2011.04.14

旧ソ連諸国で実らぬ中東民主化運動の「模倣」

廣瀬陽子 国際政治 / 旧ソ連地域研究

国際 #ロシア#メドヴェージェフ#アゼルバイジャン#アルメニア#グルジア#色革命#無血革命#南コーカサス#連邦保安庁#内務省

2月15日の拙稿「エジプトの反政権デモの旧ソ連への影響」では、中東と旧ソ連の民主化運動の背景や条件が異なること、また中東の影響を受けて動き出している反体制派もいるが、政府が過敏に反応して厳しい対応をとっていること、旧ソ連で多くみられる「安定志向」の民衆が反体制的な動きに参加する様相がみられないことから、旧ソ連では中東の動きが連鎖する可能性はきわめて低いということを論じた。

結論からいえば、それから2か月経った現在でも状況に変化はない。だが、注目すべき現象も出てきている。それは、単なる反体制派ではなく、「イスラーム」を掲げる集団や政党の反体制的な動きが出てきたことである。また、以前は「色革命」で重視されていた「無血革命」という要素が軽視されるようになってきた。さらに、アゼルバイジャンなどでは、政権を揺るがすような事態にはまったくなっていないとはいえ、反体制的な動きが一部で活発化し、それを政府が弾圧することで、欧米の諸団体から強い非難を浴びる状況となっている。

そこで、本稿では、ロシアと南コーカサス三国の前出の拙稿以降の動きを整理し、その意味を考えてみたい。

ロシアのその後の状況

中東での激動がはじまってから数か月が経つが、メドヴェージェフ大統領は、中東の政変やそれに対する欧米諸国の干渉が、世界の不安定化を助長するとして激しく批判する一方、ロシアでは「エジプトシナリオ」は実現しえないと一貫して主張している。

だが、それに賛同しない者も多いという。

たとえば、2月の拙稿で論じたように、ロシアでは基本的にエジプト型の政変は起きないと考えられるが、イスラームの連帯を基盤にした運動、具体的には北コーカサスから政権を脅かす動きが起こる可能性を否定しない専門家がいる。そのような研究者は、ロシアではグルジアやウクライナで起きたような「親欧米型」の「革命」ではなく、むしろイスラームの連帯に基づく「反欧米型」のものとなると議論する。

そして、この説に信ぴょう性をもたせるのが3月12日の拙稿「ロシア政権が恐れる北コーカサス問題と民主化ドミノ」で論じたように、チェチェン共和国の独立派武装勢力指導者ドク・ウマロフ司令官がロシア全土のイスラーム教徒に対して、聖戦を呼び掛けたことである。実際、テロは増加しており、北コーカサスを中心に、ロシアの不安定化が進んでいることは否めない。

また、「プーチンの政治生命が終わったとき」には、中東式の「革命」もロシアで発生しうると述べる研究者もいる。さらに、ロシアは決して安定しておらず、とくに民衆の貧富の差が拡大しており、何かのきっかけで不満を募らせている層が爆発する可能性は否めないとする論者もいる。そして、当局内にはむしろ「エジプト化」を危惧する声の方が多いともいわれている。特に、ツイッター、スカイプ、Gメール、ホットメールの存在にはきわめて敏感になっているという。

これまで連邦保安庁(FSB)や内務省(MVD)はインターネットの監視をし、場合によってはサイトの閉鎖やアクセスを制限するなどの措置をとってきたが、最近ではツイッターの監視が厳しくなっているという。また、FSBの幹部から、スカイプ、Gメール、ホットメールが国家安全保障上の脅威になっているとして、禁止する提案が出されたが(スカイプについては2009年にも産業起業家連盟から禁止提案が出されたことがある)、メドヴェージェフ大統領の強い反対により、撤回されたという。

ただし、この話については、政権を欧米に対し民主的にみせかけるための自作自演だったという説もある。その説に説得性をもたせるのが、今年3月1日に施行された、ロシアの新しい警察関連法の存在である。それによって、当局は裁判所の命令なしに「有害」なウェブサイトを閉鎖する権限が与えられた(ただし、既存の連邦コミュニケーション法により、以前から「合法的に」ウェブサイトの閉鎖が行われていた)。やはりロシア当局サイドはアラブの民主化の流れが波及してくることを間違いなく脅威に感じているといえるだろう。

グルジア

欧米から支援を受けて成功させた2003年の「バラ革命」で、世界の注目を浴びながら民主化の道を歩きはじめたグルジアは、2008年のグルジア紛争を自ら仕掛けたことで、世界的な信頼を喪失し、内政でも「革命」の寵児であるサアカシュヴィリ大統領の権威主義的な動向が強まっている。

