2017.06.15
音楽で人をつなぐ――国境を越えるミュージシャンたちの平和活動
音楽の力で、紛争の爪痕が残る社会を癒そうとする団体がある。オランダアムステルダムに本部を置く、Musicians without Borders(国境なきミュージシャン、以下MwB)だ(注1)。MwBでは、紛争後社会での和解やトラウマの治療のため、さまざまなミュージック・プログラムを実施している。今回はそんなMwBのアプローチに注目してみたい。
(注1)日本東京にある「国境なき楽団(Musicians without Borders)」とは別団体である。
音楽が持つ「共感」の力
みなさんは、誰かと共に音楽を奏で、友情を深めた経験があるだろうか。音楽には、不思議な力がある。何かの曲を聴いて、心が安らいだり、励まされたりしたことがある人も多いのではないだろうか。誰かと共に演奏をするときには、何だか心が一つになったような気さえする。音楽には、人を癒し、人と人とをつなぐ力があるのだ――。
MwBの設立者ローラ・ハスラー氏は、彼女自身がミュージシャンだ。子供のころから楽器を演奏し、聖歌隊などに所属していたという彼女は、こうした音楽の癒しの力や人と人とをつなげる力を経験的に学んでいったそうだ。「音楽には人と人とをつなぎ、共感を生み出す力ある」とハスラー氏は語る(注2)。この、人と人とをつなげる力、そしてそこから生まれる共感こそが、戦争により分断された社会を和解へと導く鍵なのである。
(注2)https://www.youtube.com/watch?v=xO2tArT0tdE、https://www.youtube.com/watch?v=I0txNR2OpW4&t=631s
音楽の人々をつなぐ力は、これまでにも市民活動のさまざまな場面で重要な役割を果たしてきた。アメリカ公民権運動やベトナム戦争反対運動では、デモの参加者たちは歌を歌い、自らを鼓舞し、仲間との結束を高めた。MwBの本部があるオランダでも、音楽活動を通じて移民や難民たちがオランダ人たちと友情を育んでいるという。
両親も社会活動家だったというハスラー氏が、こうした音楽の力に着目し、戦後社会の復興に活かそうと考えたのは、恐らく自然な流れだったのだろう。1999年、彼女はこうした社会問題に関心のあるミュージシャンたちを集め、MwBを立ち上げたのである。
最初のプロジェクトは、戦争の爪痕が深く残るボスニアで行われた。ボスニアでは1992年から1995年にかけて民族紛争が起こり、多くの虐殺やレイプなどの戦争犯罪が行われた。MwBの最初のプロジェクトは、この戦争で配偶者を失った未亡人や、トラウマを抱えた女性たちを対象に開始されたのである。楽器演奏やコーラス、ダンスなどのワークショップに参加した女性たちからは、「他の人たちとつながっていると安心する」「音楽をしているときは、辛いことを考えずにすむ」といった声が聞かれている(注3)。
(注3)https://www.musicianswithoutborders.org/programs/past-programs/from-woman-to-woman/overview/
ボスニアでの主な活動は2014年に終了しているが、こうしたMwBのプロジェクトは現在、本部のあるオランダをはじめ、コソボ、北アイルランド、ルワンダ、ウガンダ、パレスチナなどで実施され、ワークショップの開催や、プロジェクト運営のできるコミュニティ・リーダーの育成に力を入れている。
コミュニティ・リーダーの育成は重要だ。紛争後の社会というのは、非常に脆弱で繊細な状態にある。人々は消えぬ恐怖や癒えぬトラウマを抱えながら生活している上、内戦状態にあった地域などでは、その対立の火種が変わらず燻っていることもある。そうした状況への介入は、いくら平和や社会貢献のためとはいえ、細心の注意を払わなければならない。そこでMwBでは、そうした状況下で効果的にプロジェクトが運営できるよう、技術や心得を教育するプログラムを実施しているのである。
同時に、MwBでは、現地入りする前に実地調査をし、現地団体と協力することで、正確な情勢や支援のニーズを把握するようにしているという。また、現地で活動する際には、公私ともに政治的な偏見を持った対応を取らないよう、注意を払っている。こうした心得を身に着けたコミュニティ・リーダーたちを中心に、MwBではミュージックワークショップや、音楽療法などを行っているのである。
MwBではこれまで、先述のボスニアの女性たちをはじめ、ルワンダの難民キャンプの子供たちや、エイズ陽性診断を受けた子供たち、イスラエルの孤児や障害を抱えた子供たちなどを対象に、プロジェクトを運営してきている。
和解に必要なのは「強制しない」こと
MwBのアプローチで興味深いのは、彼らは自らを平和活動団体としながらも、実際の活動ではそうしたイデオロギーを出さず、音楽を通したアクティビティやコミュニティ・リーダーの育成に特化している点である。MwBスタッフのハスラー=フォレスト氏が言うには、「(和解のために音楽の力を利用するが)和解のためにやるとは言わない。ただ音楽をする。そうすると自然に音楽が人々を和解に導く」という。(注4)
(注4)https://www.youtube.com/watch?v=AK9OB_x77-8
戦後の和解のために、対話を重視し、民族を越えたダイアローグセッションなどを開催する団体は多い。しかし対話を基本として行う民族間の和解のための活動では、参加者は民族の違いやその対立ついて考え直すことになる。民族対立を忘れることはできないのだ。だからこそ、MwBではあえて民族の違いやその和解は取り上げない。ただ音楽をし、音楽の力で両者をつなごうとするのである。その最たる例が、コソボ北部の町ミトロビッツァで開催されているロックスクールだろう。
