2020.04.13

戦後メディアの病――悪と対峙し、弱者を代弁する自分こそが善である

佐々木俊尚 作家・ジャーナリスト

社会

2011年の福島第一原発事故にまつわる新聞やテレビの報道は、日本の戦後メディアが内包していた問題をまざまざと浮かび上がらせたと言える。風評被害を抑えるべき報道機関が逆に風評を煽ったケースは少なくなく、そうした報道はいまも続いている。これらの風評は福島の人たちへの差別を生じ、大いなる苦しみをもたらした。この問題はおそらく、広島・長崎における被爆者差別とならんで未来への長い期間にわたって禍根を残し、後世に研究される問題になっていくだろう。

「弱者の味方」であったはずの新聞やテレビの記者たちが、なぜこのような差別を引き起こしてしまったのか。本稿では、加害者と被害者の関係という構図からこの問題について論考していきたいと思う。前半ではなぜ戦後メディアがこのような構図に陥っていったのかを歴史を振り返りながら概観し、後半ではこのような構図が社会にどのような影響を与えているのかを論考する。

自分たちには責任はなかった

戦後マスメディアの問題の原点はどこにあるのだろうか。出発点にまでさかのぼってみよう。

太平洋戦争が終わった1945年の暮れに『旋風二十年 解禁昭和裏面史』(森正蔵著、鱒書房)という本が出版された。上巻は最初の1週間に10万部を売り、下巻は翌春に出て70万部以上の大ベストセラーとなった。

この本は張作霖爆殺事件から満州事変、2.26事件、日中戦争、開戦直前の日米交渉、真珠湾攻撃にいたる間に政府がどのようなプロセスで政策を決定していったのかを、毎日新聞の記者たちが「暴露」したものだ。序章にはこうある。

「このなかのあらゆる章には、これまでさまざまな制約のために公にされなかった史実が、多分に折り込まれている。抑圧された言論、歪められた報道は、われ等が現にそのなかで生活して来たわずか二十年の歴史を、全く辻褄の合いかねるものとしている」

このように、軍部や政府の秘められた内実を暴露した本という体裁だった。しかしこの本には批判も少なくない。たとえば日本の戦後の混乱期を包括的に描き出した米政治学者ジョン・ダワーのピューリッツァー賞受賞作『敗北を抱きしめて』(岩波書店、2001年)は、『旋風二十年』についてこう書いている。

「それは、深い考察などに煩わされない、じつに屈託のないアプローチを取っていた。日本の侵略行為の本質や、他民族の犠牲などを白日のもとにさらすことにも(南京大虐殺は触れられてもいない)、広く『戦争責任』の問題を探ることにも、とくに関心はなかった。既存の資料や、これまで発表されなかった個人的知識だけを主たる材料に、こういう即席の『暴露本』が書けるという事実からは、今自分たちが正義面で糾弾している戦争にメディアが加担していたことについて真剣な自己反省が生まれることはなかった」

メディアの自己反省などは皆無で、「軍部が悪かったから戦争になってしまった」と悪を糾弾しているだけの内容だった。しかし実際には、日中戦争から太平洋戦争とつながる背景には、メディアの扇動や国民の高揚があったことはよく知られている。

ところが『旋風二十年』がベストセラーになったことで、日本人の多くは自分たちの責任を忘れた。いや、無意識のうちに忘却したかったのかもしれない。人々は、太平洋戦争が政治家や軍人の無知と無謀と野望のためだったと思うようになり、「戦争は軍が勝手に引き起こしたことだ」といった言論がまかり通っていく。自分たちの戦争への加担はそうして忘れ去られていった。「私たちはだまされていた」「私たちはずっと戦争には反対だったのに、みんな軍が悪い」という思い込みだけが膨れ上がったのだ。

敗戦翌年の春、映画監督の伊丹万作は「戦争責任者の問題」というコラムを雑誌「映画春秋」の創刊号に書いている。戦争翼賛の映画をつくっていた監督やプロデューサーを告発する風潮が映画業界でも高まり、同じ映画業界の人たちが急先鋒になっていたことに、伊丹は痛烈な批判を加えた。

「みんな、今度の戦争でだまされたと言ってる。みんなが口をそろえてる。でも私の知ってる限り、『おれがだました』って言ってる人はひとりもいないな」

一般国民は口をそろえて「軍と官僚にだまされた」と言い、軍と官僚は口をそろえて「上司にだまされた」と言う。その上司に聞くと、口をそろえて「もっと上の者にだまされた」と言う。そうやって突き詰めていくと、最後はひとりかふたりになってしまう。しかしそんなひとりやふたりの知恵で、一億人がだませるわけはないのではないか?

