2017.04.12

「韓国ムカつく」「訳わからん」と投げ出す前に――『戦後日韓関係史』の使い方

浅羽祐樹×白鳥潤一郎×佐々木真

国際 #「新しいリベラル」を構想するために

この鼎談を収録した翌日(2017年3月10日)、韓国の憲法裁判所が朴槿恵大統領を罷免するという決定を下した。それにより5月9日に大統領選挙がおこなわれることになったが、韓国政治の今後を見通すことは容易ではない。

先のみえない韓国政治に対して、日本政府も対応に苦慮しているのか、ソウルの大使館に続いて釜山の総領事館の前にも慰安婦少女像が設置されたことに抗議して、駐韓大使らを一時帰国させたが、特に進展がないなかでおよそ3カ月ぶりに帰任させたところである。

この慰安婦問題ひとつをとっても、どれだけの人が現状や論点をきちんと理解しているだろうか。膠着状態に陥っているいまこそ、これまでの経緯を振り返ってみる必要があるのではないだろうか。

この2月に刊行された『戦後日韓関係史』は、そうしたときにまず参照してほしい一冊である。本書は、日本と韓国との関係を、政治だけでなく、経済や社会の動きにも触れながら、その戦後の歩みを丁寧に叙述している。しかも、本書に登場するのは日本と韓国だけではない。その背景には、中国や北朝鮮といった周辺国、そして日韓両国の同盟国であるアメリカの動きが垣間みえる。

戦後の日韓関係の歩み、そしてより広く、国際政治における日韓関係を意識して書かれた本書の読み方・使い方について、この本の執筆者のひとりで韓国政治が専門の浅羽祐樹教授(新潟県立大学)、戦後日本外交史が専門の白鳥潤一郎助教(立教大学)、そしてソウル・北京・上海で特派員を歴任した佐々木真解説委員(時事通信社)に、縦横無尽に語ってもらった。(有斐閣編集部)

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ミッシング・リンクとしての『戦後日韓関係史』

浅羽 まずは、執筆者のひとりとして、この『戦後日韓関係史』の狙いをお話ししたいと思います。

1つ目は、「関係史」ということで、「外交史」だけではない視点を示そうとした点です。ややもすれば、政治・外交、政府間の関係だけに焦点が当たるところがありますが、経済はもちろんのこと、社会・文化まで、国家にくわえて市場や市民社会といった複合的な層があるということを重視しました。

2つ目は、全体像や文脈を踏まえようとした点です。そうすることで釣り合いのとれた視点、プロポーショナリティを回復しようとしたのです。というのも、テレビのワイドショーで大統領の弾劾やデモ、金正男の殺害に関する報道が連日続くなど、ある特定のイシューにはものすごく細かいところまで報道されるんですが、断片的な関心にとどまっていて、これまでの流れとか、その時点における全体像やその事象がそのなかで占める比重を確かめてみることはまずなされていないからです。とりわけ、ネットでは、自分のみたいものだけをみることでどんどん強化学習されていきます。

3つ目は、戦後70年の通史を一貫して描こうとした点です。一昨年の2015年は、1965年に日韓国交正常化がおこなわれてから50年の節目ということで、『日韓関係史1965-2015』が刊行されていますが、その前史、1945年から65年の部分を明示的にくわえることで、「戦後」日本について「ポスト帝国」「ポスト植民地主義」という観点から浮き彫りにできるところがあるのではないかということです。

4つ目は、2国間の関係で成り立つのが、日本にとっては日米と日中、そして比重は下がりますが、この「日韓」というのが、それでもまだ成り立つんだということの意味を探ろうとした点です。同時に、それはある種の限界も示しているのかもしれません。「バイ(2国間)」と「マルチ(多国間)」との関係、広域の地域構想における2国間関係というものを考えるうえで、日韓という2国間でとらえるという枠組みの立て方自体についても、同時に照射することができればと思っています。

最後に、いろんな経緯があって最終的にはこの4人で通史を書くことになったのですが、こうしたコラボにともなう強みと弱みがきっとあるはずだと承知しています。戦々恐々としながら、お二人には率直な評価をお願いします。

白鳥 最初に、本書の刊行の意義を簡単にお話ししたいと思います。

まず、これまで日韓関係について通史的な書籍がほとんどなかったところに、この本が刊行されたという意義があります。類書といえば、最近のものだと、韓国外交部で東北アジア局長を務めた趙世瑛さんが書かれた『日韓外交史』という、いわば韓国側の視点から書かれたものがあります。それ以前は、李庭植さんの『戦後日韓関係史』がありますが、これは日本語版の刊行が1989年で、しかも英語で出たものの日本語訳というかたちであったと思います。こうした状況が長く続いていました。

他方、さきほど挙げられた『日韓関係史1965-2015』もそうですし、その少し前に刊行された『歴史としての日韓国交正常化 』もそうですが、この10年ぐらいの間に、日韓双方で、国交正常化前後を中心に外交文書が公開されたことで、多くの研究者によって日韓関係に関する研究はかなり蓄積されました。まさに多面的な分析がなされています。でも、日韓関係を専門にしていないと、どこから手を付ければいいんだろうと思ってしまうぐらい大量にさまざまな研究が出たんですね。

それが、今回、『戦後日韓関係史』というかたちで、ひとつの一貫したストーリーに基づいてまとめられた。日本側の研究者から、戦後の日韓関係を終戦直後から現在までを見通すような日韓関係史が出たということが、まず大きな意義として挙げられます――「日本側」と乱暴にいってしまうと李鍾元先生に怒られてしまうかもしれませんが。

ひとつ付け加えると、やはりこのテーマは何を取り上げても政治的に注目をされやすい。もしくは、政治的な立場から歴史を読み解くということが、やはり傾向としても強い分野なのかなというような印象をもっているんですけれども、ある種、そういう影響から一歩距離をおいて書かれた、戦後を通した信頼できる著作が出たということが非常に意義あることだと考えています。

佐々木 ジャーナリストの立場、あるいは韓国、朝鮮半島、中国を取材してきた立場からいいますと、大変ありがたいという印象があるんですよね。ありがたいというのは、朝鮮半島に関する取材をしているときに、戦前からのことももちろん知らなきゃいけないんですけれども、やはり、現状を形づくっている大きな要素のひとつが、1945年以降の歴史なわけです。これをちゃんと頭のなかで整理してひとつの見取り図みたいなものをもって取材に当たらなければいけないわけですが、それがなかなか、これまでできなかった。今回、この本を通読して、頭の整理ができたというのは非常によかったということがあります。

記者はさておき、たぶん実務的な仕事をしている人たち、たとえば日本の政府関係者もいるでしょうし、あるいは日韓、韓国が専門ではない研究者の方々、企業やその周辺のいろいろな団体の方々にとっても、基礎的な知識や枠組みを得られる大変いい機会になったのではないかと思います。

佐々木真・時事通信社解説委員
佐々木真・時事通信社解説委員

たとえば、私は、国交正常化は朴正煕になってから急速に進展したという印象をもっていましたが、そうではないとする研究も最近わりと出ているようです。これは私にとっては新しい知見だったんですよ。やっぱりそれを知っているか知っていないかによって、朴正煕政権なり、李承晩政権なりに対する評価というのは変わってくるのではないかと思います。そういう新しいことを入れていただいて、自分の知識、実務者の頭のなかをバージョンアップしていただいたという意味は大きいかなというのがありますね。

