2019.07.04

核兵器の廃絶を訴えること、核の傘に安全を頼ること――核兵器禁止条約を事例に考える

佐藤史郎 国際関係論/安全保障論/平和研究

社会

2017年7月7日、国際連合の会議は、賛成122カ国・反対1カ国・棄権1カ国の圧倒的多数で、核兵器禁止条約(Treaty of the Prohibition of Nuclear Weapons: TPNW)を採択した。この条約は、核兵器の開発・生産・保有・貯蔵等を禁止している(第1条a)ことから、核兵器のない世界の実現に向けてきわめて重要である。

核兵器禁止条約が発効するためには50カ国の批准が必要となる(第15条1項)。2019年3月末現在、70カ国が署名し、そのうち22カ国が批准している状況にある。「唯一の戦争被爆国」というナショナル・アイデンティティをもつ日本は、「核兵器を廃絶していくべきことを、世界の人々に強く訴えていく使命がある」(外務省軍縮不拡散・科学部編2016:7)と高らかに謳っている。ヒロシマ・ナガサキの惨劇を人類は二度と繰り返してはならないと考えているからだ。ところが日本は、核兵器禁止条約に批准はもとより、署名すらしていない。

この事実は私たちを2つの素朴な問いへと導く。すなわち、(1)なぜ日本は核兵器禁止条約に署名しないのか、(2)核兵器廃絶を目指す日本が核兵器禁止条約に署名しないのは、日本の核軍縮・不拡散をめぐる外交の矛盾なのか、という問いである。小論では、これらの問いへの回答をわかりやすく述べてみたい。 

なぜ日本は核兵器禁止条約に署名しないのか

まず、1つ目の問いから考えてみよう。「なぜ日本は核兵器禁止条約に署名しないのか」である。その回答は簡単だ。核兵器禁止条約は日本の安全保障にマイナスの効果をもたらす、と考えられているからである(そのほか、同条約が核保有国と非核保有国との対立の溝を深めているという理由もある)。

北朝鮮や中国の核兵器が日本の安全保障に深刻な脅威を与えていることは指摘するまでもない。北朝鮮は核実験を繰り返し実施することで、核兵器の小型化・弾頭化の実現を試みている。また、中国は核戦力の近代化と拡大を図っている。このような状況のもと、日本政府は「核兵器のない世界の実現に至る道のりにおいて、換言すれば、現実に核兵器が存在する間、国家安全保障戦略でも明確に述べられているとおり、核抑止力を含む米国の拡大抑止が不可欠である」としている(外務省軍縮不拡散・科学部編2016:7)。

つまり日本は、核兵器の脅威に対して、いわゆる「核の傘(nuclear umbrella)」で安全保障を確保しようとしているのだ。大ざっぱにいえば、日本にとって核の傘とは、“もし日本に核兵器を使用するのであれば、米国の核兵器で報復する”という威嚇によって、北朝鮮や中国による核兵器の使用を思いとどまらせるという試みである。

であるからこそ、核兵器禁止条約への署名は、日本の安全保障にマイナスの効果をもたらす。核兵器禁止条約は「核兵器その他の核爆発装置を使用し、又はこれを使用するとの威嚇を行うこと」を禁止している(第1条d)からである。もし日本が核兵器禁止条約に署名した場合、核の傘を閉じなければならなくなる。核の傘を閉じてしまうこと、それは日本が北朝鮮や中国による核兵器の脅威に対して、無防備にさらされることにほかならない。

日本の核軍縮・不拡散をめぐる外交は矛盾しているのか

「唯一の戦争被爆国」である日本は核兵器の廃絶を目指している。にもかかわらず、安全保障上の理由から核兵器禁止条約に署名していない。そこで、2つ目の「日本の核軍縮・不拡散をめぐる外交は矛盾しているのか」という問いである。

核兵器の廃絶を訴えることと、核の傘に自国の安全を頼ること、これら2つの日本外交の選択と行動は矛盾しているのだろうか。矛盾しているとすれば、どのような論理なのであろうか。逆に、矛盾していないというのであれば、それもまたどのような論理によるものなのだろうか。以下、核軍縮・不拡散に対する日本外交のスタンスを考えてみよう(詳細については、拙論「核軍縮をめぐる非人道性と安全保障の論理」、佐藤史郎・川名晋史・上野友也・齊藤孝祐編『日本外交の論点』法律文化社、2018年を参照のこと)。 

矛盾しているという見解

まず、矛盾しているという見解がどのような論理に基づいているのかを考えてみよう。「核兵器の廃絶を目指す」ことは「核兵器は不要である」と主張することと同じである。対して、「核の傘で自国の安全確保を試みる」こと、これは「核兵器は必要である」と主張することと同じである。つまり、日本の核軍縮・不拡散外交をめぐるスタンスは、一方で「核兵器は不要である」と主張しながら、他方で「核兵器は必要である」とも主張していることになる。

