2012.08.03

被災写真を救済する ―― 「思い出サルベージ」プロジェクト

溝口佑爾・新藤祐一

社会 #震災復興#溝口佑爾#新藤祐一#思い出サルベージ#被災写真

東日本大震災で発生した津波は、多くの家を流していった。家の中で大事にしまわれていた写真やアルバムも、一緒に流された。「思い出サルベージ(代表:溝口佑爾)」は、そうした写真を救済するために情報技術を駆使し、持ち主へと返却するプロジェクト。被災した写真を洗浄・デジタル化・データベース化し、画像の保存と返却につなげていく。宮城県亘理郡山元町で回収された約75万枚の被災写真を救済し、現在も元の持ち主にお返しする活動を行っている。

山元町は、宮城県と福島県の境目に位置する海沿いの町。海と山が近く、いちごとりんごとホッキ貝が名産だ。東日本大震災では津波により大きな被害を受け、町の居住地域のうちの約62%が浸水し2,209棟が全壊した。死者・行方不明者数は633名。人口の約4%が亡くなった計算になる。だが、これほどの甚大な被害にも関わらず、山元町の被害状況がメディアで伝えられることはほとんどなかった。

思い出サルベージのきっかけは、日本社会情報学会・災害情報支援チーム(統括リーダー:柴田邦臣大妻女子大学准教授)が行ってきた「情報ボランティア」活動。山元町出身の友人を送り届けるため柴田邦臣が現地に入ったのは、地震発生5日後の3月16日。言葉にならないほどの被害状況の中、柴田は山元町が情報的に孤立していることに気付く。

震災当初に防災無線が壊れ町外への情報発信が遅れたため、当時の山元町はメディアから見捨てられた町になっていた。柴田は情報の支援を行おうと日本社会情報学会の若手研究者に呼びかけ、PCとテントを担いで3月末に再び現地に入った。以後、山元町の状況を発信する“まとめサイト”の構築、避難所のPCやインターネット環境の構築、地元災害FM「りんごラジオ」のブログ作りなどを行っていた。

しかし、現地に滞在して活動を続ける中で、被災者の方から被災写真をデジタルで救えないかと声がかかった。

津波で何もかもを流された方にとって、写真は唯一自分と家族をつなぐものであり、また時に亡くなられた方の代わりとなるものであった。しかし、被災写真は海水とバクテリアにまみれ、日々劣化していく。急いで洗浄・デジタル化して保存することが必要だった。

「車や家はあきらめられるが、写真はあきらめられない。もう思い出はここにしかない」

その声から、被災者の方の思い出を救うプロジェクト『思い出サルベージ』ははじまった。

当初は、被災者の方から依頼があった分を洗浄・スキャン・印刷するサービスだった。

しかし、4月末ごろ、町内各所で自衛隊ががれきの中から回収した思い出の品が、津波被害にあった小学校の体育館に集められているという情報を耳にする。

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体育館があふれるほどの量に膨れ上がった、海水に浸かったままの写真。このままでは写真は劣化し、その画像は失われる。

これをすべて救済することができるのか。柴田と若手研究者は悩んだ。しかし、このままでは“思い出”は失われる。議論は3日間にわたった。そして、災害情報支援チームの総力をあげて、この被災写真に取り組むことを決断した。

しかし、大量の写真を救済するには、人手も技術も足りなかった。

最初はスキャナでのデジタル化を試みるが、泥にまみれた被災写真はスキャンする度にスキャナの掃除が必要になり、時間があまりにもかかる。大量の写真を作業するには現実的ではない。デジタルカメラで写真を撮影する『複写』を思いつくが、その技術はなかった。

そこで、柴田はTwitterで呼びかけを行った。

【拡散お願い】山下第二小体育館には概算で12万枚の被災写真が手当を受けられずに積まれています。スキャナ4台で取込していますが、アルバムの中には洗浄できないものも多く、劣化が進む前にデジカメでの再撮影が必要です。写真の再撮影で必要な物・事について、ご存じな方はぜひ教えてください。(筆者注:当時は総計12万枚と推定していた)

https://twitter.com/shiba_zemitter/status/65189497712812032

Twitterでの呼びかけに、多くのプロカメラマンやレタッチの専門家が集まった。そして最初に柴田の呼びかけに答えたカメラマン・高橋宗正が、複写に必要な機材の提供をTwitterで呼びかけ、多くのカメラや三脚が集まった。

そして、5月21日、22日に現地で『大洗浄複写会』を開催。土日を使い多くのボランティアに集まってもらい、一気に被災写真の洗浄と複写を行う。以後10回開催し、集まったボランティアはのべ500名を超えた。

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こうして11年7月中には被災写真の洗浄・デジタル化がほぼ完了。

