2017.12.15

没後50年、21世紀中南米におけるチェ・ゲバラ

森口舞 ラテンアメリカ政治

国際 #チェ・ゲバラ#キューバ革命#中南米

今年で、チェ・ゲバラことエルネスト・ゲバラの没後50年である。今なお、ゲバラに関する新しい書籍が出版され、ベレー帽をかぶった有名な彼の顔がプリントされたTシャツやステッカーが世界中で売られ、また先ごろは、ゲバラと、彼と共に革命に殉じた一人の日系人青年をテーマとした映画が日本とキューバ合作で製作されてもいる。多くの人々にとってゲバラは、今なお色褪せることのない英雄であるようだ。改めて、39歳の若さでこの世を去ったチェ・ゲバラの人生を振り返り、現在の中南米における彼の存在をみてみたい。

筆者撮影
筆者撮影

人生と思想

まずは、ゲバラの人生をたどり、彼が何者であるのかを概観しよう。ここでは詳細に述べる余裕はないが、日本語で読める伝記も充実しているため、末尾の文献リストをご参照いただきたい。

キューバ革命のゲリラ指導者というイメージが最も強いであろうチェ・ゲバラだが、キューバ生まれでもキューバ人の子でもない。1928年、アルゼンチンの比較的恵まれた中流階層の家に生まれた。成長したゲバラは医学部に進学し、在学中には、友人と南米大陸各地をバイクや徒歩、ヒッチハイクで回る旅をしている。この旅で、自らの育った環境とは全く異なる中南米の圧倒的な貧困や、貧しい労働者への搾取、様々な差別といった実態を目の当たりにしたことが、彼の思想に大きな影響を与えたとされる。

地図

旅を終えた後、彼は医学部を卒業したものの故郷での医師としての人生を選ばず、アルゼンチンを去ってグアテマラにたどり着く。これが1953年のことで、ちょうど、キューバではカストロ兄弟らが軍事政権に対して武装蜂起し、大敗した年であった。既にこの頃、ゲバラは革命に参加する意思を持っていた。それは、中南米人民を“帝国主義から解放”し、“正義”をもたらす革命といったものだったといえる。

グアテマラでゲバラはカストロの仲間と出会い、当時の左派系政府に対するCIAの転覆作戦の渦中で数か月を過ごした後、メキシコへ渡った。ここで、フィデル・カストロらキューバ革命運動のメンバーと出会うことになる。アルゼンチン人が人に話しかける際によく「チェ」ということから、この頃彼に「チェ・ゲバラ」というあだ名がついた。現在もキューバでは、皆彼をゲバラとは呼ばない。「チェ」とだけ呼ぶのが一般的である。

カストロらは、1953年の蜂起が失敗して投獄されていた後に、恩赦で自由の身となってメキシコに渡り、新たな反政府蜂起の準備を進めていたという経緯があった。キューバに縁は無く、参加する必然性は全く無かったゲバラだが、カストロの語る革命の思想や計画に賛同し、キューバで命がけの反政府ゲリラ闘争を行う計画に参加した。カストロらとメキシコからキューバに渡ったゲバラは、彼らと共にジャングルでゲリラ戦を展開した。彼は単なる従軍医師や革命の思想上の賛同者だったというわけではない。キューバやボリビアでゲリラとして実際に戦闘に参加していた。武器を手に、指揮官として部隊を率いていたのである。彼が決して非暴力主義者ではなく、他の仲間同様に、敵を手にかけていたことは事実である。

徐々に賛同者を増やした彼らの革命闘争は、およそ2年をかけて1959年に軍事政権に勝利した。革命勝利後、ゲバラはキューバ国籍を得て、革命政権で国立銀行総裁や工業相のポストに就く。しかし、政治の表舞台で活躍し続けることは望まなかった。

