2016.12.06

北朝鮮の独裁的な軍事体制はなぜ崩壊しないのか

宮本悟×荻上チキ

国際 #荻上チキ Session-22#北朝鮮

10月10日、北朝鮮労働党は創建71周年を迎えた。度重なるミサイル実験の強行で強まる国際社会の圧力にも関わらず、その政権は依然強固な軍事体制を維持している。金日成(キム・イルソン)から金正恩(キム・ジョンウン)まで。この磐石な独裁的軍事体制はいかに築き上げられたのか。北朝鮮の政治と軍の関係に詳しい聖学院大学教授宮本悟さんに伺った。2016年10月10日(月)放送TBSラジオ荻上チキ・Session22「北朝鮮の独裁的な軍事体制はなぜ崩壊しないのか?歴史的に振り返る」より抄録。(構成/増田穂)

 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

抗日パルチザンから最高権力者へ

 

荻上 本日のゲストをご紹介します。北朝鮮政治がご専門の、聖学院大学・宮本悟教授です。よろしくお願いいたします。

宮本 よろしくお願いします。

荻上 10月10日の朝鮮労働党創立記念日を前に、メディアでは北朝鮮のミサイル実験が注目されています。北朝鮮国内でも国威発揚事業が大々的に展開されているようですが、この間の北朝鮮の動向に関してどうお考えですか。

宮本 10月は北朝鮮にとって、唯一の支配政党である朝鮮労働党の創設記念月として非常に重要な月です。しかし、ミサイル発射の報道が増えているのとはまた意味が違います。ミサイル発射実験と記念式典は別々に執り行われています。日程が近いことで複雑に見えるだけだと思います。

荻上 以前はミサイル実験がなんらかの記念日にあわせて執り行われたという分析もありましたが。

宮本 そうですね。記念日に合わせてミサイルの発射を行ったことはあります。ただ、技術開発は式典とは別に取り仕切られていて、記念日だからといってミサイル実験があるわけではありません。ミサイル実験日が何かの記念日ではない場合の方が多く、実際、過去に朝鮮労働党創建日でミサイルを発射したことは一度もありません。どちらかと言えば、ミサイル発射の準備が整い、その時期に何かの記念日があれば、それに合わせて発射する、という方が正しい理解だと思います。

荻上 北朝鮮の政治体制はどのように築かれたのでしょうか。

宮本 1945年の日本の降伏により、それまで日本の統治領だった朝鮮半島にソ連軍が入っていきます。ソ連軍は38度線以北の朝鮮半島に駐屯し、その時に北部でソ連と協力する政治勢力が台頭します。一方南部ではアメリカに近い政治勢力が台頭し、南は韓国として、北は朝鮮民主主義人民共和国、つまり北朝鮮として独立しました。したがって、北朝鮮は当初からソ連の影響力が強く、社会主義国家として発展しました。

荻上 金日成はどのような人で、建国においてどんな役割を果たしたのでしょうか。

宮本 金日成は戦時中、満州国で抗日パルチザン活動をしていました。パルチザンたちは日本警察に追われ、ソ連に逃げ込みました。日本の敗北と共に朝鮮半島へ帰還し、ソ連に認められて一大政治勢力として台頭した。金日成はその中の若きリーダーとして、一目置かれた人物でした。

荻上 満州での抗日パルチザン活動とはどういったものだったのでしょうか。

宮本 日本側からすれば山賊のようなものです。具体的には集落の襲撃や略奪、警察に対する暴行などです。しかし彼らは中国共産党の指令の元に活動していた。彼らにとってはゲリラ行為だったと言えるでしょう。

荻上 抗日パルチザン活動については、北朝鮮ではどのように語られているのですか。

宮本 金日成率いるパルチザン部隊は、その中では珍しく、満州国だけではなく朝鮮半島まで活動の幅を広げ、そこで日本警察に被害を与えました。北朝鮮では日本を叩きのめした英雄として宣伝されています。

