2017.02.20

高額医療問題についての議論に必要なものとは何か――オプジーボを利用する肺がん患者の声から

齋藤公子 保健医療社会学

社会 #高額医療#オプジーボ

急激な少子高齢化の影響が危惧される日本社会において、増え続ける国民医療費への対応は喫緊の課題と認識されている。国は制度を変更し、国民の負担増などによりそれを抑制しようとしているが、日常の具体的な医療実践に変更を迫る方策が議論されることは多くない。だが昨年、そうした状況に変化が見られた。とあるがんの治療薬をめぐり、その保険適用の拡大が国の存亡にかかわるとの主張に注目が集まったからである。

そのがん治療薬とは、新たな作用機序によりその効果に大きな期待が持たれるニボルマブ(商品名:オプジーボ)である。患者ひとりにつき年間3,500万円かかるがん治療薬として知られるようになり、その保険適用の拡大とそれによる国の医療費負担増をめぐり、議論が噴出した。

本稿ではまず、ニボルマブの保険適用拡大とそれにまつわる高額医療問題についての議論の広まりの一端を、整理して示す。また、そうした議論のなかに、ニボルマブの利用者たるがん患者たちの主張が含まれていなかったことを指摘する。くわえて、患者たちの声に耳を傾けることが、今後の国民医療費についての議論にどのように資するかにも言及する。

高額な肺がん治療薬で国民皆保険は破綻?

 

ニボルマブとは、免疫チェックポイント阻害剤の一種である。これまでがんの標準治療に用いられてきた薬剤には、がん細胞の死滅を目指す抗がん剤や、がん細胞の働きを分子レベルで阻害する分子標的治療薬があり、そのいずれもががん細胞そのものに働きかける。

一方、免疫チェックポイント阻害剤は、患者自身の免疫システムを制御することでがん細胞の増殖を抑える薬である。専門家によれば、標準治療では効果が出にくくなった進行がんにも一定割合で強力な治療効果が認められ、従来用いられてきた抗がん剤に較べて副作用の頻度が低く、効果がある場合はがんの縮小や延命効果が長期に持続する(松島 2017)。よって、標準治療においては選択肢が限られる病状のがん患者のなかには、その利用に一縷の望みをつないでいる者が多い。

2014年7月、ニボルマブは希少がんの一種である悪性黒色腫の治療薬として保険適用された。翌年2月、ニボルマブは肺がんの一種である非小細胞肺がんへの保険適用も認められる。肺がん治療に対するこの適用拡大が、今回高額ながん治療薬の保険適用が問題視されるようになった発端である。

日本で悪性黒色腫に罹患する人は年数千人で、ニボルマブの保険適用が承認された段階では、年間の利用者はピーク時で470人と見積もられていた。1年で3,500万円という薬価は、利用者数がこれほどの規模であるとの予測から算出されたものである。

一方、ニボルマブ投与の対象となる非小細胞肺がん患者数を5万人程度と推定すると、その費用は1年で1兆7,500億円にのぼる。現状、年間約40兆円の国民医療費にとって、それは多大な負担となる(川口 2016, 國頭 2016a)。

こうした事態を国民皆保険制度に結びつけて、たとえば東京大学医科学研究所特任教授(当時)の上昌広氏は以下のように述べている。

 

昨年、免役チェックポイント阻害剤である「オプジーボ」が承認され、肺がんなど固形癌への応用が進んでいます。これまでの抗がん剤と異なり、この薬剤は高い効果が見込めます。ただ、薬剤費は年間三千万円以上と高額です。全てを保険償還すれば、早晩、国民皆保険は破綻するでしょう。(上 2016)

その後、2016年8月には腎細胞がんで、12月には血液がんの一種であるホジキンリンパ腫で、ニボルマブの使用が認められた。現在、頭頸部がんや胃がんでの使用も承認申請が出されている(『朝日新聞』2017.2.1 朝刊)。臨床研究段階にあるものも含めれば、ニボルマブの適応可能性があるがん種はこれらにとどまらない。

そうした状況に先立ち、希少がんであった悪性黒色腫の罹患者数をもとに算出された薬価がそのまま適応され、その罹患者の多さからニボルマブの保険適用拡大が問題化したのが、肺がん適用の承認時だったのである。

