2016.12.21

韓国という「国のかたち」――朴槿恵大統領の弾劾というケース

浅羽祐樹 比較政治学

国際 #朴槿恵#弾劾

なぜ朴大統領は弾劾訴追されたのか

朴槿恵大統領の弾劾には、韓国という「国のかたち」、憲政秩序のありようが凝縮して表れている。朴槿恵や崔順実といった個人にだけ焦点を当てると、事の本質を捉え損ねてしまう。一般に、「そもそもどういう問題なのか」を正しく理解することが最も難しい。

2016年12月9日、韓国国会は野党3党が提出した朴大統領に対する弾劾訴追案を234対56という票差で可決した。与党セヌリ党からも62票以上の「造反」があったということで、弾劾訴追はそもそも党派対立の結果ではないことを意味している。

韓国憲法(「韓国WEB六法」では憲法、憲法裁判所法、公職選挙法などを日本語で読むことができる)は「大統領(など高位の公務員)がその職務執行において憲法や法律を違背したときには、国会は弾劾の訴追を議決することができる」(第65条第1項、括弧内は著者)と定めているが、朴槿恵大統領は崔順実らと共謀し職権乱用、強要、公務上機密漏洩など刑法上の罪を犯しただけでなく、国民主権(第1条)や代議制民主主義(第67条第1項)、職業公務員制(第7条)や公務員任命権(第78条)という憲政秩序の根幹を毀損したというのが、弾劾訴追の事由である。

そもそも、大統領制では、議会だけでなく執政長官も国民に直接選出され、それぞれの任期が固定されている。

朴大統領の任期は2018年2月24日24時までの5年間で、次期大統領選挙は元々17年12月20日に予定されていた。任期途中に国民は大統領(や議会)をリコール(解任要求)することはできないし、大統領も自らに対する信任を問う国民投票を行うことはできない。国会も大統領や内閣に対して不信任決議を可決し、総辞職に追い込むことはできない。首相や内閣の成立と存続の両方が議会に依存している議院内閣制とは制度設計が異なる。

代議制民主主義では、「本人(principle)」である国民は「代理人(agent)」である政治家に国政を委任し、一定の裁量を認めている反面、通常は選挙で、政策パフォーマンスを基にその責任を問う(待鳥聡史『代議制民主主義-「民意」と「政治家」を問い直す』中公新書, 2015年)。政治家が官僚にさらに委任する場合も、本来、「公務員は国民全体に対する奉仕者であり、国民に対して責任を負う」(憲法第7条第1項)という位置づけになっている。

韓国国民は朴槿恵を大統領に選出したが、その大統領が政策や人事など国政全般に一民間人を介入させることまで白紙委任したわけではない。「国政壟断」「憲政蹂躙」と現地で広く理解されているのはこのためである。

この委任(delegation)と責任(accountability)の連鎖を核心とする代議制民主主義の中で、重大な「代理人の逸脱(agency slack)」が起きたときには、「本人」はいつでも委任を撤回し、直ちに責任を追及することができるというのが、朴大統領に対する「即時退陣」要求である。任期途中で大統領が自ら辞任することは憲法で予定されていないが、世論調査でも、毎週末のろうそくデモでも、事実上の「リコール」が、大統領が辞任する時期を明言する代わりに与野党合意で選挙管理の暫定内閣を形成する「秩序ある退陣」(と朴による「4月退陣」表明)や「弾劾」を圧倒した。

言うなれば、「われら大韓国民」(憲法前文)という生身の主権者が直接現れ、憲法典の規定を超えて憲法体制を変化させる「憲法政治」という局面、「市民革命」前夜になっていた。

国会における大統領の弾劾訴追は、こうした中で、なんとか憲法典の規定に従って大統領を公職から排除しようとしたものである。

大統領制では2人の代理人がいるが、そのひとり(大統領)が委任と責任の連鎖という代議制民主主義の根幹を毀損したとき、もうひとり(国会)がその事実を認定し、憲法裁判所の審判に罷免するかの最終決定を委ねることで憲政秩序を回復しようとするのが、この制度の趣旨である。弾劾訴追後も、憲法裁判所による決定を待たずに「即時退陣」を求める世論が圧倒的多数で、韓国政治が憲法の枠内で展開するか、今後も予断を許さない。

