2017.10.03

都市に「緑地」はなぜ必要か――「市街化調整区域」を真面目に考える

吉永明弘 環境倫理学

社会 #市街化調整区域

『都市の環境倫理』の3つの主張

私の専門は環境倫理学である。ここ数年は、「都市の環境倫理」についての研究を続けている。2014年に刊行した拙著『都市の環境倫理』では、次の3点を主張した。

(1)都市は地球の持続可能性に貢献できる。戸建て住宅に分散して住み、マイカーで移動する郊外型のライフスタイルよりも、集住と公共共通の利用を中心とする都市型のライフスタイルのほうが、資源とエネルギーが節約できるからである。

(2)都市における自然に目を向けるべきである。都市の中にも動植物は存在する。緑地も川もある。アスファルトの下には大地のデコボコがある。「都市には自然がない」と言ってしまうと、現にそこにある自然に目が向かなくなる。

(3)都市生活はストレスが多いと言われるが、それは仕事のしかたや人間関係の問題が大きく、必ずしも都市生活に起因するわけではない。都市で快適に過ごしている人もいる。地方への逃避を考えるよりも、都市生活のアメニティを高めることを考えるべきである。

これらは「都市」を環境倫理学のテーマとして設定することに対する批判に答えたものでもある。そこで繰り返し強調したのは、都市が農村よりも圧倒的に優れた環境であると言いたいわけではないという点である(また、「都市化」を進めるべきだとも全く言っていない。都市のスプロール化は集住のメリットを損なうので抑制されるべきだというのが「都市の環境倫理」から導き出される)。

地球の人口の半数以上が都市に住んでいる現在、身近な環境とは都市環境であり、都市環境を射程に入れずに原生自然や里山だけを強調する環境倫理学は人々の実感から離れてしまうのではないか、という懸念から都市に焦点を当てたのである。

もちろん、従来からの都市(および都市住民)に対する批判には頷けるものもある。その一つは、都市は自立しておらず、資源、エネルギー、食料を農山漁村に依存しているという点である。もっと強く言えば、都市は農山漁村から資源、エネルギー、食料を搾取しているという論点である。この指摘は間違いではない。例えば電気は送電ロスをもたらしながら遠方から都市へと運ばれてくる。また、食料も自給できていない。地産地消ならば、輸送の燃料も、余分な保存料も使わずに済むだろう。

しかし現状では都市における完全な地産地消は夢物語である。それでも、「都市の自給自足」をできるだけ追求すべきだとはいえる。例えば災害時のことを考えるならば、都市の中に小型の発電所や農地を整備することなどによって、少しでも電気や食料を自給できるようにしておかないといけない。近年では企業でも自社発電の取り組みがなされ、また市民農園への関心も強まりつつある。これは望ましい流れといえよう。

オープンスペースの確保

防災や緑という観点からは、日本の都市にはオープンスペースが足りないことが昔から指摘されている。大谷幸夫『空地の思想』(北斗出版)という名著がある。大谷は戦後日本を代表する建築家・都市計画家の一人である。この本は1979年に出版され、現在は絶版になっているが、ここで指摘されている問題点は現在でもほとんど改善されていない。

この本で大谷は、施設を作ればよいという「施設主義」の弊害を説く。主管官庁の数だけ施設ができてしまうこと。職員(ここでは特に身障者施設の職員)の待遇改善がなされないまま施設だけが増えるということ。これらは今でも通用する指摘である。

また、防災の基本は日常の生活環境を良くすることである、と喝破する。地下街や巨大ビルは、日常性に欠け、容易に異常事態が発生する。大谷はここで、「空地」(くうち)の重要性を説く。それは文字通り、空と地面であり、空気の容量が大きければ火事の際に煙が充満することもないとして、その防災的効果を主張している。逆に地下街や巨大ビルは空地がないために危険になる。

このように大谷は、施設づくりを中心とする都市計画を批判し、都市に空地を確保することを主張している。大谷によれば、古代ギリシャでは「施設にできないような、あるいは、特定の施設にはしないほうが良い活動とか、行動や機能が広場に残っている」が、「いまは施設になるものだけが価値があるとしてそれをつくり、施設化できないものは価値がないとか存在しないかのごとく扱っている」。そして「まちのなかのすべてが、既知のものとして、意味づけられたものだけで埋めつくされているのはおかしい」として、「市街地の中の小さな原っぱ、あるいは傾斜地の自然などをそっとして置こう」と述べている。

ここから分かるのは、大谷が考えている都市の「空地」とは、「施設化されずに留保された場所」ということである。留保されたところが、オープンスペースとして都市民に寄与するのである。

