2015.08.25

交差する人生、行き交う物語

岸政彦×ヤンヨンヒ

社会 #断片的な社会学#かぞくのくに#ディア・ピョンヤン

他人を理解する糸口はディティールにあるのでは――はじめてのエッセイ集となる『断片的なものの社会学』を上梓した岸政彦氏と、「ディア・ピョンヤン」「かぞくのくに」などを手掛けた映画監督ヤンヨンヒ氏とのトークショーが行われた。その模様を抄録する。 (構成/山本菜々子)

「世界インターネット」

ヤン 『断片的なものの社会学』読ませていただきました。路上のギター弾きのおじさんの話が出てきますよね。あそこまでしゃべるって、岸さんどんだけ聞くのうまいねん、って思いました。

岸 いやー、そんなことないです。あの人、だれにでもしゃべりますよ。

ヤン そんな感じはしますね(笑)。

岸 そもそも、ぼくのこと覚えてないんですよ。あのおっちゃん、通天閣のゲートの下でいまもやってます。名刺持っているんですけど、自分の名前の上の肩書に、相撲のフォントで「世界インターネット」って書いてある。

「これはなに?」って言ったら、「なんか、出てくるんや。見れるんや」って。要するに、グーグルで検索すると俺の演奏が出てくるって言いたいんですよ。

ヤン すごいレベル高いなあ。

岸 ギターのおっちゃんは、あそこに座って何十年もやっています。ファンもいっぱいいる。80なんですけど、すごくイイ男なんです。ものすごい色気のあるおっちゃん。

ヤン 大事なことは、先に言ってくれないと(笑)。

岸 ストライクゾーンが広いなぁ(笑)。でもね、ほんとにぼくもええなと思うくらい。

演奏していると、ファンのおばちゃんが差し入れをするんです。「はい」とか言って自分のハンドバッグから出したのが、喫茶店のペーパーナプキンに包んだ食べさしのサンドイッチでした。湿気でペーパーナプキンがふにゃふにゃになっている。おっちゃんは、「おう」とか言って、食べるんですよ。すばらしい空間です。

まあ、そういうところで話を聴くのが好きなだけで、別に人の話を聞く達人というわけではありません。ケンカもしますしね。

ヤン 岸さんが逆に聞かれることもありますよね。そういうとき先生オープンに話すでしょう。

岸 はい。ほんとに全部。

ヤン すると相手はもっとオープンに話すんですよね。

岸 なるべく相手から聞かれるまでは自分の話はしないようにしています。あと、お酒はとりあえず出されたら飲むようにしていますね。

最近は遠慮しているんですけど、若いときはほんとに遠慮しなかったんで、インタビュー中に「飲む?」って言われたんで「はい!」って言って。沖縄に調査しに行ったとき、その家の常備しているビールとウィスキー全部飲んだことがあります。

後で音声を聞き直したら、泥酔してベロベロになって、後半はぼく、泣いてるんですよ。「ぼくもこんな調査つらいんですよ」って調査してる人に言ってる(笑)。

帰りに奥さんに「ぜんぶ飲んでいただいてありがとうございます」って嫌味を言われました。

ヤン 名刺の裏に「酒代請求は大学まで」って書いておいた方がいいんじゃないの(笑)。

左:ヤンヨンヒ 右:岸政彦
左:ヤンヨンヒ 右:岸政彦

「とんでもない残酷な娘やなー」

ヤン 岸さんは、沖縄を中心に研究されているんですよね。

岸 そうです。いま、共同体からの距離について書きたいと思ってるんです。沖縄というと、地域共同体が強くて、家族が密接につながっていて……みたいな話ばかりですよね。在日でもそうだと思うんですが、親戚付き合いが多いでしょう。

ヤン あー、私はそう思ってないですけどね。そう言われると気持ち悪いですよね。

岸 そうそう、だから、そういうことをちゃんと言う本を書こうと思って。ぼくは、安定層の研究をしています。琉球大学のような地元の良い大学を出て公務員になった人って、地元のめんどくさいつながりから距離をおける立場になる。でも、居酒屋や町工場をやっている人は、付き合いが死活問題になっている。これは、ぼくのカテゴリー化なのかもしれませんが、今まで無かった沖縄を書きたいと思っています。

ヤン 壊れてない家族なんてないですものね。

岸 すばらしいお言葉をいただきました(笑)。

ヤン 「ディア・ピョンヤン」、「愛しきソナ」、「かぞくのくに」と家族のことを撮っているので、「ヤンヨンヒ監督は家族愛が強くて、家族をいつも想っている」とよく言われます。でも、たぶん逆なんですよ。作品にするには、突き放す必要がある。突き放せていない監督が作るものって気持ち悪いと思います。