つまり、「憲法政治(constitutional politics)」と「通常政治(normal politics)」(Bruce Ackerman)のせめぎ合いはまだ完全には収束していない、ということである。

憲法裁判所は国民の期待どおりに「罷免」するか

韓国憲法では、国会による弾劾訴追を受けて、最終的に罷免するかを審判するのは憲法裁判所である。

憲法裁判所は、民主化・憲法改正の結果、現行の1987年憲法で法院(裁判所)とは別に新設された機関で、弾劾の他にも、法律の合憲性、政党解散、国家(地方)機関間の権限争議、憲法訴願の審査を専管している。任期は6年、9名の裁判官で構成されていて、大統領、国会、大法院長(最高裁判所長官)が3名ずつ選出する。その所長や大法院長は大統領が国会の同意を得て任命するため、憲法裁判所はそもそも大統領の意向が反映されやすい構成になっている。

一体、「即時退陣」や「罷免」を求める圧倒的な「民意」を前に、国民に直接選出されていない憲法裁判所はどのような基準や論理に基づいて行動を選択するだろうか。

盧武鉉大統領のケース(事例/判例)が唯一のレファレンスである。

2004年、盧大統領は総選挙を前に与党ウリ党への支持を呼びかけたが、公務員の「政治的中立」(公職選挙法第9条)義務違反として中央選挙管理委員会から警告を受け、それが国会における弾劾訴追事由になった。憲法裁判所は法令違反であることを認めたものの、憲政秩序を回復するためには罷免するしかないというほど重大ではないとして棄却した(憲法裁判所「2004憲ナ1」2004年5月14日)。

この「重大性」が今回、朴槿恵大統領のケースに対する法理判断の基準になり、当然、ケースどうしも比較衡量される。

当時の憲法裁判所法では、弾劾審判に限って裁判官一人ひとりの個別意見は公開されなかったが、金栄一、権誠、李相京の3名の裁判官は罷免に値するという「認容」だったことがのちに明らかになっている(李範俊(在日コリアン弁護士協会訳)『憲法裁判所 韓国現代史を語る』日本加除出版, 2012年, 317-321頁)。金栄一は金大中大統領が任命した大法院長による選出、権誠と李相京は国会選出だが、弾劾訴追を推進したハンナラ党と民主党(金大中大統領の与党で、盧武鉉もその公認候補として大統領に当選したが、のちに離党しウリ党を結成した)がそれぞれ推薦した。

この規定は05年に改正され、現在は、弾劾も含めて、憲法裁判所による審判は全て、法廷意見だけでなく個別意見も公開される(個別意見の重要さについては、大林啓吾・見平典編『最高裁の少数意見』成文堂, 2016年に詳しい)。

現在の憲法裁判所の構成は、大統領選出3名分は所長も含めて全員、朴大統領の就任直後に人事が行われた。大法院長3名分のうち2名は李明博大統領が任命した大法院長による選出で、残りの1名は盧武鉉大統領が任命した大法院長による選出である。国会選出3名分は李政権の末期に人選され、慣例で与党1名、野党1名、与野党合意で1名、それぞれ推薦された。

今回、弾劾審判の主審裁判官を務めるのは、与野党合意の国会枠で選出された姜日源裁判官である。選出母体や過去の判例動向から、野党選出で、統合進歩党の解散審判で唯一「反対」の個別意見(憲法裁判所「2013憲タ1」2014年12月19日)を表した金二洙裁判官以外は保守的とされる。

憲法裁判所の構成に関する変数は、朴漢徹所長と李貞美裁判官(大法院長選出)の2名がそれぞれ2017年1月31日と3月13日に相次いで退任することである。

罷免を決定するには6名の裁判官の同意が必要で、そもそも審判は7名の裁判官が出席しないと成立しない。特に問題になるのが所長の後任であるが、大統領権限代行に就いた黄教安国務総理(首相)が人事権を行使することは憲法上認められているのか、また政治的にも野党が過半数を占める国会は同意するのか、未知数である。

罷免であれ棄却であれ、憲法裁判所による弾劾審判の決定が下る時期も重要である。罷免ならば、「60日以内」(憲法第68条第2項)に大統領選挙になるし、棄却ならば朴槿恵大統領は直ちに職務に復帰し、大統領選挙は当初どおり2017年12月20日に行われる。

