2018.03.12

虐待――乗り越えるべき四つの困難

社会 #虐待#子どもの人権をまもるために

「子どもには人権がある」と言われるが、ほんとうにその権利は保障されているか。大人の「管理の都合」ばかりが優先され、「子どもだから仕方ない」で片づけられてはいないか。貧困、虐待、指導死、保育不足など、いま子どもたちに降りかかるさまざまな困難はまさに「人権侵害」。この困難から子どもをまもるべく、現場のアクティビストと憲法学者が手を結び、『子どもの人権をまもるために』(木村草太編)が出版された。本書から第一章「虐待」(宮田雄吾)を公開する。

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虐待とは何か?

証言1「理由は何だったか忘れました。ただ両足首をがっしりと摑まれて、洋服のまま逆さ吊りにされて、そのまま頭から浴槽につけられたことは覚えています。『止めて、止めて、ごめんなさい』最初はそう必死で叫んだんですけど、お母さんは知らんぷりでした。叫んでいると口の中には水が入ってきて苦しいから、水を飲まないように息を止めるしかありませんでした。気が遠くなって、死ぬ寸前になると引き上げられる、その繰り返しでした。とにかくお風呂は今でも怖いです……」

証言2「お母さんはいつも酒を飲むとおかしくなるんです。寝ている私を無理やり起こして、包丁を首元に押し当てて『死のうか』と言われた時は怖かったです。それが何度もあったんで、中学校に入ってからは枕の下に包丁を隠してからじゃないと眠れませんでした……」

証言3「5歳ごろになるとお母さんは週末しか帰ってこなくなりました。私はおばあちゃんと二人暮らしになったんです。いえ、おばあちゃんが面倒見てくれたわけじゃありません。だっておばあちゃんはもう寝たきりになってたから。おむつは私には替えられないから、おばあちゃんがいつもくさかったのを覚えています。ご飯は作れなかったからいつも一人で買いに行きました。おばあちゃんは海苔巻みたいな物、私はお菓子。小学校に入って少ししておばあちゃんはだんだん弱っていって、結局私の目の前で死にました。一人でどうしたらいいかわからなくて、ただただ怖かった……」

証言4「お母さんとその彼氏がエロいことをしているのは嫌だった。大抵私は寝たふりして聞こえないふりをしてた。でもある時、お母さんが私を起こしに来た。お前も一緒に今から気持ちいいことしようって。『えーっ』って言ったけど『いいからいいから』って無理やり連れて行かれた。そしたら彼氏さんが変な道具を持ち出してきてそれを私の股に押し当てた。お母さんと彼氏さんは一緒に笑って見てた……」

これらは私が精神科医として出会ってきた子どもから直接聴いた話だ(実際の語り口は長崎弁だったし、もっとたどたどしく、とぎれとぎれだった)。

初めて聴いた時に、私は衝撃を受けた。しかし児童福祉の領域で仕事をしていると、これらがさほど珍しい話ではないことが次第に分かってきた。

私は「児童心理治療施設(旧情緒障害児短期治療施設)大村椿の森学園」で勤務している。ここは情緒的な問題を持つ子どもが入所する児童福祉施設の一種だ。平成15年4月1日の開設日から平成29年5月31日までの全入所児童155名のうち、118名(76・1%)の子どもが何らかの虐待を受けていた。内訳は身体的虐待50人、ネグレクト(育児放棄)45人、性的虐待29人、心理的虐待52人(重複あり)である。全国に目を向けると平成26 年度に児童相談所が相談・対応した虐待件数は8万8931件に及んでいる。その中では心理的虐待が最多である。虐待を受けている子どもは数多い。

ちなみに児童虐待を理解する時に、「虐待」という言葉の持つ残虐なイメージに引っ張られ過ぎてはならない。ネグレクトや心理的虐待の中には残虐さが上手に隠されて、目立たないものもある。しかし子どもに与える悪影響は絶大だ。やはり虐待はもう少し幅広い視点で捉えなければならないのである。

児童虐待は英語で“child abuse”という。ちなみに“abuse”という単語は、分解すると“ab(離れた)+ use(使い方)”。すなわち“child abuse”とは「子どもの本来とはかけ離れた使い方」を意味する言葉である。

