2016.01.14

母乳育児推進の問題点――粉ミルクは本当に悪いのか!?

森戸やすみ 小児科専門医

科学 #母乳育児#粉ミルク

近年、粉ミルクがよいとされた昔とは反対に母乳育児推進が主流となり、「母乳は素晴らしい」「粉ミルクはよくない」という情報があふれています。

確かに母乳はよいものです。しかし、母乳は出にくい人もいれば、なんらかの事情であげられない人もいます。それなのに母乳に関する書籍やブログなどのほとんどは、母乳を過大評価する一方で、粉ミルクにはふれないか欠点だけを並べ立てるのみ。公平な視点に欠けています。これでは当然、「赤ちゃんに最良のことをしてあげたい」と考えるお母さんは、心身ともにバランスを崩しやすい時期であることも手伝って追い詰められがちでしょう。

実際、母乳を過大評価する医療従事者(主に助産師)や周囲の人に「母乳じゃないと」という価値観を押し付けられ、つらい思いをするお母さんはとても多いようです。2015年7月には、安全性が確保されていない母乳がインターネット上で売られていたことが報道されて話題になりました。安全性が担保されていない母乳を手に入れようとするほど、思い詰めるお母さんもいるのです。

このような状況に、私は以前から問題を感じていました。そこで2015年11月25日、兼ねてから母乳育児推進の問題点について共に話し合ってきた産婦人科医の宋美玄先生、担当編集とともに『母乳でも粉ミルクでも混合でも! 産婦人科医ママと小児科医ママのらくちん授乳BOOK』という本を出したばかりです。これは授乳中の方、また医療者向けの実用的な本ですが、今回は母乳育児推進の問題点について書いていきたいと思います。

粉ミルクから母乳へ

日本初の粉ミルクは大正5 (1917)年に発売され、徐々に一般の人たちに普及しました。粉ミルクが開発される前、母乳の出ないお母さんたちは大変苦労したはずです。他人からもらい乳をするとか、コンデンスミルクや牛乳を薄めたもの、重湯や米のとぎ汁といったものを与えるしかなかったという記録が残っています。子どもに必要な栄養を与えられる粉ミルクの登場は、とても喜ばしいものだったでしょう。

団塊の世代がベビーブームに突入した1970年代に粉ミルクの消費量はピークを迎え、母乳栄養の比率が低下して、混合栄養や粉ミルク栄養の比率が増加しました。「粉ミルクを赤ちゃんに与えるのは、母乳育児よりも先進的かつ合理的で、栄養面からも好ましい」と考える人も多かったようです。

ところが実際はそうではなく、母乳には粉ミルクにない利点が多くあります。母乳には免疫グロブリン、サイトカイン、成長因子といったさまざまな成分が含まれているため、免疫機能が未熟な赤ちゃんにとって感染症予防に役立つのです。衛生状態、栄養状態のよくない発展途上国だけでなく、先進国の中産階級においても約3倍も入院のリスクが下がることがわかっています(※1)。また、母乳は赤ちゃんの消化吸収能力や腎機能に最も適していることも確かです。

(※1)Jay Moreland, M.D., and Jenifer Coombs, P.A.-C., Am Fam Physician. 2000 Apr 1;61(7):2093-2100.

さらに母乳育児は、母親側にもメリットがあり、子宮の回復や体重減少を助け、月経の再開を遅らせます。

そこで、WHOとユニセフは1989年に、「母乳育児成功のための10か条」という共同声明を発表しました。以降、世界的に母乳育児を推進する世論が高まり、日本でも医師、助産師、栄養士を中心に母乳育児に対する指導が加熱しています。その一方で、母乳育児推進には問題点も見られるようになってきました。

問題点1 専門家が少なくデマが多いこと

まず、正しい情報を伝える専門家が少ないため、母乳に関してはさまざまな都市伝説や迷信が広まっています。

例えば、「質の悪い母乳や粉ミルクを飲むと、赤ちゃんの髪が逆立つ」、「粉ミルクだと必ずアレルギーや発達障害になる」などは根拠のないデマです。

そのほか、母がとった食事と乳腺炎には関連性がないという研究結果(※2)があるにもかかわらず「乳製品や脂肪分の多い食事をとると乳腺炎になるから、和の粗食にするべき」という迷信が当然のこととして広まっています。