彼の思想は、反帝国主義、民族解放、ラテンアメリカ主義、そして共産主義であった。その中でもよく知られている特徴が「新しい人間(el hombre nuevo)」概念であろう。これは、資本主義を支持する人々が社会主義や共産主義を批判する際によく聞かれる、「国家により個人が消される」、つまり個人よりも国家が優先されるという主張に対するゲバラの反論でもある。

社会主義や共産主義では一見、個人よりも国家が強く、優先されているように見えるかもしれないが、そうではないと彼はいう。国や革命指導者たちの目的を自分のものとして受け取る大衆が、自ら熱狂的に、規律をもって社会主義建設のために働く。それは国家による強制でも、滅私奉公のようなものでもなく、目覚めた「新しい人間」が主体的に行うものなのであり、資本主義側からの批判とは違って、むしろより良い自由なのだ、というのが彼の主張である。いきなり人民全てがそうなるわけではないが、少しずつ、時には後退しながらも大衆は目覚め、新しい人間が作られていくという。

こうした思想に基づき、ゲバラは1965年に政治の第一線にいたキューバを離れて、アフリカのコンゴや南米ボリビアで革命闘争に身を投じる道を選んだ(注)。コンゴ動乱やボリビアの反右派軍事政権との闘争で、彼はいずれも“反帝国主義”“民族解放”のための革命を追い求めたが、キューバ革命のような勝利を得ることはできなかった。キューバを離れて2年後、ゲバラはボリビアで政府軍に捕らえられ、処刑されている。1967年、39歳であった。

(注)これには、ソ連を批判したゲバラがカストロや当時のキューバ政府にとって厄介な存在になっていたという背景も指摘される。

現代の中南米政治における英雄チェ・ゲバラ

ゲバラはその死後もなお、あるいは過去の人であるからこそ、中南米における左派のアイコンである。キューバでは彼らが主導した革命体制が1959年から現在に至るまで存続しているため、無論、革命勝利の立役者の一人であるゲバラは国民的英雄である。首都ハバナの革命広場にある庁舎の壁には、巨大なゲバラの顔が描かれており、観光スポットともなっていたり、3ペソ紙幣と硬貨にはゲバラの顔が描かれていたりと、キューバでゲバラの顔を見かけるのは、観光地の土産物屋だけではないのである。

革命広場の庁舎の壁に描かれたゲバラの顔。
革命広場の庁舎の壁に描かれたゲバラの顔。

2008年まで国家評議会議長であったフィデル・カストロは、ボリビアでのゲバラの死から約10日後、ハバナの革命広場で演説を行い、「真の革命家の模範と呼んでいいものを作り上げた[中略]チェは我らが人民にとって理想の模範であるだろう」と彼を称賛し、「チェのようになるのだ」と何度も繰り返した。今年10月の50年目のゲバラの命日には、数日前から複数の大規模な追悼イベントが開催され、ベネズエラやボリビアをはじめ外国からの客も招かれている。

キューバの革命体制は長く中南米の中でも異質な政治体制であったといえるが、00年代頃には中南米全体で多数の左派政権が成立した。中南米における左派とは、社会主義や共産主義の思想傾向を持つことに加え、ナショナリズムや地域主義(ラテンアメリカ主義など)の強さが特徴である。日本ではナショナリズムはむしろ右派、保守思想に強く表れる傾向があるが、中南米ではこれが逆転する。こうした政権が数多く成立した背景は、20世紀末ごろに中南米の多くの国々で新自由主義政策が取り入れられたことにあるとの理解が一般的である。新自由主義とは、政府の役割を極力小さくし、経済における自由な競争を奨励して成長を促す理論や政策のことで、具体的には規制緩和や緊縮財政、公営部門の民営化などの政策が挙げられる。経済成長を期待できる一方で経済格差の拡大や貧困増大などが生じやすく、00年代の左傾化はこれらへの反動であると考えられているのである。

