2015.04.08
ロシア外交のひも解き方――プーチンの「脱欧入亜」政策を論じる
ウクライナ問題は核問題だ!
――野党指導者のネムツォフ氏の暗殺や、プーチン大統領のクリミアにおける核兵器の使用に関する発言など、この1・2ヶ月ほどを見てもロシアではいくつも重大な出来事がありましたが、こうした最近の事件に関してはどのようにお考えですか。
ネムツォフ氏とは私自身、昨年の9月に開催されたヤルタ欧州戦略会議(YES)に参加した帰りにキエフ空港でお会いしたばかりです。もっともこの会議自体には彼は参加していませんでしたが。
ネムツォフ氏はエリツィン政権の第一副首相であったこともあり、二人にはかつてはライバルという側面はありましたが、だからといって今回の事件について、プーチンの宿敵である野党指導者が暗殺された、というような構図が当てはまるわけではありません。
例えば、彼はプーチン大統領が国内外のロシア専門家と対話するバルダイ会議の準メンバーでもあります。またネムツォフ氏自身は現在では、政治的な権力をほとんど持っていませんから、今回の事件が実際の政治に何か多大な影響があるというわけではないと思います。
ただこの事件に関連して、プーチンにとってはひとつの分かれ目に来ている、ということはあるかもしれません。つまり、アメリカを始めとする西側諸国との悪化する関係について、ここで矛を収めるべきなのか、それともあくまで対峙していくべきなのかということです。
次に核兵器使用発言についてですが、まず押さえておくべきなのは、ウクライナ問題そのものが、核問題であるということです。というのも、ソ連時代の最大の軍事工廠は、ロシアの南部や東ウクライナにありました。そのため、ソ連が崩壊した際にウクライナは、「四番目の核大国」ということになりました。つまりその非核化の交渉とクリミアの領有権の問題の根本には、核問題という「地雷」が埋まっており、これがクリミアの併合をめぐる紛争が起こったときに一気に浮上してくるわけです。
またそもそも、ソ連は核兵器を先制使用しない、という立場をとっていたのですが、ロシアになって、この使用可能性を排除しない立場に変わったことは重要です。ロシアにすれば、核兵器を使用するという選択肢は、プーチン大統領が明言することはありませんが、いたって現実的なものなのです。つまり今回の発言は単なる脅しではありません。
ソ連崩壊前に核軍縮を行って、軍事同盟を拡大しない、軍縮に務めるという約束をしたはずのアメリカが、なぜウクライナに勢力を拡大して自分たちを脅かしてくるのか、とプーチンは考えているはずです。オバマ政権に「このままで良いのか」という問いを投げかけているという風にも言えるかもしれません。
プーチンの「脱欧入亜」政策?
――二つの出来事のどちらにも、アメリカを始めとする西側との関係が影響しているのですね。これが本書のテーマである、プーチン政権のアジアシフト、先生のお言葉を借りれば「脱欧入亜」という外交政策に結びついていくわけですが、まずこの新しい方向性の内容と、こうした外交の変化が起こっている背景について、教えてください。
プーチンの外交指針は、次の6つに大きく整理できます。まず一つ目が「超大国でなく、多極のなかの一極としてのロシア」。次に「旧ソ連CIS地域の重要性」。3つ目が「エネルギーを中心とする経済外交」。そして「反テロ活動や原理主義との闘争の重要性」、「対米協調と対外投資の推進」。最後に、私が最も注目しており、プーチン外交の核心であると考えているのが、「アジア重視外交」です。
プーチンは第三期政権の現在、欧米からますます距離を置き、ロシアを「アジアの国」に変えようとしています。2012年の5月に大統領に再任されると、プーチンはすぐさま極東・シベリアをめぐる経済開発や、安全保障面での東方重視政策を開始しました。
その後も「ユーラシア連合」の構想やパイプラインの建設など、重要なアイデアや政策を次々と打ち出しています。
こうしたアジア重視の外交が行われるようになった背景には色々な要因があり、それらが複雑に絡まり合っているのですが、まずひとつにはCISとの関係の変化が挙げられるでしょう。
冷戦後の混乱期を抜けて、ロシアはCISを「ポスト・ソビエト空間の再統合」と捉え直していたのですが、2004年にウクライナで発生したオレンジ革命により、CIS内でロシアに次ぐ経済力を有するウクライナが去ってしまうと、もはやロシアはCISを裏庭として覇権的な立場を取ることはできなくなりました。これが、プーチンがアジアに目を向けるひとつのきっかけになっています。
その後さらに今回のユーロマイダン革命によって、ウクライナは決定的にヨーロッパ世界の方へと舵を切ってしまったわけです。
