2010.10.28

日本経済停滞の脱出策を政治学から考える ―― 選挙と利益誘導の関係

斉藤淳 政治学

政治 #経済政策#利益誘導

イェール大学の斉藤と申します。こちらで日本政治の授業を担当しております。普段は合衆国コネチカット州ニューヘイブン市で暮らしています。わたしの主たる研究領域は比較政治経済学で、これは要するに世界各国の政治体制と市場がどのように相互作用しているかをみる学問です。

Synodos という素晴らしい場をお借りし、日本経済停滞の原因について、政治学の立場から分析し、発言していきたいと思います。

日本経済が停滞しているのは、ひとえに政策が間違っているからです。では、優秀な官僚集団を抱えながらも、なぜ間違った政策が立案され、選択されたのか?それは政治が間違っていたからです。

それでは、なぜ間違った政策を選んでしまう政治家ばかりなのか?有権者は誰も望んでいるわけではないのに、困った政策が選択されつづけるのはなぜか?それは、有権者が政治家を雇う契約のあり方、つまり選挙過程がいびつだからです。

というわけで、日本の経済政策のあり方を、選挙に根ざすさまざまなバイアスから考えていこうというのが、この企画の骨子です。

その時々の時事問題も材料にしながらテーマを選びますので、内容は前後することがありますが、主に

(1)選挙と経済政策の関係

(2)知識集約型経済への移行と教育(とくに大学の役割)

(3)都市と農村の共存

以上、三つのテーマに取り組んでいきたいと思います。

(1) は問題の原因を理解する上で重要です。(2)は日本が国際競争で今後、生き残る上で、本質的に重要な点だと思います。(3)は日本国内のさまざまな格差 が、都市と農村の違いに根ざすと考えられ、これを放置したために、将来志向の政策対応をとる妨げになってしまったと考えられるからです。

具体的には、少子化対策、農業保護、大学経営、入試の仕組み、ときとして高速道路無料化や地方分権などの各論に踏み込んでいきます。他のテーマについても、時々の関心に応じて発言していきたいと考えております。

選挙と説明責任

まず最初に、選挙と経済政策の関係について考えましょう。

選挙と経済政策について、もっとも素朴な考え方は、シュンペーター型の説明責任の仕組みです。つまり、(1)現政権が優れた経済政策をとり、有権者が満足していれば権力の座に留まる、(2)そうでない場合は代わりの政権を選ぶ。有権者がつねに(1)と(2)のどちらかを選択をすると、政治家の側で理解していれば、よりよい政策をとるために、政治家は一生懸命にがんばるはずです。そのような信頼のもと、有権者も政治家に政策決定を委任するわけです。

ある意味、市場で企業が競争するのと同じように、政治家が競争するのだというアナロジーです。おおかたの有権者は、民主主義とはこのように働くものだと、暗黙的に前提しているように思われます。

しかし実際には、有権者が満足するかどうかについては、経済政策以外の多くの要因が作用します。全有権者を平均的に満足させるのか、特定の有権者だけ集中的 に満足させるのかという問題もあります。しかも選挙のルール次第では、誰の意見が通りやすくなるのか、大きく変わってきます。社会は、いろいろな意見をも つ市民から構成されているため、みなを平均的に満足させることは決して容易ではありません。

当たり前のことですが、議院内閣制をとる国では、政権につくためには、下院の過半数の議席を確保しなければなりません。日本では衆議院議員の過半数の支持を獲得しないことには、政権をとることはできません。

単純化した例を考えれば、小選挙区制をとる国では、半分の選挙区で、およそ半分の投票者の支持を確保することが必要になります。つまり、少なくとも 1/2×1/2=1/4、投票者の1/4の支持が必要になります。全国がひとつの選挙区で構成される比例代表制の国なら、議席は投票にほぼ比例しますから、投票者の半分の支持が必要になります。

