2011.12.22

原点から外れるくらいなら会社なんかつくらない

ミシマ社代表、三島邦弘さんに聞く

情報 #三島邦弘

『本屋は死なない』『出版社と書店はいかにして消えていくか』『出版大崩壊』『だれが「本」を殺すのか』……少し大きな書店に行けば、こんなタイトルの「本についての本」をすぐに見つけることができる。また「電子書籍元年」などと騒がれた2010年には、「紙の本」の滅亡が宿命であるかのように語られもした。

でも、そもそも日本全体が「不況」なのだ。本の業界だけがそこから自由であるはずもない。はたして「ほかと同じくらいに厳しい」のか、「ほかよりももっと厳しい」のか。後者であれば、それは本が生まれて読者に届くまでの仕組みのどこかが、なんらかの目づまりを起こしているのかもしれない。あるいはたんに、供給の「質」や需要の「量」の問題なのかもしれない。

いずれにしても、こんな状況でも新しいこと、やりたいこと、状況そのものへの挑戦をしている人たちがいる。規模や利益の大小にかかわらず、「本」で食べていこうとしている人たちがいる。このシリーズでは、そんな人たちに話を聞きに行く。これからの新しい「本」のあり方が見えてくるのかどうか、取材を通して探っていきたい。(取材・構成/柳瀬徹)

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民家すぎる社屋


ミシマ社の名前をはじめて目にしたのは、2007年、『街場の中国論』刊行を予告した内田樹氏のブログだった。PHP研究所、NTT出版を経て、内田氏のお墨付きを得て版元を興した社長は、さぞかし切れ者なのだろう、またトランスビューの営業担当・工藤秀之さんからレクチャーを受けて「直取引」という方法を選んだ、その目のつけどころも鋭いと思った。

『街場の中国論』はあっという間にベストセラーになった。その後も勢古浩爾『アマチュア論。』、須田将啓・田中禎人『謎の会社、世界を変える。』、白川密成『ボクは坊さん。』、最近では白山米店お母さん(寿松木衣映)『自由が丘3丁目 白山米店のやさしいごはん』、西村佳哲『いま、地方で生きるということ』など、ジャンルはさまざまだけどどれもミシマ社らしい本が次々と刊行され、またその一冊一冊が「ミシマ社らしさ」をさらに増していっている。

「木枠の窓はいちおう収まっているが、どこかいびつ。ちなみにその窓には、いまや天然記念物級の磨りガラス。窓や戸の鍵はねじこみ式(……)この家のレトロぶりを挙げ出せば、きりがない」(『計画と無計画のあいだ』p161)

ミシマ社の「社屋」の描写である。
自由が丘駅から10分ほど歩いた住宅地にぽつんと置かれた「自由が丘のほがらかな出版社」の看板を目印に路地へ入ると、そこには大きな実をいくつもつけた柿の木と、木造二階建ての社屋がある。それは想像していたよりもさらにずっと、筋金入りの「民家」だった。

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本の描写にも出てくる通り、部屋はすべて畳敷き。築51年二階建て。ネズミとの長い苦闘の末、駆除に成功したと本には書かれていたが、最近また戦争が勃発したとのこと。なかに入るともっと民家だ。キャスターのついた椅子を使って、畳がすり減らないのだろうか? と余計な心配をしてしまう。

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傾斜のきつい板張りの階段を登り、柿の木のよく見える日当たりの良い部屋でインタビューがはじまった。

「原点回帰」の意味

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このインタビューの時点で『計画と無計画のあいだ』はすでに3刷、書評もほとんど絶賛に近いものがいくつも出ていた。書評者たちは、事業計画書なし、キャッシュ・フローの危機に人を雇う、マーケティングデータなし、ノンジャンルの刊行傾向……といった「無計画」ぶりに驚きつつ、その信念や行動力に賛辞を送っていた。

しかし、いま目の前にいる「ミシマ社Tシャツ」を着た ――撮影する旨を伝えたら着替えてきたのだ―― その人からは、

「いきなりだけど、かつてぼくはバラバラだった」(p16)
「退社直前のころは、失語症みたいになっていた」(p17)

という前職、前々職時代の暗い表情がまったく見えてこない。かつて三島さんをそうさせていた原因は何なのだろうか?