広まる「オプジーボ亡国論」

本稿では、ニボルマブの保険適用拡大の問題化をきっかけに広まった、がん患者による高額薬剤の利用を日本の国民皆保険制度や国の存亡にかかわるものと捉える言説を「オプジーボ亡国論」と呼ぼうと思う。そうした主張をより詳しく訴え、具体的な対策の必要性を強調したのが、日本赤十字社医療センター化学療法科部長の國頭英夫氏である。氏はたとえば、以下のように述べている。

ニボルマブを1年間使用すると約3500万円という額に達します。(中略)では、そのお金はどこから出ることになるのか。国民皆保険制度に加え、高額療養費制度がある日本では、医療費の自己負担額は最高でも年間200万円程度です。だからニボルマブを使うと、実際に患者が負担するのは総額の5%以下で、残りは全て公的負担です。したがって、ほとんどを国全体で賄うことになるわけです。今後続くであろう同種薬剤も同程度に値付けされると思うと、これらによって国の財政は逼迫すると容易に想像がつきます。(國頭 2016a)

國頭氏は、2016年4月に開催された財務省の財政制度等審議会でヒアリングを受けた。そこでも同様の発言をくり広げたと報告されている(財政制度等審議会 2016)。この審議会での議論が報道され、國頭氏は「1剤が国を亡ぼす」「75歳以上の高額医療に制限をかけてはどうか」との主張を、複数の機会を捉えて表明した(『産経新聞』2016.05.03, 國頭 2016b, 2016c, 2016d)。

こうして「オプジーボ亡国論」は広まり、多くの人の知るところとなった。それにより、具体的な医療実践が国民医療費の増大に結びつき、その影響は国の財政に及ぶ可能性があるという認識が広まった。

患者の声に耳を傾ける

この「オプジーボ亡国論」に対し、2016年8月、公に意見を表明する患者が出た。日本肺がん患者連絡会代表の長谷川一男氏である。

長谷川氏はステージ4の肺がん罹患者で、2010年に診断が下って以来8種類の薬剤を使い、複数の先進医療を経て、右肺全摘手術も受けた。もはや現状で利用可能な治療は、ニボルマブが残されるのみかという重篤な病状と向き合う。

一方で、2016年にNPO法人肺がん患者の会ワンステップを設立。現在では、日本各地で肺がん患者を対象として活動している6つの患者会を束ね、その連合組織である日本肺がん患者連絡会の代表を務めている。(注)

(注)長谷川氏は元テレビディレクターで、自らの罹患経験を積極的に発信し、他のがん患者の支援に努めている。また、がん医療関連の学会などとも協働し、がん患者アドボケートとして活動している。詳しくはワンステップのサイトを参照のこと。

その長谷川氏が國頭氏の主張に対して、患者として率直な意見を述べたのが以下である。

ステージ4の肺がん患者さんだと(残された)いのちが限られる――そう宣告されているので、新薬に対しての期待は強い。その患者から(新薬を)とり上げるというのは、ちょっと短絡的で、納得がいかないと思っています。(長谷川 2016)

2014年の人口動態統計によれば、日本におけるがんの死亡数は年間約37万人だが、肺がんによるものが第1位で約7万3,000人である。他のがんに比べて予後も厳しく、2016年に国立がん研究センターが発表したがん種別10年生存率では、全がん種平均の58.2%に対し、肺がんは33.2%だった。

それらの数値の背景には、進行が早い、脳や骨などへの遠隔転移が起こりやすい、再発率が高いなどの肺がんの特徴がある。だが、そうした肺がんの診断法、治療法にも、近年は進展が見られる。新たな薬剤が利用できるようになり、原因となる遺伝子異常を特定したうえで適した治療法が選択可能にもなっている。

しかし、個々の患者の経験においては、当初は奏功した治療法も、一定の期間を過ぎれば効果が薄れていく場合がある。薬剤を変え、先進医療や手術も試みたところで、治療法の選択肢は徐々に減っていく。そうした療養の日々、患者はまさに迫り来る死と向き合うことになる。そこに登場した、新たな作用機序により大きな効果が期待できるニボルマブ。だが、その利用は国の存亡にかかわるため、たとえ自らのいのちを救う唯一の薬剤であっても諦めねばならないのか。

