2024.03.30

メディア・スタディーズ——どこで何を学び、どのように活かすか?

シノドス・オープンキャンパス04 / 石田佐恵子

情報 #シノドス・オープンキャンパス

融合するメディア経験

メディアは、あなた自身の暮らしに欠かせないものでしょうか? 「メディアって、テレビや新聞のこと?」とイメージした人は「最近はテレビも見ないし別になくても困らないかも……」と思ったかもしれません。スマートフォンやインターネットもメディアに含まれます、と聞いたら、多くの人が「それなら欠かせないです!」と答えるでしょう。ここでは、まずメディアの定義から話を始めましょう。

そもそも、メディア(Media)とは、「情報やメッセージを伝える手段や媒体」を意味する単語メディウム(Medium)の複数形です。もともと英語でも複数形で使われることが多く、日本語においてもメディアが多用されメディウムはあまり聞きません。メディアとは、言葉の意味からして「複数の媒体」、すなわち、新聞、テレビ、ラジオ、雑誌などがまとめてイメージされているのです。「メディア」と聞いて、新聞やテレビのようないわゆる「マス・メディア」をイメージすることが多いのは、それらの媒体の歴史の長さゆえです。

新聞は、文字や写真によってニュースや情報を伝えるメディアです。欧米では18世紀から一般化し、日本でも明治時代以降に広まった、200年以上の歴史のあるメディアです。朝刊や夕刊といった紙の定期刊行物の形態が長く続いてきたため、活字メディアや紙メディアと呼ばれることもあります。近年では、急速にオンライン版の新聞記事が増えて、インターネット・メディアとの融合を深めています。 

テレビは、映像や音声を通じて情報や娯楽を提供するメディアです。世界各国で、20世紀後半から急速に普及しました。ニュース、スポーツ中継、音楽番組、ドラマ、バラエティなど、様々なジャンルの番組がありますが、1960年代に世界同時生中継の技術が確立されて以降、世界中で多くの視聴者を巻き込む巨大な影響力を持つようになりました。また、近年では、NetflixやHuluなど、インターネットを介した映像配信サービスも普及し、自分の好きな番組を選んで視聴することが可能となっています。映像配信サービスは、たとえ同じテレビ受信機で見ていたとしても、NHKや民放のようなテレビ局が制作・放送する「テレビ」とは違う仕組みで成り立っています。昨今では多くの視聴者を集めるようになったYouTubeやTikTokは動画共有サイトと呼ばれ、プロの制作者だけではなくさまざまな動画制作者による(玉石混交の?)映像コンテンツに溢れています。

インターネットは、コンピュータやスマートフォンを介して情報をやりとりする基盤技術で、1990〜2000年代にかけて急速に普及してきました。インターネット普及率についてみると、日本を含む先進諸国では、21世紀の初めに全国民の4〜5割程度、2010年前後には8〜9割に達しています(総務省「情報通信統計データベース」ほか)。2007年に登場したスマートフォンはわずか10年あまりの間に全世界に急速に普及し、他のメディアの普及速度に比べてもその速さは目を見張るほどです。2010年代以降、回線の高速化や接続料金の低価格化が進み、私たちの暮らしを大きく変えてきました。 

スマートフォンは、それが登場する以前の暮らし——朝、配達された新聞紙を広げ、テレビを見ながら朝食、通勤・通学途中にはイヤホンで小型音楽再生機を聴きながら雑誌や文庫本を読み、車でラジオを聞き、帰宅途中で携帯電話から通話やメールをし、夜はパソコンで掲示板を見る、あるいは、ゲーム専用機で遊んだりマンガを読んだりする——などといったメディア接触のありようを根底から変えました。すなわち、個々の装置に分かれていたメディア経験を、ほぼすべてスマートフォン1台で済ませられるようになったのです。

このように、2020年代のメディア経験の大きな特徴として挙げられるのは、さまざまな媒体の融合状態です。もちろん、その融合の度合いは世代によっても異なっています。比較的年齢の高い人々はまだ新聞、テレビ、ラジオ、雑誌といったメディアを個別に享受し続けていますが、若い年代になるほどスマートフォンのなかで何でも済ませてしまう傾向にあることが分かっています。

そして、私たちのメディア経験の変容は、「メディアをめぐる知」を扱う学問のあり方にも大きく影響を与えています。

メディア・スタディーズの成り立ち

メディア・スタディーズ(Media Studies)は、その名の通り「メディアについての研究」ですが、20世紀中頃からさまざまな学問的潮流が合流・分岐し形成されてきました。