 

「市街化調整区域」を再評価しよう

この「空地」の思想を現代の法制度に当てはめると、それを体現しているのは「市街化調整区域」ではないか、というのが本稿の仮説である。

現在の日本の都市計画における「市街化区域」と「市街化調整区域」の線引きは、産業の発展のために都市化を進める地域を指定するという意味合いが強い。つまり、力点は「市街化区域」にある。「市街化調整区域」は「市街化を抑制すべき区域」であり、乱開発を避けて緑地や農地を維持することを目的としているが、現状ではその理念があまり強調されていない。しかし、大谷の「空地の思想」を援用することによって、「市街化調整区域」の意義をよりうまく提示できるのではないかと思われる。

「オーバーユース」を避けるためにも近所に緑地が必要

都市地域に必要な「空地」の代表は「緑地」であろう。近年では、自然とのふれあいを求めて地方に移住する人や、観光で訪れる人の数が増えている。しかし、観光客はその地域に対してプラスに働くとは限らない。確かに、観光という産業によって活性化した地域も多いだろう。その一方で「オーバーユース」(過剰利用)による自然破壊や地域の変容という問題も生じている。

もちろん観光自体は批判されるべきものではないが、ある場所が「名所」になったために人々が殺到して荒らされてしまう、というのはやりきれない思いがする。それよりも、都市にある自然の魅力を発見し、そこで楽しむことができれば、わざわざ遠くの「名所」に行かなくても済むだろう。地域のオーバーユースだけでなく、長期休みの道路の渋滞も少しは緩和するかもしれない。自然にふれるために、わざわざ別の地域に行く必要はない。自分たちが住んでいる地域に緑地を確保し、そこで自然に親しむことができれば、それが一番である。

近隣の緑地を守るための運動

近隣の緑地を守り抜いた市民運動として有名なのが、1979年から2003年までの25年にわたって繰り広げられた「鎌倉広町の森」の保護運動である。以下では鎌倉の自然を守る連合会『鎌倉広町の森はかくて守られた』(港の人)に従って、運動の経緯を追っていく。

1973年に、近隣の森に開発の気配を感じた主婦が近所の人たちに相談したことがきっかけとなり、1979年に自治会を主体とする「広町の山を守る会」が成立した。面白いのは、それまでその森の地域には名前がなかったのだが、この時に「広町」という名前がついたということだ。人々が注目し、守りたいと思ったときに、名前が付けられたのである。

「広町の山を守る会」は、現地の観察会から始め、市長への陳情、署名活動などを活発に行っていく。その後、保全を求める自治会が結集し「鎌倉の自然を守る連合会」が結成される。この「連合会」が最後まで運動を牽引することになる。

最初の危機は、1989年、当時の市長が開発を認める発言をしたことである。そこで市長の再選阻止を目指すが失敗に終わる。再度の署名活動、陳情、市長への抗議などを展開し、1993年の選挙で保全派の市長を誕生させる。

新市長はすぐに開発手続きを凍結させたが、開発事業者はあきらめない。そこで市・市民・開発事業者の三者協議が行われるが、議論は平行線をたどる。1998年には開発手続きが再開される。市が開発事業者から損害賠償請求訴訟を起こすと言われたからである。

そこで「連合会」は土地の買い取り資金を集めるべく、トラスト運動に乗り出す。また、環境アセスメントに多数の意見書を提出しつつ、市の保全策を待つことになる。審議会が出した案は都市計画法に基づく「都市林」にするというもので、これで市が具体的に保全に向けて動き出すことになった。その後も開発事業者との駆け引きが続くが、ついに2003年に市の買い取りによる全面保全が実現した。 

今も続いている緑地開発と保護運動

この本を読むと、鎌倉の市民たちの奮闘ぶりに圧倒される思いがあるが、近隣の緑地を残したいという市民の要求が実現するために25年もかかることにも驚きを感じる。それが日本の現状なのである。そして今でも緑地の開発は各地で行われている。

横浜市の港南区と栄区の区界付近にある「瀬上沢緑地」は、鎌倉市まで続く横浜市内最大の一大緑地帯である。ここに東急建設による開発計画が持ち上がっている。この計画に対して、市民団体「横浜のみどりを未来につなぐ実行委員会」(http://livegreenyokohama.com/)が住民投票を行うことで市民の意思を示そうとしている。

緑地の特徴、開発計画の概要、それに対する市民団体の対応などは「グリーンアクティブ」の公式サイト(http://green-active.jp)にコンパクトにまとめられている。論点はいくつかあるが、本稿の観点から指摘したいのは、横浜市がこの緑地の地域を「市街化調整区域」から「市街化区域」に変更することによって、この開発を可能にしようとしている点である。

