2019.12.02

移民受け入れと社会的統合のリアリティ――現代日本における移民の階層的地位と社会学的課題

是川夕 社会学

社会 #「新しいリベラル」を構想するために

1.はじめに

われわれの社会がすでに移民受け入れ社会となっているという事実は、最近頻繁に指摘されるようになってきているので、驚く人は少なくなっているかもしれない。しかし同時に、現代の日本において、移民の社会的統合が緩やかに進みつつあると言ったならば、多くの人はにわかに信じがたいのではないだろうか。

拙著『移民受け入れと社会的統合のリアリティ』(勁草書房)は、国勢調査のマイクロデータという、現時点でもっとも信頼しうるデータをもとに、ナショナルレベルで見た移民の社会的統合の現状について定量的に分析したおそらく初めての研究であり、上記の結論もその中で見えてきたものである。この結論は筆者である私にとっても、当初信じがたいものでありこの結論に至るまでにずいぶんと逡巡を重ねた。

以下ではそのポイントを紹介したい。なお、本書で言及する移民とはデータの制約上、外国籍人口のことを指している。

2.日本はすでに移民受け入れ社会であるとは?

日本はすでに移民受入社会であるという指摘は今や珍しいことではない。しかし、移民という言葉の定義を云々することを除けば、何を以て移民受入社会とするかということについて明確に論じたものは少ない。本書では国際移動転換(Migration Transition)という概念からこのことを論じた。

国際移動転換とは移民送り出し国であった国/地域が受入れ側に回ることを意味しており、ある国から出て行く人と入ってくる人の差分から定義される。日本は戦前、高い出生力や経済発展の遅れを背景に、多くの自国民を海外に送り出してきた一方、さほど多くの植民地出身者の日本列島への流入を経験してこなかった点において、移民送り出し国であるといえる(図1)。

その後、敗戦に伴う日本人の海外からの引き揚げ、そして旧植民地出身者の帰還等を除けば、1980年代まではおおむね国際人口移動の凪(なぎ)の時代を経験した。しかし80年代以降の日本経済のグローバル化、そして90年の改正入管法の施行を受け、その後はより多くのニューカマー移民の流入を経験するようになった(図1)。

こうした変化は冷戦の終結と経済のグローバル化、また先進国における低出生力状態の持続といったことが相まって、ほぼ同時期に南欧諸国やアジアの新興国を中心に見られた国際移動転換の一つと位置づけることが可能である。つまり、日本の経験は日本のみに固有のイレギュラーなものではなく、同時期に広く見られたグローバルな変化であったといえる。

これが日本はすでに移民受入れ社会であるというときのエッセンスである。

図 1 日本を巡る国際人口移動の推移

出所:是川(2019)

3.日本社会の排他性と構造的分断

移民受入れについて論じる場合、私たちはこれを社会問題として捉える傾向が強かったといえる。その結果として、私たちは移民受入れの状況について、ときに非常に凄惨な状況を思い描いてきた。

実際、フィリピン人エンターテイナーを中心とした「じゃぱゆきさん」、東北の農村における「外国人花嫁」、現代の奴隷労働とまで言われる技能実習制度、派遣労働者として働く日系ブラジル人、留学生のコンビニや飲食店での過剰なアルバイト等、移民・外国人をめぐる言説や論考はつねに問題の告発で満ちており、社会問題として捉えるという枠組みは妥当なようにも思う。

また、そういった告発にもとづくならば、移民・外国人が日本社会にきちんと迎え入れられる余地はほとんどない、つまり移民は日本社会のメインストリームから構造的に分断されているようにも見える。

しかしながら、一方でこうしたとらえ方は、移民が現地人以上に速いスピードでその経済的地位を始めとした生活状況を変化させていくという事実を見落としがちである。このことは海外では社会的同化(social assimilation)や社会的統合(social integration)という概念で指し示されてきたことであり、程度の差こそあれ、移民の間で広く観察されてきた現象である。閉鎖的な日本社会ではこうした現象は一切、あるいはあったとしても例外的にしか見られないのであろうか?

本書はこうした問題意識にもとづき、移民の社会的統合という視点にもとづいた分析を行っている。具体的には、移民の社会的統合を捉える視点としてスタンダードとも言うべき、労働市場、ジェンダー、及び世代の視点からこれを明らかにしている。以下でその詳細について見ていきたい。

4.移民の社会的統合を捉える3つの視点―労働・ジェンダー・世代

・労働

移民の社会的統合の検証といった場合、移民研究においてもっとも重視されるのは、労働市場における統合である。その際に行われる分析は、移民労働者がホスト社会の労働市場においてその人的資本をいかに正当に評価されているかということを、移民個々人の単位で評価するというスタイルをとることが多い。