大統領選挙の日程によって各候補者の競争条件が左右されるため、一部で「迅速な審判」を求める声が出るのもある意味当然である。憲法裁判所の審判は「180日以内」(憲法裁判所法第38条)とされているが、67日間で決着がついた盧武鉉のケースとは異なり、朴槿恵大統領は法理だけでなく事実関係についても全面的に争う構えを示している。

他方、朴大統領の刑事上の容疑に対する特別検察官による取り調べは同年2月28日まで行われることになっているが(一度だけ3月30日まで延長できるが、大統領権限代行による裁可が必要)、その後、李貞美裁判官の退任(3月13日)、朴自身も表明していた退陣時期(4月)と続くため、この間が審判の決定が出るタイミングとしてフォーカルポイント(期待が収斂する点)になることは確実である。

決定の内容については予断を許さないが、「憲政秩序を回復するためには罷免するしかないほどの重大な法令違反があったか」という法理判断以上に、憲法裁判所は「民意」に敏感にならざるをえない。

そもそも、韓国に限らず、司法は違憲審査にあたって、法律を違憲・無効にした場合、議会がそのとおり法改正を行うかどうか、さらには有権者が議会と司法のそれぞれをどのように評価するのかを「読み込んだ」上で、そもそも違憲にするかどうかを選択しているというのが、「司法政治論(judicial politics)」の視点である(たとえば、Georg Vanberg, The Politics of Judicial Review in Germany, Cambridge University Press, 2009)。そこでは、議会だけでなく司法も、中位有権者の動向によって行動選択が左右されるという知見が示されている。

韓国の憲法裁判所も例外ではなく、その積極的な違憲審査は概して、「民意」に沿ったものであると評価されているし(たとえば、車東昱「空間分析モデルを通じてみた憲法裁判所の戦略的判決過程」『韓国政治学会年報』第40集第5号(2006年12月), 111-137頁)、憲法裁判所自身も「常に国民の側に立」ってきたことを自負している(憲法裁判所ウェブページ「憲法裁判所長の挨拶」)。日本の最高裁判所とは異なり国民審査もなく、憲法裁判所にとって民主的正統性はより切実である(棚瀬孝雄『司法の国民的基盤-日米の司法政治と司法理論』日本評論社, 2009年)。

次期大統領選挙のゆくえ

韓国における政治ゲームで最も重要なルールは、大統領選挙にせよ総選挙にせよ統一地方選挙にせよ、選挙日程がずっと先まで固定されていて、それぞれの間隔が毎回変化するということである。政治家も政党も有権者も、各アクターはこのことを織り込んでそのつど「後ろ向き推論(backward induction)」を行っている。

朴槿恵大統領も、2007年8月20日にハンナラ党の党内予備選挙で負けた瞬間から、12年12月19日の大統領選挙に向けて準備を始め、李明博政権に対しては「与党内野党」と形容されるくらい協力しなかった。

今回、憲法裁判所による弾劾審判の結果次第で朴大統領が罷免になるかもしれないということは、こうした計算がもはや次期大統領選挙に関して成り立たなくなっていることを意味する。事実、罷免を前提にした選挙戦がすでに始まっている。それだけでなく、「闕位」に伴う選挙で就任した首長の任期は、前任者の残余期間となる地方の知事・市長・郡守・区長とは異なり(公職選挙法第14条第3項)、大統領の場合だけ丸々の5年間となるため(憲法第68条第2項・第70条、公職選挙法第14条第1項・第35条第1項・同条第5項)、選挙サイクルも今後変わることになるかもしれない。

最有力候補は野党第1党「共に民主党」元代表で、前回の大統領選挙で朴槿恵に敗北した文在寅である。大統領選挙が早いほど自らに有利であると考え、弾劾訴追後も、朴大統領に対して憲法裁判所による決定を待たずに即時退陣することを求めている。その他の公務員とは異なり、大統領だけは弾劾審判中であっても自ら辞任できるのかに関する法理上の争い(国会法第134条第2項)とは別に、政治的な思惑が明らかで、当初「秩序ある退陣」を唱えるなど主張に一貫性がないこともあって、支持率は横ばいである。

他方、朴大統領の「即時退陣」「拘束・収監」など旗幟を鮮明にすることで支持率を急上昇させ、一気に文在寅に迫っているのは、「韓国のサンダース」を自称する李在明・城南市長である。大統領選挙が前倒しになるということは党内予備選挙の方法も流動化することを意味するが、李在明は決選投票制の導入を主張し、「反・文在寅」の結集軸になろうとしている。