そして伊丹はこう指摘する。戦争で誰が自分たちを苦しめたのかと思い出すときに、真っ先に記憶からよみがえってくるのは近所の商店主や町内会長や郊外のお百姓さんや、あるいは区役所や郵便局の役人たちではないだろうか。ありとあらゆる身近な人たちが、自分たちをいちばん苦しめていたではないか、と。つまりは悪人とは自分たち平凡な人々だったのだ。

しかし伊丹のような声は戦後の空気の中で少数で、「われわれは被害者だった」「騙されていた」という大合唱に日本は呑み込まれた。無謀な戦争に突入してしまったのはひとえに軍部という「加害者=悪」の責任であって、自分たちには責任がなかったのだという認識が世論として定着した。

マスメディアは「悪」「加害者」に対峙していればいいという構図

開戦前の国民の熱狂はすっかり忘れ去られたようだった。ただ指摘しておかなければならないのは、国民が戦争を支持したのは、必ずしも当時の日本人が好戦的だったという単純な話ではないということだ。たとえば吉見義明氏は『草の根のファシズム 日本民衆の戦争体験』(東京大学出版会、1987年)で、その理由のひとつとして、長引く日中戦争によるインフレや物資不足を挙げている。戦争による窮乏に対して、都市生活者からは反戦の声ではなく「その解決を『強力政治』の実現によるすみやかな『事変解決』に求める声が多くなった」という。

「速戦即決」を求める世論が高まり、その内容は「それは『政党でも独裁者でも何でも良い、全国民を引き摺る様な力強いものが欲しい』というようなナチズムやヒトラーを羨ましく思うタイプと、日本にヒトラーを期待するのではなく『協力一致、一丸として当たる』べきだとするタイプに分かれ、速やかに中国と講和すべきだという者は殆どいなかった」(『草の根のファシズム』)

だが日本にはヒトラーはいなかった。ドイツのように独裁政権が暴走して戦争への道が開かれたのではなく、リーダーシップ不在の政治だったからこそ、日本は暴走してしまったと言える。

片山杜秀氏は『未完のファシズム』(新潮選書、2012年)で、戦前の日本の政治体制にシステム的な欠陥があったことを指摘している。天皇を中心とした当時の「皇道」の原則には、古語の「うしはく」ではなく「しらす」を本義とするとされていたという。「うしはく」は強いリーダーシップをもって力づくで従わせる強権政治。「しらす」は、上の者が自分の考えを押し付けるのではなく、さまざまな人々の考えを認めながら、調整していくような「和」の政治。この理念をもとに、明治維新の政治システムは権力を分散し、多元化されるように工夫して作られたという。

だから貴族院と衆議院は完全に分離され、内閣における総理大臣の権限は弱く、内閣と対等な行政府として枢密院が置かれ、軍隊は三権に属さず、内閣も議会も軍に命令できないようにした。統帥権の独立である。これは同時に、軍が政治に直接介入することは少なくとも法的にはできない建物になっていた。つまり統帥権はそもそも軍を不可侵な権力にするためではなく、軍が政治に参加できないようにするための歯止めだったのだ。

しかしこれが、結果的にリーダーシップ不在を招き、誰もノーと言えないまま破滅的な戦争にのめり込んでしまう結果となった。日本の「しらす」の政治システムは、国を一枚岩にまとめ遂行する近代の総力戦には向いていなかったのだ。片山氏はこう書いている。

「日本はファシズムだったという通念が、戦後の日本に根付いていったように思われます。しかし、ファシズムが資本主義体制における一元的な全体主義のひとつの形態だとすれば、強力政治や総力戦・総動員体制がそれなりに完成してこそ日本がファシズム化したと言えるわけでしょうが、実態はそうでもなかった。むしろ戦時期の日本はファシズム化に失敗したというべきでしょう。日本ファシズムとは、結局のところ、実は未完のファシズムの謂であるとも考えられるのではないでしょうか」

