2018.01.29

安保法制をめぐる「神学論争」をこえて――PSIと自衛隊の「武力の行使」

『「軍」としての自衛隊』著者、津山謙氏インタビュー

情報 #新刊インタビュー#PSI#「軍」としての自衛隊

冷戦終結を契機として、自衛隊の任務および地理的な活動領域は徐々に拡大・深化してきた。そして、PSI参加を契機に、自衛隊は他国軍との間で「武力の行使」を含む本格的な軍事演習を繰り広げている。「集団的自衛権の行使」が合法となったいま、「神学論争」から脱却するためにいかなる安全保障論議が必要なのか? 『「軍」としての自衛隊』著者、津山謙氏に話を伺った。(聞き手・構成 / 芹沢一也) 

PSIとは何か?

――PSI(Proliferation Security Initiative)とは、どのような安全保障レジームなのでしょうか?

PSIとは、核兵器等の大量破壊兵器、あるいはミサイルなどの運搬手段の拡散を食い止めるための国際的な取り組みです。911同時多発テロ事件からイラク戦争に至る「テロとの闘い」の一環として、2003年に米国主導で成立しました。これは米国が新たに提起した「拡散対抗」という考え方にもとづいています。

PSIは同盟でもなく、条約でもなく、国際機構でもありません。大変ユニークなレジームで、それは「行動」であるとされています。参加国にも特段の義務が課されていません。ですが、平時から参加国の軍、それから法執行機関等が継続して協力することで、一定の成果をあげています。また、多国間枠組での共同演習(PSI合同阻止訓練)が盛んに行われるなど、アクティブな取り組みだといえます。現在、100カ国以上が参加する地球大の取り組みとなっています。

――日本がPSIに参加した経緯はどのようなものだったのでしょうか?

日本はブッシュ大統領(当時)がPSI構想を発表した2003年5月31日に、構想への参加を表明しました。以後、11ヶ国しかないオリジナルメンバー(コアメンバー)の一国として、一貫して構想を主導する側にあります。

とはいえ、PSIにおいて具体的にどんな任務が想定されるのか、外務省、防衛庁(当時)をはじめ日本政府の全省庁がほとんど把握していませんでした。にもかかわらず、米国からの呼びかけに条件反射的に賛同し、参加を決めたというのが実態でした。実際、参加決定後に米国から示されたPSIの詳しい青写真をみて、日本政府は大いに躊躇い、悩み、苦慮した姿がうかがえます。

というのも、大量破壊兵器等を拡散する主体は犯罪集団だけではないからです。むしろ、北朝鮮やイランなどの主権国家が拡散をすることが警戒されています。ということは、実際のPSI活動においては、大量破壊兵器を積載したこれらの国の船舶に対して、日本を含むPSI参加国が臨検、押収などをする事態が考えられます。

実際、米国がPSIの必要性を痛感したのは、大量破壊兵器関連物資を積載した北朝鮮船(ソ・サン号)を公海上で停止させたのに、輸出を阻止する法的な根拠も、同盟国間の協力体制もなかったため、野放しにしてしまった苦い経験があったからです。

――これまで外国船に手が出せなかったのに、PSIによって臨検や押収ができるようになるわけですよね。どこに問題があるのでしょうか?

公海上を航行する外国船に対し、同意もないのに臨検を行うことは「武力の行使」にあたりますが、米国の狙いはまさにここにありました。そして、日本政府が困ったのもここです。

それではPSIは「武力の行使のスキーム」となってしまうからです。どの国を害するかわからない物資を封じ込めるために、公海上で他国と共同して「武力の行使」を行うことなど、現行憲法下でできるはずがありません。「テロとの闘い」という大義には賛同した日本政府でしたが、違憲の疑いのある活動には参加できませんし、まして戦争に巻き込まれるわけにはいかないのです。

――なるほど、憲法にひっかかる可能性があるわけですね。

そうです。そのため、日本はPSI構想を固める国際会議において、この構想が参加国に一切の義務を課さない緩やかなスキームとなるよう外交的な努力をしました。また、同様の懸念を抱く他のコアメンバーとも協力し、PSIを「法執行の取組」であると定義することで、日本政府は「法執行活動」の範囲内に限って構想に参画し、「武力の行使」にあたるオペレーションへの参加を回避できる逃げ道をつくりました。

同盟でもなく、条約でもなく、国際機関でもなく、「行動」であるというPSIのユニークさは、こうした日本政府等の外交的努力にも由来します。このような経緯はこれまでほとんど知られていませんでしたが、私は政府から開示された未公開資料を中心に、PSI成立の経緯と日本政府の対応の様子を実証的に解明しました。

――結局、PSIでの自衛隊の活動は「武力の行使」に当たらない、つまり憲法に抵触しない、という理解でよいのでしょうか?

