2013.06.21

少女たちは幸せを求めている

『援デリの少女たち』著者・鈴木大介氏インタビュー

情報 #風俗#売春#新刊インタビュー#援デリの少女たち

さまざまな風俗産業のなかに、「援デリ」とよばれるものがある。出会い系サイトでアポをとって、売春をおこなう未成年の少女たち。彼女たち、そして彼女たちのまわりにいる大人たちを取り巻く現状とはどのようなものだろうか。『援デリの少女たち』の著者である鈴木大介氏にお話をうかがった。(聞き手、構成/出口優夏)

援デリとはなにか

―― 「援デリ」とはなんでしょうか?

「援デリ」という言葉を聞くと、デリバリーヘルスを思い起こすひとが多いかもしれませんが、援デリとデリバリーヘルスとはまったく異なるものです。援デリでは、「打ち子」とよばれるキャスティングスタッフがお客さんを出会い系サイトで探して、女の子たちに売春を斡旋していく。それで、女の子たちが売春でえた儲けの何パーセントかを業者側がとるというしくみですね。

しかし、業者がついているとはいっても、業者が個人で売春をしている子たちの手助けをして、その代わりにバックをもらっているという感じがつよい。だから僕自身は、援デリを個人の売春の延長線上にあるものだと考えています。ひとによっては、未成年の女の子がおこなっているものを「援デリ」、成人女性がおこなっているものを「裏デリ」と区別してよぶこともありますね。

―― なぜ業者の介入が必要になってくるのでしょう?

女の子にしてみると、うしろに業者がいることで、安心して売春ができるというメリットがあります。女性にとって、初めて会う男の前でいきなり裸になるのは、非常に強い恐怖心をともなうことも多いし、なかには実際に女性を傷つけて楽しむような危険な客もいる。

こうした極端に危険な男が出会い系サイトで使っているアカウントは、業者間の「NG客」リストとして共有されている場合もありますし、危ない目に遭わされたときにも助けてもらえるという安心が女性側にある。実際に業者がそのような機能をしていない場合もあるけども、女性はそこに期待しているわけです。

また、出会い系サイト等で客を探す作業も、1日何人もというと、とても個人では続けられない。業者のキャスティングスタッフは1日100本以上のメールを処理しますが、けっして楽な作業にはみえません。「客をつけてもらえる」というのも、女性側にとって意外に大きなメリットのようです。

さまざまな業態の差はありますが、基本的に風俗産業はすべて、女の子と業者が共依存関係にあるといえます。仕事がないと女の子は生きていけないし、女の子がいないと業者も商売が成り立たないんですよね。

たとえば、いま寮をもっている援デリ業者が増えてきています。業者がマンションのワンフロアを用意して、一日の賃料を1~3万円くらいに設定する。その賃料を女の子たちがみんなで分割して払っていくというしくみになっています。援デリをしている女の子のなかには、さまざまな事情で賃貸住宅を借りられない子が非常に多く、彼女らは通常ネットカフェや友達の家、カラオケや、客といったホテルにそのまま寝泊りするなどで居所を確保しています。そこで寮という安定した寝床を確保できるというのはとてもおおきい。

また、援デリ業者はつねに「女の子が長くはたらかずに飛んでしまう」という悩みを抱えているのですが、寮があればキャストをつねに確保し、さらに女の子が新しいキャストをみつけてきてくれる。寮となる部屋を貸しているオーナーにとっては、通常では考えられないほどの高額の家賃収入が望めます。昨今報道されている脱法ハウス問題にも繋がる事情があるわけです。

問題なのは、そういったかたちで、どんどんと業者と女の子の依存関係が深まっていくと、彼女らがそこでなら生きていけると誤認識してしまうこと。ある程度独立できるお金を稼いだとしても、そこで足を洗って一般社会デビューにチャレンジする機会をいっしてしまうことでしょうか。

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―― 本のなかでは、援デリの摘発が厳しくなっているという話もありました。現状はどのようになっていますか?

摘発にかんしては、警察の生活安全課のかぎられたひとと時間のなかで、ピンポイントで摘発強化する時期はあるのですが、それ以外の時期は野放しになっているように感じてしまいます。出会い系サイトの規制にかんしていえば、ほとんど意味をなしていない。

出会い系サイトへの未成年の登録はできませんが、業者は成人アカウントを取得しますし、売春相手を募集する書き込みについても実質的に野放し状態。業者側からしても、たとえ出会い系サイト側から注意をされたとしても、アカウントを変えてしまえばぜんぜん問題ないというのが実状です。

援デリ状態全体をみると、業者が飽和状態だなというのは感じますね。長くつづけることを考えなければ、援デリ業者をはじめることって、とても簡単なんですよ。男の人が「うわ! 金がない!」というときに、まわりの女の子を集めて、ぱぱっとお客さんをとる。稼げるだけ稼いで、一日で閉じてしまうということもできますからね。

 

彼女たちと支援者の断絶

―― どのようなかたちで取材をしていらっしゃるのですか?