グルジアでは3月に入り、強硬な野党政党の指導者たちが、もはや独裁者といわれるようになったサアカシュヴィリを、エジプトで失脚したムバラク元大統領に準え、新たな「革命」を訴えるようになった。そして、求める「革命」の様相も以前とは変わってきている。「色革命」はじめ、最近までは「無血革命」の美徳が尊ばれてきたが、「無血で革命が達成されれば素晴らしい」としつつも、グルジアの反対派はもはや「流血」の可能性を排除しなくなっている。

それどころか、むしろ過激な野党は、「流血」を望んでいるともいえる。つまり、民衆の平和的抗議行動に対し、サアカシュヴィリ政権が武力を用いれば、西側からの批判が出るのは間違いなく、そうすれば、西側の支援によって支えられてきた現政権が大きな打撃を受け、政権崩壊が現実的になる、こうしたシナリオを描いているのである。

そして、2008年にサアカシュヴィリが再選を決めた大統領選挙について、いまでも不正選挙を疑う国民は多く、民主化の退行現象が強まり、インフレーションと物価の高騰によって国民の生活が疲弊の一途を辿るなかで、革命の火種は増す一方だとし、また「革命」の折には参加を表明している市民も多いという。

さらに、最近の法律改正により、警察の権限が強化される一方、民衆の抗議行動の権利が大幅に制限されただけでなく、反政府行動により逮捕されたものの拘留期間も最大30日から90日に延長されるなど、さらなる警察国家化が進んだと危惧されている。

とはいえ、グルジアの野党には穏健派もおり、穏健派は「革命」には反対の姿勢をとり、制度的な枠組み内での民主化を推進しようとしている。他方、グルジアの強硬な野党も一枚岩ではなく、反対的な動きがたとえ起こったにせよ、それが政権を転覆させるほどの力をもつかは疑問だ。実際、強硬な野党の一部は、決定的な抗議行動を開始する「Dデイ」として、4月9日、24日、5月2日が濃厚だと発表していたが、すでに、最初の候補日はすぎ、今後の展開もあまり期待できそうにない。

アルメニアのその後の状況

2月15日の拙稿で、アルメニアでは2008年の大統領選挙の際に、対立候補だった元大統領でアルメニア国民会議党(HAK)の党首テル・ペトロスィアンとその支持者が、中東での動きに乗じて積極的な動きに出ていると論じたが、その動きは現在も続いている。

HAKは、「アラブ式抗議」を大きく掲げて定期的に抗議行動を企画しており、2月18日、および2008年の大統領選挙の際に、政権側が反対派を弾圧した事件の3周年記念日の3月1日、また3月17日には最大規模の抗議行動が行われたが、それらも1万人規模にとどまり(ただし、野党サイドは3月1日の抗議行動については5万人の参加があったと主張している。この日には、とくに政治犯の釈放要求が強く叫ばれた)、政権を揺るがすほどの力はもちえていない。

また、アルメニアでは最近、露天での商売が禁じられたが、それに反発する露天商たちが50人規模の抗議行動を行っており、そのうちの一人が自殺をしたことで中東の運動を彷彿させ、また野党もその運動を支持し、連帯しようとしているが、やはり大きな動きには発展していない。

他方、テル・ペトロスィアンは2008年の流血の惨事を繰り返さないよう慎重にことを運んでおり、その点はグルジアの野党の過激分子の動向とはまったく異なる。

野党連合は2月17日に新綱領に署名し、来る5月の議会選挙での議席増加とアルメニアの民主化に向けての協力関係を強化、「ムバラク化」の危機感をあおりながら、現政権との対決姿勢を強めている。野党党首のなかには、ハンガーストライキで政権に公正な議会選挙と大統領選挙を求めている者もいる。選挙が近いことが、野党をより駆り立てている状況がある。

アルメニアでは民主化が進まない一方、インフレが進行し、失業も拡大して、国民の生活が逼迫していることから、野党連合は、政権に対し、政治的・経済的・社会的要求を含む「15点の最後通牒」を送りつけたが、サルキシャン大統領がそれを受け取ることはないだろうと報じられている。

とはいえ、抗議行動は一定の圧力となったようで、2008年の衝突時に逮捕されたテル・ペトロスィアンの支持者二人が釈放される。

このように野党の運動が大きな力をもたない一方、現政権はアゼルバイジャンとのナゴルノ・カラバフ問題が停滞することで内外から圧力を受けており、また、一向に民主化が進まないことや、政治犯の逮捕など深刻な人権侵害が継続するなかで、内外の人権NGOや米国、EU(欧州連合)、OSCE(欧州安全保障・協力機構)など国際社会からの批判が強まるなか、一定の危機感をもっている。