私はこの概念の方が児童虐待を正しく捉えていると考えている。

子どもの本来の使い方とは、子ども自身の成長を目的として、温かく育み、正しく導くことである。子どもは決して大人の満足のための愛玩動物ではない。ましてや大人の怒りや哀しみのはけ口ではない。召使いやセクサロイドの役割を担わせるなどもってのほかなのである。

この虐待を受けた子どもに向かい合う際には様々な困難な点がある。ここからはそれらを示し、周囲の大人がせめてどうすればよいのかを述べたいと思う。

発見の困難

第一の困難ポイントは「発見」することだ。

親は巧妙に虐待を隠す。殴る部位は衣類で覆われた場所が選択されがちだ。通院は発見されぬように手控えられ、行政や学校の介入に対しては親権を振りかざし、抵抗を示す親が少なくない。

ある日、私が子どもの袖を捲ると、二の腕に三列の熱傷の跡があった。「落ち着きのない子どもで小さい時にポットで遊んでお湯をかけたんです」と親は言う。「3回もですか?」と尋ねた私に親は平然と「ええ」と答えた。「そんなはずあるか!」と思ったが、それを目撃していない私には何も証明できなかった。何せ横に座る子どもは表情も変えずに押し黙ったままなのだ。それも当然だ。親の前で口を開くはずはない。その後、親に退席してもらって話を聴いたが、やはりその子どもは何も語らなかった。

子どもの中には「何も言うなよ、言ったら許さんぞ」と、恐怖と共に口止めされている子どももいる。また口止めなどなくとも最も近しい大人から虐待を受けてきた子どもは「気をつけろ、大人を信じるな」とその体験から散々学んできた。彼らにとって虐待者も支援者も区別はない。にこにこと近寄ってくる支援者はいつ豹変して自分に襲いかかるかわからない存在だ。さらには「こんなこと言いましたよ」と親にチクるかもしれないではないか。だからこそ簡単に虐待の事実を語るはずはないのだ。 

しかも虐待の事実を語った場合、その後どうなるかという見通しも彼らは持たない。中には「言うことを聞かなかったら施設にやるよ」と言われてきた子どももいる。虐待を受けたことを告白した後に児童相談所の処遇によりそれはしばしば現実となる。

加えて本人は虐待を受けたのは自分の行動が悪いから、いや自分の存在そのものに価値がないからこのような目にあったのだと洗脳されている。さらに特に性虐待の場合に顕著だが、彼らは自らを被害者ではなく、共犯者であると考えている。だから彼らは虐待の事実を隠す。

彼らが真実を私たちに語り出すのは、彼らとの関係が深まり、さらに話しても安全が損なわれないと確信してからである。

児童虐待防止法第6条の定めにより、虐待を受けたと思われる児童を発見した者は児童相談所、市町村、福祉事務所への通告義務があるとされている。特に学校、児童福祉施設、病院等の「団体」や教職員、児童福祉施設職員、医師、保健師、弁護士等の「個人」には早期発見義務が明記されている。

しかし前述したとおり、児童虐待の確証を得るのは困難である。そんな中で通告義務は軽視されがちである。

本来、虐待かどうかの判断はあくまでも通告者の主観的判断でよいとされている。もし悩むならば「このような子どもがいます。これは虐待に当てはまるでしょうか?」という相談を、子どもの名を伏せて児童相談所にすればよい。

ちなみに虐待通告をしない時に使われる言い訳はパターン化している。

「虐待としつけの線引きがわからない」

「家族との関係が悪くなる」

「子どもが望まない」

「このくらい昔は普通だった」

「児童相談所に言っても何もしてくれないorしてくれなかった」

このような理由を思いついたとき、〝もめ事は嫌だ〟という本音が本当に隠れていないか、丁寧に自分の心の中を探って欲しい。

虐待はいつでも起こりうる。そして誰であっても行いうる。そういった認識を持つことで少しは発見しやすくなる。子どもが虐待にさらされている疑いを抱いた際は〝知らんぷりせず〟、〝抱え込まず〟で、児童相談所等の行政機関へまず連絡することから始めて欲しい。

症状の困難

こうして何とか隠されていた虐待から逃れて、安全な場所へと逃げ込んだ子どもには第二の困難が待ち構えている。それは虐待というトラウマ体験によってもたらされる心身の異常である。