メディア・スタディーズ前史には3つの系譜があると言われています。それは、ヨーロッパにおける批判的文化研究(1920〜30年代)、アメリカを中心に活発化したマス・コミュニケーション研究(1940年代〜)、そして、カナダのM・マクルーハンが著した『メディア論』を契機とする潮流(1960年代〜)の3つです(伊藤守編『よくわかるメディア・スタディーズ(第2版)』ミネルヴァ書房、2015年)。それ以外にも、出来事や時事問題を報道・解説・論評するジャーナリズム(Journalism)を研究する領域や、コミュニケーション学、情報科学など、多くの隣接する研究領域があり、相互に関連しています。

現在、メディア・スタディーズを中心的に担う研究者や専門家の集まりとしては、日本メディア学会(https://www.jams.media)があります。日本メディア学会は、1951年に創立された日本新聞学会が、1991年に日本マス・コミュニケーション学会と改称し、さらに2022年に日本メディア学会に名称変更して現在に至っています。

この学会は、設立当初は新聞を中心とするジャーナリズム研究を主な目的としていましたが、1960年代半ばには、新聞だけではなく放送・映画・雑誌なども研究対象とする「マス・コミュニケーション研究」に拡がりました。1970〜80年代にマスメディアが果たす社会的役割や影響力が大きくなっていくにつれて、その研究もますます注目されるようになり、1991年の学会名称変更に至るわけです。さらに、その後の30年間にインターネットの普及が進み、インターネットを介したメディアの重要性が際立つようになり、マス・コミュニケーション研究という枠組みでは捉えきれない問題が膨らんできました。それらの問題を総合的に扱うために、2022年に再度の学会名称変更となりました。

現在では、メディア・スタディーズは、政治学、社会学、法学、ジャーナリズム論、歴史学/メディア史、社会心理学をベースとした研究の蓄積を発展させつつ、情報学/情報工学とも融合する総合的・学際的分野として成り立っています。書物や大学の科目名には、ジャーナリズム研究/論、マス・コミュニケーション研究/論、メディア学/論、メディア社会論、メディア文化研究、など、さまざまに少しずつ異なる呼称が併行して使われていますが、メディア・スタディーズは、それらの分野の特徴的な主題と方法とを継承しつつ、総合的な学問の潮流を作ってきたのです。

ところで、メディア・スタディーズは、大学ではどのような学部や学科で学ぶことができるのでしょうか? たとえば、英語圏の大学では、コミュニケーション学部/学科(Communication Department)、ジャーナリズム学部(Journalism School)、映画・テレビ学科(Film and Television Department)、メディア情報学部(Media & Information)などが設置され、メディアについての研究を学ぶことができます。コミュニケーション学部は人文学の伝統を、ジャーナリズム学部はジャーナリズム研究の伝統を受け継ぐものです。

日本の大学でも、メディア・スタディーズを学べる学部や学科はさまざまあり、具体的な名称は大学によって異なります。第2次世界大戦後に、いくつかの私立大学の文学部・社会学部内に「新聞学科」が設置され、東京大学には新聞研究所(1949〜1992年)が置かれました。上智大学のように戦前に創立された歴史の古い学科もあります。学会名称が変わってきたように、かつて「新聞学科」という名称だった大学の多くは、現在では「メディア学科」「メディアコース」などにその名称を変えてきています。そこでは、メディアの役割やメディア文化の研究、メディアの社会的影響についてのカリキュラムが置かれています。

人文学の伝統を受け継ぐ流れは、文学部や芸術学部、コミュニケーション学部/学科でも展開されています。それらの学部/学科では、メディアの理論や表現方法、メディアと社会の関係などについて学ぶことができます。

特に21世紀に入ってからメディア学部/学科を設置する大学が増えてきました。日本初の「メディア学部」は1999年に東京工科大学に設置されました。情報メディア学部では、情報工学やCG技術、AIなど理科系の専門との融合を指向しているところが多く、より専門的にメディアに関する知識とスキル、映像メディアやデジタルメディア、メディアプランニングなど、さまざまなメディアについて学ぶことができます。

以上のように、メディア・スタディーズは「メディアをめぐる知」を総合的・学際的に学ぶことができる分野で、現在では幅広い主題を扱っています。進路選択の際にはさまざまな学部/学科の違いに注目しながら選ぶと良いと思います。

メディア・スタディーズと社会学の関係? 

では、メディア・スタディーズは、他の隣接分野と比べてどこがどのように違うのでしょうか? 私はメディア・スタディーズを専門としていますが、大学の文学部人間行動学科社会学コースに所属しています。よく学生からも質問を受けますが、社会学とメディア・スタディーズはどのような関係にあるのでしょうか?