そのため、政治犯を釈放したり、内閣改造を行ったりして民主化の姿勢をアピールしているようだ。サルキシャン大統領も、2008年の大統領選挙のような流血の惨事を避けるべく、来る2013年の大統領選挙に向けて政権基盤を固めておきたいところだ。

アゼルバイジャンのその後

2月の拙稿で述べたように、アゼルバイジャンではフェイスブックで反政府集会を呼び掛けた青年、ジャバール・サヴァランリが2月5日に、麻薬所持(ただし、警官にポケットにねじ込まれたものと考えられている)により逮捕された。また、その後、逮捕された青年の周辺の者が警察に脅されたり、フェイスブックのページの書き換えを迫られたりしているという。アゼルバイジャンにおいては、フェイスブックにあらわれる「友人関係」は、政治的にとても危険だと警告されている。

そして、青年の逮捕後、反体制派活動家たちが彼の釈放要求を度々行ったが、釈放には至らなかった。また、アゼルバイジャンでは、これ以前にも多くの反政権的ジャーナリストや活動家たちが不当に逮捕されたり、暴行を受けたりしてきたが、それらを含め、EU、OSCEやPACE(欧州評議会議員会議)、米国、アムネスティー・インターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチなど多くの欧米諸国、組織や人権団体が批判をつづけている。

さらに、アゼルバイジャンでは3月11日を「偉大な人民の日」と名づけ、大きな抗議行動が計画され、ファイスブックを通じてキャンペーンがはられた。「たとえ、アゼルバイジャンにいなくても、参加しなくても、クリックして支持を表明するだけでもいい」とも書かれ、まずは人民の関心を集めることに力点が置かれ、約4000人が支援の意思を表明したという。このような活動を主導している者たちは、欧米に留学経験をもつ者が多く、また、海外に留学中のアゼルバイジャン人青年も、ネット上で、反政府活動に積極的に参加しているのである。

そして、3月11日には、何十人、何百人という人々が、あらゆる場所で、あらゆる形態で抗議行動を行うと宣言されていた。しかし、デモ当日以前に少なくとも5人の主要メンバーが逮捕され(ハーバード大学を卒業した学生もいたため、米国も激しい批判をしている)、当日も大量の警官が動員され、デモ直前に16人が逮捕された。電車の運行が止められ、近隣の駅が封鎖され、さらに警官が人々を散らしまわったことから、人々が集まることが難しくなり、その上、43人の青年が逮捕されたため、結局は「デモ行進」の形態をとることができなかったようだ。

そして、翌12日には、野党ムサヴァト党主導の抗議行動が行われ、数百人の反体制派が集まり、大統領に対する辞任と逮捕された青年活動家の釈放などの要求が叫ばれたが、40人が警察車両に連行されるなど、厳しい弾圧にあり、やはり大きな成果を生むことはできなかった。

ついで、4月2日にもアゼルバイジャンの「偉大な怒りの日」と名づけられた反対政府運動が、青年活動家と主要野党によって行われた。このデモは「野党によるものでなく、人民によるもの」と主催者側は強調していた。政府はデモを禁止し、バクー市役所は別の場所を提案したが、結局、野党はバクーの噴水広場での決行を発表した。そして例によって、当日前に、関係していた活動家が10名程逮捕され、5~10日間の拘留を宣告されるなど、政府の厳しい目が光るなかでデモが行われた。

結局、参加者は350人にすぎず、そのうち70人が警察に連行され、デモは数分で解散させられ、かなり近くにいた人ですら、デモに気付かないケースも多かったという。内務省と検察庁の共同発表によれば、パトカー25台、商店17店舗、銀行1カ所が損害を受け、警官13人が負傷したというが、前述のように活動家は簡単に弾圧されたのであり、この発表は恐らく、政府による誇張された情報と思われる。野党は、デモの前に「アゼルバイジャン史上最大規模のデモとなる」と宣伝していたが、この有様である。

それでもなお、野党指導部はこの「お粗末なデモ」を成功だったとみなしているようだが(たとえば、ムサヴァト党機関紙の「イェニ・ムサヴァト」)、それは体面を繕っているにすぎないといえる。4月16日にも抗議デモを予定しているが、結局、いまのところ、野党は一連の抗議行動によって何も達成することはできていない。

そもそも、野党の力はアゼルバイジャンにおいて衰退の一途をたどり、野党の諸党は何年ものあいだ、選挙対策の政治連合すら成功できておらず、国民の野党に対する期待値はきわめて低くなっている。もともと、何もできないと認識しながら、ただ単に「野党は党員に対するイメージアップのためにデモを計画した」と分析するアゼルバイジャンの専門家もいるほどだ。

