2015.02.12

少数派であることを恐れない――現代アートを仕事にすること

森美術館キュレーター・荒木夏実氏インタビュー

情報 #森美術館#教養入門#キュレーター

私たちはなぜ美術館を訪れるのだろう。アートにはどんな力があるのか。今回の「高校生のための教養入門」では、そんな疑問を持って、森美術館のキュレーターとして活躍される荒木夏実さんを訪ねました。「アートを仕事にすること」は、荒木さんにとって、「社会とどう関わるか」につながる生き方の選択だったのです。(聞き手・構成/長瀬千雅)

同時代の世界とつながっていく

――荒木さんは、キュレーターというお仕事はどのようなものだとお考えになっていますか。

「展覧会の企画と実施をする人」というのが最も基本的な定義ですね。美術館に所属する人が大多数ですが、最近では特定の機関に属さないインディペンデント・キュレーターも増えてきました。日本では学芸員と言われることが多いですが、公立の美術館・博物館が多い日本では、学芸員資格を持った美術企画の専門職員という位置づけが主でした。今でも、県や市の職員として採用されてそのままずっと勤める人が多数です。インディペンデント学芸員とは言いませんから、キュレーターの方がもう少し独立性があって、総合的に任されているというイメージでしょうか。

――キュレーターという言葉が広まるにつれて、仕事の内容や働き方も多様化しているんですね。

組織やプロジェクトによっても違うと思いますが、森美術館ははじめから欧米型のキュレーターを志向しています。

――美術館の学芸員というと、作品を収集したり、美術史をひもといて研究したりということもあると思います。キュレーターにももちろんそういう機能はあると思いますが、より展覧会の企画・実施に力を入れているわけですね。

森美術館の場合はそうですね。プロジェクト型の現代美術館としてスタートしていますから。現在はコレクション(作品の収集・保管)もしていますが、同時代に世界で起こっていることにフォーカスして、今見せるべきものを見せていく、ということを重視しています。

――昨年、荒木さんは『ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界』を手がけられました。「ゴー・ビトゥイーンズ(=媒介者)」としてのこどもに注目して、こどもの視点で世界を見せる。出身地も経歴もさまざまな26組のアーティストが参加して多種多様なイメージに触れられる展覧会でした。このような展覧会の企画・構成は、どのように考えていくのでしょうか。

まず、長年にわたってたくさんの展覧会を見てきて、注目しているアーティストや作品がたくさんあるんです。アートは個から発する表現ではありますが、第一線のアーティストには、時代の要求と呼応する部分が必ずあります。ですから、世界各地で展覧会を見ていると、世界で何が起きていて、どんなことが問題となっているのかが浮かび上がってくるんです。

ゴー・ビトゥイーンズ展も、「こども」というテーマに関わるアーティストや作品を選んでいますが、こどもの周辺で起こっていることは、私たち全員に関わることですよね。たとえばこどもの貧困の背後には、必ず女性の貧困があります。さらにその裏には、男尊女卑のような、非常に不平等な社会がある。

こどもを追っていくことによって、ジェンダーの問題や、政治の問題、暴力、戦争、すべて見えてくるとも言える。ジャーナリズムとはまた違う視点で、それらを見せていくことができないか、というのが企画の出発点でした。

荒木夏実さん
荒木夏実さん

――観客の反応はいかがでしたか?

「ストーリー・コー」(http://storycorps.org/)という、対話を記録するプロジェクトから、2本の映像作品を出展してもらったのですが、それを見て泣いてしまっている男の子たちがけっこういたのが印象的でした。特に、高校生から大学生の男の子にぐっときていたようです。

1本は、ある母親と、10歳ぐらいのアスペルガー症候群の男の子との対話なんですね。非常に頭のいい子なんだけれども、少し社会性に欠けるところがあって、思春期にさしかかって周囲との関係の中で悩んでいく。その男の子がお母さんにいろんな質問をするのですが、お母さんが堂々たる態度で、嘘も言わず、誠実に、常にポジティブに答えを返していくんです。そして、最後に男の子が「ぼくはお母さんの期待に答えられた?」と聞くと、母親は「期待以上よ」と答えるんですよ。「あなたが息子で、本当によかった」って。

ストーリー・コーは、ニューヨークで設立されたインスティテューションで、家族のメンバー同士や友人同士など、一般の市民が対話しているその本物の声を記録して、そのストーリーをシェアしようというプロジェクトです。私が紹介したのはアニメーション化されたものですが、音声だけなら5万件以上アーカイブされていて、誰でも聞けるようになっています。

