2016.09.28

スピリチュアリズムの危険性――『反オカルト論』

高橋昌一郎 / 論理学・哲学

科学 #反オカルト論#矢作直樹

『理性の限界』(講談社現代新書)をはじめとする「認識の限界」シリーズや、天才数学者たちの思想を論じた『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)などの人気著者・高橋昌一郎氏が、科学の発達した現代になおも潜む「オカルト」をバサバサと切っていくのが本書『反オカルト論』だ。

「血液型」「星座」「六曜」「おみくじ」など日常に溢れている「占い」も、楽しむレベルなら問題ないが、それらを信じ込み、実際の行動に影響を及ぼすようなら、まさにオカルトの罠に陥ってしまっている。有名な「丙午」は出処も分からない迷信だが、前回の昭和41年は出生率が25%も激減。その前の明治39年には4%しか減らなかったことを考えると、時代錯誤の驚きの事実である。

こうしたオカルト現象は、一般市民にとどまらず、「死後の世界」を煽って〝霊感セミナー〟を行う大学医師やSTAP細胞事件など、学問に携わる専門家や研究者の間でも頻発している。なぜ最先端の知を求める科学者やエリートまでも根拠のない〝トンデモ〟に騙されてしまうのか? ここでは、本書『反オカルト論』から『人は死なない』を著した東大病院の矢作直樹氏について論じた第六章を紹介し、「霊魂」や「来世」の問題について考える。(光文社新書編集部)

溺れる者は藁をも掴む!

助手 二〇一五年十一月二十六日、1型糖尿病と診断されている七歳の男児に対して、治療に不可欠なインスリンを「あれは毒だ」と言って注射させず、衰弱死させた「自称祈祷師」の六十歳の男が、殺人容疑で逮捕されました。この種の事件が起こるたびに、犠牲者が痛ましくて……。

教授 生活習慣の影響から成人に多く発症する「2型糖尿病」と違って、「1型糖尿病」は自己免疫性疾患などが原因で小児期に多く発症する。日本では、毎年十五歳未満の小児十万人に約二人の発症率といわれる。血糖値を調整するホルモンのインスリンが膵臓から分泌されなくなる病気だから、これを注射で補わなければ、血糖値が異常に増加して意識障害や昏睡に陥り、最終的には死に至る。

助手 逮捕された男は、自ら「龍神」と名乗り、「心霊治療」で「どんな病気も治せる」と豪語していたそうです。「死神を祓う」という名目で、呪文を唱えながら手かざしを繰り返し、両親から数百万円を搾取していたということです。どうしてこんなバカげた話に騙されてしまうのか、理解できないんですが……。

教授 現在のインスリン注射器は万年筆型で、細い針を使用しているため、ほとんど痛みを感じさせないものもあるようだ。一日数回のインスリン注射さえしておけば、健常者とまったく同じように運動も生活もできる。私の友人にも1型糖尿病患者がいるが、一緒に飲みに行くと平気でワインのボトルを空けているよ。

そうはいっても、小学校低学年の児童が一日に何度も自分で注射しなければならないのは大変な負担だろうし、両親にとっても重荷であろうことは推察できる。そして、人は、苦悩が深ければ深いほど、その苦悩から解放してくれる話に、安易に飛びつきやすくなってしまうからね。

助手 両親も保護責任者遺棄致死容疑で書類送検されているようです。二人は男児が「どうして僕だけ注射を打たないといけないの」と嫌がっていたので「藁にもすがる思いで頼んだ」と話しているそうですが……。

教授 一九六〇年代のアメリカで、その男児と同じ七歳の女児が亡くなった事件がある。彼女の父親は「アメリカ自然健康法協会」の元会長で、現代医学を否定し、あらゆる病気は、断食や菜食などで「自然治癒」できると信じていた。

彼は、娘が病気になると、十八日間水だけの断食を行わせ、その後の十七日間はジュースしか与えなかった。女児は、栄養失調のため衰弱死に至った。

助手 悲惨なのは、いつでも子どもたちですね。

教授 そもそも「溺れる者は藁をも掴む」というのは、溺れたときに藁などを掴んでも助かるはずがないのに、人は非常に困窮すると、役に立たない無用なものにすがってますます困窮してしまうという、どちらかといえば他者を嘲笑する言葉だ。同情を誘うための言葉ではないんだがね。

男児の事件では、インスリン注射という「救命ボート」から男児を引きずり下ろし、わざわざ役に立たない心霊治療という「藁」を掴ませたのだから、関係者の責任は限りなく重大だ。

助手 二〇一五年九月二十四日に胆管がんのため五十四歳で逝去した女優の川島なお美氏も、抗がん剤治療を拒んで、心霊治療に頼ったことが話題になりました。彼女が通った「貴峰道」のサイトを見ると、「万病一邪。邪気を祓えば病が治る」と説き、純金製の棒で患部をこすれば「邪気(病を引き起こす気)」を取り除け、「難病」に効果があると述べています。

教授 棒で患部をこするだけでがんが消えていたら、今頃はファンも大喜びだろうが、結果的に病は治らなかった。彼女のすがった心霊療法も「藁」にすぎなかったというわけだ。

助手 何より許せないのは、溺れかけている人に幻想の「藁」を掴ませて儲ける「霊感商法」。もっと厳しく取り締まれないのかしら!