初監督の「ディア・ピョンヤン」では、ラストシーン、父の病室で、私も涙声になりながらカメラを回している。監督から娘になるシーンだからおもしろいってプロデューサーと編集マンが強く言ったので残したのですが、いま見ると気持ち悪いんですよね。あんまり好きじゃないんですけど。

岸 そこが一番好きって人多いですよね。

ヤン 他人が見ておもしろいと言ってくれるのはすごくうれしいです。もちろん見る人に任せるしかないことも分かっています。

でも、家族愛が強い、という訳ではないとおもっています。「ディア・ピョンヤン」のあとに、「総連とか北に一切触れません」という謝罪文を書かないと、二度と家族に会わせないぐらいのことを総連に言われました。

私は、作品をつくることを選びました。一生家族に会えなくてもいいという道を選んだんです。もちろんそういうことを言われること自体、不条理、ナンセンスだけど。それは家族に会いたいという気持ちより、「ふざけんな、作品自分の名前で出すってことがどういうことだかわかってんのか」ってことをもっと声を大きく言いたいってことですよ。だからすごく冷たいんですよ、家族に対してね。でも、そこを見抜く方は少ない。

四・三事件をテーマにした『火山島』を書いた金石範さんというすごい作家がいます。彼と『血と骨』を書いた梁石日さんに「ディア・ピョンヤン」の試写の後呼び出されたんです。梁石日さんに「君みたいな子が出てきたか」って言われました。

実は、金石範さんも梁石日さんも、うちの父ちゃんに「文学するなら北に行け」とか言われたらしいんですよ。「なんやあのおっちゃんか」と映画の途中で気づいた。あんな失礼なことを俺に言ったやつの娘が、自分の父ちゃんネタに作ったのか。ましてや映画の中で「息子(北に)行かさんでよかった」と言わさせたと。

で、金石範さんが、「とんでもない残酷な娘やなー」と言ったんですよ。うわ、通じた!って思ったの。すごくうれしかったの。「お父さん想いですねー」とか、そんなこといっぱい言われたけど。それもそれでね、お客さんがそう思うのも自由で、いいんですけど。あー、この人すごいなあって。あとね、とんでもない残酷な娘だって、おんなじこと言った人、笑福亭鶴瓶さん。

岸 あー。

ヤン 鶴瓶さんが「いやー、あんたの親はたいへんやな。えらい娘持ってしもて」って。

岸 親が大変ってのはなんとなくわかりますね。

ヤン そういう距離を置いて、突き放して、でもずっと見ている。それが私の表現の方法だと思うんです。私のトラウマも込みの、恨みと愛情が入り混じった…。

岸 ヤンさんの作品って、家族に対して切断はしてるんだけど、排除はしていない、と思ったんです。

ヤン 切断をね、していないというか、できないんですよ。だって家族って、全員死んじゃっても家族じゃないですか。彼は別れると「元彼」になりますけど、家族は「元家族」じゃなくて、ずーっと家族ですよね。

死んじゃっても会わなくても憎み合っていても、壊れてても、家族って代替不可能なんで、すんごいめんどくさい。ですけど、面白い。みんなが持ってるし。

岸 北朝鮮というか、在日であること自体についてもそう思われますか。

ヤン どっか似てるのかもしれない。国なんて背負いたくないけど、背負わされる。ミサイル打ったとか金正日がなんちゃら言ったら新聞社から「ヤンさんコメントください」って来るんですよ。もうそのネタもうええでしょう、って。

岸 知らんがなー(笑)。

ヤン そう、知らんがなですよ(笑)。在日だからといって、ミサイルは専門じゃありません。でも、突き放したり、近づいてみたり、行ったり来たりはしていると思いますよ。

日本人がほとんど出てこない

岸 この本(『断片的なものの社会学』)を書いたなかで、ヤンさんの映画「かぞくのくに」を取り上げさせていただきました。

【「かぞくのくに」 ストーリー】

兄が帰って来た。父が楽園と信じたあの国から。病気治療のために3ヶ月間だけ許された帰国には見知らぬ男が監視役として同行していた。微妙な空気に包まれる25年ぶりの家族団欒。奇跡的な再会を喜ぶかつての級友たち。一方、治療のための検査結果は芳しくなく、3ヶ月では責任を持って治療できないと告げられてしまう。必死で解決策を探す家族だったが、そんな矢先、本国から「明日 帰国するように」との電話が来るのであった……

ぼくは「パッチギ!」がすごい好きで、毎年授業で学生に見せています。「パッチギ!」の、身体ごとぶつかって、ケンカをしながらでも「友達だー」「好きだー」みたいな感じとは、「かぞくのくに」は正反対です。映画には、日本人がほとんど出てきませんよね。

ヤン 兄のソンホが病院に行ったときのお医者さんと看護師だけが日本人なんですね、あの映画。お医者さんの台詞めっちゃ少ないけど、「兄は北朝鮮からきたんです」って妹のリエがいうと、「あー?」って。あの「あー?」がいいですよね。