彼らのアプローチは明確に、マイノリティーの視点です。長い間刑務所に服役して出所した人とその家族とか、ゲイのカップル同士など、さまざまな事情を抱えた人たちが、マイノリティーとしての痛みや、乗り越える苦しみを、包み隠さず話している。私もはじめて対話を聞いたときは涙が止まりませんでした。

――そのようなソーシャルプロジェクトが現代アートの美術館で紹介されるということ自体も、とても面白いです。「何がアートか」という考え方そのものを更新していくというか、そこもやはりキュレーターの腕の見せどころなのでしょうか。

ストーリー・コーのように必ずしもアート作品ではないものをある文脈に乗せて紹介するということもありますし、アーティストの側でも変わってきています。たとえば、アラブのアーティストの中にはかなりダイレクトに政治的なメッセージを感じさせる作品を作っている人もいます。これはジャーナリズムです、これはアートですというような境界はなくなってきていると思います。

研究者とキュレーターの違い

――キュレーターの仕事の喜びの一つに、すぐれたアーティストと仕事をすることがあるように思います。どんなところに面白さを感じますか。

アーティストはみんな、ものすごくよく「見て」います。私たちには考えられないような一瞬をとらえます。映像作家のフィオナ・タンは『トゥモロー』という作品でスウェーデンの高校生たちを撮影しているのですが、彼らの顔にはティーンエイジャー特有のプライドと不安、自己顕示欲、いろんなものが溢れ出ているんです。やはり、フィオナはそういうものをとらえる天才なんですね。普通の人が忘れていってしまうようなことを、信じられない能力と時間をかけて観察して、作品にしていく。その態度には感服します。アーティストはそれぞれに個性が強いですからさまざまな問題が生じますが、彼らとのトラブルは越えられないトラブルではありません。

――反対に、アーティストにとってキュレーターはどういう存在なんでしょうか。

キュレーターは作品や展覧会について文章を書きますよね。批評も含めて。するとアーティストから、「誰にも話さなかったことがどうしてわかったんですか」と言われることがあるんです。ほかには、「自分でも考えたことがなかった見方だ」とか、「荒木さんはそんなふうに読み取ったんですね」とか。アーティストにとっては、潜在意識にあったものが引き出されたり、自分自身が予想もつかない視点が出てきたりすることが面白いわけです。作品は、生まれた途端にさまざまな人の視線にさらされて、一人歩きしていくものです。誤読も含めて、さまざまな読み取られ方をしていくことが作品の面白さだし、深さだと思います。

――その読み解きを、最初に、深く行う存在がキュレーターということでしょうか。

批評家や研究者などさまざまな人がそれをするとは思いますが、キュレーターの場合は、必ず物理的なモノと対峙しないといけないわけです。「この作品はこのスペースに入るのか?」というように。展覧会を作るということは、頭の中で考えるだけのきれいな仕事ではないんですね。こちらが望む作品を展覧会の時期に借りられるのか。輸送費はいくらかかるのか。予算内におさまるのか。おさまらないとしたら何を優先し、何を諦めるのか。しかも必ずデッドラインがあります。物理的な条件をすべてクリアしなければいけない。常に現実的な判断の連続です。

――非常に実務的な仕事であると。

もちろんです。アーティストと一緒に新作を制作することや、カタログの出版、広報宣伝担当者との打ち合わせまで、すべてにキュレーターが関わります。何よりも、お客様が安全に楽しめる展覧会になっているかどうか。アーティストがいくら「こう見せたい」と言っても、危険があったり解説が不親切だったりということは避けなければなりません。アーティストの気持ちも尊重しながら、説得もする。

ですから、信念を持って物事を進めていける人でないと、キュレーターには向かないですね。責任とリスクがとれて、プレッシャーを楽しめるぐらいの人でなければ。【次ページに続く】

山本高之《どんなじごくへいくのかな、東京》2014年 ビデオ・インスタレーション 森美術館「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」展示風景 2014/5/31-8/31 撮影:阪野貴也 写真提供:森美術館
山本高之《どんなじごくへいくのかな、東京》2014年 ビデオ・インスタレーション
森美術館「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」展示風景 2014/5/31-8/31
撮影:阪野貴也 写真提供:森美術館

マジョリティーに流されるべきでない

――荒木さんは、キュレーターを一生の仕事にしようと思ったきっかけはあったんですか?