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いつから人間になるのか

助手 先生、私の親友が流産してしまいました。昨年の秋に結婚式を挙げて、「ハネムーン・ベイビー」だと大喜びしていたのに……。

新婚夫婦ともにガッカリしているところに、追い打ちをかけるように、流された「水子」を「供養」しなければ「祟り」があると言ってきたオバさんがいるそうで、世の中には本当に無神経な人がいるものですね。

教授 「水子」とは、『古事記』でイザナギとイザナミの最初の子「水蛭子」が海に流された故事から転じて、亡くなった胎児や新生児を指すようになった言葉だ。

最も辛い思いをしているのは当事者の女性だろうが、日本ではそこに付け込んで「水子供養」を売り物にする占い師や新興宗教が一九七〇年代から増えてきた。

助手 そもそも胎児は、どの時点から「人間」とみなされるのでしょうか?

教授 「母体保護法」では、母親の身体的あるいは経済的理由などにより、妊娠二十二週未満の胎児の人工中絶手術が認められている。つまり、二十二週未満の胎児は、法的に人間とはみなされていないことになるね。

しかし、たとえばキリスト教原理主義は、受精卵の時点ですでに神が人間の生命を与えているとみなし、人工中絶を殺人に相当する大きな罪と考える。そこで欧米では、女性の自己決定権を重視する「プロチョイス」派と、胎児の人権を重視する「プロライフ」派の二つの対極的立場が、大きな対立を続けている。

助手 受精卵から胎児になっていく過程は、どのようになっているんですか?

教授 精子が卵子と結合して「受精卵」になると、合体した細胞は、即座に細胞分裂を始める。細胞分裂を始めた受精卵は「胚」と呼ばれるが、受精後数時間で胚に「内胚葉・中胚葉・外胚葉」の三層構造が生まれ、それぞれが多種多様な器官に分化し始める。

二、三週目には、外胚葉に神経管が形成され、その底部にはニューロンのような細胞が発生して中枢神経系が形成され、上部には末梢神経系が形成される。四週目になると、この神経管の中央部に「前脳・中脳・後脳」の三つの領域が生まれ、脳の基礎が形成される。五、六週目には、脳内に電気的な活動が始まる。

助手 ということは、知覚が始まっているのかしら?

教授 いやいや、この時期の神経活動は、ニューロンが無秩序に電気信号を発するだけで、エビの神経系よりも未熟だ。この時点では、まだ人間の胚もブタの胚も区別できないくらいだからね。しかし、八週目を過ぎる頃から、人間の胚らしくなって「胎児」と呼ばれるようになる。ニューロンは急激に増加して脳内を移動し、全身で反射運動が生じる。

十二週目には、左右の脳半球が分かれ、十三週目にはそれらの脳半球をつなぐ「脳梁」と呼ばれる線維の束が作られる。この頃の胎児は、一種の「反射神経の塊」となって、刺激に対して身体を動かすようになるが、まだ何かを知覚しているとはいえない。

十六週目になると、「前頭葉・側頭葉・後頭葉・頭頂葉」が形成され、大脳皮質の表面にしわが寄り始める。十七週目には、ニューロンとニューロンを結合するシナプスが形成され、これによってニューロン間の情報交換が可能になる。

助手 その時点でも、人工中絶は可能なんですね……。

教授 二十二週目には、胎児が不快な刺激に対して明確に反応するようになり、現代医療のサポートさえあれば、母体の子宮から出て、保育器の中でも正常な脳を備えた人間として生存できるようになる。そこで先進諸国では、胎児を「人間としての尊厳を備えた存在」として法律で保護すべきなのは、「二十二週」以降が妥当だとみなしている。日本の「母体保護法」も、この見解と一致しているわけだ。

助手 いずれにしても、科学的事実に基づく「生命」の議論に、「祟り」のようなオカルトが入り込む余地はないですよね。

矢作直樹氏と「見えない光」

助手 昨夜、時間をかけて話し合った結果、母が父の霊を気にしている理由がわかりました。矢作直樹著『人は死なない』に、人間の肉体は滅びても霊は生き続ける、つまり「人は死なない」と書いてあって、それに影響を受けているんです!

この本の表紙には、出版当時の矢作氏の肩書が「東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授、医学部附属病院救急部・集中治療部部長」と大きく宣伝されていて、母は、この肩書で信用したらしくて……。

教授 矢作氏といえば、新聞記事のインタビューで、立派な意見を述べていたよ。「危険な宗教には近寄ってはいけません。見分けるのは簡単です。心身を追いつめる、金品を要求する、本人の自由意志に干渉する、他者や他の宗教をけなす、そんな宗教は危険です」(『読売新聞』二〇一三年二月十五日付)とね。この「危険な宗教」の見分け方は核心を突いていて、一般読者にも有益なのではないかな。

助手 でも、最近の矢作氏は、まさに自分が批判している「金品を要求する」スピリチュアリズムに加担しているらしいんですよ。

「告発スクープ・大ベストセラー『人は死なない』著者・東大病院矢作直樹救急部長・大学内で無断霊感セミナー」(『週刊文春』二〇一五年四月十六日号)によると、矢作氏は、都内マンションの「ヒーリングサロン」に現れては「手かざし」を行っているそうです。