神奈川県が線引きしていた時代は、東急建設の開発計画も、「市街化区域」への線引き変更も却下されていたという(2008年)。しかし、地方分権によって基礎自治体に権限が委譲され、神奈川県に代わって政令指定都市である横浜市が線引きを担うことになってから、このような変更が計画されたのである。

住民に近い自治体に多くの権限を移譲するというのは、一見素晴らしいことのように見える。だが、基礎自治体の判断が必ずしも良いものになるとは限らない。「市街化区域」に変更することによって、宅地や商業施設の建設が可能になると、一時的に人口増加による税収や雇用が増加する。そこから基礎自治体は短期的なメリットをねらって開発を許可する方向に進みがちである。しかし、日本が人口減少に向かっていることを考慮すると、長期的には正しい判断とは言えないだろう。

また、本稿の観点からは、この変更計画は「市街化調整区域」の理念を無視するもののように思われる。何のために「市街化調整区域」があるのか、が考えられていないから、安易な線引きの変更計画が起こるのだ。「市街化調整区域」を、都市に「空地」を確保するための制度としてもっと積極的に評価すべきである。そして、自治体の短期的な都合によって安易な線引きの変更が起こらないようなしくみをつくることが望ましいと考える。

瀬上沢1

「地域エゴ批判」に反論する

最後に、こうした住民運動に対して出される「地域エゴ批判」について書いておく。以前に拙論(「地域エゴ」の何が悪いのか?)でも取り上げたが、「地域エゴ批判」には穴がある。権利主張をすること自体は正当なことだし、行政は地域住民の意思をきちんと受け止めるべきだが、「地域エゴ批判」は住民の権利主張を最初から封じてしまう効果をもつ。加えて今回は、(1)「地域エゴ」と言われるけれども実際には合理的な判断に基づいていることもある、(2)「地域エゴ批判」は都市計画や保護地域(線引きをして、あるエリアは開発をしないと決める)という制度そのものを掘り崩す言説だ、ということを述べておきたい。

先にふれた鎌倉広町の運動に対しても、古くから住んでいる人たちから、「自分たちが分譲地に住んでいながら開発に反対するのは矛盾ではないか、あるいはエゴではないか」という批判がずっとあったという。しかし、その人たちにていねいな説明を行い、理解を得てきたという。どういう説得をしたのかは定かではない。ただこの論法は実は近年ではさまざまなところで実質的に論駁されている。

例えば「反原発」ではなく「脱原発」という言葉には、原発の恩恵をこれまでは受けてきたがこれからは危険性が大きいのでやめよう、というニュアンスがある。これは合理的な言説といえよう。これまで恩恵を受けてきた人が原発に反対するのはおかしい、とは言われない。同じように、これまでは緑を削っても他に十分に緑があったので何とかなっていたが、これ以上削るのはまずいのでやめよう、という判断は合理的といえるだろう。

瀬上沢緑地の場合は、「開発を抑制すべき区域」なのに、それが変更され開発されそうになっているという点がポイントである。地域エゴ批判者は、「そこに宅地を建てて住みたい人もいるのにそれを許さないのは先に住んでいる人のエゴである」と言うかもしれない。だがそれは、例えば、すでにそのアパートに住んでいる人が、空いている部屋に新住民が入居するのを嫌がって断るのとは異なる。なぜならこの場合、入居を断られる部屋は「空き部屋にしておく」ことが決められた部屋だからである。このような取り決めを気軽に否定できるのならば、都市計画という制度の意義が掘り崩されることになる。

例えば「史跡」を保護することに対しては、地域エゴ批判者は特に何も言わないだろう。それは国民や人類の「共通の財産」とされているからかもしれない。しかし地域の森もその地域住民の「共通の財産」である場合が多い。「名のある」場所に対しては、保護するためのコンセンサスが得られやすい。しかし「無名の」場所、明確には意味づけられず留保されている場所も、都市住民にとっては重要である。それを明確に主張したのが、大谷の「空地の思想」であり、制度上担保しうるのが「市街化調整区域」なのである。

プロフィール

吉永明弘環境倫理学

法政大学人間環境学部教授。専門は環境倫理学。著書『都市の環境倫理』(勁草書房、2014年)、『ブックガイド環境倫理』(勁草書房、2017年)。編著として『未来の環境倫理学』(勁草書房、2018年)、『環境倫理学(3STEPシリーズ)』(昭和堂、2020年)。最新の著作は『はじめて学ぶ環境倫理』(ちくまプリマ―新書、2021年)。

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