荻上 金日成はどのように権力の中枢へ入っていたのでしょうか。

宮本 パルチザン時代の金日成は、決してトップの人物ではありませんでした。しかし彼はソ連に逃れたパルチザンの中で、比較的早く朝鮮半島に帰還したグループに属しており、その中で、中国語・ロシア語にも堪能で非常に優秀な人物でした。

一方ソ連も、初めから金日成をリーダーにする気はありませんでした。しかし他の主要人物たちとは妥協ができなかった。そんな中で、金日成がソ連の指令を実行できる有能性を示した。それでソ連に認められ、指導者として抜擢されたのです。

荻上 戦時中の亡命先として、金日成は中国ではなくソ連を選びました。この理由はなんだったのでしょうか。

宮本 当時は日本の統治下にあった満州以外でも、中国全体で日本や国民党の影響力が非常に強く、中国共産党の勢力は非常に小さかったのです。パルチザンが逃げ込める場所と言えば、中国共産党の本部があった延安かソ連ですが、満州で活動していた金日成たちにとってはソ連の方が近かったのです。特に満州の冬場は氷点下40度近くの極寒で、長距離移動は不可能です。延安まで移動するよりもソ連に逃げるほうが現実的だったと考えられるでしょう。

荻上 抗日パルチザンの中では金日成より実績のある人物もいたようですが、指導者として彼が抜擢されたことに国民も納得していたのでしょうか。

宮本 パルチザンの中では比較的すんなりと認められました。しかし一般には、当時まだ33歳の若者がリーダーとして台頭することに、不快感を覚える人が少なからずいたようです。

パルチザン時代から彼の名前自体は朝鮮中で知られていましたが、「老将軍」や「蒋介石の親友」などと噂され、熟練の大物指導者というイメージがついていました。そこに若者が出てきたので、偽者だと思われたのです。

しかし、金日成は噂を跳ね除ける能力を発揮し、パルチザン出身者の内で支持を獲得し、他の政治勢力とも協力体制を築いていきました。彼の高い情報意識や交渉能力は、対ソ連だけでなく国内での情勢の平定にも役立ったのです。

荻上 朝鮮労働党の設立は、金日成を中心に進んだのでしょうか。

宮本 基本的にはそうですが、初めから今日イメージされるような絶大な権力を持っていたわけではありません。初期の朝鮮労働党はいくつもの派閥で構成されていました。抗日活動を行っていた地域によって、金日成の属する満州派、中国共産党本部で活動して比較的多数派だった延安派に分かれ、さらにソ連軍と共に高級官僚として朝鮮半島に入り、党設立に協力した朝鮮系ソ連人のソ連派、アメリカ軍の取締りから逃れてきた南部の労働党員で構成される南労党派、という4つの派閥が存在し、それぞれにリーダーがいて、金日成はあくまでこのリーダーたちの代表という立ち位置でした。その後各派閥との権力闘争を経て、最終的に金日成の独裁体制となるわけです。

荻上 ひとつの党として合併することに関して、4つの派閥の意見は一致していたのでしょうか。

宮本 はい。韓国との戦争の気配がありましたから、一致団結して対応する必要がありました。しかし戦争が泥沼になるにつれて、停戦を受け入れるか否かで各派は対立していきます。特に南労党派は、停戦に強く反対しました。それに対して、満州派、延安派、ソ連派が協力して粛清を行い、南労党派は一掃されたのです。

しかし南労党派がいなくなると、今度は残り3派で対立するようになります。ここから10年をかけて満州派が朝鮮労働党を統一しました。

荻上 粛清というと、死刑ということでしょうか。

宮本 全員ではありません。しかし主要な人物はほぼ死刑になりました。ただ、ソ連派だけはかなり生き残っています。彼らは元々ソ連人ですから、ソ連に逃げ帰ることができました。