「矢作氏はひとりの女性に近づき、掌 をかざして頷きながら目を瞑る。約三分続けた後、こう語りかけた。『いま見えない光を送り込みました。うん、見えない光をね』」と……。

教授 「見えない光」だって? 一般に、電磁波の中で、視覚で認識できる波長を「可視光線」つまり「光」と呼び、それ以外の紫外線や赤外線のような「不可視光線」は「光」とは呼ばない。だから「見えない光」という言葉自体、矛盾しているんじゃないかな。

助手 ですよね。それで私も矢作氏の本を読んでみたら、その類の科学用語のオカルト的流用や飛躍が多くて、ビックリしたんです。

たとえば矢作氏は「人知を超えた大きな力の存在」を「摂理」と呼びながら、その存在の根拠には触れていません。それどころか「そもそも摂理や霊魂の概念は、自然科学の領域とは次元を異にする領域の概念であり、その科学的証明をする必要はないのではないでしょうか」と述べています。

この論法を認めると、自然科学と「次元を異にする」と開き直れば、どんな概念でも「科学的証明」なしで使えることになってしまいます。

評論家の立花隆氏は、矢作氏の著作について、次のように評価しています。「文章は低レベルで『この人ほんとに東大の教授なの?』と耳を疑うような非科学的な話(たとえば、百年以上前にヨーロッパで流行った霊媒がどうしたこうしたといった今では誰も信じない話)が随所に出てくる。これは東大の恥としかいいようがない本だ」(『文藝春秋』二〇一四年十月号)

教授 それで、「金品を要求する」スピリチュアリズムとは、どういうことなの?

助手 『週刊文春』の記事によると、矢作氏が「手かざし」を行っているサロンの経営者は、一度の「ヒーリング」で三万円、さらに「不健康を避けるためには先祖供養が必要」と十万円の追加料金を徴収することもあるそうです。

矢作氏は、その経営者と同じ部屋に居るわけですから、「患者」からすれば、東大教授がお墨付きを与えているように映るのではないでしょうか?

教授 もし現役の医師が治療と称して「手かざし」を行ったり、先祖供養に金品を要求する「霊感商法」に関わっていれば、「医師法」に抵触する可能性がある。

そもそも矢作氏は、自分の書いた書籍が一般読者に及ぼす影響力を、どのように認識しているのかな……。

矢作直樹氏の「人は死なない」?

教授 東大教授で附属病院医師といえば、何よりも理性的な判断が求められるはずだ。なぜ矢作直樹氏は、スピリチュアリズムに傾倒するようになったのか……。

助手 矢作氏は、次のように書いています。「大学で医学を学び、臨床医として医療に従事するようになると、間近に接する人の生と死を通して生命の神秘に触れ、それまでの医学の常識では説明がつかないことを経験するようになり、様々なことを考えさせられました。そうした経験のせいもあって、私は極限の体験をした人たちの報告、臨死に関するレポート、科学者たちが残した近代スピリチュアリズム関係の文献を読むようになりました」(前掲書)

教授 たしかに、多種多様な人間の「死」と日々直面しなければならない臨床・救急医療の従事者には、我々に計り知れない心労があるのかもしれない。

とはいえ、必ずしもそこから「スピリチュアリズム」に飛躍する必然性もないわけだがね。それで、どんな文献を参照したんだろう?

助手 驚いたことに、矢作氏は、フォックス姉妹のイタズラだった「ラップ現象」を「近代スピリチュアリズム史上初の他界との交信、すなわち人間の死後存続を証明する事例」と認めています。さらに、ウィリアム・クルックスを「イギリス科学界の重鎮」、シャルル・リシェを「ノーベル生理学・医学賞を受賞した第一級の科学者」と紹介し、彼らの心霊研究を学界で認められた既成事実であるかのように引用しています。

教授 矢作氏は、その二人の著名な科学者が、霊媒師アンナ・フェイやミナ・クランドンに騙されたことも、調査していないんじゃないか。もちろん、フォックス姉妹についても、まったく理解していないようだ。

スピリチュアリズム関係の文献には、平気で嘘を真実のように並べたものもある。しかし、彼も研究者である以上、文献を安易に受け入れてはならず、批判的文献を比較検討して信憑性を明らかにしなければならないことなど、重々承知しているはずだが……。

助手 二〇〇七年五月、矢作氏の母親が入浴中に孤独死しました。遺体は死後三日間、発見されず、矢作氏が検視に立ち会った際、「遺体の傷み方がひどく、水没した顔は皮膚が弾けんばかりに膨れて、本人の確認ができないほど」だったそうです。

「私は、生前の母に対して親孝行らしきこともせず、また晩年の母にも十分な対応をしてやれなかったことがひどく心残りで、毎晩寝る前にそうした悔悟の念を込めて手を合わせていました」(前掲書)

この事件が矢作氏の大きな「自責の念」に繋がり、その後「交霊」によって「母と再会」したことによって、肉体は滅びても霊魂は生き続けると「確信」するようになったそうです。