こういう政治システムの不備が、太平洋戦争という凄惨な失敗の背景にあった。日本人は現代でもファシズムを嫌い、強いリーダーシップに拒否感を抱く傾向があるが、それが結果として悪い結果を招くこともあるということは念頭に置かなければならない。強いリーダーシップによる政治は抑圧的な強権政治につながりやすいが、調和的な政治はそのときどきの空気に流れてしまう無責任体制も生みかねないのだ。

残念なことに、日本の戦後ではこのような政治システムについての議論は政治やメディアの現場ではついぞ行われてこなかった。『旋風二十年』が最初に敷いたレールの先で、自民党や大企業や官僚はつねに「悪」であり「加害者」であり、市民や庶民はつねに「善」であり「被害者」であり、マスメディアは市民や庶民を擁護し、「悪」「加害者」に対峙していればいいという構図がずっと引き継がれてきたのである。

戦後日本メディアの根源的な問題

加えて言えば、そういう対立さえも、実はお芝居のようなものだった。たとえば冷戦時の「55年体制」と呼ばれた時代。実は自民党と社会党の国会での対決は演出で、事前に両党の国対委員長で談合して『落としどころ』をいつも決めていた。しかしそうした内実をメディアはいっさい書かなかった。国対委員長による談合を知っていた政治部記者たちは、紙面では「与野党激突!」などと書いていたのだ。

言い方を変えれば、この時代の「善悪」の対立は良くも悪くもエンタテインメント的な要素を持っていたということだろう。高度経済成長と、その後に日本経済を延命させたバブル時代まで、右肩上がりに増えていく富をただひたすら分配していれば、日本人は将来の不安を持たなくてもすんだからである。

55年体制時には「政財官の癒着」ということもよく言われた。しかしここには実のところ、第四の権力とされるマスメディアも含まれていたことは忘れてはならない。表向きは「対立」とかいいながら、裏側ではみんな手を握っていたというのが日本の戦後社会の構図であり、政界と財界、官僚、マスメディアはすべてインナーサークルでもあったのだ。

元厚生労働省官僚の中野雅至氏は『政治主導はなぜ失敗するのか?』(光文社新書、2010年)でこう書いている。「14年の在職中に『自分たちが主導して政策をつくっている』『思い通りに国家を動かしている』という実感などほとんど持てませんでした。どんな分野の仕事をやるにしても、自民党を中心に与党政治家の了解を得なければいけなかったからです。そんなこともあって、局長のような幹部でさえ自民党の政治家には平身低頭していました」

リーダーシップがないという意味では、政治家も同様だったという。「自民党の政治が政策を決めているという感覚も、ほとんどありませんでした。首相や大臣がリーダーシップをもって、『厚労省は何が何でも年金制度改革をやるんだ。俺が責任を持って進めるからがんばれ!』などと宣言するのを聞いたこともなかったからです」

政治家や官僚が明確に方針を決めてものごとを進めていくようなケースは皆無に近かったのだという。ではどうやって政策は決まっていたのかというと、「誰かが明確に責任を負うこともなく、ダンゴレースのように物事が決まっていくのが大半だったような気がします」と中野氏は解説している。何ということはない、戦前の「しらす」的な政治システムが戦後も続いていたのである。

「しらす」政治においては、何か悪い判断が結果として行われたとしても、明白な悪は単体では存在しない。システム全体に悪がうっすらと広まっているというイメージで捉える方が現実に近い。だから「しらす」政治の問題を解決しようとするならば、悪の糾弾ではなく、システム全体の構図を変更することが必要になる。

しかしこういう認識をメディアは持っていなかった。それなのに無理矢理に「悪」「加害者」を設定し、糾弾してきた。単一では存在しない悪を敵にしつらえているのだから、これはあまりにも空虚な報道姿勢だというしかない。どんなに悪を糾弾してもいつまで経っても問題は解決せず、放置されたままになってしまったのだ。