社会学は「社会とは何か?」を大きな問いとして人々の行動や関係を研究する学問です。社会学は広範な社会現象や社会システムに焦点を当て、社会構造やパターン、文化の研究を行います。一方、メディア・スタディーズは、メディアをより中心的な研究対象として扱います。

メディアをめぐる研究がマス・コミュニケーション研究と呼ばれていた頃、マス・コミュニケーション研究は社会学の一部のように扱われることがありました。たとえば、社会学のさまざまな研究領域を紹介する『社会学叢書』『基礎社会学』といった書物の中には、その1章、あるいは1巻として「マス・コミュニケーション」が入っていました。現在でも社会学部の中に「マス・コミュニケーション専攻」や「メディアコース」が置かれている大学も多くあります。

井川充雄は、「メディア社会学」という研究領域について、①メディアを扱う社会学と、②「メディア社会」についての研究(=学)、の2通りの含意があると述べています(井川充雄・木村忠正編『入門メディア社会学』ミネルヴァ書房、2022年)。①の定義であれば、メディアを扱う研究もまた社会学の一部と捉えられます。②の定義からは、今日の「メディア社会」の特徴とその範囲がどんどん拡張していることが想起されます。かつては、新聞やテレビといった情報・メディアの領域は社会の中のさまざまな領域の1つに過ぎないと考えられていたわけですが、近年では、社会学が扱うさまざまな領域——たとえば、経済・政治・宗教・教育・都市・地域・医療・家族・ジェンダー・エスニシティ——のすべてにおいて、メディアが及ぼす影響力は計り知れないものとなってきました。 

したがって、現在では、メディア・スタディーズは社会学の一部に留まることなく、その範囲を超えて、さらに越境して拡がっていると言っても過言ではないでしょう。そのことを示す好例として、社会学・政治学・人類学・社会心理学の各分野において、「メディア」というキーワードが登場する日本語論文が2000〜2020年までの20年間に倍増しているというデータもあります(津田正太郎「マス・コミュニケーション学会のメディア化」『メディア研究』101号、2022年)。21世紀になって、メディアが関係するさまざまな社会現象が目立つようになり、その影響力はますます増大し社会全体を巻き込んでいることと呼応するように、学問としてのメディア・スタディーズもまた隣接領域を巻き込みつつ拡張していく事態となっているのです。

メディア・スタディーズの主題群 

このように説明すると、メディア・スタディーズの主題と領域の拡張については納得していただけると思うのですが、なんだか広すぎてかえってイメージが捉えにくい、という読者もおられるかもしれません。

そこで、メディア・スタディーズの本(石田佐恵子・岡井崇之編『基礎ゼミ メディアスタディーズ』世界思想社、2020年)を1冊取り上げ、そこでの主題を簡単にご紹介したいと思います。

この本では、まずインターネットが高度に普及した現在のメディア状況を取り上げています。第Ⅰ部「プラットフォームから社会を見る」では、従来のマスメディアとは仕組みが異なるデジタルメディアの新たな性質とは?という視点から編成されています。扱われる主題は、①「ネットは『みんなの声』を伝えているか? ―情報の選択的接触、エコーチェンバー、世論の分極化」、②「なぜフェイクニュースが生まれるのか? ―ソーシャルメディア、ミドルメディア、フィルターバブル」、③「スマートフォンは写真をどう変えたのか? —写真史、ヴァナキュラー、モビリティーズ」、④「美容整形は個人的なことか? ―身体の社会学、言説、テキストマイニング」となっています(○数字は章の番号)。

第Ⅱ部は「HOMEからメディアを見る」として、主に〝自宅=HOME〟という場所に置かれたテレビ・メディアを中心に問いを立てています。⑤「CMのジェンダー表現はなぜ炎上しがち? ―広告、性役割規範、視聴者の多様な読み」、⑥「障害者は『がんばる人』なのか? ―テレビ表象、感動ポルノ、障害学」、⑦「女性被害者は本当に多いのか? ―客観的現実、ラベリング、ジェンダーバイアス」、⑧「健康の不安はメディアで解消されるのか? ―信頼、リスク報道、食の社会学」という問いが並んでいます。映像コンテンツは家庭内視聴に限定されることなくモバイルでも見られるようになっていますが、その表現の中に含まれている境界は依然として《家庭》や《国家》を前提にしていることが、それらの問いの中からあぶり出されてきます。 