実は、私は大学を卒業して就職したのですが、1カ月で転職活動を始めたんですよ。留学はいずれしようと思っていたので、自分の時間を確保しながら働ける職場を探して、そういう意味では理想的な外資系の銀行に就職したんですが、割り切って入ったにもかかわらず、つらくて、つらくて。淡々と正確にミスなく書類を作るみたいな仕事が、本当に合わなかったんです。

その後、イギリスのレスター大学大学院に留学して、ミュージアム・スタディーズの修士を修め、帰国して学芸員としてのキャリアをスタートさせました。留学するときは反対する人も少なくありませんでした。バブルの終わり頃ですがまだまだ保守的で、同性の先輩に「女性は留学したからといって就職に有利になるとは限らないよね、大丈夫?」と言われたぐらいです。私が必死で論文を書いていた間に、ずいぶんおおぜいの同級生が結婚していきました(笑)。

――「勝ち組」という言葉が流行った頃でしょうか。

そうですね。でも、どんなにマジョリティーがそう言っていても、「私はこれでいいの」と思っていました。

――自分の気持ちを貫ける強さも必要ですね。

絶対に必要です。これはキュレーターに限らないと思いますが、マジョリティーに流されるべきでない。私はそう思っています。マイノリティーからしか、イノベーションは生まれてきていないのですから。

私自身、高校生の頃はみんなと合わせて動くのがとても苦手でした。たとえば、修学旅行に行っても、みんなさっとグループを組むとか、一斉にお風呂に行くとかしますよね? 私はそういうのにうまく乗れなくて、なんとなくぽつねんとしてしまうことがよくあったんです。今の高校生にもそういう子は多いと思いますが、その、人と違うテンポこそが大事です。それを貫いていけば、ユニークなことができるようになると思います。

就職した外資系銀行でも、仕事が楽しくて、さらにプロモートされて生き生きとやっている元同僚もいます。でも私はあのまま続けていてもきっとそうはならなかっただろうと思う。一方で、アートの仕事は楽しくてしかたがなかった。だから、若い人たちにも、ムダな我慢はしなくていいと伝えたいですね。はじめは失敗してもいいと思うんですよ。最初からぴたっとくる道を見つけることなんて誰もできないのですから。でも、「何か違う」という感覚を抱いたなら、それを大切にして欲しいと思います。

――これからの目標を教えて下さい。

今、企画しているディン・Q・レというベトナム人アーティストがいるのですが、彼も、個人の歴史、個人の言葉をとても大事にしているアーティストです。1968年にカンボジアとの国境に近い小さな町に生まれて、ポル・ポト派の侵攻を逃れるために、10歳のときに家族でアメリカへ移民するんですが、のちにベトナムに戻って、今はホーチミンで活動しています。彼はまさに、多様な視点を持っているアーティストですね。アメリカで教育を受けていますが、ベトナム人としての反骨精神も失っていません。

彼がアメリカで不満だったことは、『地獄の黙示録』や『プラトーン』などたくさんベトナム戦争の映画が作られたけれども、すべてアメリカの視点であって、ベトナム人の立場からの発言がないことだった。だから、ベトナム人にとってベトナム戦争とは何だったのか、どんな影響を及ぼしているかということをテーマに、丁寧なリサーチとインタビューを通して作品を作っているんです。

ディン・Q・レ《農民とヘリコプター》2006年 3チャンネルビデオ、サウンド、ヘリコプター 15分 Commissioned by Queensland Gallery of Modern Art, Australia
ディン・Q・レ《農民とヘリコプター》2006年 3チャンネルビデオ、サウンド、ヘリコプター 15分 Commissioned by Queensland Gallery of Modern Art, Australia

――資料を見ると、かなり大きいサイズの作品もあるんですね。

ダイナミックな作品がありますよ。彼の代表作に「フォト・ウィービング」と呼ばれるシリーズがあるのですが、写真を裁断してタペストリー状に編むんです。ベトナムの伝統的な編み方で、こどもの頃に親戚のおばさんから習ったのだそうです。その手法を使って、ベトナム戦争やカンボジアの遺跡、ハリウッド映画のイメージなどを織り込むのですが、見る位置や角度によって見え方が変わるんですね。ベトナム戦争中やポル・ポト政権時代に犠牲になった人たちの顔が浮かび上がったり、虚実ないまぜになっている。