したがって、核兵器の不存在と存在を同時に求めているという点において、核軍縮・不拡散をめぐる日本外交のスタンスは明らかに矛盾しているとなろう。たとえば、田井中雅人は「日本政府の軍縮外交の矛盾は、唯一の戦争被爆国として核兵器廃絶を訴えながら、米国の『核の傘』に自国の安全保障を委ねていることにある」(田井中2017:199)と述べている。

それでは、矛盾しているという見解をもつ人たちは、日本が核兵器禁止条約に署名しないことをどのように捉えているのだろうか。まず、(1)日本の核軍縮・不拡散外交をめぐるスタンスが矛盾しているということをあらためて世に知らしめたということになろう。そして、日本が核兵器の廃絶を訴えていくためには、(2)核の傘に自国の安全を頼るというアプローチそのものを再考する必要があるということになろう。

たとえば、川崎哲は「そもそも、日米同盟関係において核兵器は必要なのか。必要だというなら、いかなる時にか。はたしてアメリカが、日本を守るために核兵器を使用するなどということがありうるのか。またそれは、被爆国の私たちが望むことなのか。これらの問題を抜本的に議論する必要がある。」(川崎2018a:73)と問題提起している。これは、いまの「現実」を決して定点とみなさずに、つねに「現実」を問い続けるという意味で、きわめて現実主義的な思考である。「現実」を問い続けることは、日本外交の選択と行動の幅を広げることになるからだ(詳細については、川名晋史・佐藤史郎編『安全保障の位相角』の序文「なぜ位相角なのか」を参照のこと)。 

核兵器の非人道性

矛盾しているという見解の人たちは、核兵器の「非人道性」の部分をとくに重視して、核兵器の廃絶を目指す傾向にある。核兵器は、熱線・爆風・放射線の相乗的効果により、戦闘員と民間人を区別せずに、また老若男女を問わずに、多くの人たちを無差別に殺傷する。1945年12月末の時点で、広島の原爆による死者数は約14万人、長崎では約7万人と推計されている。それだけではない。核兵器は生き残った被爆者たちを放射線で苦しめる。実際、いまもなお約17万もの人びとがいわゆる「原爆症」に苦しんでいる。

それゆえ、矛盾しているという見解の人たちは、「核兵器の使用による非人道的な結末を避けるために、核兵器を廃絶すべき」という立場である。彼ら/彼女らにとって、核兵器の脅威から安全保障を確保するためには、まずなによりも核兵器の廃絶が望ましいとなる。核兵器を廃絶すれば、核兵器をめぐる安全保障の問題が解決の方向に向かうという主張だ。これはいかにも楽観的な考えのように思える。ただ、核兵器禁止条約の前文に、「いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として、核兵器を完全に廃絶することが必要であることを認識し」と述べられていることは看過できない。

矛盾していないという見解

つぎに、矛盾していないという見解がどのような論理に基づいているのかを考えてみよう。「核兵器の廃絶を目指す」(=「核兵器は不要である」と主張する)ことと、「核の傘で自国の安全確保を試みる」(=「核兵器は必要である」と主張する)ことはなぜ矛盾しないのか。

日本政府は、核兵器の脅威に対して核の傘に自国の安全を頼っている以上、「核兵器のない世界に向けた軍縮・不拡散外交は、日本の安全保障政策と整合する形で進めなければならないことは言うまでもない」(外務省軍縮不拡散・科学部編2016:7)と述べている。つまり、核兵器の廃絶は目指すものの、日本の安全保障にとってマイナスの効果が出るのであれば、核軍縮・不拡散措置を推し進めないという立場である。

たとえば、秋山信将は日本が核兵器の軍縮・不拡散措置を推し進めるのであれば、それが日本の安全保障にとってどのようなマイナスの効果をもつのかを検討しなければならないと述べている(秋山2018:9)。逆にいえば、核兵器の脅威がなくなったとき、日本政府は核の傘から脱却して核軍縮・不拡散措置を強く推し進めていかなければならないということになろう。

ところで、日本政府は核兵器の非人道性をどのように考えているのだろうか。政府は核兵器の非人道性を「あらゆる核軍縮・不拡散の取組を根本的に支える原動力であるべき」(外務省軍縮不拡散・科学部編2016:47)としている。また、「核兵器の非人道性についての正しい認識を世代と国境を越えて『広げていく』べきであ」り、「核兵器の非人道的影響に関する科学的知見を一層『深めていく』べき」とも述べている(同上:48)。こうした言及から、日本政府は核兵器の非人道性を十分に重視していることがうかがえる。

実際、核兵器の非人道性を伝えるために、海外で原爆展の開催・支援などを行ってもいる。ただし、核兵器の非人道性に対する認識の違いによって国際社会が「分断」されてはならないと考えている(同上)。それゆえ政府は、政治状況を踏まえることを前提として、核兵器の非人道性を重視しているといえよう。