さらにそこで重視されるのは、個々の移民労働者がホスト社会以外で取得したスキルが、ホスト社会でどの程度、評価されるかというスキルの国際的な移転可能性(international skill transferability)である。これが高ければ移民のホスト社会での経済的地位は高まるし、低ければその本来のスキルに見合わない仕事に就くことになる。

また、こうした分析は同程度のスキルや属性を持つ現地人(=日本人)との比較において行われる。当然のことながら、我々の社会自体がすでに社会的格差を伴っており、移民もまたその中にいる以上それと無縁ではあり得ないが、ポイントとなるのはその格差が日本人の間に見られる以上に大きいかどうか、ということである。つまり、移民のすべてが等しく貧しかったり豊かであったりする社会というものはあり得ない。

こうした観点から本書では、ハイスキルから技能実習生まで幅広いタイプを含み、日本の移民の内、もっともボリュームの大きい中国人男性、及び日系人として資格上制限なく日本で就労が可能であり、その多くが派遣労働者など不安定な就労形態で働いているとされるブラジル人男性を対象に、管理職や専門職、あるいはブルーカラーであるといった職業的地位を軸に分析を行った。

その結果、海外で取得したスキルの移転可能性については、概して低いという結果が得られたものの、それは職業的地位によって異なることが明らかになった。具体的には長期勤続や年功賃金を特徴とする日本型雇用のメインストリームとされる管理職や正規事務職に就く場合、海外で取得した学歴や就労経験は、日本で取得されたものに比べて低い評価しか受けないことが明らかになった。

一方、エンジニアなどの専門職に就く場合にはこうした状況は異なった。具体的には大卒以上の学歴を持つ中国人男性の間では、同程度の学歴を持つ日本人男性よりも高い確率で専門職に就く傾向が見られた。またその際、専門職として多いのはITエンジニアであった。つまりこのことは、ITエンジニアを中心とした専門職に就くにあたって、中国で取得したスキルは高い移転可能性を持っているということを意味する。こうした背景には2000年代より中国を始めとしたアジア諸国との間でITエンジニアの資格の相互認証が進められたことがあるといえよう。

さらに、本書では2000年と2010年の国勢調査データから同一集団を継続的に追跡することができる疑似コーホート分析という手法を用いて、外国人男性の職業的地位の経年変化の様子を明らかにした。これは日本に長く暮らすことでその経済的地位が上昇するという社会的統合の有無を検証するためのものである。

その結果、専門職に就く確率に関しては、中国人、ブラジル人男性ともに、ほとんどすべての学歴でこの間の日本人男性の上昇傾向を上回るペースで上昇する傾向が見られた(図2)。つまり、個々のエピソードとしては多様であるとしても、マクロで見た場合、移民の労働市場における統合は進んでいることが確認されたといえる。

また、海外の移民研究においてはスキルの移転可能性が低かった人ほど、その後、ホスト社会での教育や職業訓練といった人的資本への再投資に励む傾向が見られるため、キャッチアップの速度が速いことが確認されているが、本書の分析でも同様のパターンが確認された。このことも、本書の分析結果の妥当性を支持するものといえよう。

一方、日本型雇用におけるメインストリームというべき管理職、並びに正規事務職に就く確率について見ると、専門職について見られたような傾向はほとんど見られなかった(図2)。わずかに小中学校卒の中国人男性、及び高卒のブラジル人男性についてプラスの値が検出されたにすぎない。スキルの移転可能性とその後のキャッチアップの速度の関係を見ても、ほぼ無相関であった。

一方で、日本人と比べて年齢上昇による昇進確率の差が有意に低いわけでもないことから、いったん日本型雇用の中に入ってしまえば移民も日本人も関係なく、似たようなペースで昇進するともいえる。ただし、中途参入や転職が多いと見込まれる移民にとってこうした日本型雇用の特徴は門戸を狭めるという意味で、やはり相性はよくないといえるだろう。

図 2 居住期間、学歴別に見た日本人、及び外国人男性の職業的地位(モデル予測値)

出所:是川(2019)

注:本書での推定結果に基づき、2000年時点の勤続年数を10年(年齢にすると28-32歳程度)とし、国籍、及び学歴別の上層ホワイト就業確率の変化を予測したもの。

以上の結果から分かることは、日本の労働市場が閉鎖的であるというイメージはきわめて漠然としたものであって、スキルや職業といった観点からこれを見ていくと、部分的に社会的統合が進んでいる部分も見られるというものであった。もちろん、高学歴中国人男性を除けば、そのアウトカムとしての地位は依然として日本人よりも低いことは、こうした社会的統合があくまで緩やかなものに留まっていることを示すものである。

