済学

1942年大阪生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学院博士課程修了。上智大学、カルフォルニア州立大学、イギリスサセックス大学などを経て、現在、学習院大学経済学部教授。主著に『デフレの経済学』(東洋経済新報社)、『昭和恐慌の研究』(編著、東洋経済新報社)、『経済学を学ぶ』(ちくま新書)、『経済学的思考のすすめ』(筑摩選書)ほか多数。

この執筆者の記事

南部鶴彦経済学

1942年東京生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院博士課程修了。武蔵大学、ルヴァン大学(ベルギー)などを経て、現在、学習院大学経済学部教授。主著に『テレコム・エコノミクス』(日本経済新聞社)、『エナジー・エコノミクス』(共著、日本評論社)ほか多数。

この執筆者の記事

八田達夫経済学

1943年東京生まれ。国際基督教大学卒業、ジョンズ・ホプキンス大学経済学博士。オハイオ州立大学助教授、ジョンズ・ホプキンス大教授、大阪大学教授、東京大学教授、政策研究大学院大学学長などを経て、現在、学習院大学特別客員教授。著書に『ミクロ経済I、II』(東洋経済新報社)、『電力システム改革をどう進めるか』(日本経済新聞出版社)ほか多数。

この執筆者の記事