あと、中国も含めて取材している者としていわせていただくと、李鍾元先生が書かれた1950年代では、アメリカの影響が大きいわけです。その後、米中和解以降、中国の存在が急激に浮上するわけですよね。朝鮮半島に対してのさまざまな物事、日韓関係についても大きな影響が及んできて、その中国ファクターというのが、1992年の中韓国交正常化を経て、2000年代になって非常に大きく出てきている。私は昨年12月まで中国にいましたけれども、これは中国を取材していて日々感じることと一致します。

そのあたりの関わりみたいな、日韓という2国間だけじゃなくて、周辺国も含めた、特に中国、アメリカも含めたかたちでこの地域の2国間をみていこうという意思が、この本では非常に強く感じられます。それは新しい視点というか、いま、私たちが仕事をしているなかで、現代にとって有意義な見取り図を与えてくれたかなというような気がします。

もうひとつは、やっぱり、トランプ政権ができて、多少内向きな、保護主義的な傾向がみえるなかで今後どうなっていくのか。グローバル化とは、ちょっと違うようなものが大きくみえているなかで、いちどみんなで考え直す意味、これからどういう方向に日韓関係が進んでいくのか。アメリカや中国がどういうかたちで進んでいくのかが不透明ななかで、自分たちの基準といいますか、現在の到達点みたいなことをみせてくれたということでも意味があるのかなと思いました。

他方で、苦言も少しお伝えしたいと思います。

ひとつは、経済的な結び付きについての話が若干弱いのかなという感じがしました。日韓関係の経済的な側面について、個別、具体的なケースにも触れられてはいますが、企業についても、もう少し盛り込んでいただくと、読者にとってはより親近感が湧いてくるのではないかという感じがします。

よく取材をしていて思うんですけれども、日本人にとって韓国についての経済的な重要性というのがあまりみえていないと思うんですよね。中国と比べると、経済的な重要性についてあまり認識が整っていない、十分でない面がある。だけれども実際はそうではないし、いろんな面でのつながりの重要性はますます高まっていますし、実績にもあるわけですから、そういう面ではもうちょっと強調されてもよかったかなという感じはしました。

せっかく三層構造というかたちで描いているので、もうちょっと経済的な部分も強く出したほうが、立体的に日韓関係が浮かび上がってきたのかなという印象をもちました。

もうひとつは、これは教科書ということですが、図表の類が、ほとんどないですよね。写真はありますけれども、グラフィックで説明されていません。とくに、いまの若い学生さんなんかは、基本的に画像による認識度というのがすごく高まっているんだと思います。この本のように文章でずっと説明されると、ちょっと億劫さを感じるのではないでしょうか。教養課程じゃなく、専門課程向けなのでいいのかもしれないんですけれども、もうちょっと工夫があってもいいかとは思いました。

白鳥 分野の問題もあるかもしれないですが、図表などで説明することが求められる教科書であると同時に、ひとつのスタンダードな「通史」としての位置付けというバランスが少し難しいのかなという気もします。

あと、これは個人的な感覚かもしれないんですけれども、ある程度難しいと思うくらいのものを1冊じっくりと読むという経験を大学時代にするほうが、実は定着もするということもあるのかなと思います。そういう点では、専門課程向けの、基本的には大学3、4年生向けのテキストとしては、これでいいのかなとも思います。

教室や職場での使い方――学生・教員編/実務家編

白鳥 教育の現場で使うことを考えると、これまで日米関係史や日中関係史は、さまざまテキスト、通史だったり、あとは新書でも多くの方が書かれています。それに対して日韓関係には、なかなか類書がなかった。

私も「戦後日本外交史」をテーマにした講義を担当しています。その際、講義自体は自分のオリジナルということで、教科書は指定していないんですけれども、参考文献でいろいろな本を指定しています。日本外交だと、まず五百旗頭真先生編の『戦後日本外交史』が筆頭に挙げられます。

ただ、それだけではなくて、『日米関係史』や『日中関係史』といったところを紹介するんですけれども、日韓関係にはなかなか適当な教科書がなかったんですね。この本が出たことによって、日米、日中という、ある種日本よりも大きな国だけではなく、経済的なサイズでいっても日本よりも小さい、しかしながら最も重要な2国間関係のひとつであるという日韓が入った。

つまり、日韓関係史を単独でとらえるのではなくて、これまでの蓄積のなかで、日米関係や日中関係などの他の2国間関係に関するテキスト群を念頭におくことで、この本が出たことの意味や使い方というのがより伝わるように思います。

浅羽 本来、あらゆるテキストが相互に参照し合っているということなのでしょうけれども、とりわけ教科書の場合は、よりスタンダードな大枠のものがまずあって、それではカバーしきれないところを各論で補うというところがありますね。

有斐閣に限っても、『戦後日本外交史』があって、『日米関係史』『日中関係史』がある。そのなかで欠けていた「日韓関係」に関する教科書が今回出たという、そういう読みをするものですし、ぜひそうしていただきたいですね。

白鳥 ただ、大学によっては、「日本外交史」ですら授業がありません。これは国家試験の科目から「外交史」がなくなった影響もあります。そこでは、日韓関係だけを取り上げるという講義は設置が難しいです。このあたりは大学によって状況は変わってくるのかなと思います。

むしろゼミなどの場ですね。今年はちょっと日韓関係を取り上げてみようといったときに、これまでであれば個々の論文や研究書を選んでいたところを、これからはこの本を、基礎文献のひとつとして最初に読ませることができます。

しかし、ここに書いてあることを絶対視する必要はもちろんないわけです。歴史は、書き手次第でさまざまなズレや見方の違いというのがある――もちろん研究者同士が最低限合意できる事実はあるわけですが。大学レベルでしっかり勉強する歴史、つまり暗記科目ではなく、みる角度によって評価も変わりうるという歴史に触れるきっかけのひとつになります。

浅羽 最初に手にする本としてはいかがでしょうか。たとえば突然韓国赴任を命じられたときとか、あるいは大学1年生がはじめて韓国の政治や外交について学ぶとき、つまり何を参照すればよいのかまったくわからないような状態にある方にとって、この本はどう「使える」のでしょうか。

佐々木 教養課程の学生さんにはちょっと難しいかなと思います。それなりの基礎知識がやはり必要のような気がします。たとえば、高校生だと、それぞれの日本の若い人の考え方はあるにしても、世論調査なんかでも表れていますけれども、わりと嫌韓的な感覚が強いなかで、そういう人が大学に進学して、この本を取り上げたときに受け入れてくれるのかなという感じはちょっとしたんですよね。

この本を読むことによって、自分の認識が広がっていく人も、もちろんいるんでしょうけれども、なんか導入剤みたいな途中の過程がないとつながっていかないかな。それは、教科書として取り上げるとすれば、先生がやるべき仕事なんでしょうけれども、この本をそのままポンと渡しても、たぶん、そういう学生さんだと、ちょっと適応が難しいのかなという感じはしましたね。

白鳥 でも、ここでさまざまな論点というのが歴史的にいろいろ出てくるなかで、ひとつスタンダードな記述というのがあり、その先に引用・参考文献や読書案内というのがある。その先になかなか学生さんは進んでくれないわけなんですけれども、それを地道にやっていくしかないんじゃないのかなとも思います。目新しいことでひきつけても他の目新しいことに目を奪われるだけです。だから、なかなか正解というのはないんです。勉強というのは本来、大変なものですから・・・(笑)

