2026.05.29

「右と左」の時代は終わったのか――スティーブ・フラーが描く「上」と「下」の政治地図

芹沢一也 SYNODOS / SYNODOS Future 編集長

政治

選挙のたびに、「保守かリベラルか」という問いが飛び交います。
しかし正直、この問いに即座に答えられる人は、もうほとんどいないでしょう。

環境問題に熱心な経営者、規制緩和を支持する労働組合員、AI開発を推進する社会主義者、伝統を守りたい自由貿易論者――。
こういった「分類できない人」が、世界中にどんどん増えています。

しかし、はたしてこれは思想的な混乱でしょうか?
「右と左」といった古い地図では現在地を示せなくなった。
こう考えたほうが、しっくりくるのではないでしょうか。

今回は、このような問題意識に応えてくれる記事を紹介します。
英国ウォーリック大学の社会学者スティーブ・フラーが2024年に発表した「左と右は終わった。未来は上と下だ」です(https://aeon.co/essays/left-and-right-are-over-the-future-is-up-and-down?utm_source=chatgpt.com)。

フラー教授はこう書いています。

The ideological dichotomy of ‘Right-‘ and ‘Left-wing’ has had a good run.
(右と左というイデオロギー対立の枠組みは、これまで長く有効に機能してきた)

この一文に示されているのは、右と左という枠組みは、もはや現代社会を十分に説明できなくなりつつある、ということです。

実際、右と左という概念は、フランス革命後の国民議会における座席配置から生まれ、200年以上にわたって世界の政治を仕切ってきました。
しかし、どんな優れた地図も、地形が変われば役に立たなくなります。
そしていま、あきらかに地形が変わっています。

その変化を一言で言えば、「テクノロジーと自然の関係」をめぐる問いが、あらゆる政治的対立を横断しはじめたということです。

AIを社会に解き放つべきか。
原子力は「クリーンエネルギー」と呼べるか。
遺伝子操作で人間の寿命を延ばすことは許されるか。
こうした問いに対しては、右も左も一枚岩にはなれません。

1973年の「変人」が見抜いていたこと

フラー教授が参照するのが、FM-2030という名の人物です。
本名フェレイドゥン・エスファンダリー。
イラン出身の未来学者で、1973年に『アップ・ウィンガーズ:未来主義宣言』を著しました。

彼の主張は当時、ほとんど相手にされませんでした。
彼は「左右の軸は90度回転して、上下の軸になる」と説きましたが、そのような話は、あまりにも荒唐無稽に聞こえたからです。

しかし彼の言葉には、今読み返すと奇妙な先見性があります。
「アップ・ウィング」とは、文字通り空を見上げる立場です。
宇宙開発、技術の無限の可能性、人間の身体や知性の拡張――。
そういった「上への志向」を持つ人びとを指しました。

対する「ダウン・ウィング」は地を見つめる立場。
自然との共存、地域の共同体、「今あるものを壊さない」という慎重さを大切にする人びとです。

彼は2000年に亡くなり、遺体はアリゾナ州の施設でクライオニクス(超低温冷凍保存)されています。
技術の進歩が蘇生を可能にする日まで、という意思によってです。
「いかなる人間の困難も永続的ではない」と本気で信じた人間らしい、最後の振る舞いです。

「上下の軸」で見ると、世界が別の顔を見せる

この枠組みを使うと、いくつかのことがすっきり理解できます。

たとえばイーロン・マスクとグレタ・トゥーンベリは、政治的には「右」と「左」に分類されることが多いです。
しかしそれは表層的な分類だとわかります。

マスクは電気自動車を作りながら火星移住を語り、AIを開発し、人間の脳にチップを埋め込む会社を経営しています。
これは徹底した「上向き」の世界観です。

一方のトゥーンベリは、経済成長そのものへの疑問を呈し、「今ある地球を守れ」と訴えます。
これは純粋な「下向き」の世界観です。

あるいはOpenAIをめぐる論争を見てみましょう。
「AIをどんどん開発せよ」という立場と「まず安全性を確認してから」という立場の対立は、右対左ではありません。
両陣営に右派も左派もいます。
これはまさに「アップ」対「ダウン」の衝突です。

