2022.07.26

思いつきや俗説でなく、データに基づいた教育格差の議論を――『教育格差の診断書 データからわかる実態と処方箋』

川口俊明 教育学・教育社会学

教育

教育格差の診断書 データからわかる実態と処方箋

川口俊明 編

教育格差は社会の大きな関心事だが、実態やデータを踏まえていない議論や是正案も多い。教育格差の典型例である学力格差の実態についても、全国学力テストをはじめ様々な調査が行われているものの、そもそも「どのような学力を測るのか」という基本的な部分でさえ曖昧である。

こうした問題に早くから着目していた福岡教育大学の川口俊明氏らは、児童生徒の学力調査を蓄積し、個人の変化を捉えることのできるパネルデータを作成・分析することで、教育格差の変化や要因・背景に関する様々な知見を明らかにしている。

そこで編著『教育格差の診断書』の刊行を機に、学力調査のずさんな設計やデータの死蔵といった日本の教育におけるデータ軽視の現状、変化を追跡するパネルデータの意義について川口氏にお話し頂いた。 (本稿は2022年4月20日に行われたシノドス・トークラウンジから抜粋、構成したものである)

学力を調べるためではなく上げるための「調査」?

――本書『教育格差の診断書』では、日本の教育政策に実態への「診断」が欠けていることが繰り返し指摘されています。教育とデータをめぐる現状はどうなっているのでしょうか。

学力調査を例に取ると、日本では毎年全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)が行われていますし、多くの自治体が独自の学力調査を行っています。ところが、これらは必ずしも学力の実態を明らかにすることを目的にしていないのです。2007年に始まった全国学力テストにしても、そのきっかけは国際学力調査PISAにおける日本の順位が低下したことであり、自国の学力実態を把握しようというところからスタートしたわけではないのです。

各自治体の学力調査もこれに近い状況です。多くの調査は、平均正答率や特に根拠もない「通過率」という数値が示されるだけで、細かな分析が行われることはありません。もちろん中には実態を把握し、得られたデータに基づいて対応を考えようとする自治体もありますが、その数は決して多いとは言えません。

その場限りの学力調査

もう一つ問題なのが、学力調査のデータを活かすという発想が薄いことです。せっかく学力調査を行っても、そのデータは死蔵され、下手をすると翌年には使い道がなくなっていることも珍しくありません。

どういうことでしょうか。たとえば全国学力テストのデータは、個人情報の保護のため、個人を識別できる情報(氏名など)は記載されていせん。ですから、たとえば自治体が独自に行っている小学5年生を対象にした学力調査と、小学6年生を対象にした全国学力テストの情報を繋げ、小学5年生時点と6年生時点で学力がどう変化したか知りたいと思ってもできないのです。自治体や学校がどのデータが誰のものなのかという情報を残していれば接続できますが、私の経験では、学校によっては年度が替わるとこうした情報は個人情報にあたるということで廃棄するところもあります。こうなるとせっかくのデータも蓄積されず、宝の持ち腐れとなってしまいます。

一度の学力調査でわかることは、基本的に、ある子の学力が高い/低いということだけです。それはそれで重要ですが、学力調査では、どういう子どもの成績が上がるのか/下がるのかといった変化を追跡することも重要です。しかし全国学力テストを始めとして、日本で行われている学力調査の多くは変化を追跡することができません。毎年学力調査を行うものの、その結果が昨年より下がった/上がったということに一喜一憂し、学力の変化を分析することが少ない。このようなその場限りの学力調査では、教育格差を「診断」するためには不十分なのです。

全国学力テストではコロナ禍の影響は調べられない?