岸 あれいいですよね。お医者さんの役の人。あのリアルな、ああ、医者ってこうだよね、みたいな。

ヤン じつはうちの兄が日本に来たとき……。あ、あれは実話ですからね。ちなみに、監視が家の前にずっと車でいたということはないです。あそこはフィクションで、私がつくった部分です。監視人はいっしょに来ましたけど、どっちかというと日本の公安のほうがいつも見張っていました。

それで、病院に行ったときは、すごくいい先生だったんですよ。「えー、北朝鮮から。どういうことですか。三か月しかおられへんのですか」と言ってくださるような。でも、「あー?」といった先生も、悪い人ではないですよね。ただ、究極の無関心。

岸 「なんとかならないんですか」ってオモニが言ったときに「国と国との問題ですからね」みたいな感じで、すっと流している。

ヤン 彼を悪気のない、無関心な、知識もなく、っていう代表として登場させています。

岸 もうひとりの日本人として、リエが教えている学校の生徒さんが一瞬だけ出てきますよね。「私ソウルに転勤になったんで、美味しいところいっぱい探しておきます。リエ先生、ソウルに遊びにきてください」って言うたら、リエが向こう向いたまんま「わたし、韓国行けないんだよね」と答えて、ぽかんとした生徒さんを残して帰っていく。出てくる日本人は悪気がないんですよね。

ヤン そうなんです。

岸 日本人のひとつのあり方だなと。「かぞくのくに」って最初の設定はコメディだったんですね。サイトで読みました。

ヤン あー、私も忘れていることを(笑)。シナリオを何回も書きなおしながら、編集の段階で「家族」がテーマになっていきました。

だから撮影のときは、ソンホと同窓会のメンバー、友人たちとのシーンがもうちょっとあったんです。私がいちばん気に入っているシーンも中にはあったんですが、カットしました。

岸 思い切りましたね。

ヤン たとえば岸さんのように、大学の先生は広くご存じだと思うんです。分析したりカテゴライズしたり統計をとるお仕事ですから。

私は作家というか、ストーリーテラーなので、広く浅くだとつまらない作品になるし、広く深くだと大河ドラマになってしまいます。

だから、今回は家族に絞ってシンプルにする中で、深めていこうと思いました。一人の人、一つの家庭をじっくりみていこうと。

岸 同級生の話はだいぶ削られたとのことですが、兄の同級生で、ゲイのチョリが出てきますよね。ピチピチのポロシャツを着て「マイノリティの中のマイノリティなんだよ」と言うじゃないですか。それがすごく印象的でした。

同級生という熱い友情で繋がっていても、「多様性」という一言では済ませられないものがある。それぞれが違うものを背負っているのを感じた。

ヤン 彼のキャラは一部のLGBTの運動をやっている方から、反発がありましたが、モデルがいます。朝鮮学校にゲイの子が学年に二人いて、すごく人気者だったんです。

チョリも、「マイノリティの中のマイノリティ」と言いますが、結局なにも分かっていないんです。同じ在日で朝鮮学校を出たけれど、ソンホがなんでも喋れるわけじゃないことを知らない。

岸 朝鮮学校出身でもみんなが知っているわけじゃない。

ヤン そうです。在日コミュニティ、総連コミュニティのなかでも身内に北に行った人がいるかいないかで全然感覚が違いますし。私の世代で、実の兄が行っているというのは珍しいパターンでした。私の兄たちは70年代頭に行っていますが、当時行く人はほとんどいませんでしたから。しかも、私と兄たちは年が離れているので、同世代で実の兄弟が行っているのはまれなケースだったんです。

朝鮮学校に行っている同じ立場で、いっしょに北朝鮮に修学旅行で行っていても、めちゃくちゃ説明しないとわかってもらえない、という感覚が私の中にあるんです。【次ページに続く】

エロビデオとしゃらんしゃらん

岸 これ、絶対お伝えしたかったんですが、「かぞくのくに」の小道具がものすごく好きなんです。

最初のほうのシーンで、リエの部屋にソンホが入ってきて、しゃらんしゃらん……なんていうんですかね、プラスチックのビーズが入り口にかかっているじゃないですか(※ビーズカーテン)。ソンホが入ってきたとき、その「しゃらん」が一本肩にかかるんですよ。それをリエが「ふーん」と話しながら、見ずに無意識に取るんですよね、あれは演出の……

