2012.09.03
新潟県における広域避難の現状と今後の課題
2011年3月11日におきた東日本大震災、そしてそれに伴う東京電力福島第一原発事故によって、多くの人々が新潟県内に避難をしている。また新潟県は福島県に隣接し、早くから避難者の受入体制が整っていたことなどから、とくに福島県からの避難者が多い。そこで本稿では、2012年8月現在の、新潟県における広域避難の現状と今後の課題について報告したい。
新潟県における広域避難の現状
2012年8月3日の新潟県広域支援対策課の発表 1)によると、避難者数は6,413名(男性2,896名、女性3,517名)である。年齢構成は、未就学者数(6歳未満)1,126名、就学者数(6歳以上15歳未満)1,119名、高校生相当数(15歳以上18歳未満)158名、就労者等数(18歳以上65歳未満)3,484名、高齢者数(65歳以上)526名。男女の割合では女性が多く、年齢構成では就労者等がもっとも多く、また子どもが多いこと、高齢者が比較的少ないことがわかる。住所構成では福島県6,283名、宮城県107名、茨城県20名、岩手県3名となっている。
福島県について詳しくみていくと、避難者の住所構成は、警戒等区域内の市町村からが3,134名、警戒等区域外の市町村からが3,149名であり、警戒等区域内と警戒等区域外の避難者数がほぼ同数であることがわかる。
ここで警戒等区域内とされている市町村は、「市区内全域または一部が原子力発電所事故に伴う警戒区域、計画的避難区域、緊急時避難準備区域に設定されている(または設定されたことのある)市町村 1)」で、南相馬市、双葉郡8町村、田村市、川俣町、飯館村が含まれる。また、警戒等区域外は、それ以外の市町村で、福島市、郡山市、いわき市等が含まれる。
受入市町村別避難者数では、避難者数が多い順に、①新潟市2,456名、②柏崎市1,262名、③長岡市484名となっている。なお、新潟県内30市町村のうち、弥彦村を除く29市町村が、避難者を受け入れている。
避難者数が多い新潟市と柏崎市について、さらに詳しくみていくと、新潟市の避難者数は2,456名、内訳は、警戒等区域内520名、警戒等区域外1,936名であり、圧倒的に警戒等区域外からの避難者が多い。これは、福島市434名、郡山市950名等、比較的都市部からの避難者が多いことから、新潟県内の都市部でも福島県にもっとも近い新潟市に、警戒等区域外からの避難が多くなったと推測できる。
次に、柏崎市の避難者数は1,262名、内訳は、警戒等区域内1,173名、警戒等区域外89名であり、こちらは新潟市とは逆に、圧倒的に警戒等区域内からの避難者が多い。これは、浪江町335名、大熊町241名、富岡町202名等、福島第一原発が立地しているか、または立地町に近接している市町村からの避難が多いことから、原発関係者であったり、仕事の関係で昔住んでいたことがあったり、親戚縁者を頼って等の理由によって、柏崎市に警戒等区域内からの避難が多くなったと推測できる。
避難者支援の現状
次いで避難者支援の現状だが、2012年6月に新潟県広域支援対策課が県内市町村に対して行った調査2)で、避難者を受け入れているすべての市町村で、何らかの支援が行われていることがわかった。具体的には、すべての市町村で郵送、電話、メール等による避難者向けの情報提供が行われている。また、避難者数が比較的多い市町村のほとんどで、①交流拠点の設置(15市町村19施設)、②見守りを行う臨時職員の雇用(11市町村)を行っている。その他、交流イベントの開催、市内循環バスの運行、保健師の巡回等も行われている。
そうしたなか、2011年11月に、東日本大震災復興支援協議会(以下、協議会)の主催により、第一回新潟県避難者支援連絡会議(以下、連絡会議)が開催された。そこで、避難者を受け入れている22市町村、県内で支援活動を行うNPO等14団体、新潟県関係者、福島県関係者等が集まり、避難者支援についての情報交換等が行われた。
この協議会は、新潟県広域支援対策課と㈳中越防災安全推進機構が事務局となり、市町村並びに各種民間支援団体によって主体的に行われている支援活動の後方支援を行うために、また官民・団体間連携による支援活動の促進のために設置された。その活動は、①新潟県避難者支援連絡会議の開催(情報交換、連携促進)、②市町村の枠を超えた全県単位での交流イベントの開催、③福島県、国、全国の各種民間支援団体との連携等である。