たとえば、なぜ日韓関係がなかなかうまくいかないのかということは、そんな一朝一夕にわかることじゃないですよね。それだけの歴史的な積み重ねがあり、だからこそ、そう簡単には解決しないというのが実態です。

韓国に対して強硬に出れば何かが解決するというようなことをいう方はいろいろいるわけですし、その正反対のことをいう方もいます。でも、そんな簡単じゃないよ、というプロセスを歴史として示したのが、この本だと思いますし、これを支えている多くの研究だと思うんです。

つまり、わかりやすさをもって嫌韓的なものに対する処方箋にするのではなく、いやいや、歴史というのは複雑な話の部分があるんだよということを示していくことが大事だと思います。知的に体力は使うんですけれども、こうしたことを伝えていくほうが遠回りなようでいて、今後の日韓関係を考えていくうえでの、実は近道ではないかと考えています。これは自分が歴史をやっているから、手前みそなところはあるかもしれないですけれども。

浅羽 大学から離れて、実務の現場ではいかがでしょうか。私としては、学生や教員のみなさんに使っていただくと同時に、とりわけ明確に念頭にあったのは、特派員や駐在員の方、それに政府のナカノヒトで10年に1回、韓国にアサインされるような方ですよね。そういう方に使っていただきたいと思っています。

そういう方に、ハンドブックとして使っていただくにはどうすればいいのか。あるいは、この本に限らず、どんなハンドブックや見取り図があると便利なのでしょうか。

佐々木 実務者としては、簡単に読めてわかりやすく頭のなかに入るもの。何回もそれをパラパラと開けばレファレンスとして使えるようなもの。そういうものがやっぱりありがたいです。最初は通読しても、またなにか問題が起こったとき、これ、どういうことだったかなというときに、索引や目次から引っ張ってきて、そこに詳しく書かれていて、ああ、そうだったということで基準がわかると助かります。

歴史認識の問題でもなんでもいいんですけれども、原稿を書くときに、実際はどうだったのかなというこれまでの経緯とかを探るときに、やっぱりハンドブックというのは必要です。インターネットで検索しても、どれだけ本当かどうかわからないわけですから。そうすると、わりとパッと開いて、頭のなかにすぐ落ちてくるようなものが、実務者的にはありがたいなという感じがあります。

浅羽 いま、経緯とおっしゃいましたけれども、それ以外に、双方の公式な立場や、それが市民社会レベルでどのくらい受容されているとか、あるいは異論がない状態なのか、異論が出ない政治構造になっているのかとか、さまざまなことがあると思います。そうしたなかで、どんな要素が、どの程度、どこまで盛り込まれていると「8割オッケー」みたいな感じになりますか。必ずこれは入っていないといけないといったことはあるんでしょうか。

佐々木 この本にあるように、政治を中心に書かれていてもそれほど問題ないという時期も当然ながらあるんでしょうね。日韓の場合でも、時代を経ることによって、やっぱり市民社会間の交流は非常に大きな力をもつようになっているわけですから、そういう分野が大きく取り扱われなくてはいけない。だから、この本自体は比重がだんだん変わっていっているところが、それこそ日韓関係の特徴だと思うんですよ。それなので、そこは押さえているかなとは思いました。

2国間関係史を超えて――アメリカ、北朝鮮、中国

白鳥 この本では、「関係史」というアプローチをとられていますが、私自身は、2国間関係の研究はやや「難しい」という印象をもっています。というのは、究極的にいくと、マスメディアの報道もそういう部分があるのかもしれないんですけれども、関係を分析するというと、関係は良かったんですか、悪かったんですかというような評価の軸になりがちなんです。それをどう回避するのかという問題は、2国間関係史のなかで常に考えなければいけない。これは特に個々の論文や研究書だと難しいんですけれども、今回の通史というのは、それをどうクリアするのかという点で2つの工夫がされているのかなと私は思いました。

ひとつは、やはり政治が中心ではあるんですけれども、経済と社会の動きも押さえているところです。そのなかで、政治、経済、社会が、戦後の約70年間の歴史を通して、その比重がいろいろ移り変わってきているという様子が活写されているということですね。

したがって、関係が良かった、悪かったということだけではなく、政治の要素、経済の要素、社会の要素、それぞれがどう変化してきたのかが描かれることによって、良い、悪いという、ただのプラス、マイナスではなくて立体的な変化が描かれています。

もうひとつは、これは序章で――ある時期に絞ったことなのかもしれないんですが――李鍾元先生は次のように書かれています。「1950-60年代の日韓会談の過程が端的に示すように、戦後の日韓関係は事実上、日米韓の3カ国の関係であったともいえる」。こうした状況は、当然、その後変わってきているわけです。

それでも、浅羽先生が書かれている21世紀になってからの日韓でも、アメリカ・ファクターは当然無視できないですし、「日韓」関係が、ある意味で「日米韓」関係であるということは、おそらく現在も変わっていないんじゃないかと思います。つまり、単純な2国間関係だけでは、日韓関係を描き出せないということを著者自身認めていますし、それが本書では随所に出てきます。

もう少し付け加えますと、北朝鮮という第三国も当然入ってくる。また、ある時期からは中国というファクターも入ってくる。つまり、日韓関係史という2国間関係史をみているようでいながら、実は東アジアの国際関係史のなかで、特に日韓に注目していているという要素もあるのかなという読み方をしました。

佐々木 それは、やはり浅羽先生が書かれている2010年代以降を扱う第7章の朴槿恵・韓国大統領と習近平・中国国家主席が天安門に並んで立った扉写真なんかに強く表れているように思います。典型的に新しい時代というか、国際関係のなかにある日韓を視覚的にわかるようなかたちで表している。

浅羽 扉写真はかなり工夫したところで、そうご指摘いただくと嬉しいです。実は、クレジットがとれそうになくて、断念したものもあります。通しでみていただくと、比重の移り変わりもみえてくるようになっています。

白鳥 ちょっと順番にみていきましょう。序章は、終戦直後の日本と韓国、荒廃した東京と進駐軍を歓迎する京城市民という写真から始まります。1940-50年代(第1章)は、李承晩大統領が訪日したときの写真です。アメリカなしではこのショットは撮れないですね。1960年代(第2章)は日韓基本条約に調印する様子。1970年代(第3章)は象徴的で面白いですね。日本も韓国も出てこない、ニクソン訪中のときの写真。1980年代(第4章)は金大中の死刑求刑に反対するデモ行進の写真。1990年代(第5章)は、小渕恵三と金大中の首脳会談。2000年代(第6章)は韓流と日韓のワールドカップ共催の写真で、ここまでは非常に明るいんですね。2010年代(第7章)は、中国の抗日戦勝70周年記念式典の写真です。そして終章は東京とソウルの風景です。

白鳥潤一郎・立教大学法学部助教
白鳥潤一郎・立教大学法学部助教

いま、各章の扉写真を振り返ってみたんですけれども、やはり、日韓だけをみていても日韓関係の全体像はみえないんだというのが、本書の隠れたメッセージのひとつになっているんじゃないかなと思うんですね。

私は韓国側の状況をあまり存じ上げませんが、日本で日韓関係にかかわるような問題が取り上げられるときは、とかく韓国のことだけをみたり、はたまた日本国内の在日コミュニティをみたりというかたちで、なぜか2国間に閉じた思考をされる方が多いんじゃないでしょうか。