そうした左派政権のひとつに、ゲバラが最期を迎えた地であるボリビアの、エボ・モラレス政権が挙げられる。1967年当時、ボリビアでは反政府ゲリラ、つまり国家の敵であったゲバラだが、モラレス大統領は彼を“米帝国主義”からラテンアメリカを“解放”する戦いのためにボリビアにやって来た英雄として扱っている。今年10月のゲバラの命日には、ボリビアでもまた追悼イベントが開催され、大統領自らがこれを主導した。

ベネズエラもまた、公にゲバラに敬意を表している。1999年からのウーゴ・チャベス政権及びその後継である現ニコラス・マドゥロ政権はキューバとの関係も深く、2005年以降は、「21世紀の社会主義」を掲げた、中南米左派においても特に急進的な政権である。これを論じた著書“El socialismo del siglo XXI (21世紀の社会主義)”(2008)でチャベス前大統領は、偉大な思想上の先達として何度もゲバラの名を挙げ、彼の言葉を引用している。その引用は『笑われるのを承知で言わせてくれ。真の革命とは、大いなる愛の感情に導かれるものである(Chavez 2011,37)』といったものから、教訓の類まで様々ある。また、ゲバラの名と並べるのは、マルクスやレーニンをはじめ、現在のベネズエラにあたる地域出身であった、南米独立の英雄シモン・ボリバルやその妻マヌエラ、そしてキリストさえ含まれる。以下にひとつ引用してみよう。

『集団は個人の上にあるべきだ。あなたたちにエゴイズムがないように、下劣な野心がないように、物質的贅沢や富への野心がないように、それは疑いなく、不可避的に腐敗をもたらす。あなた方自身から解き放たれるのだ。それはチェのような、キリストのような、ボリバルのようなものだろう(Chavez 2011, 41-42)』。

キューバやボリビア、アルゼンチンとは異なり、ベネズエラはゲバラと特別な由縁があるわけではない。しかし特定の国にとらわれず、中南米全体や世界の革命や“解放”を求めていたゲバラの思想は、このように中南米左派に広く支持され、彼の名は、中南米左派が称賛する歴史上の思想家や英雄と同列に、神話のように扱われているのである。

これらの政権にとって、中南米の左派勢力に半世紀に渡って神話的英雄として支持されてきたゲバラを自らのプロパガンダに取り込むことは、国民に対する政権の正当性のアピールや支持の取り付けに有効であると指摘できよう。

現代の中南米における悪玉としてのチェ・ゲバラ

以上で述べたのは、中南米における左派勢力にとってのゲバラの存在である。当然、同地域には右派(保守)勢力も存在する。上で述べたように00年代には多くの左派政権が成立した中南米であるが、特にここ二、三年は、右派系大統領が当選する事例も少なくない。日本では右派といえば強いナショナリズムというイメージにつながり易いが、上述の通り中南米ではこれが逆転する。加えて、右派の大きな特徴には経済政策の自由主義が挙げられる。こうした人々にとって「キューバ革命」や「ゲバラ」は極左の象徴であり、資本主義社会やその繁栄を脅かす恐ろしいもの、といったイメージさえある。それは共産主義思想の深い知識に基づいた批判というよりも、例えば「自由を奪われる」「神(キリスト教の信仰)を奪われる」といった、やや漠然とした否定感も含む。中南米に限ったことではないが、共産主義に対して恐怖にも似た拒否感情を持つ人々は決して少なくないといえよう。

そうした人々によるゲバラに対する非難もまた、称賛への反論のように現在も見受けられる。ゲバラを非難する人々は、彼を殺人者と評する。ゲリラ闘争において犯した殺人等に対して“正当な”評価をされておらず、ゲバラに関するイメージや語りには、途方もない嘘がある、というのである。

例えば、“La cara occulta del Che(チェの隠された顔)”(2008)の著者である亡命キューバ人ハコボ・マチョベルは、革命勝利後にゲバラが行った「我々は処刑を行ってきたし、必要であれば行い続けるだろう」という、映画『Che 28歳の革命』のワンシーンにも使われた有名な国連演説に加えて、ゲバラ自身が書いたある手紙の中には、「革命家は殺人マシーンにならなければならない」という一文があったことを指摘している。