2012年4月に開催された第二回連絡会議では、2011年度の活動を振り返るとともに、2012年度の支援活動の方向性が確認された。①継続的な交流促進と避難者の自立促進、②避難者の孤立を防ぐための町内会、民生委員等を通じてのゆるやかな見守りの推進、③市町村、団体間の課題の共有とその課題の国、福島県へのつなぎなどである。また、福島県からの避難者の状況は、その心理状態および避難元地域によって一様ではないこと、そして、一様ではない避難者それぞれに合った支援が求められており、これにもとづいた支援を行っていくことが確認された。
避難者の状況
時間が経過するにつれ、新潟市の交流施設においては、警戒等区域内の避難者が交流施設から足が遠のく状況が生じた。また反対に、柏崎市の交流施設においては、警戒等区域外からの避難者が交流施設から足が遠のく状況が生まれた。
警戒区域などの区域設定による「物理的に戻れるか、戻れないか」、そして、「賠償があるか、ないか」によって、当初は同じ境遇(福島県から避難してきている)にあった避難者が、それぞれの置かれた状況の違いから、話がかみ合わなくなっていったからである。
そして、新潟市では多数派をしめる警戒等区域外の避難者が、柏崎市では多数派をしめる警戒等区域内の避難者が、それぞれ交流施設の中心的な避難者となるにつれ、もう一方の避難者たちの足が遠のく状況が生まれたのである。また、警戒等区域外、警戒等区域内の避難者同志であっても、地元に戻りたいと考えている人と戻りたくないと考えている人との間にも、距離感がでてきている。
このような状況が顕在化したことから、協議会では、避難者の対立、支援のミスマッチを防ぐために、避難者の状況を整理した(図1)。避難者の心理状態(戻りたい、戻りたくない)を縦軸に、避難元地域の警戒区域等の設定状況(戻れる、戻れない)を横軸にとり、避難者の置かれている状況を大きく4つに区分したのである。
図の右上には「心理的には戻りたいけど、現実には戻れない」という状況、右下には「心理的に戻りたくないし、現実にも戻れない」という状況、左下には「戻れる状況にはあるが、心理的に戻るつもりがない」という状況、左上には「戻れる状況にはあるが、心理的にはいつかは戻りたいけど、今は戻りたくない」という状況が、それぞれあてはまる。
この4つの状況は、横方向と縦方向の両方で対立構造が生じやすい。避難者支援を行っていくうえでは、避難者間で対立構造が生じやすいことを事前に理解しておくことが重要となってくる。また、県外避難者と福島県に残っている人たちとの対立構造もあることも忘れてはならない。
加えて、今後進む長期帰宅困難地域等の線引きの確定によって、縦軸が右方向にずれていくこととなる。すなわち、これまで帰宅困難とされていた地域が帰宅可能となり、その地域からの避難者が警戒等区域外からの避難者と同じ立場になってくる。また、警戒等区域内の同じ市町村の避難者間でも、これまでは縦方向のみの対立構造だったものに、横方向の対立構造も加わってくる。これまでと異なった対立構造が生じてくることが予測できる。
状況に合わせた避難者支援
では、どのような避難者支援が考えられるのか。4つの状況に合わせた避難者支援を以下に整理してみた(図2)。図の右上の状況に対する支援としては、避難元町単位の住民組織の立ち上げ、避難元自治体とのつなぎ等の支援が考えられる。右下と左下の状況に対する支援としては、雇用・営業再開、避難先地域へのつなぎ等の支援が、右上の状況に対する支援としては、母子交流サロン、雇用と託児の支援等が考えられるだろう。
2011年12月に、新潟県広域支援対策課が避難者に対してアンケート調査を行っている。3) それによると、「避難生活を送る上で悩んでいる事」の設問に対する回答では、警戒区域等(=警戒等区域内)、警戒区域等外(=警戒等区域外)とも、仕事や就職に関すること、子どもの教育に関すること、健康に関することが上位を占めている。さらに詳しくみていくと、警戒区域等では、警戒区域等外に比べ、避難元の地域住民とのつながりが希薄になること、警戒区域等外では、警戒区域等に比べ、子どもの教育に関することについて悩んでいると回答した割合が高く、このアンケート調査の結果からも、避難者の状況に合わせた支援が重要であることがわかる。
いずれにしても、ここで指摘した支援はあくまでも一例であり、同じ状況に区分された避難者であっても、個別事情によってはそれぞれ、この事例とは異なったきめ細かい支援が必要となってくることは言うまでもない。
