2016.11.17

なぜ飛行機の衝突が防げるのか?――人間とコンピューターが共存する究極の管制システムを目指して

伊藤恵理 航空管制科学

科学 #航空管制科学#空の旅を科学する

21世紀は、コンピューターが人間の仕事を奪うほどに高度化すると言われています。AIはすでに様々な業界で用いられはじめ、Googleの無人自動車やドローンの自律飛行などのニュースが、私たちの日常をにぎわせています。これから、私たちは、その高度な自動化システムとどのように共存して働くことができるのでしょうか。

『空の旅を科学する 人工知能がひらく!? 21世紀の「航空管制」』の著者、気鋭の若き女性研究者(電子航空研究所 主幹研究員)の伊藤恵理氏は、航空管制の研究現場から、人間とコンピューターの共存について迫ります。以下では、著者自身に本書の内容の一部を紹介して頂きます。(河出書房新社編集部)

なぜ飛行機の衝突が防げるのか?

そもそも、航空管制とは何なのか――東京の空を舞台にご説明しましょう。

東京国際空港(通称・羽田空港)は、日本一混雑する空港です。ピーク時には、2分に1回の割合で航空機が離着陸します。羽田空港の展望台に立つと、飛行機がつらつらと列を作って、ひっきりなしに離着陸している様子を見ることができます。

2014年9月までの1年間の旅客数では、アメリカや中国、英国に続き、羽田空港は世界第4位にランキングされています。

このように、たくさんの飛行機が飛んでいるにもかかわらず、衝突などの事故はめったに起こることはありません。それはなぜか。「航空管制官」と呼ばれる人たちが空の交通を整理しているからです。

航空管制官は、航空交通を映し出すレーダーの画面を見ながら、地上からパイロットに的確な指示を出して、航空機が安全で円滑に運航できるよう支えています。

車を運転するとき、ドライバーは窓の外やミラーを見ながら、他の自動車と間隔を取ったり、周囲の交通状況を把握したりします。また、カーナビがあれば道案内をしてくれるし、スマートフォンのアプリを使えば交通渋滞の情報を知ることもできます。

ところが、航空機を操縦するパイロットは、コックピットの窓から他の航空機がどのルートを飛び、どの目的地へ向かっているのか、正確に把握することはできません。だから、地上にある「管制センター」には管制官が常駐して、到着時刻とのズレを調整しながら、燃料消費量や騒音を削減できるように、高度や速度などを音声で指示しています。コックピットのパイロットは、ヘッドフォン越しに聞こえる管制指示に従って航空機を操縦操作します。この業務が、航空管制なのです。

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航空交通管理に科学的なアプローチを取り入れた「航空管制科学」

こうした民間機の航空管制は、次の4つに分類されています。

・太平洋上空を担当する「洋上管制」

・空港から離れた空を担当する「エンルート管制(航空路管制)」

・空港周辺の空を担当する「ターミナルレーダー管制」

・空港を走行する航空機を誘導し、離着陸を指示する「空港での管制(飛行場管制)」

それぞれの航空管制の現場では、いろいろなハードウェアやコンピューターソフトウェアを含む地上インフラや航空機の装備品、そして航空管制官、エアラインのパイロットや運航管理者などを含む人間社会が介在して、空の交通が安全かつ効率的に管理されています。これが「航空管制システム」です。

この航空管制システムを研究対象としているのが、私が研究する「航空管制科学」です。世界的に増加する航空交通の需要を考えると、航空管制官に頼り切ったり経験則に沿ったりするやり方では、将来の航空交通量を処理できません。航空管制科学は、こうした危機感から、交通管理に科学的なアプローチを取り入れた結果、生まれました。

その幕開けは、アップル社のマッキントッシュが、一般ユーザーに普及し始めた1980年代です。アメリカ合衆国のシリコンバレーにあるNASAエイムズ研究所で、ハインツ・エルツバーガー博士が「TMA(Traffic Management Advisor)」という航空機の到着管理システムを作ったのです。「コンピューターを使って、管制官の業務を支援できるのではないか?」とひらめいたエルツバーガー博士は、相棒のシステムエンジニアと二人三脚で初期のプロトコルを発明しました。

TMAは、空港に到着する航空機の順序づけをする航空管制官の知的業務を一部自動化し、どの航空機がいつ滑走路に到着するべきかという情報を提起するものでした。このシステムは、全米の主要な空港に到着する航空交通を整理するために、地上の管制センターに導入され、20年経過した今も現場で活用されています。この発明のおかげで、航空管制は科学的なアプローチを活かすことができる研究分野であると認知され、航空機産業が発達している欧米に浸透していきました。

この流れで、アメリカでは2004年に「NextGen(ネクスジェン)」、EUでは2005年に「SESAR(セザール)」という、次世代の航空管制システムの抜本的な改革案が打ち出されました。

日本の状況は? というと、航空機産業の規模の小ささと比例して、残念ながら、航空管制研究の規模も小さいのが現状です。ただし、世界に空は一つ。2010年には、国土交通省の航空局から「CARATS(キャラッツ)」という国家的な航空交通システムのプランが打ち出されました。新しいテクノロジーを使って、より安全に効率よく、そして環境に優しい日本の航空交通の実現に向けて、航空管制科学の研究を進めているのです。

人間かコンピューターか、どちらを信用しますか?