ボスニアと同じく旧ユーゴスラビアの一部だったコソボは、ユーゴスラビア紛争の中でセルビアからの独立を求め内戦状態に落ち至った。戦後コソボは独立したが(注5)、セルビア系住民とアルバニア系住民の間では未だに互いへの反感感情が強い。ミトロビッツァはそうしたコソボにおける民族対立の最前線ともいえる場所だ。町の北部にあるイバル川をはさみ、北はセルビア系住民、南はアルバニア系住民に分断され、川は橋でつながれているものの、両者を行きかう人はほとんどいない。
(注5)コソボを国家と認めず、いまだにセルビアの自治州とする国もある。
セルビア系、アルバニア系、それぞれの住民、特に子供や若者は、自分たちと同じ町に住むもうひとつの民族の人に出会う機会はほとんどなく、親世代の間で戦時中に築かれた相手への偏見や反感をそのまま受け継いでしまっていることも多い。橋の近辺は未だに危険と認識されていて、和解のための対話をしようと集まることすら難しい。
そこでMwBでは現地の地域づくり団体と協力して、川の両側からロックやポップミュージックを学びたい若者を集め、治安の安定した隣国マケドニアの首都スコピエでミュージックスクールを開催するというサマートリップを実施した。サマースクールでは、民族対立のことなどには一切触れない。プログラムは、純粋にロックミュージックのレッスン、そしてバンド間の交流会として行われる。純粋にロックが好きで、学びたいと思う若者が集い、スタッフは彼らに音楽を教えるのである。
いくら同じ時間を過ごすとはいえ、根深い対立心をもった2つのコミュニティで育った若者が、そう簡単に和解へと近づくものなのだろうか。サマースクールの参加者の中には、ナショナリズム的な姿勢を強く示す者もいるのである。中には当初、自分と同じ民族以外の者との会話は、例えそれがオランダからのスタッフであっても拒む者もいたという。そんな状態で、たった数日、レッスンの時間を共有するくらいで、歩み寄れるものなのだろうか。
それが、可能なのである。スタッフとの会話さえ拒んだというセルビア人の青年ギタリストは、同じくギタリストで才能に恵まれたアルバニア人の青年に関心を抱くようになり、次第に互いに会話をするようになったのである。以来、彼らは親しい友人として付き合いが続いている。このように、両者はお互いを認めるようになり、中には民族混合でのバンドを結成する者もいるという。
先述の通り、ミトロビッツァではセルビア系住民とアルバニア系住民の間での交流はほとんどない。こうした状況では、偏見や誤解を解く機会もない。ロックサマースクールはミトロビッツァの若者たちにとって、そうした状況を脱する数少ない機会なのである。こうしたサマースクールの経験を受けて、MwBでは地域団体と協力して、ミトロビッツァの町の両岸にロックスクールを開校し、毎年共同でのサマースクールを実施しているほか、定期的に交流会や、スカイプやフェイスブック、Youtubeなどを通じて両校の交流をしている。
このように、紛争後社会におけるMwBの活動において、和解が特別なイシューとして全面に出されることはない。筆者は「和解」や「多民族共生」を目的としたイベントに、ナショナリズム的思考をもった親が子供を参加させることをよしとするのか、当初疑問だったのだが、こうした和解を表に出さない姿勢が、純粋に音楽を学びたい子供たちやそれを支援したい親たちの間での支持につながっているようだ。
MwBのスタッフは筆者の質問にこう答えている。「ロックスクールはミトロビッツァでの現実的な必要性に基づいて設立されました。ミトロビッツァには、ロックやポップミュージックを学びたい若者たちが練習する場がなかったのです。(中略)ミトロビッツァは子育てをするのには厳しい場所です。多くの親御さんは、子供たちが街中でたむろするような状況を好みません。しっかりと監督者がいて、安全に子供たちが楽しめる活動があるならば、それに越したことはないのです。」(注6)
(注6)MwBへのインタビューより
つまり、純粋に音楽的ニーズに応えるために運営されることで、そのニーズを持った人たちが自然に集まってくるのだ。サマースクールを運営するハスラー=フォレスト氏はTEDでの講演でこう述べている。「和解のために必要なのは、それを強制しないことです。私たちが行うのは、音楽を通して両者が出会う「場」を作ることです。それさえできれば、若者たちは、それぞれの音楽のテイストやスタイル、技術や人間性などに自然に興味を持つようになるのです。」(注7)
(注7) https://www.youtube.com/watch?v=AK9OB_x77-8
これが、音楽を通じた平和活動の強みだろう。確かに、「民族間の和解」と銘打った活動を行っている団体は数多くある。異なる民族のバックグラウンドを持つ人々に対話をしてもらい、歩み寄りを促すそうとするプロジェクトも多い。しかし、そうした企画の中では、絶えず「民族」というテーマを取り上げられることで、反対に「民族」を意識せざる負えなくなる。
対話により互いの間にある認識のずれや誤解を解いていくことも、紛争後の和解の上で不可欠なプロセスだが、ロックスクールでの経験のように、そうした「民族問題」という枠組みから離れる時間を作ることも、多民族共生の上では欠かすことができないのではないだろうか。
最近は、コソボや戦後社会に限らず、政治的イデオロギーや宗教の違いなど、さまざまな理由で社会の分断が懸念されている。テロや紛争で心身共に傷を負った人も増加の一途をたどっている。音楽がナショナリストの扇動に使われたこともあり、その効果は必ずしもよいことばかりであるとは言えないが、音楽に悲しみを癒し、人と人とをつなぐ力が備わっていることは間違いないだろう。殺伐とした日常から、日ごろの苦しみやイデオロギーを忘れ人々を共感へと導く音楽の力が、今こそ必要なのかもしれない。