2018.02.09

ビッグデータと日韓比較から考える「政治」との切り結び方

木村幹×津田大介

国際 #韓国#ビッグデータ#市民運動

昨年10月に白桃書房より発売された、『ビッグデータから見える韓国: 政治と既存メディア・SNSのダイナミズムが織りなす社会』。先進的な統計手法を用い、韓国のネット言論から、韓国社会、そして政治を分かりやすく分析している。本書から読み解ける韓国の「政治」のあり方と、そこから照射される日本の「政治」とは。韓国研究の専門家、木村幹氏と、ネット言論の専門家、津田大介氏が語り合った。(聞き手・構成/増田穂)

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韓国ネット言説の傾向は日本と逆?

木村 本日は、『ビッグデータから見える韓国: 政治と既存メディア・SNSのダイナミズムが織りなす社会』(白桃書房)について、津田さんとお話ししていければと思います。この本はネット上の「ビッグデータ」を分析して、韓国社会の政治とネット言論の関わりの分析を中心に展開されています。そこで、日本のネット言論に詳しい津田さんをお招きしました。

津田 光栄です。お話をいただいて書籍を拝読しましたが、面白かったです。ネットと社会の関わり方が、日韓で異なるところと、似たところがあって興味深く思いました。

木村 僕がこの本を読んだ時の率直な感想は、「ネットのデータってこうやって使うんだな」でした。津田さんはどんな印象を持たれましたか?

津田 Twitterなどをビッグデータとして分析して、読み解いていますよね。日本でも、ネットを使った新しい世論調査は日経新聞や朝日新聞が積極的にやっていますが、特に最初の頃はそのレベルが低くて。原発問題なら原発問題で、どのくらい話題になったかはわかるんだけど、賛成なのか反対なのかが全然分析されていませんでした。一方で、この本ではネガティブ・ポジティブ、それぞれのコメントを細かく分けて分析しています。データとしての利用価値は高まりますよね。

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あと面白かったのはネットセレブについてです。それぞれのフォロワーの傾向で政治的な立ち位置が可視化されています。最近は「フィルターバブル」(ネットで閲覧できる情報が、ユーザーごとの閲覧傾向に基づき自動的に、また必ずしも意図せずにカスタマイズされ提供されていくようになる結果、自らの嗜好に合った情報にしか接することが出来なくなること)なんて言葉も広まっていますが、フォローってどうしても思想や職業面で自分に近い人になりがちなんですよね。

中には考えの違う人をフォローする人もいますが、限界がある。当然フォロワーを見ればその人の思想的傾向がわかるわけです。それを図式化した。同じような分析を日本でやったら面白いんじゃないかと思いました。

一方でTwitter上のフォローの傾向から類推されるイデオロギーの傾向と、現実の投票行動の上でのイデオロギーが一致しない点は日本と同じだと感じました。党議拘束などもあるでしょうから当然と言えば当然ですが、ネット空間の言論が現実にもたらす効果の違いについては共通の壁があるんでしょうね。

韓国は日本と比較しても、ブロードバンド自体の普及が早かった。それもあって、2000年代の早い時期からブログが盛んになりました。その分日本と比べて政治とインターネットの距離がすごく近い。韓国はネットがパブリックディスカッションの場になっています。ただし、その盛り上がり方が、ネガティブキャンペーン、つまり否定的な情報で政治家などを引きずり下ろすような動きですが、そういったものが多かった。その辺は韓国らしいな、と思いましたね。

とまあ、日韓で違うところばかり上げましたが、似ているところもあって興味深かったです。

木村 どこが似ていました?僕はやっぱり違うところが目についちゃって。

津田 8章、メディアの生態系がいかに崩壊したのかというところです。この辺の問題は相当似ていますね。

木村 ここは確かにそうですね。全世界的に共通している気がします。

津田 ただ、アメリカと違って日韓で共通しているところがあるんですよ。ここです。167ページのポータルの利用状況について。アメリカではYahoo!はもうほとんど使われていません。ほとんどがFacebookやGoogleです。一方で日本や韓国では、いまだにこういった情報をまとめるポータルサイトがよく利用されています。

木村 僕はこの本のネット上の情報の使い方に、思う事がありました。朝日新聞や日経新聞といった日本の大手メディアが、ネットの情報をあまり上手く使えていないのは、わりと有名な事実だと思いますが、その理由の一つはネット上の情報には偏りがあるからです。もちろん、ネットのユーザーは、もともとサンプル全体が社会全般からずれているので、例えば世論調査の代わりに使えるわけがない。

