2018.07.04

日本は学歴分断社会である――真の共生社会に向けて

『日本の分断』著者、吉川徹氏インタビュー

情報 #新刊インタビュー#「新しいリベラル」を構想するために

若年/壮年、男/女、大卒/非大卒の組み合わせからなる「8人」のプレイヤーが支える日本社会。だが、この「8人」のプレイヤーが歩む人生の岐路は、格差に満ちたきわめて不平等なものである。その元凶にあるのが「学歴」だ。容易に是正することのできない「学歴分断社会」を前に、われわれは今どう考えるべきなのか? 『日本の分断』の著者、吉川徹氏に話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也)

――本日は光文社新書から『日本の分断 切り離される非大卒若者(レッグス)たち』を出版された吉川徹先生にお話を伺います。最初に本書のコンセプトを教えていただけますか。

まず、日本が学歴分断社会への歩みを進めているということを、多くの人に伝えたいという思いが強くありました。

そのためには、今の日本では、大学に進学するかしないかということで、人生・生活に大きな格差が生じているという現実にきちんと向き合わなければなりません。これは、だれもが本当は気づいている公然の事実なのではないかと思います。しかしわたしたちは、学歴による格差をとかくタブー視しがちです。

――たしかにさまざまな格差が問題になっているのに、学歴による格差が議論されるのは耳にしません。なぜでしょうか?

その理由を突き詰めると、根源にあるのは、学校教育が成績によって同年生まれの人たちに上下の序列を付け、「中卒」「高卒」「大卒」…という公的なラベルを貼って、社会に送り出すはたらきをする「正規の格差生成装置」となっているということです。

学歴が「元凶」だとわかっていても「格差を是正するために、学歴差をなくしてしまおう!」とまで叫ぶわけにはいきません。

それでも本書では、社会調査に基づく否応のないエビデンスとして、学歴分断の諸局面が描き出されていきます。解決の困難なこの現実から目をそむけることなく、また安易に倫理観を振りかざすことなく、しっかり向き合うことが、深刻な分断を回避するための大前提だと思います。

――本書では「8人」のプレイヤーが社会を支えているとされていますね。

本書では20歳以上60歳未満の男女を現役世代としています。これは、経済成長、少子化対策、男女共同参画、働き方改革、税と社会保障の問題など、現代日本の諸課題の担い手となっている世代です。これを若年/壮年、男/女、大卒/非大卒で切り分けると、次のようなプロフィールがみえてきます。

まず、最上位にいるのは壮年大卒男性(構成比率約10.8%)です。彼らは多くの面で少し取り過ぎかと思われるほど有利な状態にあります。それは、社会の骨組みがまだ安定していた20世紀の「人生の勝ちパターン」にギリギリ乗ることができた人たちだからです。

結果として、多くが転職や離職の経験をもたず、安定した家庭を築き、ポジティブな気持ちで社会を牽引しています。世帯年収は約890万円、9人に1人が管理職で、子ども数は1.63人です。

――40歳以上の大卒男性が、いわゆる「勝ち組」になるわけですね。同じ世代の大卒女性もそうですか?

壮年大卒女性(構成比率約9.7%)は、既婚率が高く、世帯の暮らしには比較的ゆとりがあり、独身キャリア女性から既婚の専業主婦まで、多様な人生を歩んでいます。こうした生活の余裕と柔軟性を背景に、彼女たちは高級消費や文化的活動に積極性を発揮しています。現代日本の生活・文化局面を支えるのに欠かせない人たちだということです。世帯年収は約850万円、子ども数は1.72人です。

――ブランドやグルメ、アートや習い事などにお金をかけられる層ですね。大卒の若い女性にも同じようなイメージがあります。

若年大卒女性(構成比率約11.3%)は、職業キャリア、結婚、出産育児などについてライフコース進行の序盤にあるため、壮年大卒女性以上に多様な生活パターンの人たちの集まりになっています。

それでも満足度や幸福感が「8人」の中で最も高く、文化的活動や国際的な活動にも広く目を向ける傾向がみられます。世帯年収は約680万円と比較的豊かですが、子ども数は少なく0.91人にとどまっています。

――大卒の若い男性はいかがでしょうか?

