2015.10.02

異性愛中心社会とゲイ・コミュニティ――東京レインボー祭りが照らし出すもの

砂川秀樹 文化人類学

社会 #東京レインボー祭#新宿二丁目の文化人類学

私が、自分が同性に惹かれていることを初めて意識したのは、小学四年生の時だった。同級生への強い胸の高鳴りを感じながら、必死にその思いを打ち消していたことを思い出す。そして、それから成長するにつれ、私は孤独感を増していった。いつもその時々に良い友人がいながらも、「周りと違う」という意識がつきまとっていた。家族の中でもそうだった。思春期はもっとも孤独感に苛まれた時期で、ゲイ雑誌を通じてゲイと出会うようになっても、同じような人は非常に数少ないと思い込み、どこか空虚感を抱えていた。

そんな私にとって、その孤独感や空虚感を薄れさせてくれたのが、ゲイバーが多く集まる街、新宿二丁目(以下、二丁目)だった。二丁目に足を運び始める少し前から、ゲイ解放運動のグループに顔を出したり、HIV/AIDSの市民活動に参加したりして、同じ志を持つゲイ仲間と出会い力づけられる経験をしてはいた。しかし、数多くの様々なゲイと出会う二丁目は、また違った形で、私に生きる力と喜びを与えてくれた街だった。

ただ最初に誤解のないように強調しておかなければならない。その街は、当然ながらユートピアであるわけではなく、盛り場である以上なんらかの落とし穴もあることだろう。出会いによっては辛い経験をし、深く傷つくことも珍しくはない。また、家出するような形で寄る辺のないまま二丁目に出た結果として、過酷な生活に飲み込まれたという話も聞く。だが、多くのゲイが、これまでこの街で日々の生活を生き延びていく力をもらってきたことも確かだ。

私は、その後、二丁目について研究することを目的として大学院に入った。そして、その街での自分の経験を見つめ直しながら、この街でフィールドワークをおこない、修士論文・博士論文を書いた。どのような関係性が二丁目にあるのか、ゲイバーはゲイにとってどういう意味があるのかを問い、そして、ゲイ・コミュニティ意識が生まれ広がる様子を目の当たりにする中で、その意識が誕生する背景を分析し考察した。

その博士論文に手を加える形で、今年(2015年)9月に上梓したのが『新宿二丁目の文化人類学 — ゲイ・コミュニティから都市をまなざす』である。私は、この本の中で、重要なできごととして二丁目で開催されている「東京レインボー祭り」から話を始めている。

それは、この祭りが、ゲイにとっての二丁目の変化を象徴づけるものであると同時に、その祭りが実現していく様子から、二丁目に限らない都市における関係性が見えてきたからだ。そしてなにより、この祭りが、全体社会において、異性愛というセクシュアリティがいかに日々を支配しているかを照射するからである。ここでは、その祭りについて書き記すが、よってそれは、異性愛を中心とした社会について語ることでもある。

コミュニティ意識の結実としての祭り

現在も二丁目で毎年開催されている「東京レインボー祭り」(以下、レインボー祭り)は、私が大学院に入り二丁目でのフィールドワークを開始して3年ほど経った頃、2000年に始まった。ゲイバーなどゲイ向けのビジネスを展開している経営者が中心となり実現したものだ。この祭りは、「東京レズビアン&ゲイパレード2000」の開催に合わせる形で企画が立てられ、パレードと連携しながら準備が進められたのだが、実は、私自身が、そのパレードの実行委員長でもあったことから、この祭りの始まりに関わりながら、それが実現していく様子を内部から見ることとなった。

レインボー祭りは、二丁目に対するゲイの意識が大きく変化したことを象徴する出来事だ。それまでにすでにその街に対して「ゲイタウン」という呼び名が定着していたものの、あくまでゲイバーなどゲイ向けの店舗が多く集まっているという意味であり、その街をゲイ・コミュニティと呼ぶという意味での、「コミュニティ意識」が成立していたわけではなかった(レズビアンバーやトランスジェンダーの人向けの店もあるが、ここではゲイバーについて論じていく)。

街の構成としては、居住者の大部分はゲイではなく、またその街に居住ながら営業している飲食店は、基本的にゲイをターゲットとしているわけではないことを考えると、それはある意味当然のことでもあった。

しかし、1990年代が終わる頃からその街で形成されているゲイのネットワークに対して、コミュニティと呼ぶ言葉が聞かれるようになってきた。レインボー祭りはそのコミュニティ意識の結実であり、その後、コミュニティ意識を深め広げる装置のような役割も果たしてきた。

一見すると、よくある商店街の振興イベントの一つに過ぎないこの祭りが、なぜゲイにとって重要であったのか。確かに、商業的な盛り上げも意図された祭りではあるが、この祭りが最初に実現したのちに、インターネット上やゲイ雑誌上で語られた感動の言葉はそれ以上のものであったことを物語っていた。それは、この祭りがそれまで経験したことのない意味での「私たちの祭り」だったからだ。

逕サ蜒・nichome1
二丁目の街頭に貼られているゲイ雑誌のポスター ©TERRA PUBLICATION INC.