ヤン あれはリエ役の安藤サクラが勝手にやってるんです。サクラちゃんのああいうところすごい色っぽいと思う。あのしゃらんしゃらんは小道具のスタッフが用意してくれて。

岸 リエの部屋が完璧で。ザ・実家に住んでいる若い女の子の部屋。

ヤン 置いてあるCD、全部オーダーしてます。韓国のCD、韓国に行けないからなおさら韓国のポップス。もしかしたらアドリブで見るかもしれないし、それぐらい自由にしてたんで。あとは「地球の歩き方」、海外に自由に行きにくい立場だからなおさら、ってことで世界地図、韓国の地図、ふつうのファッション雑誌とか。

岸 頑張ってフランフランとかで買い揃えてるんだけど、おしゃれになりきってないんですよね。もともと和室だったところを洋間に改築したのかなと想像が浮かびます。

でも、ものすごく居心地がよさそうなんですよ、あの部屋。部屋って人柄でますよね。なんというのかな、リエの気取らない人柄を感じました。

ヤン すごく優秀なスタッフに恵まれたと思っています。

岸 それと、ソンホを偵察するヤン同志がビジネスホテルでひとりになって、部屋を暗くしてタバコをくわえてエロビデオを観るじゃないですか。あれ、すごくリアルで。今この瞬間に何万人といるだろう、世界中に、出張先のビジネスホテルで、観るともなくもう、ぼけーっと流しているだけの人がいるんだろうなと。外を行く車の音とか、エアコンの低い音とか、聴こえてくるようなシーンだった。あれは、みてるビデオはなんでSMにしたんですか(笑)。

ヤン リクエストはなかったんですけど(笑)。著作権の問題があって、使えるものが少なくて。あれはおっしゃる通り、ヤンを一人の、罪のない男として見せたかったっていうのもあるし。「彼も社会の犠牲者だ!」とかそういうんでもなくて、そんなもんやん男って、っていうね。

岸 そうなんですよね。そうそう。

ヤン もう一つは、私自身の経験もありました。旧ソ連、いわゆる東側といわれた社会主義国が崩壊する前は、北朝鮮からそういうところに出張する人も多かったんです。

うちの兄が貿易の仕事をして上海に行ったことがあるんですよ。あまりにも経費が使えない。というか、北朝鮮のお金を向こうに持っていっても紙同然です。ホテルに泊まれないから、北朝鮮大使館の片隅で同僚5、6人と雑魚寝して。食パン1斤を分けながら食べている。マーガリンを買うお金もないと。80年代終わりの話だから、今はそんなことないと思いますけど。

大阪にその近況を知らせる電話がきて、母が「お金を持っていけ」と私を上海に行かせたんです。兄たちと合流して、とにかく、ご飯食べに行きましょうと、上海の安いけど美味しい店で毎日もりもり食べさせて。お土産も家族に買っていったらと、みなさんにお小遣いも渡して。「ヨンちゃんありがとう」って、女神さまのように感謝されて(笑)。

なにしに来たんやこのおっちゃんらと思うわけじゃないですか。そんな状況で貿易まともにできるわけない。でも彼らは、一歩でも国から出てみたいから、チャンスがあれば来るんです。

こうやって来て、何するのって聞いたらね、みんなで頑張ってお金を貯めて、一泊だけホテルに泊まるそうなんです。一部屋にみんなで群がって、一日中エロビデオをみると……。国外に出るときのとても大きな楽しみだっていうんですよ、もう、泣かせる話でしょう(笑)。

岸 いい話だなー(笑)。

ヤン もうちょっと早く言ってくれたらエロビデオどっさり持って行ったのにって(笑)。そういう思い出もあってホテルのシーンに繋がっていきました。

岸 ヤン同志が「あんたとあんたのお兄さんが嫌いな国で、ぼくは死ぬまで生きるんだよ」と言うじゃないですか。あのシーンはいいですよね。

あの映画自体、すごく大きな悲劇に巻き込まれる話なんですけど、同じ人間なんだなとふっと思う。なにげない何か。あ、こんなもんや。……ちょっと間抜けな存在ですよね、一人でビデオ見るっていうのは。さみしいし。俺もさみしいけどこいつもさみしいねんなって。

人間ってそんなもんでしょ

岸 さっきヤンさんが、社会学者は分析し一般化するんですよとおっしゃった。ぼくもそういう仕事をしているんですけども、この本(『断片的なものの社会学』)はそういうところからこぼれてくるような、どちらかというとビジネスホテルでビデオを見ているような、夜中に道ですれ違ったおじいさんが全裸だったとか(笑)そういう話ばっかり、書いてます。

世の中の差別ってカテゴリー化からはじまりますよね。ぼくたちは毎日個人として生きていて、民族問題や基地問題、身体の障害を当事者ほどつよく意識することを免除されていて、日々考えないで暮らしていけます。それが、制度で守られているってことだと思うんですけど。ぼくらは個人的な悩みを個人的に悩むことができる。そうでない人たちは、遠い世界で、一緒くたに見えてしまうと。