前者の処刑に関しては、司法手続きを経ずにゲリラ軍や革命政権が処刑を行っていたことへの批判の高まりに対して、キューバ代表としての国連演説でゲバラが述べたものである。マチョベルは、ゲバラはその顔が描かれたTシャツを着る人々がイメージするような、ヒューマニストではないと指摘する。

当然ながら、こうした主張は革命政権と対立して亡命したキューバ人独自のものではない。アルゼンチンにも、ボリビアにも、その他の中南米諸国にも同様の見解を持つ人々は見られる。筆者の中南米人の友人知人の中にも、「英雄であると思う」や「全く関心がない」という意見ほど多くはないものの、「ゲバラは殺人者であり悪人であると思う」と言う人々がいた。

例えば、現在右派政権であり、またゲバラの出身地であるアルゼンチンのサンタフェ州ロサリオでは今年、保守系NGOによって、彼の像を没後50年にあたって撤去するための署名運動が行われた。彼らは「共産主義殺人者の像は、全市民の税金によって維持され、国家的な敬意を受けるに値するものではない」と主張しており、同NGOのウェブサイトによれば、これに賛同する署名は現在2017年11月28日現在で、約2万に及ぶ。

アルゼンチンの保守系NGO、BASESのウェブサイト。トップページには、署名運動のコンテンツがあり、ゲバラの顔に「殺人者」という赤字が重ねられている。
アルゼンチンの保守系NGO、BASESのウェブサイト。トップページには、署名運動のコンテンツがあり、ゲバラの顔に「殺人者」という赤字が重ねられている。

ゲバラは政治的理念のために武器を手に闘い、それに殉じた人物であった。そのため、当然ながら政治的立場によってこのように彼に対するイメージや評価は大きく分かれる。日本では好ましいイメージや評価が大部分のように見うけられるが、彼の出身地である中南米では、意見は現在でも二分されているのである。中南米においては、ゲバラを闘いに駆り立てた政治的対立軸が、決して過去のものではないことを示しているといえるだろう。

主な参考文献

チェ・ゲバラ(高橋正訳).1999.『ゲバラ日記』角川書店。

伊高浩昭.2015.『チェ・ゲバラ』中央公論新社。

加茂雄三.1973.『ドキュメント現代史11、キューバ革命』平凡社。

パコ・イグナシオ・タイボII(後藤政子訳).2001.『エルネスト・チェ・ゲバラ伝』海風書房。

横掘洋一. 1968. 『ゲバラ・革命と死:知られざる青春と戦いの記録』講談社。

Chavez, Hugo. 2011. El socialismo del siglo XXI (Caracas: Ministerio del Poder Popular para la Communicación y la Información).

Guevara, Ernesto 1978. El hombre nuevo (México, D.F.: Universidad Nacional Autónoma de México).

――― (et al.). 2004. Diario de motocicleta: notas de viaje por América Latina (México, D.F.: Ocean Sur).

Machover, Jacobo. 2008. La cara oculta del Che (Barcelona: Ediciones del Bronce).

演説

Castro, Fidel. October 18, 1967.

http://www.cuba.cu/gobierno/discursos/1967/esp/f181067e.html (最終アクセス日2017年11月29日)

プロフィール

森口舞ラテンアメリカ政治

大阪経済法科大学法学部准教授。専門はラテンアメリカ政治、政治思想。主な論文に、「2つのキューバ・ナショナリズムを巡る比較考察、1902-1962」(博士学位論文、神戸大学。弘学社より2017年12月出版予定)、「ピッグス湾事件亡命指導者、ホセ・ミロ・カルドナの政治思想」『イベロアメリカ研究』(イベロアメリカ研究所)、「「平和時の非常時」におけるキューバ革命政権のイデオロギー」『ラテンアメリカレポート』(アジア経済研究所)など。

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