2013.04.12

行き過ぎた指導をなくすための方策をさぐる

「指導死」親の会代表世話人・大貫隆志氏インタビュー

教育 #体罰#「指導死」親の会

桜宮高校で起きた自殺事件や柔道女子日本代表による告発を機に再論点化している体罰問題。暴力行為のみならず、生徒の心を殴るような理不尽な指導もみられる。適切な指導とはなにか。いま教育の現場ではなにが求められているのか。行き過ぎた指導による被害者・被害家族と向き合いつづけている「『指導死』親の会」の大貫隆志さんにお話を伺った。(聞き手/荻上チキ、構成/出口優夏)

体罰は「聖域化」されやすい環境でおこる

―― 現在、体罰問題がふたたびメディアで大きく取り上げられています。じつは表に出てこなかっただけで、学校空間やアスリート教育の現場では体罰が起こりやすい環境が温存されていたわけです。今回の体罰問題の「再論点化」について、大貫さんはどう感じていらっしゃいますか?

今回の再論点化で、世間の人々の体罰にたいする意識はだいぶ変わるのではないかと思います。しかし、一部に体罰容認論を唱えつづける人たちも確実に残ってしまうでしょう。とくに、スポーツの現場にいる方々を見ていると、「指導ならば大丈夫」「愛情があれば大丈夫」「死ななければ大丈夫」という条件づけの上で、なんとか体罰を見逃してもらおうとしている印象を受けますね。

今回、体罰が問題となっているスポーツの現場と学校空間というふたつの領域には共通点があります。どちらもとても聖域化されやすく、法の介入がされにくい。

通常、会社で「わたしが指示したことと違うじゃないか」と日常的に上司が部下を殴っていたら、それはあきらかに暴力として犯罪行為になります。しかし、スポーツや教育の世界では、指導者が生徒を殴っていても、「指導上の行為だからしかたがない」と許されてしまいやすい。しかも、生徒側も「先生の指示をうまくこなせない自分が悪い」と自分を責めてしまうので、暴力行為がなかなか表にでてこないんですね。

「体罰」という言葉は、スポーツの現場や学校空間のような、指導者に従わないだけで罰することが簡単に許されてしまうような環境において、生徒をコントロールするための効果的な指導方法という名目でキープされつづけているように感じます。

―― 体罰を肯定する方々がよく言うのは、「ぼくたちも先生に殴られたけれど、あの先生がいたからこそ人間的にも技術的にも成長できた」というものです。ただし、本当にその先生が体罰を使ったから彼らは成長できたのかはと言えばそうではないでしょう。成果を出している教師が体罰をおこなっていたからといって、体罰の効果だとはなりません。体罰なしで成果を上げている教師が多くいる以上、「体罰必要論」の根拠はない。にもかかわらず、「体罰の全否定は行き過ぎ」といった仕方で、撤退戦の中で擁護をしようとする政治家もいます。

日本の指導方法は、とにかく強い力をつかって子どもたちに先生の言うことを聞かせようとするところがありますよね。でも、そんなに力をこめなくても、ほんの少しのインパクトで大きなリターンを取るということは可能だと思います。日本もそういう洗練された教育方法にシフトしていく必要がありますね。

また、教育とは大人たちが望む状況へ子どもたちを導いていくことだ、という日本の教育論にも違和感を覚えます。本当ならば、子どもが自ら学んでいき、ある地点に至るまでを手助けするのが教育なのではないでしょうか。

指導自体が目的化してはいけない

―― 体罰を容認する人々の言説として「社会に出て困らないように、学生のうちから理不尽な状況になれておかなければならないんだ」ということもよく言われます。

そんなつらいことをわざわざ学生のうちに体験しなくてもいいと思ってしまいます。社会に出れば否応なく処世術を学ばなければいけないわけですから。いじめ問題でも同じような言説がありますが、どうしていじめや体罰をなくそうという発想にならないのかがとても不思議です。

理不尽な状況に慣れたからといって、いじめや理不尽な指導が肯定されるわけではありません。わざわざつらい状況に子どもたちを慣れさせなくても、どうしたら社会の理不尽さに耐えていけるのかを合理的に伝えればいいのではないでしょうか?