社会主義国家の建設という目標もありましたが、朝鮮労働党は何より迫り来る南との戦争に対応するため、各派閥がまとまっていた組織です。創立期から、まとまりを乱すものに対しては、権力闘争の中で死刑を含む粛清が行われることもありました。

荻上 なるほど。結果として停戦となった朝鮮戦争ですが、停戦合意によって金日成の国民や他の党に対する政治的な影響力に変化はあったのでしょうか。

宮本 どちらかと言えば、良い影響がありました。北朝鮮では今日に至るまで、朝鮮戦争での南部への進軍は、「攻め入ってきた韓国への反撃」とされています。攻めてきた敵を倒し、一時は相手の領土まで反撃した指導者として、金日成は名を上げています。

宮本氏
宮本氏

建国に先立ち創設された軍隊

荻上 戦争をするために必要な軍隊の創設はどのように進んだのでしょうか。

宮本 日本の敗北後、満州で中国共産党と中国国民党が軍事衝突を起こし、大事件となりました。延安派も金日成たち満州派も、元々中国共産党の傘下で活動していましたから、中国国民党を支持するということはありえません。その上、国民党は共産党と戦いながら朝鮮半島まで進軍してくる恐れがありました。

当時の北朝鮮は、すでに日本軍は撤退した後で、駐屯しているソ連軍も統治をしているわけではありません。つまり、権力の空白状態にあり、政治勢力がこの危機に対抗するため早急に対抗組織を作り備えなければならなかった。こうして出来た軍事組織が北朝鮮の軍隊の始まりです。

荻上 最初は何よりも対国民党として作られた組織だったのですね。

宮本 実際に、小規模ですが、中国国民党は朝鮮半島に侵入し、戦闘が起きています。北朝鮮軍やソ連軍にも戦死者も出ています。

そうこうしているうちに、南で独立の動きが出てきました。南が国家として独立するなら、自分たちも国家として体裁を整えたい。それで急いで既存の軍事組織を統合し、現在の正規軍である「朝鮮人民軍」として立ち上げました。建国に7ヶ月先立って軍が創設されたのです。

荻上 党や国家が軍を作ったわけではないんですか。

宮本 はい。ここがソ連や中国の共産党と違うのですが、元々北朝鮮の軍隊は朝鮮労働党の軍でも、国家の軍でもありませんでした。それが後に国家の軍隊とされ、朝鮮労働党の軍隊となったのです。

荻上 差し迫った危機に対して、まずは軍を作らなければならない状況だったわけですね。この動きの中で、金日成が果たした役割はどういったものだったのでしょう。

宮本 金日成はかなり早くから軍隊創設の必要性を訴えていました。彼がパルチザン活動の仲間に呼びかけ組織されたのが、北朝鮮の軍隊です。このため軍は最初から彼の影響下にあり、それが後に金日成がライバルたちを一掃することが出来た理由のひとつです。

荻上 軍創設期の重要なポストも満州派や延安派の人々が占めていたのでしょうか。

宮本 その通りです。満州派は特に重要な地位を占めていました。

荻上 実際にそれまで共に抗日活動をしていた人がリーダーとなったことで、具体的な戦闘員との距離も近い状態で創設されたわけですね。

宮本 最初の国防大臣は、金日成の元上司でした。金日成より12歳年上で、戦闘経験も多く、以前は中国の軍事学校の教官をしていたエリートです。金日成は当初から彼に多大な信頼を寄せており、軍隊の指揮は彼に一任していました。一般的に国家元首や国の最高指導者は、その国の軍事指揮において最高の権限を持つ、最高司令官という地位を持っていますが、初期の金日成はそれを持っていなかった。彼が指揮権を持つのは朝鮮戦争以降です。それまでは、国防大臣やパルチザンの仲間が軍隊の指揮を執っていました。

