2018.10.10

ポルトガルは「反緊縮」路線に転じたのか?――2015年総選挙と社会党少数派政権の意味

横田正顕 ポルトガル近現代政治史、南欧比較政治

国際 #ポルトガル

「余震」の中の“PIGS”とポルトガル

ユーロ危機(欧州債務危機や欧州危機などとも呼ばれる)からすでに8年が経過しようとしている。そうしたなか、かつて粉飾財政問題によって危機の発端を作ったギリシアでは、急進左派連合のツィプラス政権が続行する緊縮政策に抗議し、今年5月29日に同政権下8度目のゼネストが決行された。6月1日にはスペインで人民党のラホイ政権に対する憲政史上初の不信任決議が成立し、イタリアでは3月の総選挙以来の混乱の末に、「五つ星運動」と「同盟」に支持されるコンテ政権が発足した。

2010年代前半の最悪の財政・経済状態を脱したとはいえ、その後遺症に悩まされる“PIGS”では、このようにヨーロッパの新たな危機の火種がくすぶり続けている。ユーロ危機当時、その頭文字から“PIGS”と皮肉られた南欧4国(ポルトガル、イタリア、ギリシア、スペイン)は、今もなおユーロ危機の長い影の下にあるようである。

こうした中にあって、他の“PIGS”諸国と比べて何かと話題性に欠けるポルトガルが、昨年来にわかに注目を集めていることは、日本ではあまり報じられていない。やや単純化して言うと、2015年秋に成立した社会党のアントニオ・コスタ政権が「反緊縮」路線に転じ、しかも財政再建の課題を大きく損なうことなく、順調な経済成長の軌道に乗ったというのである。果たしてこれは本当であろうか。

2017年5月、ポルトガルは、2009年12月以来のEDP(過剰財政赤字是正手続き)の適用対象から外れた。投資家向けの情報発信サイト「インターナショナル・アドヴァイザー」は、「ポルトガル:ブタから黄金の子どもへ」(Portugal: from pig to golden child)と題する記事(2018年5月15日付)でポルトガルの経済の好転を伝えた。“TINA: There Is No Alternative”(ほかに道はない)という言説が支配する現代において、なぜこのようなことが可能になったのであろうか。

緊縮政策のリレー:中道左派政権から中道右派政権へ

2009年秋の粉飾財政の露見によってユーロ危機の発端を作ったギリシアは、2010年4月に「トロイカ」(欧州委員会[EC]、欧州中央銀行[ECB]、国際通貨基金[IMF]の3者)の救済案を受け入れた。ポルトガルのソクラテス政権(社会党)は、このトロイカの直接監視下に入ることを避けるため、3次にわたる独自の緊縮パッケージ政策を打ち出し、「ポルトガルはギリシアではない」と訴え続けて1年近く何とか持ちこたえていた。

しかし、すでに2009年の総選挙で議会少数派に転落した社会党の政府が、景気後退の中で緊縮路線を推し進めたことへの反発は大きく、⾸相周辺の贈収賄・資⾦洗浄疑惑の続発(ソクラテスは201411⽉逮捕、201710月起訴)がこれに拍⾞をかけた。2011年3月、すべての野党が第4次緊縮パッケージ案に反対したことでソクラテスは首相辞任を表明し、本来の予定より2年以上も繰り上げて2011年6月に総選挙が実施されることになった。

選挙管理内閣となったソクラテス政権の置き土産は、780億ユーロの救済資金と引き換えに、トロイカとの間で結んだMECPE(「融資の政策条件に関する覚書」、以下「トロイカ覚書」)であった。6月総選挙では、社会党が23議席を失って第2党(230席中73議席)に転落する一方、社会民主党と民主社会中道党はあわせて30議席を加え(それぞれ108議席と24議席)、実業界出身の社会民主党党首ペドロ・パッソス・コエーリョの中道右派連立政権が成立した。