ぼくの場合、荻上さんみたい(https://synodos.jp/newbook/265)に自分から積極的に調査するというよりは、だれかが紹介してくれたひとを取材するというかたちをとっています。これは、複雑な背景をかかえた少女らが、一期一会の取材という関係で本当のことをなかなか話してくれないというのもあるし、抱える事情を語る言葉をもたない子も多いから。そして、仲介者のない少女を取材しても、あっという間に連絡不通になってしまうからです。

ゆっくりと何度も女の子に話を聞いて、ようやく出てきた本音をひろっていくという感じですし、長期間取材していくなかで、女の子が本気で困ったり落ち込んだときになってようやく本音をドロっという感じでこぼすこともある。ボロっと、というより、ドロっとという感じで。本当に苦しかったエピソードは軽く話せないということだと思いますが、取材のペースとしては本当に遅々としか進まないです。

―― 彼女たちが鈴木さんを恋愛対象としてみてしまうこともあるのでは?

そうでもないですね。『出会い系のシングルマザーたち』の取材をしていたときは、露骨に依存してこようという感じがありましたが、援デリの女の子たちはまだ10代から20代前半ですから、ぼくとはジェネレーションギャップもあるし、まだ自分にも世界にも絶望しきっていない。前を向いている気力があるうちは、記者風情に依存してはきません。取材後も連絡がくる女の子というのは、お金が無くなったり、落ち込んで死にたくなってしまったというときに連絡をしてくる子がほとんどですね。

でも、取材をするときに、女の子との距離感はけっこう大事にしています。いろいろな方から、「女の子たちに寄り添っていて、すごいですね!」とかいわれますが、彼女たちに本当に寄り添ったら、引っ張られてぼくが死んじゃう。寄り添ったら本当に支援なんかできないというのは、つねづね肝に銘じてます。

―― そもそも、なぜ裏の世界のルポを始めようと思ったのでしょうか?

うーん。むずかしいですね。えらそうな言い訳をしても、どうにも説明できない部分が多くて。でも、もともと自分は、痛いとか苦しいといっているひとをみるとめちゃめちゃ引っ張られてしまうタイプなんです。なんというか、苦しんでいるひとたちにたいして自分がなにもしてあげられないということに、必要以上に申し訳なさを感じてしまう。結局のところ、そういった自分の厄介な性格が、取材へのモチベーションになっているのかなという気がしています。最近思うのは、ぼくのメンタルは中学二年生くらいの女子だな、と(笑)。

―― でも、共感能力が強いからこそ、貧困の現場で苦しんでいるひとの現実を社会にとどけることができるのでは。

そうですね。彼らには言葉がないし、あったとしても当事者の言葉はいろいろなバイアスにのってしまうので、代弁者として社会にメッセージを伝えていかなければいけないとは思っています。苦しんでいるひとたちにたいして無理解なひとには、とてもプリミティブな怒りを覚えてしまうので。

―― 保護施設も取材されていますが、それも彼女たちをなんとか助けてあげたいという思いからでしょうか?

というよりは、支援しているひとたちと情報を共有したいという思いが強いですね。福祉の現場ではたらいているひとたちは、どうにもならない現実のなかで、なんとかしようと頑張っている。でも、支援者からはみえない情報がとても多くて。

『家のない少女たち』をだしたあとに、いろいろな施設の職員の方から「ようやくつながった!」という声をいただきました。もちろん、保護されている女の子たちからある程度の状況は聞いているけれども、具体的にそれがどんなところなのかはわからなかったそうです。それがぼくの本を読んでやっとつながった、と。ならば、少女たちがどう貧困の現場で生きているのかということを、支援の現場の方々が腑に落ちるかたちで伝えたいと思いました。

―― 現状として、貧困の現場と支援者の断絶は大きいのでしょうか?