――ちょうど昨日(2022年4月19日)、今年度の全国学力テストが実施されました。報道を見ていると、「コロナ禍による学力の変化にも注目される」といった記述が新聞などに見られます。いまのお話からすると、全国学力テストからコロナ禍の学力の変化を読み取ることも難しいのでしょうか。

そうです。そもそも毎年行われている全国学力テストから、学力の変化を知ることはできません。というのは毎年出題される問題が違うので、正答率が上がった/下がったといっても、学力が変化したのか、それともテストの難易度が変わったのか、基本的に区別できないのです。仮に今年の調査で正答率が下がったとしても、それが新型コロナウイルスによる休校や学級閉鎖の影響なのか、それとも単にテストの難易度が上昇したからなのか、区別することは難しいでしょう。

もしかしたら、休校期間の長かった学校とそうでない学校を比べることでコロナ禍の影響をみるのかもしれませんが、これにも課題が多い。休校期間の長い地域というのは人の流れが多く感染が拡大しやすい都会が多く、他方で休校期間が短い地域というのは人が密集しておらず感染が広がりにくい地方が多いでしょう。都会と地方では、そもそも条件が大きく異なっていますから、単純に休校期間の長い地域と短い地域を比べてもあまり意味がありません。

なお学力の変化を読み取りたいのであれば、学力の変化を把握できる全国学力テストの経年変化分析調査の方が適切です。ただ、この調査は調査の間隔が4年とやや長いので、学力の変化がコロナ禍の影響かどうか判断するのは少し難しいところがあります。また、同じ子どもを追跡しているわけではありませんから、どういう子どもの学力が向上、あるいは低下するのかといった問いに答えることはできません。

複数時点のデータを追跡してはじめてわかる「変化」

――そうした、全国学力テストでは難しいとされる同じ子どもの変化を追跡・分析したのが本書です。本書、およびそのもととなる研究プロジェクトは、どういう意図に基づくものなのでしょうか。

現在、生まれによって学力や進路に差が生じる「教育格差」の問題が広く注目を集めています。「家庭の年収が高い子のほうが学力が高い」といったデータも知られるようになっています。こうした実態を知ることはもちろん大事ですが、もう一つ重要なことが、同じ子どもの変化を知ることです。

一例を挙げましょう。文部科学省は「早寝早起き朝ごはん」国民運動というものを推進しています。ここでよく紹介されるデータが、朝ごはんを食べている子どもは食べていない子どもより学力が高いというものです。

ただ冷静に考えると、このデータは「朝ご飯を食べるようになったら学力が上がる」とは言っていません。朝ご飯を食べると学力が上がると言いたいのであれば、同じ子どもの変化を示す必要があります。ちなみに同じ子どもの変化を追求することで「家庭の年収が高い子どもは学力が高い」「一人親家庭の子どもの学力は低い」といったテーマも、より深く「家庭の年収が上がると学力は上がるのか」「離婚等のライフイベントは学力に影響するのか」といった問いへと深化させることができます。

ただ、こうした問いは、ある一時点を切り取る調査からは答えられません。ですから、同じ子どもを追跡して積み重ねたデータ、すなわち「パネルデータ」をつくることが必要になります。ただパネルデータの作成には多くの予算が必要です。学力調査に加え,保護者に対して学歴や年収を尋ねる調査を実施するというのは一研究者ができるようなプロジェクトではありません。

そんな中、ある自治体(本プロジェクトや書籍では「いろは市」と仮称しています)で、小学校4年生から中学校3年生まで毎年学力調査・生活実態調査を行っていることを知り、縁あって関わることになりました。この調査自体は毎年同じ子どもを追跡する目的のものではなかったのですが、この調査データを繋げば小学校4年生から中学校3年生までのパネルデータを作れます。残念ながら、子どもの家庭環境について保護者に調査を行う機会は一度しかありませんでしたが、それでも小学4年生から中学3年生までの変化を把握できる調査データは貴重です。これが私たちの研究プロジェクトでの分析対象であり、本書でも様々な角度から論じています。

朝ごはんを食べるようになれば学力が上がるか?

