2014.09.06

オバマよ、フォード政権から学べ!――海外報道からみるアジア回帰政策のいま

平井和也 人文科学・社会科学系の翻訳者(日⇔英)

国際 #安全保障#アジア太平洋

米国のオバマ政権は2011年後半にアジア回帰政策(「ピボット」、「リバランス」)を発表、アジア太平洋地域に地政学的戦略の軸足を置くことを宣言した。この政策によって2020年までに、米国の空軍と海軍の軍事力の60%をアジアに再配置すると決定を下した。

しかし、その後、国務長官や国家安全保障問題担当大統領補佐官などが交代する中で、ウクライナ情勢と中東情勢に大きな変化が生じ、米国はそれらの事態への対応に追われている。世界の他の地域に米国の注意を向ける必要が強まる中、アジア回帰政策は既に行き詰まっているという声も一部にある。

そこで本稿では、米国のアジア太平洋地域における外交政策の現状に注目する。

国防総省と軍主導の米国のアジア太平洋地域政策

まず最初に、アジア太平洋地域情勢を中心に報道を行っている雑誌『The Diplomat』が、8月16日付の記事(ザカリー・ケック氏)で報じた内容について見てみたい。

本記事では、中東、アフリカおよび欧州における米国の軍事行動が拡大している一方で、アジア太平洋地域における外交政策は国防総省と軍主導で動いており、政府高官の訪問は実質的な成果につながっていないことが強調されている。

記事の冒頭で、国防総省のジョン・カービー報道官が8月14日(木)の記者会見で語った、次のような発言が紹介されている。

「世界中の様々な情勢を考慮し、我が国はアジア太平洋地域の重要性を認識している。350,000人以上の米国軍兵士、200隻の艦船、海軍の大部分が太平洋に配備されている。また、我が国が同盟関係を結んでいる七ヶ国のうち五ヶ国が太平洋地域に位置しており、我々は太平洋地域を非常に重要視している」

続いて、米国の政府高官が相次いでアジア太平洋地域を訪問していることが紹介されている。

チャック・ヘーゲル国防長官がインドとオーストラリアを訪問し、その直後には、マーティン・デンプシー統合参謀本部議長[注1]がベトナムを訪問した。米国の統合参謀本部議長がベトナムを訪問するのは、ハノイの中央政府の下でベトナムが統一国家となって以来、初めてのことだ。この際に、ベトナム軍の最高幹部と国防大臣と会談しただけでなく、グエン・タン・ズン首相との会談も実現している。続いて、ボブ・ワーク国防副長官も六日間の日程でグアム、ハワイ、日本、韓国を訪問することになっている。

[執筆者注1]:米統合参謀本部とは米軍の最高参謀機関。国防総省に属し、大統領・国防長官・国家安全保障会議を補佐する。

ケリー国務長官とオバマ大統領の動向

記事ではさらに、ジョン・ケリー国務長官とオバマ大統領の動向にも言及している。ケリー長官の外遊は実質的な成果にほとんど結びついていないこと、またオバマ大統領はアジア回帰宣言以降、アジア太平洋地域についてほとんど触れていないことに注目している。その詳しい内容は、以下の通りだ。

ジョン・ケリー国務長官も七月に中国とインドを訪問、両国との戦略対話を行っている。また八月に入ってミャンマーで開催されたASEAN地域フォーラムに出席し、ヘーゲル国防長官と共にオーストラリアで開催された外務・国防閣僚会合(2プラス2)にも出席、ソロモン諸島も訪れている。さらには、ハワイの東西センターでアジアをテーマに講演も行っている。

しかし、ケリー長官の外遊はオーストラリアでの2プラス2以外、実質的な成果をほとんど生んでいない。東西センターでの講演でも、実質的なビジョンはほとんど何も語られなかった。さらに、中東情勢が重くのしかかっている。そのため、アジアにいても、心ここにあらずという状態だ。