他方、この本ではネットを世論調査の代わりとしてではなく、「少なくともそのような意見がある」という事実を知るためのデータベースとして使っています。商品の市場調査でもまず重要なのは、何%の需要があるか、という事ではなく、そもそも需要が「あるかないか」。だから、ネット上にそれを求める声があるなら市場があるのは確かだから、開発して売ってみることができる。ネットはそういう需要の存否を知るためのツールという割り切りですね。日本のメディアもそういった割り切ったネット上の使い方をすれば、少しオプションが増えるかもしれません。

また興味深いのは、日本と韓国だと、オールドメディアとネットメディアの言説の傾向が真逆になっていることですね。この本では韓国のネット世論は左側に寄っていて、既存の保守メディアと明確な差があることが強調されています。

一方で日本のネット世論では、2チャンネルの時代から保守的傾向が強い。これは明確な差だと思いますが、それには理由がある。韓国では既存の有力メディアの多くが保守層に偏っているから、その裏を張るネットの世論は左派に寄りがちになる。

他方、日本では元々朝日新聞に代表されるようなリベラル系のメディアが強かった。だから大手メディアを叩くネットの議論は保守側に偏りがちになる。こうして見るとネット世論がどの立ち位置に立つのかは、オールドメディアの位置づけによって違ってくる事がわかる。

津田 オールドメディア対オルタナティブメディア、みたいな。

木村 そういう構造は残っていますよね。

世界的に早かった韓国でのネットの普及

津田 韓国では2000年代になって「オーマイニュース」、 市民参加の寄稿によるインターネット新聞)が盛り上がりましたよね。あれが新しい市民ジャーナリズムの形として定着した。日本でもオーマイニュースが進出し、オーマイニュースを真似たネットメディアもできましたが、ことごとく失敗に終わった。この辺の違いはどう思われますか。

木村 オーマイニュースって、市民記者が取材に行って記事を書いて上がってくるシステムでした。自由だけど、プロフェッショナルではないので、時にはこれがニュースとして出てきていいのかと心配になるようなものもありました。だから、これが信頼されて閲覧されているのは、日本からは少し不思議にも見えた。

背景には韓国では、2000年代半ばの時点で、日本にはないネットへの信頼感があった事があった。2002年の廬武鉉(ノ・ムヒョン)氏の選挙キャンペーンでも、ネットこそが正しい、という意識が見られました。今、津田さんは韓国のネットの方が議論として成り立っているとおっしゃいましたが、そういう信頼性を支えるために、「ちゃんと議論しなければならない」という意識もあったのだと思います。

津田 それだけ政治に対する期待値が低いというのもあるんでしょうね。

木村 そうですね。進歩系の政治家にとっては、古いメディアに対する信頼度が低いから、ネットが希望の星みたいになっているところはあると思います。韓国には直接民主制に近い文化もありますから、ネットこそが真のアゴラ(古代ギリシャでさまざまな論が論じられていた場所)だと思っている人も多い。そういう意味では、ネットセレブも含めて、真面目な発信が多い印象がある。

韓国では、「知識人」とか、それに対応する言葉で「知性人」という言葉を未だに使います。オルタナティブの言論空間で発言する者として、ネットセレブたちも国を背負っている知識人としての自負がある。だから、しっかりしなければならない、と考えている。

津田 この日韓の差については、ブロードバンドの普及の早さも関係していると思います。僕は2005年に音楽業界の取材で韓国に行ったのですが、そこでたまたまネット状況の話を聞いて。韓国では2002年から2005年くらいの間にとにかくADSLを普及させて、全国的にネット環境を広めていったんです。

それに伴ってブログブームが到来して、誰でも気軽に情報発信ができるようになっていきました。一方で日本はいずれ光ファイバーに移行する気でいたので、ADSLの普及、ひいてはブロードバンドの普及が遅れてしまった。ネットによる言論文化のスタート時期が異なるわけです。

木村 韓国の動きの背景には、1997年に起こったアジア通貨危機がありました。韓国エリートとオールドメディアへの信頼が、アジア通貨危機で失墜したからです。韓国経済復活のため、金大中政権はネットインフラを拡大すべく、ITに投資を誘導した。セキュリティや安定性は多少後回しにしても、とにかくネットを普及させることを重視した。このような状況で誕生したネット言説は、過去の体制を批判するものになった。なぜなら通貨危機時の金泳三政権は保守でしたからね。結果として、ネット世論では進歩派が強くなった側面は確かにある。