それに対して、この『戦後日韓関係史』で執筆者の先生方が示されているのは、この2国間関係史をみるためには、より広い東アジア国際関係だったり、いまの文脈ではちょっと出てきませんでしたが、経済でいえばグローバリゼーションの流れ、そういうなかに2国間関係をおかないとみえないということなのだと思います。

戦後日本外交史のなかの日韓関係

白鳥 私はまた別の視点として、時期区分に注目して、本書を読みました。こうした通史を読むとき、序章から順番に読んでいくのが王道の読み方だと思うんですけれども、特に関心のある時代から読み進めてもいいと思うんです。そういう点でいうと、10年刻みで1章ずつというのは読みやすくていいです。

ただ、この『戦後日韓関係史』を紐解いてみると、どうやらこの10年ごとという時期区分よりも優先しているものがあったのかなというのが、李鍾元先生ご執筆の序章には書かれています。

そこで書かれているのは、大きく4つの時期ですね。最初の時期は1945年から1965年で、これは「空白期」とされています。その次が、「『国家』の関係」の時期で、1965年から1980年代中盤。3つ目が、「交流の拡大」の時期で、1980年代中盤から2000年代中盤。そして、「転換期」ということで、2000年代中盤からという時期区分がなされています。

もしかすると、この時期区分に沿って読むほうが、10年刻みで読むよりも、より戦後の日韓関係の現段階というものが、みやすくなるのかなとも思います。

この区分には、李先生の意図がいろいろとあると思うんですけれども、どちらかというと、韓国からみたときの「韓日関係」、韓国側の変化みたいなものをより重視した時代設定になっているのかなというのが、私なりの感想です。

では、日本からみたとき、すなわち戦後の日本外交はどう分けられるのか。私は、3つの時期に分けられるのではないかと最近考えています。すなわち、1970年前後、1990年前後、それから2010年前後を区切りに、20年刻みで考えると、いろいろなことがわかるのではないでしょうか。

この区切りは、序章で書かれている日韓関係の時期区分とは多少ずれています。言い換えると、日韓関係史を書くことと、戦後日本外交史を書くことはイコールではないということが、ここにもしかすると表れているのかもしれません。

これは、2国間関係史をどうみるのかといったところとつながるんですが、日米関係史に関していえば、さきほどいった区分はある程度当てはまります。1972年に沖縄返還がありますし、1990年の湾岸戦争はもちろん日米間の問題でもあるわけです。また、2010年前後というのは、今後のアメリカが世界から引いていくだろうということが、ほぼ確実になっていった時期です。

このように、日米関係については、うまくはまってくるわけですね。それも踏まえると、おそらく日米関係史を学べば、戦後日本外交の6割ぐらいはわかるんじゃないかと思います。

誤解のないように付け加えておけば、2国間、すなわち国家と国家の関係というのは、やはり非対称の関係です。さきほどとは逆に、日米関係史を学んでも、戦後アメリカ外交はたぶん全体の5%くらいしかみえないんじゃないかと思うんです。その非対称な関係を日韓に置き換えてみると、日韓関係史をみるだけでは日本外交史というのは理解することはできないと思います。それが、戦後日本外交史のなかの日韓関係ということに関する私なりのひとつのメッセージです。

しかし、日米関係を中心にみていると、これはこれで歪むんですね。本当は、冷戦史みたいなもっと幅広いもののなかに、ちゃんと日本外交史とか、日米関係というのを入れていかないといけないわけです。けれども、日本人はなかなかそれをしない。あたかも、日米関係で世界が回っているかのような言説がたくさん出てくるんです。

幅広い文脈のなかにおかないといけないというなかで、日韓関係史という視点が入ることによって、実は「日韓」というのは「日米韓」であるという話がつながります。朝鮮半島と日本の関係に注目すると、それによって、日米関係史や日本外交史が、質的には非常に豊かになっていくんだと思います。

「日米韓」や「日中韓」であれば、佐々木さんからいろいろあるのかなと思うんですが。

佐々木 私が1980年代末にソウル特派員になったときのことですが、韓国の専門家の人たち、国際関係論とかをやっている人たちは、特に日本を専門にしている人じゃなくても、日本の資料で研究している人たちが多かったことを、覚えています。

手前みそになりますけれども、うちが出していた『世界週報』(時事通信社刊、2007年休刊)という国際情報誌で研究しているといってくれる専門家がずいぶん多かったです。そういうかたちで日本を通して政策的なことも考えていこうということが、かなり普通におこなわれていた時代だったなと思います。

浅羽 日韓に限っても、1990年代初頭、それこそ中韓、韓ソの国交正常化がなされるまでは、韓国の外交は、アメリカや日本との関係が、貿易の比重をみても合わせて8割を超えるようなときがあって、圧倒的なプレゼンスがあったわけですよね。

1990年代以降は韓国の外交空間が多角化して、日米が占める比重がどんどん下がっていきます。そして、ついに、2010年に、韓米と韓日を足した貿易額よりも韓中のほうが上回るようになりました。

佐々木 私がソウルにいたときにちょうど中韓の国交正常化が達成されて、私は盧泰愚大統領と一緒に北京の人民大会堂に行って首脳会談の取材などをしたんですよ。正常化交渉は秘密裏におこなわれていて、韓国から国交断絶の通告を受けた台湾側から最初にポッと出て、みんなが騒いだんですね。その後、中韓の正式な発表という流れでしたが、当時、韓国社会のなかで、そういう流れであることはみんな当然知っていながらも、やっぱり大きなものがきたなという雰囲気はあったと思いますよ。

ですけれども、そのときにいた自分、さらに付き合いのあった韓国人も含めて、まさかここまで中韓の間の実質的な関係が深まるとは思わなかったですね。そこまで予想していなかったです。

浅羽先生がさきほどいわれたように、経済的な結び付きがこれほどまで密接になる、貿易額が日本とアメリカをプラスしたよりも上回るようなかたちになるとまでは予想していなかった。ちょっといまは雰囲気が変わりましたけれども、韓国の大統領が天安門に中国の主席と一緒に立つということも、25年前には想像できなかったですよね。

ですから、そのときに思ったよりも非常に速いスピード、あるいは大きな流れとしてここまでたどりついたというのは、本当にそうだと思います。韓国と中国とのつながりの強化というのがやっぱり日韓関係にも影響するし、東アジア全体に対しても大きなインパクトを与えているでしょう。

私は中国の地方都市にも取材とかでよく行くわけですが、韓流ブームというのか、韓国の文化なんなりが定着しているんですよね。この間、福建省の泉州というところに行っていたんですけれども、そこのかなり目立つ場所で韓国関係のグッズを売っていたり、韓国料理屋とかがあったりしました。別にコリアタウンをつくっているわけでもないのに、目立つようなかたちでいくつもあるんですね。

でも、日本関係のお店はみつからないですよ。そういうふうに、韓流ブーム以降、大衆レベルでの韓国に対する親近感というのが、かなり定着している部分があって、それはやっぱり中国にとっても大きなものだなと感じました。中国人の韓国に対する意識、あるいは北朝鮮と韓国をみる見方というのは、やっぱり根本的に変わってきている面はあると思うんですよ。

