2012.10.10

8月から9月にかけて中国全土で繰り広げられた反日デモは、9月18日の大規模なデモ以降、いまのところひとまず鎮静化した。終戦の日、8月15日に香港の活動家が魚釣島に上陸し、身柄拘束されることで燃え上がった反日感情の炎に、8月19日の日本人による魚釣島上陸が油を注ぎ、中国国民の反日感情を大いに刺激し、20都市以上で反日デモが発生した。さらに8月27日には、北京の道路上で走行中の日本大使公用車が襲われ、国旗が奪われるという事件も起こった。

そして9月11日の日本政府による尖閣諸島国有化の発表を受けて、翌日12日には中国国内のメディアが激烈な日本批判の見出しを掲載。これが日本に対する過激な抗議行動のゴー・サインとなり、15日から18日にかけて全国100都市以上での激しい反日デモへと発展した。

今回の反日デモはいくつかの点であきらかに過去のデモとは変質してきている。それは中国社会における情報環境の変化と、治者と被治者との関係の変化と連動しているように感じられる。

2005年の反日デモと今回の反日デモを比較し、どのような点が異なってきているのかみていこう。2005年の反日デモの発生の経緯は、次のようなものであった。

政治権力による監視と抑圧

2005年2月末、米国にて、現地在住華人の組織「世界華人抗戦史実維護連合会」によって、日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名サイトが立ち上げられる。

その動きに連動し、3月19日には、「918愛国ネット」が中国国内に同様の署名サイトを立ち上げ、中国国内の「論壇」サイトのBBSやブログ、オンライン・チャットサービスの「QQ」などを通じて、日本の常任理事国入りに反対する声が高まっていく。はやくも3月24日には署名が100万人を突破し、3月28日には全世界1600万人の署名を集めた。誰でも参加して意思表明できる参加型反日活動の展開によって、反日世論の空気がどんどん過熱していったのである。

ここからデモという集団行動の直接の引き金になったのは、日本の歴史教科書に関する報道だった。3月11日、韓国のNGOが日本の『新しい歴史教科書』の改訂内容を伝えた。これが中国でも報じられ、反日感情を強く刺激した。さらに、この『新しい歴史教科書』が検定に合格したとの情報が、抗議デモの呼びかけへとつながったのだった。

まず、4月2日に成都で反日デモが起きたのを皮切りに、3日には深圳で街頭署名活動からデモへと発展した。そして5日には北京、10日には広州、16日には上海でと次々に飛び火し、3週間にわたっておよそ20の都市で10万人以上が反日デモに参加したとされる。

4月5日の北京での反日デモは、「中華抗日連盟会」など、いくつかの反日組織が集合時間と場所を設定し、組織的に情報を拡散していった。当時、情報発信の主なツールは、こうした反日組織のホームページのほか、BBSやブログ、「QQ」、および携帯電話のショートメッセージであった。

こうした当局のコントロールを越え、インターネットで急速に拡大した国民世論と、一部暴徒化した反日デモは、中国では前代未聞の出来事であった。

4月12日には北京市の公安局(公安は日本の警察に相当)が、無届のデモを禁止するとともに、市民や学生は無届のこうしたデモに参加しないように呼びかけた。さらに同月21日には国家公安部が、インターネットや携帯電話のショートメッセージでデモを呼びかけることは違法行為であるとし、破壊行為をおこなった者は厳正に処罰するとのコメントを発表した。その後、上海市や広州市の公安局も同様に、勝手にデモを組織することや破壊活動の扇動に厳しく対処する方針を公表している。

わたしは以前、2005年に北京でのデモを組織した反日組織のメンバーに話を聞いたことがあるのだが、公安側はデモの暴走を抑え込むために反日組織のメンバーに個別に接触してきたそうだ。直接、個人と面談し説得する(脅しをかける)。それだけでなく、務めている会社にも圧力を加える。公安に睨まれることで、会社にもいづらくなり、収入も減り、「結局、反日活動家は結婚もできない、哀れなものさ」と自嘲気味に語っていたのが印象的だった。大規模な反日デモ発生後、日本に伝えられていないところで、当局は民間人の暴走を抑え込むために尽力をしていたことがうかがえる。

2005年の反日デモのときは、時間をかけて反日世論が拡大していき、それに反対する声はほとんど出てこなかった。また、デモを扇動した中心メンバーが明確であった。デモは繰り返し発生したが、そのメンバーに個別に圧力をかけることで、当局はデモを鎮静化させた。そして、おもに大都市でデモが発生した。地方都市でのデモの発生は限られていた。

権力の網の外で流動する人口

それから7年。今日、人々をとりまく社会環境と目にすることのできる情報が大きく変化している。2005年の反日デモと今般の反日デモを比べると、以下の3つの違いがあった。