例えば、僕は急速にネットの普及が進んでいた2001年に高麗大学にいたんですが、大学のネットがすぐ止まる。日本だと大学のネットってまず止まらないじゃないですか。そういう安定性は後回しで、とにかく普及メインでやっていた時代があったんですよ。

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津田 韓国は音楽のデータ配信も早かったですよね。僕が2005年に取材に行った時には、すでに携帯電話でMP3を再生する時代になっていました。日本だとCDの売り上げはピークだった1998年で6000億円、2005年の時点でも5000億円とか4000億円なんですけど、韓国だとピーク時の800億円から落ちて、すでに100億円を切っているくらいでした。

アップルミュージックとかスポティファイみたいなサービススクリプション(1か月などの期間ごとに定額の利用料金を支払うことで利用可能になるサービス)が、世界で比較しても相当早く導入されていたんです。あの時点であそこまで音楽のデータ配信が進んでいたのは韓国くらいじゃないでしょうか。韓国でのネット上の言論が比較的機能しているのは、サービスをデータで行うことを国民が受け入れて浸透していたこともあるんじゃないかと思います。

ネットが許容される構造と文化とは

木村 確かに技術的な問題もありますよね。あとはやはりオールドメディアも含めて、メディアには作られた時の時代背景が反映されるな、と。日本の戦後メディアは太平洋戦争終結の影響を受けて、朝日も毎日も仕切り直しをして反権力的なポジションを確立した。だからこそ、後発の新聞ほど、保守寄りになっている。韓国の場合もインターネットが普及した時期のカルチャーがそのまま反映されていて、結果、ネット世論が左側に寄っている。

さらに日本と韓国で大きく異なるのはマーケットです。韓国は日本の3分の1の人口で、一人当たりGDPも少し低いので、マーケットの大きさは日本の5分の1程度。そうすると、ちょっと売り上げが落ちると商業メディアは一気に苦しくなる。特にオールドメディアは売れなければ成り立ちませんから大変です。そうすると、人々もネットに頼らざるを得ない状況になる。地方新聞なんかもビジネスとして苦しくなるので、クオリティも大きく低下する。だから、彼らもネットに依存する。デジタル化することで海外の読者もアクセス可能になりますしね。朝鮮日報の日本語版はまさにその産物です。

この本の中で地方の情報が全国に広がる話もありましたが、こういう情報が全国化するのもマーケットの小さい韓国ならではです。何かローカルなニュースが起こっても、それを地域に限定したかたちで報道する枠組みが弱い。だからいきなりネットに出て、全国規模の話題になる。その分、政治家たちも、「地方」ニュースに気を配っていないと乗り遅れて議論についていけなくなってしまう。

津田 確かに、暮らしと政治の距離感も関係していそうですよね。韓国って見ていて、暮らしと社会・政治が密接につながっている印象を受けるんです。一方で日本は分断されている。韓国は大統領選挙があるから、ワンイシューで全国的に盛り上がる土壌があるし、そうなると、全国的に情報を配信したり、議論をしたりするようなメディアが必要になって来ると思うんです。日本は小選挙区制だから、議論は地域ごとになりがちですよね。さらに2013年までネット選挙も規制されていたし、ネットを通じて政治や社会を論じる制度的な体制がなかったと思います。

木村 今回、立憲民主党はネットを上手く使いましたが、ああいう方法、自民党はなかなかやらないですよね。それは地方議員が地元でしっかりした支持基盤を持っていて、オールドシステムで十分に票が取れるから。大阪維新の会が全国では苦戦しても、大阪では依然強いのは、松井一郎さんをはじめとして、強い地盤を持つ議員がいるからですよね。

対して韓国は、国会議員は3期やったら長老政治家です。地方議会は1991年まで選挙はなかったし、地方議員の派閥とか、日本のような強力な地盤はない。常に新しい情報を仕入れて地域に訴えかけなければ選挙に勝てないけど、地方新聞は市場が小さ過ぎて、頼りにならない。そうすると、ソウルにいる議員が地元に訴えかけるには、インターネットが一番手っ取り早い。地方に組織がなく、ソウルに集中しているからこそ、ネットが有用性を発揮するわけです。

津田 日本は結構叩かれた議員でも、地元ではしっかり支持を得て当選したりしていますもんね。韓国の場合はそういう地盤とか世襲とかが希薄化してるからこそ、ポピュリスティックというか、世論に注意を払わなければならないわけですね。韓国では世襲議員自体も少ないんですか。