もちろん、ああいう中国という国ですので、この本で書かれているような三層構造を適用するのは難しい。やっぱり政治主導、共産党主導の社会ですから、市民レベルの交流の深まりがそのまま政治に影響するということは少ないし、許されてもいない。それでも韓国の浸透力というものが、中国全体の社会の枠組みを多少変えていっている面はあるかなと思いますね。

「基本的価値を共有していない」相手だからこそ理解する

白鳥 この本に引き付けて重要だと思うことがあります。

それは、中国と韓国が、日本国内では「中韓」セットで論じられてしまうという問題です。反中の人は反韓でもあるという世界ですね。逆に親中の人は親韓でもあると。だけど、この両国の関係自体が非常に大きく変化をしてきているし、それが日韓関係に大いに影響しているということを歴史のプロセスや変化のなかでとらえることが、いま、あらためて必要だと、お聞きして思いました。

日韓関係の観点から論じられているけれども、韓国とも中国とも関連するような問題、たとえば抗日戦勝70周年記念式典ですね。そういうときに「中韓」をセットでみていたり、韓国について語っているようでいて、実は中国について語っているとか、中国に関するものをそのまま韓国に投影していたりだとか、そういう面があるんじゃないかということです。

もう少し丁寧に、何が中国との関係で、何が韓国との関係なのか、また、「日中韓」という3国のなかでどうとらえるのかということを考えなきゃいけないのかなということを、いま、お話をうかがっていて思いました。

佐々木 「中韓」をセットでみるというのは、私が上海にいたころに、そうしたイメージがかなり日本側に拡散したように思います。中韓が共闘していて日本が袋叩きにあっているみたいな印象です。

それによって、日本の世論調査で中国に対する感情が悪くなり、そして韓国に対する感情も悪くなるという相乗効果が起こったんだろうなと考えています。やっぱり、中国や韓国に対する日本人の意識については、特にここ15年で、とても変化しているのかなと思いますね。

ただ、私たちが当たり前だと思っていることや、自国に関して感じていることをそのまま中韓に投影している部分が、さまざまな点であるのかなとは思います。

浅羽 本当に基礎統計というか、最初に確認しないといけない数値をみていないことがあります。そのため、実態よりも大きくみえていたり、逆に過小評価したりしてしまっています。中韓に関しては、こういう思い込みというか手抜きが一番顕著に出ているように感じますね。

白鳥 中国の場合は、日本と完全に政治体制が違うということが、いちおう日本社会でも理解されているわけです。韓国に関してはかなり怪しいです。

たとえば、大統領制と議院内閣制の違いです。政治学を学んでいると、その違いというのは最初のイロハのひとつとして教わるわけです。けれども、その違いもなかなか理解されていないんじゃないのかなと思うときがあります。権力融合的な性格をもつ議院内閣制と、権力分立的な大統領制はまったく違いますし、半大統領制はこれも違う。朴槿恵政権にしても、過去の政権にしても、日本のたとえばいまの安倍政権と比べたら、常に弱い大統領だったわけです。

浅羽 弾劾に関する報道の仕方をみててあらためて痛感させられましたが、日本では大統領制に対する誤解が根強いですね。1990年代に「憲法体制」が改革されてからはなおさら、そもそも権力融合型の首相のほうがリーダーシップを発揮しやすいというのは、政治学では常識なのに、一般の理解ではまるで逆になっています(「憲法典」の改正なき「憲法体制」の改革については、「憲法論議を「法律家共同体」から取り戻せ―武器としての『「憲法改正」の比較政治学』」を参照されたい)。

日本政府は、『外交青書』のなかで2007年以降一貫して、日韓関係について「自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する」と規定してきましたが、2015年に外しました。2016年以降は代わりに「戦略的利益の共有」が明記されています。

ただ、厳密に体制レベルで共有していないかというと、そんなことはなくて、違いがあるとすれば、サブカテゴリーやその組み合わせの部分です。たとえば大統領制か議院内閣制かとか、あるいは政治と司法の関係とかです。それは、国によって、「憲法体制」によって、体制レベルでは同じ自由民主主義でも、実にさまざまなバリエーションがあるわけですよね。

にもかかわらず、自分に馴染みのあるタイプだけを唯一絶対なものとして、そことの差分で、進んでいるとか、劣っているとかというように、みてしまいがちなのです。なんかもう体制レベルで共有しているだけで、価値観や意識も共有できるだとか、南シナ海問題についても日韓は一致して対応しなければいけないだとか、主張されたりします。

体制、価値観・意識、個別の政策、本来まったくレベルが異なる話がいっしょくたにされて、全部つながるとか、逆に全部切るとか、短絡的に考えられやすいのかもしれません。ですが、そもそも無理な話で、そこはひとつずつ分けて考えたいところです。

浅羽祐樹・新潟県立大学大学院国際地域学研究科教授
浅羽祐樹・新潟県立大学大学院国際地域学研究科教授

白鳥 いまのお話とも関連すると思いますが、この10数年については、韓国に期待をしていた人たちの間でも裏切られ続けてきたという意識だったり、いちど決めたことが履行されないじゃないかという意識だったりが、専門家のコミュニティの間でも広がってしまっているのかなというのが、やや気になるところではあります。

たしかに、この本の第5章以降で描かれている、冷戦終結後の日韓の間のさまざま歩みをみると、1998年の日韓パートナーシップ宣言をひとつの頂点としながらも、90年代にもさまざまな問題があった。結局、なかなか進んでいないようにもみえるし、そうしたマイナスの意識が広がるというのもわからなくもないわけです。

だからこそ、日本の専門家からみるとこういうふうにみえるよねということが、韓国側にももう少し理解されると、少しはいい方向に日韓関係も変わるのかなとも思います。

佐々木 浅羽先生は、たぶん、いろんな日韓の枠組み、すなわち、学会交流とか討論会とかに出られていると思うんですが、私も言論界同士の交流の場というようなかたちで、何回も出たことがあります。

それで感じるのは、もちろん歴史問題など、そのときどきでホットな、新聞を賑わせている問題について意見を戦わせるわけですけれども、議論が日本対韓国になるんじゃなくて、韓国のなかの分裂みたいなことになることが多いんですよね。対日アプローチの仕方についてどうするかが、韓国国内のメディア間の差のほうが、日本のなかの朝日新聞と産経新聞の差よりも大きいのではないかと思えることがあります。

国と国との話じゃなくて、韓国のなかで話がまずまとまっていないというような構図になることがあるんですが、学術的な場でも、そういうことがありますかね?

