2020.04.06

新型コロナ・パンデミックでみえる危機時の国民への発信

本多倫彬 政策過程研究、国際協力論

社会 #安全保障をみるプリズム

4月1日、日本政府がマスク2枚を全国に配布することが報じられた。

「1住所当たり2枚の布マスクを配布の方針 安倍首相」(NHK web、2020年4月1日)

 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200401/k10012362911000.html

私自身も唖然としたが、エイプリル・フールのネタではないかとtwitterなどではお祭り状態となった。

新型コロナ・パンデミックは、国家安全保障上の危機時の対処を考えるとき、国民の反応や行動が重要な鍵であることをみせつけている。また、危機事態における政府の国民への発信のあり方について、課題をつきつけてもいる。

皆が不安に駆られる中、現在はノイズが多すぎる。このコラムもおそらくはノイズの一種になろうと思うので、要点だけ先に列挙しておきたい。

【政府の状況についての現在の認識】

・日本政府や東京都の対策は、国民一人ひとりを信頼しないという前提で進んできた。

・(その前提にたった)政府の発信は危機対応として有効ではない。

・政府の対応は、国民向け発信と専門的対応とは別である。

【一人ひとりの対応】

・政府が何を言おうとも、我々一人ひとりがやることは変わらない。

※行動変容、つまり「三つの密(密閉、密集、密接)」を避けることに尽きる。

・政府の国民向け発信をいちいち取り上げるニュースや「専門家」のノイズを遮断する。

・ニュースなど二次情報ではなく、感染症対策専門家会議などの情報に直接あたる。

※「新型コロナウイルス感染症について」厚生労働省ウェブサイト

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html#houshin

※とくに4月3日時点では、以下の9ページをぜひ見て頂きたい。

「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(2020年4月1日)」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議、2020年4月1日)

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000617992.pdf

※新型コロナクラスター対策専門家(twitter)

https://twitter.com/ClusterJapan

※新型コロナウイルス感染症に関する専門家有志の会

https://note.stopcovid19.jp/n/na6699c836faf?fbclid=IwAR0XEzQZUU55X45ncQQ5Y2zY2bujUZlz5A77d7PEMC8CGOPort8gqQV2KTs

オオカミ少年になった都知事

3月末、小池・東京都知事が「感染爆発を抑止できるギリギリの局面」としつつ、東京都のロックダウン(都市封鎖)の可能性に言及した。

ところが4月2日になって同知事はテレビ番組で、公共交通機関も店舗営業も止めることもすべて自粛要請で、ロックダウンを使った意図は、「ショックを与える」ことにあったと明かした。

不安を煽ることで、人々の行動変容を促そうとした試みだったと率直に明かしたのだ。

ロックダウン、オーバーシュート等々、耳馴染みもなければすぐに意味を理解できるものでもない用語を乱発してきたのも、危機を煽って軽めの社会的パニックを誘発することで自粛させようとする試みだったことを前提に考えれば納得がいこう。

これを、強制力ある対応を都知事として取れないなかで、苦肉の策として編み出したなどと肯定的な評価もあるかもしれない。

安易な選択と言わざるを得ない。

仮にそうであるならば、せめて、ロックダウンは事実上選択肢にないなどと認めるべきではなかった。

今後、さらに感染が拡大してきたときにも、我々はもはや小池都知事の発信を素直に信じることはできなくなった。

非常事態における指導者の発信

非常事態において政治指導者は、危機の重大さを呼びかけ、一致団結して対抗するよう国民に求める。

最も有名なものに、第二次世界大戦の初期、負け続きで英国本土へのナチス・ドイツの侵攻が現実味を帯びる中、徹底抗戦を呼びかけたウィンストン・チャーチルの演説がある。

幾分強調され過ぎているきらいはあるが、2018年に日本でも話題となった映画『ウィンストン・チャーチル』のなかで、「我々は決して降伏しない」と呼びかけるチャーチルの姿を記憶している方もいるだろう。ナチス・ドイツを打ち破り、英国を守るために、英国本土が占拠される可能性まで強調しつつ、国民に結束を呼び掛けたのだ。

それは困難を率直に訴えかけ、その困難を共有する覚悟を示し、その上で団結して取り組むよう国民に向き合う指導者の姿だ。

これに対して今回、都のやり方は、国民(都民)を脅すものだった。

民は由らしむべし、知らしむべからず

これは、「(政治指導者は)人々を従わせることはできる。しかし、なぜ従わねばならないのか、その理由を納得させることはできない」という趣旨の論語の一節だ。

いくつかの解釈は存在するものの、ここにあるのは、人格的に優れた指導者がよく検討した結果を、人々が自ら受け入れることを理想とする統治の姿だ。

理屈ではなく、〇〇(指導者)のいうことだから従おうという人々の「自主性」を喚起する指導者の姿だ。国民の利益のために、間違った決定しかできない国民に代わって意思決定をしようという指導者像であり、パターナリズム(父権主義・温情主義)と呼ばれるやり方でもある。

概念を扱う場合に常に付きまとう問題として、やや乱暴な整理にはなるものの、都にせよ、また日本政府にせよ、基本的なスタンスはこれと同じだったとみてよい。

国民を守ろうとはしている。しかし国民一人ひとりに向き合う姿勢も意図もない。自分たちの言うとおりにしてくれれば少なくとも国民に委ねるよりはましだ、という前提だ。なぜそのようになっているのかは、現政権をみる興味深いポイントとしてある。また、パターナリズムが常に誤っているわけではない。ただ、ここではこの論点は脇に置いておきたい。