このように空虚であったからこそ、マスメディアの報道は問題解決にはつながらず、単なるエンターテインメントとして消費されるだけで終わってしまったとも言える。戦前の「しらす」政治がなぜうまくいかず、無謀な戦争に陥っていったのかを分析し反省することなく、ただ軍部に「悪」「加害者」を押し付け、根本的なシステムの改修や変更をしないまま、流されていったのだ。「水戸黄門」のような悪を糾弾するドラマを求めるエンタメ性が、問題解決からますますメディアを遠ざけていったのだ。

これこそが戦後日本メディアの根源的な問題に他ならない。この根深い問題を、21世紀の今も日本のメディアは引きずっている。事件や事故が起き、善なる被害者がいれば、そこには必ず加害者がいると考える。その悪=加害者を批判することが、ジャーナリズムの使命だと考えてしまうのだ。21世紀のいまも記者たちは決して、社会のシステムを改修して問題を解決するという方向には向かわない。

市民や庶民という「政治権力に抑圧される弱者」に装うこと

私は2012年の著書『「当事者」の時代』(光文社新書)で、「マイノリティ憑依」という概念を提示した。「マイノリティ憑依」は、弱者に寄り添うといいながら、自分に都合の良い幻想の弱者像を勝手につくりあげ、その幻想の弱者に喋らせ、弱者を勝手に代弁することである。メディアは自分の狙った物語を描こうとキャッチーな場面を撮影し、その物語に画面をはめ込もうとする。そこには第三者であるメディアの想像が繰り込まれてしまっている。

このマイノリティ憑依については「佐々木が弱者を無視しろと言っている」「弱者への差別だ」と誤解して非難する人がときどき現れてくるが、そうではない。逆に弱者の本来の発言が無視されてしまい、彼らの存在そのものが他者に奪われてしまう問題をマイノリティ憑依は孕んでいるのだ。

サバルタンという言葉がある。「みずからを語ることのできない弱者」というような意味だ。サバルタンはもともとは社会の支配階級に服従する底辺層を指した。歴史は常に支配階級によって書かれ、社会に受け入れられていくのに対し、底辺層サバルタンの歴史はいつも断片的で挿話的なものにしかならず、つまりサバルタンはみずからの力でみずからの歴史を紡ぐことを許されていない。つまりサバルタンの歴史は、つねに自分たちを抑圧する支配階級によってのみ語られ、書かれてしまうという矛盾した構造をはらんでいる。

サバルタンは西洋と東洋、宗主国と植民地といった対比で使われるが、日本の戦後メディアと弱者の関係はサバルタンの構図に類似している。メディアは弱者の側に立つと称して勝手に代弁し、加害者=悪を糾弾する。現実世界での金や地位、支配力などの物理的な強弱はともかくも、インターネットも含めたメディアの空間では、弱者こそが最も「力」が強い。なぜなら弱者を正面切って批判するのは難しく、非難を浴びやすいからだ。

弱者を装うことによって、力を得ることができる。これがマイノリティ憑依である。だから新聞やテレビは過去から現在にいたるまで、「市民目線で」「庶民の目から見れば」などの言い回しを好む。市民や庶民という「政治権力に抑圧される弱者」に装うことは、本来は権力のひとつであるマスメディアにとって、みずからが批判の刃にさらされる危険性を減らすことができ、実に便利な「戦術」だったということになる。

「弱者である」ということはメディアの空間では無敵だから、それに対して政府や企業の側、あるいは言論人などがそれに批判を加えても、まったく揺るがない。なぜなら「弱者を代弁している自分たちこそが正しく、それを批判する者はイコール弱者を批判する者であり、悪である」という認識を保ち続けることができるからだ。だから彼らは、外部から叩かれれば叩かれるほど「悪から叩かれる自分たちはやはり正しいのだ」と意思をより堅固にしていってしまう。「私たち記者は正義。がんばる」という通信社記者のツイートが話題になったことがあったが、まさにこの心情である。

