2016.06.15

ロシアの世界戦略はどうなっているのか?

小泉悠×荻上チキ

国際 #荻上チキ Session-22#国家安全保障戦略#軍事大国ロシア

北方領土問題における強硬姿勢、ウクライナ問題やシリア情勢をめぐり欧米とは異なる独自方針……。ロシアは今、世界とどう関わっていこうとしているのか。6年ぶりに改訂されたロシアの「国家安全保障戦略」を読み解き、今後の日露関係を考える。2016年05月09日放送TBSラジオ荻上チキ・Session-22「『国家安全保障戦略』から読み解くロシアの世界戦略」より抄録。(構成/大谷佳名)

■ 荻上チキ・Session22とは
TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

死せざる連隊

荻上 今日のゲストをご紹介します。『軍事大国ロシア』(作品社)の著者で、未来工学研究所客員研究員・軍事アナリストの小泉悠さんです。よろしくお願いします。

小泉 よろしくお願いします。

荻上 5月9日は第二次世界大戦の戦勝記念日ということで、ロシアではパレードが行われていたようですね。

小泉 最近では毎年行われています。ドイツに勝利し、ナチズムから人類を解放した国民的な記憶の日なのです。モスクワだけでなく、いろいろな大都市で開催され、今年はシリアのアル・フメイミム航空基地というロシア軍の基地でもパレードが行われました。

荻上 独裁に対抗したことを誇るパレードが、シリアの基地でも行われているというのは皮肉が感じられますね。

小泉 そうですね。最近は国内のみならず、北極圏から北方領土まで、ロシアの影響力が及ぶあらゆる地域でパレードが開かれています。

荻上 パレードはどのような形式で開かれるのですか?

小泉 モスクワのパレードでは、まず赤の広場に兵士たちが並び、国防大臣が「戦勝記念日おめでとう」と挨拶をします。次にプーチン大統領が演説をして、兵隊が行進をして、戦車や飛行機が登場します。ぴったり1時間で終わるのです。

荻上 軍事力をアピールする意味もあるわけですか。

小泉 はい。とくに去年のパレードでは、ちょうど戦勝70周年の節目でもあり、いろいろな新型兵器が登場しました。また、去年からパレードの後半の部として、「死せざる連隊」という行進が行われました。プーチン大統領が市民と一緒に、従軍した自分の祖父の写真を掲げてモスクワの街の中をパレードするというものです。

荻上 死なない軍隊ということですか。ゾンビ軍隊?

小泉 そうではなくて、亡くなっても第二次世界大戦で従軍した栄光は消えないという意味です。この「死せざる連隊」行進は非常に多くの市民が参加します。10万人ほどでしょうか。私も去年その場に行きましたが、人々が通りにあふれ返っていました。参加者はみな、自分の親族の写真を掲げて行進します。今までは広場で戦車が行進するのを見ているだけでしたが、そこに自分たちも参加できる場所ができたということで、愛国心の高揚装置として機能していると思います。

また、参加者たちはみな、ゲオルギーのリボンというオレンジと黒のリボンをつけています。これは、もともとロシア帝国時代に勲章をぶら下げていたリボンです。みんなで共通のシンボルをつけて第二次世界大戦の記憶を偲びましょうと、2000年代半ばからプーチン政権が街で配り始めました。

荻上 パレードを行うことでプーチン大統領の支持率が上がったり、国威が高揚される効果もあるのでしょうね。

強いロシアを取り戻してくれた

荻上 リスナーからこんな質問がきています。

「ロシアの戦略や外交方針について、ロシアの世論はどのように評価しているのでしょうか。」

小泉 ロシアには主な世論調査機関が二つあります。一つは政権寄り、一つはリベラル寄りで多少は数字に差が出ますが、世論の支持率が上がった・下がったという動きはほぼ一致します。最近、支持率が急激に上昇したのは2014年2月のクリミア併合の時です。また、シリアへの軍事介入など、主張する対外関係を取ることに対してポジティブな反応が強いです。一方、ロシアにもリベラル派と言われる都市の知的階層の人々もいて、強硬な外交を批判する声もありますが、今のところメインストリームにはなっていないと思います。