ただ、もちろんそれだけが理由なのではなく、アジア、特に北東アジアにはロシアの具体的な利益が存在することも、大きな要因になっています。「北のサウジアラビア」としばしば自嘲的に言われるように、現在のロシアの経済はその多くを資源に頼っています。
一方、2005年に世界の石油消費量において北米を超えて世界最大となったアジア太平洋地域では、慢性的なエネルギー不足が生じており、ここにロシアにとっての商機が存在するわけです。
シベリアや極東の開発も非常に重要度の高い課題です。ロシアという国は、資源の8割がシベリアに集中しているにもかかわらず、人口は2割しかないという、ある種不均衡な分布をしています。このシベリアを開発することはロシアの長期的な課題でありました。
さらにこうした具体的な要因の他に、より抽象的な背景として、ロシア人の複雑なアイデンティティの問題があります。ロシア人のアイデンティティとして「キリスト教文明の末裔」という意識があり、自分たちこそがキリスト教文明の正統であるという考え方があります。
しかし一方で、ヨーロッパ的な価値観への反発も常に存在していて、これがユーラシア主義や東方への憧れと結びついているのです。こうしてロシア人の対外意識は、振り子のように、西と東に時に応じて揺れ動いています。
そうした条件がある中で、今回のように、ロシアと「特殊な関係」にあったウクライナがロシアと決別し、ヨーロッパ世界の一員となるというような出来事があると、ロシアの振り子は逆に東に振れることになるのです。
――振り子というたとえが出ましたが、そうであれば、今の東方シフトの流れがまたヨーロッパに向けて振り戻されるという可能性もあるのでしょうか。
たしかに、論理的にはその可能性はあります。何らかの原因によって、再びロシアがヨーロッパをより重視した外交を行うようになる可能性は否定できません。しかしながら、現在について言う限りでは、世界経済の大きな潮流はヨーロッパではなく、アジアに向かっているという意識がプーチンの中にもあるはずです。ですので、こうした認識が続くかぎり、少なくとも当分の間は、こうしたアジアへのシフトは続くと考えています。
――先生のお話を伺っていると、私たちが普段考えている「ロシアの行動にフラストレーションを感じる西洋諸国」という像ではなく、「アメリカなどの西洋諸国の行動にフラストレーションを溜めているロシア」という像が浮かんでくるように思うのですが、その点に関してはいかがでしょうか。
それはその通りでしょうね。というのも、国際情勢を西側から見るのと、モスクワから見るのとでは、見えてくるものが全く異なります。
かつて冷戦が終結した際、アメリカでは「歴史の終わり」というような、冷戦の終結はアメリカの勝利を意味するのだという認識があり、クリントン政権にもこれがある程度共有されていました。
これに加えて国内に抱える移民ロビーに対するリップ・サービスの意味も込めて、アメリカはロシアに対して強く出てくることが多いわけです。
しかしながら、ロシアから見れば、冷戦は引き分けで幕を閉じたはずであり、アメリカが戦勝国然として振る舞うのには納得できません。
ロシアにしてみれば、お互いに同盟は拡大しないはずであったのに、アメリカを始めとする国々が一方的にNATOを拡大し、ロシアのお膝元であるウクライナのような国々にまで勢力を拡大してきている現状は、到底容認できないものです。
――そうした状況の中で、一方のアメリカもオバマ政権になって、”Pivot to Asia”、すなわちアジア重視の動きを見せています。こうした二つの動きはどのように関連していくのでしょうか。
現在、アメリカはひとつのジレンマを抱えています。今までNATO中心に考えられてきた政策に不満を持つ人びとが、これを契機に発言力を強めており、こうした人びとは、ヨーロッパは衰退の流れにあると見てアジアとの関係強化に向かうべきだと考えています。
国内でヨーロッパ、あるいはNATOを重視する人々と、アジアを重視する人々が分かれていて、そうした意味では次期大統領が誰になるかを含め、今後の展開を注意深く見ていく必要があります。
ただ、一つ気をつけなければならないのは、アメリカとロシアがどちらもアジアを重視する政策を取ったからといって、日本を含めアジアの国々が、アメリカかロシアのどちらかを選択しなければいけない、というわけではありません。日本も韓国も、アメリカとの同盟関係を維持しつつもロシアとの関係強化を行っているわけですし、アメリカとロシアは二者択一ではないのです。
日ロ関係の重要性
――次に、日本に目を転じて、日ロ関係が冷戦後どのように展開してきたのか、またそれがアジアの国際政治の文脈の中でどのような意味合いを持つのかについて、教えてください。
第二次世界大戦が終わったとき、その処理というのは冷戦という形をとったわけですが、この冷戦の開始が持つ意味合いとは、ヨーロッパではドイツが力を失ってソ連が閉めだされ、アジアでは日本が力を失ってソ連が閉めだされる、ということでした。