教授 すでに触れたコナン・ドイルや浅野和三郎をはじめ、家族の死をきっかけにスピリチュアリズムに没頭するようになる事例は多い。

助手 だから、交通事故で突然、無残な姿になった父を看取った私の母も、矢作氏の本を読んで共感したみたいです。父の霊魂が別世界で生きていると思う方が、母も精神的に安定できるらしくて。その気持ちは、娘の私もよくわかるのですが……。

教授 もし人間の本質が「霊魂」であれば、「死」そのものが存在しなくなり、いわば「生きる世界」が変わるだけの話になる。これは、何も目新しい発想ではなく、世界各地の古代社会から散見される信仰形態の一つだからね。

助手 でも、いくら気が楽になるからといって、母には「来世」ばかりに執着してほしくないのです。

そもそも、どうして矢作氏のように立派な肩書の科学者が、霊媒師を疑うことも追及することもなく、「母と再会」したという「交霊」をナイーブに事実として受け入れ、それを根拠に「霊魂」の存在を「確信」し、さらに「人は死なない」と断言できるのでしょうか。

教授 人間は、見たいものを見て、信じたいものを信じるという顕著な一例だね。

矢作直樹氏の「手かざし」?

助手 矢作直樹氏は、二〇一一年の『人は死なない』に続けて、二〇一四年には『おかげさまで生きる』というベストセラー書籍を生み出しました。

こちらの本の表紙は、青い医療用ウエアを着た矢作氏の写真。帯には「死を心配する必要はない・救急医療の第一線で命と向き合い、たどりついた、『人はなぜ生きるのか』の答え」とあります。

教授 いかにも多くの読者を惹きつけそうなタイトルだが、なぜ「死を心配する必要はない」のかな?

助手 その理由は、「そもそも私たちの本質は肉体ではなく魂ですから、病気も加齢も本当は何も怖がる必要はないのです」ということで、一貫していますね。

さらにこの本には「肉体の死は誰にも等しくやって来ますが、死後の世界はいつも私たちの身近にある別世界であり、再会したい人とも会えます」と書いてあります。

教授 どうしてそこまで断定できるんだろう……。

助手 矢作氏が「死後の世界」を信じるのは自由でしょうが、それを既成事実であるかのように本に書くことには大きな問題があると思います。とくに本の表紙に「東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授、医学部附属病院救急部・集中治療部部長」と記載されている場合は……。

矢作氏の著作では、「現実」と「非現実」が区別されないまま同じ文体で語られていくため、いつの間にか読者はスピリチュアルな世界に引き込まれる仕組みになっています。

教授 まさにそれは、科学者というよりも宗教者の執筆スタイルだなあ……。

助手 たとえば「救急には毎日のように、重篤な患者さんが運ばれてきます。……大半は意識がなく、場合によっては心肺停止状態で担架に乗せられてやって来ます。交通事故、殺傷事件、自殺未遂、脳卒中、心筋梗塞」というのは、明らかに「現実世界」の話。

ところが同じ本の後半には、私たちが「競技場で動くプレーヤーのような存在」で、現実世界における苦難を「乗り越え、課題をクリアし、人生という競技を学ばなければならない」とも書いてあります。

比喩的に道徳を語るのかと読み進めていくと、「観客席には他界した方々がいて、声援を送りながら私たちを見守ってくれています」と、すでに話は「非現実世界」に飛んでいるんです。

「私たちが疲れ果て、へとへとになり、悩んでいるそんな時でも、観客席からは『負けるな』という声援が飛んでいます。そして、何らかの難しい局面を無事に乗り切った時は、『よくやった』とご先祖さまたちは拍手喝采です」(前掲書)

教授 すると、難しい局面を乗り切れなかったときには、「ご先祖さまたち」が「観客席」でブーイングするのかな。まるで、おとぎ話かマンガのような世界観だね。

助手 私が『週刊文春』のスクープ記事を読んで一番驚いたのは、「手かざし」について記者から尋ねられた矢作氏が、次のように答えていることです。

「普通の治療で治らない時にそういうものを成仏させる。誰にも憑いている守護霊団というのがあるんですが、(記者を見つめて)あなた様方のところにも、こう重なって我々には見えるわけですね。エネルギーを出す力はたぶん私が一番強い。先祖の名前くらい言ってくれれば五秒くらいでアクセスできますよ」

教授 その記事によれば、矢作氏は、他人の「守護霊」が「見える」と同時に「先祖霊」に「アクセス」でき、医学的治療で治らない患者に対して、「そういうものを成仏させる」こと、すなわち「除霊」を目的として「手かざし」を行っていることを認めているわけか。

もしかして矢作氏は、東大病院に救急で運ばれてきた末期患者にも「手かざし」しているのかな?

助手 正直言って私、スピリチュアリストが「救急部・集中治療部部長」を務める病院に救急車で運ばれるのは怖いんですが……。

『週刊文春』の取材に対して、「東大病院パブリック・リレーションセンター」は、すべての質問に対してノー・コメント、「理由を含めコメントいたしません」と回答したそうです。ちょっと、無責任すぎるんじゃないかしら?

「未来医療研究会」はオカルト研究会?