まさにそこが難しいところです。その後の日本のPSIへの関与をみると、それが「法執行の取組」にとどまるかどうか疑問を抱かせるものがあります。実際、PSI活動の主役のひとつは自衛隊です。無論、自衛隊が「法執行活動」を実施することは可能ではありますが、しかしその根拠法や執行手続きなどはすべて曖昧なままです。そもそも、臨検など「武力の行使」にあたらないかたちで、どんなPSI阻止活動が可能なのかはまったく不明です。

さらに、自衛隊は2005年から他国軍との共同訓練(PSI合同阻止訓練)に繰り返し参加し、また自らすすんで主催もしています。これは自衛隊が初めて参加した「本格的で実質的なオペレーション」の多国間演習です。

特筆すべきは、自衛隊、とくに制服組の強い要望があり、さらには、彼らによる米海軍等への「軍・軍関係」をテコにした働きかけもあって、自衛隊のPSI参加が実現した可能性が非常に高いということです。「武力の行使」の可能性が排除されない安全保障レジームに、自衛隊の強い意向と自衛隊による他国への働きかけがあって参加が実現したという事実は、戦後の安全保障政策史のひとつの転機であった可能性があるといえます。

――どういった点で、安全保障政策の転機だったのでしょうか?

PSI参加以前の政府解釈では、自衛隊は「多国間共同演習には参加できない」ということになっていました。日米安全保障条約にもとづかない他国軍との共同軍事行動は、「集団的自衛権の行使」につながる恐れがあり、憲法上も、また、政治的にも困難だからです。

かつてリムパック演習に自衛隊が初参加した際に大問題になりましたが、そのときは「多国間演習が行われているなかで、たまたま日米の二国間演習が行われている」という、信じられないような説明がなされ、以後、歴代の政権にこの政府見解は踏襲されてきました。

しかし、PSI合同阻止訓練への参加を皮切りにして、自衛隊は多数の多国間共同訓練に参加し、むしろ、積極的に主催するようになっています。そして、かつては「日米の二国間演習」と説明されてきたリムパック演習にも、今や堂々と「多国間共同訓練」として自衛隊が参加しており、そこでフルスペックの軍事演習をしています。

しかし、なぜ、従来の政府見解が変化したのか、今に至るまで何の公的な説明もありません。そして、これら多国間枠組での軍事演習を通じて、自衛隊は立派な「軍」としてオーストラリア、インド、英国などの「軍」と、「準・同盟関係」ともいえる緊密な協力体制を構築するに至っています。こうしたことの契機のひとつとなったのがPSIであったことは、これまでメディアでもアカデミアでもあまり注目されなかったことです。

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「武力の行使」と「武器の使用」

――「集団的自衛権」の行使とみなされかねない多国間演習への自衛隊の参加が、いつのまにか常態化しているということですね。ところで、先ほどから出ている「武力の行使」ですが、「法執行活動」における「武器の使用」との線引きが問題になります。このふたつはどう使い分けられているのでしょうか?

「武力の行使」とは本来、「武器の使用」のなかに包摂される概念ですが、日本政府は一貫して、ふたつを別の法的概念として区別してきました。端的に言えば、「国家間の紛争」が「武力の行使」にあたり、それ以外は「武器の使用」となります。

憲法9条は「自衛権の発動」以外の「武力の行使」を認めていませんから、自衛隊の海外活動において銃火器等の使用が想定される場合は、それが「武力の行使」にあたるか「武器の使用」にとどまるのかという点が、合憲性の観点から最大の焦点となります。

――「軍」としての活動か、「警察」としての活動かが、そこで分かれるわけですね。

そうです。「国家間の紛争」という場合、紛争をする相手のことを「国又は国に準ずる組織」といいます。略して「国準(くにじゅん)」と呼ぶこともあります。

相手が夜盗や山賊である限り、自衛隊がやむを得ず彼らに発砲することになっても、それは警察が強盗にピストルを撃つのと変わらない「武器の使用」となります。これは現行憲法下でも容認される「法執行活動」となります。