分析の例を少しご紹介しましょう。先程、「早寝早起き朝ごはん」について言及しました。現在の全国学力テストでは、生活実態調査として、子どもに朝ごはんを食べているかどうか尋ねています。具体的には、「朝食を毎日食べている」という項目に「している」「どちらかといえば、している」「あまりしていない」「全くしていない」の4段階で答えるというものです。実際、朝ごはんを食べている子のほうが学力が高いというデータは出ています。

ただ先ほど述べたように、これは朝ご飯を食べている子の方が学力が高いと言っているだけで、朝ご飯を食べるようになったら学力が上がると言っているわけではありません。そこで有効なのが、先程言及したパネルデータです。複数時点での変化をみることができるわけですから、「これまで朝ごはんを食べていなかった子が食べるようになったら学力が上がるのか」あるいは逆に「朝ごはんを食べていた子が食べなくなったら学力が下がるのか」ということがわかります。

本書の第2章では、この観点から朝ご飯と学力の関連を検討しました。結論から言うと、4年生の時点で朝ごはんを食べていない(あるいはあまり食べていない)子が6年生になって食べるようになる、あるいは逆に食べていた子が食べなくなっても、学力が向上したり低下したりといった変化はみられませんでした。

もっとも、この分析では考慮できていない要因もたくさんあります。たとえば今回の分析は小学校高学年を対象にしたものですから、小学校1年生から3年生までの変化といった具合に低学年を対象にすると、朝ご飯を食べるようになれば学力が上がるといった傾向が見られたかもしれません。

ここで私が強調したいのは、同じ子どもの変化を知りたいなら、一時点のデータでは不十分で、変化を捉えることのできるパネルデータが必要になるという当たり前のことです。このことは、教育研究はもちろん、教育政策や教育実践を考えるうえでも重要です。多くの場合、政策や実践では「現状がこうなっている」ということだけでなく、「○○をすれば子どもに良い変化がおとずれる」と主張しています。そうであれば、主張の根拠になるパネルデータを整備すべきでしょう。

教育格差は平行推移し蓄積される

――本書『教育格差の診断書』では、パネルデータを用いて、どのような変化があるのか、どういった要因が変化と関係があるのかそれぞれの章で論じています。

興味深い知見をいくつか紹介しましょう。

まず『教育格差』(ちくま新書)の著者である松岡亮二先生が執筆した第3章「進級しても変わらない格差」です。この章では、小学校4・5・6年生の間での教育経験の変化を分析しています。具体的には、小学校4年生の時点でどのような習い事を経験しているか、それが6年生までにどう変化するか、親の学歴(大卒の状況)別に分析しています(表3-7)。左端の「親大卒者数」は、0が両親ともに非大卒、1がひとり大卒、2が両親とも大卒である子どもを指し、右側のそれぞれの項目は習い事をしている子どもの割合を示しています。

親大卒者数別:習い事・参加率(『教育格差の診断書』p.61)

この表を見るとわかるのは、「親大卒者数」によって習い事をしている割合に差があることです。たとえば音楽を例に取ると、どの学年でも両親とも非大卒層は1割程度が行っているのに対し、両親とも大卒層は3割弱が行っています。ここで重要なことは、小学4年生から6年生まで同じような差があるということは、保護者の学歴による習い事経験の差が3年間で積み重なっていくということです。松岡先生はこのことを「格差の並行推移」と呼び、他にも様々な分析を行っています。まずは格差の存在を認識し、その上でどう縮小していくか議論しなければなりません。

グリット(やり抜く力)は本当に学力を高めるのか?

もう一つ紹介しましょう。最近、「非認知的能力」という言葉が注目されています。これは忍耐力や共感能力といった、学力テストでは測れない能力とされ、教育研究でもしばしば参照されています。なかでもグリット(やり抜く力)という概念は注目度が高く、物事を達成するために大事な能力であり、グリットが高いと将来が期待される……といった言及もあります。また、グリットと学力に相関があるという研究もあります。

わたしたちの調査でも、このグリットの尺度を用いて、小学校4年生から6年生までの3年間の変化を計測しています。これを分析したのが、垂見裕子先生による第5章「小学生のグリット(やり抜く力)格差の推移」です。この章では、「グリットが上がれば学力も上がるのか、グリットの高さと家庭環境にどのような関わりがあるのか」といったことを分析しています。

詳しくは本書を読んでいただくとして、結論としては、子どものグリットが高まったとしても学力が向上するわけではありませんでした。また、グリットの高い子は家庭環境がめぐまれた子どもであるということも見えてきました。さらに調査項目の中でなにがグリットの上昇と関連しているかを探ると、身もふたもない結果なのですが、受験だったのです。恵まれた家庭の子どもが多く経験する中学受験の過程で、グリットが高まっていくのです。垂見先生はこうした分析とともに、格差の縮小という観点からは、グリットの有効性に懐疑的な観点を示しています。