こうして日本のメディアでは過去、インフルエンザ治療薬のタミフルが「異常行動を起こす」とされ、子宮頸がん予防ワクチンの被害が大きく報じられ、福島第一原発事故の放射線被害が過剰に語られ、同事故によって甲状腺がんが「増えた」とされ、医療過誤が過剰に批判されたことで地域の産科崩壊を招き…と何度となく、同じような構図の報道被害が繰り返されてきた。いずれもマスメディアが弱者を見つけ、それに対する加害者=悪を対置して批判するという構図は同じである。そして同時に、いずれの問題でもシステムの不備や改修には意識が及ばなかったことも共通している。

そしてこの構図はいまや、SNSのインターネットにまで広がっている。Twitterを開けば、このような構図で悪を叩いている人を見かけない日はない。これは非常に困難な状況である。なぜなら個人のアカウントは、組織としてのメディアよりもさらに「心情」に動かされやすくなるからだ。

メディアでもSNSでも、いったん「悪」「加害者」と目をつけられた人や組織は、公衆の面前に引きずり出され、三角帽をかぶせられて激しく糾弾される。こういう糾弾集会が内包する最も大きな問題は、糾弾によって人は善に向かうのではなく、「自分の加害が見つからないようにしよう」「みんなと一緒に悪を叩いて、自分が行ったひそかな加害が目立たないようにしよう」という心理に向かいがちになるということである。それどころか、悪い行いをなした人こそ、よりいっそう他の悪を叩いて、自分の悪の隠れ蓑にしようとしたりする。いじめに遭わないようにしようとするあまり、いじめる側に立ってしまうのと同じだ。個人が発信するSNSでは、こうした心理がいっそう強く働きやすい。

リスクマネジメントの分野に「ヒヤリハット」という用語がある。「ヒヤリ」としたり「ハッと」したり、重大な事故には至らなかったけれども、そうなってもおかしくなかった一歩手前の状態が起きた時に、それを認知することが大事という意味で使われる。ヒヤリハットがなぜ起きたかを学び、そこに構造的な問題や人がミスしやすい危険などがなかったかを分析することで、重大事故を防ぐ道が開かれるからだ。

このヒヤリハットを認知し、組織で共有するためには、ヒヤリハットを起こした人に報告させなければならない。もしヒヤリハットで責任を問われて罰されるのであれば、誰も見ていない現場で起きたヒヤリハットは報告されなくなってしまう。だからヒヤリハットで最も大切なことは、「報告した人の責任は問わない」ことだとされている。そうすれば人は安心してヒヤリハットを報告できるからだ。

これは「誰も責任を取らなくていい」というような極論を言っているのではない。重大事故が起きれば当然、そこには過失の責任が生まれ、過失の度合いが大きければ法的な措置もとられる。逮捕されて身柄拘束され、起訴され実刑判決を受ける可能性もあるだろう。だがそういう事態になってしまう以前に、悪人を批判する以前に、まず「構造的な問題はなかったか」を問い直すことが重要ということなのだ。

ヒヤリハットを起こした人を糾弾しまくっていれば、非難されることを避けてヒヤリハットを隠蔽するという対応を生んでしまう。だれもが強く糾弾されることを避けるあまりに、「隠しておいた方が波風が立たないですむ」という姿勢に走ってしまう。これは政府や自治体の官僚でも、企業の担当者でも、同じことだ。たとえば「原発ムラ」と呼ばれる産官学の原子力業界関係者コミュニティが隠蔽体質に向かってしまったのも、こういうメディアの構図が遠因にあった事象のひとつではないだろうか。

加えてこのように悪を糾弾し続ける姿勢は、加速しやすい。悪がいなくなった後も、いつまでも悪を探してしまう。なぜなら「悪と対峙し、弱者を代弁する自分こそが善である」というマイノリティ憑依の構図は、「加害者対被害者」「悪対善」という単純な二項対立の中でしか存在し得ないからだ。つまり悪がいなくなったとたんにこの構図は崩れてしまい、批判側はマイノリティ憑依のポーズをとれなくなってしまう。それを防ぐために、批判側は無意識のうちに新たな悪を探し求めてしまう。