しかし、一定の要件を備えた武装集団は「国準」にあたることがあります。その場合、PKO任務が「国家間の紛争」に発展する恐れはあるわけです。もっとも、国連決議に基づくPKO活動が「武力の行使」に発展しても、それはあくまで「国連のミッション」であり、日本政府が「国権の発動」として「武力の行使」をしたことにはならないとする議論もあります。

しかし日本政府は一貫して「国」あるいは「国準」と交戦する可能性を、きわめて慎重に避けてきました。先の南スーダンからのPKO部隊の撤収をめぐる議論も、この文脈で考えるとわかり易いでしょう。

――同様の観点から、海外での自衛隊の活動を評価する道具立てとして、「同盟深化アプローチ」と「国際貢献アプローチ」が駆使されていますね。

はい。本書では「同盟深化アプローチ」と「国際貢献アプローチ」というふたつの解釈軸を使用しました。それは自衛隊の活動、とくに海外任務に関わる政策類型を、「武力の行使」を前提としたものか、「武器の使用」にとどまるものかという、法解釈の観点から分類したものです。

非常に簡単に言えば、「同盟深化アプローチ」とは「国家間の紛争」つまり「戦争」を前提にしたものであり、「国際貢献アプローチ」は主に国連等の要請によって国際法、国内法等の「法執行」を行うもの、といえるでしょう。

現行憲法は「自衛権の行使」しか認めておらず、また、国会(参議院)が「海外派兵を認めない」とした決議は今も生きています。したがって、戦後の自衛隊の海外任務は、国連PKO活動や災害救助活動などの「国際貢献アプローチ」に属するものから始まりました。

1992年にカンボジアに自衛隊がPKO任務に派遣されて以来、今や国連平和活動への協力活動は自衛隊の本来任務のひとつとなっています。また、世界各地で頻発する大規模災害等での救助活動でも、自衛隊は大きな存在感を誇っており、こうした活動の内容と地理的領域は一貫して拡大を続けてきました。これらは「武器の使用」にとどまる限り、少なくとも合憲性の観点からは問題とならない、というのが一貫した政府解釈です。

――「同盟深化アプローチ」の方はいかがでしょうか?

冷戦終結後、1990年代から日米同盟が世界規模で再定義されたことから、「同盟深化アプローチ」による自衛隊の海外活動も模索されてきました。2000年代には「テロとの闘い」という「戦争」をする米国を支援すべく、インド洋での補給活動などの取り組みも行われました。日米同盟が「価値観外交」あるいは「自由と繁栄の弧」といった権力政治的な大戦略(グランド・ストラテジー)と関連して説明されたのもこの頃です。

また、日米同盟が多国間枠組へと発展する傾向もあらわれ、2010年代には先に述べたオーストラリア、インド、英国などと、事実上の「準・同盟」を志向する動きも広がりました。自公政権から民主党政権、そしてまた自公政権へという政権交代を経ても、「同盟深化アプローチ」の拡大・深化は継続してきました。

2014年の「集団的自衛権の行使」容認、そして、2015年の安保法制の成立を経た今、安倍政権は「インド太平洋戦略」を軸に、同盟国および「準・同盟国」に、安全保障政策のグローバルな連携を呼びかけています。これも「同盟深化アプローチ」に分類される政策類型となり得るものといえます。

ただし、安保法制の成立によってもなお、無制限の「集団的自衛権の行使」が容認されたわけではありません。少なくとも現行憲法下においては、「同盟深化アプローチ」はつねに合憲性の観点から慎重な判断が要求され、政策的な制約が課せられると考えられます。

――とてもクリアに理解できました。日本政府はPSIにおける自衛隊の活動を、「国際貢献アプローチ」として正当化したいのですね?

