2020.05.07

「9月入学」について考える――誰のために? 何のために?

中里透 マクロ経済学・財政運営

教育

休校で失われた学生生活を取り戻したい。そのような高校生の思いから始まった「9月入学」の議論が、大きな広がりを見せている。4月29日には全国知事会でもこの問題がとりあげられ、各知事からさまざまな意見が表明された。

新型コロナの感染拡大の影響で小中学校や高校の授業と行事にはさまざまな支障が生じているから、その対策として「9月入学」「9月始業」を検討することには十分な意義がある。もっとも、「9月入学がグローバルスタンダード」といった情緒的な反応をもとにこの問題を語ることには慎重でなくてはならない。教育行政の責任者の思いつきと思い込みから始まった大学入試改革が、文部科学省の制度設計上の不備もあって見事に企画倒れになってしまったことを想起すれば、このことは容易に理解されよう(共通テストへの英語民間試験の導入と国語・数学の記述式の出題が見送りになったのは半年前の出来事だ)。

そこで、本稿では「9月入学」の問題をめぐるこれまでの経過を踏まえ、現実的な視点からこの問題について論点整理を試みることとしたい。なお、用語の使用における混濁を避けるため、本稿では初等中等教育(小学校、中学校、高等学校、特別支援学校など)における学年歴の変更を「9月入学」、高等教育(大学・大学院)における学年歴の変更を「秋入学」と表記する形で以下の記述を進めていくこととする。一般に「9月入学」は9月を入学時期とする文字通りの「9月入学」と、9月を始業の月(各学年の授業期間の開始月)とする「9月始業」の両方の意味で用いられているが、「9月入学・始業」とすると煩雑でかえっていずれの意味で用いられているかがわかりにくくなるため、以下では「9月入学」と表記することを基本とし、「9月始業」を意味する場合にはその都度適宜補足をする形で記述を行うこととしたい。

1.問題の所在

「9月入学」をめぐる議論のここまでの経過をながめていて不思議なのは、小中学校や高校の授業と行事の円滑な実施に支障が生じている(そのために十分な授業時間を確保するための対策が急務となっている)という現実の切実な問題が、いつの間にか「9月入学にすると日本への留学生が増える(あるいは、日本の学生が海外の大学に留学しやすくなる)」、「高等教育の国際化・多様化が進む」といった形で大学の「秋入学」の問題にすりかわっていることだ。これはちょうど東京オリンピック・パラリンピックの暑さ対策の話が、いつの間にかサマータイムの話になり、サマータイム実施のメリット・デメリットをめぐって新聞やテレビで議論がなされていた2年前の夏を想起させる。

「オリンピックのマラソンを東京で実施するためにサマータイムの導入を」という議論が「あり」ということなら、「高等教育の国際化・多様化のために小中学校や高校の9月入学の実現を」という議論も「あり」なのかもしれないが、オリンピックのマラソンについて札幌での開催という現実的な対応がなされた経過を踏まえれば、高等教育の国際化・多様化という目的のためには大学の「秋入学」の実施という政策を割り当てるのが常識的な対応ということになるだろう。高校の卒業の時期が3月でも8月でも「秋入学」、すなわち大学の入学や始業の時期を9月にすれば、「高等教育の国際化・多様化」のために大学の学年歴を変更するという措置は容易に実施できるからだ。つまり、小中高の「9月入学」と大学の「秋入学」の話は分けて議論すればよいということになる(さらにいえば「秋入学」は多くの大学の学部・学科において既に実施されている)。

高校の卒業(3月)と大学の入学(9月)の間に空白の期間が生じてしまうことが、「秋入学」の実施が見送られる原因となったことから、一部の識者の間ではこれを機に高校の卒業の時期を後ずれさせることで空白期間をなくし、「秋入学」への移行の障害をなくそうという意向もみられる。だが、これは新型コロナの感染拡大を奇貨として自らの意向にそった政策(「秋入学」への移行)を実現させようという発想であり、場合によっては火事場泥棒という批判をまねくおそれもある。

大きな災害に見舞われた局面では「この際だから」という理由をもってさまざまな提案がなされるが、それは「危機にかこつけて」自らの意向を通すという発想と紙一重であり、むしろこのような時だからこそ冷静で落ち着いた議論が求められる。東日本大震災の時に「次の世代に負担を先送りすることなく、今を生きる世代全体で連帯し、負担の分かち合う」という趣旨で復興増税により確保された財源が、「創造的復興」や「活力ある日本の再生」という名の下で、山口県のゆるキャラのPR経費や東京スカイツリーの開業前イベントの経費に充てられてしまったことを踏まえれば、不思議な高揚感に浸らず冷静に物事を進めていくことの重要性が容易に理解されるだろう。

