2021.03.08

国連におけるジェンダー主流化ーー”all men”から”all human beings”へ

小林綾子 国際機構論、グローバル・ガバナンス

国際 #安全保障をみるプリズム

はじめに

「インドのハンサ・メフタ(Hansa Mehta)がいなければ、“Human Rights”でなく“the Rights of Man”の普遍的宣言になっていただろう。…ドミニカ共和国のミネルバ・ベルナルディーノ(Minerva Bernardino)は、世界人権宣言の前文に「男女の平等」という文言を挿入するよう説得した。ベルナルディーノを含むラテンアメリカの女性代表は…男女の同権を認める初の国際合意となった国連憲章起草にも重要な役割を果たし、世界人権宣言に同じ道を開いた(注1)。」

これは、アントニオ・グテーレス(António Guterres)国連事務総長が2018年に行った演説の一部である。世界人権宣言が国連総会で採択された1948年から70年後の節目である2018年に、事務総長は、世界人権宣言の起草に貢献した女性たちに光をあてた演説を行った。

「ジェンダー主流化」が盛り上がりをみせている。「ジェンダー」とは、生物学的な性別に対し、社会的・文化的に定められる性別を意味する。「男性/女性だから」「女性/男性らしく」とそれぞれに対する特有の期待、責任、あるべき姿が社会的に構築され、固定されると、男女あるいは自らを明確に男女いずれかに分けない人の間に不平等や格差、不自由さが生まれるという問題がある。こうした不平等や格差を縮小あるいは是正していこうというのが「ジェンダー平等」の考え方である。あらゆる政策や事業は、異なるジェンダーに異なる影響を及ぼすという前提で、それぞれのニーズや影響を考えることを、計画から実施といったあらゆる段階に、そして社会のあらゆる分野に徹底して取り込んでいく、とするのが「ジェンダー主流化」だ。

ジェンダー問題は、人権にとどまらず、安全保障問題としても議論されるようになった。なぜならば、社会の劣位にあるジェンダーの物理的安全を脅かすからだ。私たちの身近な環境においても、特に女性に対する家庭内暴力、性暴力や性的虐待があり、被害を受けても、泣き寝入りする事例が多いこと、女性の非正規労働者の割合が多く、経済的に困窮していることなども、ジェンダー構造のゆがみを反映している。ジェンダーの問題が、人権上の課題という以上に、人々の物理的安全を脅かす切迫した懸案であることが理解できるだろう。

世界に目を向ければ、特に途上国地域においては、例えば名誉殺人の例にみられるように、女性に対する家庭内の殺人が罪として罰せられない慣行がある。他にも、不衛生な環境での性器切除の強要による感染症などで、多くの女性(特に年若い少女)たちが命を落としているという事実など、ジェンダー上のゆがみが女性たちの安全に深刻な影響を及ぼしている例は枚挙にいとまない。さらに、武力紛争に苛まれている国々では、女性たちが暴力の標的になり、集団レイプが民族浄化の手段として使われる例もある。ジェンダー問題は、今日、まさに「安全保障」上の課題としての重要性・切迫性をもって受け止められるようになっている。

こうした状況にあって、ジェンダー構造の抜本的な変更を促していくうえで、ジェンダー主流化の果たす役割は大きく、特に、国連はその旗振り役として中心的な役割を担ってきた。そこで、本稿では、国連においてどのようにジェンダー主流化がもたらされ、拡大してきたのか、その歴史的背景を振り返りながら論じていくことにしたい。

「すべての人間」は“all men”?

国際連合(国連)は、1945年に設立され、193か国(2021年3月現在)が加盟する多国間国際機関である。国連には、政策策定や活動の際の拠り所として、国連憲章や世界人権宣言がある。この2つの文書は、「すべての人間」の平等を説く。英語では、“human person”や“all human beings”と明記されている。しかし、実は、草案の時点では、「すべての人間」は“all men”と表現されていた。「男女の同権」や「性による差別」をしないという文言も、たたき台の段階では含まれていなかった。もし、国連憲章と世界人権宣言が“all men”のためのものだったとしたら、今日、これらの文書は同じ価値をもちえただろうか。