しかしながら、緩やかなものであれ、こうした傾向が確認されたことの意義は大きいといえるし、そのために必要な政策は国際的なスキルの移転可能性を高めるものであるべきという知見は、多文化共生を中心としたこれまでの議論にない新たな視点を付け加えるものといえよう。

・ジェンダー

ジェンダーというのは、海外の移民研究においても比較的、新しい視点である。しかし、そこで明らかにされつつあることは、非常にダイナミックである。

移民に占める女性の割合は最近、世界のどこの地域でも上昇しつつある。その背景には、先進各国においていずれもジェンダー平等が進み、女性が従来ほど家事、出産、育児などのケア役割を積極的に引き受けなくなってきた結果、その空隙を埋めるかたちで移民女性が流入しているということがある。これを移民研究の権威であるサスキア・サッセンは「再生産活動のグローバル化」と呼び、世界的な現象であるとしている。またその結果、移民女性は移民であるということと、女性であるということの「二重の障害」の下にあるとされてきた。

日本においても90年代、東北の農村部を中心とした「ヨメ不足」に端を発した「外国人花嫁」の導入や同時期に都市部を中心に見られたフィリピン人エンターテイナーの増加や結果としての日本人男性との結婚件数の増加、あるいは最近では一部の自治体における外国人メイドの受入れの開始といったことが、こうした事例として挙げられるだろう。

しかしながら、こうした現象をエピソードベースではなく、定量的なデータから確認した研究は稀であった。本書では日本における移民女性の階層的地位について、日本人女性とも比較しつつ「二重の障害」仮説の妥当性について検証した。

その結果、日本における移民女性については、その階層的地位から見て、二重の障害というべき状況は部分的にしか妥当しないことが明らかにされた。例えば、移民女性は結婚している場合や小さな子どもを育てている場合、夫が日本人であるか移民であるかにかかわらず、日本人女性よりも専業主婦になりやすい、つまり性別役割分担を引き受けやすい傾向が見られた。

しかしながら、働いている女性に限ってみれば、諸外国で見られるような福祉や医療、あるいはメイドといったケアワークにつく傾向は見られなかった。むしろマニュアルワーカー(工場労働者)等、男性が多く就くタイプの仕事に就く傾向が強いことが明らかになった。さらに、高学歴中国人女性に限ってみれば、同じハイスキルの仕事でも、管理職や専門職、とりわけ、エンジニアや大学の教員といった専門職の中でもステータスの高い職業に就くことが日本人女性よりも多いという結果が得られた。

これは移民女性が既存の女性役割=ケア役割を担うことが多いのは主に家庭内であって、労働市場においてとくにそういった傾向は見られないということを意味する。それどころか、高学歴層では若干ながら日本人女性を凌駕する地位の仕事に就く傾向が見られたことは、私たちの社会の別の問題を浮かび上がらせるものでもある。

こうした結果は、日本人女性の階層的地位があまりに強くジェンダーの影響を受けてきたことの裏返しでもある。つまり、日本人女性は学歴が高くても、管理職ではなく専門職に就く傾向が高く、また同じ専門職でも、例えば医師ではなく看護師、あるいは大学の教員ではなく、小中学校の教員といったように、同じ職種でも、待遇や地位において相対的に劣る職業に就く傾向が強いとされる。また、こういった職業の多くは国家資格によって守られており、移民が就くことは容易ではない。その意味で日本におけるジェンダー関係の不均衡さは制度的に保障されたものでさえあるといえる。

その結果、逆説的ではあるものの、移民女性はこういった構造から排除されているが故に、かえって労働市場においては日本人男性に近い地位達成のパターンを示すものと考えられる。これが移民女性の二重の排除について検討した結果、反照的に浮かび上がってきた私たちの社会の姿である。

移民について考えることは、自分たちについて考えることでもあるということを、これ以上クリアに示す結果はないといえよう。

・世代、教育

最後に世代の問題として、移民第二世代の教育達成について、高校進学を軸に分析した。高校進学は現在、同問題を語る上で大きな注目を浴びているものであり、政策的な関心も高い。しかしながら、移民第二世代の高校進学をめぐる議論においては、主に学校内におけるスクールカルチャーへの適応が焦点となり、親の階層的地位との結びつきといった社会構造から論じたものはまれであった。

その一方で、アメリカを中心とした海外の移民研究では親世代の階層的地位の差異が移民第二世代においてより拡大したかたちで見られるとする「分節化した同化理論」が妥当することが明らかにされてきた。

本書ではこうした問題意識から、中国、フィリピン、ブラジル及び日本国籍の母親を持つ子どもを対象に、親世代の学歴を中心とした階層的地位とその子どもの高校進学の有無との関連を分析した。これはとりもなおさず、移民の階層的地位の世代間移動について「分節化した同化理論」の観点から分析することを意味する。なお、本書でいう移民第二世代とは、少なくとも両親のいずれかに外国籍の親を持つ子どもと定義される。また、以下の分析は母外国籍である場合に限定したものである点にも注意されたい。