つまり、政府に対して何もしなければ、野党は国内外から見放されてしまうため、多少なりとも信頼と資金(野党はとくに米国などから資金提供を受けているケースが多い)を何とか維持するための、単なる示威行為だったと考えられるのである。NGOなども、単に安定を削ぐ行動だとして、このような野党のデモを批判している。

そして、新たな動きが4月8日に出てきた。イランが支援するアゼルバイジャンイスラーム党が金曜礼拝の後に、「偉大な金曜日」と称する抗議デモを決行したのである。このデモについては、フェイスブックでもアピールされていた。規模や政権への影響はまったく問題にならないレベルであったが、これまでつねに政府から厳しい弾圧を受けてきたイスラーム政党が抗議行動を行ったことはなかった(ちなみに、アゼルバイジャンの国民の7割はイスラム教シーア派、3割はスンニ派を信仰しているが、世俗国家である)。これは、イスラームの連帯がアゼルバイジャンの政治にも影響を与えている現象として留意すべきかもしれない。

このように多くの運動が起きているものの、すべて大きな規模にならず、警察に簡単に弾圧されているのがアゼルバイジャンの「下からの民主化」の現状だ。これについて、アゼルバイジャンの識者は「アゼルバイジャンでは革命の準備がまだできていないのだ」と説明する。つまり、国民の不満は募っていても、貧困の度合いがひどく、日々の生活で手一杯であり、「革命」より「安定」を志向せざるを得ない状況にあるのだという。

アゼルバイジャン当局は、外国の悪い影響を受けて騒いでいる青年は一部にすぎず、多くの国民が大統領を支持しているのだから、アゼルバイジャンで政変は起きるはずはないというが、それにしては対応がずいぶんと念入りだ。逮捕された青年や活動家たちは、厳しい拷問を受けていると、彼らの弁護士が主張していることもあり、政権が青年たちの動きを脅威に思っていることは間違いないのである。

「革命」の退行現象

2月の拙稿でも述べた通り、中東での動きは、旧ソ連諸国の指導者たちに、まず「色革命」を思い出させた。しかし、前述のように2003年の「バラ革命」を成功させたグルジアでは、民主化の退行現象のほうが目立つようになっている。

また、2004年に刺激的な「オレンジ革命」を成功させたウクライナも、その後の内政は混乱した。そして、2010年には、「オレンジ革命」によって一度は決まった大統領の座を追われた親ロシア派のヤヌコビッチが合法的な選挙で大統領に選出された。ヤヌコビッチは欧州との関係強化を進める一方、ロシアに対し次々と譲歩的な政策を取ってロシア首脳陣におもねり、「オレンジ革命」の指導者を次々に処罰する動きに出ている。当地の人権や汚職などの状況もどんどん悪化しているという。

また、筆者は「色革命」には含めていないが、2005年に「チューリップ革命」が起きたキルギスでも、その後、バキエフ大統領一族の国家の私物化と権威主義化が進み、2010年4月に新たな「革命」が起きたことは記憶に新しい。

これらのことから、「色革命」はもはや覆ってしまったともいえるはずだ。欧米諸国は、「革命」の成果を守るよう、グルジアやウクライナに警鐘を鳴らすものの、事態は容易には改善しえない。「革命」を達成した人々ですら、容易に政治的アパシー(無関心)に陥り、安定を求めるようになってしまうのである。安定は停滞と紙一重だ。こうして、民主化は頓挫する。

これらのことから、やはり基本的に旧ソ連の人々が安定志向であること、また一度権力を握った権力者は旧ソ連では権威主義的傾向を帯びやすいことがみてとれる。旧ソ連には下からの民主化が起きにくい素地があることを改めて感じさせる。とはいえ、本稿で述べてきたように、中東政変からの影響を受け、旧ソ連における反政府運動に、イスラームを基盤とした動き、そして、流血を志向する動きという新たな二つの要素がみえてきたことには注意をすべきである。

また同時に、旧ソ連の事例から、激しい熱気をもって達成された「革命」の情熱はすぐ冷める可能性も高いことも指摘できる。このことは、現在の中東の激変へのひとつの警鐘にはならないだろうか。つまり、現在、民衆革命が成功したとみられているアラブ諸国でも、今後、民主化が退行する可能性は否めないということだ。それを予防するためには、旧ソ連の状況を反面教師に、欧米諸国などが中東情勢を今後も見守りつづけ、当地の経済発展や人権状況などを改善し、民主化路線を継続させていく必要があるだろう。

プロフィール

廣瀬陽子国際政治 / 旧ソ連地域研究

1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。

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