現実には、草案は修正されて“human person”や“all human beings”のための憲章・宣言となった。では、「すべての人間」という表現は、どのように“all men”から“all human beings”と改められたのだろうか。この中立的な表現は、国連発足直前あるいは直後に、国連憲章や世界人権宣言の起草にかかわった、女性たちの働きかけで取り込まれた経緯がある。冒頭のグテーレス演説が注目した女性たちである。

世界人権宣言で思い出す女性の代表といえば、エレノア・ルーズベルト(Eleanor Roosevelt、以下、ルーズベルト)である。世界人権宣言が書かれたポスターを眺めるルーズベルトの写真は有名である。フランクリン・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)米国大統領の夫人で、世界人権宣言の起草にあたった国連人権委員会委員長であったことから、この宣言の立役者と理解されている。

意外かもしれないが、ルーズベルトは、“men”という表記に反対していなかった。加えて、世界人権宣言を起草し始める際、人権委員会に加えて女性の地位委員会を別に立ち上げよう、と提案があった時も、ルーズベルトはこれに反対した。“men”は「人間」の総称であり、あえて“men and women”としなくても、女性はすでに含まれているし、女性に特化した委員会を設けることで、逆に男女差別を生み出す、と考えていたからだ(注2)。なお、世界人権宣言が採択された当時の国際環境では、米ソ対立が日増しに強まっており、起草に時間がかかりすぎると、採択まで辿りつけなくなる懸念があった。そのため、ルーズベルトは“men”という表記の交渉に時間をかけることを避け、早期に草案をまとめることを選んだという側面もある。

ルーズベルトと同様の考え方は、同じく米国の女性代表バージニア・ギルダースリーブ(Virginia Gildersleeve)の例にもみられる。ギルダースリーブは、1945年のサンフランシスコ会議で、国連設立の基礎となる国連憲章に署名した50人のうち、わずか4人だった女性の1人である(注3)。ギルダースリーブは、国連憲章草案を起草する際に、女性にも男性と同等に権利を認める文言を挿入すべきだと主張したラテンアメリカの女性代表たちを、「闘争派フェミニスト(militant feminists)」と呼んで批判したのであった(注4)。米国代表の女性たちは、女性の権利を特別に取り上げて、国連憲章や世界人権宣言に盛り込もうとした人物ではなかった。

「女性はどこにいる?」―起草者たち

国連研究を含む国際関係学分野の話題は、伝統的に男性中心であり続けてきた。そのため、1990年に、米国の政治学者シンシア・エンロー(Cynthia Enloe)が提起した「女性はどこにいる(Where are the women)?」という問いが、同分野でのフェミニズムの発展に大きく貢献した(注5)。世界人権宣言が採択されるまでの過程で、米国の女性代表に批判された女性たち、とりわけ、グテーレス事務総長が言及したメフタやベルナルディーノらの「女性はどこにいた」のだろうか。

1946年から1948年にかけての世界人権宣言の起草過程は、3段階に分けられる。(1)中核となるたたき台を考えた5人の起草グループ、(2)たたき台をもとに、条項案を議論した人権委員会及び女性の地位委員会、(3)最終的に世界人権宣言が国連総会で採択されるまでの最後の詰めの作業を行った国連総会第三委員会である。(1)の5人の起草グループで、女性はルーズベルト1人であった。(2)の人権委員会委員は18人おり、女性はルーズベルトに加え、インド代表のメフタだけだった。加えて、女性の地位委員会が、周囲の反対を押し切り発足した(注6)。女性に特化した話し合いの場を作らなければ、各国代表団の中でさえ、多数派の男性が優先と考える課題に押されて、女性の権利問題は脇に追いやられてしまう、という懸念があったためである(注7)。(3)の総会第三委員会には、58か国が参加し、500人の出席者の中で、女性は12人であった。うち5人が女性の地位委員会及び総会第三委員会の両方に出席していた(注8)。ベルナルディーノは、両方の委員会に出ていた5人の女性のうちの1人だった。

ドミニカ共和国代表のベルナルディーノの説明から始めよう。ギルダースリーブと並び、ベルナルディーノは、国連憲章に署名した4人の女性のうちの1人だった。ベルナルディーノは、国連憲章を起草する過程にもかかわり、「女性」という単語を明示的に入れることに尽力したラテンアメリカ諸国からの女性代表グループの1人でもある(注9)。米国のギルダースリーブに「闘争派フェミニスト」といわれたグループである。