矛盾している/してないという二項対立の図式を超えて

こうしてみると、日本の核軍縮・不拡散外交のスタンスは矛盾していない。真の矛盾とは、核兵器の脅威がなくなった状況であるにもかかわらず、核の傘から脱却せずに核軍縮・不拡散措置を強く推し進めないという行動と選択である。核兵器禁止条約の文脈でいえば、日本政府が核の傘が不要な状況となった場合でさえ、なお核兵器禁止条約に署名しないのであれば、日本の核軍縮・不拡散外交のスタンスには矛盾がみられる、ということになろう。

日本のスタンスが矛盾しているという見解の人たちは、日本が核兵器の不存在と存在を同時に求めるという点に着目するあまり、政府が核軍縮・不拡散措置を段階的かつ着実に推し進めながら核兵器の廃絶を目指そうとしていることに目を向けられていない。

とはいえ、核軍縮・不拡散に対する日本外交のスタンスが核兵器の不存在と存在を同時に求めている以上、田井中が的確に指摘するように、日本政府は核兵器の非人道性と安全保障とのあいだで「整合性がとれず、もがき続けることになる」(田井中2017:199)。日本政府は、矛盾というより、むしろ板挟みのような状況に陥る可能性があるのだ。 

求められる「橋渡し役」としての日本外交

核兵器禁止条約が採択されて以降、2つの対立の溝が深まっている。1つ目の溝は、核兵器禁止条約を拒む核保有国と同条約を推進する非核保有国とのあいだの溝である。2つ目は非核保有国どうしのもので、核保有国の同盟国である非核保有国と、核兵器禁止条約を推進する非核保有国とのあいだの溝である。

これらの溝を作ったのは核保有国と非核保有国のどちらなのだろうか。核保有国はその責任が核兵器禁止条約を推進する非核保有国にあるとしている。非核保有国が安全保障をめぐる問題を考慮せずに同条約を成立させたからである。ただ、同条約が成立した背景には、核拡散防止条約(NPT)のもとで核軍縮が進まない状況のなかで、NPTの核保有国とその核の傘に自国の安全を依存している非核保有国への「異議申し立て」という点があったことを見逃してはならない(黒澤2018:29)。

とはいえ、浅田正彦が危惧するように、核兵器禁止条約が発効すれば、NPTを軸とする核軍縮の停滞状況を鑑みて、多くの非核保有国の軸足がNPTから核兵器禁止条約へと移っていき、その結果として、上記2つの対立の溝は一層深まる可能性がある(浅田2018:3)。

このような状況のもと、矛盾している/していないという二項対立の図式を超えて、日本はどのような政策を実施すべきであろうか。2018年、日本政府は核兵器のない世界を実現するために、「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」を立ち上げ、提言書を取りまとめた(外務省2018)。提言では、対立する溝を「橋渡し」すべく、軍縮と安全保障をめぐる問題に取り組むための措置などが述べられている。その内容は大いに評価に値する。ただ、2つの溝の橋渡し役として、さらにもう少し積極的な外交を展開することはできないだろうか。

核兵器禁止条約は、たとえ同条約の締約国でなくとも、締約国の会合に「オブザーバー」として出席できると定めている(第8条5項)。日本政府は、オブザーバーとして、核保有国と非核保有国とのあいだの溝と、非核保有国どうしのあいだの溝を埋めていくという、核軍縮・不拡散外交を展開してもよいのではないだろうか。日本は、安全保障をめぐる問題を踏まえつつも、「唯一の戦争被爆国」として、核兵器のない世界を実現しなければならないからである。

参考文献

・秋山信将 2018 「核兵器禁止条約成立後の日本の核軍縮政策」『国際問題』No. 672、5-15頁。

・浅田正彦 2018 「『冬の時代』に入った軍備管理・軍縮と日本の役割」『国際問題』No. 672、1-4頁。

・外務省 2018 「『核軍縮の実質的な進展のための賢人会議』提言」

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000403717.pdf(2019年3月11日アクセス)

・外務省軍縮不拡散・科学部(編) 2016 『日本の軍縮・不拡散外交(第七版)』。http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000145531.pdf(2019年2月11日アクセス)

・川崎哲 2018 『新版 核兵器を禁止する―条約が世界を変える』岩波ブックレット、No. 978。

・黒澤満 2018 「核兵器禁止条約の意義と課題」『大阪女学院大学紀要』第14号、15-32頁。

・田井中雅人 2017 『核に縛られる日本』角川新書。

プロフィール

佐藤史郎国際関係論/安全保障論/平和研究

大阪国際大学国際教養学部准教授。

1975年生まれ。同志社大学商学部卒。英国ブラッドフォード大学大学院平和学研究科修士課程修了(修士〔国際政治・安全保障学〕)。立命館大学大学院国際関係研究科博士後期課程修了(博士〔国際関係学〕)。龍谷大学アフラシア平和開発研究センター博士研究員、京都大学東南アジア研究所G-COE特定研究員を経て現職。この間、ライデン大学地域研究研究所(LIAS)客員研究員などを歴任。最近の著書に『安全保障の位相角』(法律文化社、共編)、『日本外交の論点』(法律文化社、共編)、『国際関係論の生成と展開』(ナカニシヤ出版、分担執筆)などがある。

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