さらに重要なのは、ホワイトハウスの存在感が、アジア太平洋地域から完全に消えてしまっていることだ。カート・キャンベル前国務次官補やトム・ドニロン前国家安全保障問題担当補佐官が政権を去った今、オバマ政権の中国政策およびアジア政策の鍵を握る人物が誰なのかという問題は、依然としてはっきりしていない。ホワイトハウス補佐官のほとんどが、アジア太平洋地域に関心を持っていないような印象を与える。オバマ大統領自身、アジア回帰を宣言したにもかかわらず、その後は外交政策に関する演説の中でアジア太平洋地域についてほとんど触れていない。

記事は、このような状況の中で、アジア重視の方針転換は軍事分野が中心となっているのが実態であることを強調しており、「例えば、新たな協定によって、オーストラリア北部ダーウィンに海兵隊が駐留することになり、米軍のフィリピン軍基地へのアクセスも強化されている」と伝えている。

以上が、雑誌『The Diplomat』の記事(ザカリー・ケック氏)のまとめだ。

次に、『The Diplomat』記事の後半で言及されていた、米国とオーストラリアの軍事面での関係について見てみよう。

安全保障で連携を強める米国とオーストラリア

同じく『The Diplomat』が8月15日付の記事(ケヴィン・プラセック氏)で報じた内容について見てみよう。記事では、外務大臣と防衛大臣の協議や軍の共同演習といった、米国とオーストラリアの軍事面での緊密な関係がクローズアップされている。

詳しい内容は以下の通りだ。

シドニーで行われた米豪外務・防衛閣僚協議(AUSMIN)[注2]には、米国とオーストラリアの外務大臣と防衛大臣が出席し、二国間関係の長期的な戦略の方向性について計画を策定した。今年の最重要議題は、防衛と安全保障における協力だった。両国の大臣は戦力態勢協定に調印したが、同協定によって、オーストラリア北部ダーウィンに、最大で2,500人規模の米海兵隊がローテーション展開することが定められた。この協定に基づいて、米海兵隊は豪海兵隊との共同演習および共同訓練を実施することになっている。さらに、米軍の戦闘機によるオーストラリア北部へのローテーションも増え、米国空軍とオーストラリア空軍の連携が強化されている[注3]。

[執筆者注2]:米豪外務・防衛閣僚協議(AUSMIN)は1985年以降、毎年定期開催されている。

[執筆者注3]:2011年11月、オバマ米大統領とギラード豪首相(当時)は共同発表を行い、(1)ダーウィンなどのオーストラリア北部において米海兵隊が毎年六ヶ月程度のローテーションで展開し、オーストラリア軍との演習・訓練を行うこと、(2)オーストラリア北部におけるオーストラリア軍の施設・区域への米空軍機のアクセスを拡大し、共同演習・共同訓練の機会を拡大することを内容とする米豪戦力態勢イニシアティブを明らかにした。

チャック・ヘーゲル米国防長官はこの協定について、「地域の安全保障に対する米豪両国の同盟による貢献を拡大・深化させ、アジア太平洋地域における米国の戦略的リバランスを前進させるものだ」と述べている。デヴィッド・ジョンストン豪防衛大臣は、アジア太平洋地域における米国のリバランスは「非常にスムーズに」進んでおり、「両国にとってメリットをもたらす理想的な状況だ」という点を強調している。

米国とオーストラリアはこのように協力関係が深まっており、2014年共同声明では、二年に一度行われている米豪共同演習「タリスマン・セーバー」[注4]を通じて、集団的能力を強化し、即応性を維持し、米豪軍の相互運用性を強化する重要性が強調されている。

[執筆者注4]:「タリスマン・セーバー」は2005年以降行われている米豪共同演習で、作戦分野における即応性や相互運用性(インターオペラビリティ)の向上を目的としている。2013年7月から8月にかけて行われた同演習には、約21,000人の米軍および約7,000人のオーストラリア軍が参加した。

また、ミサイル防衛における協力強化に関する計画も前進している。両国の大臣は、「アジア太平洋地域における弾道ミサイルの脅威増大に対抗するために共同で行動する」ことで合意した。

