2020.05.15

「9月入学」について改めて確認しておきたいこと

中里透 マクロ経済学・財政運営

教育

中学生の頃、期末テストの前になるとなぜか小説が読みたくなるということがあった。その理由は今も不明だが、目の前の困難に直面して現実逃避をしていたのかもしれない。いま盛り上がっている「9月入学」の話も、どことなくそれに似ているような気がする。

臨時休校が続いている小中学校や高校の授業時間をどのように確保するか、児童・生徒の失われた学生生活をどのように取り戻すかという現実の切実な課題が、「高等教育のグローバル化のために9月入学を」という話に転化していく様子をながめていると、これはさしずめ試験勉強を投げ出してポエムをつくっている中学生のようだ。中には長年の悲願達成ということで「ピンチをチャンスに」「災い転じて福となす」「この難局を乗り切るために9月入学を」とやっている有識者もいるようだが、これは対応を間違えると火事場泥棒と非難されることになるだろう。

もちろん、海外留学の促進や留学生の受け入れ拡大などを通じて高等教育のグローバル化を進めていくことは重要な課題であるが、これは大学の「秋入学」を促進していくことで対応が可能である。小中高の「9月入学」の問題と大学の「秋入学」の話は、ひとまず分けて議論するのが常識的な対応ということになるだろう(なお、「秋入学」は多くの大学の学部・学科においてすでに実施されている)。

初等中等教育(小中学校、高校、特別支援学校など)における「9月入学」の問題について議論する場合には、このようなノイズを排除し、授業時間の不足と学校行事の中断という現実の問題にどのような形で対応していくかということに、さまざまなリソースを振り向けていくことが必要になる。その際には、現在直面している課題を解決するうえで「9月入学」が有効な手段となり得るのか、他に代替的な手段がないのかを常に意識して検討を進めていくことが重要ということになるだろう。

結論を先に言えば、この問題は「2020年度」を2021年8月まで延長することで、休校によって失われた授業時間と学校生活を取り戻すことができるという「学びの保障」のメリットと、まだ生まれていない子どもも含めた未就学児の就学時期が「9月入学」への移行によって恒久的に後ずれするようになることのデメリットを比較衡量して決せられるべき問題ということになる。「9月入学」については国や自治体の会計年度との兼ね合いや制度移行時の小学校1年生の人数が1.4~1.5倍になるといったことが指摘されることもあるが、これらは技術的に対応できる話だ(詳細については後述)。

一部の自治体関係者からは「9月入学がグローバルスタンダード」との主張もみられるが、これは欧米の主要国と学年歴をそろえて日本の教育体系を9月始まりとすることと引き換えに、義務教育への就学時期が欧米の主要国よりも半年ないし1年程度遅くなることを是とする提案になっているということにも留意が必要となる(この点についての認識が十分にあるのかはともかく話の筋としてはそのようになる)。

今回の「9月入学」は学年歴を5か月間後ずれさせる形で導入されるものであり、この結果、小学校に入学する時点の年齢が7歳5か月となるケースが生じてしまうことになるが(詳細については後述)、これは留学生の増加などグローバル化を進展させていくために受忍すべき当然のコストであるということであれば、学齢期を迎える子どもたちの保護者にそのことを丁寧に説明することが求められる。

これらのことを踏まえ、以下では5月7日付の拙稿(「9月入学について考える」https://synodos.jp/education/23524)でとりあげることのできなかった論点を中心に、「9月入学」をめぐる議論について改めて論点整理を行い、今後の検討の方向性について考えてみることとしたい。

なお、「9月入学」は9月を入学時期とする文字通りの「9月入学」と、9月を始業の月(各学年の授業期間の開始月)とする「9月始業」の両方の意味で用いられているが、「9月入学・始業」とすると煩雑でかえっていずれの意味で用いられているかがわかりにくくなるため、以下では「9月入学」と表記することを基本とし、「9月始業」を意味する場合にはその都度適宜補足をする形で記述を行うこととする。

1.「9月入学」では実現できないこと

「9月入学」については、さまざまな問題が一挙に解決できる「魔法の杖」のようにとらえる向きもあるが、「9月入学」によって「できること」と「できないこと」をあらかじめ分けておくことが、議論を効率的に進めていくうえで有益であろう。ここではまず「実現できないこと」について確認する。

休校措置に伴う学力差の拡大は解消できるか?