―― 理不尽な手段でしか、社会の理不尽さを教えられない、というのはおかしな話です。

でも、そういった指導があちこちで見られるのが日本の現状ですよね。「叱られて、落ち込む」ということ自体が生徒にとって学びの一環であると思い違いをしている指導者がたくさんいる。

とくにスポーツ系の部活では、監督が生徒を長期的にコントロールするために、「監督である自分のいうことのいうことが絶対である」という体制をつくろうとします。だから、根本から人格を否定するような言葉が容赦なく飛んでいる。「そんなんだったら人間やめちまえ」とか、「柔道できなかったら、お前はブタ以下だ」とか。

とくに暴言や暴力の対象となりやすいのはキャプテンやリーダー格の生徒です。指導者にしてみたら、リーダー格の生徒をコントロールすることで、そのほかの生徒も同時にコントロールしてしまおうという思惑ですね。リーダー格の生徒が行き過ぎた指導の対象になりやすいのではないかということは、今後しっかりと調査・整理をする必要があると思います。

しかし、そもそも「体罰」という言葉自体がおかしいですよね。体罰というのは、指導者からの生徒にたいする一方的な暴力です。でも、「罰」という言葉が含まれていることで、あたかも暴力行為が、生徒が犯した罪への適切な罰則であるかのように受け取られてしまう。生徒は罪を犯したわけではないのに、どうして罰せられなければいけないのか。そのことにとても違和感を覚えています。そこで、ぼくは体罰も含め、行き過ぎた指導が原因で起こってしまった自殺のことを「指導死」と呼んでいます。

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なかなか表にでてこない「指導死」

―― 「指導死」という概念についてもう少し詳しくお教えいただけますか。

「指導死」とは、教師による行き過ぎた指導が原因で子どもたちが自殺してしまうことを指します。ここでいう「指導」には体罰だけでなく、言葉のみでおこなわれた指導や「生徒全員の前で反省文を読み上げさせる」といった羞恥を感じさせる行動を命じるということも含まれます。

教育評論家の武田さち子さんが作成した年表によると、現在までに、自殺未遂事例も含めて67件の指導死が確認されています。指導死の原因となった指導はさまざまですが、「指導が長時間にわたっておこなわれた」「複数教員が関わっている」「指導の後にフォローアップをしないまま、生徒を追い出してしまう」「生徒がおこなったルール違反にたいするペナルティがやたらと大きい」といった共通点があげられます。

●武田さち子さんによる指導死事例年表:shidoshi-1.pdf

―― 67件という数字は公に報じられているものだけであって、隠れている指導死の事例も相当数あるのではないでしょうか?

そのとおりです。自殺事件だけでなく、指導によって心を病んでしまった事例も含めると相当数が表にでてきていないと思います。指導死の場合、指導者側の指導方法の問題を提示するとともに、もともと指導の原因となった子どものルール違反の内容も公にさらされることになる。たばこを吸ってしまったとか、カンニングをしたということですね。報道されれば、「子どもが悪い」とか「親のしつけがなってない」と被害者側を叩く人もでてくるでしょう。ですから、子どもの気持ちや周りへの体裁を考えると、なかなか世間に公表しづらい部分はありますよね。

「指導死」親の会の活動

―― 大貫さんはいつごろから指導死に関する活動を始められたのでしょうか?

ぼく個人の活動は、2000年に息子を指導死で亡くした直後からおこなっています。「指導死」親の会として、同じような経験をした親御さんたちとともに活動をはじめたのは2007年からですね。

もともとは、暴力のない指導によって子供が自殺してしまう経験をしているのはぼくたちだけだろうと思っていました。けれど調べてみたら、同じような経験をされている家族が4家族もいた。これは、現在の日本の教育方法をどうにかしなきゃいけないのではないかということで、「指導死」親の会を立ち上げました。

―― 「指導死」親の会は普段はどんな活動をしているのでしょうか?

これまでに文部科学省への陳情を3回おこなっています。陳情の内容としては、指導死の存在を認め、そのうえで各学校に通知をおこない、注意を喚起してほしいという内容のものです。しかし、3回とも文部科学省からは全く反応がなかったですね。陳情のほかには、去年の11月17日にシンポジウムをおこないました。

また、4月末に高文研より本の出版を予定しています。タイトルはストレートに「指導死」。指導によって子どもを失った7遺族の手記や、京都精華大学人文学部の住友剛准教授による論考、教育評論家の武田さち子さんによる事案解説などで構成されています。先ほどお見せした武田さんによるデータも掲載されます。

指導ガイドラインの必要性

―― 文部科学省への陳情の結果が芳しくないとのことですが、裁判の判決としては指導と自殺の因果関係は認められているんでしょうか?

暴力を伴った指導による自殺の場合では、裁判に勝訴したケースもあります。しかし、暴力を伴わない指導による自殺の場合ですと、事実的因果関係の認定のみに留まってしまっています。

2008年に道立稚内商工高で起きた今野匠くんの事例では、指導の内容がかなり詳細に遺書として残されていたので、もしかしたら詳細な因果関係が認められるかもしれないと思っていたんです。しかし、札幌地裁の判決では遺書の内容には一切触れられないまま、賠償請求が棄却されてしまいました。今野くんの場合、複数の同級生のイニシャルをあげて「死ね」などとインターネットサイトに書き込んでしまったということもあり、学校にとっては緊急を要する指導だった。だから、子どもの精神を多少圧迫するような指導になったとしても致し方なかったという学校側の主張を全面的に採用した判決でした。

