2012.07.25
「冷淡」に立ち向かうこと
わたしは、1984年に福島県で生まれました。上京して大学院生になったばかりの2008年、難病を発症しました。今は東京で、病や社会のさまざまな「モンスター」と悪戦苦闘しながら暮らしています。
「作家」を名乗り、原稿を書いて生活の糧を得ています。ことばを生業にする者として、3月11日から今日まで「福島について語ること」を戒めてきました。
その理由は、いくつかあります。まず第一に、作家として情けなくも「福島」ということばから、逃げました。「福島で生きる人たちに顔向けできない」と、苦虫を噛み潰すことしかしてきませんでした。
「できなかった」のではありません。「しなかった」のです。わたしは、自分がかわいかったのです。自分が大事だったのです。自分が生き残りたかったのです。不誠実で、ずるかった。
「フクシマ」は、イギリスの片田舎のパブでも、ミャンマーの路上のコーヒー屋さんでも、誰もが「世間話」の話題にする単語になりました。しかしこの間、明白になったことは、人間の社会があまりにも「フクシマ」の人びとに「冷淡」であることです。皆が「フクシマのために何かしたい」という良心の呵責を抱えながら、同時に「自分が生き残りたい」と考えています。人間のエゴや、自分勝手さを捨てられぬ。福島がそのエゴの犠牲になっている、という言い方をすることもできるかもしれません。
しかし福島に由縁をもつものとして、若干気にかかることがあります。もし、同じような事故が、柏崎で起きていたら? 柏崎の人びともまた「世界からの冷淡さ」にさらされたのではないだろうかと思うのです。
東京から、手紙を書きます。この手紙は、27歳のわたしの「懺悔」です。そして、みなさんどうか、返事をください。みなさんとのことばのやりとりが、今日の「冷淡」と闘うための何かをつくりだす可能性に、期待します。
(本記事は4月25日付「福島民友」記事からの転載です)
プロフィール
大野更紗
専攻は医療社会学。難病の医療政策、