荻上 国民にとっては、主に経済などよりも軍事や外交の面で強く出てくれる方が響くのですね。

小泉 はい。もし90年代のように国民の生活が困窮してくるとどうなるかはわかりませんが、今は「強いロシアを取り戻してくれた」ということが大きく響いているようです。

荻上 こんな質問も来ています。

「これといった産業はないのに、あれだけの軍事大国が成立する、その資金はどこから来るのでしょうか。オイルマネーも原油価格の下落で厳しいでしょうし、若者は職がなく軍隊に入るしかないというテレビを見たこともあります。アメリカのように軍事産業を輸出しているのではないでしょうか。あるいは、自給自足の農業で国民は生活に困っていないということでしょうか。」

小泉 オイルマネーに頼っていることは間違いありません。ロシアの国家歳入の半分は原油・天然ガス関連です。去年の国家予算は、前提としてロシア産の「ウラル」という輸出原油ブランドが1バレル100ドルになる計算で予算を組んでいました。ところが、一時期30ドルを割り込むところまで下落してしまったので、いま非常に苦しくなっていることは事実です。これまではオイルマネーのおかげでほぼ黒字財政でしたが、最近はGDPの数%程度の赤字が出てきています。

実際にいろいろな面で緊縮財政になっており、予算も軒並みカットです。最初はプーチン大統領も国防費は絶対に削らないと言っていましたが、やはりカットせざるを得なくなっている。また、本当は今年から新しい軍備近代化プログラムを始めるはずだったのですが、2018年まで先送りになりました。武器輸出の売上もせいぜい年間1兆5000億円くらいで、それだけで食っていけるほど儲かっているわけではありません。

とはいえ、やはり自国でエネルギーを生産できることは非常に強くて、少なくともエネルギー不足で困ることはありません。また、これまで「安定化基金」という形で原油価格の儲けの一部を貯蓄してきたお金があります。ですから、簡単にロシア経済が潰れるわけではありません。

荻上 しかし、じわじわと効いてきてはいると。そうした中で、どういった部門から緊縮を進めているのですか。

小泉 公共事業や教育などの予算もバッサリ削減されており、軍事にはお金を出すのに教育には出さないのかという批判も多いです。国家予算の最大の支出項目は福祉関連ですが、ここを削ると国民も困窮しますし、支持率にも響くので削れません。軍事予算も多少は削っていますが、せいぜい全体の5%くらいです。財務省などは早く軍事費を削って財政をまともにしろと言っていますが、昨今の状況下では軍の影響力も強いのでなかなか難しい状態です。

荻上 ロシア政権にとって軍の力は大きいのですか?

小泉 そうですね。「強いロシア」としてやっていく上では軍の協力を得ないわけにはいかない。もちろん軍はプーチン大統領に公然と楯つくような存在ではありませんが、これから議会選挙と大統領選挙が続くこともあり、軍と軍事産業は大票田ですので、あまり正面から軍の機嫌を損ねることはやりたくないわけです。

小泉氏
小泉氏

本当は「臆病な国」

荻上 こんなメールも届いています。

「私にとってロシアはソ連の時代からアフガニスタン侵攻、チェチェン紛争、クリミア併合、そしてウクライナ侵略など、常に納得できない戦争を仕掛けている国に見えます。どうすればロシアは軍事的な挑発をせずにすむ国になってくれるのでしょうか。ロシアにとって、平和で戦争をしなくて良い状態とは国際関係からみてどのような均衡状態でしょうか。」

小泉 たしかに我々から見ると納得できないことが多いと思います。しかし、ロシア側から見ると、一般的なイメージに反してものすごく「臆病な国」だと思うのです。

荻上 臆病な国?

小泉 よくロシアの人々は、「我々は包囲された要塞に住んでいる」という観念を持っていると言われます。ロシア側から見ると、広大なユーラシア大陸の真ん中にあり、周りはアメリカの同盟国ばかりです。その上、自分たちがワルシャワ条約機構を解体したのに、NATOはますます拡大してくるではないか。あるいはロシアが拒否権を持っている国連をバイパスして、勝手に軍事力を行使するではないか。そう考えると、自分たちにとって平和である、安心できると感じられるためには、単に友好的なだけでは不十分だ。常に力を行使することで、どうにか均衡がとれているんだ、くらいに考えているのだと思います。

というのは、ロシアは外交力など非軍事的な面で西側には劣るから、軍事力に頼るわけです。これからお話する「国家安全保障戦略」の中でも、一番の安全保障は国力をつけて強くて豊かな大国になることなのだと書かれています。