それが「かぞくのくに」では逆転しています。マイノリティのリエたちが個々人でいろいろな存在で描かれているのに、日本人であるマジョリティは平板な群れとして現れています。それが面白いなと思って。

ぼくが書いた『同化と他者化』でもそういうテーマを扱いました。復帰前に沖縄から一人で東京にやってくる少年がいて、その少年がすごくもてはやされるんです。そこに群がってもてなしている日本人の側がすごく平板に(当時の新聞で)描かれているんですね。

だから、在日のアイデンティティと日本人のアイデンティティが並んで存在しているわけじゃないんだな、って強く思いましたね。それは在日みたいに、アイデンティティというのをどうしてもどこかで考えざるを得ない存在と、民族的なアイデンティティについてはそもそも何も考えなくてもいいわれわれ日本人。「マジョリティのアイデンティティ」というものはないんじゃないかって。

ヤン この本(『断片的なものの社会学』)のなかでもそういう文章がありましたけど、私はよくわかりませんでした。「ぼくはマジョリティ、ヤンヨンヒはマイノリティ」って絶対的なものじゃないと思っているし。

たとえば、私は日本社会のなかでコリアンという立場ではマイノリティですけど、DVを受けたこともないし、両親に育てられました。そういうイシューになると私はマジョリティなんです。

人間には、いろんな面があると思っています。「かぞくのくに」をみて、「あ、あちらの話だ」と思う人と、「あ、なんや変わらんねんな、私と」と思う人に分かれるとしたら、それは在日に対してというよりも、世界で起こるどんな人たちのどんな事件に対しても、そういうスタンスなんじゃないかな。

普遍を探せる人っているじゃないですか。人と出会ったときに、共通項を探して盛り上がる人と、違いだけを見つけて「あんたと私は違うんだ!」と思う人。恋愛だって違うから惹かれるんだけど、共通項もあるから惹かれるのであって。

でもそのバランスって難しいですよね。たとえば、日本人の岸さんと私が恋人になったとして、和食も好きだし、日本語がファーストランゲージだし、関西人だし「同じだよね」を強調されたとします。たとえば、「でも北に家族おんねん」と私が言ったとき、「もうええやんかそれは、もっと軽い話しよ」と同じ部分だけ持とうとされたら、関係って深まりません。

一方で、「俺とお前は違うんだよ」と言い続けられても困る。「好きやねん」と言ってるのに、ぜんぜん近づいてくれない。両方を上手にバランスよくできる人ってすごく少ない気がします。それは朝鮮学校の教育にも問題があるし、日本の教育でも他者を教えない部分があります。いわゆる先進国でこんなに多様な人が住んでいるのに、日本に住んでいる出自の違う人々について教えない。そういうのをしっかりしないとバランスが良くならない。

「かぞくのくに」でヤン同志のポルノを見ているシーンを入れたのは、そういう意図があります。リエやソンホも自分たちと違うのに、ヤン同志ってもっと違う存在です。そこを、ポルノを見てるシーンで、ガーンと近くに感じて欲しかった。

岸 ネットで違う解釈しているひとがいて、あれは北朝鮮で見られないからおもしろがっているんだっていう……

ヤン 北でも見てるがな、見る以上にやってるがな(笑)。

岸 パッとそういう解釈をするのは、どこまでいっても北朝鮮の人間として見てるんですよ。

ヤン 私が「人間ってそんなもんでしょ」って言えるのは、いろんな人間見てきたからだと思っています。在日とだけ付き合ってきたんじゃなくて。もっというと、いま私が一番信頼している友達には日本人の方が多いです。

在日だからって当たり前ですが、みんなと気が合うわけでもないし。「俺とはちがう!」と映画をみて文句をいう人もいる。「あんたの話ちゃうんねん」って言っているんですけど。これは、私個人の体験に基づいた物語ですから。「私」の話に触れながら「私たち」の共通項や違いを探してほしい。「私」と「私たち」の分け方も色々ありだと思うし。

岸 そういうときのフックがあるでしょ。どういうときに、「わかる」ってなるのかとずっと考えてるんですよ。いちばん普遍的な言語で言うと、「差別はダメだー」とか「基本的人権が」になりますよね。でも、やっぱり実感できるのは、リエの部屋にあるしゃらんしゃらんであったり、ヤン同志がみているエロビデオであったりする(笑)。

ヤン そうとうフックだったんですね。エロビデオとしゃらんしゃらん……

ディティールが普遍である

岸 あとすごくイイなと思ったシーンがもう一つあります。朝起きてきて、みんな喫茶店にそろって、「ごはんも作れないのにお嫁に行けるのかしら」とオモニが言ったら、リエが「日本人はダメとかいううるさいおっさんがいるから」と答える。そしたら、オトンがちょっとすねた感じで、席を立つでしょ。そのときお母さんがコーヒーを持っていくんですけど、お父さんが飲まずに帰っちゃって、苦笑いしながらそのコーヒーを自分で一口飲むんですよ。