単純な例ですが、比例代表制をとる国で、GDPに対して政府支出の規模が大きく(例: 北欧)、小選挙区制をとる国で小さい(例: 英米)理由が、おぼろげながら浮かび上がってくると思います。しかも、定数格差が大きければ、より少ない支持で政権を維持することができます。

日本の場合は、二院制をとることと、中選挙区制の時代が長かったため、こうした単純な分析をそのまま当てはめることはできないかもしれません。現在の並立制 は小選挙区と比例代表ブロックを組み合わせたものですし、3年ごとに半数改選される参議院も含めて分析するとなると、かなり複雑です。

ただ乗り問題

ここで、政権与党の座にある政治家の側から選挙を眺めてみましょう。

権力の座を維持するのはそれなりに大変です。支持率はマスコミの報道によって乱高下します。どんなときでも選挙に勝てる体制を整えるためには、広く一般に支持を呼びかけるだけではダメなのです。だからこそ、継続的に確実に投票してくれる支持者をもつ必要があるのです。

では、支持基盤を養うためにどうすればよいでしょうか?

自分に投票してもらった見返りに、支持者に何らかのかたちで利益を分配することは、利益誘導そのものです。自民党はこの利益誘導によって、長く政権の座に あったと考えられています。つまりフダとカネを交換する行為に他ならないのですが、これは口でいうほど簡単ではありません。

まず政治家の側からみたら、特定の有権者が自分に投票してくれたかを検証するのは容易ではありません。有権者の側からみれば、政治家が自分に利益を供与する約束を守るかは、不安で仕方がないことでしょう。

まず、有権者が自分に確実に投票したことを確認するためには、何らかの監視ネットワークを構築する必要があります。ただでさえ、建前としては秘密投票原則が あり、誰が誰に投票したかはわからないことになっています。誰が誰に投票したかまったくわからない状況なら、心の底では野党を支持している有権者なら、分 配される利益だけせしめて、野党に投票するのが合理的です。

さらに、自分に投票してくれた人に利益を分配するにはどうすればよいでしょうか。政治家がこのような約束を実施するためにはそれなりのコストがかかります。できることなら、何もしないで票だけもらえたらと考えるのではないでしょうか。

選挙での支持の見返りに、現金や物品を提供する、あるいは酒食でもてなすなどの行為は、公職選挙法で禁止されており、違反で検挙されるリスクを考えなければなりません。自ら好んでスキャンダルの餌食になり、失脚することを選ぶ政治家はいません。

反面、利益が誰にでも及ぶような政策を取れば、感謝されるかもしれませんが、確実に票が入るとはかぎりません。たとえば景気がよくなれば、与党の支持者にも野党の支持者にも恩恵が及びます。新幹線が開通すれば、野党の支持者も与党の支持者もこれを利用することができます。

つまり、有権者の側も政治家の側も、「ただメシ食い」あるいは「ただ乗り」問題が発生する可能性につねに直面しながら、どのようにして票と利益を交換するかを考えなければならないのです。ここに、利益誘導政治にまつわる問題の根幹があります。

日本型選挙の特殊性

日本の選挙、とくに自民党の集票マシーンは、ただ乗り問題が発生しないように考え抜かれたものでした。実際のところ、日本の選挙運動は秘密投票原則を乗り越 えて、誰が誰に投票したかを把握するための活動に他なりませんでした。後援会名簿を手がかりに、電話かけをして投票を依頼するとともに、投票意向を探る。 投票所で、後ろを隠すカーテンもない状況で、肘の動きを頼りに誰に投票したか探る、程度の差こそあれ、こうした監視態勢が敷かれることになりました。

一方で政策便益の提供では、与党の支持者にのみ利益が発生するような政策が好んで選ばれることになりました。たとえば農業を保護する政策は、米価を維持するものから、徐々に減反への奨励金と公共事業を組み合わせたかたちに変化していきました。