若年大卒男性(構成比率約11.8%)は、上の世代の大卒男性ほどは社会と積極的にかかわっているわけではありませんが、それでも若年層の「4人」のなかでは、政治や仕事にもっともしっかり向き合っています。

ただし、結婚して子どもを育てるという家族形成に遅れが目立ち、現代若者に特有の将来不安も抱いています。世帯年収は同世代の大卒女性よりやや少ない約650万円、子ども数はわずか0.84人です。

――将来不安があっても、経済的にはやはり恵まれていますね。他方で、大学を卒業していない人たちにはどのような特徴がありますか?

まず40歳以上の人びとから考えましょう。壮年非大卒男性(構成比率約16.8%)と壮年非大卒女性(構成比率約17.6%)は、やはり20世紀からの時代の流れのなかで、産業経済セクターの中間あたりに手堅く居場所を確保している人たちが多いようです。世帯年収はほぼ600万円台前半で、職業的地位も高いわけではありませんが、既婚率と子ども数では他の人びとを上回っています。現役世代の3割を占めるこの層の堅実さは、日本社会の安定に寄与しているとみることができるでしょう。

――バブル崩壊前にポジションを確保していたわけですね。「失われた20年」といわれる時期に社会に出た非大卒層は厳しそうな気がします。

そのとおりです。20~30代の若年非大卒男性(構成比率11.2%)、若年非大卒女性(構成比率10.8%)に目を転じると、かれらは経済力、職業、家族関係などで、他の「6人」に数歩の後れをとっています。政治や社会参加、文化的活動などについてもきわめて消極的です。世帯年数は男女とも約500万円程度と、他よりも低い水準にあります。

このように、現役世代の「8人」には学歴による分断傾向があり、しかもその度合いは、世代と性別によって異なっていて、とくに若年非大卒男性の凹みが際立つ結果になっています。

――冒頭で指摘された学歴による分断が、この「8人」のあいだには走っているわけですね。

はい。互いに競合する同性の同世代を見比べると、大卒層と非大卒層には、就いている職種や産業、管理職への昇進のチャンス、仕事を失うリスクの大きさ、求職時の有利・不利、そして賃金などにおいて明らかな格差があります。壮年層の世帯年収でみると、その差は約250万円です。さらに、大卒層と非大卒層では、ものの考え方や生活様式も異なっています。

加えて、若年大卒層の父母の約5割が同じ大卒層であるのに対し、若年非大卒層の父母は約8割が同じ非大卒層です。つまり学歴の世代間再生産傾向が明瞭にみられるのです。さらに大卒同士、非大卒同士が結婚する学歴同類婚の夫婦は、現役世代の夫婦のほぼ7割を占めます。

そして大卒学歴をもつ父母の8割以上は、子どもの大学進学を望んでいますが、非大卒の父母では6割以下にとどまっており、大学進学志向の温度差もはっきりしています。

――大卒同士が結婚して、その子どもが大学に進学することによって、学歴による格差が再生産されている。

そうです。これらを総合すると、現代日本では、大学・短大に進学するかしないかの選択が、その後の人生を分断しており、しかもこの構造が世代を超えて繰り返されはじめているということがいえます。

結果として現在、友人関係や恋愛や結婚においても、同じ学歴同士の結びつきが強くなり、日常生活において異なる学歴の人と接する機会が少ないという、人間関係の断絶がはっきりしはじめています。これは、現代日本社会では、他社会における階級やエスニシティのように、学歴が社会の分断を生じさせる主たる要因になっているということです。

――学歴がものをいう社会であるにもかかわらず、日本は再チャレンジの機会が乏しい社会だといわれます。

まず、日本では大学の学費の私的負担が大きい割に、大卒学歴の収益率が高くありません。ですから、人生の途上で大卒学歴を得たとしても、他社会のようにすぐに元がとれるわけではありませんし、象徴的な価値(社会的に高い評価)がついてくるわけでもありません。

実際、人生の途上で学歴に関する再チャレンジができるとみなしている人は多くはなく、結局、人生・生活を決定的に左右するのは、高校卒業後にどのような進路をとったかということになります。この実態を社会全体が了解しているから、日本人にとって、高卒時に選び取る最終学歴は、変更しえないアイデンティティの源泉となるのです。