ヤン あれは宮崎さんのすばらしいアドリブ。

岸 あ、あれはアドリブなんですね。あれね、自分で一口飲むのはめっちゃオカンぽいなっていう(笑)。

ヤン あそこで、「あー、在日のお父さんはこういうこと言うんだ」って思うかもしれませんが、この映画はアメリカにもっていってもイタリア系やユダヤ系の人が「うちの父も同じこと言ってた」って言うんですよ。

海外にいくと、移民のお父さんに、娘たちがおなじこと言われている。移民のお父さんたちは、やっぱり、惚れたはれた言ってもながく暮らすと、ルーツが同じ方がなんやかんやうまくいくんやっていうのを実体験で知ってたりするんでしょうね。一概には言えないと思いますが。

でも、日本人同士のカップルの親御さんでも、ステイタスが違うとか、もっと金持ちみつけろとか、大学出てなきゃあかんとか、いろいろ言う人いると思うんですよ。結局父ちゃんが娘の結婚にごちゃごちゃ言うってのが普遍なわけで、そんなもんやんな、っていうのが普遍なわけで。

岸 共通しているんですよね。ごりごりの社会運動家とか政治運動やってて、めんどくさいおっさんなんだけど、愛されてて、すごく。家の中でめんどくさい、こわがられてるんだけど、ちょっと苦笑いされているみたいなのも普遍なんでしょうね。

ヤン そうですね。最初は特殊性、オリジナリティから入って「へぇぇぇ」と思ってもらう。この家族っていうのは超特殊。でも、深く掘り下げていくと、普遍性がみえてくる。

なんやウチといっしょやないか。お母さんのあの気持ち、お父さんの気持ち、息子と父親の関係とか。妹とお兄ちゃんの関係とか。いっしょやないか、というのは日本人だけじゃなく世界中の映画祭どこ持って行ってもみんな感じてくれるわけです。だからみんな同じところで泣くし、同じところで笑う。

岸 『断片的なものの社会学』にも書いたんですけど、ものすごく取るに足りないディテールが、むしろ普遍ですよね。だからいかにディテールを持ってくるのかが表現者の力量です。あの映画はすばらしかった。全体のストーリーももちろん面白かったんですけど。小道具の置き方、部屋の本の置き方一つに至るまで。ディテールの力を感じました。

「君のこと全然分からないから教えて」

岸 「わかるよ、わかるよ」って言われるの、腹がたちますよね。ぼくがやっている仕事は、分析するというよりは、フィールドワークや生活史なので、「わかるよ」ではなく、「わかるでしょ」っていうのを出したいんです。ほんとはね。

ヤン 岸さんは、分析とか網羅もしつつ教える仕事もするけれど、この本(『断片的なものの社会学』)を書く人だから面白いなと思って。一人ひとり、面と向かって会って、話を聴いていくじゃないですか。裸のおっちゃんに至るまで。

個々人に会うことをせずに、社会やいろんな国のことを文献でしっている人って、頭いっぱいに情報があるんでしょうけど、飲んでもつまんないじゃないですか。別に飲むためだけじゃないけど(笑)。

私自身も、家族ととことん話したし、お兄ちゃんに「脱北する気ないか」と聞いたこともある。それと、北朝鮮を見るため、在日社会をみるためには、外を知らなきゃとニューヨークで6年暮らしたり、アジアの色んな国に行ったり。そういうのをいっぱい見ていると。自分の知っている狭いコミュニティの話と、いろんな国の話も意外と似ているところがある。一人一人ほじくりながら、外もいっぱい見ていました、っていうところで、岸さんとは共通項が多いと思っています。くどいてないですよ、大丈夫ですよ(笑)

岸 (笑)。

ヤン 在日の男の人でたまにいるんですよ、口説くときに、「おなじ在日だから、日本人よりもだれよりもぼくがヨンヒをいちばんわかるんだよ」みたいなの。もー、グラス投げてやろうかと思うんです(笑)

岸 あれ、効果あるんかな、と思うんですけどね(笑)。

ヤン ない! 少なくとも私にはない! いるんすよけっこう。

岸 ぼくのおすすめの口説き方は、「君のこと全然わからないから教えて」っていうほうが。

ヤン あーいいですね。

岸 でしょー。わかるよっていうと逆効果ですよね。

ヤン もっと知りたい、というとね、教えてあげようかな、って気になるのにね。岸さん、素面とは思えない(笑)。

岸 よく言われますよ、飲んでも変わらんと言われる(笑)……なので、そうですね、そんなに分析するスタイルではないし、知識も紡ぎたくないので。あったエピソードを並べて、こんなもんでしょう、というのを言いたかったんですよね。【次ページに続く】