しかし、冷戦が終結すると今度は逆に、ドイツや日本が再び力を蓄え、ロシアが再び西側に受け入れられる、という現象が起こりました。これがグローバル化とともに進行したわけです。
先ほど、クリントン政権の対ロシア外交が、国民の冷戦終結観や移民ロビーなどのアメリカ国内の情勢によって決められる部分が大きいというお話をしましたが、これは実は当時の日本にとって悪い話ではありませんでした。
むしろクリントン政権の容認のもと、当時の橋本政権は積極的にこの状況を利用しようとしました。その結果が1997年以降の日ロの平和条約交渉であり、これが98年の川奈会談で一度ピークを迎えることになるのです。
余談ですが、このとき今回暗殺されたネムツォフは、来日してひとつの大きな役割を果たしました。クリントンがこれを認めたというのは、ヨーロッパではロシアに対して少し厳しい態度で臨む代わりに、アジアの方には「窓」を開けてやる、という思惑があったということです。
その流れは現在も一応続いていると考えることもできて、つまり、冷戦後それまで疎外されていたロシアを再び受け入れていく、そのプロセスと、日本が力を増していくプロセスは、実は相互に関係していたわけです。
さて、これまでアメリカとロシアと日本の関わり、という論じ方をしてきましたが、一方でアジアにはもう一つの大国、すなわち中国があります。
中国に関しては、鄧小平の時代までは一応「韜光養晦」というような、アメリカを始めとする西側の国々と事を荒立てずに、そのルールにのっとって付き合っていく、という低姿勢があったわけですが、しかし徐々に学界や軍などで、そうではなく、中国の独自のやり方を主張したり、現状に対する不満を表明したりするようになってきたという状況があります。
これをアメリカもロシアも認識していて、その意味で、中国に対するある程度のバランシングというものが必要ではないか、という考えを共有していると考えられます。
中ロ関係は親密なようですが、ロシアにしても、中国の力が圧倒的に大きくなりすぎてしまうと、単独で対処するのは難しくなります。ロシアにとって中国という存在は、何にも代えがたい経済的魅力であると同時に、安全保障上の大きな脅威なのです。
ここに日本も含めた協力の余地があるとも言えます。日本との関係で言えば、ロシアの発展に日本が協力する、その代わりにロシアから資源を輸入する、そういった関係があり得ると思います。
近年ロシアは外交的にも、中韓関係が蜜月期にあるのを快く思わない北朝鮮を利用して、仲介の労をとって南北会談を働きかけたり、拉致問題の話し合いを仲介したりするといった独自の役割を果たすようになっています。
こういう状況の中で、アメリカの一部の人びとが考えるように、ロシアに対してあまりに強い態度をとって追い込んでしまうと、今度は中国との協調により重点を移し、結局アメリカのためにもならない、ということになる可能性があると私は思います。
今後どうなる?日ロ関係
――最後に、現在の日ロ関係は制裁等もあり、必ずしも思うように進んでいない印象を受けますが、近い将来これは変わっていくと考えてよいのでしょうか。
昨年延期されたプーチン大統領の訪日が今年行われるとすると、日ロ関係はそれを契機に大きく進展する可能性があります。また、2年後にはプーチンが大統領選挙を迎えますので、それに向けてもエネルギー面での協力も進むかと思います。また、そもそも日本が現在行っている対ロ制裁は中堅幹部に対するものが多く、そこまで実効的なものではありません。
現在日本は安倍政権でロシアはプーチン政権ですが、外交というのは一種の化学反応があるようで、安部首相とプーチン大統領は、例えばオバマ大統領とプーチン大統領の関係に比べても、保守同士かつ双方が安定政権であるということもあり、波長が合う部分が大きいように思われます。
また安倍晋三首相の父親である安倍晋太郎は、ゴルバチョフ来日を実現させた人物であり、祖父にあたる岸信介は、1956年の日ソ共同宣言を締結した鳩山一郎政権において、自民党幹事長を務めていました。ロシアからすれば、安倍ファミリーは、鳩山ファミリーとならんで、非常に大きな対日アクセス・ポイントなのです。両国で現在の政権が続いているこの期間に、日ロ関係が強化されることは大いに考えられます。
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プロフィール
下斗米伸夫
1948年札幌市生まれ。法政大学法学部教授。2007年以降、プーチン大統領を囲むValdai クラブ委員
。著作に『ソ連政治と労働組合』(東大出版会)『日本冷戦史』(岩波書店)『プーチンはアジアをめざす』(NHK出版)など多数。