(※2)ABM臨床プロトコル第4号乳腺炎(2014年改訂版)ABM Protocol Committee

「ファストフードを食べると、母乳がしょっぱくなる」などという、母乳の味についての説を耳にしたことがある人も多いでしょう。しかし、母乳中の乳糖とナトリウムの濃度は、母の食事に関係なく一定なのでデマです。「母の食事が悪いと、乳児湿疹が出る」などという人もいますが、乳児湿疹は子ども自身のホルモンが原因で、スキンケアが適切でないと悪化するものの、やはり母の食事とは関係ありません。

そのほか「母乳を与えている間は、薬を一切とってはいけない」という説もありますが、これも間違い。授乳中でも飲むことができる薬は、たくさんあります。

これらのデマを広めているのは、一般の人だけではありません。知識をアップデートしていない助産師や保健師、医師が広めていることが多々あります。ときにそういうデマ情報を伝える医療関係者は、母親に対して「母乳がまずいから赤ちゃんが飲まないんだ」などと高圧的であったり、「母親なら努力しないと」などと母を怠惰だと決めつけたりして、罪悪感を与えて追い詰めることもあるようです。

問題点2 情報提供が偏っていること

もう一つは、たとえ医学的に大きくは間違っていないとしても、母乳と粉ミルクに関する情報提供の仕方が偏っていることが挙げられます。

母乳育児を勧める側は、母乳のメリットを大げさに伝えがちです。例えば、「母乳で育てられた子どもはIQが高くなる」という話を聞いたことがある人は多いでしょう。母乳で育てられた子どもは成人してから知能レベルが高く高収入であるという研究論文が、イギリスの権威ある医学雑誌『ランセット』に掲載されました(※3)。ブラジルで新生児約3500人を30年間追跡調査したもので、30歳の時点でIQが約4ポイント高く、収入は1か月あたり約1万3千円多かったというものです。

(※3)Bernardo Lessa Horta Lancet Glob Health. 2015 Apr;3(4):e199-205. doi: 10.1016/S2214-109X(15)70002-1.

しかし、反論もあります。ロンドン大学の研究で一卵性双生児11000人が協力したものです(※4)。母乳育ちと粉ミルク育ちの子に分け、IQを測定したところ2歳の時点で女児には有意差があったようですが、16歳には男女ともその差が消失したとのことでした。つまり、現時点で「母乳育児でIQが高くなる」とするのは不適切でしょう。

 

(※4)von Stumm S PLoS One. 2015 Sep 25;10(9):e0138676. doi: 10.1371/journal.pone.0138676. eCollection 2015.

一方、粉ミルクについては、デメリットが大げさに伝えられがちです。例えば、「粉ミルクだと感染症になりやすい」と言われます。母乳育児で感染症のリスクが下がるのは確かですが、感染症を防ぐ手立ては母乳だけではありません。現代の日本で、粉ミルクだと病気になると心配しすぎる必要はないでしょう。

また、「粉ミルクで育てると、母子ともに病気になりやすい」ということを言う人がいるのですが、そんな論文はありません。確かに母乳育児をすると、子どもが喘息や肥満、糖尿病や生活習慣病、白血病になりにくい、母親が乳がんや卵巣がん、骨粗しょう症になりにくいというデータはあります(※5)。

(※5)American Academy of Pediatrics Section on Breastfeeding: Breastfeeding and the Use of Human Milk. Pediatrics 2005 Feb; 155(2) p496-506

アメリカ小児科学会がまとめたものですが、元論文をたどると、例えば1型糖尿病については「生まれてまもなく粉ミルクを与えられるとリスクが1.5倍になる」という内容でした。2型糖尿病については「この病気が多いピマインディアンにおいて、生後2か月の間、完全母乳栄養にするとリスクが下がる」という論文が元になっています。

つまり、これらは信頼できる研究結果ですが、ある何百~何千人という母集団における規定された状況で、あるいは数ある論文のレビューで、完全母乳栄養群、人工栄養群、混合栄養群に分けて比較すると各疾患になる数に統計学的に差が出たということ。母乳栄養でも病気になることはあるけれども、比べてみると人工栄養のほうが統計学的に多かったという意味です。これをもとに脅迫めいた表現で母たちを不安にさせるのは間違っているし、よくないでしょう。

そして、粉ミルクを最も飲んでいた世代、ベビーブーマーが問題なく育っているのは周知の事実です。衛生面で問題のない水が手に入る日本で、現在の知識と技術で可能な限り子どもによい栄養である粉ミルクを使うことを、極端に忌避する必要があるでしょうか。