1) 小規模都市にもデモが拡大し、範囲が広がったこと

2) 群衆と離れたところでの個人の突出した暴力的行動があったこと

3) 暴力的な行動に対する批判的見解も少なくなかったこと

今回のデモ発生後、わたしは広東省の愛国的な活動をしている民間組織のメンバー数名に、現地の状況を尋ねてみた。かつて日本軍と戦った元国民党兵士の老人をサポートし彼らの国家への貢献をたたえる活動をしている、いわば筋金入りの愛国者で反日な人たちだ。

「あなたたちもデモに参加した?」という問いかけに対して、「とんでもない、あんな暴力的なデモには参加しない。わたしたちは一貫して冷静な行動を呼びかけていたんだ」と、ヤツらと一緒にしないでくれという回答が返ってきた。2005年のデモのときなら、彼らのような愛国的な活動をしている組織が中心となって、デモを組織したに違いない。今回のデモは、そうした彼らからして「雑多な人たちが集まっためちゃくちゃなデモ」だったのだ。

雑多な人たちというのは、地方から都市に来た流動人口が主体となっている。都市に親族や有力なコネがなく、サービス業や工場労働者として中の下くらいの賃金で雇われている人たちだ。

どんどん豊かになっていく都市の生活環境のなかで、都市の市民が親族や知り合いのコネで飛躍のチャンスがあるのに対して、流動人口はそうした社会関係資本がなく、低賃金で雇われつづけるしかない状況におかれている人たちである。

しかも、今回のデモは20代から30代の世代が中心であったようだが、こうした若い世代は、それ以前の世代に比べて、義務教育を受け、物質的にも恵まれた環境で育っているので、権利の意識が高く自己主張が強いのも背景にある。

そうした流動人口の抱える不遇感や不公平感、抑圧感が何かのきっかけで連帯すると、反日デモに限らず、身近な社会問題への人々の不満から発生する「群体性事件」と呼ばれる集団抗議行動に発展しやすくなっているのだ。

地方の小規模都市も発展が目覚ましい今日、そうした持てる者と持たざる者の差は地方にも広がっている。今回、中小規模都市でも過激な反日デモが起こったのは、こうした中国における人々をとりまく環境の変化が根底にある。

以上は、反日デモの背景として、「格差の広がりや社会矛盾に対する不満」があるとすでに指摘されている点である。さらにそれに加えて、有形無形で人々を縛りつけていた権力による心理的な圧迫が緩んでいることも、今回のデモには関係しているのではないかと思う。

中国の40代以上の世代は時代のなかの政治運動のうねりを経験し、コミュニティや職場においても党組織の管理のネットワークなかでの生活があたりまえだった。これに対し、現在、都市に流れ込んでいる人たちは、転職や転居することが多く、流動性が高い。良くも悪くもそうした政治的な権力の管理の網の外にいて、権力に対する畏れが少ない人たちだといえる。

崩れつつある党と政府の威信

また、そうした流動人口の特徴以外にも、昨今、世の中全体の政治権力に対する意識が変化してきているのも、見過ごすことのできない点なのではないかと思う。

おもに各地の地方紙「都市報」を中心とするニュース・メディアの発展と、インターネットの普及によって、人々に身近な社会問題に多くの人が関心を寄せるようになっている。

そうしたなか、2007年ごろから、政府に対する批判、公務員の汚職や不正行為に対して厳しい目が向けられるようになった。これまで絶対的な存在だった党と政府の威信がどんどん崩れてきているのだ。2011年7月に起きた高速鉄道の追突脱線事故に対する国民の鉄道部に対する批判の声は、その最たる一例といえるだろう。

今年の6月から8月にかけて、わたしが広東省に滞在した際、一般の人たちとの会話のなかで、「汚職とか不正とかひどくてねぇ」という言葉がたびたび出てきた。実際、経済発展のなかで党員や政府の規律が緩んでいるという事実もあるのだろうが、それ以上に、報道でそれが繰り返し伝えられることで、それが疑いようのない事実として人々の意識に強く根づいているのを感じた。

現在、人々が共有する世間の空気のなかに政治権力に対する不信感がかなり広がっている。政治権力は人々を監視する側から、監視される側へと変化してきている。それによって、権力に対するこれまでの畏れが薄らいできているのだ。

こうした政府の威信の揺らぎが、これまで権力に対して弱者であった人たちを怖いもの知らずに変えてしまう。群衆のなかにいればなんでもやっていいだとか、愛国世論の代表者として日本大使の公用車を襲ったり、日本人に暴行を加えてもいいのだ、という大胆な突出した行動にもつながるのである。