助手 矢作直樹氏が「顧問」を務めている「未来医療研究会」のサイトを見てみました。

第一回研究会は、二〇一四年五月十七日・十八日、東京大学医学部教育研究棟二階のセミナー室で開催されています。

教授 未来医療といえば、文部科学省が二〇一三年に「未来医療研究人材養成拠点形成事業」を開始したね。これは「世界の最先端医療の研究・開発等をリードし、将来的にその成果を国内外に普及できる実行力を備えた人材」および「将来の超高齢社会における地域包括ケアシステムに対応できるリサーチマインドを持った優れた総合診療医等」の養成を目的とする総額二十二億五千万円の事業だ。

全国で二十五件のプロジェクトが採択され、東大も二件で選定された重要拠点だから、その関連で立ち上がった研究会なのかな?

助手 いえいえ、文科省選定プロジェクトとは、まったく関係ないみたいです。未来医療研究会のサイトには、東大医学部附属病院循環器内科助教の稲葉俊郎氏が「個人で主催」と明記してあります。とはいえ「未来医療研究」まで同じ名称なので、紛らわしい気もしますが。

教授 いずれにしても、「超高齢社会」を迎える日本にとって、「未来医療」は最優先テーマの一つだ。専門家諸氏には、大いに研究を推進してほしいものだよ。

助手 私もそう思って、過去の未来医療研究会のプログラムを調べたら、目が点になってしまって……。

第一回研究会のプログラムには、「色や自然のイメージを使った呼吸法」や「アートセラピー」や「ダンスセラピー」があって、これらは心理療法の一種かもしれません。

ところが、「神秘龍を媒介とした新しいエネルギー療法」という「神秘龍ヒーリング」、「霊気をさらに応用・発展させた」という「メディカルレイキ」、「花のエネルギーを水に転写し自然の力で活性化」させたという「心のバランスの乱れを調整するフラワーエッセンス」のような発表は、いったい何なのか……。

教授 未来医療というよりも、まるでオカルトの研究会みたいじゃないか!

助手 第二回研究会は二〇一四年七月十二日に東大医学部教育研究棟で開催。プログラムは、「スピリチュアル・ヨーガ」「樹々・植物との対話法」「カイロプラクティック」「直傳靈氣を現代医療に融合」「ヒプノセラピーを使った自然出産」など。

第三回研究会は二〇一四年九月十四日に東大病院中央診療棟の会議室で開催。プログラムは、「インド密教宿曜経」による「からだ占い」「スパイラルセラピー」「エジプトの神秘形状学」に基づく「ダウジングヒーリング」「運動療法とエネルギーヒーリング」など。

教授 最先端医療を議論しているはずの東大病院の会議室で、占いやヒーリングの研究会とは驚きだね……。

助手 サイトによれば、未来医療研究会は「特定の考え方やヒーリング技術や人の優劣を競う場ではなく、全員が地球で学ぶ同級生としてお互いを認め合い、研鑽しあい、互いに協力していく場」だということです。

研究会の「イメージ」は、孔子の「君子は和すれども同ぜず。小人は同ずれども和せず」。「特定の考えの押し付けをせず、『みんな違って全部いい』という自由な立場を何よりも大切」にしているそうです。

教授 現代医学に固執せず、代替医療でもスピリチュアリズムでも、良い点は何でも取り入れようという趣旨だろう。いわば「清濁併せ呑む」度量の広い研究会だと自賛したいんだろうが、実はその種の発想は、学問を重視した孔子が最も強く非難したものなんだよ。

孔子の「君子は和すれども同ぜず」の本来の意味は、「人と協調することは大事だが、学問の道理に合わないことに同調してはならない」ということ!

助手 「みんな違って全部いい」なんてライフスタイルやファッションみたい。人命を預かる医師の研究会として不見識すぎませんか。

スピリチュアリズムの危険性

助手 おかげさまで、母も元気になりました。今朝は久しぶりにスッキリした笑顔で、来月は友人と一緒に海外旅行に出掛けるとかで、準備で大騒ぎしていて、これまでずっと心配していた私がバカみたいでした。

教授 それはよかったじゃないか。「霊魂」や「来世」のような話ばかりに囚われていると、何よりも現実世界の健康に良くないからね。

助手 霊魂が存在するとしても、医学的に受精卵のどの段階から物理的な人間の中に入り込むのか不明なことや、「霊感商法」の危険性など、先生から伺ったことを母と話し合ってみたんです。

教授 ほほう。それで、どうなったのかな?

助手 ハッキリと結論らしい結論に至ったわけではないのですが、少なくとも「霊魂や来世が存在すると絶対的に言い切る」のが怪しいという点だけは、納得できました。

そもそも近代スピリチュアリズムがフォックス姉妹のイタズラから始まったこと、あの理性的な名探偵シャーロック・ホームズを生んだ作家コナン・ドイルや、ウィリアム・クルックスとシャルル・リシェのような一流の科学者でさえ、霊媒師やトリック写真に騙された顛末から、悪徳スピリチュアリズムに騙される危険性についても、十分認識できたと思います。

教授 矢作直樹氏の著作から影響を受けているという話は、どうなったの?