――再チャレンジの機会がない社会で、高卒段階での選択がその後の人生の岐路を決めてしまうわけですね。先ほど、「8人」のなかでも若年非大卒男性の凹みが際立っているとおっしゃっていましたが。

大卒学歴を得るためにお金をかけた大卒層が、社会に出てから、雇用や賃金にかんして非大卒層よりも有利な立場にたって、若年期にかけたお金を「回収」していくのは致し方ないことです。しかし、非大卒層が人生のあらゆる面で大卒層に著しく水をあけられるのはおかしなことです。

しかし現状では、若年非大卒男性は、他の男性たちと同じだけ働いているのに、年収が壮年大卒男性の半分以下にとどまっています。しかも彼らの多くが若いうちに転職を余儀なくされており、非正規で働く人の比率も多くなっています。

このように生活の基盤が安定していないために、彼らの中には、結婚して子どもをもつというステージに到達することができない人たちが多数います。

――若年非大卒男性の多くが、経済的事情によって、望んでも結婚できないようになっている。同じ非大卒の若い女性の経済的な苦境についてもしばしば耳にします。

若年非大卒女性はどうかというと、経済的な状態でいえば、彼女たちは男性たちよりさらに悪く、雇用も不安定です。彼女たちの5人に1人は、橋本健二さんのいう「アンダークラス」という最下層階級に分類されます。

しかし彼女たちはこのような苦しい状況にありながら、少子化が危惧される日本社会に重要な貢献をしています。それは、既婚者(離死別を含む)が多く、子ども数が同じ若年層の大卒女性の約1.5倍であるということです。

つまりわたしたちは、現役世代の「8人」のなかで、もっとも生活基盤の脆弱な彼女たちに、次世代を産み育てるという日本の将来にとって重要な、しかし他の人たちには担うことのできない役割を担ってもらっているのです。豊かな先進工業国であるはずの日本で、子どもの貧困が叫ばれるのは、このような偏りがあるがゆえなのです。

出産、育児というライフ局面のタスクに追われ、彼女たちのワーク局面への参画がなおざりになっているのは、致し方ないことといえるでしょう。彼女たちには、すでに行政からの支援の手が差し伸べられていますが、他の「7人」は、おおいに感謝すべきだと思います。

――「18歳まで学校で教育を受けた人材を、このように低く見る社会は、歴史上も、世界的にも、現代日本社会以外にはあまり例がない」という文章を読んで、はっとしました。

「幸せに暮らすためには、大学に進学するのが唯一の方法だ」と多くの日本人が思い込んでいて、大学に行かないことに積極的な意味などないという考えも、かなり根強いようです。

しかし、近未来の日本の大学進学率が100%近くに至るというシナリオは、いくつかの点で現実的ではありません。ですから若年で大学に行かない人材は、労働市場に供給され続けるわけで、かれらを尊重しながら育成して、社会のために役立つ位置についてもらうことは不可欠です。

けれども、かれらは大卒学歴至上主義の考えのもとでは視野に入ってきませんので、名前をもっていません。「いずれはいなくなる労働力」という程度に扱われて、政策の対象となっていないのです。しかし戦後から現代までいつの時代を見ても、非大卒層の総数は大卒層の総数より多く、彼らこそが今の日本を形づくってきたマジョリティに他ならないのです。

――だから、「レッグス」という命名による可視化が必要だったんですね。

レッグスというのは、LEGs: Lightly Educated Guysの略で、「軽学歴の男たち」という意味合いの言葉です。こうした呼び名を与えることで、彼らのプレゼンスをはっきりさせて、政策的な議論の俎上に載せることが可能になります。

もっとも、このレッグスという言葉はとても強いインパクトをもっているようで、「大卒エリートが、上から目線で非大卒層を貶める俗名を付けたとしか思えない」と、私の見識を疑うコメントをもらうこともあります。

詳しくは本書の本文に譲りますが、私はそういう次元の低い議論を展開してはいません。しかし、これまで「大卒じゃない人びと=非大卒」というように、消極的に言い表していた社会の一角にレッグスという言葉を与えたことは、人びとの心に、ときに不協和を生じさせ、様々な議論を喚起するようです。

