2015.09.19

反対意見を持つ相手を味方にする方法

D・カーネギー 作家

情報 #話す力

■反対意見を持つ相手を味方にする方法

 

第一次世界大戦の直後、米国上院議員ロッジ氏とハーバード大学ローレル学長が、ボストンで国際連盟についての公開討論を行なうことになりました。国際連盟は現在の国際連合の前身で、アメリカのウィルソン大統領が提唱したものです。ロッジ上院議員はそれに反対する中心人物です(最終的にアメリカ政府は国際連盟への加盟を断念しました)。

彼はボストンの聴衆の大半が自分の意見に反対しているのを感じていました。しかし、みんなを説得しなければなりません。どうすればいいのでしょうか? 聴衆の考えを正面から非難する? いや、それはだめだ――。彼は、抜け目のない心理学者でもあったため、自分の願いをそんな未熟なやり方で台なしにはしませんでした。

ロッジ議員はまず、「親愛なるアメリカ国民の皆さん」と呼びかけて、聴衆の愛国心に訴えかけました。聴衆との意見の相違を小さく感じさせ、同じように大切にしているものを強調したのです。

そして、敵である討論相手を称え、手法に関しては互いの意見に多少違いがあるもののアメリカの繁栄と世界の平和という重要な点に関しては一致している、という事実を指摘します。

最後には、自分は国際連盟のような組織自体には賛成だと述べ、討論相手と異なるのは、国際連盟よりも理想的で有効な組織が必要だと感じているだけなのだ、と締めくくっています。まるで、彼が聴衆と同じ意見を持っており相違があっても細部にすぎないかのようです。

敵に敬意と共感を示す

彼の話の冒頭を紹介しましょう。最大の敵である討論者でさえ、これには共感せざるを得ませんでした。

親愛なるアメリカ国民の皆さん。皆さんの前でこうしてお話しできる機会をいただき、ローレル学長に感謝いたします。

彼と私は長い友人であり、ふたりとも共和党員です。彼は、アメリカで最も重要で影響力のある大学の学長であり、政治研究家としても知られています。彼と私は、この大切な問題について異なる意見を持っていますが、その目的が、世界平和やアメリカの繁栄である点は同じです。

私自身の立場について、どうか一言だけ言わせてください。私は自分の考えを簡単な言葉で説明したいと思っていました。しかし、私が言ったことがわからず、おそらく誤解を抱いている人もいらっしゃいます。

私は国際連盟に反対していると言われているようですが、そんなことは決してありません。私は国々が、自由な国々が一体となって、私たちが連盟と呼ぶもの、あるいはフランス人が社会と呼ぶようなものになり、将来の世界平和や軍縮のために貢献することを心から望んでいます。

正面から相手の間違いを指摘しない

いくら相手が自分とは違う立場だと思っていたとしても、いきなり反対意見ではなく、このようにお互いの共通点から話を切り出されると、気持ちが和らいでしまいます。もっと聞いてみたい、とさえ思うでしょう。話し手の意見は、反対意見ではなく、公平な意見なのだと感じさせます。

ロッジ上院議員が、国際連盟を信じている人々に対して、それはとんでもない間違いであり幻想にすぎない、と冒頭で言ったらどうなっていたでしょうか? 無益な結果に終わるだけだったでしょう。歴史家ジェームズ・ロビンソン氏は、相手に正面きって間違いを指摘することの無益さをこう説明しています。

私たちは、ときに抵抗もなく、軽い気持ちで意見を変える。しかし、自分が間違っていると言われたら、非難されたと怒り、頑なになる。

驚くほど無頓着に信念を形成するのに、それが奪われそうになると、とんでもなく執着する。脅かされるのは考えではなく、プライドなのである。「私の」という小さな言葉がもっとも重要だ。夕食であろうと、犬であろうと、家であろうと、信念であろうと、国であろうと、神であろうと、「私の」ものであることが大事なのだ。時計が合っていないとか、車がみすぼらしいとか言われて怒るだけでなく、火星の運河や、エピクテトスの発音や、サリシンの医学的価値や、サルゴン1世の時代に関する知識を、訂正しなければならないときもあるだろう。

これまで真実だと思っていたことを真実だと思い続けたいし、これまでの考えに疑問が投げかけられると、その考えにしがみつくためのあらゆるいいわけを探そうとする。その結果、いわゆる推論と呼ばれるものは、すでに信じているものを信じつづける理由を見つける作業になるのだ。