はい。日本政府はPSIを「法執行の枠組」ととらえ、その限りにおいて大量破壊兵器等の拡散阻止活動、つまり「PSI阻止活動」を行うとしています。そして日本政府が主張する通り、実際のPSI阻止活動において自衛隊が「武力の行使」を行う可能性がなく、その任務が「武器の使用」にとどまるのであれば、それは「国際貢献アプローチ」に分類される政策類型となります。

しかし、実際にそうであるかは非常に疑わしいものがあります。まず、現行法上、自衛隊が「法執行」としてのPSI活動を行う国内法的な根拠が乏しいことは、PSI参加当初から、外務省条約局(現・国際法局)や防衛庁が認めてきたことです。

また、実際のオペレーションにおいて、相手国の同意を得ずに「臨検」を行えば、それは「武力の行使」にあたり、「戦争」状態になりかねないことは先に述べた通りです。実際のところ、公海上等で外国船への「臨検」を行わずに大量破壊兵器等の拡散が阻止できるのかはきわめて疑問ですが、にもかかわらず、自衛隊がPSI阻止活動に従事しているのは「奇妙な状況」といえます。

また、自衛隊はPSI阻止活動の実効性を確保するために、多国間枠組での共同訓練(PSI合同阻止訓練)を繰り返し実施していることも先に述べた通りです。PSI合同阻止訓練では、「武力の行使」にあたる軍事作戦の演習が行われているようですが、自衛隊がどのような法的根拠にもとづいてこうした任務に従事できるのか、まったく曖昧なまま訓練への参加が行われ、他国軍との「軍・軍関係」が拡大・深化してきたという事実があります。

さらに自衛隊は、「警戒監視活動」によって得た情報を、他のPSI参加国に提供しているとされます。しかし、自衛隊から提供された情報をもとに他国軍が「武力の行使」を行えば、「武力行使との一体化」の議論を惹起する恐れがあるはずです。実際、2015年の安保法制の審議の際には、この点を疑問視する議論も聞かれましたが、これについて政府はまだ明確な説明をしていません。

これらの点を勘案すると、自衛隊のPSI活動は第一義的には「国際貢献アプローチ」に分類されるとはいえ、「同盟深化アプローチ」に接続、あるいは転換する可能性があるといえます。繰り返しになりますが、こうしたレジームに2003年から参加してきたということは、日本の安全保障政策史上、特筆されるべき事柄ではないでしょうか。

――そうした経緯を踏まえて、自衛隊は「軍」としての活動実態を備えるに至ったと述べられていますね。

自衛隊は「個別的自衛権」を行使するために、他国軍と遜色ない要員・装備、そして、法的根拠を整備してきました。しかし、近年では自国のみならず、「国際社会の安定」を維持したり、「集団的自衛権」を行使して他国を防衛しようとしています。その際には、PSIのような国際的取組を推進したり、多国間枠組での緊密な安全保障ネットワークを構築し、海外での「武力の行使」も可能にしたりしています。これらは一般的な通念上、「軍」としての活動実態といえるのではないでしょうか。

事実、自衛隊は「軍」として他国軍と接し、「軍・軍関係」を拡大・深化させています。安倍総理が国会答弁で多国間共同訓練の意義を説明する際に、自衛隊を指して「我が軍」と口を滑らせたのは、こうした実態をみると頷ける話ではありますね。

安保法制をめぐる「神学論争」をこえて

――お聞きしていると、PSIでの自衛隊の活動は、「戦争」行為に転化しかねないという印象を持ちます。

現実に今、北朝鮮の核・ミサイル戦力が完成しつつあります。そして、米国トランプ政権は、北朝鮮に対するPSI活動を強化するよう、国際社会に訴えています。

もし、北朝鮮が核搭載ミサイルを米国の敵性国に運搬しようとしているのを発見したら、自衛隊は黙ってこれを見過ごすことができるでしょうか。あるいは北朝鮮に対する制裁のレベルがさらに上がり、我が国の同盟国もしくは準・同盟国が本格的な海上封鎖を実施するとします。そのような状況下で、北朝鮮に大量破壊兵器等を積み込もうとする船舶を自衛隊が発見した場合、そのまま運搬を許すことは現実的でしょうか。

しかし、それらのケースにおいて自衛隊が実際にPSI阻止活動を行い、旗国の同意なく船舶を臨検、拿捕、破壊、そして積載貨物の押収といったことを行えば、それは「武力の行使」にあたり、「同盟深化アプローチ」に転換することになります。それは「集団的自衛権の行使」にあたる可能性が高く、自衛隊は「戦争」をすることを意味します。