彼の特徴は、コンセプチュアルでありながら、もの作りの大切さも見えてくるような、ユニークで魅力的な作風です。コツコツとした工芸的な面白さと、自分のアイデンティティーを探す根無し草的な感じとが、アメリカの美術教育を土台として統合されている。日本人には共感できる部分がたくさんあると思います。

ディン・Q・レ《無題(ミラノ002)》(「ベトナムからハリウッドまで」シリーズより)2004年 カラー写真、リネンテープ 97×183cm
ディン・Q・レ《無題(ミラノ002)》(「ベトナムからハリウッドまで」シリーズより)2004年 カラー写真、リネンテープ 97×183cm

――「ゴー・ビトゥイーン」の精神を感じますね。

「ゴー・ビトゥイーンズ(go betweens)」というのはもともと、写真家のジェイコブ・リース(1849 – 1914)がニューヨークで移民の生活を取材していたときに、英語が話せない両親のために通訳をしたり、さまざまな用をこなしていたこどもたちのことを呼んだ言葉なんですね。ディンも、「僕もまさに『ゴー・ビトゥイーン』だったよ」と言っていました。

今は日本でも、マイノリティーの視点を中心に話をする若い社会学者や思想家が増えていますよね。たとえばお名前を挙げると、フローレンスの駒崎弘樹さんのように、子育ての問題を女性問題ではなく重大な社会問題としてとらえる人が現れてきていること、しかも男性が語り始めているということは、とても励みになります。

私がゴー・ビトゥイーンズのようなことに興味を持ったのも、そのような時代の流れと決して無縁ではありません。アートでも、かつてはマイノリティーの苦しみにフォーカスして不平等や不正を告発していくようなものが主流だったと思いますが、それからさらに変化して、弱者と言われている人たちの世界にどれほど豊かなものがあるかということを堂々と見せていく。もう完全にそういう時代になっています。その流れの中にもちろん私も生きていますから、展覧会もそこに寄り添いながら、新たな発信をしていかなければと思います。

高校生におすすめの3冊

タブー視されて語られることが少ない「在日」と呼ばれる人々。その歴史や法的な扱いの変遷などについて、中・高校生にもわかる平易な言葉で述べている。日本の統治時代、その後の朝鮮戦争と南北分断という歴史に翻弄された在日朝鮮人の状況と、日本政府の対応を知るにつけ、その理不尽さに愕然とする。

女性はとかく、社会的に細かく区分される。既婚か未婚か、専業主婦かバリキャリか、正社員か非正規か、子持ちかなしか等々キリがない。本書は専業主婦と女社長という、立場もタイプも異なる2人の女性の交流を通して、彼女たちの意外な共通項や見かけとは正反対の性質が暴かれる。人間の弱さ、痛み、優しさが絶妙に描かれている。

貧困を恥じる背景にある「がんばり地獄」の指摘が鋭い。「イスとりゲーム」のいすをがんばって取り合うのが正しいのか? イスに座れなかった人はがんばっていないのか? そもそもイスの数が足りないのではないか? 「自己責任」という言葉が横行し、弱者を「がんばり」が足りないと切り捨てる風潮のいま、視点の転換を促してくれる一冊。中・高校生向けの言葉がわかりやすい。

展覧会情報

ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界

巡回

沖縄県立博物館・美術館:2015年1月16日(金)〜3月15日(日)

高知県立美術館:2015年4月5日(日)〜6月7日(日)

※森美術館での会期は終了

ディン・Q・レ展

会期:2015年7月25日(土)-10月12日(月・祝)

主催:森美術館

プロフィール

荒木夏実森美術館キュレーター

森美術館キュレーター。慶應義塾大学文学部卒業、英国レスター大学ミュージアム・スタディーズ修士課程修了。三鷹市芸術文化振興財団学芸員を経て、2003年より現職。企画を担当した主な展覧会は、「ストーリーテラーズ:アートが紡ぐ物語」(2005年)、「六本木クロッシング2007:未来への脈動」(2007年)、「万華鏡の視覚:ティッセン・ボルネミッサ現代美術財団コレクションより」(2009年)、「小谷元彦展:幽体の知覚」(2010年)、「LOVE展:アートにみる愛のかたち」(2013年)、「ゴー・ビトゥイーンズ展:こどもを通して見る世界」(2014年)。その他の活動として「シティ・ネット・アジア2009」協働キュレーター(2009年、ソウル市立美術館)、慶應義塾大学講師(2010年〜)、評論執筆など。第26回倫雅美術奨励賞(美術評論部門)受賞。

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