「私たちの祭り」の実現

初めてレインボー祭りが開催された直後、当時のゲイ雑誌の編集者たちは、雑誌上に次のような言葉を残している。

今思えば恥ずかしいくらい泣いたけど、それが、人がつながって作り出すお祭りの魔法なんだと思う。/レインボー祭りは、二丁目のゲイたちが何十年もかけて作り上げた夢を、カタチあるものに変えてくれたのだ。[斎藤靖紀 2000『バディ』11月号]

パレード後のレインボー祭りで「ゲイに生まれてよかった!」と心から感動し、涙を流した人たちも数知れない。[junchan 2000『バディ』11月号]

当日「ゲイに生まれて良かった」という声を本当に数多く聞いた。こんな良い仲間や感動が得られたのは、バーという入り口から始まってゲイのコミュニティに関わりがもてたからだと思う。[福島光生 2000『G-men』No.56]

冒頭で私は、自分が同性を好きになっていることに気づいたときから、孤独感を深めていったと書いた。いうまでもなく、すべてのゲイがそうであるというわけではない。もしかしたら、そのような意識を持っているゲイは少ないかもしない。しかし、そのような感情をもたらす環境が日々の生活の中に存在していることは確かだ。

ほとんどの人が当前のこととしてとらえているがゆえに、改めて意識化されたり語られたりすることは少ないが、日々の生活の中で生じる会話、目にするテレビドラマ、映画、漫画、小説、実際に目の当たりにする親密な関係性、それら全てにおいて、恋愛や性に関することは、異性愛がほとんどを占め、また異性愛を前提として展開されている。その中で同性愛は明らかに阻害されている。そして、それは、「日常生活」に限った話ではない。

伝統的なものであれ、新興のもの(≒イベント)であれ、祭りという非日常的空間も、異性愛を前提としている。祭りは、その機能は低下している面も大きいとはいえ、それを共有するコミュニティのコミュニティ性を感得する重要な役割を果たしてきた。伝統的であればあるほどその性質は強くなるだろう。しかし、新興のものでも、それに参加したことがあるという経験の共有により、同じコミュニティにいる/いたことを意識させられる。

そして、その共有する祭りでは、様々なレベルで異性愛が表象されている。伝統的な祭りの中では、神事の中に、ジェンダー化され異性愛性(出産や家族の継承性を含め)を称揚する表象が重要なものとして存在することは珍しくはない。また、伝統的なものにしろ、新興のものにしろ、その祭りの周辺に生み出される、多くの人にとっては祭りの思い出の中心となることの多い空間にも異性愛が顕在化し、ある意味で支配している。

例えば、地元の代表的な祭りに行く際に意中の異性を誘うということが若者の大きな関心事であったり、あるいは祭りの中で「ナンパ」がおこなわれたり、また、夫婦も含めた異性愛カップルが異性愛カップルであることを明示しながら参加したりするということが、祭りの当たり前の光景としてある。むろん、同性カップルも多く足を運んでいるわけだが、ほとんどの同性カップルはカップルであるように見えないようにと注意を払うだろう(特に地元とのつながりが強いならば)。

多くのゲイやレズビアンは、そのことを特に意識したり不満に思ったりはしていないだろうが、セクシュアリティの側面から分析的に表現するならば、それはゲイやレズビアンが祭りから疎外されているということである。異性愛者と同性愛者は、その中で全く非対称的に位置づけられている。

そして、その経験や位置づけを逆転し、「私たちの祭り」として実現したものがレインボー祭りなのである。先の、ゲイ雑誌の編集者たちの言葉は、その実現を経験し、心震わせる中紡がれたものだ。

 レインボー祭りを祭りにしているもの

祭りが祭りである条件として、その中に出現する非日常性をあげることができるが、その出現をもたらす典型的なものの一つに、日常生活で見られるものの逆転がある。

レインボー祭りにおいては、それまで(そして今も日頃の生活において)支配的な力を発揮している異性愛の中心性が逆転されている。その空間においては、同性カップルも同性カップルとして参加することができるのだ。

また普段の生活において街の主体がどこにあるかを考えるとき、その中心となるのは土地や物件の所有者であり、その街の居住者である。しかし、「ゲイタウン」と呼ばれてきた二丁目ながら、その主体者に含まれるゲイは少ない。ましてや、ただの客としてこの街に足を運ぶものは、いくらこの街に思い入れがあったとしても、街を動かす主体者となることはない。しかし、レインボー祭りにおいては、この街にゲイバーのマスター/ママや客が、道路に溢れ、この街全体を占拠したかのように我が物顔で楽しむのである。これも逆転の一つだ。

しかし、いくら逆転により非日常性を生じさせても、(多くの信仰の祭りがそうであるように)「本当の」と意識されるような祭りにはならない。「本当の」と意識される祭りは、神事が含まれるものであり、また経験的には伝統性を感じさせるものだからだ。おそらくそこで重要な役割を果たしているのが、「みこし」でありエイサーである。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
東京レインボー祭りの「みこし」