木村 そうですね。基本的に韓国人は社会はどんどん変わっていくものだと考えているので、古いものはいいものじゃない、と考える傾向がある。日本は真逆で、古いものこそ価値ある、みたいな感覚があるけどそういう考え方は弱い。

アメリカもそうだと思いますが、昔から先進国だった国って、そのシステムでそこそこ回っているので、あえて変えようとはしないことがある。だけど韓国とか、その後ろから追いかけてきている中国では、変化は社会にとっていいことだという理解がある。当然、人々は、政治家もどんどん変わっていかなければならない、と考える。

そういう感覚だから、強い地盤はなかなか形成されない。政党もころころと変わりますが、そこにもやはり看板は新しい方が良い、という感覚がある。一方で日本は、自民党のように、安定している政党が良いとされることが多く、政党の名前も頻繁に変えると歓迎されない。ここは日韓で大きく違うところです。

津田 それについては面白い話があります。2008年に韓国の銀行が世界の創業200年以上の企業の数を調べたんです。調査によると、世界中に5586の創業200年以上の老舗企業がありました。で、その内3146が日本の企業なんです。56%ですね。島国で侵略が少なかったことも関係しているんでしょうが、異様に突出して多いですよね。

木村 そう、古いもの=いいもの、守るもの、みたいな感覚が強いですよね。韓国はそういう変化を厭わない文化だからこそ、ネットに対する受容性も高かった。政治家も積極的にネットでの広報活動を取り入れています。もっとも、その高い変化への受容性というのは、裏を返せば不安定さにもつながるんですけどね。

こういう動きを日本人が見ると、韓国は変わっている、と思うわけですが、果たして本当に、変わっているのは韓国なのか?とも思います。アメリカでもトランプ氏をはじめ、大統領も積極的にツイートをしますよね。政治のツールとして、ネットが承認され、活用されているわけです。だけど日本はそうじゃない。政治家も、もっと積極的に発信していけばいいと思いますけどね。

ネットは政治を動かすか?

津田 韓国では、ネガティブキャンペーンが白熱して、大統領選に大きな影響を与えましたよね。2002年でしたっけ。

木村 そうですね。落選運動がすごく活発に行われました。

津田 落選運動、2回起こったんですけど、あまりにも効果がありすぎちゃって、一方的になってしまったんですよね。それで2012年に法律を変えて、落選運動に対して一定の規制を設けました。その後どうなんでしょう。この本を見ていると、そこまでこの規制がリミッターになっている印象はないのですが。

木村 そんなに変わってないと思います。もともとやりすぎはいけないという意識はありましたからね。それでも、昨年の朴槿恵(パク・クネ)叩きのときは、何を言っても構わない、みたいなところがありました。彼女に問題があったことは大前提ですが、それにしても批判のトーンはすごかった。さっきのローカルニュースがすぐさま全国ニュースになることとも関連しますが、企業の小さな事件もすぐ全国的な大ニュースになる。揚げ足取りみたいな点も含めて、ネガティブな情報の拡散力は強いままです。

津田 その点で言うと、この7章も面白いと思います。日常の政治化というところですね。学費論争や、セウォル号の事故など、日常の生活の実感に根差している政治的な問題がTwitterで炎上して、実際に政治に取り上げられています。日本でも一昨年「保育園落ちた日本死ね」という匿名ブログ記事が炎上して、実際に政治的な議論になりましたが、日本ではあれが初だったと思います。

それまでって、ネットで炎上しても、政治はそれを無視していましたよね。でも、「保育園落ちた」では、個別のイシューがネットで先に大規模に取り上げられて、実際の政治に影響を及ぼし、各政党が選挙で保育制度について争点にするまでになりました。あれは転換期だったと思います。でもこの7章を読むと、韓国ではこうしたことがすでに日常的にあって、常態化してるんだな、と。

木村 ポピュリスティックというか民主主義的というか微妙ですが、韓国は大統領制が基礎にあるので、何かあったときに最終的に大統領とか市長とか、トップの政治家の責任になりやすい。日本だと行政とかが間に入るので、責任が上まで行きにくい。

津田 日本は官僚機構が強いんですよね。だから問題の責任が政治なのか行政なのか曖昧になってしまう。

木村 だから、韓国では政治を動かさないとどうにもならないことが、日本では、行政レベルでなんとかなったりする。そうするとうまくいかない時は官僚叩きになって、政治家までは責任が上がりにくい。