「オプジーボ亡国論」が広まる一方、肺がん患者たちはこうした逡巡のなかで療養を続けてきた。そうした事態に対し、長谷川氏は「納得がいかない」と声を上げた。2015年末にニボルマブが肺がん治療に保険適用拡大されて以来、その影響は日本の国民皆保険制度や国の存亡と結びつけて語られてきた。「患者ひとりに年間3,500万円」「5万人」「1兆7,500億円」などの数字が、衝撃をもって伝えられた。

だがそうした「オプジーボ亡国論」のうちに、ニボルマブの主たる利用者と名指されてきた肺がん患者の発言は含まれていなかった。高額医療問題にまつわる議論に必要なのは、こうした痛切な患者の声に耳を傾ける姿勢ではなかったか。 

薬価引き下げで高額薬剤問題は決着?

厚生労働省は2016年8月、定期的に実施される薬価改定を待たずに、ニボルマブの価格を特例的に見直すことを中央社会保険医療協議会(中医協)の専門部会に提案した(『産経新聞』2016.8.24)。10月には25%の値下げが検討されたが、首相官邸から再検討の指示が出て、11月に50%の値下げで決着した(『読売新聞』2016.11.30)。

2016年末、次年度予算案についての報道が増えると、ニボルマブの薬価引き下げが、新たに実現した国民医療費増大抑制策の事例としてくり返し語られるようになった。これをもってして、高額医療問題についての議論は決着したかのように見える。

しかし前述のとおり、ニボルマブの効果が認められるがん種は増えている。それはもちろん喜ばしいことだが、ゆえに保険適用の拡大が続き、さらに利用者が増えれば、「オプジーボ亡国論」が主張する「国の財政の逼迫」の可能性はなくならないとも考え得る。国家財政の現状を「将来世代に大きなツケを回しながら取り繕っている状況」(川口 2017)と捉えれば、「オプジーボ亡国論」への注目が減じたことをして、国民皆保険制度の破綻は回避されたと理解することは難しい。

2016年12月、これも免疫チェックポイント阻害剤であるペムブロリズマブ(商品名:キイトルーダ)が承認された。その薬価は、ニボルマブの薬価引き下げ問題の影響により決定が遅れていたが、本年2月、1日当たりの価格を50%引き下げられたニボルマブと同額にする(年間約1,400万円)こととなった(『毎日新聞』2017.02.08)。

今後もこのように、医学や医療技術の進展により高額な薬剤の承認申請が続くことは避けられない。ゆえに、ニボルマブという特定の薬剤の価格が特例的に50%引き下げられたからといって、高額医療問題が一応の解決に達し、さらなる議論は必要ないかのような風潮には懸念を抱かざるをえない。(注)

(注)厚生労働省は、2017年2月、翌年度からの薬価決定に「費用対効果」を反映する仕組みを本格導入することを中医協に提案し、了承された(『毎日新聞』2017.02.08)。そうした仕組みの導入は、高額医療問題についての対応策のひとつではあるが、それががん患者や一般市民に与える影響についての議論は今後の課題である。

今後の議論に向けて

では、今後の議論はどうあるべきなのか。その点についても、長谷川氏の発言に耳を傾けたい。

長谷川氏は、十数年前に父を肺がんで亡くしているという。抗がん剤治療を受けたが奏功せず、主治医に「もう治療法はありません」と告げられた。「日本一の病院で治療を受けるんだ」と思い定めて受診した病院で、1種類の抗がん剤を投与されただけだった。だが、患者家族たる当時の長谷川氏は、父から主治医にそう言われたと聞き、「日本一の病院で言われるんならしょうがないよなといった感覚」だったという。

でもいまは僕も患者ですので、「もう治療法ありません」「さようなら」って言われるのが、どういう状況かはよくわかります。もうあなたは座して死を待つだけです、という状況。それがどんなにつらいかを、家族である僕がまったくわかっていなくて、父ひとりにそういうつらい思いをさせてしまったことは、とても後悔しています。それを言った医療者を、僕は恨んでますし、僕自身、なにかもっとできることがなかったのか、いまだったらできるのにという、そういう後悔の念でいっぱいです。(長谷川 2016)