構造の改修を考え、全体最適化をつねに念頭に入れたメディアを

2011年の福島第一原発事故から、すでに9年が経つ。当初予想されたほどの放射線被害はなく、死者も出なかった。残念なことに帰還困難な区域はまだ頑として存在しているけれども、放射線は時間とともに減り、除染の効果もあって、多くの場所で基準値以下になった。しかし悪を糾弾する構図を捨てられないメディアは、いまも弱者を求め、それに対峙する加害者を探している。だから9年経っても「福島はまだ危険だ」「これから危険になる」といった言説がまかり通ってしまっている。

マイノリティ憑依の構図で、誰を弱者として認定するかは、批判する側の選択である。なぜならマイノリティ憑依においては、「擁護しやすい」「報道しやすい」人が弱者として選別されるからだ。だから福島県に現に住み、「福島で私たちは普通に暮らしている」「福島の食は汚染されていない」と声を上げる弱者たちは、実際には彼らはまさしく弱者であるのにも関わらず、マイノリティ憑依においては弱者としては選定されない。福島の人たちこそが、まさにサバルタンなのだ。

マイノリティ憑依には、全体最適化の視点が欠けている。コンピュータのOSそのものに問題があるのに、その上で動くアプリケーションを貶しているだけでは問題は解決しない。MacBookProでmacOSを使っていて、「なんでこのアプリは液晶のタッチスクリーンに対応していないのだ!」とアプリ開発者に怒っても問題は解決しない。MacBookProとmacOSがタッチスクリーンに対応してもらうようアップルに働きかけするか、Windowsに移行するか、それとも自分で代替となるまったく新しいOSを開発するなどしなければ、永久にタッチスクリーン未対応問題は終わらない。

だから今求められているのは、悪をただ糾弾するだけでなく、構造の改修を考え、全体最適化をつねに念頭に入れたメディアであり、そういう報道を支えていく人たちである。

マスメディアだけがメディアの空間を支配していた時代はすでに終わった。テレビと新聞の業界には、マスメディアの中しか見ていない人が相変わらず多いが、彼らが知らないうちにマスメディアの外にはインターネットの言論という広大なメタメディアの世界が広がるようになっている。マイノリティ憑依的な構図はこのメタメディアであるネット言論に蔓延してきているが、同時にネットは誰もが「メタ」になれない世界、すなわち誰も高みの神の位置には立てない世界である。

ネットでは発言しなければ第三者でいられるが、発言したとたんに誰もが巻き込まれ、当事者となる。つねに批判でき、同時に批判される可能性があり、「お約束」や「お仲間うち」は通用しない。それは「北斗の拳」ぐらいに殺伐としているが、同時にフラットできわめて公正である。既存の権威も容易に反論され、言論はつねに更新されていくという点において、それは民主主義的でもある。

マイノリティ憑依的な問題が認識され、そういう姿勢を取る人たちがマスメディアだけでなくSNSにもたくさんいることが認識されたのも、SNSというフラットな言論空間が出現してきたからである。弱者はメディアによって勝手に選別されることを多くの人が知り、「キモくて金のないおっさん」問題に見るように、弱者選別から弾かれてしまっている人たちの存在が認識されるようになったのも、SNSがあったからこそである。

ネットが普及しはじめてからまだ四半世紀、SNSに至ってはまだ10年余の歴史しかない。ネットの言論は振り幅は大きくネガティブな効果も大きいが、マイノリティ憑依に代表されるようなマスメディアのおかしな姿勢を批判し、それが受け入れられてきたポジティブな面もある。今後もこのフラット化の方向は変わらないだろうし、いずれはTwitterやFacebookを越え、それらの欠点を改修した新しい情報通信プラットフォームが出てくるかもしれない。

テクノロジーの進化と新しいアーキテクチャーによって、私たちを取り巻くメディアの空間は今後も変化し、民主主義を支える公共圏も形を変えていくだろう。そういう中でどのようなニュースやその分析を求めるのかという原則的な哲学を、私たちはさらに深く長く考えていくことになるだろう。

プロフィール

佐々木俊尚作家・ジャーナリスト

1961年兵庫県生まれ。作家・ジャーナリスト。毎日新聞社で12年あまり事件記者を務めた後、月刊アスキー編集部に移籍。独立後フリージャーナリストに。ITと社会の相互作用と変容、ネットとリアル社会の衝突と融合を主なテーマとして執筆・講演活動を展開。

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