問題3 無理な完母にはリスクがあること

実際、出産後スムーズに母乳が出る人ばかりではありません。産後2~3日の間に90%以上の母親で、多かれ少なかれ母乳分泌が開始します。産後4日目頃から徐々に分泌量が増加し、2~3週間後までに安定してくるといわれています。

しかし、母の体調や心理状態、新生児の全身状態、また社会的な事情や支援の多寡はそれぞれ異なります。すべてのお母さんが、必ずしも赤ちゃんが育つに充分な量の母乳が出せるとは限りません。ですから、医療関係者が母乳栄養だけで育てること(完母)を過度に褒め称えたり無理に勧めたり、粉ミルクのリスクを大きく伝えたり、お母さんが「絶対に母乳だけで育てないといけない」と思い込んだりしてしまうと危険な場合があるのです。

じつは「母乳育児成功のための10か条」の発表以降、母乳性高ナトリウム血症や低血糖脳症の報告が増えています(※6)。赤ちゃんが母乳の不足から、脱水や高ナトリウム血症になると、播種性血管内凝固症候群、脳浮腫、けいれん、腎不全、頭蓋内出血、血栓塞栓症などの致死的合併症が起こったり、神経学的後遺症が残ったりすることがあるのです。また、低血糖脳症になると、易刺激性や傾眠、無呼吸発作、低体温などの急性症状が生じたり、発達障害や皮質盲などの後遺症が残ったりすることもあります。

(※6)大橋敦他「日本小児科学会雑誌」2013 117(9)p1478-1482

母乳育児支援は、こういったことが起こらないよう慎重に行うべきものです。完全母乳栄養にするべく努力して感染症や将来の疾患をある程度は予防できたとしても、後遺症が残ってしまうようでは困ります。将来の疾患を防ぐことは、後遺症を残さないことよりも重要でしょうか?

今こそ偏りのない支援を

粉ミルクが流行した時代は過ぎ、母乳の素晴らしさが浸透した今こそ、両者について冷静に評価する時期だと思います。

医療者が母乳の利点を伝えて母乳育児を推奨すること自体はよいのですが、母乳を過大評価・粉ミルクを過小評価することなく、客観的な事実を伝えるべきでしょう。そのためにも、まず助産師・保健師の養成段階で、医学的に根拠のある正しい教育が行われることが大切です。

また医師が安易に母乳または粉ミルクの一方を勧めたり、間違った授乳指導をしたり、授乳中の女性に薬を一切出さなかったり、または薬を飲む場合に不要な断乳を勧めたりすることもあるので、いくら医師は病気の専門家であるとはいえども産婦人科医や小児科医、内科医は母乳に関する基本的な知識を身に付けるべきだと思います。

先にも述べた通り、お母さんの母乳分泌量には個人差があり、体力も環境も価値観も、それぞれに違うもの。母乳が素晴らしいものだと理解していたとしても、どこまで頑張れるかは人それぞれです。粉ミルクが赤ちゃんにとって危険なものではない以上、価値観の押し付けにならないような配慮も必要でしょう。母乳育児支援は「支援」を求める人に行ってこそ、支援と言えるのではないでしょうか。

また、お母さんが完全母乳栄養で育てたいと強く願っている場合でも、赤ちゃんが栄養不足や脱水や低血糖にならないよう、ご自身が産後うつや育児ノイローゼ、疲労による体調不良に陥らないことも重要です。母乳育児をがんばろうとした結果、赤ちゃんやお母さんの心身の健康が損なわれては本末転倒だということは、医療関係者はもちろん、お母さんやお父さんも知っておいていただければと思います。

そして、みなさんに何より知っておいていただきたいのは、「科学的な裏付けのない育児の都市伝説や迷信を拡散するのはよくないこと」だということ。特に初めての育児では、まじめなお母さんやお父さんほど「子供のために」と、さまざまな都市伝説や迷信を信じて追い詰められてしまいがちです。根拠のわからない俗説を広めないようにしましょう。

プロフィール

森戸やすみ小児科専門医

小児科専門医。1971年、東京生まれ。NICUなどを経て、現在は小児科に勤務。雑誌やブログ、Twitterなどを通して、主に子供の健康についての啓蒙活動を行っている。単著に『小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK』がある。

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