そうですね。ただ、両者は断絶していなければ危険という面もあるようです。売春の世界にはさまざまな裏のつながりがあります。保護したところで、裏の世界の人間と支援者がたたかうのは難しいし、本来の業務に支障をきたす可能性もある。ことを荒立てれば、自分やまわりにまで危害がおよぶかもしれないわけですから。

理想をいえば、風俗でも援デリでもスカウトでも、あまりに悲惨な境遇で生きてきて、これはそっちの世界でも地獄をみるだけだなという女の子については、憐憫を感じているんです。そこと支援者が繋がればいいのにと思ったこともありますが、そう簡単な問題ではないですね。

それに、福祉の現場と援デリの女の子たちって、とても折り合いが悪いんですよ。女の子たちは、いくら生活がつらくても、「自分の力で自由を勝ち取っているんだ」というものすごい解放感にあふれている。でも、施設に保護されると、その自由はなくなってしまいますよね。

だから女の子たちは、生活が立ちいかなくったときには助けを求めるけれども、状況が良くなれば、やっぱり自由なところに戻りたくなってしまう。売春以外の方法でも自由を手に入れる方法がある、または手に入れるための能力をつけるためにはこんな方法がある。そういうことが女の子たちにスッと染みこむかたちで伝えられなければ、彼女ら側から支援者に寄ってくるのはすごく難しいと思います。

障害と貧困の関係

―― 性産業や貧困の現場には、障害をかかえているひとが多いとわれます。なぜ彼女たちは行政のセーフティネットから漏れてしまうのでしょうか?

障害にたいするセーフティネットというのは、障害を認定してもらうことではじめて機能するものです。あきらかに自分一人でなにもできないという場合には、おそらくネットにひっかかるでしょう。でも、「日常会話ができる」、「お金の支払いができる」、「電車で好きなところまで行ける」といったいろいろな「できる」がある場合、なんとか自力で生き抜くことができてしまう。そこに、彼女たちの貧しい成育環境が拍車をかけて、さらに障害が可視化されにくい状況がつくられてしまっているんだと思います。

―― 取材をおこなっていくなかで、どれくらいの割合で障害を持っている方に出会いましたか?

あきらかに知的障害をもっているような子は、狙って取材しなければ出会わないですよ。でも、コミュニケーション能力に問題がある子はとても多い。吃音がはげしい子とか、自分の考えを言葉にだせない子とか、重度の発達障害の傾向がみられる子とか。この傾向は『家のない少年たち』で取材した男の子たちにもあてはまりますね。

彼女らは、一般の性風俗業界からもパージされてしまって、過酷で危険な援デリにまで落ちてきている。でも、そのように社会に適合できない面をもった子たちをすべて福祉の力で助けるのはむずかしいというか、無理ですよね。結局、そういう子たちを許容し、フォローしていくことができるような社会をつくっていくことが必要かと思います。これは売春の世界に限らないことですが。

買う側の心理

―― どうして男の人はお金で女の子を買おうと思うのでしょうか。

記者業としては問題なんですが、ぼくは買う男には殺意じみた嫌悪感があって、理解できない以前に理解したくないという感情があります。でも、女の子を買っている男性たちを個々に取材してみると、彼らもなんらかのかたちで社会から排除されているひとたちなのかなという気がします。たとえば、若い客の中には女の子と同じような境遇で育ってきた男もけっこう多いんですよ。似た環境にいるからか、女の子たちともすごくなじみが良くて。付き合いはじめてしまうこともありますね。

―― お互い孤独な境遇で生きてきたぶん、パートナーと共依存関係になってしまうことも多いのでは?

正直なところ、DVの温床だと思います。女の子たちはまだ若いから、判断能力が低いんですよ。だから、すごく馬鹿らしい安直なストーリーにはまってしまうことも多い。ホストが「きみとは前世で恋人だったんだよ」といえば、女の子も「よく考えたら、わたしも前世であなたに会ったことがある気がする」といいだしてしまったりして。

買う側の男性にもそういった女の子たちの弱さにつけ込む奴がいるんですよね。たとえば、「記憶喪失ナンパ」とか。どういうことかというと、「自分は記憶喪失なんだ」という偽装をして、女の子に話しかける。そうすると、女の子のなかには「このひとを助けなきゃ」と思ってしまう子もいるわけです。でも、大人の男性が未成年の少女相手にそういうくだらない演技をやっているという時点で、人間として終わってますよ。不幸な境遇で苦しんできた少女に、そういう最低な大人の姿をみせるのは、本当に残酷なことだと思います。そういうことは洒落のわかる大人の女相手にやって、勝手に玉砕してくれと思います。

―― どうしてわざわざ未成年をつかうのか、と。

そう。買った女の子たちといろいろなコミュニケーションをとっていけば、彼女たちのかかえている苦しみとかもわかってくるはず。それなのに、まだお前は彼女たちを買うのか、と。SEXしてお金をあげるのではなくて、単純に支援してあげようという気になぜならないのか、と。

 

