2012.10.30

高校理科の授業スタイルの国際比較

舞田敏彦

教育 #PISA#国際学力調査

OECDが3年間隔で実施している国際学力調査のPISAをご存知だろうか。そう。読解力の国際順位が何位、科学的リテラシーが何位というように、各国の教育関係者を一喜一憂させるアレである。しかるに、この調査は学力調査だけから成るのではない。生徒質問紙調査や学校質問紙調査も含んでおり、そこには、各国の生徒の家庭環境や学校生活の様相を把握するための設問が盛られている。

ありがたいことに、OECDホームページにて、回答結果が入力された段階のローデータ(未加工データ)をダウンロードし、自分の関心に即した自前の分析を行うことも可能である。しかしながら、この恩恵が十分に活かされているとは言い難く、何とも勿体ないことである。この場において、PISA調査のローデータを使えばこういうことができるという、一つの事例をご覧に入れようと思う。

PISA2006のローデータから見えてくるもの

ここにてなすことは、本記事のタイトルの通りである。各国の理科の授業がどのようなものかを明らかにする。PISAの対象は15歳の生徒であり、日本の場合、高校1年生である。国によって違いはあるだろうけれど、大よそ高校生であるとみてよいだろう。理科においては、知識に至る筋道として実験や討議が重要な位置を占めると思われるが、わが国の高校の理科の授業では、この種のことがどれほど重視されているのだろうか。授業の受け手である生徒の目線から吟味してみよう。

用いるのは、PISA2006のローデータである。年次がやや古くなるが、理科の授業の有様について生徒に問うているのは、この年の調査のようである。PISA2006の生徒質問紙調査のQ34では、「理科の授業で、次のようなことがどれくらいあるか」と尋ねている。

教授のスタイルというのは、既成の知識を湯水のごとく注ぎ込む注入主義と、問題探究能力のような、子どもの諸能力の開発を目指す開発主義に分類される。上記の設問の項目はいずれも、後者の授業スタイルに寄り添うものと読める。したがって、選択肢の数字は、各国の理科の授業がどれほど開発主義の考え方に立つかを測る尺度として使える。

1という回答には4点、2には3点、3には2点、4には1点というスコアを与えることにしよう。この場合、それぞれの生徒が受けている理科の授業の「開発主義」度は17点から68点までのスコアで計測される。全部1を選ぶような、バリバリの開発主義授業を受けている生徒は68点となる(4点×17=68点)。逆に全部4に丸をつけるような、知識注入型の授業を受けている生徒は17点となる。ただし、いずれかの項目に無回答ないしは無効回答がある生徒は、スコアの算定ができないので、分析から除外する。

私は、調査対象となった57か国、33万8,590人の生徒についてこのスコアを計算し、その分布を参考にして3つの群に区分した。具体的には、44点以上の者は開発主義的な授業を受けている生徒とみなし「開発群」とした。一方、34点までの者は注入主義的な授業を受けている者とし「注入群」と括った。35~43点の者は、双方の中間ということで「中間群」と命名した。このように区切ると、各群の量はほぼ3分となり、均衡のとれたものになる。

日本は極端な知識注入型

さて、この3群の分布は国によってどう異なるのであろうか。手始めに、わが国を含む主要先進国、お隣の韓国、そして大国ロシアのデータをみてみよう。括弧内の数字は、各国のサンプル数である。

日本は、7か国の中で開発群の比率が最も少なくなっている。全生徒のわずか6.4%である。逆をみると、全体の8割近くが、実験や問題探究に重きを置かない知識注入型の授業を受けていると解される。お隣の韓国も似たような結果である。一方、大国のアメリカとロシアは、開発群に括られる生徒が半分もいる。この両国は、かつての冷戦下で激しい科学技術競争を繰り広げた経緯があるけれど、その名残だろうか。ヨーロッパの3国は、日韓と米露の中間というところである。

以上は7か国のデータであるが、残りの50か国についてはどうか。ここにおいて、57か国のベタな帯グラフを提示するつもりはない。お見せしたいのは、わが国が全体の中のどこに位置するかを知ることができる俯瞰図である。横軸に注入群、縦軸に開発群の生徒の比率をとった座標上に、57の国を位置づけてみた。日本(76.6%、6.4%)の位置がどこかに注目してほしい。