三島 よく聞かれるんですけど、覚えていないんですよね。振り返っても意味がないというか、その頃とは違うやり方をとっていくしかないと思っていますので。でも、感覚を中心に動かせないということが辛かったんじゃないかな。

とくに2社目の会社は、前の会社の先輩に誘われるまま、訪問もしないで入社してしまいました。これはぼくのミスです。会社が悪いんじゃなくて、自分が悪い。でもその責任のとり方が自分自身でもはっきりわからなくて、それが辛かった。

ところがある日突然「出版社をつくろう!」と思いつく。そのときに「原点回帰の出版社」という言葉も同時に湧いてきて、そこで「世界とのつながりを回復した」と三島さんは書く。

三島 本来、本なんて編集者の感覚で出来上がっていくもので、根拠なんてないし、マーケティングとか、実績主義に意味はないと思うんです。何か〈理由〉や〈説明〉をつけちゃった時点ですでに弱い。それは新しいものじゃない。

こういった勢いや情熱の強さ、「無計画」のエネルギーは『計画と無計画のあいだ』のすべてのページから伝わってくる。いや、そもそもミシマ社の本からすでに伝わっているだろう。
では、彼の「計画」の部分はどうなっているのだろうか。彼がいまも掲げる「原点回帰」、その根幹のひとつは、取次(本の問屋)を介さずに自社で書店に直接卸して取引を行う「直取引」にある。まさにトランスビューの工藤さんから学んだやり方だ。

三島 流通のことはまったくわからなかったのですが、当時すでに工藤さんがつくったトランスビュー方式は評判になっていました。工藤さんだけではなく何人かに話を聞いて、一番腑に落ちたのが工藤さんの話でした。既存のルールから外れると何もできないと思っている人とは言葉のレベルが違いました。これをベースに自分たちのやり方をつくる、これ以上の選択肢はないと直感しました。

―― 実際にやられてみて、直取引の最大の長所はどこにあると思いましたか?

三島 読者と最短距離である、ということですね。つくったものをちゃんと届ける、そこまでできてはじめて出版活動だと思っていて、ひとりでやっていたときから掲げていた「原点回帰の出版社」とはそういう意味なんです。途中で熱量が落ちていくような迂回ルートには意味がない。それをやるくらいなら会社を辞めたりしません(笑)。

本屋さんはみな暖かったですね。業界紙に「野生の感覚で直取引をやっていきます」という記事が出て、それを読んだ本屋さんから「おたくの本を扱わないと、書店員をやっている意味がない」と電話がかかってきたりもしました。直取引をあまりやらないチェーン店も取引してくれて、すっごく嬉しかったですね。

むしろ出版側の人たち、古い出版社の社長さんなんかには「そんなの絶対に無理だよ。みんなそれをやって辞めていったんだから」とまるで定説のように言われましたね(笑)。 やると「こういう出版社を待っていたんだ!」とけっこう言われた。

―― 直取引は書店側から見ると仕入れ金額の条件は良い代わりに、取次が一括代行してくれていた請求・精算の手間を取引先一社ごとにしなければなりません。版元にとっても取次を通していれば、一度も会ったこともない書店にも本を送品してもらえます。でもその反面、書籍の返品率が40%を超えるともいわれています。それに対して直取引には、責任販売制のような気持ちを書店側も持ってくれるという面がありますよね。

三島 そうならないといけないし、そういう方法をつくらなければいけないとは思いますね。買い切りになってもミシマ社の本は仕入れたい、必ずお客さんはいると書店さんに思ってもらえるような本づくりをしないといけない。

注文がなくても取次の見繕いで、返品折り込み済みで全国の書店に本を撒くという既存の出版流通の仕組みは、国民的ベストセラーがいくつも出ていた時代、あるいは部数も多く刊行スパンの早い雑誌流通にとっては合理性がある方法だった。しかし現在、多くの本は初版1500~3000部といった規模で出版されていて、一方、書店の数は減ったとはいえ約15000店。数字上の非合理性ははっきりしている。

ただし、合理的な方法がおいそれとできない理由もまた、はっきりしている。

三島 工藤さんに言われたのは「営業専任がいないとダメだよ」でした。やっぱりそうか、と。編集の片手間では営業はできない。

本にも書きましたけど、出版社を車のボディだとすると、編集というタイヤと営業というタイヤの両輪がないと、本当に行きたい場所まで行くことができないんだと思います。片輪だけ借り物ではいけないんですね。

ここに「創業編集者」が陥りがちな罠がある。そもそも書店営業はほぼ平日の日中にしかできないし、都心を離れるほど交通の便は悪くなり、一日フルに使っても訪問できる書店の数はかぎられてしまう。むしろ「編集」と「経営そのもの」が片手間にさえ追いやられかねない。

そんな助言もあり、当初は「発行・ミシマ社/発売・WAVE出版」という形式で2冊の販売・営業を他社に代行してもらっていたミシマ社が、資金繰りの危機のさなかに営業担当者を採用し、はじめて「借り物なし」に挑んだのが『街場の中国論』だったのだ。