「9月入学」「9月始業」については、全国一律に9月に一斉に学校を再開させることで、休校に伴う学校間、地域間の教育格差の発生が回避できるということがメリットとして強調されることがある。だが、現実には一部の地域ですでに学校が再開されており、分散登校による実施を含めると学校再開の動きはさらに進展している。緊急事態宣言の解除が進展していけば学校再開の動きはさらに加速していくことになるだろう。そうなると、9月まで臨時休校を続けたうえで、学校を全国一律で再開させるという「9月入学」の前提自体が満たされなくなる(なお、文部科学省の調査によれば、全国の公立学校の96%において今月内に臨時休校がとりやめになると報じられている)。

留意が必要なのは、多くの学校で臨時休校が続いている中にあっても、児童・生徒の個人間の学力の格差は拡大しているおそれがあるということだ。というのは休校で自宅にいる間も子どもたちの学びは続いており、地域の事情や家庭環境、個人の意思などの差によって学習が進展している児童・生徒とそうでない児童・生徒の間に学習時間などの差が生じてしまうためである。このような差は休校期間中を長い春・夏休みのような扱いにして学校による関与を減らせば減らすほど拡大する可能性がある。

すなわち、外形上も実質的にも「9月入学」「9月始業」の措置をとることで格差の拡大が解消できると期待することはできないということになる。

「9月入学」は海外留学にメリットをもたらすか?

「9月入学」については海外との行き来(日本から海外への留学と海外からの留学生の受け入れ)がしやすくなるというメリットが強調されることもある。この点については小中高の「9月入学」の話と大学の「秋入学」の話を混濁した形で論じられることが少なくないが、たとえば日本の高校生が卒業後に海外の大学に入学するというケースを考えてみた場合にも、「9月入学」への移行はほとんどメリットをもたらさない。というのは入学時期の移行が全体のスケジュールを7か月間前にずらすのではなく、5か月間後ずれさせる形で実施されるためだ。

高校の学年歴が、ある年の4月から翌年の3月までとなっている場合、9月始業の海外の大学に進学する高校生は3月に日本の高校を卒業した後、渡航に向けた準備と現地での生活への順応に5か月の時間を利用して9月(あるいは8月下旬)から海外の大学の新学期を迎えることになる。「9月入学」が実施され、学年歴が9月から翌年8月までとなると、8月(あるいは夏休み前の6月頃)に日本の高校を卒業して9月に海外の大学の新学期を迎えることになるが、この場合、「9月入学」への移行のメリットは高校卒業から大学入学までの間の期間が間延びしなくて済むようになるということに過ぎない(逆に渡航準備はあわただしくなるかもしれない)。

もちろん、駅で電車を乗り換える際に待ち時間が少なくて済むと気分がよいように、卒業と入学の時期が近接しているほうが便利ということはあるかもしれないが、「9月入学」に移行することで1学年上のクラスに入ることができるようになるわけではないから、「9月入学にすれば留学がしやすくなる」という主張についてはその効果について過大な見積もりが生じている(あるいは、家を出る時間を後にずらすと、1本前の電車に乗ることができるようになるというのと同じような錯誤が生じている)ということになるだろう。

なぜ「9月」なのか?