津田 韓国では利益誘導した朴槿恵さんは見事に失脚しましたし、モリ・カケ問題とかも韓国であったら日本以上に大炎上したのでは。

木村 炎上したでしょうね。

津田 その辺り、違いは感じました。あれが直接弾劾につながる韓国と、炎上といっても実質、政治的にほとんど影響のない日本と。

木村 日本ではプロセスの話が重視されますよね。例えば加計学園を巡る問題だったら、特区は特区なんだから、そのプロセスに沿っていれば構わない、という話になる。でも韓国ではなかなかそうはならない。なぜなら彼らはあくまで「結果」を重視するからです。プロセスとしては、そうでも結果が不平等だ、と見なされれば、批判される。

これは言い方を変えると、制度に対する信頼性が低いということでもある。彼らには、制度は所詮、誰かが勝手に作ったものだ、という意識がある。例えば特区を作ったといっても、そもそも、それ自民党作ったんでしょ?ということになる。妥当性はともかく、制度を使った人が、明らかなメリットを受ける事には、疑惑の目が向けられる。

津田 日本とは民主主義の捉え方が全く違いますよね。やっぱり長く軍事政権があって、民主化運動を得て民主主義を勝ち取ったという意識が強いのでしょうか。

木村 強いですね。自分たちで勝ち取った民主主義だから、自分たちで変えていい、という意識が強くあります。他方、今の多くの日本人にとって民主主義は、生まれた時にはあったもの。自分たちが作ったものではないから、大切に現状を維持しなければならない。左派が護憲だ、というのは日本の特徴ですよね。そういう意味では日本は保守的な社会なんですよ。

韓国人は世の中は変えられると思っているから、積極的に議論して社会を変えようとする。アメリカとの同盟関係でさえそうです。自分で選択してアメリカの傘に入ったんだから、自分たちの選択でその傘から出ることも可能だと思っている。こういう考えを持っているのは東アジアでは韓国と台湾くらいかもしれません。もっとも、そこが日本からみると不安定に映るんですけどね。

リソースの欠如がネット利用を進める

津田 お話を聞いていて、つくづくソーシャルメディアというのは壊すのは得意だけど作っていくのが苦手なんだな、と思います。その辺り、韓国の人たちの特性とリンクしているような。

木村 もちろん人によりますが、韓国人は変化し続けていくことこそを進歩と考える傾向がありますね。ソーシャルメディアが壊すことを得意とする点に関しては僕も同意です。そして、韓国の人たち、特に進歩派の人たちはそれを非常にうまく使っている。他に手段がないと言ってしまえばそれまでですが、有効に使っている事は間違いない。政党の支持や献金を集めたりするのにもうまく活用している。

津田 海外は個人での献金のクレジット決済とか、簡単にできますもんね。日本では一時期楽天がそういうサービスをやっていましたが、全てやめてしまっています。だから、個人で政治家を応援するようなこともできない。その点では、今回、10日くらいで民進党の1年分くらいの献金を集めたという立憲民主党は興味深いですね。

木村 立憲民主党は今回追い込まれて突然、国会議員だけの政党として成立しましたよね。民主党や新進党のような55年体制の終焉以降にできた政党にも共通しますが、地方議員がいなくて、後援会のような支持母体がない。それでも選挙は始まっちゃっているから、やらざるを得ない。そういう状況では、もうネットしかないのでネットを使った。この状況は韓国のネット選挙普及の状況と類似すると思います。韓国も、国会議員と地方議員のつながりが希薄だから、直接ネットでアピールするしかないんですから。

立憲民主党のやった方法は、旧来の考え方では非効率的と思われていた。ネットを使って全国的な広報活動をするのは、自分たちの候補者がいない地域でも選挙活動をすることになりますからね。そんなところに余力を割くくらいなら、自分の選挙区に注力して、確実に決まった地区を押さえたほうがいい、というのがこの考え。ところが立憲民主党はリソースの問題もあって、ネットに頼った広報戦略を一気に展開しました、いや、しなければならなかった。結果として、広範囲に渡ってその活動が見えるようになり、全国的な支持が高まった、と言えるかもしれませんね。