父に対する主治医の発言についての今の思いを語りつつ、長谷川氏はそこから得た人々の「無関心」に対する危機感を表明する。

無関心、知らない、そういう(患者の)思いに共感しなかったというところから、僕の父への後悔の念っていうのは始まっているんです。やっぱり、無関心っていうのが一番悪いんじゃないか。僕は先ほど、医師を恨んでるって言いましたが、その医師以上に、もう何倍も、僕自身を恨んでいます。僕自身が後悔しています。(長谷川 2016)

患者家族であった自分の「無関心」を、患者本人であった父はどう受け止めていたか。長谷川氏は十数年前の記憶をたどり、自らの言動についての深い後悔を口にする。そしてそうした思いから、高額医療問題についての今後の議論に資する結論を導き出す。

(このような自分の経験から)高額薬剤の問題についても、学べることがあるのではないかと思っています。やっぱり、(患者の思いに)無関心でいないこと。そして(いまは)患者として、患者の思いはきちっと伝えること――そんなことが必要かと思っています。(長谷川 2016)

患者家族でも理解し切れない患者本人の思い。それを患者がすすんで伝えていくことが、かつての自らを含む、人びとの「無関心」を減じることにつながる――そうした長谷川氏の勇気ある発言は、高額医療問題の解決策は簡単には見つからないが「考え続けたい」としめ括られる。

がんは1981年から連続して日本人の死因第1位で、日本人の2人に1人が生涯のうちにがんにかかるとの統計もある(がん情報サービス 2016)。これは換言すれば、将来がん患者かがん患者家族になる可能性が、ほぼすべての日本人にあるということだ。

そうした疾病に対する医療のコストを、私たちがいかに負担していくかについての議論を、特定のがん種の患者が利用する特定の薬剤の価格の問題として語ることは、国民医療費増大に対するとり組みを矮小化しかねない。まずは誰もが「無関心」から踏み出すこと、自らが患者となったと仮定した視座から方策を探ろうとすることが、高額医療問題にまつわる議論に必要なもうひとつのことではないか。

出典

がん情報サービス, 2016,「最新がん統計」, がん情報サービス.

長谷川一男, 2016,「ふくれあがる医療費に対して、当事者である患者が発信できること」,

『ジャパンキャンサーフォーラム2016:サバイバーズトーク』2016年8月7日収録.

上昌広, 2016,「MRIC 新年にあたり」, MRIC.

川口恭, 2016,「もし承認の順番が違ったら、薬価はもっと安かった:オプジーボの光と影(1)」, MRIC.

川口恭, 2017,「子どもの貧困放置して、薬に大金はたく不合理:オプジーボの光と影(8)」, MRIC.

國頭英夫, 2016a,「コストを語らずにきた代償:“絶望”的状況を迎え,われわれはどう振る舞うべきか 」, 『週刊医学界新聞』2016年3月7日, (http://www.igaku-shoin.co.jp/paperDetail.do?id=PA03165_01)

國頭英夫, 2016b,「がん専門医からの警告:このままでは医療財政はもたない」,『週刊東洋経済』2016年6月4日号.

國頭英夫, 2016c,「あなたはどう考えますか:新薬高騰が医療を壊す?」, NHKテレビ『クローズアップ現代+』2016年7月13日放送.

國頭英夫, 2016d,「インタビュー 75歳以上は延命治療を控えるべき」, 『週刊エコノミスト』2016年7月19日号.

松島綱治, 2017,「〔座談会〕がん免疫療法:ブレイクスルーの先へ」, 『週刊医学界新聞』2017年1月16日号.

財政制度等審議会, 2016,「財政制度分科会(平成28年4月4日開催)記者会見」, 財務省.

プロフィール

齋藤公子保健医療社会学

立教大学社会学研究科研修生。専門は保健医療社会学。立教大学文学部卒業後、複数の出版社に編集者として勤務。在職中に胃がんに罹患し、いくつかの患者会に参加。そこで出会ったがん患者たちにインタビューして、2016年立教大学社会学研究科博士課程前期課程修了。現在も患者会活動を続けつつ、後期課程進学準備中。

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