荻上 なるほど。しかし、たとえば経済に大きな打撃を受けたとすると、軍事力を保つことになるのか、それとも弱めることになるのか、どちらの路線が考えられそうですか。

小泉 プーチン大統領はブレジネフ政権時代のソ連のことをよく覚えています。あのとき、原油マネーに乗っかって大軍拡を進めましたが、結果的に経済はつぶれてしまいました。同じ轍は踏みたくないと思っていることは間違いありません。ただ、限られた経済力の中で可能な限りの軍事力は持とうとし続けるのだと思います。

荻上 逆に、経済が厳しいからといって軍事力に頼って暴走することは考えられないのでしょうか。

小泉 いわゆる冷戦のような状態を再来させることは望ましくないと考えているはずです。さまざまな政策文書の中でも、NATOと大規模戦争をすることはもう考えられないとずっと言っています。

荻上 それでも緊張感が続いている状態を「第二の冷戦」と呼ぶ人もいますよね。次の戦争に繋がるのではないかと懸念している人も多いと思います。けれども、ロシアからするとむしろ揺り戻すための必死の抵抗になるわけですか。

小泉 はい。能力面から言って、もう一度ソ連のような冷戦をやることはほぼ不可能です。プーチン大統領も冷戦を再来させてはいけない、新たな軍拡競争を始めてはいけないと繰り返し発言しています。ただ、できてしまった緊張状況に引きずられて、コントロールされずに冷戦的なものが生じてしまうことは十分ありうる話です。今のロシアが国際的に安定した状況でないことは間違いないと思います。

大国ロシアの復活

荻上 そうした中で、ロシアのこれからを読み解くために大事なのが、去年12月に改訂された「国家安全保障戦略」です。これはどういうものなのですか?

小泉 「安全保障」と聞くと軍事の話かなと思うのですが、実際に見てみると軍事だけでなく外交や経済、環境問題に関しても書いてあります。非常に広い観点からロシアの安全保障に関する政策全体を規定してある文章となっています。前半の部分ではロシアが現在こうなっているという現状分析が書かれており、後半ではそれに対してどういう対処をしていくかが抽象的に規定されています。

前回の2009年のバージョンを見てみると、「ロシアは20世紀末のシステム的な危機を乗り越えた」という一文から始まっています。つまり、ソ連崩壊で国がめちゃくちゃになり、ロシアもさらに分裂してしまうのではないかという危機感があった中で、2000年代に高度経済成長を遂げた。危機を脱却し、大国として復活していく下地が整ったと言っています。それに対して今回の2015年バージョンでは、もう大国に復活したと。ロシアが国際的な影響力をまた強め始めているが、それがために西側との対立が生じているという言い方をしているのです。

荻上 なるほど。国内の現状についてはどのように書かれているのですか。

小泉 一つには、さきほど申し上げたような経済情勢について書かれています。2009年のバージョンでは、「GDPを世界トップ5入りさせる」と非常に強気なことが書かれていましたが、昨今の経済危機でとてもそういう状況ではなくなってしまいました。今回のバージョンでは「GDP世界上位」くらいの後退した表現になっています。

そしてもう一つは、現状の原油依存経済はあまりに危ないので、「イノベーションを起こしてものづくり国家に転換しなければいけない」ということです。これはプーチン大統領もたびたび言っていることですが、実際にはあまりうまくいっていません。メドベージェフ大統領の時代にはナノテクをやるとかITをやるとか色々言われていましたが、それで食べていけるまでにはなっていません。

さらに、軍の影響力も強くなっているため、今回のバージョンでは旧来型のエネルギー産業や軍事産業が再び中心に据えられています。面白いのが、「軍事産業が経済のエンジンである」と書かれているんですね。これは手馴れた産業でやっていくという表明でもあるのでしょうし、軍事産業へのリップサービスでもあるのでしょう。

ただ、昨今のハイテク戦への対応も求められますし、今までの重厚長大産業を続けるだけでは軍事産業さえ競争力を失っていくことは間違いないです。やはり製造方法などの面でなんらかのイノベーションを起こさなくてはいけませんが、今のロシアの技術力・資金力ではなかなか難しいのが現状だと思います。

「西側の陰謀」による形を変えた戦争

荻上 その他の政策に関しては何か書かれていますか?