全国一律に生産者米価を設定した時代、与党である自民党を支持していた農家だけでなく、社会党や共産党を支持していた農家にも、等しくその恩恵が及びまし た。この時代、農村には少なからず野党を支持する農家がいました。農協の組合長が社会党員だった地域も珍しくはありません。

これは、与党からみれば望ましい状況ではありません。自分に投票してくれない人は締め出し、選挙の支持の見返りに利益を発生させるためには、ただ乗り問題が発生しない かたちをとらなければならないのです。つまり、公共事業や就職の斡旋などの方法を取った方が有利であり、実際にときが経つにしたがい、政策の重心はそうし た方向に変化していきました。

「望ましい政策」がなぜ実行されないか

経済学を勉強したことのある人なら、ある特定の目的があるときに、どのような政策手段を採用すればいいか、よくわかっているはずです。しかし、社会的に望ましいと考えられる政策がなぜ採用されないか、これを考えるためには、誰が政策を決めているか理解する必要があります。

ともすると日本は官僚主導型の政治体制だと思われがちですが、こと利益誘導と経済政策に関するかぎり、与党の関与は無視できません。また官僚の人事権は最終的には与党にあるわけで、官僚もそのことを念頭に振る舞っていると考えられます。

ここで考えて欲しいのですが、

(a)経済成長には望ましいが、選挙で勝つ上で不利な政策

(b)経済成長はもたらさないが、選挙で勝つ上では有利な政策

以上2種類の政策があったとします。

長期間日本の政治システムを観測した場合、生き残るのは(a)を選ぶ政治家と、(b)を選ぶ政治家のどちらでしょう?いうまでもなく、(b)タイプの政治家が生き残ることになります。そして当然ながら、(b)タイプの政策が実行されることになります。

ミクロ経済学で登場する企業は、利潤を最大化する主体として登場します。なぜかといえば、それは現実の企業の行動が利潤最大化に似ているからというよりも、 利潤を最大化しない企業はどんどん市場から姿を消していくからです。政治家にも同じことがいえます。たとえ優れた見識をもつ政治家でも、選挙で勝てなけれ ば政治家でありつづけることはできないのです。

自民党は、1955年から2009年まで、ほぼ途切れることなく政権の座にありました。そのため、経済政策は自民党が政権の座に留まることを妨げないことを前提に、選ばれたといって過言ではありません。

これから Synodos の場をお借りして、自民党が選挙で勝ちつづけるために、どのようなかたちで政策がねじ曲がったのかを分析していきます。政権交代が起こったからとはいえ、 非常に残念ながら現在の民主党の政策が、経済停滞からの脱出につながると自信をもっていえる状況ではありません。

最近の政策議論も踏まえながら、持続可能な経済成長と整合的な政策を取るためにどのようにすればいいのか、これを可能にする制度的枠組みにはどのような方向性が考えられるのか、考えていきたいと思います。

なお自民党政権について、より学術的な議論については、拙著『自民党長期政権の政治経済学』をお読みいただければ幸いです。

プロフィール

斉藤淳政治学

J Prep 斉藤塾代表。1969年山形県酒田市生まれ。山形県立酒田東高等学校卒業。上智大学外国語学部英語学科卒業(1993年)。エール大学大学院 政治学専攻博士課程修了、Ph D(2006年)。ウェズリアン大学客員助教授(2006-07年)、フランクリン・マーシャル大学助教授(2007-08年)を経てエール大助教授 (2008-12年)、高麗大学客員助教授(2009-11年)を歴任。これまで「日本政治」「国際政治学入門」「東アジアの国際関係」などの授業を英語 で担当した他、衆議院議員(2002-03年、山形4区)をつとめる。研究者としての専門分野は日本政治、比較政治経済学。主著『自民党長期政権の政治経済学』により第54回日経経済図書文化賞 (2011年)、第2回政策分析ネットワーク賞本賞(2012年)をそれぞれ受賞。近著に『世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法』など。

この執筆者の記事