「サマータイム」のエピソードからはもうひとつ重要な示唆が得られる。サマータイムの実施が見送られたのは、その導入がコンピューターのシステム改修をはじめ経済活動と国民生活のさまざまな側面に影響をもたらし、それに伴って生じるコストがサマータイム実施のメリットを上回ると判断されたためであるが、このことは「9月入学」の検討に当たっても重要な留意点となる。サマータイムの導入と同様に、「9月入学」の実施も単に5か月分スケジュールをずらせばよいという話ではなく、学校教育に関する制度だけを手直しすれば実施できるというものでもない(詳細は後述)。社会的に広範な広がりを持つシステムを、実際の運営を続けながら所定の期間のうちに新たなシステムにスムーズに切り替えなくてはならないという点では、この作業はかつての国鉄改革に匹敵する大事業となる。

これらのことを踏まえると、まず何よりも小中学校や高校の事情を第一に考えて「9月入学」に移行することの要否や得失を考え(大学の「秋入学」の都合でこの問題を語らない)、そのうえで「9月入学」に移行することが望ましいとなれば、それを具体的に実施するための課題を整理し、このような検討の状況を踏まえたうえで大学の「秋入学」の問題を考えるというのが、この問題を考えるうえでの筋道ということになる。

以下ではこの線に沿う形で、さまざまな論点について順をおってみていくこととしよう。

2.「9月入学」について確認しておきたいこと

「教育の機会均等」は確保できるか?

新型コロナの感染拡大をうけて、現時点では全国の大多数の小中学校と高校で臨時休校の措置がとられているが、新型コロナの影響は地域によって大きく異なっており、学校の再開についても各地域の状況によりばらつきが生じるものと予想される。たとえば、島根県では5月7日から全県的に学校が再開されるのに対し、緊急事態宣言の延長をうけて少なくとも23府県・政令市で5月末まで休校の延長が決まっている。こうしたもとでオンラインによる授業実施への移行などの取り組みが進められているが、それぞれの児童・生徒の住んでいる場所や家庭環境によって学習環境に大きな差が生じることが懸念される。

教育行政の関係者から「9月入学」や「9月始業」を推す声があがっているのは、このような状況のもとで懸念される教育機会の不平等や地域間の格差を生じさせないよう、仕切り直しをして9月から「2020年度」を再スタートさせたいという意向があるためだ。たしかに、新型コロナの感染が収束し、全国各地で通常通りの授業の実施が可能となった段階で一斉に授業をスタートさせれば、外形上は平等な条件のもとでの授業の実施が可能となる。

だが、ここで留意が必要なのは、このような形で9月から一斉に授業をスタートさせたとしても、それぞれの児童・生徒の8月までの学習の状況によって実質的には学力の格差が拡大してしまう可能性があるということだ。すなわち、長い春・夏休みの間に自発的に学習をした児童・生徒の中には9月の始業式の前にその学年の学習内容をすべて習得してしまっているケースが生じる一方、家庭学習の習慣が身についていない児童・生徒の中には前の学年の学習の内容さえ忘れてしまっているケースが生じるおそれがある。こうしたもとでは、9月に児童・生徒が教室に集まって、そこから授業を再開する場合のクラスの運営は、学校の部分的な再開やオンラインによる授業の活用などによって8月までの期間中に授業を実施した場合よりも困難さが増してしまうことになるだろう。

9月から一斉に授業をスタートさせれば子どもの学習機会の平等化や格差の縮小が実現できるという発想は、学校の運動会の「最後は手をつないでみんなでゴール」という徒競走の逸話(都市伝説?)を想起させる。新型コロナの影響の少ない地域の学校が早期に授業を再開するのは抜け駆けだということで、そのような対応を抑止すれば、見かけ上は「格差のない」「平等な」公教育を確保することができるだろう。だが、それはあくまで学校教育というサービスを提供している供給者側の論理だ。学校教育というサービスの需要者側、すなわち児童や生徒の立場に立てば、十分な学習機会を確保するためにも、再開が可能になった地域からできるだけ早期に学校を再開することが求められることになる。

「9月入学」は今年から実施できるか?