津田 韓国と同じようにリソースが足りないことからネットが選挙で活用されて、新しいタイプの運動が生まれましたね。

木村 ええ。「東京大作戦」等と銘打って、党首の演説の移動を追ったりしていましたよね。あれはまさに韓国の選挙で行われている手法です。アメリカでも候補者がどこにいて、次はどこに行くのか、みたいな追っかけはやりますよ。

あと今回の選挙で面白かったのは、小池さんの失敗と、枝野さんの成功が裏表だったところでしょうか。さっきの支持基盤の話も含めて、小池さんってオールドメディアをうまく使って成功してきた人ですよね。メディアも新聞とかテレビとか、既存のものを媒体にして、宣伝活動を上手に行ってきた。だから「排除」の一件もあって既存メディアが彼女に対してネガティブに転じた時、他に打つ手がなかった。オールドメディア頼みの日本の選挙運動の特徴ですよね。

反対に、立憲民主については、当初マスメディアも懐疑的で、小池ブームもあって、なかなか取り上げてもらえませんでした。結局消去法で、ネットを通じての情報発信に偏っていったと思います。

ネットが壊すのは得意というのは、チャレンジャーにとって有利ということでもあります。一方で、ある程度の地位を確立して、ディフェンス側に回った時、どう使うかは難しいですよね。

ネットの匿名性と社会のあり方の違い

津田 56ページのTwitterの利用状況も面白かったです。日本でも毎年総務省が通信動向調査白書をだしているんですけど、10代や20代のTwitter利用率って60%なんです。30代になると大きな壁があって20%。40代が15%程度です。一方で韓国は20代で60%、これは同じなんですけど、30代以降も36.8%を記録しています。これが2012年のデータですから、さらに普及しているんだと思うと、この差は興味深いな、と思います。

木村 例えば、日本では社会人になったらTwitterで発信するもんじゃない、みたいなところはありますよね。対して、韓国は比較的そういう意識は低いと思います。津田さんは日本のSNSの匿名性が高いことも指摘されてますよね。

津田 はい。韓国の場合、ネットを使う時は国民番号を入力しないといけないんですよね。

木村 サービスによってはそうですね。だから、誰が情報元なのか調べようと思えばすぐわかってしまったりすることもありますね。

津田 だから名誉棄損なども比較的、発信者をたどりやすいんですよね。ネット犯罪も日本に比べると高い検挙率を記録しています。一方で面白いと思うのは、そうやって個人が特定できる状態でも、炎上騒ぎがあることです。みんな番号が知られているのにそこまでやっちゃうんだ、みたいな。

木村 日本のメディアにもそういうところはありますが、悪い奴を叩くなら何をしてもいい、みたいな感じはやっぱりあるかな。

津田 ネットの普及とデジタル技術の一般化の産物ともいえるのでしょうが、韓国ってリベンジポルノとかも結構前からあるんですよね。それこそSNSが普及する以前からです。それだけネットが欲望とつながっているというか、暮らしに根付いちゃってる。

木村 最近は少し逆戻りしましたが、一時期は買い物も全てネットで済ますような時期もありましたからね。

津田 僕が行った時もそうでした。靴とか試着が必要なものまで通販で買っちゃうんですよ。合わなければ後で返せばいい、と言って。

木村 韓国やアメリカは商品に不良品があっても、返却すればいい、という考えがありますからね。だから、一定数の初期不良があることに抵抗がない。これは人間にも同じことが言えて、韓国ではクレームがついてボコボコになっても、復活できる。サムスンとか、あれだけ問題を起こしてても、会長が復帰したりしているでしょう。でも、日本ではなかなかありませんよね。だからこそ、日本ではネット社会の匿名性が高いのかもしれません。叩かれるリスクが高いので、みんな隠れちゃう。

異論と世論、新旧メディアの関係

津田 ビッグデータの役割って、膨大なデータを見ていく中で、特異点を見つけることなんですよね。韓国はそういう豊富な情報の中からいいデータをとって、分析することに長けていると思います。こういうデータマイニングみたいな技術で、日韓の交流が進むといいですよね。韓国の技術を上手く日本に当てはめて、それをまた韓国に持ち帰ってアジャストさせて。

木村 日本にも一応ネットのデータ分析をしているところはあるんですけどね。韓国の場合、オールドメディアの情報に対する信頼性が低い分、新しい情報源として積極的に取り組んでいる印象はありますね。

