2010.09.28

尖閣諸島問題は北方領土問題に影響するか?  

廣瀬陽子 国際政治 / 旧ソ連地域研究

国際 #北方領土#尖閣諸島#メドヴェージェフ#尖閣諸島問題#ダゲスタン

尖閣諸島問題をめぐるロシアの目

尖閣諸島問題をめぐって、中国との関係が緊張を極めている。日本が尖閣諸島沖の衝突事件で逮捕され、拘留されていた中国漁船の船長を釈放し、さらに中国が「不法な拘留」に対して謝罪と賠償を求めていることは、日本人に大きな衝撃をもたらしている。

インターネットでは、日本はこのまま、中国に尖閣諸島を、韓国に竹島を、ロシアに北方領土を譲ってしまうのではないかというような書き込みも、多くみられるようになっている。それでは、尖閣諸島問題は北方領土問題に影響するのだろうか?

「本問題」に関しては静観の模様

実際のところ、ロシアは「本問題」に関しては静観を保っているようだ。奇遇にも、ロシアのメドヴェージェフ大統領は今月26日から3日間の予定で中国を訪問し、第二次大戦での対日戦勝65周年に関する共同声明を出す予定となっていたが、それは尖閣諸島問題が先鋭化する前から決まっていたことである。

メドヴェージェフ大統領は、1904~05年の激戦地だった大連・旅順口を訪問し、日ロ戦争および第二次世界大戦におけるソ連軍・ロシア人の犠牲者追悼行事に参加、北京で首脳会談を行なって共同声明を発表する予定となっている。

その共同声明は、ロシア(当時はソ連)と中国は軍国主義の日本およびファシズム政権のドイツに対して共闘した同盟国であり、対日戦勝の65周年をともに祝すという趣旨となるが、とくに、中露両国が第二次世界大戦の結果を同様に受け止め、その見直しはあり得ないことを盛り込み、両国が言うところの歴史の真実を共に守っていくことが重視されている。

このようにみると、絶妙なタイミングで対日批判が中露からなされるわけだが、他方、ロシアは尖閣諸島問題に関しては静観を保っており、恐らく今後も関与してくることはないと思われる。

本問題は、そもそもないはずの「領土問題」を中国がでっち上げているという背景があり、アジア諸国は「国力に任せて、次々に周辺国に対し領土要求を行なうのではないか」と、中国の動きに脅威を感じているという。

2004年にロシアは中国と懸案だった領土問題を解決し(本日の一冊、参照)、その後、中露関係は飛躍的に改善した経緯があるが、ロシアもまた中国の強大化には懸念を感じており、尖閣諸島問題が中国に有利に展開することには警戒心を隠せないという側面もある。

ロシアの識者は?

ロシアの識者はどのように本問題を見ているのだろうか。

外交評論家のタブロフスキー氏は、「尖閣問題は日中の二国間問題であり、日中関係の悪化は、日本との関係も発展させたいロシアにとってよくない」と指摘する一方、「今回の訪中でメドヴェージェフ大統領は“行き過ぎ”が出ないよう巧みなかじ取りを見せるはずだ。もし中国が尖閣問題でロシアの協力を取り付けられれば、それは中国の勝利だ」と話しているという(2010年9月26日『産経新聞』)。

他方、ロシア極東研究所のラーリン氏は、中国人船長釈放について、日本の中国に対する弱さと依存性を露呈し、大きな失敗だったと発言する。新内閣はあらゆる領土問題で妥協しないという姿勢をみせようとしたが失敗した上に、中国に望むものは何でも手に入るという自信を与えてしまったという。

中国がこのような姿勢を貫けるほど強大だという事実を国際社会は深刻に受け止めるだろうとした上で、日本の今回の措置が北方領土問題にも悪影響となることを指摘する。ロシアは中国と2004年、ノルウエーと今年、懸案となっていた領土問題を二等分することで解決したが、それを可能にしたのは双方の問題解決の強い願いと政治決断ならびに譲歩であったという。一方、日本は「歴史の真実」を振りかざすだけで、解決の熱意や交渉の意欲がなく、それでは問題解決はできないというのである(2010年9月26日『朝日新聞』)。

北方領土問題の今後を考えるうえでは明らかな失敗?