「9月入学」については政治決断によってこの9月から実施すべきとの主張もみられる。だが、学年歴そのものを5か月後ずれさせ、9月を新学年の始まりとする形での「9月入学」については、今年9月からの実施は大きな困難が伴うというのが現実的な判断ということになる。というのは、このような形での実施には学校教育法の改正など所要の法改正が必要となるからだ。

学校教育法では「保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う」(同法第17条第1項)とされており、これに基づいて前年の4月2日から当該年の4月1日の間に満6歳となった子どもが小学校に入学することとなっている。

こうしたもとで、もし仮に学校教育法の改正を経ずに「9月入学」に移行すると、「最初の学年の初め」(新学年)が9月1日となることから、新たに今年の4月2日から9月1日までに満6歳となった子どもを新たに新1年生として小学校に迎え入れることが必要となり、幼稚園の年長組に通っている園児を年度の途中で「早期卒園」させて小学校に移す措置をとらなくてはならないことになる(同法第17条第1項の規定は義務教育に関する親の義務を定めているものなので、もし仮にこれを無視する形で行政が対応すると、それは憲法違反を助長していることになる)。小学校への入学に際しては学校保健安全法第11条の規定によって就学時健康診断の実施が必要となるから、新1年生となる子どもと保護者に新型コロナへの感染が生じることがないように配慮しつつ、速やかに健康診断を実施することも必要になる。

このような対応をとることには混乱と批判が生じることが懸念されるから、それを回避するためには学校教育法の改正によって小学校への入学時期について新たな定めをすることが必要となる。だが、「9月入学」への移行は日本の学校教育における大きな制度変更であり、移行に際しての調整は大きな作業になることが予想される。学校教育の制度は単に教育の範囲にとどまらずさまざまな社会制度や慣習に組み込まれており、「9月入学」は単に学年歴を5か月後ずれさせれば済むという単純なものではないからだ。たとえば手近な例についていうと、児童手当については「十五歳に達する日以後の最初の三月三十一日までの間にある児童」を対象に支給することとされているが(同法第4条第1項第一号)、中学在学時までを対象に支給するという児童手当の趣旨を踏まえると、児童手当法についても所要の法改正が必要になる。

もちろん、このように大きな制度改正については社会的な影響を考慮して、広範な合意形成を図りながら、きちんと手続きを踏んで改正を行うことが必要になる。そうなると中教審への諮問を行い審議を経たうえで答申を得、それを踏まえて学校教育法の改正案と関連法案の作成を行い、関係省庁との法令協議を経たうえで法案を閣議決定し、衆参両院での審議と議決を経たうえで公布・施行という段取りを踏むことになる。法施行後に「9月入学」への移行の準備をする必要があることも踏まえると、今年の9月からの実施を目指す場合には、これから2か月程度でこれら一連の作業を行うことが必要となる。

だが、中教審での審議や国会での法案審議に相当の時間の確保が必要となることを踏まえると、これらの手続きを2か月程度で終了させることができると想定することは現実的でなく、今年から正式に「9月入学」を実施することは事実上困難であるものと判断される。

児童・生徒全員を「留年」とする措置は適切か?

これらのことを踏まえると、現在の在校生(2020年4月に入学あるいは進級した児童・生徒)については、現在の学年の学年末を2021年3月31日から同年8月31日へと5か月間繰り延べて1学年を17か月とすることが、「9月入学」の実際の内容ということになる(なお、この場合も学年末が3月31日であることを前提に整備されている多数の関係法令をしかるべき時期に改正することが必要になる)。 

このような措置をとるということは、簡単にいうと小中学校や高校などに在籍している児童・生徒の全員を5か月間「留年」(原級留置)させるのと同じ扱いになる。授業期間が後ずれするとなれば入試もその分だけ後にずれることになるから、在校生だけでなく高校の過年度卒業生(浪人生)もその影響を受ける。もちろん、その分だけ充実した学習と学校生活を送ることができると前向きにとらえることもできるが、早く卒業して進学をしたり、就職をしたいと考える児童・生徒もいるだろう。

したがって、この点については影響を受ける児童・生徒の標準的な意向が「9月入学」の是非に向けた向けた検討に適切に反映されるよう、大規模なサンプルによる意向調査などを行ったうえで、全国の在校生全員の「留年」の是非を判断することが必要となる。もちろん、新型コロナの収束する時期が大幅に後ずれする場合には、来春の入試が予定通り実施できるかという問題が生じることになるが、そのような状況のもとでは9月に授業を再開できないか、再開された授業が途中で休止に追い込まれるという筋合いになるから、2021年の入学や進級の時期を9月よりさらに後ずれさせることも必要になる(「高等教育の国際化・多様化が進む」といった理由で入学や進級の時期を「9月」と決め打ちするのは、当然のことながら本末転倒となる。なお、「9月入学にすると高等教育の国際化・多様化が進む」という想定そのものが極めて不確かなものであることについて後述する)。

入試の実施と東京オリンピックの開催は両立可能か?