助手 決め手になったのは、「スペシャル対談・矢作直樹東大病院救急部・集中治療部部長×江原啓之 『死後の世界』は絶対に存在する」(『週刊現代』二〇一四年九月二十日号)という記事でした。

これを母に読ませたら、まるで目が覚めたみたいに、あっさりと父の霊の話をしなくなりました。

教授 なんだって? 「『死後の世界』は絶対に存在する」という記事を読んだら、「死後の世界」を信じなくなったということ?

助手 うふふふ、そうなんですよ。この記事の中で矢作氏は、次のように発言しています。「霊媒の力がある友人を通して、私は母の霊魂と会話をしました。……私が気になっていた、なぜ死ぬ前に結婚指輪を外していたかという理由も、話してくれました。結婚指輪のことは、私以外誰も知らないことです。一般常識では信じられないでしょうが、私は自分が死んだ母と会話をしているという確信を持つにいたりました」

この発言だけを読むと、まるで霊媒師が「私以外誰も知らない」結婚指輪のことを指摘したみたいですよね。

ところが、その三年前の二〇一一年に矢作氏が著した『人は死なない』では、「霊媒の力がある友人」に矢作氏から質問しているんです。「もう一つ疑問に思っていたことを訊ねてみました。『亡くなったときに結婚指輪を外していたけれど、いつ外したの?』」

つまり矢作氏は、自分から結婚指輪の情報を霊媒師に与えているわけですから、これでは本当の「霊媒の力」も疑問だし、交霊そのものさえ怪しくなってしまいます。このことに気付いた瞬間、私の母は、矢作氏に対する信頼感が一挙に吹き飛んだそうです。

教授 自分で疑問点を発見し、推論し、結論を導いたとは、すばらしい!

助手 ついでに私が気になったのは、矢作氏が、対談で「私は江原さんに感謝しているんです。江原さんがテレビなどで根気強く説いてくださったおかげで、一定数の日本人には霊的な存在を受け入れる『土台』ができた」と述べている点です。

「霊的な存在を受け入れる『土台』」には、カルト宗教や霊感商法の蔓延を助長する大きな危険性もあるのではないでしょうか?

教授 地下鉄サリン事件から二十年、オウム関連の事件でさえ風化し始めている。スピリチュアリズムが社会に何をもたらすのか、改めて我々一人ひとり、よく考えてみる必要があるだろうね。

「胎内記憶」と未来医療研究会

助手 先生、私の親友が流産したことは、お話ししましたよね。新婚なのにガッカリしていたって……。昨日、その彼女と同窓会で会ったら、「私は赤ちゃんに選ばれなかった」などと変なことを言い出したんですよ。

教授 選ばれなかった?

助手 『かみさまとのやくそく──胎内記憶を語る子どもたち』という映画を観たらしいんですが、そのテーマが「赤ちゃんはママを選ぶ」だったそうです。

教授 「生まれ変わり」は、スピリチュアリズムが発生して以来、手を替え品を替えて登場するオカルトだが、最近は、そんな映画まで制作されていたのか……。

助手 二〇〇八年に『胎内記憶』という本を発行し、その映画に登場するのが、池川クリニック院長の池川明氏。彼は、自分のホームページで次のように述べています。

「雲の上では、子ども同士で『あのお母さんがかわいい』『あのお母さんがきれいだ』などと話しながら、自分たちのお母さんを世界中の国から選んでいるらしいのです。中でも一番多い決定基準が『やさしそうだから』というのです」

教授 「かわいい・きれい・やさしそう」というのは、「子ども」というよりも、日本の大人の男性が求める典型的な「女性的役割」だろう。アメリカやヨーロッパでは、知的でバイタリティに溢れて効率的に仕事をこなす女性の方が「お母さん」のイメージだと思うよ。

しかも「世界中の国」と簡単に言うが、アジアやアフリカを含めて何十億人の女性を想定しているのかな? その発言だけで、どれほど怪しい話か想像がつく。

助手 池川氏は、幼稚園や保育園の幼児に対するアンケート調査から、「三人に一人の子ども」に「胎内記憶」があることが「明らかになった」と述べていますが、統計的に有意な科学的調査を行った形跡はありません。

女性に対するジェンダー・バイアスもさることながら、産婦人科の医師でありながら、池川氏が「過去生記憶」(過去に別の人物として生きていた記憶)や「中間生記憶」(前世の終了時から受精までの記憶)を当然の前提として話を進めているのには驚きました。

教授 子どもは、大人に気に入られるように話を作るものだからね。「かわいい・きれい・やさしそう」なママの話をして、池川氏を喜ばせたんじゃないかな。

助手 あははは。大の大人が、幼稚園や保育園の幼児に遊ばれているわけですか。

それにしても、驚くのは池川氏が「流産していく赤ちゃんや中絶される赤ちゃんたちが喜んで旅立つイメージ」と言い放っていること。さらに「『もう2度と流産するお母さんを選ばなくてもいいよ。次はまた別の役目を果たすためにがんばってね』というプレゼントができる」とも述べています。この種の言葉が、どれだけ流産した女性を傷付けるかと思うと……。