レインボー祭りには、第一回目から、「みこし」とエイサーが登場している。ただし、この「みこし」にはご神体が存在しているわけではないので、本来の意味の神輿ではない。だが、法被と下帯を着用した男性たちがかつぐ姿は、じゅうぶんに「みこし」であることを感じさせる。

また、エイサーは、沖縄の旧盆に各地域で先祖を迎え送るために踊られるものだが、地域を超えて移植した形とはいえ、伝統性を体感させる。彼らが踊るエイサーが、近年沖縄でも盛んな「創作エイサー」と呼ばれる比較的新しいスタイルでなく、「伝統的」と呼ばれる、青年会などで踊られることが多いスタイルであることも示唆的だ。

実は、この祭りで踊るエイサーグループは、ゲイが中心となり構成されている。当初、レインボー祭りでは、東京の沖縄県人会の流れにある団体が踊っていたが、その中にいたゲイのメンバーが、二丁目の祭りで踊るからにはゲイ(を中心とした)グループで踊りたいと結成した。沖縄では、各地域の青年会がエイサーの担い手となることが多いが、まるで二丁目という地域に青年会が誕生したかのようでもある。

逕サ蜒・raibowfes1
東京レインボー祭りで演舞するエイサーグループ

今年のレインボー祭りの直前には、このエイサーグループの中心メンバーのひとりが「(亡くなったゲイの)先輩たちのために」とSNSで書き記していた。この言葉には、この祭りが、スタイルの模倣だけではない「私たちの祭り」として根を下ろしている様子を見るかのようだ。

こうして、かつてゲイが疎外の構造の中で経験してきた祭りが、二丁目で「私たちの祭り」に変わり現前するのである。

全体社会のダイナミクスの一部として

実は、もともとゲイバー、特にゲイのみを客とするゲイメンズバー自体が、異性愛社会の逆転空間となっている。日頃、異性愛者が異性愛を介在しながら関係性を紡いでいるように、ゲイは、同性愛を介在しながら、仲間と関係を築いてきた。異性愛者と異なるのは、そこで自身を肯定する経験をしてきたということである(ちなみに、ゲイメンズバーとは、ゲイが異性愛者を主な対象として営業しているバーとの区別のために作った筆者の造語である)。

しかし、ここでいう「同性愛を介在する」というのが、そこでセックスの相手を探すという意味だけではないことに注意が必要だ。ゲイメンズバーは、これまでマスメディアなどでは、性的な相手を求めることが主要な目的な、いかがわし空間として描かれることが多かったが、実際には、友人と会い会話を楽しむことの方が主となっている。

ただし、全体社会の様々な場において、異性愛者には異性愛の恋人やパートナーを見つける可能性があり、また、友人などと(時には親しくもない人と)異性愛について語ることによって関係性を築いているのと同じ形で、ゲイメンズバーにも、恋人やパートナーを見つけられる可能性があり、やはりセクシュアリティをめぐる話題が共有される。そして、そのことによって、親密性を増し、共有するものを持ち、コミュニティ感が醸成されている。

そのような意味で、ゲイメンズバーを含む約330件のゲイバーが集中する二丁目で「私たちの祭り」が実現したのは自然な流れだったと言えるかもしれない。

だが、二丁目ほどではないにしろ、ゲイバーが集中する場所は、都内にはいくもあり、また大阪など大都市にも存在する。その中で、二丁目が持つ特異性の一つは、集中度ももちろんあるが、その物理的条件も看過できない。

二丁目は、広い道路や寺などが周囲に位置する形から、その周りから切り離される形となり、その囲われたような場所にゲイバーが集中することで「ゲイタウン」といった一定のイメージが形成され保持されることになった。そして、そのイメージをゲイ自身が共有することにより、実際にはゲイではない住民が多く居住し、一般向けの店がたくさんありながらも、自分たちの街として意識するようになり、コミュニティ意識を投影する場所としての役割を果たしたのである。

よって、レインボー祭りの実現を結実とするコミュニティ意識は、「意識」といっても人々の内面だけで生じてきたものではない。外部の物理性や、全体社会の異性愛中心のあり方や、ここでは触れなかったが、ゲイ解放運動などの営為によるセクシュアリティに対するイメージの変化などが複雑に交差する中にある。当然ながら、ゲイもゲイ・コミュニティと意識されるものも、特別に区切られた社会として存在しているわけではない。全体社会のダイナミクスの一部なのである。

よって、全体社会におけるゲイの位置づけが変わっていくならば、この祭りの意味も形もきっと変わることだろう。あるいは、街の構造が変わることで変化する可能は高い。いずれにせよ、長い歴史的視点で見れば必ず大きく変わっていくことは確かだ。「そのときに、この街のありようや祭りが開催されたときの思いをなかったことにされたくない」。その思いが、実は、私にこの本(博士論文)を書かせた一番の動機だったかもしれない。

プロフィール

砂川秀樹文化人類学

1966年沖縄県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。博士(学術)。現在、ピンクドット沖縄/レインボーアライアンス沖縄共同代表、早稲田大学琉球沖縄研究所招聘研究員、沖縄国際大学非常勤講師。共編著に『カミングアウト・レターズ』(太郎次郎社エディタス、2007)。

この執筆者の記事