立場ってあるでしょう

岸 「わかるわかる」も、うざい。でも「違うねん」も排除です。で、その間の、ディテールみたいなのをフックにしたらいいよね、っていうのが今日の話ですけど。

マジョリティとして日本で生きていると、口当たりのいい話いっぱいあるんですよ。「国境なんか関係ないよ」とかね。「平和を願って歌おう!」みたいな(笑)子どものときから一緒に歌ったり体操するの大っ嫌いで。

ヤン うんうん。

岸 だから、ヤンさんにそういう作品を作って欲しいのですが、ぼくの側からそれは言えないじゃないですか。

ヤン あー、それ大事。仲良くなれたねー。

岸 (笑)

ヤン 立場ですよ、同じセリフも、言う人の立場によって。「やっぱお金ってあったほうがいいよね」って貧乏人の私が言うのとね、豪邸や別荘見せびらかしているエステサロンの社長が言うのとね、違うじゃないですか。

岸 なぜエステ…(笑) 「在日も日本人も関係ないよね」っていうのってどっちの側からも言えないですよね。

ヤン ぼくは気にしないよ、みたいなね。逆に言われたら、「あたしあんたが日本人だからって気にしないよ」って言われたらあんた、どない思うっていう。そういうのありますよね。

岸 そうなんですよ。ぼくはあえてマジョリティを言うようにしてるんです。意識しようとしている。

ぼくは、ヤンさんってたぶんね、しゃべってて、あんまりマジョリティとかマイノリティとか言われるとうざいなって思うタイプなのかなって感じました。

ヤン はい、ウザいっす。それは言われ過ぎたからでしょうね。あと学校教育とか家庭教育で、「祖国のため」「同胞社会のため」「マイノリティだから」「差別社会だから」って、とにかくそればっかり言われてきたんで。

とことんそれにこだわって考えて勉強もして議論もしていっぱい知ったうえで個々人として楽しんだりケンカしたり、個々人として確立しながら生きてければいいなあ、と。その自由さもほしいし、かといって、何も知らん自由はね、責任果たせないからね、自由になれないですね本当は。

岸 やっぱりトラップというかワナ多いですよ。それだけ見てよう、と思ったら本も映画もたくさんあるんで。あえて逆に自分として自分に押し付けるというか。なかなかうまくいかないですけど。マジョリティとしての引き受け方もいろいろあるんですよね、罪悪感を持ってしまって、なんとかしなきゃ、なんとかさせてください、みたいな(笑)。

ヤン たまに日本の大学なんかでしゃべったりすると、真面目な生徒さんで、「韓国の博物館に行って戦時中に日本がやっていたことが申し訳なくて」ってどんどん萎縮してしまう若い子がいるんです。その時、「韓国に対して申し訳なく思うのではなく、ちゃんと教えてくれなかった、日本の文科省とか教育制度とかに対して、韓国人といっしょに怒りなさい」と言っています。

ちっちゃくなる必要はぜんぜんない、あんたなんにも悪いことしてないんだから、堂々としてなさい、って。

岸 その塩梅は難しいですよね。社会的不正義に怒るあまりに、沖縄の人をディスってしまう本土の活動家みたいなパターンもあります。

本土の人間として沖縄の基地の問題にめざめて、なんとかしなきゃと現地に飛んで活動するんだけど、半分は基地を誘致しているわけで、辺野古にも賛成している人もいる。そういうのを罵ってしまう。

ヤン しっかりしてないからだー、とか?

岸 もっとひどかったです。「わずかなお金でこの美ら海を売り飛ばしてしまう沖縄の人たちは反省するべきです!」と言う。

ヤン あー、それ沖縄の人が言うのと、東京から来た人が言うのとは違うってことですよね。

岸 そうなんですよ。ぼくぶち切れてもう、途中で遮って「もう帰れ」って言って。あとから電話して謝ったんですけど。オチは情けないですけど(笑) だからね、「かぞくのくに」っていう映画にしてもね。

ヤン あーそれはすごくあります。私だから文句言えるっていうね。「あなたもあの国も大っ嫌い」ってね。それを日本の監督がつくった映画で、日本人のキャラクターに言わせるのと、ぜんぜん違いますよね。

岸 日本人があのシーンだけ見て、「やっぱり在日も北朝鮮のこと嫌いなんだ」みたいな、そういう解釈も可能といえば可能じゃないですか。

ヤン ホントに……、まあ、解釈はお客さんの自由なんですけどね。

岸 下手したら反北朝鮮映画だと捉えられてしまう。

聞く側も見る側も試されている

岸 在日の人と飲んだりすると、自虐のネタが多いでしょう。障害者の方もそうですが、楽しそうに盛り上がっているから、うっかり乗ってしまいそうになる。ワナですね(笑)。