教授 池川氏の話を聞いていると、肉体は滅びても魂は生き続けるから「人は死なない」と主張する矢作直樹氏を思い出すね。

助手 言い忘れていましたが、『かみさまとのやくそく』の上映会は、矢作氏が顧問を務める未来医療研究会の主催でした。そこで池川氏と矢作氏は、一緒に登壇して挨拶したそうです。

教授 類は友を呼ぶわけか。

矢作氏は二〇一六年三月で東大を定年退官ということで、「東大の救急医療の来し方」という最終講義を行ったようだ。さすがに「死後の世界」や「ヒーリング」の話にまでは踏み込まなかったようだが。結果的に、東大医学部教授会は、社会的説明責任を果たさずに終わったね。

助手 でも、未来医療研究会の主宰者は、今でも東大医学部付属病院循環器内科助教ですから、医学部教授会がどのように認識しているのか、伺いたいものです。

教授 世の中は奇妙な主張や霊感商法で溢れているが、東大教員の研究会主宰となると、お墨付きの誤解を与えかねない。社会的影響を十分配慮してほしいものだ。

解説──プロジェクト・アルファ

本章のエピソードで中心になる主題は、矢作直樹氏や池川明氏のような「医師」がスピリチュアリズムを擁護している現状に対する問題提起である。現在でも、東京大学医学部助教が主宰する未来医療研究会は実在し、相応の社会的影響力を持っている。そこにオカルト関係者が参加している状況を、どのように認識すればよいのだろうか。

ここでは、過去に大学の研究機関が「超能力」を扱った実例を考えてみよう。

一九七九年、マクドネル・ダグラス航空株式会社の会長ジェイムズ・マクドネルは、ミズーリ州セントルイスのワシントン大学に「マクドネル超心理学研究所」を設立するため、当時としては破格の五十万ドルを寄付した。彼は、科学技術者である一方で、超常現象に深く関心を持っていたため、この寄付によって「超心理学」を発展させようと考えたのである。

研究所の所長に就任したのは、ワシントン大学物理学科のピーター・フィリップス教授だった。彼は記者会見を開いて、とくに子どもの超能力を重点的に研究すると発表した。これに対して、全米から三百人近い応募者が殺到し、審査の結果、ペンシルベニア州の病院職員スティーブ・ショウとアイオワ州の学生マイケル・エドワーズが被験者として選ばれた。二人は、当時十七歳と十八歳だった。

その後三年以上にわたって、二人の少年は、研究所内外で実施された多種多様な実験において、凄まじい「超能力」を次々と発揮した。彼らは、「念力」によって、スプーンやフォークはもちろん、アクリル板に埋め込まれた金属片も自由自在に折り曲げ、密封ビン内部のヒューズをショートさせ、静電気防止材でカバーされたガラス・ドーム内部のアルミニウム回転翼を外から回してみせた。

研究所は、被験者のトリックを未然に防ぐため、手品師ウィリアム・コックスをコンサルタントに任命していた。コックスは、ボルトと南京錠で頑丈なテーブルに水槽を据え付けて「絶対にトリックでは破れない」密封容器を作製し、その唯一の鍵はフィリップス所長が首にぶら下げていた。

しかし、その翌日、二人の少年は、その容器内部の対象物を「超能力」で奇妙な形に折り曲げてみせた。スティーブは、コックスの設計した他の小型密封ビン内部のパイプ・クリーナーを、部屋の反対側から「念視」するだけで、人間の形に曲げてみせることもできた。これらは、すべて超常現象として記録された。

ところが、驚くべきことに、研究所の厳重な審査を経て選ばれた二人の少年が、実は奇術師ジェームズ・ランディの弟子だったのである。もちろん、二人の「超能力」も、すべてトリックだった。ランディは、この潜入作戦を「プロジェクト・アルファ」と呼んだ。

二人の少年は、研究員から「トリックではないか」と尋ねられた場合は、即座にその事実を認め、「ランディによって送り込まれた」と正直に答え、いっさいの責任はランディが取る約束になっていた。ところが、研究所の研究員は、最後まで二人の「超能力」を微塵も疑おうとせず、一度も問い質すことがなかったのである。

プロジェクト・アルファの開始直後、ランディは、フィリップス所長に、超能力実験に関する十一項目の注意事項を送った。これには、実験途中で被験者に最初の計画を変更させてはならない、逃げ口上の余地を与えることになるため被験者の気まぐれな要求に応じてはならない、実験の周囲の状況は厳密にコントロールされなければならない、などの項目が含まれていた。

しかし、最初の実験から、研究員らはランディの提案した注意事項を無視したため、被験者が実験を思い通りにリードすることができた。被験者は、実験条件が気に入らなければ、怒ったりかんしゃくを起こしたりもした。二人の少年は、自称超能力者ユリ・ゲラーがスタンフォード研究所の実験で取った行動に多くのヒントを得ていたのである。

若いが有能な手品師のスティーブとマイケルにとって、「超能力」を発揮することは、いとも簡単だった。透視実験の一種では、絵の入った封筒が被験者に渡される。被験者は、封筒とともに一人で残され、その後、封筒を実験者に戻し、開封の痕跡がないとの確認を受け、封筒に入っていた絵を当てる。二人の少年は、この実験で、かなりの成功を収めた。一〇〇パーセントでなかった理由は、少年たちが、成功率が高すぎると逆に怪しまれると考えて、故意に成功率を下げたからである。