そうした政府方針が端的に表れたのが冒頭のマスク配布だ。

実際に、本コラム執筆のさなかにマスク配布について、「全国民に布マスクを配れば、不安はパッと消えますから」と、ある官僚が言い出したことが始まりだったことが報じられた。

「布マスクで『不安パッと消えます』官僚案に乗って炎上」(朝日新聞、2020年4月2日)

https://www.asahi.com/articles/ASN426G43N42UTFK00V.html

真偽はともかく、マスク配布問題は日本政府の対応への不安材料になっている。

将来来るべき新たな危機への対応を考えるとき、優れた判断力と責任を持つ政府に任せておきなさいという方針で国民に向き合うことが、現代日本社会の危機時にはどのように受け取られるのか、興味深い事例となってきた。

それでは我々はどうすればよいのか?

政府は我々を信頼していない。政府の発信や国民に向けた取り組みは、我々を動かすために意図的にバイアスをかけられてきたことを前提にしなければならない。

それでは、我々は何を信じ、どのように行動すればよいのだろうか。

小池都知事が都民に対して強調してきたのは、「3つの密(密閉、密集、密接)」を避ける必要性だった。

日本政府のマスク配布発表の意図は、入手困難な状況のつづくマスクを配布することで、「国民の皆様の不安解消に少しでも資する」ことを目指したものだ。とにかく不安を解消させ、そのうえで国民に協力を呼びかけようとしたものだった。

国民の協力とはなにか。飲食店の営業自粛、テレワーク推進など様々だが、国民一人ひとりのレベルで言えば、集団発生、蔓延の防止に協力すること、つまり「3つの密」を避けることだ。

いずれにしても国民一人ひとりに求められているのは、「3つの密」を避ける行動変容に尽きる。これまでも、またこれからも出され続ける政府の発信は、そこに集約されている。

「3つの密」の出だしは、「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言(3月19日)」で、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が示したものだ。

「もし大多数の国民や事業者の皆様が、人と人との接触をできる限り絶つ努力、『3つの条件が同時に重なる場』を避けていただく努力を続けていただけない場合には、既に複数の国で報告されているように、感染に気づかない人たちによるクラスター(患者集団)が断続的に発生し、その大規模化や連鎖が生じえます。そして、ある日、オーバーシュート(爆発的患者急増)が起こりかねないと考えます。」

これについて4月1日に同会議は、「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020 年4月1日)で、この必要性が理解されていないという認識と懸念を示した。

詳細について、以下の9ページをぜひ読んで頂きたい。

「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議、2020年4月1日)

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000617992.pdf

政治(家)のレベルは国民のレベル

「政治は国民のレベルを映す鏡である」という言葉がある。民主国家において政治家を選んでいるのは国民である以上、選ばれる政治家は国民のレベルを超えないという格言だ。

マスクの戸別配布のような、国民に直接向けられる政策や発信が愚かしいものだとすれば、残念ながらそれは政策決定者側が、国民がその愚かしい政策に相応しいと考えていることの表れなのだ。

ただし、ここまで強調したように、結局、一人ひとりのレベルでやるべきことは、専門家会議で検討されて出てきた「3つの密」を避けることだ。それは現在、日本で進められる対策の3本柱の1つになっている重要な施策だ。

だからこそ政府は、その徹底のために国民に行動変容を促そうと試みてきた。

逆説的ながら、我々一人ひとりが、個人のレベルでやるべき「3つの密」を避けることを徹底することで、政府が「3つの密」の発生を避けるために国民向けに次々と何かを打ち出す必要性を減らすことにもなる。

危機発生時には、国民の団結と協力が何よりも必要となる事実に我々は直面している。そのために政府がどのような発信をしなければならないか、教訓が現在も生み出され続けている。

それは、危機時の対応のあり方を考える上で、前提としていかなければならないものだ。そのことを記憶し、危機後の政治を考えなければならない。

ただし現在の新型コロナ・パンデミックにおいて、政府が手を変え品を変えて我々に求めているのは、「3つの密」を起こさないことでしかない。そのために今、やらなければならないのは、国民向けに出される個別の対策や発信をいちいち批判することではない。

できる限り家に留まって、今何が起き、どういう対策が取られているのかについて、政府の発信や報道からは漏れるものを、専門家会議のウェブサイトなどから確認をすることだ。

〈追記〉
本記事執筆後の4月6日、緊急事態宣言発令間近と報じられている。
どのようなメッセージとともに発出されるのかは不明だが、同宣言が出されても、一人ひとりに求められるのものはここに書いたとおりのものになるだろう。
休業の補償など、今生きるために必要なものがどうなるのか不安が尽きないなか、それでも一人ひとりの行動変容に期待し、一人ひとりの協力を得るしかない。
宣言発令にあたり、それを国民にどう伝えられるか。少しでも不安を解消する措置を打ち出せるかどうかに、今回の新型コロナ対応のみならず、緊急事態に備える将来の日本のあり方がかかってくるように思う。

プロフィール

本多倫彬政策過程研究、国際協力論

キヤノングローバル戦略研究所主任研究員/中京大学教養教育研究院准教授。慶應義塾大学政策・メディア研究科後期博士課程修了(政策・メディア博士)。政策過程研究、国際協力論、平和構築論や日本の対外政策研究を専門とする。主要な業績は「平和構築の模索――自衛隊PKO派遣の挑戦と帰結」(単著)内外出版、2017年など。

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