しかし、日本が漁船船長を引き渡す前には、ロシアは日本の外交に警戒感をみせていた。尖閣諸島問題については、ロシアメディアも頻繁に報じてきたが、その背景には、ロシアが警戒している前原新外相の出方に注視していることがある。

前原外相は、「ロシアが北方領土を不法占拠している」というロシアを苛立たせる立場を堅持してきたからだ。そのため、たとえばロシアのコメルサント紙は、まだ日本が中国人船長の拘留をつづけていた20日の段階で、「不法占拠発言で有名な前原新外相が尖閣問題でも厳しい対応を取っている」とし、「ロシアとの間でも同じ立場をとることを示唆している」と論じていた(2010年9月25日『朝日新聞』)。

つまり、日本が中国に対して毅然とした態度をとりつづけていれば、ロシアも日本の外交に対して脅威を感じた可能性があるが、今回の日本の措置で、ロシアは明らかに日本の外交を甘くみるようになるに違いない。

必要な「学習」

ロシアは中国やノルウエーと領土問題を解決してきたが、つい最近、メドヴェージェフは旧ソ連諸国のひとつであるアゼルバイジャンを訪問し、両国間の領土問題を解決している。

ロシア連邦を構成するダゲスタン共和国とアゼルバイジャンとの国境となっているのはサムール川であるが、ソ連時代の境界線は、アゼルバイジャン側の川縁だった。しかし、今回の合意で境界線は川の中央線に変更され、アゼルバイジャンがサムール水力発電システムを管理できるようになったのである。

この合意については、ロシアでもあまり大きく取り上げられていないが、ダゲスタンにおいては利益を大きく損なわれたと大きな反発を呼んでいる。

石油や天然ガスを有するアゼルバイジャンは、現在繰り広げられているナブッコパイプラインやサウスストリームパイプラインなどをめぐる、ロシアと欧米のあいだの「パイプライン対立」のキーアクターである。アゼルバイジャンがどこに資源を供給するかで、その「対立」の命運が決まるといっても過言ではない状況があり、ロシアがアゼルバイジャンの歓心を買おうとしたことは明らかだ。

だが、ダゲスタン人からみれば、ロシア中央が、石油や天然ガスの取引などで良好な関係を維持することがますます重要となってきたアゼルバイジャンの気を引くために、ロシアが自分たちの領土を明け渡したということになる。

たとえば、ダゲスタンのコーカサス問題の専門家であるクルバノフ氏は、「ロシアは対日関係改善のために、ロシアがクーリル諸島(北方領土)問題を改善しないとは言い切れない」と発言しているようだ。

もちろん、アゼルバイジャンとロシアの合意のレベルは、漁業権や航行権も含む北方領土問題の重要性とは比べ物にならないが、ロシアは領土問題に向き合わない国ではないということを日本もしっかり認識するべきである。

ロシアと中国の領土問題の解決プロセスや、それを北方領土問題に応用した議論については、下記に紹介するように岩下氏の書籍が参考となるが、日本も、中国やロシアが領土問題にどのように対峙してきたのかをもっと学習し、それを自国外交に活かしていくべきだ。ラーリン氏も述べているように、日本が領土問題の解決にもっと強い意欲を持ち、粘り強い交渉をつづけていくことが、問題解決への最短の道だといえるだろう。

推薦図書

本書は、北方領土問題の解決について、中露間の領土問題のプロセスを参照しつつ、新たな視点を打ち立てた労作であり、出版直後には大きな話題となった。著者は、本書に先立ち、中露間の領土問題の解決プロセスについての研究書を出版しているが(『中ロ国境4000キロ』角川選書、2003年。本書はロシア語にも翻訳され、ロシアで出版された)、その研究を礎に、北方領土問題の解決について再検討をし、2島+α、つまり3島返還という方策を検討している。周辺国と多くの「領土問題」を抱える日本にとっては、今後の外交を考えていく上でも指針を与えてくれること、請け合いである。

プロフィール

廣瀬陽子国際政治 / 旧ソ連地域研究

1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。

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