浅羽 ちょうどいま、日本政治学会の日韓交流小委員長を務めているのですが、その関係で、昨年末、ソウルでおこなわれた韓国政治学会で討論者の役目を割り当てられました。

英語のパネルで、韓国側は、日本の外務省が作成した『竹島問題 10のポイント』というパンフレットに対してひとつずつ反駁するという報告でした。私も内閣官房主権・領土対策企画調整室が進めている「竹島に関する資料調査」で研究委員会委員を務めたりもしていますので、逐条で再反駁をしてもよかったのですが、そういうポジショントークはしませんでした。

あえて、そもそも領土問題はこれまでどういう文法で論じられてきたのかとか、そういう文法だとこういう結論にしか至らないとかという議論の仕方にしたんですが、逆にそのせいか、まあ、盛り上がりませんでした。むしろ、日韓ガチンコ対決をすればよかったのかよ、せっかくの学会なのに、と悶々としました(苦笑)。

白鳥 領土と歴史がからむ難しさでしょうか。

浅羽 これはちょっと極端なエピソードですが、こういう部分はそれぞれ固有のポジションがあって、なかなか外しにくいんですよね。私的な場だとけっこういろんな話が出るんですけれども。

佐々木 もちろんそうです。私が出席したような言論界の交流、公式の会合でも、半日ぐらいかけて侃々諤々やりますが、そのときは対峙しても、その後の飲み会では、なんか、やあ、やあという感じになりますよね。

浅羽 フォーマルな部分で許容される度合いが、問題領域ごとにずいぶん違っています。

たとえば、日韓政治制度比較なんかだと全然もめようがないんですが、竹島とか歴史認識とかは、合意した後なのに、もういちど総理の手紙がほしいといった意見が韓国から出てきます。国内世論は厳しいし、説得するにはそういう材料が必要なのもわからなくもないんですが、それだったら最初からパッケージ・ディールにするしかなかったわけですし、日本としては、「あらためて」おわびと反省を表明したうえに「またかよ」となりますから、そういう日本の状況を知ってますか、そしてそういう「蒸し返し」が試みられることで、さらに日本国民が「さらにうんざりしますよ」と韓国側のナカノヒトにいろんなかたちで伝えています。

ただ、反応が鈍いんですよね。日本はまだ余裕があるだろうとかね。慰安婦少女像の「移転/撤去」において進展がないなかで10億円を拠出することに対しては、日本も世論が厳しかったわけです。政治決断にリスクがともなうのは本来、双方同じはずです。

「外交」という営み――歴史認識問題をめぐって

白鳥 歴史認識については、日韓双方の市民レベルで、そもそも外交とはどういうものか、歴史認識とはどういう性格をもつものなのかについて、一般論として理解される必要があると思います。そのうえで、ひとつのケースとして歴史認識の問題を考えることが、必要です。

かつてのように、本来の当事者が多数いる時期から、文字どおり「歴史」に関する認識ということになり、総理大臣、大統領が双方とも戦後生まれ、その下の世代になると、もう自分の親も戦争中の記憶がほとんどないという世代になってきている時代には、それなりに距離をおいて歴史を考える必要があると思います。

まず、外交に関していえば、決裂しない限り外交交渉というのは常に妥協でしかないわけです。当たり前のことではあるんですけれども、にもかかわらず、ゼロサムゲームであるかのように、自分たちの想定する100点満点があって、そこから、両国の間で妥協の結果としてまとめられたものがどれだけ足りないというのを、日本、韓国双方でやり合っているようにみえます。これは、非常に不健全です。

外交においては、日本が100点をとれたと思うようなことは、相手にとっては0点しかとれなかったということになるので、当然向こうの国内では不満が高まります――もちろん点数の付け方が双方違えばウィンウィンにもなるわけですが、ここでは措いておきます。これでは、外交の妥協として機能しません。

外交を通じて妥協することの意味を、もう少しお互いに考えなければいけないんじゃないでしょうか。こうした、ある種の「外交感覚」のようなものを、もう少し幅広く意識したうえで日韓関係を考えるということが必要だと感じています。

もうひとつは、そもそも歴史とは何かということです。これは、山崎正和先生が「歴史の真実と政治の正義」〔『アステイオン』1999年〕という論考のなかで、政治ないし国家の考えるある種の正義と、歴史家が追究するような歴史的な真実というのは、究極的には対立するということを指摘し、国家はいまおこなわれているような歴史教育からは撤退せよという、かなり極端なことを書かれています。

歴史家の数だけ歴史があるというような立場は日本ではそれなりに理解されていますが、それを前提に、国家がひとつの歴史観を「正しい歴史」だと想定して、義務教育で教えるというのは、そもそも不可能じゃないかというのが、山崎先生のご意見です。これは、韓国や中国における一般的な歴史観とは絶対に相容れない立場です。

山崎先生ほど厳密な立場に立たなくとも、違う国家の間での歴史認識というのは究極的に一致しない。逆にいえば、歴史認識が完全に一致したときは、ひとつの国家になっているというぐらいの意識が、この歴史認識問題を考えるときには必要だと思います。そのうえで、この部分に関しては合意できるというところを、どれだけつくれるかが重要なのです。

一般論として、外交や歴史のもつ性格を理解したうえで、日韓を特殊ではない「普通」の2国間関係としてとらえることが、現実の日韓関係と向き合うという際には特に必要です。その作業があまりされてこなかったのが、民主化後の韓国と日本の関係だったのではないかということを、『戦後日韓関係史』を読んだときにあらためて感じたところです。

浅羽 それこそ、2015年末の日韓「慰安婦」合意は双方100点満点とはいかないわけです。双方というのは必ずしも日韓両政府ということではなくて、ある特定の立場しか正解でない、100点でないという見方からすると、60点かもしれないし、100点じゃないものは全部0点にみえている人たちがいるわけですよね。

一方では、そもそも慰安婦を売春婦だとみる人からすると、1965年の請求権の対象ですらないという極論もあり、他方では、強制連行で、少女が連れて行かれて――たとえ実証的な裏付けはなくても――法的賠償や、追悼碑の日本国内での建立、そして教科書での分厚い記述をしなければならないという極論があります。そうした人たちからみると、このたびの合意というのはそもそも不要か、あるいは不十分なわけです。

ですが、外交もそうですし、国内においても政治的な成案をひとつに絞るときには、なんらかの意味での妥協は必ずともなうわけです。それが均衡であるならば、その合意は維持されるでしょうし、均衡が破れると「蒸し返される」という話になると思うんです。

日韓で大事なのは、「正解」よりも「均衡解」を一緒に目指すことなのではないでしょうか。60点でも0点よりはずっとマシだというアプローチを探るほうが、大きく得しないかもしれないけれども、双方ちょっとずつプラスになることはままあるわけです。あるいは、たとえ「ルーズ・ルーズ」になるとしても、想定される最大のマイナスをミニマムにする戦略をとることだってできるわけです。

ロマンだけでなく、いろんな仕方でソロバンを弾いて、プラクティカル(実利的/実用的)に向きあえばいいとずっと主張しているんですが(「「俺がルール」じゃ動かないから―「均衡解」の日韓関係へ」)、力不足でなかなか広がらないですね(笑)。

佐々木 そうですよね。だから、私も、メディアにいる者としてはなるべく広い視野でみようとしているし、記事が日本の主張だけを一方的に伝えて、それで終わりというような原稿はなるべく書きたくないと思っています。

しかし、私たちメディアも、かなり日本の視点を軸にした論旨構成にどうしてもなってしまいがちです。それは、取材源の関係があって、私たちがアクセスしやすいのは、日本の外務省なり、日本関係者になってしまいます。独立した考え方、あるいは他の取材源を基にして日本側の主張を相対化すべく努力はするわけですけれども、限界があるんです。そういう意味では、ちょっと相対化が弱いかなという反省はあります。

ただ、仕事柄、韓国や中国の報道をずっとみているんですが、相対化の視点としては、これらの国よりも日本のほうが若干あるなという感じはしていて、その部分をもっと伸ばしていきたいと思いますね。

そうするべきではないんだけれども、いまは、ユーザーサイドの雰囲気みたいなのがあって、あまり韓国や中国について肯定的なことを中心的に書きにくいような面は確かにあるんですよ。