「9月入学」は臨時休校の間に失われた授業時間や学校生活をどのように確保するかという問題であるにもかかわらず、「9月」という特定の月のことが独り歩きしてしまっているのは不思議なことだ。「9月入学」に全面的に移行した場合には現在よりも5か月遅れの教育システムが固定化されてしまうことになるから、「9月」への移行が適切であるのかについても十分な検討が必要となる。

「冬は大雪やインフルエンザの問題があるので、入試は夏に実施するほうがよい」という意見もあるようだが、この点については「夏は台風や熱中症の心配があるので、入試は冬に実施するほうがよい」ということもできてしまうから、この理由付けは十分な説得力を持ちえない(たとえば、公立高校における冷房設備の設置率は2019年9月の時点で83.5%であり、人口比で見た場合の熱中症搬送者数が上位にくる佐賀県と鹿児島県で設置率が8割台(佐賀県が83.6%、鹿児島県が85.3%)にとどまっていることにも留意が必要となる)。

この秋冬に新型コロナの第2波、第3波が来る可能性があるということをもって「9月入学」を推奨する自治体関係者もいるが、もし再び感染の拡大が生じるおそれがあるということであれば学校も再び休校となる可能性がある。このような見通しのもとでは今年度の学年をさらに後ずれさせる必要が生じることになるから、「9月」を前提とするのではなくより柔軟な形で終業・始業の時期を設定することが必要ということになるだろう。

2.「9月入学」の実施において制約や障害とはならないこと

「9月入学」の実施については国や自治体の会計年度と学年歴の間のずれや、移行時に通常の1.4倍(あるいは1.5倍)の人数の学年が生じてしまうことが、実施の際の制約や障害になるという指摘もみられる。だが、これらの点については工夫をすることで十分に対応が可能である。

会計年度は「9月入学」実施の制約になるか?

「9月入学」に関しては国や自治体の会計年度(4月~翌年3月)と学年歴の兼ね合いについての指摘が一部にみられる。たしかに受け取った補助金や交付金の使用状況などに関する報告書類の作成などの事務については、学年歴と会計年度が同じであるほうが便利であろう。

だが、国や自治体の会計年度と学年歴のずれの問題が制約になって「9月入学」が実現できないということはない。たとえば義務教育費国庫負担金については(以下、説明の便宜上2021年9月に始まる学年を想定)、1学期と2学期(2021年9月~22年3月)の分を2021年度(令和3年度)予算で、3学期(2022年4月~8月)の分を22年度(令和4年度)予算で措置すれば対応が可能になる。もし年度間の資金の融通が必要であれば、自治体の側で特別会計の設置や基金の造成などの措置をとれば対応が可能であろう。もちろん、補助金適正化法(補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律)をはじめとする関係法令との整合性はきちんと確保する必要があるが、この点については所要の法改正などを併せて行えばよいことになる。

「9月入学」で小学1年生が1.4倍に?

「9月入学」については移行時の小学1年生の人数が1.4~1.5倍になることを懸念する声もある。学校教育法には「子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初め」を小学校への入学時期とする規定があり(同法第17条第1項)、こうしたもとで「学年の初め」を9月1日とする措置がとられると、移行後の初年については前年の4月2日から当該年の4月1日までに満6歳となる子どもに加え(これが現行の1学年)、4月2日から9月1日までに満6歳となる子供も新1年生ということになる。このようにして1学年が通常の1.4~1.5倍となると、教室の不足や受験競争の激化など移行時の特定の学年だけに大きな不利益が生じることが懸念される。

だが、もし仮に「9月入学」が実施されることになったとしても現実にはこのような対応がなされることはなく、心配は杞憂に終わることになるだろう。特定の1学年のためだけに校舎を増設したり、仮校舎を設けたりすることには大きなコストがかかるから(教室だけでなく教員の一時的な増員も必要となる)、後述するようにこの問題を回避するための制度的な工夫がなされることになると予想されるからだ。

上記のような形で「9月入学」を実施する場合には、誕生日が4月2日から9月1日までの子どもについては幼稚園や保育園を「早期卒園」して小学校に入学する手続きをとることが必要になるが、そうなると、秋の遠足やお正月のもちつき大会などの行事を楽しみにしていた園児の毎日の生活が損なわれてしまうことになる。「9月入学」の議論が普段の学校生活を取り戻したいという高校生の提案から始まったことを踏まえれば、このような形で「早期卒園」の措置をとることは、政策としての整合性がまったくとれない対応ということになってしまうだろう。