以上が、『The Diplomat』記事(ケヴィン・プラセック氏)のまとめだ。

オーストラリア戦略政策研究所研究員、ロッド・リオン氏の米豪関係分析

米国とオーストラリアの関係に関しては、米国の外交専門誌『The National Interest』でも8月14日付の記事(ロッド・リオン氏=オーストラリア戦略政策研究所研究員)で報じているので、その内容についても以下に見てみよう。

本論考では、米国とオーストラリアの関係について、SWOT分析[注5]に基づいて二国間関係の強み(S)、弱み(W)、機会(O)、脅威(T)という四つの視点から、次のような分析が行われている。

[執筆者注5]:通例、マーケティングでよく使われる分析ツールで、Strength(自社の今持つ強み)、Weakness(自社の今持つ弱み)、Opportunity(市場にある新たな機会)、Threat(競合からの潜在的な脅威)の四つの分析項目から成っている。

●三つの強み:家族のような親密さ、大きな戦略の共有、強固な基盤

(1)家族のような親密さ:英語圏は国際的な規模の家族のようなものであり、共通の血と文化によってつながった関係は深く根付いている。

(2)大きな戦略の共有:長期的に見て最高の同盟国とは、本質的に同じものを望む関係にある。米国とオーストラリアは、自由で繁栄をもたらす安定した世界秩序を望むという戦略的な共通点を共有している。

(3)強固な基盤:米国とオーストラリアの同盟関係には六十年以上の歴史があり、両国はこの同盟関係を、21世紀によりふさわしいものにすべく協力し合うための新たな方法を模索している。

●三つの弱み:時代背景、地理的条件、戦略的な国民性の違い

(1)時代背景:長期にわたる時代的な要因があり、それは地域の大転換という大きな変化とつながっている。米国のアジア回帰のタイミングは、地域の大国の台頭によって、アジア太平洋地域における欧米の影響力が落ちているタイミングにぶつかっている。

(2)地理的条件:オーストラリアが米国の最前線のパートナーのように重要な国になることは決してないだろう。地理的に言って、オーストラリアはユーラシアの縁に位置する国々に沿って形作られた戦略的な秩序から、あまりにも遠く離れた場所に位置している国だからだ。

(3)戦略的な国民性の違い:米国とオーストラリアは戦略に関係する国民性の特徴が異なっている。米国人の国民性は外向的で直観的、感覚的だ。対して、オーストラリア人の国民性は、外向的で直観的だが、熟考的だ。

●三つの機会:アジアの共同歩調、米国の東南アジアに対する認識の変化、関係性を高めることができる条約の存在

(1)アジアの共同歩調:アジア諸国は米国とオーストラリア両国とのさらなる共同歩調を望んでいる。日本はその典型的な例だ。オーストラリアと日本との関係、オーストラリアとインドネシアとの関係は近くなっている。

(2)米国の東南アジアに対する認識の変化:従来、米国は東南アジアを海上交通路と考えてきた。また、9.11テロ後はテロとの戦いにおける第二の前線になりうる地域として捉えてきた。現在では、二つの重要な海洋が交差する場所に位置する影響力のある地域だと考えるようになってきた。

(3)関係性を高めることができる条約の存在:米国とオーストラリアは典型的なネットワークを構築した関係にある。ANZUS条約[注6]の下で、両国は地域においてさらにネットワークを広げる余地が保障されている。

[執筆者注6]:1952年に発効したオーストラリア・ニュージーランド・米国間の三国安全保障条約。ただし、ニュージーランドが非核政策をとっていることから、1986年以来、米国は対ニュージーランド防衛義務を停止している。

●三つの脅威:当たり前の充足感、勘違い、注意散漫

(1)当たり前の充足感:両国が二国間関係を「お決まりの日常」と見做す危険性がある。AUSMINは実際この危険性を高めており、閣僚協議に対する両国の政治意識が薄れてきている。