▼自らのプライドを守るため、人は自説に執着する 

■相手に意見を変えさせる話し方

言い合いになれば、相手は心を固くして身構え、意見を変えにくくなります。いきなり「私は――を証明してみせます」と話し始めるのは、はたして賢明なことでしょうか? そう言われた相手は、「ではやってもらおうか」と挑戦的になってしまいます。

まずは自分と相手のどちらもが信じていることを強調し、そのあとで、誰もが答えを求めている疑問に触れるほうが賢明です。聞き手と一緒にその答えを考えるのです。その過程で、話し手であるあなたが事実を提示し、相手があなたの結論を無意識のうちに自分自身の結論として受け入れるよう導きます。

聞き手は、自分自身が見つけたと思う真実を、より強く信じる傾向があります。

どんなに意見が大きく離れていても、共通の基盤は必ず見つかります。それをもとに、聞き手とともに事実を追究していくというストーリーにしていくのです。

たとえば、全国組織の労働組合の委員長がアメリカ銀行協会の大会で演説をするときでさえ、話し手と聞き手の間には、共通の信念や願望があるはずです。その実例を見てみましょう。

貧困はいつの時代においても人間社会の悲惨な問題の一つです。私たちは、アメリカ人として、いつでもできるかぎり、貧しい人々の苦しみを軽くする義務があると常に感じています。

アメリカは寛大な国です。不幸な人々のために、これほど気前よくこれほど無欲に富を分け与えた国民は、歴史上いません。ここで過去に私たちが示したのと同じ寛大さと博愛精神で、私たちの産業に関する事実を一緒に考えてみましょう。そして、貧困という悪を弱らせるだけでなく防ぐために、私たちにとって公正で、受け入れ可能な手段がないか探してみましょう。

こう言われて、反論できる人がいるでしょうか? まずいません。第6章で迫力とエネルギー、それに情熱を称えたことと、矛盾すると思われますか? どんなことにも最適なタイミングがあります。迫力が必要なのは冒頭ではありません。如才のなさも冒頭では必要ありません。

一緒に解決すべき疑問を投げかける

アメリカの政治家パトリック・ヘンリーは1775年、イギリスからの独立を主張する名演説を行ないました。

「自由を与えよ。さもなくば死を」という、この演説を締めくくった言葉は、アメリカの学生なら誰でも知っているほど有名です。

しかし、この歴史に残る、情熱的で感情的なスピーチの冒頭が、比較的穏やかで巧みに始まっていることに気づいている人は多くありません。当時、アメリカの植民地は英国と独立をかけて戦争すべきかどうかが盛んに議論されていました。パトリック・ヘンリーは、独立への情熱を熱く燃やしていましたが、演説の冒頭ではまず、反対派の能力を褒め、愛国心を称えました。それから、聞き手に質問を投げかけることで、ともに考え、聞き手が自ら結論を出せるよう導き始めます。それを見てください。

私は誰よりも愛国心を重んじています。また、議会を代表して演説をした人々の能力を誰よりも高く評価しています。

しかし、ものの見方は人によって違います。ですから、私が異なる意見を持ち、その気持ちを自由に率直に述べることを、失礼と思われないことを望みます。

これは儀式ではありません。議会に突きつけられたこの問いは、この国にとって大変重要なものです。私自身は、自由や奴隷制度という問題と同じくらい大事だと考えています。そのテーマの大きさに比例して、議論する自由があるべきです。そうすることによってのみ、私たちは真実に到達し、神と国に対して大きな責任を果たすことを望めるのです。そのようなときに意見を言わずにいるのは、私にとって何よりも大切な国を裏切り、神に背を向ける罪の行為だと考えます。

人が希望という幻想にふけるのは自然なことです。痛ましい事実には目をつぶりたいし、我が身を獣に変えられるまでセイレーンの歌を聞いていたいのです。

しかし、それは、自由を求める闘いに関わる賢明な人のすることでしょうか。私たちは、目でものを見ず耳で音を聞かずに、一時的な救済のみを求める多くの人々と同じなのでしょうか。私は、どんなにつらくても、すべての真実を知りたいと思っています。最悪の事態を知り、それに備えたいのです。

▼反対意見であっても、いきなり相手を否定しない

■本記事はD・カーネギー『話す力』からの転載です。

プロフィール

D・カーネギー作家

アメリカ・ミズーリ州に生まれる。セールスマンなどの仕事を経て、YMCAの夜間学校で「話し方」の講座を受け持つようになる。講座用テキストとして執筆された本書がベストセラーに。その後に発表された『人を動かす』と『道は開ける』は、ビジネス書・自己啓発書の名著として現在も世界中で広く読み継がれている。

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