この問題において見過ごされがちな、だが最も重要な点は、幼稚園や小学校の低学年の段階では児童の学習能力や運動能力に生まれ月による違いが大きな影響を与える可能性があるということだ(相対的年齢効果)。この点からすると、実質的に18か月に及ぶ実年齢(月齢)の児童を集めて、同じ教室で同じ学習をすることの適否についても十分な考慮が必要となる。

「9月入学」への移行時に人数が1.4倍になる学年が生じるという問題を回避するには、4月1日までに満6歳となった子どもを小学校に入学させるという「学齢」についての現行の枠組みは維持したうえで、学年の開始日を9月1日とする措置をとることができるよう、学校教育法第17条第1項の規定を改正すればよいということになる。今年度の学年を来年8月までの17か月とする場合には「小学校の修業年限は、六年とする」と定めた学校教育法32条などについても所要の法改正を行う必要が生じるから、その際に併せて法改正を行えば所期の目的を達成することができる。

周回遅れの「グローバルスタンダード」

今年度の授業期間を延長して17か月とすることは、学校の休校の影響で失われた授業時間や学生生活を取り戻すためにはよい方法だ。だが、これは学校教育全体のスケジュールを5か月分後ずれさせる措置であるため、上記のように小学校への入学時期がこれまでよりも遅れるケースが生じることになる。たとえば、来年(2021年)の4月2日に6歳となる子どもについては、小学校への入学が再来年(2022年)の9月となるから、小学校に入学した時にはすでに7歳5か月になっているということになる。

このように、「9月入学」の実施により日本の子どもたちの義務教育への就学時期が欧米の主要国よりも半年ないし1年程度後ずれすることになる。しかもこれは移行時だけの一時的な現象ではなく恒常的に続く。つまり、「9月入学がグローバルスタンダード」ということをもって学年の開始時期を9月にずらすべきとする提案は、欧米の主要国と新学年の授業の開始時期をそろえることで留学を希望する人たちの利便性の向上を図るために、日本の子どもたちが欧米の主要国よりも半年ないし1年程度遅れで義務教育の就学時期を迎えるように制度変更を行うことが望ましいという主張を伴っているということになる。

「グローバルスタンダード」という理由をもとに「9月入学」の導入を提唱している大学関係者や自治体関係者は、この点を踏まえて制度変更のメリットについて丁寧に説明していくことが必要ということになるだろう。

3.「9月入学」で実現できること

失われた授業時間と学生生活を取り戻すことができる

2020年度の1学年を5か月分延長することで得られる最大のメリットは、失われた授業時間と学生生活を取り戻すことができるということだ。十分な授業時間が確保できれば、普段から勉強が遅れがちな児童・生徒にも十分な指導の時間を確保することができるから、最も困っている人に最も手厚い支援をするという点からは、この措置はとてもよいことだ。時期は例年とずれてしまうかもしれないが、5カ月の時間的余裕が確保されれば体育祭、文化祭、遠足などの学校行事も順次実施に移していくことができるようになるだろう。

もっとも、このような形で授業時間が確保されたとしても、全体を見渡してみたときに「9月入学」「9月始業」がそれぞれの児童・生徒の学びの格差を大幅に縮小させるものとなるかについては疑問が残る。休校中のオンライン授業などの取り組みには学校によって差があり、学校の再開の時期についても地域によって差異が生じるためだ。

オンラインによる授業などの対応の違いに起因する格差を生じさせるべきではないということであれば、全国各地域で一斉に授業が再開できる環境が整うまで学校の再開は認めず、それまでの期間は春・夏休みとして学校による児童・生徒の学習への関与を極力控えるようにすることが必要となる。このようにすれば外形的には「平等で」「格差のない」学校運営が確保できるということになるだろう。

だが、児童・生徒の学習への学校の関与を減らせば減らすほど、家庭環境や個人の意思の差によって児童・生徒の間の学力の格差は拡大してしまうおそれもある。オンラインでの授業に対するアクセスが容易であり、自らすすんで勉強する子どもと、そうでない子どもの間に大きな差ができてしまうからだ。

これらのことを踏まえると、「9月入学」「9月始業」はあくまで当初の授業時間数の確保を実現するスキームととらえ、過大な期待を持たないように留意しつつ、その活用を進めていくべきか否かを慎重に検討していくことが必要ということになる。