その結果、移民第二世代の高校進学率の決定に当たっては、(母)親の学歴の影響は日本人の両親を持つ子どもと比べても相対的に小さく、またひとり親世帯であるといった状況からのネガティブな影響も日本人の母親を持つ子どもより小さいという結果が得られた。一方、子ども自身の日本での居住期間が長い(5年以上)の場合でも、日本語能力の不足や適切なロールモデルの不在といった移民第二世代に固有の問題のマイナスの影響は消えないことも同時に示された(図3)。

つまり、このことは、移民第二世代は親の学歴の低さやひとり親世帯であること、及びそれに伴う有形無形のリソースの不足といったことからは相対的に影響を受けにくい反面、移民第二世代であるということのハンディキャップ自体は居住が長期化し、日本社会に適応する中でも解消しきれないことを意味する。その意味で、分節化した同化理論は日本には妥当しないということができる一方、スタンダードな同化理論も妥当しないということができるだろう。

こうした結果は、日本語能力の向上やまた日本語が上達した後も、進路情報やその後の人生設計をどうするかといった点において、移民第二世代が的確な指導を受ける機会を保障することが必要であることを示唆するものといえよう。

図 3 母の国籍、学歴、及び本人の5年前の居住地別に見た高校在学率(モデル推計値)

出所:是川(2019)

注:推計に当たっては母国籍、母国籍*母子世帯、本人の5年前居住地別に月齢(204か月)、男性、東京在住、父高卒、きょうだいなしの条件で推計した。S及びLは本人の5年前居住地に対応しており、S=国外、L=海外を意味する。

5.緩やかな社会的統合――さらなる探求へ

本研究で明らかになったことは、現在の日本において、移民の緩やかな社会的統合が見られるということである。ここでいう社会的統合とは、移民第一世代の移民男性の労働市場への統合、ジェンダーの影響を踏まえた移民女性の社会的統合、及び移民第一世代と第二世代の階層的地位の世代間移動の三つの領域における状況を踏まえたものである。また、「緩やかな」とはこれらの領域における社会的統合がいずれも日本人との階層的地位の差を完全に埋める程ではないものの、それを縮める方向にあるということを踏まえた表現である。

もちろん、移民の社会的統合を判断する上で検討すべき論点はこの他にもあるし、また緩やかな社会的統合といったときのその「ゆるやかさ」の幅や判断基準といったことについては、より詳細な検討を加えていく必要があることは言うまでもない。また、今後さらに移民受け入れが進んだ場合、このように観察された構造がどのように変化していくかといったことも注視していく必要があるだろう。

しかしながら、ナショナルレベルのデータを用いて社会的統合の状況について検証し、それが緩やかなかたちであれ妥当することを明らかにした本書の意義は小さくないと考えられる。

なぜなら、我々はこれまで移民受け入れについて語るとき、日本社会の同質性、あるいはそのネガとしての排他性を(無意識に)前提とすることで、移民の社会のメインストリームからの構造的分断ばかりを強調してきたからである。しかしながら、それらの分析の多くはエピソードベースのものが中心であり、ナショナルレベルのデータからマクロに検証された結論ではなかった。今、本書のような分析が行われることで、そういった個々のエピソードから導き出された結論がどの程度妥当するのかを、客観的に検証することが可能になったといえる。

もちろん、本書の結論は移民受け入れに関する日本社会の現状を肯定するものではない。分析によって明らかになったのは、むしろこれまで事例研究を中心に行われて来た研究結果の正しさであり、そういった問題が存在しないことを主張するものではない。ただし、同時に明らかになったのはそれがすべてではないということである。全体としてみれば日本における移民は緩やかな社会的統合の過程にあるといえるし、それは個々の問題状況の存在と矛盾するものではない。

今後、さらなる移民の流入が進み、彼女/彼らは新たな隣人として位置づけられていくにつれ、このようなきめの細かい議論が必要とされていくだろう。現実はかようにいつもグレーであり、我々社会科学者はそういったあいまいさを丁寧かつ明確に切り分けていくことを期待されているのである。現下の情勢において、移民の社会的統合について、さらなる探求が求められているといえる。

プロフィール

是川夕社会学

博士(社会学)。国立社会保障・人口問題研究所 人口動向研究部第三室長。1978年生まれ。東京大学文学部卒業、カリフォルニア大学アーバイン校修士課程修了、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。内閣府での勤務(1種・経済区分)を経て2012年より現職。OECD移民専門家会合(SOPEMI)、及びOECD移民政策会合ビューローメンバー。主要業績は「人口問題と移民-日本の人口・階層構造はどう変わるのか」(編著、2019年、明石書店)他。

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