国連憲章採択後、ベルナルディーノは、世界人権宣言の起草にあたって、周囲に反対されながらも、女性の地位委員会を発足させるべく、積極的に働きかけを行った中心人物でもある。ラテンアメリカ諸国の女性の立場は、参政権など、ある程度の男女平等の権利を実現していた米国や英国の女性が置かれた立場とは異なっていた。ラテンアメリカの場合、多くの権利は男性(men)にのみ認められ、女性(women)は二級市民扱いであった。このような差別的な扱いを断固として認めるべきではないと立ち向かったのである。

こうした背景があり、ベルナルディーノは、国連憲章にとどまらず、世界人権宣言でも、女性の権利を明文化するべきだと考えていた。起草の第二段階まで、ベルナルディーノは、女性の地位委員会で議論するにとどまったが、総会第三委員会には出席し、女性の権利及び差別の禁止を明記することを各国代表の前で訴えた。「人間の権利」という表現として“the Rights of Man”が維持されることを決然と拒否し、“men”が使われるなら“women”と併記するべきことを強く主張し続けた。

また、「人類のどのような集団に対しても差別は悪である。その集団を害するから、というだけでなく、最終的には、そうした差別が社会のすべての集団を害するからである(注10)」と主張した。世界人権宣言に、「人種、性、言語、または宗教による区別なく」権利を認めるという文言を入れるよう要求した。ベルナルディーノらの毅然とした態度により、議論の潮目は次第に変わり、世界人権宣言の前文 には「男女の同権」が、第2条には「すべて人(everyone)は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由」によって差別を受けないことが規定されたのである。

次に、インド代表のメフタについて説明しよう。英国の植民地支配に対するインドの解放運動が、メフタの強い意志の源だった。1947年にインドが英国から独立する前、メフタは、マハトマ・ガンジー(Mahatma Gandhi)の呼びかけにより、英国製品のボイコット運動や非暴力の植民地解放運動に参加した。時には投獄されることもあった。しかし、この解放運動は、女性はほとんど教育も受けず、結婚すれば夫に従い家庭の中にとどまる、という国内の伝統的な考え方にも変化を及ぼした。自国の自由を勝ちとる非暴力運動を展開するために、女性にも自由や政治に参加する権利が必要であり、政治に参加するためには、教育その他の基本的権利が女性にも認められるべきだということを、インドの人々が認識した。メフタは、1945年には全インド女性会議議長に就任し、インド国内の女性の自立を目的とした「女性の権利宣言」を起草するなど、すでに国内で女性の権利獲得に向けて動いていた(注11)。

世界人権宣言の起草過程が第一段階から第二段階に移った時、人権委員会に提出されたたたき台の文言は、「すべての人間(all men)は平等」であった。同委員会でルーズベルトの他に唯一の女性であったメフタは、女性の地位委員会の声も拾いながら、この案に強硬に反対し、“every human being”や“all human beings”にするべきであると対案を提出した(注12)。たたき台を作った5人の中核メンバーが、“men”か“human beings”かは些細な違いであるとメフタの主張に冷淡であっても、メフタは、人々の平等を実現するために、“human beings”という表現にこだわった。中核メンバーは、“men”に男性も女性も含まれると解釈できると主張したが、メフタは、“men”を女性の権利を制限するために都合よく利用する国連加盟国が出てくるかもしれないという可能性を考える方が重要だと指摘した(注13)。メフタの主張は、女性代表たちのみならず、各国の男性代表からも徐々に支持を獲得していった。その結果、世界人権宣言の第1条は、「すべての人間(all human beings)は、生まれながらに自由で平等である」という規定となった。

世界人権宣言の起草過程を振り返ると、女性代表に2つの異なる立場があったことがわかる。1つ目は、ルーズベルトやギルダースリーブらの立場であり、従来から“men”は人間を意味したことから、「すべての人間」は“all men”で良く、女性も当然含まれると捉えた。この立場の女性だけが会議に参加していたら、世界人権宣言は“all men”のものだったかもしれない。2つ目は、ベルナルディーノやメフタの立場である。「女性の権利」を掲げ、時には批判を受けながらも、男女の同権を明示すること、特定のグループが差別されないことを明記すること、そして「すべての人間」は“all men”ではなく“all human beings”にすべきことを強く求めた。こうした女性たちの粘り強い交渉があって、現在の“all human beings”のための国連憲章や世界人権宣言がある、と捉えれば、彼女たちの貢献ははかり知れないほど重要である。