お分かりかと思うが、図の左上に位置するのは、注入群が少なく、開発群が多い国である。つまり、実験や討議を重視する開発主義的な理科の授業が行われている国である。右下にあるのは、その反対である。斜線は均等線であり、これよりも上にある場合、注入群よりも開発群に括られる生徒が多いことを意味する。

さて、わが国の位置はどうかというと、悲しいかな、右下の極地にある。今回の比較で見る限り、日本の理科の授業は、開発主義の考え方から最も隔たっていることが知られる。お隣の韓国も然り。この東アジアの2国は、受験競争が激しい国なのであるが、そのような社会状況の影響もあることと思う。

対極の左上には、キルギスやアゼルバイジャンといった、旧ソ連邦の国が位置している。そのちょっと下には、大国の米露のほか、発展途上国も位置している。これらの国では、国力増強のため、開発主義の方向を向いた科学技術教育に力が入れられている、というようにも読める。英独仏といったヨーロッパ諸国は、ちょうど中間辺りの位置である。

統計は国民の共有財産

国際比較のデータから、わが国の理科の授業が知識注入的な性格を強く持つことが浮き彫りになった。断わっておくが、知識注入型の授業が100%悪であるというのではない。新たなものを創造するには既製の知識をしっかりと押さえることが必要であり、それをしないで闇雲に実験や討議を行っても意味はない。注入主義と開発主義は対立的なものではなく相補的なものであり、要は双方のバランスが重要なのであるが、わが国の現状は明らかに前者に偏しているとみられる。この点は是正が考えられるべきであろう。

なお、ここで用いたデータには制約がある。まずは、高校段階のデータであること。小・中学校段階でみれば、また違った結果になるかもしれない。また、今から6年前のデータを観察したのであるが、それ以降において、学習指導要領が抜本改訂されるなど、事態は大きく動いている。高校の理科にあっては、指導内容と日常生活の関連を重視すべく、「科学と人間生活」というような科目も新設された。より近況でみれば、わが国の位置は、上図の左上のほうにややシフトしているかもしれない。実情がどうであるかは今年の夏に実施されたPISA2012の結果によって教えられることになるだろう。

最後に、一点述べておきたい。先にも書いたが、PISA調査のローデータは誰でも利用可能であるにもかかわらず、それは十分に分析し尽くされていない。調査票をみてみられよ。対象生徒の家庭環境をはじめ、学校観、教師観、勉学スタイル、ICTスキル、および逸脱文化などに関わる、興味深い設問が盛りだくさんである。データセットのダウンロードに少々手間取るが、それさえクリアすれば、数十万という膨大なサンプルを使って、任意の設問間のクロスをとったり、自分が関心を持つ事項を測る尺度を構成し、その要因を解析したりできるわけである。ここにてやったことは、ほんの序の口に過ぎない。本格的に分析するならば、引き出すことのできる知見は無尽蔵である。

「調査公害」ということがいわれて久しいが、金と迷惑がかかり、かつ代表性を担保し難い自前の調査をしようなどと安易に考える前に、この種の既存統計をしゃぶり尽くしたい。

今回使ったのはOECDの国際統計であるが、わが国の場合、国内統計も非常に充実している。実をいうと日本は統計大国とでも呼べるような国であり、膨大な量に及ぶ調査が定期的に実施され、かつ結果が万人に利用可能な形で供されている。政府統計の総合窓口(e-Stat)を覗いてみられよ。『国勢調査』をはじめとした、無数の官庁統計の基礎集計表に出くわすはずである。公表されている統計表では目的を果たせないなら、目的に適う集計をしてくれるよう申請することもできるし(オーダーメイド集計)、ここにて私が用いたようなローデータの利用を申し込むことだってできる。

わが国では、「統計は国民の共有財産」というコンセプトが成立しているのである。このような条件を万人が上手く利用するならば、未だ知られていない社会的現実が次々に明らかになると思われる。根拠に基づいた政策(evidence based policy)の地盤もしっかりしたものになるだろう。そのための条件は熟している。問題は、それが活かされていないことである。

プロフィール

舞田敏彦

1976年生まれ。東京学芸大学大学院博士課程修了。博士(教育学)。武蔵野大学、杏林大学兼任講師。専攻は教育社会学、社会病理学、社会統計学。著書に『47都道府県の子どもたち』(武蔵野大学出版会)、『教職基本キーワード1200』(実務教育出版)など。

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