トロイカ覚書には、財政赤字の削減に直接関わる方策だけでなく、労働市場改革など、ポルトガル経済の体質強化を大義名分とする構造改革の提案が数多く含まれていた。この覚書に沿って、パッソス・コエーリョ政権は、付加価値税や所得税の増税のほか、公務員給与の削減や公共サービスの廃止を推し進めた。年金制度に関する抜本的な改革はなされなかったが、保険料の増額や給付額の削減、無拠出型年金の受給資格審査の厳格化、定年の66歳への引き上げなどが矢継ぎ早に打ち出された。

こうした緊縮努力の成果として、ポルトガルは2014年5月にはトロイカ支援からの「卒業」宣言に至った。国債の募集が再開されたという意味では成功である。しかし、1人当たりGDPが2010年から2014年にかけて4.9%下落したことや、総雇用数が490万から450万に減少したことなどに見られるように、マクロ経済的には、経済問題はむしろ深刻化した。パッソス・コエーリョ政権下最初の2年間で医療サービスや社会保障が大幅にカットされ、公教育支出は23%切り詰められた。企業倒産は2012年に41%増加する一方、失業率は2013年に17.5%に達した。

2015年総選挙とポルトガルの「壁」崩壊

パッソス・コエーリョ政権は、2013年までに7度も改定されたトロイカ覚書の中に、当初はなかった独自の民営化政策や規制緩和政策を滑り込ませていった(Moury and Freiré 2013, p. 44)。外圧を利用した強硬な緊縮・構造改革路線に対して、当初は主流3政党(社会党、社会民主党、民主社会中道党)の間に合意が存在していたかに見える。しかしその合意は、2012年9月に年金保険料の引き上げ案に反対する大規模な抗議運動が起き、社会党が2013年度予算案に明確な反対を表明するとようやく崩れ始めた。

2014年5月の欧州議会選挙で、連立与党の選挙連合「前進ポルトガル」(Portugal à Frente)が3議席を失って21議席中7議席に留まったことは、この間の緊縮・構造改革路線の痛みが許容範囲を超え始めたことを意味していた。一方の社会党は、1議席を加えて8議席を確保したものの、中道右派と代わり映えのしないこの党への見方は厳しかった。予測を下回る選挙結果の責任をとって党首アントニオ・セグーロ(ソクラテス前首相の後任)は辞任した。

任期満了に伴う2015年10月の総選挙で、景気回復の兆しを追い風と受け止めた連立与党・前進ポルトガルは、過去4年間の実績を強調し、財政規律化条項を憲法条文に取り入れることや、社会保障改革の実現を選挙綱領に掲げた。統一民主同盟(共産党と緑の党の選挙連合)や左翼ブロックなどの急進左派はこれを強く批判したが、前リスボン市長アントニオ・コスタを新党首に迎えた社会党の立場は、曖昧なままであった。

しかし、異例の選挙結果が社会党に明確な選択を迫ることになる。前進ポルトガルが大幅に後退する一方(132→107議席)、社会党は86議席まで何とか回復するに留まった。こうして単独で議会多数を制する政党が不在となった。他方で、左翼ブロックの躍進によって(8→19議席)、左派陣営全体は過半数(合計122議席)に達していた。社会党がどう振舞うかが次期政権のカギを握った。社会党は社会民主党との大連立を念頭に置いていたが、2015年10月末にこの連立交渉は不発に終わった。

組閣交渉第1段階の失敗によって、アニバル・カヴァコ・シルヴァ大統領は、比較第1位の会派を率いるパッソス・コエーリョに続投を依頼した。社会党は野党に留まるか、急進左派との協力関係を進めるかのどちらかの選択を迫られた。この時に障害となったのが、1974年のポルトガル民主化の過程で明らかとなった社会党と共産党の不和、すなわち国内冷戦構造の遺産(ポルトガル版「ベルリンの壁」[muro de Berlim])であった。

結党以来最高の55万票を獲得した左翼ブロックは、共産党からの分離派を抱えながらも、歴史的対立とは無縁の社会運動型の新興政党である。左翼ブロックと共産党との間には、緊縮政策への反対の度合いにも温度差があった。にもかかわらず、同党は社会党と共産党を仲介し、中道右派政権の継続を阻止するための合意を実現した。2016年度予算案の否決という形で第2次パッソス・コエーリョ政権に事実上の不信任を突きつけた左派陣営は、総選挙から約2か月の迷走を経て社会党単独のコスタ政権の誕生に力を貸した(Lisi and Fernandes 2016; Freiré and Pereira 2016)。

財政再建の「もう一つの道」?