第Ⅲ部「メディアで境界を越える」では、グローバル化した今日のメディア状況を前提に、⑨「『外国人』選手はなぜ特別視されるのか? ―異文化表象、南北格差、スポーツにおける人種化」、⑩「クールジャパンって本当にクールなの? ―国家ブランディング、グローバル化、セルフ・オリエンタリズム」、⑪「K−POPは誰のものか? ―文化コンテンツの越境、ポピュラー音楽のジャンル、ファン文化」という問いが探求されています。どの問いも、国境を越えて移動する人・資本・商品・情報・思想の諸側面を扱うものです。

最後の第Ⅳ部では、「メディアで記録/記憶する」をテーマに、⑫「グーグルマップは世界を描いているのか? ―パーソナライゼーション、監視社会、場所性」、⑬「メディア経験から何がわかるのか? ―オーディエンス、アイデンティティ、ライフヒストリー」、⑭「地域の記憶は誰のものか? ―地域創生ブーム、ステレオタイプ、デジタルストーリーテリング」という問いを設定しています。すべての章において、学生自らのメディア経験を基に検索・情報収集し、短いワークを実践する仕掛けを考えました。

メディアに関する従来の書籍は、新聞/ラジオ/雑誌/テレビ/インターネットといった、各メディア産業の出現・普及順に区分されて章構成が考えられているものが多かったようです。それに対して、本書のねらいは、産業別にメディアを捉えることをせずに、冒頭に述べた「メディアの融合状態」を十分に意識したところにあります。また、写真撮影や動画共有サイト、地域創生メディアといったメディア産業の枠内に限定されない諸活動まで視野に入れ、何よりも批判的で内発的な問いを持てる思考プロセスを重視しています。 

以上の14の問いを具体的に示したことで、メディア・スタディーズの主題についてイメージしやすくなったでしょうか?

中には、こんなのもメディア・スタディーズになるの⁈ とビックリするような問いも含まれていたかもしれません。メディア・スタディーズの幅広さ、領域横断性を実感していただければと思います。もちろん、メディア・スタディーズの主題はとてもたくさん存在しますから、これらに尽きるものではありません。

もう少し整理した形でメディア・スタディーズの主題群を列挙しておきましょう。『基礎ゼミ メディアスタディーズ』の14の問いは、次のようなさまざまな主題群の中に配置されるのが分かります。

メディア・スタディーズの主題群(一例)

(1)メディアの役割と影響力の研究 

メディアが社会に果たす役割(情報提供、意見形成、文化伝承など)とその影響力について考える →すべての章

(2)メディアの表現手法とメッセージについての研究

メディアが情報を伝えるための表現手法(表象、映像、音声、文章など)とメッセージの構築方法について →⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、⑩、⑪ この主題群は、特に昨今の多様性をめぐる議論とも深く関わっています。

(3) メディアと文化の相互関係

メディアが文化を作り出し、文化がメディアを形成する相互関係について →③、④、⑫、⑬、⑭ この主題群は、メディア・スタディーズの中でも「メディア史」と呼ばれる歴史的研究と関わり、現在では非常に多くの研究成果が輩出されている分野です。

(4) メディアと民主主義

メディアが民主主義社会において果たす役割(監視機能、政治参加の促進など)について。メディアの偏向やフェイクニュースの問題点とそれに対する批判的思考の必要性について。 →①、②、⑨、⑩、⑪

(5) メディアの倫理と社会的責任

メディアの倫理規範(報道倫理、プライバシー保護など)と社会的責任についての解説と議論 →⑤、⑥、⑦、⑧

(6) メディアの利用方法と情報の信頼性についての研究

→①、②、⑫、⑭

メディア・スタディーズの方法 

次に、メディア・スタディーズの方法についても簡単に触れておきましょう。社会学や心理学、経営学などでは、アンケート調査やビッグデータを数量分析する「量的方法」とインタビューなど「質的方法」を大別するのが一般的ですが、両者を組み合わせて「混合法」として多角的に主題に迫る方法もあります。メディア・スタディーズでも、量的/質的研究の双方がありますが、混合法も盛んに実践されています。また、フィールドワークやエスノグラフィーという方法を研究に応用する動きも活発です。 

メディア・スタディーズの研究対象として、主に、(ⅰ)制作者研究、(ⅱ)テクスト研究、(ⅲ)オーディエンス研究、の3地点があります(表1)。​

(ⅰ)メディア産業組織や制作スタッフについて研究したいなら、アーカイブ研究、言説分析、インタビュー、エスノグラフィーといった方法が考えられます。(ⅱ)メディア・コンテンツそのものを研究したいなら、記号論分析、内容分析、言説分析、ジャンル分析、作者研究、スター研究など。(ⅲ)オーディエンスについて知りたいなら、フォーカス・グループ・インタビュー、参与観察、エスノグラフィー、ライフ・ヒストリーなどの方法がよく使われます。特に、SNSの普及に伴い、オーディエンスが受容者であると同時に発信者にもなりうる時代には、オーディエンスを単に(ⅲ)の地点とするのではなく、(ⅰ)発信者の地点を含めて両側面から研究する必要があります。