ヤン まあ、言える相手と思うから言っているんでしょうね。私も言ったことありますよ。梅田の歩道橋のうえで、これでサインしたらビデオ見に連れて行かれるのかなっていう勧誘の人に職業聞かれた時、「北朝鮮のスパイです」って(笑)。

岸 うっかり乗っちゃうんですけど、さすがに不謹慎なので、あんまりよくないなと思ってはいるんですが。難しいんですよ、マジョリティとして出てくる言葉がどんどん減っちゃうんですよ。深刻ぶった言葉も嘘くさいし、かといって当事者の方々のように、自由に不謹慎なギャグとかも言えない。

前作の『街の人生』という本で、ある編集さんにすごく褒めてもらったポイントがあります。シングルマザーの風俗嬢という人にぼくが話を聞いていて、シャブの話になって、「シャブやったことあるんですか」「あ、やったことありますよ」「へえー(笑)」とぼくが答えたという、あれが素晴らしい、という。

でもそういうときって一緒に笑うしかないでしょ。「え、シャブやってるんですか。だめですよ」もおかしいし「へえー、いいなあいいなあ」も変。そうすると、「へえー(笑)」ぐらいしかないでしょ。だからいろんなトラップがあって。

ヤン そういう意味ではインタビューは聞く側も試される。映画も見る側が試されるってことですよね。

岸 「かぞくのくに」はとくに見る側が試されると思いましたね。素晴らしい作品と思いますけど。

ヤン あれはどのインタビューだったかな、日本の植民地支配の責任とか、そういうのを追及する映画は作らないんですか?って。ずーっといいインタビューだったのに、最後におっしゃって。「それは日本人の方がやったら、いいかもしれないですね」と言いました。

岸 おっしゃる通りです(笑)

ヤン 「拉致問題の映画を作ってください」とか、いっぱいツイートとか頂くんですよ。

たとえば、アウシュビッツの映画が始まる時、説明っていらないじゃないですか。ぽーんとはじまっても世界中の人がついて来れる。なぜか。作品が沢山あるからです。

でも、私が作った一作目の「ディア・ピョンヤン」では解説タイムが4分ほどあります。かっこ悪いんですが、あれはどうしても切れなくて。最低限これぐらいわかってもらわないと、話には入ってこれないだろうと。

ナチス関連の映画はドイツが悪い、ヒトラーが悪いという話の次の段階に行っています。こういう将校がいた。恋愛があった、フランス人も協力してたとか。早くその段階に行きたいですよね。そこまで行くには解決すべきベーシックな問題が沢山ある。

岸 本の中でも書いたんですけど、女装をしているおじいちゃんがやっているブログがあります。何がすごいかって、一切説明抜きなんですよ。すごくええなと思って。

自分が看護師に女装している写真を載せて、「アベノミクスはなかなか庶民にまでとどかない」とか書いてある。おねえ言葉でもないんですよね。ふつうに書き言葉で書いているというのが、ユートピアを実現しているんだなと思いましたね。

ヤン うわー、それはすごくいいですね。

岸 今日の話をまとめると、「わかるわかる」も嫌やし、排除も嫌。これって解決不可能なんですよね。そうすると理解っていうのはディテールとか、なにかフックみたいなものをいかに作っていくか。

『断片的なものの社会学』は、耳に挟んだ面白い話を散りばめています。小さいストーリーが大好きだというのもあるんですけど、だれもが持っている「持ちネタ」って人間関係のフックになるじゃないですか。バッと打ち解けたりもするし、雰囲気ががらっと変わったりするし。たとえば「しゃらんしゃらん」でもそうだし。そういうのを重ねてコミュニケーションしていくしかないのかもしれません。

6日21日(日)リブロ池袋本店(西武池袋本店別館8階 池袋コミュニティ・カレッジ)

●お知らせ

岸政彦『断片的なものの社会学』×星野智幸『呪文』刊行記念トークイベント

物語を生み出す / 物語が生み出す
http://www.aoyamabc.jp/event/kishi-hoshino/
2015年9月27日 (日) 18:00~19:30

プロフィール

ヤンヨンヒ映画監督

1964年11月11日大阪府大阪市生まれ。ニューヨークのニュースクール大学大学院修士号取得。6年間ニューヨークに滞在後、初の長編ドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」を発表しベルリン国際映画祭ほかで受賞。2012年初の劇映画「かぞくのくに」を発表、ブルーリボン賞作品賞、讀賣文学賞ほか映画賞、文学賞多数受賞。

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岸政彦社会学

1967年生まれ。社会学者。大阪市立大学大学院文学研究科単位取得退学。博士(文学)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。研究テーマは沖縄、生活史、社会調査方法論。著書に『同化と他者化──戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版、2013年)、『街の人生』(勁草書房、2014年)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社、2015年)、『ビニール傘』(新潮社、2017年)など。

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