―― しかし、「怒られるようなことをしたという事実」と「それにたいするペナルティの妥当性」は分けて考えなければいけません。「指導死」の問題から、そもそもの「過罰指導」とも言うべき問題が議論されなくてはならないのではないでしょうか。

そもそも、生徒指導にたいするガイドラインが国レベルで設定されてないですからね。現在、指導者たちは自分の経験則やOJT的に身に着けた方法で生徒を指導するしかない。保護者からの期待や厳しい声のなかで、指導者が感じるプレッシャーというのは相当大きなものでしょう。生徒になにかあれば指導している自分が批判されるという状況ですから、生徒のルール違反にたいして厳しく接してしまうのもうなずけますよね。

―― 過罰指導がおこってしまう背景には、指導ガイドラインがないためという実情があるわけですか。

そのとおりです。これは教職員の養成プログラムから変えていかなければいけません。いまの教育課程では本当になにも習わないですから。児童心理とはいかないまでも、指導においてどんな観点が必要で、学校ではどういったトラブルが起こっていて、そのトラブルの対処法はどんなもので、という現場で必ず直面するであろうことすら教わることができない。その結果、行き過ぎた指導になってしまうばかりでなく、逆に新任の教師が荒れたクラスの担当を受け持たされ、対応しきれずに半年で自殺してしまうということも起こっているわけです。

―― それは指導者側にとってもかわいそうなことだと思います。

そうですね。海外にはさまざまなマニュアルがあります。たとえば、イギリスの柔道指導者に向けたマニュアル「Safe Landings」はとてもよくできている。身体的虐待だけでなく心理的虐待にも触れていたり、「公衆の面前で生徒の人格を否定することを言ってはいけない」といった具体的な指導方法が記載されています。この翻訳は全国柔道事故被害者の会(http://judojiko.net/)のホームページで見ることができますので、ぜひ読者のみなさまにも読んでいただきたいと思います。

●全国柔道事故被害者の会が提供する資料一覧:http://judojiko.net/download

医学的根拠に基づいた指導マニュアルづくりを日本で進めていきたいですね。現在の日本で「余計なプレッシャーがない方が、学力向上に役立つ」と言ったら、世論がひっくり返ると思います(笑)。

第三者機関は中立だとは限らない

―― 指導死の問題において、ここに気をつけてメディアや政治をチェックしてほしいというポイントはあるでしょうか。

子どもの自殺事件が起きたときにどんな調査が行われているのかということに注視してほしいですね。とくに、気にしてほしいのは第三者委員会がしっかりと動いているかどうかです。最近、第三者委員会が学校や教育委員会側の隠ぺいのツールとしてつかわれているようなパターンが多く出てきてしまっている。

第三者機関というと、加害者側にも被害者側にも属さない第三者である、つまり客観的で中立的な判断を適切に下せる存在だと思いこんでしまいがちです。もちろん、本来ならば第三者機関の中立性は担保されて当たり前です。しかし、怪しい第三者機関が出てきてしまっている以上、第三者機関の言葉を鵜呑みにするのではなく、だれがどんな調査をどのようにおこなっているのかということをしっかりと把握して見極める必要があります。

また、第三者委員会がなにを目的として立ち上げられたものなのかというのも大事なポイントです。真相の究明が目的なのか、それとも学校側の捜査の追認が目的なのかという立ち上げ動機の違いによって、第三者委員会の動き方は大きく変わってきますから。

しかし、第三者機関にある程度の調査権を持たせ、学校や教育委員会側には調査に協力する義務があるということを明示しておかないと、なかなか真実にたどり着かないですよね。

大津のいじめ自殺事件の場合は、第三者委員会に強力なメンバーがそろっていた。副代表は神戸を拠点に活動している「全国学校事故・事件を語る会」(http://homepage3.nifty.com/Hyogo-GGG-Izokunokai/)で遺族支援をしている弁護士さんでしたし、ご遺族もとてもしっかりしている方だったので、あそこまで真実を追求することができたんですね。

大津のいじめ自殺事件における第三者委員会の動き方を最低限の基準・ガイドラインとして、今後のいじめ・指導死事件に関する調査のレベルを向上させていかなければならないと思います。

(2013年2月21日 中野にて)

●「13歳の絶望 陵平はなぜ死を選んだのか」:http://www.2nd-gate.com/ryohei.html

●NPO法人ジェントルハートプロジェクト:http://www.gentle-h.net/

プロフィール

大貫隆志「指導死」親の会代表世話人

1957年生。「指導死」親の会代表世話人、NPO法人ジェントルハートプロジェクト理事。2000年に中学2年の次男を指導死で亡くして以来、いじめや体罰を含む生徒指導の改善を求める活動を展開している。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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