しかし戦争が始まると、分化された政治体制ではとても対応しきれなくなりました。朝鮮戦争の勃発により、金日成は人民軍最高司令官という地位を作り、自らその職に就くことで、強力な指揮権を持つようになりました。これが後に、ライバルを蹴散らすために重要な役割を果たしていきます。

荻上 政敵に対する圧力や、粛清といった面でしょうか。

宮本 そうした面もありますが、軍隊としてはクーデターの防止に果たす役割のほうが大きかったでしょう。中級の軍指揮官には延安派が多くいましたが、その上位の役職に満州派の仲間を据えることで、軍に対する自分の統制力を確固たるものにしたのです。粛清は多くが警察によって行われていました。

独裁体制の確立――縦割りでクーデターを防ぐ

荻上 朝鮮戦争の停戦までは、どんなプロセスがあったのでしょうか。

宮本 1951年春頃から南北両勢力の戦闘状態は膠着状況になり、停戦交渉が始まりました。しかし、なかなか合意に至りません。その間にも戦闘が続きました。

1953年3月にスターリンが死亡する頃に状況が変わりました。金日成は、一刻も早く停戦合意を結ぼうとします。ところが、ここで、南労党派が反発します。そこで金日成たちは南労党派を粛清して、何とか停戦合意にこぎつけるわけです。

荻上 これにより金日成率いる満州派の影響力が高まったということですね。独裁体制の構築が加速して言ったのでしょうか。

宮本 全体的にはそうです。しかし、朝鮮戦争の時点で、すでに朝鮮労働党に対抗しうる政党は存在しませんでした。朝鮮戦争停戦後に注目すべきなのは、労働党内部の派閥闘争の激化です。南労党派の一掃後も、延安派、ソ連派は存在しました。スターリンの死後、ソ連でスターリン批判が始まったことで、延安派・ソ連派は金日成批判を始めます。これでいっきに対立が深まりました。

金日成は粛清を行いましたが、ソ連や中国の介入があり、粛清には時間がかかりました。延安派は中国の、ソ連派はソ連の影響力がありましたから、両国は彼らを救おうとしたわけです。金日成はこれを跳ね除け、徐々に有利な状況を作りだし、最終的に両派を一掃します。1960年には満州派による朝鮮労働党の支配体制が確立しました。

荻上 粛清に対して満州派内でわだかまりが生じることもあったのでしょうか。

宮本 1960年以前の粛清ではそのようなことはありませんでしたが、その後は敵がいなくなったため、満州派内部で対立が起きました。1967年頃には金日成に対抗する満州派も出てきます。少数でしたが、国防大臣や総参謀長など軍の要人が含まれており、下手をすれば軍隊がそのまま金日成に反旗を翻す可能性もありました。

しかし金日成はそうしたことが起こらないように軍の権力を分割していました。国防大臣ですら、軍を指揮するには総参謀長や総政治局長の同意が必要でした。当時国防大臣と総参謀長は反金日成勢力でしたが、総政治局長が金日成側に付いたことによって、反対勢力は軍を動かすことができなかったのです。

党内全体では金日成派が多数でしたから、結果的に国防長官と総参謀長は粛清されることになりました。

荻上 あえて複雑な縦割り体制・手続き主義を導入することで、軍が勝手に意思決定することを抑制しつつ、自分から軍への指令は確実に届く体制を築いたのですね。この体制は今でも維持されているのですか。

宮本 基本的には維持されています。

荻上 一部の将校が結託してクーデターを起こそうとするようなことはなかったのでしょうか。

宮本 北朝鮮では、命令書をひとりで発行できません。ここは日本と違います。例えば、司令官が命令書を発行するには、政治委員と呼ばれる副指令官の署名が必要です。2人でひとつの命令書を作り、これがないと軍は動かせません。

ここで重要なのは、北朝鮮軍では司令官と副指令官の上司が違うことです。したがって、副指令官は司令官の命令を聞く必要がないのです。司令官の上司もまた、副司令官の上司とは違います。徹底した縦割り体制にすることで、軍内部での結託を防ぎました。