授業の再開を9月とする場合には、もうひとつ考慮しなくてはならないことがある。それは来年の夏に開催が予定されている東京オリンピックの実施時期と入試の実施時期との兼ね合いだ。都立高校の一般入試(第一次募集・分割前期募集)は2月下旬の金曜日に、国公立大学の2次試験(前期日程)は2月25日あるいはその前後の日に実施されるのが通例であるが(来春の入試については都立高校が2021年2月21日、国公立大学の2次試験は2月25日となっている)、これを5か月後ずれさせると都立高校の入試は7月23日に、国公立大学の2次試験は7月25日に実施ということになる。一方、東京オリンピックの開会式は2021年7月23日(閉会式は8月8日)となっている。

東京オリンピックの開催期間中とその前後の期間は訪日客の大幅な増加などによる混雑が予想されるため、在宅勤務や時差出勤などの実施が呼びかけられているが、このような期間に都内、とりわけ23区内の高校や大学で滞りなく入試が実施できるのか(列車の遅延などで支障が生じることはないか)懸念される。このような混雑を避けるためには入試の実施時期を1か月程度前倒しすることも考えられるが、「9月入学」「9月始業」の趣旨、すなわち十分な授業時間の確保のために学年末を後ずれさせる措置をとることとの兼ね合いからすると、このような形で入試の前倒しを行うことは「9月入学」の趣旨に背馳する動きということになる。

この点からすると、「9月」を始業時期として決め打ちすることは適切でなく、前後数か月の範囲で一定の幅をもって対応がなされるべきということになるだろう。なお、東京オリンピック・パラリンピックの中止あるいは再延期が不可避との見通しのもとであれば、文部科学省は「9月」の入学を前提に一連の作業を進めてよいことになるが、この場合にはオリンピックの中止・再延期に向けた調整を速やかに開始することが必要となる。

複数の学年で授業時間を確保できないか?

これらの点を踏まえると、「9月入学」の実施にはさまざまな課題があるということになる。この点からすると、いきなり1学年を17か月にするという対応をとる前に、1学期(通常は4月から7月)の休校によって生じた授業時間数の減少分を来年以降の学年の授業時間数の増加で埋め合わせることで、全体として所定の授業時間数を確保する(それによって今年度については従来通り2021年3月末を学年末とすることを可能とする)ことを検討するほうがよいかもしれない。一見するとこれは困難なことのように思われるかもしれないが、小中高の最終学年(小6・中3・高3)の在籍者以外についてはそれほど難しいことではない。

地域によって多少のずれはあるが、4月から7月までの授業期間はおおむね14週である(春休みの後半とゴールデンウイークの期間を除いて計算している)。このうち中間試験・期末試験などの行事が実施される期間を除くと実質的には12週程度が新型コロナの影響で失われる授業期間ということになるだろう(これから7月にかけての間に通常の授業が再開される場合にはその分だけ不足する授業時間は減ることになるが、ここでは「9月入学」の議論に合わせて8月まで休校が続くものと仮定する)。

こうしたもとで、たとえば今年小学校に入学した児童(小学1年生)についてみると、5年半の間に12週分の授業時間を取り戻せばよいことになるから、均してみると各学年において2週間程度の授業時間数の確保をしさえすればよく、これは長期休暇(春・夏・冬休み)の期間を短縮することで容易に対応が可能である。学年が高くなるにつれて制約は大きくなるが、最終学年の1学年前の児童・生徒(小5・中2・高2)までについては土曜日を月2回程度授業日にすることと、長期休暇(春・夏・冬休み)の期間を短縮することで12週分の授業日数を確保することができる(もちろん、それに合わせてある学年の教育内容を上級の学年の学習内容に振り替えることができるように、学習指導要領の柔軟な運用が必要となる)。

これに対し、最終学年(小6・中3・高3)の児童・生徒については同様の方法によって12週分の授業時間を確保することは現実的にみた場合に困難である。この点について、今年の8月までの期間中に分散登校などの方法によって十分な授業日数が確保できるかが、「9月入学」「9月始業」の要否を判断するうえで重要なポイントということになるだろう。

3.「9月入学」は「グローバルスタンダード」なのか?