議席占有率わずか37%の極端な過小規模内閣を支えるポルトガル左派の結束は、大衆迎合路線に振り回される他の“PIGS”諸国と同じく、当初は欧州を混乱させる要因と見られた(Mudde 2017, pp. 111-114)。確かに、社会党政権が採用した政策の中には、過去数年間の緊縮・構造改革路線を否定するようなものがいくつか含まれていた。ポルトガル航空(TAP)民営化交渉の白紙化、公共部門の賃金カット中止と昇進の凍結解除、一部の国民的休日の復活、年金給付の引き上げ(または保険料の引き下げ)などである。

しかし、これらを「反緊縮」あるいは「脱緊縮」への転換と見るのは早計である。コスタ政権は新たな公共投資を行わず、個人所得税の累進性の強化や法人税の引き下げ停止によって社会保障の財政基盤を強化しようとしたのであり、その意味で、再分配政策の見直しと並行して緊縮政策の緩和または減速を試みたに過ぎない。このような路線の青写真を描いたのは、リスボン大学教授やポルトガル銀行総裁の経歴を持つマリオ・センテーノ財相であった(センテーノは2018年初頭よりユーログループ=ユーロ圏財務相会議の議長)。

むしろ重要なのは、共産党と左翼ブロックが、社会党に反緊縮/反欧州の持論を強要することなく、穏健な緊縮路線を容認する方向に傾いた点である。急進左派2政党の現実化の背景には、パッソス・コエーリョ政権下での反緊縮運動の経験がある。他の“PIGS”諸国とは異なり、ポルトガルでは政府の危機対応に対する抗議運動がそれほど派手な形で起きなかったが、不安定雇用対策や過度の緊縮政策の差し止めなどに関して、議会請願や憲法裁判が活用された点に特徴があった。共産党と左翼ブロックは、こうした地道な活動に参画することによって、影響力を増しながら変化していった。

左派陣営の結束は、当初から対立や緊張を含んだものとして成立している。たとえば、統一社会税の雇用主負担分の引き下げ、国営ポルトガル貯蓄銀行(CGD)の資本増強、国家救済後の新銀行(Novo Banco)の売却などの政策を、急進左派2政党は鋭く批判した。しかし、急進左派2政党は、閣外協力の柔軟性をうまく利用しながら、1年限りとされた政権合意を新たな交渉の基準として活用し、左派政権を維持するための緊縮政策の穏健化に貢献し続けている(Príncipe 2017)。

2015 年の財政赤字が対GDP 比 4.4%を超えたことで、2016 年7月、欧州委員会はポルトガルに制裁金を課すことを勧告したが、実際には過剰財政赤字の是正期限が延長され、追加財政緊縮措置の実施が求められるに留まった。政権合意に縛られて財政再建が滞りがちな社会党政権がこれによって救われた面はあるが、それでもこの年の財政赤字が過去40年間で最低の対GDP比2%を記録したことは注目に値する。

2017年の実質GDP成長率は、事前予測を若干下回ったとはいえ、前年の1.62%を大きく上回って2.67%に上昇した(IMF統計)。この2年半の業績を通じて社会党は大幅に支持を回復し、2019年に予定される総選挙で単独多数を狙うことも不可能ではない勢いを持ちつつある。社会党政権の発足当初、右派はこれを「寄せ集めのガラクタ」(geringonça)と罵倒したが、今では政府支持派がこの言葉を誇らしげに用いているのは、そのためである。