来年の夏まで入試を繰り延べることができる

9月に授業が全面的に再開できるという前提に立てば、入試については例年通りの日程で実施することが可能という筋合いになるが、その場合にも通常なら入試前までに終えることのできる学習内容を今年も同様に終えることができるかという問題が残り続ける。

もし仮に「9月入学」「9月始業」によって来年8月まで2020年度の学年が継続されることとなれば、来年の8月夏までに入試を実施すればよいということになるから、受験生は入試の前に通常通りの学習範囲をこなして入試に臨むことができるようになる。学校側も作問などの作業をタイトなスケジュールで行うことから解放される。

ただし、来年の7月・8月には東京オリンピック・パラリンピックの開催が予定されているから、東京地区については入試の全日程を遅くとも7月半ばまでには終了させる必要があり(都立高校だけでなく都内、とりわけ23区内に所在する大学についてはこのような対応が必要になる。このような対応をとらない場合、東京以外の地域からの受験生が都内に宿泊先を確保することが困難となったり、入試当日に混雑で電車の大幅な遅延などが生じたりすることで、特定の受験生に不利益が生じる可能性がある)、この影響で大学入学共通テストについても5月上旬までに実施することが必要となる。

このように入試の日程を考慮すると、学年歴の後ずれが実質的には4か月程度にとどまり、十分な授業時間を確保するという「9月入学」「9月始業」の趣旨に背馳する状況が生じてしまうおそれがある。

したがって、「9月入学」「9月始業」の検討に当たっては、東京オリンピック・パラリンピックの再延期あるいは中止を前提とするか、あるいは「9月」という特定の月にはこだわらず、入試を東京オリンピック・パラリンピック閉会後の9月実施とし、高校や大学などの始業を10月以降とすることが必要となるかもしれない。

「9月入学」への移行に伴う経済的負担の考慮

「9月入学」への賛否を問う世論調査やアンケート調査では、移行に伴う経済的負担のことが考慮されていない場合がほとんどであるが、中学校の卒業時期の後ずれに伴い児童手当の給付期間を延長することによる追加給付の公費負担や、保育園、幼稚園、高校などの在籍期間の延長により生じることとなる無償化の追加費用などを国庫負担で賄うための負担、来春に卒業して就職する予定だった中3・高3の生徒の逸失利益(本来であれば稼得できたはずの所得など)に対する公費による補償、予定より長い期間予備校などに通う必要性が生じることとなる過年度卒業生(浪人生)への公費による給付措置など、「9月入学」への移行にはさまざまな経済的負担が生じることになる。最終的にはこのことも含めて実施の可否を判断していくことが必要となる。

4.エリートがグローバルスタンダードを語るとき、僕たちは明日の授業のことで悩んでいる

「9月入学」をめぐる議論からは、2つの意味で社会の分断が進展しつつあることが垣間見えてくる。ひとつは住んでいる地域や家庭環境によって教育へのアクセス(学校だけでなく予備校や塾も含めたオンライン授業の受講のしやすさなど)の条件が大きく異なり、それによって平時でも児童・生徒の間で教育格差の拡大が生じつつある可能性があるということだ。

もうひとつは、「9月入学」の問題についての受けとめ方がそれぞれの人の社会的な地位や経済状況の違いによって大きく異なったものとなっている可能性があることだ。多くの大学生が留学費用を負担できることを当然のことと考えて「(大学の)グローバル化を促進するために(小中学校や高校の)9月入学の導入を」と謳う有識者がいる一方で、親の収入やアルバイト収入が減り、授業料や家賃が払えなくなって学業の継続が困難となる学生が増加しているという現状は、それを物語る象徴的な出来事と言えるだろう。

「9月入学」をめぐる議論がこの先どのように進展していくのか、先行きはなかなか見通しにくいが、現実に生じているさまざまな状況を適切に把握し具体的なデータを踏まえたうえで、地に足のついた議論がなされていくことが望まれる。

プロフィール

中里透マクロ経済学・財政運営

1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。

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