津田 ちなみに、本の中にも出てきている「ハンギョレ新聞」(日本語サイト)ってどんな新聞なんですか。

木村 ハンギョレは、80年代の民主化運動の中で出てきた新聞です。だから当時の新聞としては唯一の全紙面ハングルでした。立ち位置としては1番左側ですね。でも、韓国は進歩派も何度か政権を取ってますから、ちゃんとした新聞として育っていますよ。特に保守政権下では、政府の監視役としてしっかり機能していました。

津田 この、P170の図8-6のGoogleとネイバーの露出度比較で、ハンギョレだけネイバーで弱い一方、グーグル上で特に強いというのは、やはり極端な主張のせいなのでしょうか。

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(ネイバーやダウムという韓国の代表的なポータルサイトとグーグルで、各ネットメディアの露出を比較している。ハンギョレ新聞はグーグルにおいて、ネイバーの24.76倍、露出していることを示している)

 木村 そう言えるかもしれません。ハンギョレの言論は特徴がありますね。独自の主張を持っていて、存在感がある。韓国メディアでは、ネットも含めて特徴のある情報が重視される傾向があります。だからこそ、ハンギョレも注目されるのでしょう。放送規定の中立性を重視する日本と比べると、メディアには保守系も進歩系もあって当然という意識が強いですね。

津田 日本だと、大正デモクラシー期のメディアってそういう感じだったんじゃないかと思うんですよね。それが1918年に白虹事件で大阪朝日新聞の社長が右翼に襲撃されてからは不偏不党が絶対視されるようになった。

木村 日本ではネットの言論空間ですら中立であることが良いことだ、という意識がありますよね。正しい情報より、公正な情報、という感じかな。

津田 Twitterでも、冷笑系というんですが、「どっちもどっち」みたいなツイートがすごくリツイートが伸びるんですよ。韓国では伸びなそうですよね。

木村 起きにくいでしょうね。逆張りしてなんぼ、目立ってなんぼ、みたいなところがありますから。

津田 日本では目立ちたくないですもんね。もっとも、匿名である種の自尊心を満たしたい人はいるんですけど。

木村 ネットそのものに、自己承認欲求の発露みたいなところがありますよね。それでも目立つのは嫌、より正確には目立つのはダメ、みっともない、みたいな錯綜した思いがありますよね、日本社会には。

韓国で面白いのは、主なネットセレブの一覧とかがあるんですよ。みんなハンドルネームが書かれているんですけど、その下に括弧書きで実名が書かれていたりする。いや、それハンドルネーム作る必要あったの?って感じですね(笑)。

そういう意味でも、韓国のネットは現実の延長線上にあるんです。朴槿恵弾劾の時なんかは、ネットの世論がそのまま現実に投射されて、大規模デモを生み出した。みんなで議論して一致したら、それは正義である、という素朴な考え方もある。

津田 自分たちで勝ち取った意識を重視するというのは、フランスに近いですよね。有権者たちが、「今はお前たちに任せているけれど、いつでもひっくり返せるんだからな」と思っている。

木村 世論も運動で作れる、という理解がありますね。だから韓国の新聞は「これは国民の命令です」とか大きな主語で語っちゃったりするし、それが許容される。

津田 日本の場合、主語の大きな言論は忌み嫌われますよね。世論というより空気が支配する国なので。

行政の弱さと裏腹の、市民活動の可能性

木村 津田さんはご著書で『動員の革命』(中公新書ラクレ、2012年)もお持ちなので、社会運動のお話もしたいと思います。韓国人はデモも楽しそうですよね。熱の入り方が違うというか。

津田 韓国の社会運動って持続的ですよね。日本の場合は何か運動があっても、そのイシューが下火になるとすぐ解散するじゃないですか。韓国の場合は運動家たちが拠点を作って、ビルも構えて何十年も継続してその問題に取り組んでいますよね。社会運動の強靭さと分厚さはすごいと思います。

木村 日本の市民活動には、変なアマチュアリズムがありますよね。集まった資金とかも、運動のためだけに使わなければならない、という意識が強い。韓国だったら、例えば資金が余ったら、有効に投資して増やしていこうという話になる。だから市民団体や財団がビルを買ったりする。それに、何といっても民主化運動を通じて、資金の集め方から国会議員への働きかけまでノウハウを持ってますからね。

津田 ビルがあるからノウハウが継承されるんでしょうね。日本の左派の市民運動などは、人ベースですけど、継承するインフラなしに人の意志だけで継承していくのは限界があります。

木村 韓国の場合はデモはソウルに集中するので、すぐに全国型の運動になりますが、日本の場合、地域ごとに拠点を作る傾向がありますよね。それで、拠点ごとの連携がうまく取れなくて、全国的な運動に発展しにくかったりする。組織も弱いので、リーダー格が引退すると消滅してしまったりする。