残された課題と希望

もっとも、このような成功が、左派政権の手柄と言い切れない面もある。外在的要因として、ヨーロッパ全体の景気回復とユーロ安などによりポルトガルの輸出が拡大し、観光客が大幅に増加したことは無視できない(IMF 2018)。言い換えれば、ユーロ危機後に50万人もの人口流出を経験したポルトガルの国内市場は収縮したままであり、この間に産業構造の転換や非輸出部門の生産性の大幅な向上が見られたわけではない。

また、財政再建の実績が不十分であるにもかかわらず、トロイカの締め付けが緩やかになり、低金利の下での国債の募集が容認されたことも大きい。だが、単年度の財政赤字は低く抑えられているものの、政府財務残高は2017年時点でもGDPの125.7%に上り、リーマン・ショック発生前の水準(2007年の68.4%)をはるかに超えたままとなっている(EUROSTAT)。こうした制約を考えると、人々の所得が徐々に回復し消費パターンに変化が見え始めたことが、現時点で持続可能な経済成長に結びつく見通しはなお暗いと言うべきである。

それでも、左派陣営の協力によって新たな政治的選択の可能性が切り開かれたことは重要である。これまでポルトガルの主流政党は、ユーロ圏に留まるため、有権者の要求と無縁の政策の実施を強いられてきた。ポルトガルを襲った危機は、ギリシアのような放漫財政やスペインのようなバブル景気の結果ではなく、2000年代初頭から続く安定成長プログラムの強行とその失敗の繰り返しによって作り出された経済の長期的低迷の結果であった。もともと親EU派である社会党と社会民主党は、政策的に収斂するしかなかった。

2015年の総選挙によってサプライズ的に成立した左派の政権合意は、この状況に終止符を打つ可能性を秘めている。左派陣営の内部にあった「壁」が崩壊したことで、政権選択の幅が大きく広がったからである。1976年の民主的憲法の採択以降、多くの有権者を失望させ、その政治離れを加速してきたポルトガル政治の停滞が、社会党「超」少数派政権の経験を通じて打ち破られるかどうかが、今や注目される。その時初めて、ポルトガルの持続可能な発展の展望が見えてくることになるだろう。

【引用文献】

Freiré, Andre and José Santana Pereira (2016), “The Portuguese National Election of 2015: From Austerity to the fall of the Portuguese «Berlin Wall»,” Pôle Sud, Vol. 44, No. 1: 143-152.

IMF (2018), Portugal: Sixth Post-Program Monitering Discussions, Washington D.C.: IMF.

Lisi, Marco and Jorge M. Fernandes (2015), “O adeus ao ‘Arco de Governação’?: As eleições legislativas de 2015,” in Marco Lisi (org.), As Eleições Legislativas no Portugal Democrático (1975-2015), Lisboa: Assembleia da República, pp. 291-309.

Moury, Catherine and Andre Freiré (2013), “Austerity policies and politics: The case of Portugal,” Pôle Sud, Vol. 39, No. 2: 35-56.

Mudde, Cas (2017), On Extremism and Democracy in Europe, London and New York: Routledge.

Príncipe, Catarina (2017), “Anti-Austerity and the Politics of Toleration in Portugal: A way for the Radical Left to develop a transformative project?” in Catarina Príncipe (ed.), Anti-Austerity and the Politics of Toleration in Portugal: A way for the Radical Left to develop a transformative project? Berlin: Rosa-Luxemburg-Stiftung, pp. 7-20.

プロフィール

横田正顕ポルトガル近現代政治史、南欧比較政治

1964年、福岡県生まれ。東北大学大学院法学研究科教授(比較政治学)。主な研究分野は、ポルトガル近現代政治史、南欧比較政治、政治変動、政府間関係、政治腐敗、労働・福祉政治。主な業績として、「スペインにおける非対称的・競争的「連邦制」の展開―その構造と力学―」『法学』第72巻6号(2009年)、「南欧政治における代表と統合の背理:欧州債務危機とデモクラシーの縮退」『年報政治学 代表と統合の政治変容 2015-II』(2015年)、「現代スペインにおける福祉国家化と移民国家化」新川敏光編『国民再統合の政治』ナカニシヤ(2017年)。

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