「9月入学」は学校の休校に伴う授業時間の確保という現実の切実な問題から生じた議論であり、検討にあたってはこのことに重点を置いて対応を考える必要があるが、もし本当に「9月入学がグローバルスタンダード」だということであれば、これを機に移行を考えるというのはよいアイデアであろう。社会の制度や慣行には慣性があり、現在のシステムが効率的であるという保証は必ずしもないから、4月に新学年をスタートさせるということが特異で非効率なものになってしまっているということであれば、それを見直すことには十分な意義がある(もっとも、パソコンのキーボードのQWERTY配列を別の配列に置き換えるのに習熟までのコストがかかるように、制度や慣習を変えることにはさまざまな調整が必要であり、場合によっては移行そのものに大きなコストがかかることを想定することも必要となる)。

そこで、以下では「9月入学がグローバルスタンダード」という見解ははたしてどこまで妥当性があるのかという点について検討してみることとしよう。

データをもとに考える

G7各国についてみると新学年の始まりは8月(米国・ドイツ)、9月(イギリス・ドイツ・フランス・イタリア・カナダ)となっており(ただし、同一国内でも地域によって異なる場合がある)、4月始まりの日本は特異な存在となっている。したがって、日本の高校を卒業してそのまま欧米の主要国へ留学する場合には「9月入学」が便利であることはたしかだ。

だが、日本の大学・大学院に在籍している外国人学生の出身国における初等中等教育段階での新学期の開始月をみると、アジア太平洋地域の各国については多いほうから順に1月が5か国、9月が4か国、4月が3か国、6月が2か国となっており、9月が標準というわけではないことがわかる(この他に3、5、7、8、10の各月が1か国ずつ。なお、日本の大学・大学院に在籍している外国人学生の出身国のデータについては、日本学生支援機構(旧日本育英会)の「外国人留学生在籍状況調査」(2019年度)を利用している)。

このうち、日本への留学生の最も多い中国とそれに次いで多いベトナムは新学年が9月始まりの国であり、この2か国からの留学生が日本の大学・大学院への留学生の3分の2近くを占めている(中国が40%、ベトナムが24%。2018年については中国が38%、ベトナムが24%)。中国は人口規模が大きいことに留意する必要があるが、中国に次いで人口の多いインドからの留学生は全体の0.6%にとどまっている。しかもインドは新学年が日本と同様に4月始まりの国だ。それでは新学期が9月始まりの国からの留学生が総じて多いかとなると、ドイツ・フランス・イタリア・カナダからの留学生はいずれも留学生総数の1%に満たない(最も多いフランスでも0.5%)。

これらのことからわかるのは、各国における学年歴は日本への留学生の多寡を決める決定的な要素ではなく、日本との地理的な近接性など他の要因が日本への留学のしやすさに大きな影響を与えているということだ(日本への留学生のうち出身国のシェアが1%を超えている13か国についてみると、アジア以外の地域の国は米国(留学生全体の1%)だけである。

これらのことからわかるのは、「9月入学がグローバルスタンダード」であり「9月入学にすれば日本への留学生が増える」というのは十分な根拠を持たない思い込みであるということだ。もちろん、欧米の主要国を中心に新年度が9月始まりの国が多いことはたしかだが、これを基準に「9月入学」を国際標準とすると、「グローバルスタンダードを目指せ」は「欧米列強に伍して」と同じようなモードになってしまうことになる。「高等教育の国際化・多様化」を謳いながら、アジア太平洋地域で1月始まりの国が多いことを考慮せずに9月を標準としたら、その時点で自己矛盾が生じてしまうことになる。つまり、「9月入学がグローバルスタンダード」はあくまでローカルルールだということになる。

グローバルスタンダードは和製英語?

このことは「グローバルスタンダード」がほぼ和製英語であるということとうまく平仄が合っている。国際的な標準規格という意味で“global standard”という表現が使われる用例はあるが、この意味では“international standard”のほうがより一般的に用いられる表現である。世界的な変化の方向という意味であれば“global trends”などの表現が用いられることが一般的だろう。つまるところ、「グローバルスタンダード」は「バスに乗り遅れるな」と同様の意味合いをもつ日本語表現であり、「ご近所でも評判です」というと商品が買ってもらいやすくなるという日本的な心性を利用した便利な売り文句であるととらえておくほうがよさそうだ。

ここまで、「9月入学」の問題について現実の制度と経緯に即した形で論点整理を行ってきた。この問題については「9月入学がグローバルスタンダード」といった情緒的で根拠のない反応からは距離を置き、9月を学年の始まりとすることの要否や得失を十分に見極めつつ、落ち着いた環境のもとで冷静な議論が積み重ねられていくことが望まれる。

プロフィール

中里透マクロ経済学・財政運営

1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。

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