小泉 社会面に関しては歴史の歪曲や外国メディアによる宣伝に関すること、伝統的な精神的愛国心を復興しなければいけないなど、非常に保守的、軍国主義的な内容が多いです。その数は前回よりも格段に増えていて、2010年代に入りロシアが外国の内政干渉に対してものすごく脅威認識を高めていることが読み取れます。

2000年代にもウクライナのオレンジ革命やグルジアのバラ革命など、外国に支援された民主化勢力がロシアの友好政権をひっくり返してしまうことは相次いでいましたが、アラブの春とウクライナ政変が続き、さらに懸念が高まっているのだと思います。また、旧ソ連のさまざまなロシアの友好国でも、権威主義的な指導者たちはそろそろ肉体的な限界がきています。そうした中で、またウクライナのような政変が起きることを非常に恐れているわけです。

あるいは、ロシア国内でも2011年12月の下院選挙のときに不正投票なのではないかと大規模な反政権デモが発生しました。今年9月の選挙でも、また同じようなことが起きたらまずいという認識はあると思います。そうした内政に対する不安に加えて、やはりロシアは西側を信用していません。いわゆる民主化支援団体のようなものは裏でアメリカの国務省やCIAが糸を引いているに違いない。そうして都合の悪い体制を倒して回っているのだ、形を変えた戦争が起こっているのだと、国防当局者や政治家が言うようになってきました。

国家安全保障戦略の前に、「軍事ドクトリン」という軍事政策の指針も改訂しているのですが、こちらの方が内政干渉に対する脅威をものすごく強調しています。その裏返しとして、歴史や伝統、愛国心によって社会を強化するという路線が強く打ち出されているのが特徴だと思います。

荻上 国外からロシアのあるべき姿が汚されているのだと。それに対して、対外的には外交と安全保障とで対抗していき、国内向けには教育と文化啓発で対応していくということですね。

国家安全保障戦略の前半にはこのような文章があります。「ユーラシア地域における統合過程に反対し、緊張の火種をつくる西側の立場は、ロシアの国益を実現するうえで否定的な影響力を示している」。その後で、「ウクライナ国民の中に作り出されたロシアに対する敵愾心、政府内の対立を力で解決することへのあからさまな期待」云々と続いていて、ウクライナの問題は西側がむりやり緊張状態を作り出しているから問題なのだと明確に書いていますよね。

小泉 それをロシア政府首脳がどこまで本気にしているのかは別問題ですが、国家安全保障戦略の他の箇所でも「特殊機関(情報機関)のポテンシャルを最大限に活用し……」と書かれている通り、実際に軍や特殊機関の人々は、裏で西側が糸を引いているのだと考えているのでしょう。あるいは政権側から見れば、そういう口実で社会の締め付けにも使えると思っているのかもしれません。

また、2013年に今のロシア軍の参謀総長である、ヴァレリー・ゲラシモフ氏が論文を書いているのですが、その中ではまさにこの考え方を裏返したような話をしています。外国での騒擾状態を作り、内戦を起こしてやれば、現代の大規模戦争が不可能になった状況でも一国をひっくり返すことができると。これが21世紀の典型的な戦争の形態なのではないか、と言っているのです。つまり、ロシア側が脅威を受けているということは、我々も対抗する余地があるのだと。むしろ、「やられる前にやってしまえ」というのが、ウクライナでのクリミア占拠だったのだと思います。

荻上 鏡のようなもので、ここに書かれているのはあくまでロシア側が想定している相手の姿なんですよね。

小泉 そうですね。ウクライナのキエフでの政変の時も、アメリカの支援が全くなかったということはないと思います。アメリカの国務次官補が入ってきて反体制派を激励するとか、結構あからさまな肩入れをやっていたので。ただし、それに対してロシア側では「裏ではもっとすごい陰謀が行われているはずだから、我々はその上を行かなければいけない」というようなエスカレーションが起きているのだろうと思います。

荻上 なるほど。国家安全保障戦略の中では教育についても触れられていますよね。海外の暴力や差別などのプロパガンダに対抗するために、若者を育てなくてはいけない。そのために、国家発注で映画、ラジオ番組、テレビ番組、インターネットのサイトなどを作っていくのだと。これは言わば、プロパガンダを強くしていきましょうということですか。