PSIとは本質的にそうした可能性を孕んでいるわけです。そして、そうした可能性のある活動枠組に、日本は2003年から参加し続けてきたことは事実なのです。

――津山先生は先の安保法制審議の際の喧騒をどう見ていましたか? 「集団的自衛権」をめぐって侃々諤々の議論がなされましたが、お話を聞いていると、そのときにはすでに「集団的自衛権」の行使は実質的になされていたとみなしてよいと思うのですが。

安保法制が成立する10年以上も前から、自衛隊は「多国間安全保障協力」の実績を積み重ねてきました。この間、自公政権、民主党政権、そして自公政権へと2度にわたる政権交代がありましたが、この「多国間安全保障協力」という政策軸は一貫しており、それは「国際貢献アプローチ」だけでなく、「同盟深化アプローチ」も含むかたちで展開されてきました。この間、立法府において「多国間安全保障協力」が少なくとも合憲性の観点から争点となったことはありません。

とくにPSI参加以後、自衛隊は「訓練」とはいえ他国軍との間で「武力の行使」を含む本格的な多国間の軍事演習を繰り広げ、「軍」として「軍・軍関係」を拡大・深化させてきたという事実があります。こうした「多国間安全保障協力」の実績が、重要な前提事実であったはずです。先の安保法制の審議をするにあたっては、これらを「立法事実」として踏まえた上で、戦略あるいは政策としての必要性、妥当性が議論されると私は考えていました。

しかし、政府・与党側は安保法制の前提となる具体的な「立法事実」を何ひとつ示しませんでした。法案作成に至る経緯も不明であり、どんな作戦を想定して法案が提出されたのかもわからない。これでは、国益の観点から必要性、妥当性を審議することは困難です。

一方、野党側の批判の多くは憲法論議に終始しました。とくに、一部野党が法案全体に「戦争法」という「レッテル貼り」をしてしまったことで、戦略あるいは政策としての必要性、妥当性がほとんど議論されなくなりました。「護憲」を主張する人々は、現行憲法下でどのように国が守られてきたのか、今後どのように人々の幸福を守っていくのか、具体的に提示する必要があったはずです。

そのため、与野党双方の議論がまったく噛み合わないまま、全体として「神学論争」に終始してしまい、国民としては何がどう変わるのかほとんどわからないまま、ただ国論が分裂して終わったきらいがあります。将来の日本国民のためにも、非常に残念なことであったと思います。

――政府は自衛隊の多国間演習参加については言及しなかったのですか?

いえ。国会審議の最後の段階において、安倍政権は「自衛隊はすでに共同訓練に参加している」という事実をもって、安保法制を成立させるべき理由のひとつだと言い出しました。自衛隊が海外で「武力の行使」を含む多国間共同訓練に参加しているという事実があるにもかかわらず、その根拠法がないというのです。

本来ならば一番先にこうした前提が「立法事実」として確認されるべきだったのではないでしょうか。根拠法もないのに、なぜ、自衛隊はこうした海外活動を拡大・深化させてきたのか。

他国軍との協力関係の拡大・深化は、自衛隊の能力構築にどのような効果があり、我が国の安全にどのように貢献してきたのか。今後、具体的にどのような任務が必要とされ、どのような法的措置が必要になるのか。こうしたことがきちんと議論され、国民の間で共有されるべきだったと考えますが、審議最終盤の喧噪の中ではそうしたことは望むべくもありませんでした。

――違憲か合憲かという憲法論議から、「現実」ははるか遠くに来てしまっているのだと実感します。

戦後、自衛隊の創設時からずっと、日本は「吉田ドクトリン」と称される基本政策を採用してきました。安全保障政策という点では、自衛隊の「防衛力」は日本を防衛する目的に限定され、活動領域は日本本土および近海に限られていました。

当然ながら、海外における自衛隊の活動はまったく想定されていませんでした。自衛隊は「個別的自衛権の行使」のみの「専守防衛」に徹し、敵の根拠地を叩くことなど、たとえ自衛のためであっても「できない」とされてきました(ただし、「敵基地攻撃」自体は「合憲」とされてきましたが)。仮にこの「当初の政策群」を「安全保障政策1.0」とします。

先に申し上げた通り、冷戦終結を契機として、自衛隊の任務および地理的な活動領域は徐々に拡大・深化を遂げてきました。それはいわば、「安全保障政策1.1」、「安全保障政策1.2」、「安全保障政策1.3」…と変容していく過程だったといえます。

