2010.08.07

韓国の経済成長から考えるべきこと 

高原基彰 社会学

国際 #李明博#韓国労働研究院#盧武鉉

最近、「韓国に学べ」という議論を目にすることが多い。たしかに、マクロ指標で見た韓国経済は大変好調である。時期により高低はあれど、持続的な経済成長が実現してもいる。このため、経営者出身の大統領が主導力を発揮し、スピーディな決断で国家の資源を適所に配分しており、国民の団結力も固いことが、こうした成長を可能にしているのだというような、新しい韓国イメージが近年、急速に普及しているようだ。

むしろ蔓延する先行きの不透明感

ところが、韓国の市井の体感的な経済状況は、決してよいとはいえない。むしろ日本に似た先行きの不透明感が蔓延している、というか日本より状況はひどいかもしれない。今現在、「暮らし向きが良くなっている」と思っている国民はごく少数だろう。

とりわけ、かねてからいわれている、国内の雇用不振は深刻である。韓国の統計は、使用されている概念や計算法が日本のそれとまったく違うので比較が難しいが、統計庁の2009年1-8月平均の公式失業率は3.8%だった。しかし、韓国労働研究院が試算した拡張(実質)失業率は8.5%で(ハンギョレ新聞2010年6月2日)、とりわけ若年層の失業率はそれよりはるかに高い水位で高止まりしている。

他国から礼賛されるほどの「経済的好調」の背後に、広範な国民の失望感があることは、忘れられるべきでない。また、なぜこうした感情が「経済的好調」のなかで抱かれているのかは、外部からなかなか理解することができないだろう。

保守派と革新派とのあいだの転倒した言論布置

自国の経済的好調が、必ずしも国民の希望につながっていない理由のひとつは、国内の大企業というものに対するイメージの違いである。

韓国の政治的な左右対立をもっとも大雑把に言い表すと、独裁者でありながら高度成長をもたらした朴正熙を高く評価する保守派と、これに反対する革新派とのあいだに、イデオロギー対立の軸を設けることができる。この意味での革新派がはじめて政権の中枢に入り込んだのは、盧武鉉政権だった。

大統領選挙、および総選挙で盧武鉉の躍進をもたらした主体であり、政権の支持母体ともなった市民運動の連合体「参与連帯」などにとって、グローバル化を進める財閥企業への資源集中は、やはりどこかで規制して歯止めをかけるべきものだと考えられていた。

これに対し保守派は、財閥こそが韓国経済のエンジンなのであり、規制によりその手足を縛ることは成長を止めることになると反論した。

ここでは、規制の強化論者の方が「公平な競争」を主張している。それに対しリバタリアン的な陣営の方が、国家権力と強く結び付いてきた、既得権益層の代表格たる財閥大企業の寡占状態を擁護するという、一種の転倒した言論布置が現れることになった。

大企業と生活実感との乖離

李明博・現大統領は、大統領選挙戦の最中から、経済発展を主題にしていた。それはほぼすなわち、前政権が部分的にもっていた、財閥中心主義からの脱却というような思考への反論だったといえる。経済状況の好転に期待を寄せていた国民は、それに呼応した。

その後、たとえばサムスンの絶好調が伝えられるようになっても、すでに多国籍企業化していた財閥企業の業績は、市民の生活実感と直結しなくなっていた。

財閥を中心とした国家経済と、国民一人ひとりの生活実感の乖離を象徴する事件のひとつが、背任で有罪を宣告されて会長職を退いた李健熙・現サムスン会長が、大統領権限で赦免された後に、会長復帰した件だろう。

こうした事件は、自分と縁遠いところで大きな収益を上げているらしい自国の大企業、およびそれと蜜月関係にある自国政府が、やはり「悪しき既得権益」なのかもしれないと、国民に思い起こさせてしまうのである。

韓国はグローバルスタンダード?

また韓国の財閥系大企業は、日本のそれと異なり、グローバル化と競争原理を、中小企業などより率先して導入する大改革を行った。

元々韓国では、「一生同じ会社に勤める」というライフコースが、一般的に抱かれていた時期など一度もない。企業の側もすでに、経験のある中途採用の方を新卒採用より重視するようになっており、それが新卒者就職の悪化要因のひとつとされている。

また働く側もみなジョブ・ホッピングを考えているので、とくに中小企業は、高い離職率の中で優秀な人材をつなぎ止める方法を必死で考えている。

入社・転職競争だけではない。競争の激しい財閥系大企業では、年齢にふさわしい昇進ができなかった社員は、どんどん退社していくのが普通である。サムスンはこうした社内競争の激烈さでとくに知られている。

韓国で、こうした競争の激化に対する不満の声を聞くことは多い。しかしこうした仕事観の側面などについては、もしかしたら日本より韓国の方が「普通の国」に近いのかもしれない、という疑念が私自身にもある。

他方で、先に述べたような財閥中心主義に対する国民の不満もよく分かるし、それを考えれば決して「普通の国」とはいえない気もする。

問題は他国との比較ではなく、自国の問題の解決

それぞれの国は異なる歴史的・社会的文脈をもっている。

財政状況だとか労働人口だとか、同じように数値化することはたしかにできるかもしれない。しかし、その政治的文脈まで踏み込んで考えると、問題の質がまったく異なっていることが多々ある。そのなかでは、総体としてどちらが良いかを考えることに、あまり意味がなくなってしまう。

前のめりな経済改革とグローバル化にまい進し、その負の側面が広く意識され始めた韓国と、そもそも改革の遅れが目立つ日本は、たしかに対照的である。日本が韓国から改革のスピードを学ぶべきなのは違いないだろう。

しかし、考えるべきなのは自国の問題をどうするかであって、安易な他国の良し悪しの判断をそこに結びつけても仕方がない、としかいいようがないのである。

推薦図書

ワーキングプア論壇で有名な著者が、韓国の状況を見に行った視察記、および韓国でも類似のかたちで有名な論者や活動家たちと行った対談がおさめられている。韓国の文脈にそれほど明るくないとみえる著者だが、旅行記風の文体は、いまの韓国の若者の状況の一端をたしかに垣間見せてくれる。

プロフィール

高原基彰社会学

1976年生。東京工科大学非常勤講師、国際大学GLOCOM客員研究員。東京大学院博士課程単位取得退学。日韓中の開発体制の変容とグローバリゼーションにともなう社会変動を研究。著書に『現代日本の転機』(NHKブックス)、『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書y)、共著書に『自由への問い6 労働』(岩波書店)など。

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