(2)勘違い:オーストラリアはANZUS条約に関して、アジアとの関与を深める上での障壁になるものだと考えるようになってきている。しかし、これは単純な勘違いであり、その原因はANZUS条約を前時代からの戦略的な遺物だと見做していることにある。

(3)注意散漫:米国は国内問題、国際問題を含めてもっと緊急性の高い優先課題に迫られれば、オーストラリアとの関係に対する注意は簡単に逸れる可能性があり、これはオーストラリアにも言えることだ。オーストラリアの米国との戦略的協調関係における真の脅威とは、両国関係が内部から腐食して空洞化し、実質的・積極的な意味を失って、受け身の関係に陥ることだ。

以上が、『The National Interest』の記事(ロッド・リオン氏)のまとめだ。

フォード政権のアジア太平洋地域政策から学ぶべき教訓

最後に、『The Diplomat』が8月15日付の記事(アンドリュー・ゴーソープ氏=英国防衛アカデミー研究員)で報じた内容について見てみよう。

この記事では、米国の第38代大統領(在任期間1974年~1977年)であるジェラルド・フォードの時代にも、今日のオバマ政権が直面しているのと同じような状況があったという前例を指摘、フォード政権のアジア太平洋地域政策から教訓を学ぶことの重要性を強調している。

記事はまず、現在のオバマ政権の不干渉主義の外交政策に注目し、アジア太平洋地域をめぐる情勢について、次のように説明している。

オバマ政権は「アジア回帰」の政策変更によって、極東地域における立場を強化しようとしている。だが、中国が軍の近代化を進めている中、米国のパートナーと同盟国は自国の軍備増強を迫られる状況にある。さらに喫緊の懸念材料は中国の膨張主義だ。その典型例が、尖閣諸島を含む空域に中国が防空識別圏を設定したことだ。オバマ大統領が不干渉主義の外交政策を展開する中で、中国が領土紛争に対して具体的な動きを見せた時に、米国が事態を収める対応を見せるかどうかという点について、アナリストと外交官は疑問を深めている。

アジア太平洋地域に攻撃的な敵対国が存在し、同盟国が神経質になる中、米国の世論は同盟国を安心させようとする積極的な姿勢を明確にしていない。オバマ政権が現在直面しているこの状況は、ジェラルド・フォード大統領の時代にも見られたものである。そこで、フォード大統領と、国務長官としてその外交政策を支えたヘンリー・キッシンジャーのアジア太平洋政策を振り返ってみることは、現在の米国のアジア太平洋地域における立場を大局的に見る上で極めて有用だ。

フォード政権とオバマ政権に共通する外部・内部要因

記事では、フォード政権とオバマ政権に共通する外部要因および内部要因について、次のように論じられている。

ウォーターゲート事件[注7]によるリチャード・ニクソンの失脚を受けて、フォードが大統領に就任した翌1975年、南ベトナムが陥落し、フォード大統領は事態への対応を迫られた。米国がベトナム戦争[注8]に敗北したという結果は、アジア太平洋地域に衝撃をもたらし、米国の国力の壊滅的な崩壊が始まったことを象徴する事態ではないだろうかという疑念が広がった。

[執筆者注7]:1972年6月、リチャード・ニクソン大統領の共和党の再選支持派が、ワシントンのウォーターゲートビルにある民主党全国委員会本部に盗聴器を仕掛けるため侵入、逮捕された事件で、米国史上最大の政治スキャンダルとして歴史に残っている。ホワイトハウスは関与を否定したが、『ワシントン・ポスト』が調査報道で追及し、裁判の過程でもみ消し工作も明らかになり、1974年8月、ニクソンは米国史上初めて現職大統領として辞任した。

[注8]:ベトナムの独立と統一を巡る戦争で1960年に始まった。東西冷戦を背景に旧ソ連などは北ベトナムを支援、米国は南ベトナム政府を支援して1963年に本格的に軍事介入した。北ベトナムは1960年結成の南ベトナム解放民族戦線を支援し、米軍と戦った。1973年に和平協定が成立し米軍が撤退。1975年に南ベトナム政府が崩壊して終結し、翌年に南北が統一された。