雰囲気を意識して、それに合わせたようなかたちで書くということはないんだけれども、無意識的に働いている面はあるかもしれません。そこもなんとかしなきゃとは思うんです。

白鳥 1990年代に書かれたものを読むと、その当時は非常に明るいというか展望があり、その延長線上に2002年のワールドカップの日韓共催までいったということに感慨を覚えます。その時代にはある種共有されていながら、いまは失われてしまったのかなと日本側で感じることがあります。

時折、韓国からの留学生と話すことがあります。彼らは、日本のこともよく知っているし、日韓の交渉の経緯にも詳しい彼らがいうことのひとつは、日本は1965年の合意にこだわりすぎだということです。その論拠のひとつは、民主化後の韓国と民主化前の韓国の違いをもっと考えてほしいということです。これは、それなりに説得的だと思いますし、それがもう少し日本国内で受け入れられると少しは違うのかなと思います。

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他方で、それが有効に機能した時期が1990年代だったのです。だからこそ、日本政府、特に細川内閣や村山内閣といった時期の歴史問題に関する取り組みは、そうした日本国内の雰囲気の変化とも実は連動していた。いまはもうその機会が失われた後ともとらえることができるのかもしれません。

浅羽 まさに1965年体制は、日韓基本条約をはじめとした当時のテキスト群だけではなくて、その後のテキスト群、とりわけ1990年代に積み重ねた新しいテキスト群、すなわち村山談話や河野談話なども含めた総体のことです。

本来、政権が変わろうが、民主化しようが、司法でこれまでと異なる判決が出ようが、「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」わけです。国家間の合意はそれくらい重いんですね。一方の当事者における事情の変更は、いろいろ新たに争点化する背景としてはよくわかるのですが、これは相手がある話で、ただちに修正せよとか、ましてご破算、ちゃぶ台返しとはいかないはずです。

ですが、1990年代に1965年体制は「上書き」されたんですよね。そういう政治状況でした。

その後もさらに上書きされた1965年体制がいま、問われているといえます。1990年代の上書きについて韓国側は何も評価しないという部分の不満が、ここにきて一気に表面化しました。

歴史認識問題で一番の食い違いは、1945年以前でも国交正常化過程でもなくて、実は1990年代に関してではないかと思います。一緒に頑張ったことについて、そもそも頑張る必要がなかったんだというのも嘘だし、頑張ったことをいっさい認めないのも嘘ですよ。10年ひと昔といいますから、ふた昔も前のことで、よく検証し、思い出す必要があります。

佐々木 駐在経験からいいますと、細川内閣ができたときに慶州で首脳会談をやったんですよね。そのときは、歴史問題に対してこれまでよりもかなり踏み込んだ言及をしていて、韓国メディアも含めて非常に歓迎するような空気があったんですよ。ところが、その後だんだん時が経って、菅内閣のときもかなり積極的な施策をやっていたのですが、それに対する韓国の評価、とりわけメディアの評価が非常に冷淡で、それが社会の雰囲気をつくっていました。

その後もずっと韓国メディアをみていると、1990年代を中心にして、いくつも取られたそれなりに前向きな日本の措置を正当に評価していない。そこがなんとかならないといけないでしょう。韓国の評価は日本側にもすぐ伝わりますから。

インターネット技術の進歩で、朝鮮日報の日本語版などで、本当にすぐに日本人も韓国メディアの論調をみることができます。そうすると、これだけ誠意をみせているはずなのに、それがまったくゼロ回答、むしろマイナスの評価ということが、お互いの関係をさらに悪くするようなことも起こりえます。そこのところがなんとかならないのかなというのをずっと思いますね。

だから、インターネットの発達によって韓国のメディアの厳しい論調に日本人が接することで、日本人が理解を深めたという面と、がっかりとしたというか、感情を悪化させたという面との両方があって、難しいものがあるなというのは思うんですよね。

釣り合いのとれた日韓関係をめざして

白鳥 国と国の間の和解や、かつての出来事の克服については、ある程度の面まで政府レベルで合同してやっていくということが、当然必要だと思います。しかし、それは、「入口」よりも「出口」に据えたほうがいいのはないでしょうか。

日米関係でいえば、昨年おこなわれた広島と真珠湾の相互訪問ですね。あれなんかは、まさに出口として、原爆投下をめぐる日米の間での和解の象徴になったわけです。当然、原爆投下に対する日本国内の評価と、アメリカ国内の評価は違うし、その違いについてお互いの国がわかっています。さまざまな意見はあるわけですけれども、基本的にはオバマ大統領の広島訪問は日本国内で高く評価されましたし、安倍首相の真珠湾訪問も高く評価をされているようです。

これは、歴史認識問題そのものに向き合い続けたというよりは、戦後70年間かけた日米間の積み重ねではないでしょうか。1990年代には、スミソニアン博物館の原爆関連の展示をめぐって大いにもめたこともありました。

そう考えると、入口のところに究極的には一致することのない歴史認識問題を据えてしまうと、いつまで経ってもデッドロック(膠着状態)になってしまう。だからこそ、より実務的な関係を築けるところから築き、そうした実務的な関係のためにこの問題だけで対立するのはよくないよね、というところまでもっていければいいんですが――もちろん、被害者の救済というのに時間が限られているということは留保したうえでのことです。この点は韓国側の問題も大きいと思います。

浅羽 この本の終章で、「ホッブズ的な敵」「ロック的なライバル」「カント的な友人」という3つの類型が示されています。これは本来、どれが優れているとかではないはずなのですが、李鍾元先生は「水平的な『パートナー』を経て、『友人』の関係に深化できるか」というように、歴史的な段階や今後進むべき方向として理解しているということがにじみ出ています。

このあたりについては、李先生、木宮正史先生、磯崎典世先生、そして私という4人の著者のなかでも温度差はあるでしょうね。私なんかだと、ビジネス(商売/しごと)を一緒にするパートナーや、いろんな分野で切磋琢磨するライバルくらいがちょうどいいのではないかと思っています。「友人になれなければ敵だ」という間合いが目につきますからね。

それと関連して、和解だって、法的な和解もありますし、「心からおわびと反省の気持ちを表明する」というときの「心」のなかは確かめようがありません。「心」のなかはどうであれ、日韓双方がフォーマルに合意したということが重要です。それなのに、韓国語でいう「真情性」があるかどうか、あとになって問題にされるわけですが、これではもちませんよ。

私はいちど、あるシンポジウムで、「あなたがいう「悪魔の代弁人(devil’s advocate)」になるなんて俗人にはできない」「すごく高いハードルを設定している」と批判されたことがあります。俗人、不完全な人間なのに、いつでも誰とでも友人になりましょうとか、心からおわびしましょうとやっちゃうと、国内でも無理なのに、まして外国との間では実現しないですよね。

慰安婦合意にしても、日本は日本で法的賠償をしなかったので何も譲ってないといいますし、韓国は韓国で合わせ技一本で事実上個人賠償だといえるようにできあがっているわけです。そもそも名と実を取り分けるという絶妙なバランスで成り立っている合意ですので、100点でなければ0点だというのでは、均衡が崩れます。そうなると、この問題はもうやり直しがきかないでしょうね。「正解」志向だけだと、政治や外交という営みは成り立たないし、もたないということをよくよく考えたいですね。