エロ本のライターさんのなかには、自分で女の子をナンパして、その体験を記事にしていくというひとたちが、わりとたくさんいたんですよ。どうして普通に話を聞くだけじゃだめなのかと不思議で、そのひとたちに話を聞いてみると、「女の子たちの本音は、一緒に寝てみないとわからないから」って。彼らに捨てられることで、女の子たちの心の傷をさらに増えてしまうことがわかっているのに、平然と女の子たちの本音を布団のなかで聞き取れるという彼らの心理が、ぼくには信じられなかったですね。

でも、すでに男性関係にあきらめの感情がある女の子だと、一晩だけの関係で「ひとのぬくもりを感じて、安心できました」と納得してしまう子も多いんですよね。たしかに、それなら割り切った関係なのかもしれないとは思いますが、「それで十分」といえるようになってしまった女の子の歩んできた道を考えると、切なすぎます。そういう関係をつづけていて、本当に好きなひとができたときにつらいじゃないですか。好きなひとにたいしても、「どうせ、このひとも……」って思ってしまう。

本当ならば、そういった問題を抱えている女性と「そんなことないよ」といえる男性が出会えれば良いのですが、両者の接点が少なすぎますよね。どうしても人間は、同じようなエピソードをもつひとにひっぱられてしまいますから。

―― 昼職で、ある程度お金もあるような男性がお客さんになることは少ないのでしょうか?

そういう男性もなかにはいます。でも、そういうひとは、「廃墟をすこしだけのぞきにきた」みたいな怖いものみたさ感覚のひとが多い。だから、援デリがどういうものかがわかれば、すぐにいなくなってしまいますね。

 

成功例とはなにか

―― 本のなかでは、里奈ちゃんという少女の話が、援デリの世界から抜け出すことができた成功例として描かれていますね。でも、それは本当に成功例といえるのかな、って思ってしまいました。

成功例として描くつもりはなかったんです。じつは最初、『援デリの少女たち』は彼女一人の話を書くつもりだったんですよ。里奈は容姿にも知能にも恵まれていた。でも、世の中そんなにうまくいかないだろう、と。彼女なりの紆余曲折と失敗があって、なかなか成功しなくて苦しんでいる彼女の姿を描こうと思っていたんです。そうしたら、彼女は本当に自分のもつ資産のみで、勝ち抜けてしまった。自分でも「マジですか!」って感じでした。

たしかに、彼女自身が今後どういう悩みを抱えていくかを考えてみたとき、けっして成功とはいえないと思います。里奈は家族とふたたび一緒に暮らせるようになったけれど、貧困や夜の世界から抜け出せたわけではない。もしかしたら、一生抜け出せないのかもしれない。でも、この前連絡を取ったときに、彼女は「毎日ママと殴り合いのけんかをしているけど、超ハッピー」といっていました。たとえ、殴り合いのけんかをしていたとしても、貧困から抜け出せないとしても、本人が幸せだと感じているなら、幸せといっていいのかもしれないと思います。

援デリの少女たちもそうですし、『家のない少年たち』で取材した少年たちもそうなんですが、貧困のなかからもがいてもがいて、ようやく大金を手にして、「あれ、お金ができたのに全然幸せに感じない」って呆然とする子たちが多いんです。お金が手に入れば安心して幸せになると思っていたのに、不安だし幸せを感じられないままじゃないかって。

まず、こうした社会の裏側で生きる少年少女の背景にはリアルに金がない「貧乏」の状態があるけど、そこから脱したあとにふたたび総合的な意味での貧困におちいる。里奈がほかと違ったのは、子供のころに不適切かもしれないけど周囲の大人のサポートがあり、兄弟愛があり、それを受ける感受性があったことだろうと思います。愛着障害なんて簡単にまとめることはとてもできないけど、やっぱりこうした子たちの不幸の連鎖を止めるためには、より幼い子供の貧困についての支援を考えなければならないのかなと思っています。

(2013年2月8日 品川にて)

プロフィール

鈴木大介ルポライター

ルポライター。「犯罪する側の論理」をテーマに、裏社会・触法少年少女らの生きる現場を中心に取材活動を続ける。著作に、『家のない少女たち 10代家出少女18人の壮絶な性と生』(宝島社)、『出会い系のシングルマザーたち―欲望と貧困のはざまで』(朝日新聞出版)、『家のない少年たち 親に望まれなかった少年の容赦なきサバイバル』(太田出版)、『フツーじゃない彼女。』(宝島社)『最貧困女子』(幻冬舎)など。現在講談社・週刊モーニングで連載中の『ギャングース』(原案・家のない少年たち)でストーリー共同制作を担当。

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