この結果は「非認知的能力が大事」「グリット(やり抜く力)を高める教育で、子どもの学力を高めよう」と考えている人には都合の悪いデータだと思います。ですが、誠実に教育実践や教育政策を考えるのであれば、都合の悪い結果が出てくるとしても、こうした分析を行うことが必要だと思います。

本書には他にも、調査に伴って発生する誤差やデータの信頼性をどう考えるか、すなわち「アンケート調査の落とし穴」(第7章)に関する論考も収められています。データは重要ですが、その限界を見極めることも同じくらい重要です。データの限界に関心のある方は、ぜひ読んでほしいと思います。

教育は経験で語られがち。まずは実態把握を

――お話し頂いたような、データが軽視され実態が把握されていないという日本の教育政策の現状は深刻です。これを改善していくために、教育行政や学校現場、あるいは市民一般のそれぞれの立ち位置で、どのような取り組みが必要でしょうか。

日本ではほとんどの人が学校教育を受けた経験がありますから、どうしても自分は教育についてよく知っていると思いがちです。ただ冷静に考えてみると、たとえ学校の先生であっても、20を超える学校を知る人は稀です。しかし実際には、いろは市でさえ50を超える学校があり、それぞれの実態は大きく異なります。日本全国ともなれば、すべての学校を把握している人などいないでしょう。自身の経験も大事ですが、データを使って経験を相対化することも同じくらい重要だという意識は弱いように思います。

教育に限りませんが、日本ではどうもデータを整備することの重要性が軽く見られているように感じます。例えば、少し前から統計不正の問題が起こっていますよね。この問題は、関係するそれぞれの省庁が手を抜いたゆえの出来事というよりは(それがないとは言いませんが)、データを整備・蓄積することに対する社会の関心が薄く、なおかつそのための予算や人材も十分に配分されていないことが背景にあるように思います。教育行政に関わっていて思うのは、「エビデンス・ベースド」が重要だと言われる一方で、そのための予算は乏しく、データを整備する専門の担当者もまず配置されていません。結果として、調査やデータの扱いに詳しくない人が、「それっぽい」データを報告してお茶を濁すということになっています。

先に触れた朝ごはんの例がわかりやすいと思いますが、「朝ごはんを食べている子は学力が高い」という分析だけでは十分ではありません。にもかかわらず、学校の先生や教育に関心を持つ政治家でさえも、それで納得してしまっている。もう少し深く、このデータでそんなことが主張できるのか? とツッコんでほしいと思います。

この十数年、日本の教育政策は、関係者の思いつきで根拠なく始まり、総括もされないままに終わるということが繰り返されてきました。もうそろそろ同じことの繰り返しは止めるべきです。そのためには、教育格差に関する調査データを蓄積・整備することが重要です。たとえば今を生きる子どもたちが5年後・10年後にどのような大人に育ったのか追跡できるパネルデータを作ったり、現在の教育格差・学力格差の実態を捉えたデータを10年・20年先のそれと比較可能な形で保存したりしなければなりません。

調査というのは「やって終わり」ではなく、「未来の社会に、私たちは何を残せるのか」という視点から考えるべきです。教育政策はもちろん各種の教育に関する調査には、少なくない税金が使われています。それに見合っただけの成果を未来に残すことができているのかどうか。このような観点から、教育関係者はもちろん、一人一人の市民が教育政策や調査の在り方を監視していく必要があると思います。

プロフィール

川口俊明教育学・教育社会学

福岡教育大学教育学部准教授。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了。専門は教育学・教育社会学。日本の学力格差の実態を明らかにするため、学力調査の分析や学校での参与観察調査をしています。

著書に『全国学力テストはなぜ失敗したのか』(岩波書店)、主な論文に、「教育学における混合研究法の可能性」『教育学研究』78(4)、 pp.386-397、「日本の学力研究の現状と課題」『日本労働研究雑誌』53(9)、 pp.6-15など。

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