それにしても工藤さんの「自らの手法をオープンにする」という姿勢は、三島さんにどのような影響を与えたのだろうか。

三島 ぼくらのような小さな出版社がいくつも出てくる状態に、早くしないといけないと思うんです。いまはほぼ、東京の出版社に就職しないと、全国に届く本をつくるチャンスがない。本をつくりたいと思っている人たちの門戸をすごく狭めています。Jリーグのように、各地域にプロチームがあって、そこから世界を目指すことだってできる、そんな状態にしないといけない。

出版は地盤沈下しているといわれるけど、やるべき選択肢はいくらでもあるのに全然実行されていないだけです。1隻の大船に1000人が乗るのと、1000艘の小舟に1人ずつ乗るのは、同じようで同じじゃない。1艘ごとの小舟が1.5倍や2倍の力を発揮すれば、どこかで大きな船が沈んだって乗っていた人たちを引き受けられる。

そのために「寺子屋ミシマ社」を始めたんです。2、3ヶ月分のミシマ社の業務を、参加者には半日で体感してもらいます。すべて開示して、なにも隠さない、なかなかこんなイベントはないと思うんですよ。地方でもやっていて、そこから実際に出版社を立ち上げた人も出てきました。そうやって、早くたくさんの小舟が浮かんでいる状態をつくりたいんです。

寺子屋ミシマ社は編集企画と実務、営業、POPなどの拡販材料作成などを参加者に体験してもらうイベントだ。さらに、最近は交通費のみ支給の「デッチ」を募集したりもしている。三島さんが工藤さんの方法をカスタマイズして「ミシマ社流」をつくっていったように、ミシマ社の事例がまた別の「流」の種子になること ――三島さんの真意はそこにあるのだろう。

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もうひとつのコアは生まれるのか?


2010年に刊行された出版物(書籍・雑誌)の推定販売金額は1兆8748億円だ。対してトヨタ自動車の2010年4~12月期連結決算では、売上高が14兆3516億円とされている。1業界vs 1社がほぼ1対10。大手出版社とか中小版元とかいっても、ちょっと乱暴にいえば出版社はそのほとんどがベンチャー規模なのだ。

規模の小さい出版社ほど、創業者の志向やビジョンが出版物の傾向に影響しやすく、裏返すと創業者に拮抗しうる別の「コア」が形成されにくい。それでも、創業者が見識とバイタリティを保っているうちはなんとかなる。しかし二代目に事業継承されるときにお家騒動が起こったり、代替わり以降に衰退していくことも少なくない。創業者が編集者、つまり企画者でもある場合はとくにそうだ。

ミシマ社の場合、さすがに後継者問題に悩む時期ではないだろうけど、編集部門にかぎらず営業担当者でも、三島さんと対等に渡り合える人ははいるのだろうか? ミシマ社では月曜日に、全員がひとつのちゃぶ台を囲んで企画・営業等の会議を行う。三島さんのパッションにほかのスタッフがそれぞれのやりかたで呼応している様子は本からも伝わってくるのだが、「ミシマ社らしい本」をつくっている人は、三島さんひとりだけなのだろうか? 

―― マーケティングデータを重視しない。ジャンルにとらわれず、本気で面白いと思えるかどうかが重要なんだ、と繰り返し本のなかで語られているのですが、三島さんの出した企画が社内で却下されることはあるのでしょうか?

三島 あります、あります。「うーん、これなの?」という雰囲気はわかりますし、ゴリ押ししません。すぐにサッと引きます(笑)。
何がGOで何がNGかという線引きは、それほどはっきりとはしていません。編集担当だけじゃなく全員に、企画は出したらいい、と言っていますが、そんなには出てこないですね。
いまはまだ企画・編集の全部をできるのはぼくだけで、スタッフには一緒にやって少しずつ覚えてもらっています。
書籍の企画って、雑誌の記事などとは違う難しさがあると思うんですよね。ミシマ社は「平日開店ミシマガジン」というWeb雑誌もやっていて、そっちはスタッフからの企画も通っているし、その書籍化はこれからあるかな、とは思います。 

ウチは年間に何十冊も出すわけじゃない版元で、平均6冊、これからも多くて月1冊が限度だろうと思っています。そうなると1冊ごとがすべて、失敗しながら覚えるという経験をさせてやることができない。数を出すことで磨かれる感覚もあるのですが、ミシマ社のスタイルでは失敗折り込み済みで本をつくることはできません。いまはとにかく一緒にやっていくことで「1冊必勝」のクオリティを上げていく、その腕を上げていってもらっています。それは企画力についても同じですね。