幼い彼らによくみられるのは、頭痛、腹痛、発熱、下痢、吐き気、食欲不振などの身体症状である。内科的に調べても原因の分からない様々な症状が彼らを襲う。それはまさに身体の悲鳴であり、声なき抗議である。年齢を重ね、次第に心が複雑さを増してくると、彼らは例外なく、抑うつ的となる。抑うつ的といっても単純に元気がなくなる者ばかりではない。彼らはその陰鬱な気分を不安、さらにイライラや怒りとして表現するのである。

そして彼らの大半に心的外傷後ストレス障害(PTSD:Post Traumatic Stress Disorder)症状が出現する。

虐待されていた時の風景が生活の何気ない場面で突然、頭の中に侵入してくる。それは昼夜を問わない。彼らは眠りの中にまで侵入してきた記憶、すなわち悪夢にうなされる。時にはもはや現実との区別もつかなくなって、周囲の人がまさに虐待者そのものに見えて、パニック状態に陥る者もいる。それは大変な苦痛である。

彼らは虐待の記憶を避けるために虐待に関する記憶を消そうとする。実際に中学校に入る前の記憶が、思い出そうとしても思い出せなくなってしまった子どもにたびたび出会う。さらに彼らは、職員から注意を受ける際にしばしば言葉と表情を失う。虐待されていた真っただ中で、その苦しさに直面しないために感情を麻痺させて何も考えないようにしてきた習慣が色濃く残っている。

彼らの自律神経は闘争・逃走モードである交感神経優位の状態に長時間保たれる。彼らは見るからに過度の警戒心を示す。私が頭がかゆくて、手を挙げて搔こうとした際に、目の前で飛び跳ねそうなくらいビクつかれたのにはこちらがビクついた。

夜もなかなか寝付けない。いつ肉食獣に捕食されてしまうかわからない野生のキリンの睡眠時間はとても短いと聞く。さらにいつでも逃げられるような姿勢で眠るのだそうだ。彼らの眠りの浅さはまさに野生のキリン並みだ。夜中に叩き起こされて怖い目にあわされてきた彼らにとって、ぬくぬくと暖かい布団すらも安心の場所ではないのだろう。

ちなみに近年では、幼少からの度重なる虐待により、脳には萎縮などの構造変化が出現するとの研究報告もなされてきている。脳萎縮は身体的虐待や性的虐待だけではなく、言葉による心理的虐待によっても見られる。そう考えると虐待の影響は心理的な問題には留まらず、子どもの脳自体への物理的な傷害行為なのだとも言えよう。

支援の困難

昔、『小公女』という話を読んだことがある。辛い体験を数多く重ねた少女が逆境にもめげずに希望を失わずにその環境の中で生き延びて、最後は幸せをつかむ話だ。その健気な少女の姿は幼い私の心を打った。その後、精神科医になり、虐待を受けてきた子どもが再生を模索する施設を開設することとなった私は、心のどこかで『小公女』のような世界を多少は夢想していたように思う。しかしそこはそんな未熟な私を打ちのめすには十分な場所だった。

長期にわたり虐待を繰り返し受けてきた彼らはなかなか『小公女』のような前向きな姿を見せてくれない。彼らは虐待してきた親や周囲の大人以上に、自分自身のことを誰よりも信じていない。自分は罪深く、能力に欠けていて、生きる価値がないと頑なに信じている。当然、自分に期待しない者は、将来に対しても明るい展望を抱いていない。まだ中学生の女の子から「先生、どんな頑張ったって無駄よ、私、どうせ最後は風俗だから」と言われたのは悲しかった。未来に希望を持てない彼らは「今、この瞬間」を頑張ろうとしない。生きていく際に大切なのは常に「今、この瞬間」に何をするかなのだが、彼らはコツコツとした努力を重ねようとしないのだ。対人緊張の強さや学力の低さなども相まって、学校にもろくに行かない。学ぶこと自体にも価値をおいていない。そうなると一人で食べていける仕事に就ける確率は下がる。「私、どうせ最後は風俗だから」というその言葉が次第に現実味を帯びていく。