ジェンダー主流化の流れ

最新の研究は、「女性はどこにいる?」という問題提起を発展させて、次のような問いを掲げる。男性が中心であった外交・交渉の世界が、ジェンダー主流化で構造的にどう変化したのか。あるいは、国際舞台でジェンダー格差が解消されると、どのような成果に結びつくのか(注14)。ここでは、1948年に世界人権宣言が採択された後、国連でどのようにジェンダー主流化が拡大してきたかをまとめる。

当初は立ち上げさえ危うかった女性の地位委員会であったが、発足後は、性差別の撤廃を国際条約として締結させることを目指すようになった。その努力は、世界人権宣言が採択されてから1960年代半ばにかけて、女性の政治的権利や婚姻に関する権利保障など、個別の国際規約の採択という形で結実した。同委員会は、より包括的な条約の締結を目指して、1967年には女子差別撤廃宣言にも漕ぎつけた。女性の地位委員会が1947年に設置されてから25年後の1972年には、3年後の1975年を「国際婦人年」にする旨の国連総会決議の採択を後押しした(注15)。

この「国際婦人年」以降、女性の人権を制度化する動きは加速度的に進むようになる。「国際婦人年」(1975年)には、第1回世界女性会議がメキシコで開催された。それからの10年間(1975-1985年)は「国際婦人の十年」と位置付けられ、ちょうど中間の1979年には、より具体的に女性の待遇改善を目指す「女子差別撤廃条約」が採択された。1995年に北京で開催された第4回世界女性会議で「ジェンダー平等と女性のエンパワメント」(北京宣言及び行動綱領)が掲げられ、1997年に国連経済社会理事会は、「ジェンダー主流化」を定義づけるに至った(注16)。

ここで、「男女同権」と「ジェンダー主流化」の違いをみておこう。「ジェンダー主流化」は、単純に女性の地位を男性並みに引き上げることを目指すものではない。あらゆる政策や事業は、異なるジェンダーに異なる影響を及ぼすという前提で、それぞれのニーズや影響を考えることを、計画から実施といったあらゆる段階で、かつ、社会のあらゆる分野で徹底すべきとする考え方で、1990年代以降、さまざまな動きがみられる。

例えば、「女性に対する暴力」への対応がある。女性に対する暴力は、従来は私的な領域の問題として、国際的な問題としては踏み込まれなかった。しかし、1993年には、「女性に対する暴力の撤廃に関する宣言」が国連総会で採択された。2005年の世界サミット成果文書では、女性や女児に対するあらゆる形態の暴力を撲滅することが明記された。

関連して、2000年には、「女性・平和・安全保障」を結びつける国連安全保障理事会(安保理)決議第1325号が採択され(注17)、「ジェンダー問題の安全保障化」の議論も強化された。決議の要点は、紛争の予防、管理、解決にあたり、あらゆる意思決定レベルで女性の参加やその人数を増やすこと、現場に派遣される女性の軍関係者を増やすこと、ジェンダーに配慮する視点を平和活動に取り入れること、などである。国連では、1999年から、武力紛争下における文民(非戦闘員)の保護が重要課題になっていることもあいまって、2008年に採択された安保理決議第1820号では、武力紛争下での性暴力を許容しない姿勢をとる決意が示された(注18)。

ジェンダー主流化のうねりが大きくなることに伴い、これまで見過ごされてきた課題にも目が向けられるようになった。2011年には、国連の人権理事会で、人権、性的指向及びジェンダー同一性に関する初の国連決議が採択された(注19)。2014年に始まった「HeForShe」運動では、エマ・ワトソン(Emma Watson)UN Women親善大使が、男性の「あるべき姿」によって、男性側も苦しんでいることを指摘しつつ、ジェンダー問題は女性に限らず皆の課題であると訴えた(注20)。私たちも日ごろから実践できることであるが、国連では、特定の性やジェンダーを差別しない、固定化しない、ジェンダー包括的な言葉の使用が推奨されている。