小泉 はい。それは、対内的にも対外的にも、両方に向けた動きだと思います。国内向けには政府の意に沿ったメデイアを作っていきますし、最近では「スプートニク」や「ロシア・トゥデイ」などの対外向けのメディアが登場し、日本語や英語に翻訳してロシア政府の立場を発信しています。それも、すごくかっこいい凝った作りのサイトになっていて、内容も柔らかいものを混ぜたりと工夫されていますよね。今回の戦勝記念パレードも、ロシア・トゥデイが中継していました。対外的にもロシアの立場を理解してもらうような宣伝を行っているのです。

荻上 対外的なプロパガンダに対抗するために、我々もプロパガンダをしようということで、「我々の伝統的な価値観は倫理的であり、ヒューマニズムであり、慈悲であり、公正であり、互助であり、集団主義であり……」と良い言葉が並べられていますよね。そうした国で性的少数者の差別が行われるのはどういう価値観なんだ、と思ったりもしますが。

小泉 「伝統」という言葉が使われていますが、ここで言いたいのは、みんなが認識している公式イデオロギーとしての「伝統」なのです。ですから同性愛などは、むしろ良くないものとして扱われてしまうのです。

荻上 「若者に悪い影響を与える宣伝をするな」という文脈の法律で取り締まられたりしますね。

小泉 「児童の精神的発達に悪影響を及ぼす情報を遮断する法律」といって、これは結構便利な法律なのです。何でも「児童の精神的発達に悪影響を与える」といえば言えるわけですから。

荻上 そうですよね。小泉さんの声が悪影響だから聞かせてはいけない、と言うことだってできるわけですからね。

中国とのパートナーシップ、ミサイル防衛問題

荻上 国家安全保障戦略の中で、アジアについて書かれた部分はあるのですか?

小泉 実は、ロシアの安全保障政策文書では、アジアの国に関してはそれほど二国間関係を取り上げていないのです。アメリカのような非常に大きな国以外は、だいたい多国間ベースや地域ベースで取り上げるのが普通です。そんな中で非常に面白いのは、今回初めて、中国のことが名指しで出てきました。しかも「グローバル、あるいは地域的な安定性の鍵となる関係である」というように、最大限持ち上げる書き方をしていました。これまでは対外政策文書などでも、こういう言い方はしていませんでした。

やはりウクライナ危機以降、西側との関係が悪化する中で、中国がロシアのパートナーとして急浮上してきているようです。去年の戦勝記念パレードにも、主賓扱いで習近平氏が来ていますし、中国の抗日戦勝記念式典にロシアの儀仗隊が登場したりと、関係が密になっている中で、中国のことは大きく取り上げているのです。

荻上 中国に対しては特に何を期待しているのですか。

小泉 政治的、経済的、両方あると思います。政治的には、ロシアは孤立しているわけではなく、大国との関係を保っているのだと言いたいのでしょうし、軍事協力も進めてアメリカを牽制したいという思惑もやはりあると思います。経済的には、西側との貿易が行き詰まる中で、中国が大きな影響力を持っていることは重要です。たとえば、極東開発がいつまでも進まないと、いずれ無人地帯になってしまうという懸念がありますから、北方領土やウラジオストク周辺の地域も含めて開発も進めていかなければいけません。そちらの方への投資も、やはり中国に期待しなければ、ロシアの経済力だけではなかなか厳しいのです。

ただ、あまり中国に依存しすぎてしまうと、政治面あるいは安全保障面で不利なことを飲まされる場面も増えていくので、なるべくバランスをとりたいところです。今回、中国のことが初めて出てきましたが、一応、バランスをとるようにインドのことも初めて書かれています。

荻上 中国のことを書いた直後にインドのことも出てきますね。中国については「幅広いパートナーシップ関係と戦略的連携」、インドについては「良好的な戦略的パートナーシップ」と書かれていて、どちらが上なのか下なのかよく分からないのですが、どう捉えれば良いのでしょうか。

小泉 出てくる順番の通り、中国の方が上です。外交政策文書でも中国、インド、ベトナムは戦略的パートナーシップ宣言をしており、この三国は別格でまず出てきます。次に日本、韓国、北朝鮮という順番で続いていくのが、いつものパターンです。

荻上 日本をどう位置付けているのか、今回の文書から直接は読み取れないと思うのですが、間接的に関わっている部分はあるのでしょうか。

小泉 一つは、ミサイル防衛の話です。今まではミサイル防衛問題というと、基本的にアメリカとロシアの問題、あるいはヨーロッパ側の問題でしたので、「ヨーロッパ側のミサイル防衛は戦略的安定性を損なう」として反対してきました。しかし、今回は「欧州、中東、アジア・太平洋のミサイル防衛システムの配備は戦略的安定性を損なう」という言い方しています。アジア太平洋側でミサイル防衛というと、まず日米がダントツに先行していますので、これからは欧米と同じようなテンションで日本のミサイル防衛が問題になる可能性もあるなと思いました。