また、社会学的方法を説明する際に「鳥の目/虫の目」という比喩がよく使われます。「鳥の目」は、マクロな視点から社会全体を見渡すもので、空を飛ぶ鳥のように全体を俯瞰することの重要性を説いています。これに対して「虫の目」はミクロな視点から細部に注目することで、地を這う虫のように対象に接近して詳しく観察することの重要性を述べています。

メディア・スタディーズにおいても、「鳥の目/虫の目」の双方が重要であることは言うまでもありません。これに加えて、インターネット時代のサイバー空間における相互行為について研究するには、急速な時代の変化と潮の入れ替わりをすばやく読み解き、すぐさま視点を変化させていく「魚の目」が重要であると言われています(木村忠正『ハイブリッド・エスノグラフィー』新曜社、2018年)。

結び——どこで何を学び、どのように活かすか?

さて、ここまで、メディア・スタディーズの成り立ち、学べる学部、何を学ぶか(主題と方法)について順番に紹介してきました。最後に、メディア・スタディーズをどのように活かすか? について、少しだけ私の考えを書いておきましょう。

メディア・スタディーズを学ぶとマスコミ業界に就職するのに役立つのでは? と考える人がいるかもしれません。実際に、いろいろな大学のメディア学部/学科の紹介サイトなどを見てみますと、卒業後の進路としてそんな風に書いてあります。もちろん、メディア・スタディーズを学んだ後、各種の「メディア制作者/専門家」を目指すというのはひとつの可能な進路です。

メディアの専門家になるかならないかは別として、繰り返し述べてきたように、今日ではメディアの影響力はますます増大し社会全体を巻き込んでいるわけですから、そのような環境に生きる私たち誰しもにとって、メディア・スタディーズが必須の科目なのは言うまでもないでしょう。その学びが何より有効なのは、メディアリテラシー(=メディアの読み書き能力)の経験値を上げること、その能力を習得するための具体的な方法やツールについて学ぶことができる点にあると思います。

先に紹介した『基礎ゼミ メディアスタディーズ』を使って授業をしていますと、自分がこれまでいかにメディアの情報を鵜呑みにしてきたか、それに強く影響を受けてきたか、という気づきのコメントが多く返ってきます。特にフェイクニュースやエコーチェンバーの単元では、「今後は、溢れる情報の真偽を見極め、自分の判断で選び取って行かなければならないと思います!」という決意表明が聞かれます。

しかしながら、最後に確認しておきたいことは、個々人がいかに努力して慎重になろうと試みたとしても、自分の判断で情報を選ぶことは非常に難しい、特にAIによるディープフェイクの時代となると、ほとんどそれは不可能では? ということです。逆説的ではありますが、むしろ、私はそのことの困難さを知ることこそが大切なのだと考えています。よく、「社会学者もまた観察対象である社会の外部には立てない」「そのことを自覚することが重要」と言われますが、メディア研究者もまたメディアの変化やありように大きく影響を受け、その環境の外部に立つことはできないからです。

また、学生からのコメントには、情報の波に飲み込まれまいとしてニュースに接するのを避ける傾向(=選択的情報回避)も散見されます。あまりに多くの情報があり、そのどれもが信頼できない、あるいは何が本当か見極められない、となりますと、そうした態度も自然な防御反応なのかもしれません。

まずは、自らがいかにメディア環境から影響を受けているのか、さまざまな側面から自覚を深めることが重要だと思います。その上で、その影響力の外側に出る(=影響を絶つ、選択的情報回避)ことを目標にするのではなく、影響力を自覚しつつ、データを吟味する態度を身につけることを目標として欲しいものです。そうであれば、メディア・スタディーズはきっとあなた自身の生きる力になってくれるに違いありません。

プロフィール

石田佐恵子メディア文化

1962年生まれ。大阪公立大学教授。専攻は、メディア文化研究・映像社会学。著書に『有名性という文化装置』(勁草書房、1998年)、共編著に『クイズ文化の社会学』(世界思想社、2003年)、『ポスト韓流のメディア社会学』(ミネルヴァ書房、2007年)、『基礎ゼミ メディアスタディーズ』(世界思想社、2020年)など。

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