これからの支援とその課題
最後に、これからの支援としては、①これまでの支援体制の継続(交流拠点の開設、見守り支援、情報提供等)と、②個人の復興を支える支援(避難者の主体性を醸成していく支援、個人のそれぞれの選択を支える支援)が重要となってくるであろう。
そこで、これらの支援を進めていくうえでの課題を指摘したい。①これまでの支援体制の継続に対する課題としては、支援体制の財源を指摘することができる。2012年6月の新潟県広域支援課が県内市町村に行ったアンケート調査 2)によると、複数の市町村から財源の課題が指摘されている。ある市町村は、市町村に対する避難者支援のための制度が、緊急雇用や県地域支え合い体制づくり等、既存の単年度事業の拡大適用だけで、継続性のある対応が困難だと回答している。
先に避難者数が比較的多い市町村のほとんどで、交流拠点の設置、見守りを行う臨時職員の雇用を行っていると報告したが、そのほとんどが、緊急雇用事業、県地域支え合い体制づくり、新しい公共事業といった、既存の単年度事業の財源によって賄われており、来年度以降、支援体制の継続の見込みがたっていない。
この課題については、2012年6月21日に成立した「子ども・被災者支援法」の具体化に期待したい。この法律では、被害者が被災地に居住するか、避難するか、または避難した後に帰還するかについて、被害者自身の自己決定権を認め、そのいずれを選択した場合であっても、適切な支援を受けられることを認めてはいるものの、あくまでもその枠組みだけが決まっただけで、その具体化はこれからである。
具体化ためには、政府による避難者の生活実態や各県・市町村および支援団体等の状況把握はもちろんのこと、当事者、各県、市町村および支援団体等の連携による政府への具体的な政策提言も重要である。
また、②個人の復興を支える支援の課題としては、災害復興の「光と影」に関する課題を指摘したい。これまでの災害復興の研究分野では、どちらかというと、被災を受けた人々が従来住んでいた地域に戻り、個人の復興と地域の復興を連動させてきた事例に光が当てられてきた。その陰には、従来住んできた地域に戻らずに、個人の復興を進めてきた事例もあったものの、それらが連動しない事例には、ほとんど光が当てられてこなかった。
福島県の復興については、個人の復興と地域の復興が連動しない事例が多くなることが予測される。だが、そのような事例は影であった事例だけに、災害復興の研究分野においての知見の積み重ねがないに等しく、よって、その復興のためには様々な研究分野の関係者が関わるなかでの模索が必要だといえる。
その方向性としては、やや抽象的ではあるが、①当事者の主体性を醸成する支援(ゆるやかな当事者のつながりづくり、当事者の主体性を促す支援、当事者の主体的な活動を下支えする支援)と、②個人のそれぞれの選択を支える支援(ゆるやかな当事者のつながりづくりのなかで当事者が主体的に将来を選択できる環境づくり、それぞれの主体的な将来の選択を尊重する支援、それぞれの主体的な将来の選択を当事者同士がお互いに認め合えることのできる環境づくり)が考えられる。
参考文献
1) 新潟県広域支援対策課、避難者の構成について(平成24年8月3日発表)
2) 新潟県広域支援対策課、避難者支援に関する課題・提案等(平成24年6月照会まとめ)
3) 新潟県広域支援対策課、県外からの避難者の避難生活状況及びニーズ把握に関する調査結果について(平成23年12月実施)
プロフィール
稲垣文彦
2005年、中越地震から復興のための中間支援組織「中越復興市民会議」を創設し事務局長に就任。現在は、㈳中越防災安全推進機構復興デザインセンター長として地域復興支援員の人材育成等に従事。また、国の過疎対策として推進されている「人による集落支援」施策としての集落支援員や地域おこし協力隊等をネットワークする「地域サポート人ネットワーク全国協議会」の設立に尽力、全国の地域おこし協力隊員等の研修を行っている。
東日本大震災の被災地支援では、2011年4月より郡山市のビッグパレットふくしま避難所運営を支援する福島県のアドバイザーを務める。現在でも、富岡町の避難者支援に関わっている。また、総務省の「復興支援員制度」の制度設計に対する助言を行う。現在でも、この制度を活用した宮城県の「みやぎ復興応援隊」制度のバックアップを行っている。