フラー教授の議論で興味深いのは、この「上下の軸」が、旧来の左右を単純に置き換えるのではなく、左右の内部を切り裂いて再結合させると指摘している点です。

かつての左派に属するテクノクラート(合理的な計画主義者)と、かつての右派に属するリバタリアン(自由主義者)が、「上向き」の旗のもとに合流します。
かつての右派の伝統主義者と、かつての左派のコミュニタリアン(地域共同体主義者)が、「下向き」の旗のもとに合流します。

たとえば、環境問題と宗教的伝統主義が手を組む場面。
あるいは、テック企業と市場開放論者が同じ言葉を話す場面。
これは偶然ではなく、軸の回転が実際に起きているサインでしょう。

「慎重さ」をめぐる、本質的な対立

この上下の対立をもっともくっきりと示すのが、「予防原則」と「積極原則」の対立です。

予防原則とは「危険かもしれないなら、やめておこう」という発想です。
EUのAI規制や遺伝子組み換え食品への態度に典型的に現れます。
これはダウン・ウィングの哲学です。

対する積極原則(フラー教授が「プロアクショナリー・プリンシプル」と呼ぶもの)は「チャレンジしなければ失うものの方が大きい」という発想です。
試して失敗して修正する。
これがアップ・ウィングの倫理です。

この対立は、たんに「楽観か悲観か」というメンタルの話ではありません。
根底にある問いは、「人間とは何か」という問いです。

人間は本質的に自然の一部であり、その分を超えるべきではないのか。
それとも人間は、進化の道具を自ら握ることのできる唯一の存在であり、変革そのものが使命なのか。
これは、古くて新しい問いだと言えます。

地図を持ち替えることの意味

とはいえ、フラー教授の論文が示すのは、「これからは上下の時代だ」という単純な予言ではありません。

私たちは長い間、「右か左か」という問いを使って世界を仕切り、他者を理解し、自分の立場を定めてきました。
その地図が機能不全に陥っているなら、新しい地図が必要でしょう。
上下の軸という概念は、その候補のひとつとして検討する価値があります。

1973年に「変人」と笑われた男の言葉が、半世紀後に真剣に議論されています。
世界の変化は、しばしばそういう形でやってきます。
誰かがずっと前から指摘していて、長い間無視されて、ある日突然「あれは正しかった」と気づかれる。

「右か左か」ではなく、「上を向くか、下を向くか」。
このような地図で世界を眺めれば、これまでとは違った風景が立ち上がるはずです。

プロフィール

芹沢一也SYNODOS / SYNODOS Future 編集長

言論プラットフォーム SYNODOS の運営・編集を担い、現代社会における言葉の扱われ方を実践の場で扱っている。1968年東京都生まれ。アカデミズムとジャーナリズムのあいだに位置する場としてシノドスを立ち上げ、専門知を社会にひらくことを目的とした活動を続けてきた。

株式会社シノドス代表取締役。政治・社会・科学技術など複雑な問題を、どのような言葉で提示すれば議論が成立するのか、その条件を整えることを編集の役割として位置づけている。特定の思想や立場を前提とせず、論点が共有可能なかたちで提示されることを重視している。

この編集的な視点は、言語教育の分野にも接続されている。シノドス英会話 を主宰し、大人のための英語学習に取り組む。表現の暗記や会話テクニックではなく、日本語と英語における思考プロセスの違いに着目し、「分かっているのに話せない」という状態がどこで生じているのかを整理することを出発点としている。

言論という社会的な実践と、英会話という個人の実践を往復しながら、言葉が社会と個人をどのようにつないでいるのかを、具体的な場面で扱っている。

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