以上のように、国連憲章や世界人権宣言起草時の女性の権利獲得の動きから脈々とつながるジェンダー主流化の中で、性別を根拠に固定化されてきた社会的格差や不公平な取扱いといった問題の是正に向けた取り組みが強化されてきた。“all men”から“all human beings”へという道のりは、国連憲章や世界人権宣言の採択が終着地点だったわけではない。国連の活動の3本柱である平和と安全、人権、開発分野のさまざまな場面で、“all human beings”の平等に向けて、今も前進し続けている。

おわりに

国連設立から75周年を経たタイミングで、本稿では、世界人権宣言の起草過程や、ジェンダー主流化の流れを概観した。国連憲章や世界人権宣言で明記される「すべての人間」は、草案では“all men”だった。それを、“all human beings”という表現に変更させた、先人の根気強い交渉の延長線上に、ジェンダー主流化がある。本稿が、「すべての人間」にとっての平等の実現に向けた理解及び行動の一助となれば幸いである。

(注1)UN Secretary-General António Guterres, “Remarks at opening of exhibit on the 70th Anniversary of the Universal Declaration of Human Rights,” UN Headquarters, December 6, 2018. https://www.un.org/sg/en/content/sg/speeches/2018-12-06/70th-anniversary-universal-declaration-human-rights-remarks (以下、全て2021年2月19日最終閲覧).

(注2)Rebecca Adami, Women and the Universal Declaration of Human Rights, New York: Routledge, 2019, p.50. アダミの研究は多くの一次資料に依拠している。ダグ・ハマーショルド図書館が、世界人権宣言の起草過程にかかわる記録文書を整理したウェブページを公開している。 https://research.un.org/udhr70/draftinghistory.

(注3)4人の女性代表とは、ギルダースリーブ(米国)、ベルナルディーノ(ドミニカ共和国)、ベルタ・ルッツ(Bertha Lutz、ブラジル)、吳貽芳(Wu Yi-fang、中国)である。

(注4)Adami, op. cit., p.22.

(注5)Cynthia Enloe, Bananas, Beaches, and Bases: Making Feminist Sense of International Politics, University of California Press, 1990.

(注6)1946年に女性の地位小委員会(Sub-Committee)が発足し、翌年委員会に格上げされた。

(注7)Adami, op. cit., p.74.

(注8)Ibid., p.112.

(注9)他に、ブラジル代表のルッツ、ウルグアイ代表のイサベル・デ・ビダル(Isabel de Vidal)らがいた。

(注10)UN Document, A/C.3/SR.98, 108. Cited in Adami, op. cit., p.123.

(注11)Adami, op. cit., pp.66-70.

(注12)Susan Waltz, “Universalizing Human Rights: The Role of Small Stats in the Construction of the Universal Declaration of Human Rights,” Human Rights Quarterly 23(1)(2001), pp.44-72. Robin Ramcharan and Bertrand Ramcharan, Asia and the Drafting the Universal Declaration of Human Rights, Palgrave Macmillan, 2019, p.49.

(注13)Adami, op. cit., pp.67.

(注14) Karin Aggestam and Ann E. Towns, “Introduction: The Study of Gender, Diplomacy and Negotiation,” in Gendering Diplomacy and International Negotiation, eds. Karin Aggestam and Ann E. Towns, Cham: Palgrave Macmillan, 2018, pp.1-22.

(注15)UN Document, A/RES/3010(XXVII), December 18, 1972.

(注16)UN Document, ECOSOC agreed conclusions 1997/2, July 18, 1997.

(注17)UN Document, S/RES/1325(2000), October 31, 2000.

(注18)UN Document, S/RES/1820(2008), June 19, 2008.

(注19)UN Document, A/HRC/RES/17/19, July 14, 2011.

(注20)Emma Watson, “Gender equality is your issue, too.” UN Women website, https://www.unwomen.org/en/news/stories/2014/9/emma-watson-gender-equality-is-your-issue-too.

プロフィール

小林綾子国際機構論、グローバル・ガバナンス

上智大学総合グローバル学部総合グローバル学科特任助教。一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。在スーダン日本国大使館専門調査員、米国ハーバード・ケネディ・スクール科学・国際問題ベルファー・センター研究員等を経て現職。主な業績は「地球社会と人間の安全保障」滝田賢治・大芝亮・都留康子編『国際関係学』[第3版](2021年3月)、「国連平和活動とローカルな平和」『国連研究』(2021年6月発行予定)等。

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