同じように今日でも、米国の同盟国は、これからも米国は安全保障に対する約束を果たそうとするだろうかと、疑問を持ち始めている。また、オバマ政権がシリアでの軍事行動を開始する前に議会の審議に諮るという前例をつくったことで、議会は主張を強め、介入主義に反対する姿勢を見せている。フォード政権時代には、フォード大統領とキッシンジャー国務長官は初期のネオコン運動による批判を浴びた。当時のネオコンは今日の対中国タカ派と同様に、フォード政権の政策を弱腰で対決を避けようとしているものと見ていた。

記事はこのように論じた上で、フォード大統領とキッシンジャー国務長官は、ネオコンによる圧力がかかる中、サイゴン陥落後の米国の大敗北と見られていた事態を収めるのに成功したことを強調している。そして、フォード政権が残した有益な教訓として、次の二つを挙げている。

第一の教訓として、フォード政権は歴史の潮流に逆行するようなことはしなかった。米軍撤退を要求するタイ政府の圧力を受けて同政権は、タイが周辺地域の共産主義諸国と友好関係を築く邪魔をする考えはないとの声明を発表した。フィリピンのフェルディナンド・マルコス大統領が米軍の同国への駐留権を疑問視し始めると、フォード政権は時間稼ぎをしながら別の場所に基地を移設しようとした。

しかし、また同時に、フォード政権は敵対国に対して、超えてはならないレッドラインがあることを示す力強い態度も見せた。アジア太平洋地域におけるフォード政権の第二の教訓は、計算された防御的な武力行使によって敵対国に対する抑止力を発揮し、地域の安全保障構造にできた亀裂の悪化を防ぐことができるということを示したことだ。

米国民間コンテナ船ハイジャック事件へのフォード政権の武力行使

記事は次に、フォード政権が当時のカンボジアとの間で、武力行使の事態に直面したことに言及している。フォード政権はこの時、戦争権限法と議会の決定を無視してまでも武力行使をいとわないという決然たる姿勢を明確に示した。

フォード政権にとって最初の武力行使は、1975年5月に米国民間船籍のコンテナ船「マヤグエース号」が公海上でカンボジアの小型砲艦にハイジャックされ、タイランド湾のコー・タン島まで連れ去られた時の救出作戦だった。1968年1月には、米国の武装情報船「プエブロ号」が北朝鮮の元山港沖で朝鮮人民軍海軍艦艇に拿捕され、乗組員が逮捕・取調べを受けるという事件も起きた。フォード政権は事態を公海での自由な商業活動に対する脅威と見做し、コー・タン島への空挺部隊による攻撃、「マヤグエース号」の安全確保、カンボジア本土の標的への爆撃を実行するという毅然とした対応に出た。

フォード大統領とキッシンジャー国務長官はこの作戦を実行する際、1973年戦争権限法とインドシナにおける軍事行動に対する議会の禁止措置の両方を無視した。それは、たとえ議会の反対にあったとしても大統領府は約束を守るということを、韓国や日本などの同盟国に改めて知らしめようという意図があったからだ。救出作戦で海兵隊員41人の死者が出たものの、フォード政権は地域秩序の現状維持のためには武力行使をいとわないという姿勢を明確に示すことに成功した。

1976年の朝鮮半島の軍事境界線でも武力行使を見せたフォード政権

さらに、フォード政権が朝鮮半島でも武力を行使し、作戦を成功させた事例を記事は挙げている。フォード政権はこの時、爆撃機と地上部隊を送り込む大規模作戦を展開した。

国益と同盟国を守るためには武力行使もいとわない、というフォード政権の毅然とした態度は、1976年8月に韓国と北朝鮮の軍事境界線をなす非武装地帯に設けられた共同警戒区域で起こった事案でもはっきりと示された。北朝鮮は米国大統領選挙が行われたこの年[注9]に、韓国における米国のプレゼンスを問題にしようという大胆な動きを見せた。米国人兵士と韓国人兵士の作業チームが護衛所からの視界を遮る木を切ろうとしてその場を離れた時、斧を持ち、テコンドーの武術を身につけた約三十人の北朝鮮兵士の襲撃を受けたのだった。この戦闘で二人の米国人将兵が死亡し、共同警戒区域で初の死者が出る事態となった。

