2015.03.03

車椅子から見える世界――私はこんな、困ってるズ!

小杉あや

社会 #車いす

「見えない障がい」をテーマにした情報共有メールマガジン「困ってるズ!」。様々な障がい当事者が、「どういう障がいなのか」「何に困っているか」をテーマにコラムを執筆。メルマガというかたちで、「伝えたい人」と「知りたい人」とをつなぎます。今回は、2月20日に配信された『困ってるズ!』vol.52から、小杉あやさんの「困ってること」をお届けします。 ※メルマガ「困ってるズ!」は終了しました。

プロフィール

40代の元自営業者。今は主に介護をして暮らしています。2013年5月に当時55歳の夫が右側・脳出血で倒れました。規定ぎりぎりの7ヶ月のリハビリ入院を経て2013年12月から在宅介護生活に突入。

夫の両親はすでに他界し、ほか親類も一切おらず、妻である私に生活のすべてが覆いかぶさりました。現在左半身の麻痺で手足がほとんど動かず、半側空間無視という視野が極端に狭くなる注意障害があり車椅子利用をしています。

要介護4級・身体障害2級。週に数日介護保険利用のデイサービスやリハビリを利用し、少しでも身体が自由に動くよう、日々精進している夫を「えらいなあ」と思いながら見守っています。

私はこんな、困ってるズ!です

夫は車椅子を利用しているため、目に見える障害者といえます。車椅子を押していると大抵のかたが親切で道を譲ってくださったり、声をかけてくださったりします。あたたかい人のつながりがありながら「それでも当事者にしか見えていない」ことをいくつかあげてみます。

■車椅子って

自ら押して歩くようになるまで車椅子は移動できる椅子という認識でした。座って移動できるんだから楽チンねー!なんて思っていたくらい。確かに低反発の座布団など優れものアイテムも多くありますがよく考えれば健常者でも座りっぱなしはきついのです。

特に半身麻痺の人間は気軽に座り直しができません。我が家のように多少4点杖などで動くことができるとしても決まったところがあたって床ずれのようになったり。麻痺の箇所が床づれになると気がつきも遅く血行も悪い場合が多く、完治までに時間がかかることが少なくありません。

また移動手段に優れた椅子なので、乗り物などの乗り込むときはそのままだととても不安定です。具体的には車輪がついた事務椅子などを想像していただけるとよいかと思います。バスなどに乗り込んで運転手の方に「ブレーキをかければ動きませんよね?」と聞かれることもありますが車椅子のブレーキはごく簡単に解除できるようになっていて(事務椅子のストッパーより簡単に解除されてしまいます。)大変不安定です。

たいていの場合は車椅子と身体を結ぶベルトはしません。揺れるバスで座席よりも車輪つき事務椅子に座りたい人はあまりいないと思います。混雑バスで、電車で、車椅子の人間は座っていてイイナーと思われそうですが、乗り物の上でさらに車輪に揺られ、乗り物酔いをすることも多いです。

電車の乗車時にはホームと電車の高低差はスロープがないとかなり危ないです。そのため乗り駅とおり駅で連携がとられ、車両内は自由に位置が動けないことが多いです。もっとも、最近はホームドアがあり、電車とホームがフラットな電車も増えました。今後ほかの乗客の方にお待たせせず多くの駅員さんからの手助けなく乗車ができるようになればすばらしいと思います。

■階段苦労話

階段は車椅子にとって大鬼門。階段のない道を、スロープがある場所を探して事前調査も欠かしません。車椅子は4輪車です。前輪の小さな車輪2つと横についている大きな車輪が2つ。段差などは小さな車輪をてこの原理で持ち上げられれば1段なら女手でも登らせることが可能です。

しかし1段が平気なら2段3段くらいは登れるでしょう?と思ってしまいがちですが、階段の段に車椅子本体が乗り切らないと、てこの原理で傾けることができず、結果階段をまとめて登らせることになり、女手一人ではとても持ち上げられる重さではありません。

車椅子の重量は20キロ弱。身体の重さを入れたら持ち上げられなくて当然といえます。我が家では右手に手すりがあれば手すりをつかんで2.3段なら余裕を持って登ることができるようになりましたが、困ってしまうのは「玄関前におしゃれデザイン的にある5段くらいの手すりがない階段」です。今のところお手上げ。

そうして健常者にとってはなんと言うことのない階段なので階段があること自体忘れて車椅子でたどり着いてからはっとすることが少なくありません。

■車椅子に関するお手伝いって

車椅子への手伝いというとイメージとしては「数人で抱えて階段を上げ下ろしする」「坂道を押してあげる」などではないでしょうか。しかし我が家のような介助者がいる場合は複数の人間に手助けしてもらわなければならない場合は異常事態です。介助者がおらず単身で車椅子で活動している方の場合はさらに困惑した緊急事態であると考えられます。

車椅子を利用している人間は介助が必要な場合は介助者が、自力で移動可能な場合は本人が、それは緻密に行く先までのルートや方法を調べ上げなんとか「人の手を借りずに」自力でたどり着けるよう作戦を練っていることが多いはずです。(そうでない方もいらっしゃるかもしれませんが。)ただ不自由はもちろんあります。そこにはお手を煩わすことが申し訳ないながらも助けていただけるとありがたいことがいくつかあります。

介助者にとって車椅子の人間を一人で放置することは一番避けたいことです。片手で車いすを保持しながら扉を開けることの難しさ。大荷物で歩いたことがある方は少なくないはずです。キャリーバックの数倍、ベビーカーよりも大きい車椅子。車椅子後ろのグリップ位置からは腕が2メートルくらいないとドアを開けることはできません。

ファミレスなどによくある2重扉などは特に苦労します。車椅子の人間をどこかに放置して、ドアを開けてしまらないように固定して通り抜けねばなりません。(それも2回!)車いすのほうをどうにかしてほしいとは考えもしませんがちょっとだけドアを押さえていていただけると本当にありがたいのです。

また移譲(車いすから椅子などへの乗り移り)可能な我が家の場合、移譲時や立ち上がりを手伝ってくださる方が多くありがたいのですが、むしろ本人はなれた介護者である私以外の介助を怖がりますので、移譲中の障害者には触れず、立ち上がった後の車いすを声掛けしていただいて邪魔にならない位置においていただけるとありがたいです。

見えない、ことはすなわち苦労と苦労でないところの境がわからないことではないかと思います。見えない、ことを意識して見ようとしていくことでみんなの見える地平が広がる、そんな世の中になっていけばいいと心から思っています。