縦割り社会で意思決定が二列化されれば、当然その分意思決定は遅くなります。一見有事の際に効果的に対応できるのか疑問が湧きますが、北朝鮮では中隊以下の部隊(1500­~3000人規模)では、命令系統は一本化されています。ここは自由に動けるんです。しかしこの規模で平壌を陥落させることは難しい。軍の効率性と統制とをうまく両立させていると言えるでしょう。

荻上 クーデター未遂もなかったのですか。

宮本 何度かあったと聞いていますが、確認できたものはひとつもありません。クーデターは未遂であっても、その事実が知られるだけで政治情勢が変わりますので、党は必死に隠します。

荻上 リスナーからはこんな質問が来ています。

「粛清を進める金正恩ですが、なぜ暗殺されないのでしょうか」

宮本 独裁者である以上、恨みは相当買っているでしょうから、暗殺される可能性はあると思います。ただし、これは父の金正日ですが、彼は頻繁に移動を繰り返すことで、所在を隠して、暗殺を防いでいました。特に夜中に移動することで米韓を含め内外から襲撃されることを防いでいたのです。金正恩も同様の対策は行っていると思われます。

荻上 金正恩は少なくとも体裁上、民衆の支持を得ていることになっています。メディアや監視体制の役割は大きいのでしょうか。

宮本 そうですね。多くの場合、一般の人に粛清は関係ありません。むしろ「悪い奴を逮捕し処刑した」と評判が上がると言えます。

荻上 一方、経済の停滞や国外文化の流入で、民衆の中に体制に対する不満が募っている部分はないのでしょうか。

宮本 そうした部分はあり、体制は徐々に変わってきています。現行の体制が今後も続いていくことはないでしょう。しかし急激な変化は避けたいので、段階的に進めようとしているのです。

荻上 今後の具体的な変化に注目したいですね。宮本さん、ありがとうございました。

Session-22banner

プロフィール

宮本悟朝鮮半島研究

1970年生まれ。同志社大学法学部卒。ソウル大学政治学科修士課程修了〔政治学修士号〕。神戸大学法学研究科博士後期課程修了〔博士号(政治学)〕。日本国際問題研究所研究員,聖学院大学総合研究所准教授を経て,現在,聖学院大学政治経済学部教授。専攻は国際政治学、政軍関係論,安全保障論,朝鮮半島研究。〔著書〕『北朝鮮ではなぜ軍事クーデターが起きないのか?:政軍関係論で読み解く軍隊統制と対外軍事支援』(潮書房光人社,2013年10月)。〔共著〕「国連安保理制裁と独自制裁」『国際制裁と朝鮮社会主義経済』(アジア経済研究所,2017年8月)pp.9-35,「北朝鮮流の戦争方法-軍事思想と軍事力、テロ方針」川上高史編著『「新しい戦争」とは何か-方法と戦略-』(ミネルヴァ書房,2016年1月)pp.190-209,「北朝鮮の軍事・国防政策」木宮正史編著『朝鮮半島と東アジア』(岩波書店,2015年6月)pp.153-177。〔論文〕「「戦略的忍耐」後と北朝鮮」『海外事情』第65巻第7・8号(2017年7月)pp.60-71,「ストックホルム合意はどうやって可能だったのか?―多元主義モデルから見た対朝政策決定―」『日本空間』第19集(2016年6月)pp.136-170,「千里馬作業班運動と千里馬運動の目的―生産性の向上と外貨不足―」『現代韓国朝鮮研究』13号(2013年11月)pp.3-13,「朴槿恵政権による南北交流政策」『アジ研ワールド・トレンド』第19巻6号(2013年6月)pp.9-13,「中朝関係が朝鮮人民軍創設過程に与えた影響」『韓国現代史研究』第1巻第1号(2013年3月)pp.7-29など。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

この執筆者の記事