今後も「サンダース」が善戦すると、「ヒラリー」の政策位置が「左旋回」することが予想される。

与党セヌリ党はそうでなくても党内に有力候補が一人もいないばかりか、朴大統領との共同責任、「共犯」が問われて支持率が急落し、野党第2党「国民の党」を下回る水準である。弾劾訴追案に関する可否は党内で真っ二つに割れ、「親朴」「非朴」の間の対立は膠着したままで、分党の直前である。期待するのは、2016年12月末で国連事務総長としての任期を終える潘基文の擁立だが、朴大統領が離党せず、「親朴」が執行部を独占しているセヌリ党のままでは、実現可能性が低いだろう。

「国民の党」元代表の安哲秀も、この間支持率を下げたが、政界再編に活路を見出すかもしれない。そもそも、安は、前回の大統領選挙で自らが辞任することで文在寅に候補者を一本化し、その後、新党にも共に合流したが、文と決別して新たに結成したのが「国民の党」である。その場合、憲法改正が軸になり、潘基文と安哲秀の連携の可能性も出てくる。

いずれにせよ、大統領不在の中、国会で国政の主導権を事実上握っている「共に民主党」に対抗するために、政党間、候補者間で従来の枠組みをこえた合従連衡の動きが盛んになることは間違いない。

選挙は、有権者が候補者や政党に対して、業績や公約、政治家としての資質などを基に国政を委任すると同時に、責任を問う機制で、代議制民主主義の根幹を成している。

韓国大統領選挙の場合、現職の候補者が常にいないため、過去の業績を評価するよりも将来に対する期待投票になりやすい。しかも、政党も(大統領)選挙のたびに再編されるため、委任と責任の連鎖が政党を通じて担保される「政党政治(party politics)」も実現しにくい。事実、朴槿恵大統領は、大統領選挙に先立つ総選挙において、「与党」ハンナラ党から「新党」セヌリ党へと再編することを通じて、現職の李明博との差別化に成功した。その反面、党内予備選挙も含めると2007年と12年の2回、大統領選挙を通じてトップリーダーとしての資質が検証されたはずであるが、全く不十分だったということである。

政策も、「経済民主化」という「時代精神」を先制することで対立軸の打ち消しには奏功したが、大統領就任後はこれといった成果を残せず、むしろ格差の拡大、「銀のスプーン」と「土のスプーン」の間の対立、「甲の横暴」の争点化につながった。

今回、各候補者の資質の検証がこれまで以上に喫緊の課題だが、選挙日程が不確実で、政党の枠組みも流動的になる中で、業績や公約などと合わせてどのように評価するのか、有権者も「本人」としての力量が問われている。罷免に伴う大統領選挙の場合、政権引き継ぎの期間を経ることなく、当選と同時に大統領に就任することになるため、なおさらである。

憲法裁判所の弾劾審判の結果、朴大統領が罷免されることになれば、「60日以内」に大統領選挙が実施されることになるが、選挙戦は事実上すでに始まっているため、大統領権限代行の黄教安には「公正な選挙管理」が期待される。

もとより、大統領権限代行は国軍統帥権、条約締結権、人事権など大統領に固有の憲法権限を全て行使できるのかについては憲法上明記されていない。しかし、学説上は「現状維持」が有力説で、盧武鉉大統領が弾劾訴追されたときに権限代行に就いた高建も、人事権は次官級に限って行使しただけだった。

黄教安の場合、2017年1月末に生じる憲法裁判所長の後任人事が焦眉の関心事だが、行使した場合、野党の反発は必至である。また、野党が提唱したどおりに、政府と国会の間で政策協議体が発足した場合、在韓米軍へのTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)の配置、日韓「慰安婦」合意、日韓GSOMIA(軍事情報包括協定)の締結、国定の「正しい歴史教科書」の刊行など、野党がこれまで反対してきた政策は変更されることになるのか、外交上の含意がある部分は特に日本・米国・中国・ロシアが注視している。