1997年5月、チェスの名人がIBM社製のコンピューター、ディープ・ブルーに敗れました。人間の単純作業を肩代わりするだけではなく、高度な思考を持って問題を解決するコンピューターが出現したのです。その事実は、人間の知的作業の一部を代替したコンピューターが人間と一緒に働くという新時代の到来を予想させました。

そして、2010年10月、Google社が自動運転車両の開発プロジェクトを発表しました。この2人乗りの小型EV(電気自動車)では、ドライバーは車両に乗り込み、ルートを入力して「発進」または「停止」のボタンを押すだけで、自律走行して目的地にたどりつきます。ハンドルやアクセル、ブレーキもない究極の自動運転車として、話題を集めました。

しかし、この自動運転車の前に、カリフォルニア州の新規制が立ちはだかりました。自動運転中に事故が起こりそうなときは、ドライバーが運転して事故を防ぐこと、というものです。

ここで、ひとつの疑問が浮かびます。自動運転より人間のドライバーのほうが信用できるのでしょうか。つまり、人間か自動化システムか、私たちはどちらをより信用できるのでしょうか。

実は、航空業界では、想定外の緊急事態が発生したとき、パイロットと自動操縦のどちらに任せるのか、という議論は、1990年代からさかんに行われています。

パイロット、つまり人間中心の場合は、事故が起こりそうな非常時にはパイロットの操縦が優先されるよう、自動化システムを設計します。

・わかりやすいディスプレイ表示

・異常を知らせるアラーム音

・パイロットが自動操縦を停止して手動操縦に切り替えるシステム

が特徴です。

一方、自動化システムが中心の場合は、非常時には自動操縦に任せることになります。

・緊急時に人間が介入しないようにするインターロック

・高度な自動化のために、人間が操作をすることが想定されていないシステム全般

が特徴です。

この相反する設計思想のどちらを採用すべきか、哲学論争にまで発展していて、なかなか収束していません。

でも、私たちが「人間かコンピューターか」という問題をより身近に考えたいとき、こんなふうに言葉を変えて問い直してみるといいと思います。

「自分は、パイロットがコックピットに不在の、完全自動操縦の飛行機に乗って空を旅してみたいだろうか?」

――私の答えは、「NO」です。

人間とコンピューターが共存する究極の管制システムを目指して

パイロットも自動操縦システムも、とても優れた能力を持っています。十分に訓練を積んだパイロットは、フライトのあらゆる状況に対応するスキルを身に付けています。とはいえ、どんなベテランのパイロットでもミスする可能性はあります。精神的、肉体的限界もあるし、疲れもします。

一方で、自動操縦は設計段階で想定された条件下で、優れた制御能力を発揮します。しかし、過去にはパイロットと自動操縦が互いに干渉したり、パイロットから自動操縦への引継ぎがうまくいかなかったりして、事故につながってしまったこともあります。

残念ながら、自動操縦も完璧ではないのです。やっぱり、人間社会に育ってきた私としては、パイロットがいない完全自動操縦の飛行機に自分の命を預けようという気持ちにはなれないのです。

それでは、パイロットと自動操縦システムがケンカしたり、仕事の引継ぎに失敗したりしないで、能力を発揮しながら仲良く働いてもらうためのシステムは、どのようなものだろうか。

これが、私が大学院で航空管制学を専攻して以来、ずっと取り組んできた課題でした。そして、その課題は、私をパリ、アムステルダム、シリコンバレーのNASAと世界各地へと連れていくことになったのです。(その過程は、拙著『空の旅を科学する 人工知能が拓く? 21世紀の「航空管制」』に綴らせていただきました。)

世界各地で最先端のシステムを学び、研究に取り入れてきた私は、現在、電子航空研究所で、将来の羽田空港を対象にした航空管制システムを研究しています。先に述べたとおり、世界でも有数の混雑である羽田空港では、日本の航空交通の70%が集中していると言われています。さらに、東京オリンピック後の2025年には、国際便と上空を通過するフライトが1.5倍になると予測されています。現状では、航空管制研究の規模は小さいともお伝えしましたが、安全で効率的な航空交通管理のためにパイロットや管制官を支援する自動化システムが必要なのです。