荻上 日本がロシアに対して牙をむこうとしている態度を軟化させなくては、自分たちは交渉に乗らないぞというような、外交のカードとして使ってくる可能性があるわけですか。

小泉 はい。ショイグ国防大臣が日本に来たときも、「ミサイル防衛について聞きたいことがある」と発言をしたり、じわじわと日本のミサイル防衛を問題にしそうな雰囲気も出てきています。

荻上 多くの日本人からすると、「え、なんのこと?」という反応だと思いますが。

小泉 そうですね。ヨーロッパのミサイル防衛だって、アメリカにしてみればイランからくる弾道ミサイルを防ぐためのものですし、そもそもロシアには届かないですし、なんで怒っているんですか? という話です。しかしロシアにしてみると、我が国の周辺にこういうものが配備されてくるのは怖いんですね。

荻上 戦略的に因縁をかけているわけではなく、冒頭におっしゃったように、単に怖がりなのですか。

小泉 両方あると思います。とくにアジア太平洋側に対しては外交カードとして使ってくる部分もあると思いますが、やはりロシアって臆病な国で、しかも通常戦力ではどうしても西側にかなわない。核抑止力が最後の頼みの綱なのです。ですから、それを潜在的に制限されるのが嫌であるとか、ロシアの旧勢力圏だった東欧側に軍事力が展開しているのが嫌であるとか、さまざまな要因が絡み合っているのだと思います。

二島返還+α

荻上 ここからは、日本とロシアの関係について読み解いていきたいと思います。リスナーからこんなメールが届いています。

「今回の会談で、領土問題における新たなアプローチの交渉に賛同し、会談終了後も安倍さんと和やかなムードだったプーチン氏ですが、日本の年内来日になかなか踏み切らないのはなぜでしょうか。」

小泉 安倍総理は今回で2回続けてロシアに行っていて、9月にウラジオストクで開かれる国際経済フォーラムにも招待されましたから、これで3回連続の訪露ということになります。外交儀礼的には、そろそろ来日してくれないと失礼にあたります。ただ、来日するからには、それなりの進展が見込めないと話ができませんから、そこの詰めがまだできていないのでしょう。今回、安倍総理がおっしゃった「新しいアプローチ」というのをどう詰めるかが鍵になってくるのだと思います。

荻上 今回は35分間の二人きりの密談があったそうですが、どんな話をされたのでしょうね。

小泉 密室の中のことなので何を言っても妄想になってしまいますが、おそらく日本側からは、これまでは「四島返還でなければダメ」とか、非常に原則論的なことを言ってきましたが、ある程度は柔軟な話ができますよ、というシグナルを送ったのではないかと思っております。新しいアプローチとして何をするのかは分かりませんが、ロシア側の基本的な立場は日ソ共同宣言の立場なので、二島を引き渡すところまでは飲めるという話なのでしょう。

私から見ても、おそらく四島返還にロシアが同意する可能性は極めて低く、これを言い続ける限りロシアの態度も変わらないと思います。そうすると二島返還か、日本側を納得させるためには二島に何かプラスアルファをつけるということが考えられます。その話もこれまで散々出尽くしていて、たとえば漁業権を与えるとか、あるいは二島は返すが、残り二島についても潜在的に主権があるかもしれないから話し合うところまでは認めるとか。どのようなオプションをつけていくのかが、ポイントになるのかなと思います。

荻上 今のところ、リアリティーのあるプラスアルファの部分はどのあたりでしょうか。

小泉 これは全くの私の妄想ですが、二島返還で平和条約を結ぶ際に、平和条約の中になんらかの文言を盛り込むとか。たとえば、残り二島の主権について話合うという条項を入れて、今後にも余地を残すということはありうると思います。あるいは、北方領土は非常に軍事的にも重要な位置にありますから、その北方領土の非軍事化をするとか、逆にロシア軍の駐留を認めるなど、さまざまな方法は考えられます。