[執筆者注9]:1976年の米国大統領選挙では、共和党の現職であるジェラルド・フォード大統領と民主党の新進候補であるジミー・カーター前ジョージア州知事が対決し、カーターが勝利を収めた。

この事態に対して、フォード政権はここでも、毅然とした姿勢を明確にした。具体的には、核保有能力のある爆撃機を上空で旋回させながら、大規模な地上部隊を非武装地帯に送り込んで木を伐り落とすという「ポール・バニアン作戦」[注10]を考えたのだ。この作戦は滞りなく完遂され、米国の対応は北朝鮮による謝罪という極めて稀な結果を勝ち獲った。

[執筆者注10]:ポール・バニアンとは、米国で伝説として語り継がれている巨人のきこりのこと。途方もない知恵と腕力を持ち、19世紀の中頃から末にかけてミシガン、ウィスコンシン、ミネソタの大森林の伐採に活躍してピュージェット湾をシャベルで堀り出したという伝説が残っている。

オバマ政権と米国の同盟国が学ぶべきフォード政権の教訓

最後に、オバマ政権と米国の同盟国はフォード政権の教訓を学ぶべきだと記事は主張し、次のように結論づけている。

米国は、中国が台頭する中でも、同盟国またはアジア太平洋地域の商業活動を支えている国際法の原則が侵害されるような場合には、ただでは済まないということを明確に示すべきだ。断固とした態度がいきすぎると、米国や同盟国が紛争に引きずり込まれる危険性があるが、逆に、危険を冒してでも行動する姿勢が見えないと、地域の秩序が崩れ、対中国タカ派が米国政界において優位に立つという状況を許すことになるだろう。フォード政権は四十年前にこれと非常によく似た外交的曲芸を見事に成し遂げた。オバマ政権と米国の同盟国はその教訓を学ぶべきだ。

【参照記事】

The Diplomat: America’s ‘Military First’ Asia Pivot

http://thediplomat.com/2014/08/americas-military-first-asia-pivot/

The Diplomat: The Australia-US Alliance Grows Ever Closer

http://thediplomat.com/2014/08/the-australia-us-alliance-grows-ever-closer/

The National Interest: Tensions in Asia are Rising: How Strong is the U.S.- Australia Relationship?

http://nationalinterest.org/blog/the-buzz/tensions-asia-are-rising-how-strong-the-us-australia-11079

The Diplomat: Ford, Kissinger and US Asia-Pacific Policy

http://thediplomat.com/2014/08/ford-kissinger-and-us-asia-pacific-policy/

サムネイル「U.S. President Obama Speaks at Intel’s Fab 42」Nick Knupffer

http://www.flickr.com/photos/intelphotos/6763303437

プロフィール

平井和也人文科学・社会科学系の翻訳者(日⇔英)

1973年生まれ。人文科学・社会科学分野の学術論文や大学やシンクタンクの専門家の論考、新聞・雑誌記事(ニュース)、政府機関の文書などを専門とする翻訳者(日⇔英)、海外ニュースライター。青山学院大学文学部英米文学科卒。2002年から2006年までサイマル・アカデミー翻訳者養成産業翻訳日英コースで行政を専攻。主な翻訳実績は、2006W杯ドイツ大会翻訳プロジェクト、法務省の翻訳プロジェクト(英国政府機関のスーダンの人権状況に関する報告書)、防衛省の翻訳プロジェクト(米国の核実験に関する報告書など)。訳書にロバート・マクマン著『冷戦史』(勁草書房)。主な関心領域:国際政治、歴史、異文化間コミュニケーション、マーケティング、動物。

ツイッター:https://twitter.com/kaz1379、メール:curiositykh@world.odn.ne.jp

この執筆者の記事