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津田 日本の市民運動は確かに分散していますね。日本の場合、行政がダメなところほど市民運動が盛り上がる傾向があるんですが、そうすると自治体ベースになって、なかなか全国規模の運動にならないんでしょう。

木村 そう。日本の場合、何かあると行政に行くんですよね。それで、行政との対話でどうにかする。韓国の場合、行政そのものが日本のように機能していない、もっといえばそもそも信用されていないので、行政と話をしても埒が明かない、と考える。そうすると必然的に政治で動かそうとすることになる。

背景には韓国では、全国で一律のサービスを提供しなければならないという意識が低いこともある。もし津田さんがまた韓国に行かれる機会があれば、ソウル市でやっている高齢者福祉政策を見てみると面白いですよ。韓国では、日本で保健所にあたる機能を、民間のNGOとか大学に委託していたりしています。委託先の団体は予算を使って、義務的事務だけじゃなくて、独自事業も行わせる。そうやって各拠点ごとに競わせて、何かいいシステムができれば、ソウル市の公式プロジェクトとして採用したりする。

津田 うまくいっている物を取り込むのがうまいですよね。独占禁止法も、韓国と日本とほとんど同じなんですが、これは韓国が日本の法律をいわば輸入して、少し手直しして導入したそうなんです。取ってきて改良するということに抵抗がない。だから市民活動でも、いい例があれば行政が真似ることも……

木村 全然OKです。行政が弱いので、NGO等の力を使わざるを得ない。そうすると、市民運動で実際に世の中を変えられる幅が広くなる。だから市民の側も活発に運動に参加する。そういう流れがあると思います。

津田 同時にそれは、社会が不安定だからともいえる。

木村 そうですね。僕は仕事柄、韓国でも日本でも話をしますが、日本では、韓国の流動性には学ぶところがあるよ、と言う。一方で韓国では、日本の安定性には学ぶものがあるという。そういう意味ではお互いに参考にできる部分はあると思います。もっとも、お互い相手の国に住みたいかといえば、日本人には韓国は変化が激しすぎて大変で、韓国人には日本は安定しすぎていて退屈だ、という事になるのかもしれませんけどね……(笑)。

(11月20日、アカデミーヒルズにて収録)

ビッグデータから見える韓国(アジア発ビジョナリーシリーズ)

チョ・ファスン/ハン・ギュソプ/キム・ジョンヨン/チャン・スルギ著

木村 幹 監訳 藤原友代 訳

出版社:白桃書房(2017-10-6)

定価2808円

単行本(196ページ)

ISBN-10: 4561951385

ISBN-13: 978-4561951384

プロフィール

木村幹比較政治学・朝鮮半島地域研究

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授・アジア総合学術センター長。京都大学大学院法学研究科博士後期課程中途退学、博士(法学)。アジア太平洋賞特別賞、サントリー学芸賞、読売・吉野作造賞を受賞。著作に『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(ミネルヴァ書房)、『朝鮮半島をどう見るか』(集英社新書)、『韓国現代史』(中公新書)、だまされないための韓国』(講談社、浅羽祐樹 新潟県立大学教授と共著)など。監訳に『ビッグデータから見える韓国』(白桃書房)。

この執筆者の記事

津田大介メディア・アクティビスト

ジャーナリスト/メディア・アクティビスト。1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。早稲田大学文学学術院教授。大阪経済大学情報社会学部客員教授。テレ朝チャンネル2「津田大介 日本にプラス+」キャスター。J-WAVE『JAM THE WORLD』ナビゲーター。一般社団法人インターネットユーザー協会(MIAU)代表理事。メディア、ジャーナリズム、IT・ネットサービス、コンテンツビジネス、著作権問題などを専門分野に執筆活動を行う。ソーシャルメディアを利用した新しいジャーナリズムをさまざまな形で実践。世界経済フォーラム(ダボス会議)「ヤング・グローバル・リーダーズ2013」選出。主な著書に『ウェブで政治を動かす!』(朝日選書)、『情報の呼吸法』(朝日出版社)、『Twitter社会論』(洋泉社新書)、『未来型サバイバル音楽論』(中央新書ラクレ)ほか。共著に『「ポスト真実」の時代』(祥伝社)。2011年9月より週刊有料メールマガジン「メディアの現場」を配信中

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