佐々木 そうですよね。インターネットを通しての翻訳技術の進歩によって、相手の言葉がわからなくても、相手が何をいっているのか、だいたいのことが理解できるようになっています。そうしたなかで、「正解思考」が強まるというのはどういうことか。わかりすぎるとだめなんでしょうか。

また、LCC(格安航空会社)ができたので、いまは韓国や中国に2万円台で往復ができるなど、日韓の交流のチャンスが爆発的に高まっているわけですよね。交流が増えつつ、この2010年代については関係が暗転しているというのは、どういう意味をもっているのかなということを、最近、考えています。

交流が増大しているにもかかわらず、相手に対する理解が足踏み、すれ違っているように感じるのです。特に日本側の韓国に対する理解が足踏み、あるいは後退しているような感じがします。どうしてそういうことが起こっているのか、またこれをどうやって解いていけるのかと考えています。

こうした交流の問題を、この本のなかでは「国家」「市場」「市民社会」という三層の枠組みで、それが相互に連携しながら相手の国との関係をつくると説明しています。もちろんそのとおりだと思いますが、私としては、市民社会のなかの一翼を担っていると思われるメディアの役割、あるいは、そのなかで一般の人たちの交流が、これだけ条件が良くなっているなかで、意識はむしろ後退しているのはどうしてなのかということが気になります。

それを、どうやったら逆転できるかということを、これからも考えていかなければならないのかなと思っています。

白鳥 トランスナショナルな交流が意味をもつのは当然ですけれども、日韓関係に関していうと、私はむしろインターナショナルな(国家間の)関係をどう管理するかという、そこの部分をもっとしっかり考えるべきだと考えています。

それはさきほどいったような意味で、外交は本質的には妥協だよねということも含めて、外交がどのような営みであるのかや、国家間の関係というのをどうしていくのかいう意識が、特に日韓関係に関心をもつ人たちの間で、もう少し幅広く意識される必要があるということです。

トランスナショナルな交流との関係で、とくに考えなければならないのは、政治という営みの意味です。政治や国家を否定すれば問題が解決するわけじゃないということは、もっと意識されたほういいのではないでしょうか。安全保障を否定すれば安全になるわけじゃ全然ないのと同じことです。日韓関係に関して、国家と国家の間の妥協というものをどう考えるのかということを、もう少し深く考え、実践していくということが問われているのです。

佐々木 それについて、浅羽先生は、韓国側の文化的な背景がこれを難しくしているという立場に立たれているんでしょうか?

浅羽 問題は、プロポーショナリティなんです。インターナショナルだけでも困るし、トランスナショナルだけでも困る。ひとつの領域だけを過度に強調したい人というのはあちこちにいます。たとえば2000年代に目立った「若者同士が交流すれば日韓関係は良くなる」というのは、市民社会、トランスナショナルの部分のみの強調です。

白鳥 おっしゃるとおりで、私がインターナショナル、すなわち政治や外交の意味を重視すべきだといったのは、他はどうでもいいからということではなく、この問題を論じるときに、まずしっかりと考えるべきなのは国家間の話だという文脈です。

浅羽 まったく同意ですね。私も、最近一番欠けているのは、このインターナショナルな部分だと思っています。それこそ、この本で出てくる「国家」「市場」「市民社会」という分類だと、「国家」の部分で妥結することの意味合いがあまりに軽んじられているのではないでしょうか。

白鳥 そうなんです。慰安婦合意自体がやはり大きな意味があったし、日韓双方にとって成果だったと思うんですけれども、現時点では韓国側の状況によってこの先どうなるかがまったくみえないわけです。合意の履行を後押しする可能性があるアメリカの状況もトランプ政権発足でまったく予測できないということで、完全な漂流状態ですが・・・。

佐々木 本当に、漂流状態ですよね、日本政府側、特に韓国にかかわった人たちに、韓国側に対する不信感がありますね。いったん合意してもそれがどれだけ実効性があるのか。2015年12月の慰安婦合意でも、あれがちゃんと履行されるのかというのは、ずっと懸念材料になっていて、それが昨年12月の慰安婦少女像の設置で、やっぱりだめかという雰囲気が広まっちゃったということですよね。

なので、いったんは回復基調にのるかなと思われた力技の合意だったわけですけれども、それが、結局はなんか引き伸ばされたまま、どんどん失速していって、少女像がまたできて、今度は強制徴用の像もつくろうという話にまでなっています。そうなると、日本の政府関係者、さらには一般の人たちの対韓感情が、すなわち「国家」だけでなく「市民社会」のレベルの関係が、さらに悪化するのではないかと非常に危惧しているところなんですよね。

浅羽 私自身は、「釣り合いのとれた」といういい方を好んでずっと使っています。韓国語の「衡平性」ということですが、このプロポーショナルというのは、バランスじゃなくて釣り合いなんですよね。重いものは重く、軽いものは軽く、小さいものは小さく、大きいものは大きくということです。機械的に「50対50」とか、「3分の1ずつ」とかではなくて、ある局面ではインターナショナルな部分がやっぱり重要なわけですよね。

個人的な心情ばかりを重視しても、国家の内外に利害が異なる多様な集団が存在するなかで、それで国家間合意になるかというと、なりっこないわけですよね。すごくハードルの高い心情倫理で政治や外交という営みの責任倫理を問うのは、単に「カテゴリー違い」なんですけどね。心情、責任、政治・外交それぞれのプロポーショナリティについて、ある種の「感覚」が問われているといえそうです。

白鳥 そのハードルの高さというのは、非常に示唆的です。ハードルが高いという状態のときに、高いハードルをいかに越えるかという思考と同時に、ハードルをいかに避けるかというやり方も当然あるわけです。

「釣り合い」という言葉を使われましたけれど、そうしたことを考える際に、たとえばさきほどもいったような、冷戦後でも日韓は実はすごく変化していますし、民主化した韓国でも、中国との関係は変化してきています。いまのものが絶対ではないのです。現在を過去からの継続としてとらえ、未来を考える材料にしつつ、考えていくということが、まさに問われているんだろうと思います。

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プロフィール

浅羽祐樹比較政治学

新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。

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白鳥潤一郎国際政治学、日本政治外交史

立教大学法学部助教。専門は、国際政治学、日本政治外交史。1983年、静岡県に生まれる。慶應義塾大学法学部卒業。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻後期博士課程修了。博士(法学)。日本学術振興会特別研究員(DC2)、北海道大学大学院法学研究科講師(有期)などを経て現職。著書に、『「経済大国」日本の外交――エネルギー資源外交の形成1967~1974年』(千倉書房、2015年、サントリー学芸賞・国際安全保障学会最優秀出版奨励賞受賞)、『もう一つの日米交流史――日米協会資料で読む20世紀』(中央公論新社、2012年、共著)など、編集協力に國廣道彦『回想 「経済大国」時代の日本外交――アメリカ・中国・インドネシア』(吉田書店、2016年)などがある。https://twitter.com/jshiratori

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佐々木真時事通信社解説委員

時事通信社解説委員。1957年、東京都に生まれる。東京外国語大学中国語科卒業。韓国・西江大学大学院北韓学科で学ぶ。時事通信社入社、ソウル特派員、北京特派員、上海特派員などを歴任。著書に、『東アジアの対日論調 2006』(時事通信社、2007年)、『東アジアの対日論調 2007・2008』(時事通信社、2009年)、『世界テロリズム・マップ』(平凡社,2004年、共著)などがある。

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