さらに親に甘えさせてもらえなかった子どもは甘え方も下手だ。率直に言いすぎかもしれないが、少なくとも初期は「可愛いな」と感じさせてくれない。

出会ったばかりの彼らはひどくよそよそしい。そして一部は逆に不自然なまでに馴れ馴れしい。馴れ馴れしいタイプでもちょっと何か指導しようものならば急に押し黙り、よそよそしくなる。さらに先週は少し打ち解けて話が出来たのに、今週は何も話そうとしないなんてことも度々ある。要するに関係がなかなか安定せず、深まっていかないのだ。

ちなみに彼らがいざ甘え始めた時のパワーは凄まじい。彼らの甘え欲求は際限がない。職員がそこに現れるまで何時間でも泣き叫び続け、離れようとした職員にしがみ付く。他の子どもの方に気を取られようものならば、その子どもを攻撃し、振り向いてもらうまでどんなことだってやる。甘えの底なし沼に引きずり込まれるような気分に職員は追い込まれていく。

彼らは施設に入って一ヵ月もすると様々な問題行動を起こし始める。反抗や暴言で済めば可愛いものだ。しかし通常はそんなレベルには留まらない。暴力が日常的にそこにあった彼らは、これ以上はやってはいけないという垣根を簡単に飛び越える。彼らは感情や行動をうまく調整できない。

「今日は卓球台とイス全損で、あとドアと壁が2箇所割れました」

その際の被害額は一日で80万円を超えた。修理費用は全て施設の持ち出しである。

「子どもに指の骨を折られました」「今度は足を踏まれてひびが入りました」

今年度は何度か職員が骨折したとの報告を受けた。

ある女性職員は「そんな職場は辞めなさい」と言われるのが嫌で、実家の親には自らの骨折を報告していないらしい。

施設の開設以来、ありとあらゆる問題行動に付き合ってきたが、個人的には開設当初に半年で3回放火されたのが怖かった。犯人は最後の事件しか判明しなかったけれど、恐らく他の2件はそれぞれ別の子どもの仕業なのだと思う。

これらの例でも分かる通り、安全に生活する権利を剥奪され続けてきた彼らは、施設の中で、今度は職員が安全に働く権利を奪う立場へと姿を変える。

さらに彼らは職員だけでなく、自らも攻撃のターゲットとする。夜間に抜け出して、アプリを用いて男性を探し、また性被害に遭う子ども。自傷行為を繰り返す子ども。高所から飛び降りて多発骨折する子ども。食事を摂らず、身体的危機に陥る子どもなど例を挙げたらきりがない。

もはやそこに虐待する親の姿はない。そこで自らに虐待を行い続けているのは子ども自身なのである。

問題行動を繰り返す彼らに対して、周囲にいる大人ができることは極論すると三つである。

一つ目はどんな場合でも彼らを殴らず、脅さず、生活環境を安全な場所として保ち続けること。

二つ目は子どもの問題行動の背景にある気持ちは受け入れつつも、社会的な枠組みの中で許容できることはどこまでであるかを明示し、少しでも適応的な行動に置き換えていけるよう支援すること。

三つ目は何の根拠もないのだけれど、その子どもの未来に期待し続けること。

この三つ目が一番難しい。子どもをなかなか変化させることのできない無力な自分への失望に打ち勝つ力が大人に問われる。彼らへの対応はどうしたらいいのか分からないことだらけだ。何が正解の対応なのか分からないなかで、何かできる事があるはずだと根拠もなく信じて、次の手を模索し続けるのが被虐待児への臨床のあり方だ。必要ならばトラウマに特化した様々な治療技法を心理士と協同して実施したり、薬物療法の可能性だって探る。だがいずれにしろ成長は年単位で、奇跡は起こらない。子どもを変える魔法の言葉などない。支援する大人同士で子どものグチを陰でしっかりこぼしつつ、上手に休みを取って自らの心をメンテナンスしながら子どもとの日々を過ごすしかない。

ちなみに〝愛情〟だけを頼りとする人は、虐待された子どもの支援を仕事にしない方がいい。愛情は彼らの攻撃の前にあっという間に目減りしてしまい、そういう職員ほどすぐに退職して子どもを捨てる。