荻上 なるほど。今回は三回連続で安倍総理がロシアに行っていますが、ロシア側の反応はどうなのでしょうか。

小泉 ロシア側としても、日本もメリットがあって来ているんだろうなという論調がチラチラ見られます。今回、安倍総理の訪露に先立って、日本側とロシア側の報道で共通しているのが、お互い比較的保守的な政権で、比較的政権基盤も安定していて、お互い話をするのならこの政権がベストだと。これがリベラル政権だと、領土で妥協したというと国内的に突き上げを食らうわけですが、プーチン大統領のように非常に強いリーダーというイメージがある人は、妥協がしやすいんですね。

荻上 日本でもそうでしょうね。たとえば鳩山さんが二島返還というと、「この売国奴!」なんて言う保守の人もいるのでしょうけど、安倍さんでも二島かというと、「現実をとった」となぜか評価されそうですよね。

小泉 ただ今回は日本もロシアも選挙を控えているので、その前に具体的な話はしにくかったのだろうと思います。これから具体的に新しいアプローチとして何をするのか、6月に始まる次官級の協議で詰めていき、秋以降にプーチン大統領が来日、という方針で調整していくのかなという気がします。ただ、その前に何か外交的なトラブルが起きたりすれば、また来日が延期される可能性はもちろんあります。

日本もタフネゴシエーターに

荻上 今回、安倍さんとプーチンさんはプレゼント交換をしたということですが、何をプレゼントしたのですか?

小泉 安倍総理からは宣教師ニコライの日記と双眼鏡をプレゼントしました。双眼鏡をもらって、プーチン大統領は「これで晋三を見つけよう」とジョークを飛ばしたようです。意外とひょうきんな人なんですね。プーチン大統領からは江戸時代に書かれた川原慶賀という植物学者の本で、ロシア側が持っていたものをプレゼントしたそうです。お互いの国にゆかりのある歴史的な書物を交換しあったということで、割とハイソな感じがしますよね。プーチン大統領がエジプトに行ったときは、きんきらきんのカラシニコフ小銃を贈ったそうなので、それに比べるとだいぶ文明的な贈り物ではないかと思います。

荻上 贈り物の中身にあまり意味を見出すものではないという感じですか。ただ、友好関係をアピールしたいということは見えてきますね。

小泉 そうですね。今回、安倍総理はプーチン大統領のことをロシア語の「ウラジミール」という親しみのある呼び方をしていて、通訳の人はそのまま『君、お前』くらいのニュアンスで訳していました。ロシア外務省のトランスクリプトでも、今までは『あなた』という言い方に直して載せていたらしいのですが、あえて今回は親しい呼びかけの口調でそのまま載せたらしいです。ロシア側からも友好的な会談だったということはアピールしたいのだと思います。

荻上 日本と対外的に友好関係を築いていることは、ロシア市民にも響くものなのでしょうか。

小泉 ロシアの中で日本のイメージは比較的悪くないです。G7の中でも日本はウクライナ危機の当事者ではないので、ロシアが西側と関係を改善しようという時に、一番出て来やすい場所でもあるだろうと思います。

荻上 そんなロシアに対して、日本はこれからどのように向き合っていけば良いのでしょうか。

小泉 さきほど申し上げたように、ロシアってすごく臆病で気難しい国なんです。ただ友好的なだけでは納得しない、本当に下心ではなくお互い利益を分け合えると考えたときに動く国だと思います。日本も、その辺はタフネゴシエーターになっていけば良いのではと思います。

荻上 なるほど。二島返還の話に関しても、日本側から「その代わりに……」というと日本の世論も騒ぐので、それとは別に、日本はロシアとこうする、という宣言が必要ということですね。

小泉 はい。ロシアは北方領土を還した場合に、そこに米軍が進出することや、ミサイル防衛で脅かされることに懸念を持っています。ですから、欧州や中国との交渉を参考にして、信頼醸成や兵力引き離しなど具体的な話を詰めていけば、「日本は真剣に考えているな」とロシア側も納得してくれるのでは、と期待を持っています。

荻上 単に「何島返還なのか」ではなくて、小さなオプションの積み重ねが、これからは重要になってくるわけですね。

Session-22banner

プロフィール

小泉悠軍事アナリスト

早稲田大学大学院修了後、民間企業勤務、外務省専門分析員、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所・客員研究などを経て、現在は未来工学研究所・客員研究員。専門はロシアの軍事・安全保障政策。主著に『軍事大国ロシア』(作品社、2016年)。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

この執筆者の記事