本土および近海に限定されていた自衛隊の活動領域は、「国際貢献アプローチ」の採用を契機に海外に拡大しました。また、自衛隊が米国とともに使用する「軍事力」は、世界規模の米軍戦略との関連で再定義され、海外における「武力の行使」も排除されない「同盟深化アプローチ」も、法的、能力的に可能となっています。

今や「集団的自衛権の行使」は合法とされ、自衛隊は本格的に敵基地攻撃能力の獲得を検討する段階に差し掛かっており、ついに憲法9条の改正が政治日程に乗る可能性が取り沙汰されています。こうして少しづつ変容した結果としての「現在の政策群」を「安全保障政策2.0」と名づけ、かつての「安全保障政策1.0」と比較してみると、もはやまるで違う姿になっていることに気づかされます。

――そうしたなか、日本の安全保障について、今後どのような議論が必要なのでしょうか?

今後の議論について言えば、これまで日本の安全保障政策が変容してきた経緯と、そうした変容を余儀なくさせた安全保障環境の変化を正しく認識することが大切だと思います。これは左右どちらの政治的立場であっても同じです。

先の安保法制の議論の際、首相補佐官が「法的安定性」を無視する発言をして物議を醸しましたが、「法的安定性」を重要視する人々こそ、安全保障環境が変化し続け、安全保障政策も変容してきたという事実を踏まえて、一連の政策群のどこに「法的安定性」があり、どこが変容してきたのかを精緻に議論すべきでしょう。

理想主義は結構ですが、教条的な「絶対平和主義」を唱えるだけでは、永遠に「神学論争」からは脱却できません。かえって我が国の平和と安全を害する主張をし、いたずらに国論を分裂させて終わりにし、平和とは逆の方向に国家を導きかねません。

それは、現実主義(リアリズム)の立場から安全保障政策を積極的に推進したい人々も同様です。現実的な必要性、妥当性を論理的に示すことなく、いたずらに「危機」や「脅威」を喧伝し、国民の不安心理を煽って特定の政策を推進することは厳に慎むべきです。

国家の防衛体制に隙があっては困りますが、国家の実力装置が民主的統制、立憲的統制から離れ、暴走することがあれば、途方もない悲劇に直結しかねないことも、厳然とした歴史の教訓です。現実の安全保障環境がいかに変化し、具体的にどのような政策が必要なのか、主権者たる国民にきちんとその「立法事実」とともに説明し、民主的、立憲的手続きに沿って国策を決定していくことが、長い目でみて真の国益に叶うことではないでしょうか。

その意味で、海外での「武力の行使」も想定され得るPSIへの参加、そして、これを契機とした多国間安全保障協力の拡大・深化という、すでに進行中の安全保障政策の大変化が国民にほとんど認識されないまま、安保法制をめぐる「神学論争」で国論が分裂したことは、きわめて重大な事態だったと私は考えています。アカデミアに属する研究者として、そして現実の政策実務に従事する者として、私がこの本を執筆した最大の理由はここにあります。

プロフィール

津山謙国会議員政策担当秘書

1973年生まれ。筑波大学大学院国際政治経済学研究科博士課程前期修了(国際政治経済学修士)。ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(公共政策学修士:MPA)。早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係学専攻後期博士課程修了(学術博士:Ph.D.)。
国会議員政策担当秘書資格試験に合格し、2012年より現職。NSC設置法、特定秘密保護法、平和安全法制など安全保障関連をはじめ、多くの法律の審議・成立に携わる。政策実務の傍ら、ハーバード大学ベルファー研究所リサーチ・アソシエート、星槎大学客員研究員を兼務。
主要論文に、Rising Sun in the New West, The American Interest, Vol.7, No.5, 2012(Richard Rosecrance, Mayumi Fukushimaと共著)、「「新しい西洋」を主導するのは日本だ――日本のNATO加盟が世界を変える」『中央公論』2012年6月号(R. ローズクランス、福島麻友美と共著)、「PSIスキームと日本外交・安全保障政策――その経緯、法的基盤、意義」『早稲田大学アジア太平洋研究科論集』第28号(2014年)、「自衛隊の多国間共同訓練――「多国間安全保障協力」のひとつの態様として」『早稲田大学アジア太平洋研究科論集』第31号(2016年)など。

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