生活の困難

虐待を受けた子どもの問題行動が減り、いざ社会へと出て行こうとした際、そこには最強の敵が立ちふさがる。

それは「社会」である。彼らの社会参加のハードルは高い。

まずは本人の問題として、ここまで述べてきたような虐待の結果として生じた様々な症状や対人関係の不安定さ、ストレス耐性の低さが安定的な生活を阻害するのは言うまでもない。しかし他にもいろんな問題があるのだ。

虐待を受けた子どもが数多く入所している大村椿の森学園における平成15年4月1日から平成29年5月31日までの全入所児童155名を調べてみると、IQ80未満と軽度精神遅滞から境界知能に留まる者が70名(44・5%)を占めた。逆にIQ100以上の者はわずか25名(14・8%)しかいなかった。さらに虐待を受けていた118名の内、51名は自閉スペクトラム症や注意欠如・多動症(ADHD)を合併していた。つまり彼らの中には先天的にも能力的なハンディを持つ者が少なくないのである。

さらに言うと彼らは同級生らが勉強をしたり資格を取ったりして社会に出る準備をしている間、自分の身を守ることに必死だった。当然、学力は低く、資格もあまり持っていない者が多い。仮に学力があったとしても、大学にいくお金を確保するのは至難の業だ。学歴も資格もない彼らが就ける仕事は限られる。

一人暮らしをするには保証人だって必要だ。しかし家族がその保証人すら引き受けてくれないこともある。家族を調べてみても大村椿の森学園のデータでは全入所児童155名中、生活保護や非課税世帯の出身者が98名(63・2%)を占めていた。さらに実父母が揃っていたものは31名(20%)に過ぎない。母子家庭は81名(52・3%)、両親ともに不在の家庭に育った者も12名(7・7%)いるのだ。本人を支援する余裕がないというのが家族の実態であろう。

そんな中で彼らは後ろ盾も乏しいまま、社会に出ていく。頼れるのは施設にかける電話と、施設にいるときに小遣いやバイト代を貯めた僅かなお金だけだ。

彼らが虐げられた歴史を清算し、未来を構築していく中で自分の権利を回復するには、心を寄せるだけでは不十分だ。金が要る。貧困対策はそのまま虐待を受けた子どもへの支援となる事を肝に銘じて欲しい。

ここまで述べてきたように虐待を受けた子どもの前には大きな困難が立ち塞がっている。しかしあきらめてはならない。長い道のりを経て、やがて彼らの大半はこれらの困難と折り合いをつけ、社会の中で彼らなりの居場所を探しあてる。

「そこには無限の可能性が拡がっている」などというきれいごとを言うつもりはない。しかし彼らが、実はなかなかしぶとい生き物であることは確かだと思う。

『子どもの人権をまもるために』目次

序章 子どもの権利──理論と体系 木村草太

【第1部 家庭】

第1章 虐待──乗り越えるべき四つの困難 宮田雄吾

第2章 貧困──子どもの権利から問う、子どもの貧困 山野良一

第3章 保育──待機児童問題は大きな人権侵害 駒崎弘樹

第4章 10代の居場所──「困っている子ども」が安心できる場を 仁藤夢乃

第5章 障害──障害をもつ子どもへの暴力を防ぐために 熊谷晋一郎

第6章 離婚・再婚──子どもの権利を保障するために親が考えるべきこと 大塚玲子

【第2部 学校】

第7章 体育・部活動──リスクとしての教育 内田良

第8章 指導死──学校における最大の人権侵害 大貫隆志

第9章 不登校──再登校よりも自立の支援を 大原榮子

第10章 道徳教育──「道徳の教科化」がはらむ問題と可能性 前川喜平

第11章 保健室──学校で唯一評価と無縁の避難所 白濵洋子

第12章 学校の全体主義──比較社会学の方法から 内藤朝雄

【第3部 法律・制度】

第13章 児童相談所・子どもの代理人──子どもの意見表明権を保障する 山下敏雅

第14章 里親制度──子どもの最善の利益を考えた運用を 村田和木

第15章 LGBT──多様な性を誰も教えてくれない 南和行

第16章 世界の子ども──身体の自由、教育への権利、性と生殖に関する健康 土井香苗

終章 子どもの権利を考える──現場の声と法制度をつなぐために 木村草太

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