――先生はレッグスをサポートする政策立案が必要だと主張されています。

現在の20歳前後の同一生年の総数はだいたい126万人前後で、そのうちわけは、大学進学者が約68万人、非進学者が58万人ほどです。この先の日本を支えていく若い職業人を、本腰を入れて育成しようとするならば、20歳前後の時点では、大学進学者とレッグスの双方に偏りなく財政出動をすべきだと思います。

たしかに、経済的な事情で大学進学をためらう若者の背中を押すために、学費を支援する政策を拡充することはとても大切です。しかし、それだけをやったのでは、いずれ社会の上位に至るはずの人びとにだけ、メリットを付与するということになります。

――いわゆる大学無償化は、大学進学者にのみメリットがある。

そうです。大学に進学しないで働く若者には、政策の恩恵はまったく及ばず、進学者との間の格差を助長することになりかねません。ですから大学の学費無償化を進めるなら、一方で大学へ行かなかったレッグスたちの職業生活の安定も、公的に保障すべきだと考えます。

具体的には、20歳前後の非大卒の若者を正規雇用した企業に、大学の学費補助と同程度の金額の雇用助成をすることで、若者たちの給与水準や雇用の安定性を上げるような政策が考えられると思います。

――レッグスは「現代の金の卵」だとされています。

本文中で詳しく論じていますが、非大卒の若者は地方に多く、大卒層は大都市圏に集中しています。地方消滅が危惧されている現状において、もっとも必要とされているのは、地方に住み、コミュニティを支えている若い人材や、伝承技能が途絶えかけている中小企業の熟練工の後継者などです。

そしてレッグスは、これらの場所をカバーすることのできる「現代の金の卵」なのです。彼らが充足した人生を歩むことができるように、その若年期を支援するのは、疲弊する地域社会を支えることにもつながり、ひいてはこの国全体の雇用と社会の安定ももたらすと考えることができます。

――現在、さまざまな格差が問題になっています。若年ワーキングプア、正規・非正規格差、勝ち組/負け組、上流/下流、子どもの貧困、結婚できない若者、マイルドヤンキー、地方にこもる若者、地方消滅などです。

先生は、こうした現象の正体は、すべて「大卒学歴の所有/非所有」だと指摘しながら、それを逃れられない現実として直視するべきだとされています。最後に、このご主張の意味するところを、先生の考える「共生社会」と絡めてご説明いただけますか。

ここのところについて、誤解している人が多いようなので、これは有り難い質問です。

私が伝えたかったのは、学歴が日本の格差現象の起点となっているという構造と、学歴による結果の不平等は、たやすく均してしまえるものではないということです。しかしこれは、格差容認論ではありません。

私が理想の状態だと考えるのは、たとえばレッグスの所得は低いが、失業のリスクは大卒層より小さく、転勤や異動もなく、生活の安定を得やすい。あるいは、20歳前後の暮らしのゆとりでは、レッグスの方が大学生よりも上だ。ワークライフバランスをとりやすいのも、子ども数が多く、イクメンとして配偶者を支える自由度があるのも、地域社会に根差した暮らしをしているのも、大卒層よりむしろレッグスだ、というように、大卒と非大卒の所得以外のメリットが、トータルでみた場合に五分五分に近くなるということです。

まずは、大切な役割を非大卒層に任せて、自分たちだけがメリットを独占しているという現状を、大卒層の側が理解することが共生社会への第一歩です。そして双方が、日本を支えるために欠かせない別のポジションを守っている、自分とは異なる「レギュラーメンバー」への思いやりをもたなければなりません。

ただし残念なことながら、新書を手に取るのは圧倒的に大卒層が多く、現時点では非大卒層に現状を伝えることは十分にできていません。その先ではこのことも考えなければなりませんね。

プロフィール

吉川徹計量社会学

1966年島根県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科教授。
専門は計量社会学、特に社会意識論、学歴社会論。
著書に『現代日本の「社会の心」』(有斐閣)、『学歴分断社会』(ちくま新書)、『学歴と格差・不平等』(東京大学出版会)、『日本の分断』(光文社新書)などがある。

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