そのひとつが、航空機に新しい自動操縦のツールを導入して、少しずつ速度を調整しながら、周りの航空機と安全な飛行間隔を維持する「ASAS(エーサス)」の研究です。具体的には、コックピットに装備されたiPadのようなタブレットによって、周りの航空機と安全な間隔を維持するための速度を自動的に計算します。すると、新しい運航のアプリケーションを活用して、まるでドライバーが車を運転するように、パイロットが航空機を自律的に操縦できるようになります。そして、地上の管制官が「パイロットに指示を与えなくても、うまく航空交通が整理された。業務の負担が小さかった」と思ってくれたら、自動化システムとの理想的な協働が実現するでしょう。

ただし、ASASのような新しい運航に必要な装備品は、徐々に普及するものです。そこで、新しい運航と従来の運航が混在した航空交通を、上手に整理する方法を考えなければなりません。これまでは先着順則、つまり早く空港にやってきた航空機から先に着陸させる誘導がエアラインにフェアだとされていましたが、これからは必ずしもそれが最適ではないかもしれません。新しい運航に必要な装備品を搭載するために投資するエアラインの努力に応える管制サービスが求められます。そのために、空港への到着順序づけやタイムスケジュールを自動的に割り当てる到着管理システムの研究にも着手しています。

実は、エアラインに経済的な便益をもたらす運航を考えていくと、地球環境に優しい航空交通の実現にもつながります。そのひとつは、航空機がエンジンをアイドリングに近い状態にして、まるで滑空するように継続的に降下する運航です。燃料消費を削減できるので、CO2などの排出量を抑えることができます。このようなエコな航空交通の実現に向けて、パイロットと管制官を支援する研究にも取り組んでいます。

新しい知的価値を生み出そうという使命で結ばれる科学者たち

『空の旅を科学する 人工知能がひらく!? 21世紀の「航空管制」』には、読者のみなさんに科学者の世界に興味を持っていただきたい、という思いも込めています。科学者の言動は風変わりに見えるかもしれませんが、私は科学者ほど気持ちのいい人たちはいないと思っています。国境や組織を超え、世界に知的価値を生み出そうという使命感と科学で繋がる人種、とでもいえるでしょうか。

科学技術の裏側には、科学者の信頼と友情、そして脈々と受け継がれる精神が流れています。もちろん、私たちの空の旅の裏側にも、そんな科学者たちの姿があるのです。本書では、パリ、アムステルダム、シリコンバレーと、文字どおり、空を旅しながら科学した私の10年間を辿りながら、印象的なエピソードの幾つかを紹介しています。

パリでは、権力に対抗する意思の強さを身につけました。世の中の根拠がない常識を疑うところから始まる「科学する」という行為。「NON!」と主張できる人が尊重されるパリの街でプロとして働き始めた経験は、私の研究生活の確かな土台になっています。

アムステルダムでは、価値観の違う同僚たちを理解し、一緒に仕事をするための議論の仕方を学びました。オランダの人たちは、とても合理的です。例えば「ダッチマネー」という言葉も有名ですよね。それに、黙っていても空気なんて読んでもらえません。日本と違う環境で私が身につけた「交渉術」は、本書にまとめていますが、ここに一部紹介します。

1)相手の条件を了承するならば、同時にこちらの条件も提示すること

2)相手の話に、忍耐深く耳を傾けること 

3)YESとNOは明確に 

4)反対意見ははっきり伝えよ、ただし言葉は選ぶこと

5)議論に感情をのっけないこと

最終目的地になったシリコンバレーのNASAエイムズ研究所では、航空管制科学の権威と仕事をする機会に恵まれました。そこで学んだのは、研究者は権威になるために権威を論破しなければならないということです。

「君も含めて、若い人たちは、まだまだ成功の実績が少ないんだ。だから、権威に実力を証明し続けないとね。そしていつか『君は正しかった』と言わせてやるんだ!」

こう教えてくれたのは、NASAの大きなプロジェクトを率いるリーダーでした。そのためには、ただ挑戦あるのみ。そして、旅の最後に、先に紹介した航空管制科学の父であるハインツ・エルツバーガー博士が贈ってくれた「エリ、挑戦を続けなさい。」という言葉は、今の私を支えてくれています。

私たちの空の旅の裏側に広がる科学者や飛行機野郎たちの奮闘劇。その中でもみくちゃにされながら成長する若き研究者の姿を通して、臨場感のある「航空管制科学」の世界を一緒に冒険していただけると幸いです。

プロフィール

伊藤恵理航空管制科学

1980年、京都生まれ。2007年、東京大学大学院博士課程修了(航空宇宙工学専攻)。国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所電子航法研究所主幹研究員。ユーロコントロール実験研究所(フランス)、オランダ航空宇宙研究所、東京大学、NASAエイムズ研究所での研究職を経て、現職に至る。国際航空科学会議(ICAS)よりMcCarthy Award、John J.Green Award受賞。「空は1つ」をモットーに、世界の空を駆けながら、航空管制科学の研究に従事している。2012年、TEDxKyotoに登壇。2016年、初の著書である『空の旅を科学する 人工知能がひらく!?21世紀の「航空管制」』(河出書房新社)出版。

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