手順は簡単だった。封筒は、数個のホッチキス針で留められていたので、それらを外して中身をのぞいてから、もとのホッチキス針の跡に、うまくホッチキス針を留め直したのである。マイケルは、実験中にホッチキス針を失ったことがあったが、それをごまかすために、実験者に対面した際、腹を立てて自ら封筒を破ってみせた。この種の実験内容の変更も、そのまま受け入れられてしまった。

研究所を訪れたミネソタ大学教授の物理学者オットー・シュミットは、二人に小型デジタル時計を渡して、超能力で変化させるように指示した。最初から完全に密封されている製品である。マイケルは、昼休みに、この時計を研究所から隠して持ち出し、セルフ・サービス式のレストランで昼食を取ったとき、それをサンドイッチに挟み、電子レンジにかけた。デジタル時計は完全に狂って、意味不明の液晶表示を始めた。シュミット教授は、これこそが「超能力のすばらしい威力」だと言って、マスコミに驚嘆してみせた。

ニュージャージー州のリハビリテーション・エンジニアリング国立研究所では、精神科医バーソルド・シュワルツが、スティーブを被験者とする実験を行い、膨大な報告書を作成した。彼は、スティーブにビデオカメラを渡して、周囲を撮影するように指示した。そのビデオテープを現像すると、いくつかのコマの中ほどに、奇妙にぼやけた渦巻が写っていた。シュワルツは、それらの「渦巻」の中に、「動いている顔、キリストの顔、UFO、女性の胸像、乳首、胸、太腿、生まれてくる子ども」を発見して、詳細な精神分析を行った。その場にいた研究員らは、フィルムにそのようなものが現れた原因を「超常現象」以外とは思えなかった。ところが、実際には、その渦巻は、スティーブがレンズの上に吐いた唾だったのである。

後にランディは、次のように述べている。「プロジェクト・アルファが成功を続けたのは、研究員たちが、マイケルとスティーブを本当の超能力者だと信じていたからである。仮に二人が手品師として同様のトリックを使っていたら、これほどうまくやってみせることはできなかっただろう」

マクドネル超心理学研究所の研究員らは、「サイコキネート」なる新語まで創り上げるほどに、二人の少年の「超能力」を信じて疑わなかった。実験は、実験者と被験者が互いにリラックスした雰囲気の中で行われ、単純なトリックが「超能力」と認められて報告されるにつれて、さらに被験者が操作しやすい環境に変わっていった。

スティーブとマイケルは、電気関係の装置が、「超常的に悪いものを発散している」と主張した。これは、実験に一連の神秘的な雰囲気を盛り上げると同時に、ビデオ監視の可能性を最小限にするためでもあった。彼らは、二人とも、子どもの頃にある種の電気的なショックを経験して以来、自分たちの超能力に気付くようになったと話すことによって、電気装置を嫌がる理由まで注意深く解説した。研究員たちは、これらの主張を好意的に受け入れ、さらに「信念の泥沼」に深く入り込んでいったのである。

二人の「超能力」が『ナショナル・エンクワイアラー』紙で報道されると、少年たちは全米から「何トンもの手紙」を受け取った。マイケルは、次のように述べている。「人々は、ラッキー・ナンバーから行方不明の子どもについてまで尋ねてきた。根本的に、どのように生きていけばいいのかまでも、僕らに尋ねてきた。超能力の威力というのは、本当に狂気じみている。人々の人生まで、簡単に手中に握ってしまえるんだからね」

一九八三年、ランディはプロジェクト・アルファの全容を公表した。二人の少年は、すべてがトリックだったと公表された後にも、「自分では気付かずに、本当は超能力を使っていたのではないか」と聞かれたという。彼らは、超心理学者ばかりではなく、一般大衆が、どれほど超常現象を信じたがっているのかを知って、驚愕したと証言している。

第六章──課題

1.いわゆる「因習」に拘る習慣はあるだろうか。あれば、その習慣を思い出して、なぜ自分がその因習に拘るのかを分析しなさい。[ヒント──「死後の世界」や「先祖供養」などに関わる因習を考える。]

2.ランディは一九八八年、オーストラリアのテレビ局に協力して、いかにメディアと大衆がオカルトに騙されやすいかを検証するため、霊と交信するチャネラー「ホセ・カルロス」という人物を創作した。演じたのは彼の友人の芸術家で、腋にボールを挟んで瞬間的に脈を止める奇術を使って「死から蘇る」演技を行った。彼らはシドニーのオペラハウスを「信者」で満杯にした後、すべてが「ヤラセ」だったことを暴露した。この「カルロス事件」から、メディアと大衆の騙されやすさを検証しなさい。[ヒント──ランディ「カルロス事件」のサイトなどを参照。]

3.学者や医師、法律家やジャーナリストのように、社会的には「学」に携わりながら、オカルトを擁護している人々がいる。彼らの論法を分析して、どこに問題があるのかを論証しなさい。[ヒント──「Japan Skeptics」や「と学会」のサイトを参照。]