問題は朴槿恵個人ではなく「国のかたち」だ

「これでも国なのか」というのは、朴槿恵大統領の弾劾に至る過程の中で、韓国国民が自らに繰り返して質している問いである。

大統領を自分たちの手で直接選出するというのは、1980年代の民主化運動における最大の争点で、手続き的でミニマムな要求だった分、汎国民的な広がりを有し、全斗煥政権にとって「確実な脅威」になった。他方、「大統領直選制」を骨子とする民主化宣言が政権主導で行われると、経済・社会領域での民主化も要求した急進的な勢力は憲法改正の過程からは完全に排除された。

今回も「国のかたち」をめぐって様々な勢力がひしめき合っているが、せっかく勝ち取り、強い自負心を抱いていた「直選制」を通じて朴槿恵を大統領に就けたはずなのに、一民間人に「国政壟断」を許し、国民主権や代議制民主主義といった「憲政秩序を蹂躙」させてしまったという理解は共通している。だからこそ、世論調査やろうそくデモを通じて、朴大統領に対する「即時退陣」「弾劾・罷免」という圧倒的な「民意」になっている。

民主化以降、朴大統領で6人目の大統領だが、いずれも本人や家族が収賄などの不正に問われている。盧武鉉大統領の場合、退任後に検察による取り調べを前に自殺するという世界的にも稀な悲劇につながった。不正が繰り返される以上、個々の大統領の問題というより、大統領個人に権限が集中する「帝王的大統領制」という制度上の瑕疵ではないか、という「診断」がなされると、「処方箋」としても当然、制度の変化、つまり憲法改正が示されることになる。

すなわち、問題の所在も、問題の解法も、1987年憲法との関連において理解されているということである。

弾劾訴追後に、与野党合意で国会に憲法改正特別委員会が設置されることになったが、1987年憲法の下では初めてのことである。大統領の任期については「5年1期」から「4年2期」へと改め、国会と選挙サイクルを合わせることで分割政府が生じにくくし、大統領にガバナビリティを担保する案が以前から提示され、国民からも一定の支持を集めていたが、現状だと大統領の権限を縮小することが焦点になる。

さらに、大統領と首相の間で執政権力を分有する半大統領制や、議会は信任を失った首相を解任できる議院内閣制への執政制度それ自体の変更など、統治構造だけに限っても各アクターの期待は様々で、簡単には収斂しない。特に、文在寅は「憲法改正は次期政権に任せよう」という立場で、憲法をめぐって政界再編が起き、大統領選挙の構図が一変することを警戒している。

そもそも、およそ憲法には統治構造だけでなく、人権も規定されている。さらに、経済・社会構造に関する条項が置かれている場合もある。

朴大統領が注目した「経済民主化」(第119条第2項)もそのひとつである。財界は従来からこの条項の撤廃を求めている反面、「均衡のとれた国民経済の成長と安定や、適正な所得の分配を維持し、市場の支配と経済力の乱用を防止し、経済主体間の調和」(同上)を図ることはより一層切実になったと理解すれば、市場を寡占している財閥こそが「第3者供賄罪の共犯」(弾劾訴追事由)であり、「打破」すべき「社会的弊習と不義」(前文)となる。その場合、憲法典の改正にとどまらない「国家大改造」が必要とされる。

政治と(憲)法の関係、選出部門と非選出部門の位置づけ、民主主義と法の支配の相克、通常政治と憲法政治という2つのモメントなど「国のかたち」は多様で、常にダイナミックに変化する。

にもかかわらず、デモで大統領を引きずりおろそうとするのは近代国家として成熟していないだとか、逆に広く国民が政治に参加していて素晴らしいだとか、両極端な見方がはびこっている。とはいえ、この両者は、自らにとって唯一の理想像との差分でしか韓国を位置づけていないという点では全く同じある。

そうではなく、民主主義には多様なタイプが存在し、進化(evolution)の過程も一様ではないという視点(たとえば、アレンド・レイプハルト(粕谷祐子・菊池啓一訳)『民主主義対民主主義-多数決型とコンセンサス型の36カ国比較研究』勁草書房, 2014年)に立てば、それぞれの「国のかたち」、憲政史のダイナミズムについて、性急に価値判断(what it should be)を下すことなく、現状(what it is)や原因(why it is as it is)を理解できるようになる。

要するに、「韓国の論理」は一見不可解に思えるが、「国のかたち」に関するコメンタール(注釈書)やケースブック(判例集)を参照すれば、十分合理的に読み解くことができる、ということである。本稿がその序説になれば幸甚である。

プロフィール

浅羽祐樹比較政治学

新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。

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