2014.04.26

「爬虫類型異星人」は何度でも現れる――『現代オカルトの根源』(大田俊寛)ほか

今週のオススメ本 / シノドス編集部

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『現代オカルトの根源――霊性進化論の光と闇』(ちくま新書)/大田俊寛

爬虫類型異星人=レプティリアンに地球は支配されている。

彼らの故郷は「竜(ドラコ)座」で、火星を支配していたこともあるが、住環境の変化で地球に移住してきた。レプティリアンは、アーリア人に憑依し、人間の家畜化を目指している。その支配から脱するためには、人間が愛の周波数帯を出すしかない。周波数を変えることで、レプティリアンをも超越できる存在になれる……。

さて、デーヴィッド・アイクの「爬虫類人陰謀論」を紹介してみたが、「くだらないなぁ」と鼻で笑ってしまった人が大半だろうし、この思想は非常に胡散臭く滑稽なものに思える。しかし、この背後に流れている思想は、決して特別なものではない。

『現代オカルトの根源――霊性進化論の光と闇』では、ヨハネ黙示録やマヤ歴に基づく終末予言、テレパシーや空中浮揚、オウム真理教など、現代オカルトの根底には「霊性進化論」と呼ばれる思想体系があることを指摘する。そして、奇想天外な爬虫類人陰謀論も、その流れを汲んでいる。

では、「霊性進化論」とはどのようなものなのであろうか。

著者の大田氏は、「人間の存在を、霊性の進化と退化という二元論によってとらえようとする図式」を「霊性進化論」としている。そこでは、自らの霊性を向上させようとする者と、その努力を怠り退化している者とに二分される。

霊性を向上させ神になるか、努力を怠り獣に身を落とすのか。この思考を突き詰めると、「自分たちは修業をしているから高度な霊性であり、私たちを理解しない者は低俗な霊性である」という差別意識につながる。低俗な霊性だから命を奪っていい。殺虫剤を撒くかのごとく、サリンを散布したオウム真理教の姿と重なる。

現代オカルトの発想を一つひとつ見ていくと、とても奇抜で滑稽なものに感じてしまう。しかし、本書を読んだ後は、それらの発想が生み出された理由がわかるはずだ。「爬虫類型異星人」は手を変え品を変え、私たちの前に現れているのである。(評者・山本菜々子)

『「問い」としての公害 環境学者・飯島伸子の思索』(勁草書房)/友澤悠季

1970年は時代を画する年だった。60年代後半から水俣病やイタイイタイ病の訴訟が報道されていたが、この年、首都圏で発生した光化学スモッグ被害を契機に、メディアや論壇において公害ブームが起こった。環境破壊という言葉が急速に広まったのも、同じ1970年だった。「公害」の全国的な認知と、配慮すべき「環境」の浮上。だがその後、このふたつの言葉がたどった経緯は、まったく異なったものとなる。

環境という言葉は企業のコマーシャルに使われるまでになり、20年後に訪れた地球環境ブームを経て確固たる地位を確立した。大気や水、生物多様性、廃棄物やエネルギー、いずれも環境問題として、現在、関心が高まるばかりだ。対して公害といわれて思い浮かべるのは、一般に四大公害病に代表される過去の出来事だろう。つまりこの言葉は、過ぎ去った時代に属するものとなっている。

公害から環境問題へ。公害を起こす社会から、環境を守る社会への転換。あたかもそこに文明の進歩があったかのような見方が定着している。本書が打ち壊そうと挑んだのは、公害を克服された過去のものとみなす、このような単線的なものの見方にほかならない。そのために著者が選んだ方法が、飯島伸子というひとりの研究者の生涯を追うことであった。

公害が社会問題となった時代に研究者を志し、環境社会学の創設にまでいたった飯島伸子。彼女の仕事の軌跡のうちには、その間に生じた布置の変化が刻まれている。本書はその変化を丹念にたどりながら、公害が環境問題に呑み込まれていくなかで覆い隠されてしまった「問い」を掘り起こす。

環境破壊という視座は、そのメカニズムを解明する自然科学的な眼差しを特権化する。だがそれは往々にして、環境問題の社会問題としての側面を覆い隠してしまう。つまりそこで苦しんでいるのは人間であること、しかもその苦しみは、生活の困難や人間関係の軋轢、崩壊によってもたらされるという事実を忘却させてしまうのだ。飯島はそうした次元に終生こだわった。

それは人間の被害にこそ目を向けようとするものなのだが、飯島の眼差しは被害という言葉の抽象性に回収することなく、一人ひとりの人間の生を、日常のきわめて微細な諍いやすれ違いから生まれる苦悩を、見つめつづけようとした。こうした眼差しは決して過去のものではないという本書の主張に、3.11とその後の社会を経験したわしたちは同意するはずである。(評者・芹沢一也)

『ハンナ・アーレント 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書)/矢野久美子

2013年に、『全体主義の起源』や『人間の条件』といった著作で知られる政治哲学者のハンナ・アーレントを主人公とした映画『ハンナ・アーレント』が岩波ホールで公開され大きな注目を集めた。これはアーレントが、ホロコーストにおける「最終解決(行政的大量殺戮)」の実行を担っていたアドルフ・アイヒマンの裁判を記録した『イエルサレムのアイヒマン』が中心となっている映画だ。

ではハンナ・アーレントは、どのような人生を送り、どんな哲学をもった人物なのだろうか。映画によってアーレントを知り関心を抱いたものの、難解な言葉で綴られるアーレントの著作はハードルが高く、なかなか手が伸びない人も少なくないだろう。そんな人にとっておきの本がある。今年3月に刊行された『ハンナ・アーレント』(中公新書)だ。

本書は、アーレントが残した数々の言葉にあたりながら、その思想をつぶさに紐解いていくものではない。ドイツの裕福なユダヤ人夫婦のもとで生まれ、幼少期から哲学に触れてきたアーレントが、ハイデガーやヤスパースといった知識人たちと交わした議論、ナチ台頭後の難民生活、そして第二次世界大戦終戦後の世界、その波乱に満ちた人生を辿りながら、その思考を描き出していくものだ。

「世界は沈黙し続けたのではなく、なにもしなかった」。ナチ(加害者)を断罪するだけでは済まされない、被害者においても道徳が乱れてしまうという全体主義の恐ろしさを説いたアーレント。その生涯は、いま私たちの目の前にある問題に対して、どのような態度をとるべきなのか、ヒントを与えてくれているように思う。

アーレントは生涯にわたり交流のあったヤスパースの死にあたり、このような言葉を残している。

「……著作は、死んだ人が世界に残していったもの、世界は彼が生まれるまえから存在し、彼が去ったあとも存在しつづける。著作がどうなるかは、世界の歩みにかかっています。けれどもこれらの本は生きられた人生であったという単純な事実、この事実は直接に世界に理解はされずに、忘れられてしまう危険にさらされています。……追憶は死者との交わりのなかでおこなわれ、そこから死者についての会話が生まれ、それがふたたびこの世にひびきわたります。死者との交わり――これを学ばなくてはなりません……」

アーレントの生きられた人生を忘れないためにも、ぜひ本書を手に取ってもらいたい。(評者・金子昂)

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シノドス編集部

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