政治権力の威信をそぎ落としつつあるニュース・メディアの発展とインターネットの普及は、このように中国社会に静かだが確実な変化をもたらしている。さらにもうひとつ、情報環境の変化で重要なのはソーシャル・メディア「微博」の普及である。情報が瞬時に全国に広まる「微博」は、世論を熱しやすく冷めやすいものに変えた。

移ろいゆく即自的な「熱狂」

石原都知事が東京都による尖閣諸島購入の計画を発表した今年の4月から5月にかけて、じつは「微博」ではそれほど尖閣問題は話題になっていなかった。というのも、そのときの中国のメディアと世論は、南沙諸島のスカボロー礁をめぐる中国とフィリピンとの対立に、関心の9割以上が向けられていたからだ。

日本が相手のときと違って、中国にとって小国にすぎないフィリピンが中国の対抗相手としての登場することは、中国では目新しい事件だった。それだけに中国国内の世論は大国意識をむき出しにして愛国心を高ぶらせフィリピンを批判していた。

ちなみに、9月11日に日本政府が尖閣諸島を国有化すると発表した翌日の12日、中国のメディアと世論の関心は日本批判一色で、「微博」でも反日世論が吹き荒れたのだが、13日の「微博」のトップの話題はiphone5発表になっていた。情報がつねに流れつづけている「微博」では、そのとき一番人々が関心のあることに話題の中心は速いスピードで変化する。

今回反日デモに参加した人たちも、そうした移ろいやすい世論に影響された人たちだ。2005年のときのように明確なリーダーがいて組織されているわけではない。参加者の多くの目的は反日デモに参加することであって、日本に対して抗議することが目的ではない。

つまり、デモに参加して、一時的に多くの人々と感情を共有し興奮することが目的になっているのだ。なので、いかに過激で暴力的で凄惨な結果を引き起こそうとも、ひとしきり暴れたら、それで満足なのである。次にまた新しい火種が起こらないかぎり、あっさりとデモの波は引いていってしまうのだ。

さらにいえば、これだけたくさんの都市にデモが拡散したのも、インターネットの普及によるところが大きい。コピー&ペーストで情報の加工や追加が簡単にできてしまうため、いわゆる「予言の自己実現」が可能になってしまう。

つまり、個人が「こうなったらいいな」という個人の期待を反映しやすく、デモはもっと拡大させるべきという期待も、集合場所と時間を呼びかけるだけで実現できてしまうのだ。これは2011年2月の中国ジャスミン革命の騒動のときにもみられた現象だ。

批判される暴力と狭隘な愛国心

一方で、今回のデモでは過激な暴力に対する非難の声も多くみられたのも新しい現象である。ソーシャル・メディア「微博」の普及で、2005年のときであれば大きな声にかき消されて目立つことのなかった異なる意見も、目に見えるようになっている。

たとえば、9月28日に、作家の村上春樹氏が尖閣諸島問題の文化交流への影響の波及を憂慮したエッセーを日本で発表したが、これが翻訳されたものが「微博」上で繰り返し転送された。村上氏はこのエッセーの最後に、日本の書籍が中国の書店から撤去されたことに対して、日本側は報復的な行動をとらないでほしい、と述べている。

村上氏は中国でも若い世代から支持され、リスペクトされている日本の文化人のひとりだ。おのずと中国の若い世代への影響力は大きい。「微博」のコメントでは、村上氏の小説の中国語訳をてがけた林少華氏が、今回の尖閣問題を受けて日本の図書が本屋から撤去されることを支持するとコメントしたことを引合いにだし、度量の違いと、狭隘な愛国主義に偏ることの危険性を示唆した意見が多くみられた。

2005年の反日デモと今回の反日デモを比較することで見えてくるのは、豊かになっていく人々の社会環境のなかで、格差と情報による人々の二分化が進んでいるということだ。

つまり、すでに豊かになれた人が増えた一方で、それを尻目に豊かになることが見込めない人、あるいは既得権をもっている人ともたざる人という経済的・社会的な格差、そして情報が瞬時に駆け回ることで過激な抗議行動に身を投じて一時的な興奮を楽しむ人たちと、それを冷やかに見る成熟した議論ができる人たち。

だが、そうしたアンバランスを調整し、調和のとれた「和諧」社会に導こうとする政府も、これまでのような権力の権威が揺らいでいる。

日本国内では、反日デモのすさまじい爪痕につい目がいってしまいがちだが、こうしたデモの水面下にある、中国社会の変化についても冷静に関心を向けてみるべきではないだろうか。

プロフィール

西本紫乃

1972 年広島県生。中国系、日系航空会社勤務などを経て、2007年~2010年外務省専門調査員として在中国日本国大使館に在籍。現在は広島大学大学院社会科学研究科博士後期課程在籍中。専門は中国メディア事情、日中異文化コミュニケーション。著書に『モノ言う中国人』(集英社新書)。

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