出版社は、最低でも100年つづいて一人前だと思います。これまでの5年が最初の創業期だとすると、これからの5年は第2の創業期。そこで100年続くための礎をつくらないといけない、とは思っています。それを一緒にできる人が、また現れてくるんじゃないかな。まだ出会ってはいないけど、起爆剤が出てくる予感はあって、それに対応できる身体状態を保ちつづけよう、と。それは企画づくりでも同じだと思うんですね。

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「世界初」が連れていく先

「この本、世界初なんです」。取材の終わりに三島さんが見せてくれたのは、半透明の表紙カバーの向こうに風景が透けて見える、不思議な本だった。

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裏表紙側の帯には、こうある。

詩―半透明の用紙
写真―通常の用紙
詩と写真が交互に展開され、それにあわせ一枚一枚用紙も変化していきます。
今回、一般流通するものとして(おそらく)世界で初めて可能になりました。
「透明人間」の視点、「再出発」の視点、ふたつの視点が宿った一冊。

三島 もともとこれは「再出発」という谷郁雄さんの詩集に、青山裕企さんの写真を添えた「写真詩集」として企画されたものだったんです。ところがデザイナーの寄藤文平さんと打ち合わせをするうちに「この詩集って〈透明人間〉っぽいよね」となってきて、じゃあ透明人間っぽいデザインってなんだろう、とふたりで考えていたんですね。

そこに寄藤さんといろいろな仕事をされてきた製本会社の社長さんが「新しい製本方法を発明した!」と持ってきたのが、この本で使われている技法でした。

一般に流通されている本は、大きな紙の裏表に8ページずつ印刷されたものを、4回折ってできる紙の束=「折」で構成されている。裏表8ページ、つまり16ページが通常の構成単位の「1折」となる。本の背を上から見ると、折の丸みがわかるだろう。

読みかけの本をテーブルの上に開いたまま置こうとしても、何度も強く押さえつけてクセをつけないと閉じてきてしまう。このような本の開きにくさは、本が「折の束」であることも大きく影響している。かといって一枚一枚を束ねていく方法は、普通は造本の強度には欠けてしまうし、印刷・製本両面でコストが高すぎて一般向けの刊行物ではなかなか使えない。
開きの悪さはまた、画集や写真集などで左右のページにまたがって印刷するときに、大きなハンディとなる。構図の中央に人の顔などがあるケースを想像してみるとよくわかるだろう。

ところがこの新しい製本技術では、紙を折らずに一枚一枚綴じて、強度を保ちつつなおかつコストも一般書籍にぎりぎり活用できるレベルに抑えられるという。でも、寄藤さんはこれを別のアイデアに活用した。つまり、2種類の紙を1枚ずつ交互に配したのだ。

今までも「折」の合間に異なる種類の紙を差し入れる技術はあった。しかしそれを全ページにわたってやろうとすれば、やはり強度がもたず、読めば読むほどはらはらとページが落ちていく本になってしまう。

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トレーシングペーパーに詩を、その次のページに写真を印刷する。読者はときに風景にぼんやりと重なる半透明の魂のような言葉を追い、ときに言葉の記憶を裏写りとして視界の端に置きつつ、風景のなかを生きる実体となる。たしかに、これまでになかった読書体験がある。

三島 これまでのミシマ社の本は、どちらかというといわゆる読書家の方でなくても手にとっていただけるようなものが中心でした。でもこの本は、モノとしての本が好きな人が手にとってくれたらいいな、と思います。こういう体験は電子書籍ではできない。これはリアルな3Dです。何度も読んで触って、感じてほしい本です。

今回は特殊な紙を使ったため、コスト面ではとてもきびしいです。全然合いません。でもとにかく最高のものにしたい、という気持ちで谷さん、青山さん、寄藤さん、製本会社、用紙会社、印刷所、もちろんぼくとミシマ社のスタッフ全員が一体となってできた。
タイトルになった「再出発」という詩は、谷さんが震災後にはじめて書くことができた一篇でした。青山さんにとっては写真家としての転機になった一冊でもあり、それは第2の創業期を迎えたぼくたちにとってもそう。みんなここから「再出発」なんです。

100年の礎を築くための2度目の創業期。そのはじまりを告げる世界初の一冊は、ミシマ社をどこに連れていくのだろうか。刷り上がったばかりのページを何度も何度もめくりつづける創業者にも、行先はまだ透けて見えてはいないようだった。

プロフィール

柳瀬徹編集者 / ライター

フリーランスの編集者・ライター。『脱貧困の経済学』『もうダマされないための「科学」講義』『「デモ」とは何か』『みんなで決めた「安心」のかたち』などの企画編集や、インタビュー、書評など。3児の父。起こし原稿の再構成がたぶん得意。

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