救済した被災写真は山元町役場そばの『ふるさと伝承館』で展示し、元の持ち主にお返ししていく。

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当初は、被災写真の現物を来館者が直接探すスタイルだったが、写真の数はあまりにも多く、自分の写真を探すには、大変な労力と集中力を必要とした。被災者の方にはお年寄りも多く、見つかる前にあきらめてしまうケースも見受けられた。

そこで、徐々にデジタルデータを駆使した返却の工夫が整備されていった。

まず、「結婚式」「旅行」等のキーワードや名前から写真を検索できるクラウド上のサービスが、ニフティ株式会社の協力で始まった。当初は東京のボランティアがキーワードをつけていたが、徐々に地元の方からの情報が集まりはじめる。「この写真は○○のお孫さん」といった情報を『手がかりメモ』として記録し、データベースに反映していった。

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11年9月には、デジタルデータを利用してアルバムのカタログ「インデックス・カタログ」を作成した。被災したアルバムは大変もろく、そのまま取り出して見ることは難しかった。そこで、デジタル化したデータを使って代表的な写真を抜き出し、アルバム1冊につき1ページのカタログを作成。被災アルバムを探す労力は大幅に軽減された。

しかし、写真の返却率はなかなか上がらない。

その打開策として開発されたのが、顔認識システムだった。

東北大学大学院の保良康平がGoogleのPicasaを用いて構築。探しに来た方の正面、左右斜め、笑顔の4枚を撮影し、それを元に似た顔が含まれる画像を検索する。被災写真はダメージを受けているため、顔認識のしきい値は下げ、あいまいな画像も表示させる。この顔認証システムは徐々に整備され、現在ではシステムを利用した方の約半数が被災写真を発見できるまでになった。

また、顔認証システムでは本人だけでなく父母や兄弟の写真が見つかるケースも多く、家族のつながりを最新のIT技術が発見するという、意外なメリットも見つかっている。

また、被災した思い出の品の中には卒業アルバムが多く含まれていたが、元の持ち主が特定できないという問題が発生していた。そこで、山元町内の小中学校とその卒業生に協力を得て、被災していないきれいな卒業アルバムをデジタル化し、被災者に無償で印刷配布できるようにした。卒業アルバムの無償印刷配布は2011年12月からサービスを開始。2012年2月からは、富士フイルムイメージングシステムズ株式会社の協力により、写真画質のプリンター「ピクトログラフィ」を使っての配布が可能となった。

こうした検索の工夫やサービスも手伝い、2012年8月1日の時点で約22万枚の写真を返却することができた。

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被災写真救済の取り組みは、山元町だけではなく、多くの被災地でも始まっていった。情報交換のない段階では、写真救済、返却の仕方を各地それぞれに発展させていった。洗浄作業を全国に発送してお願いした「気仙沼・思い出は流れない」http://kra-fucco.com/summary/pict 、写真の展示の仕方を工夫して返却率を上げた「岩沼・おもいで再会ひろば」http://ameblo.jp/omoidesaikaihiroba/、カフェ事業と絡めてイベント型の返却を試みた「山田町・カフェ・サロンPhoto rescue project」など。中には写真を洗浄しない選択をした自治体もあった。

このようにガラパゴス的に発達した各自治体・団体だが、最近になって横のつながりができつつある。2011 年12 月1 日に「写真救済サミット」が富士フイルムの呼びかけで実現。それ以来、facebook等を通じて各地のキーパーソンたちが自由に連絡を取りえる環境が整備され、より頻度の多い情報交換が行われている。写真救済のためのノウハウや情報の交換だけではなく、必要な機材のマッチングや、未洗浄の写真を抱える地域と洗浄作業を行いたい外注先とのマッチングにも力を発揮している。

思い出サルベージは、facebook上の情報交換の環境の整備に加えて、デジタル化とその返却への利用等に関するノウハウの提供を行うかたちで「写真救済サミット」をサポートしている。また、現在では山元町の写真の洗浄も、「写真救済サミット」に参加する武蔵小杉写真洗浄(神奈川県)http://ameblo.jp/lunacreation/・ハートプロジェクト静岡(静岡県)http://suzuya.hamazo.tv/e2985987.html ・あらいぐま作戦in山口周南(山口県)http://yamaraiguma.blog.fc2.com/・ハートプロジェクト長崎(長崎)http://ameblo.jp/heart-nagasaki/ の力を借りて行われている。

現在、思い出サルベージは仮設住宅集会所に出張し、被災写真返却会を行っている。展示会場まで来られなかったお年寄りを中心に、多くの方が被災写真を探しに来られている。また、新たな試みとして、山元町出身で東京などにお住まいの方を対象に、被災写真返却会の東京開催を8月4日(土)に企画している。

★8月4日(土)に東京・秋葉原で、これまでの活動を報告すると共に、今後の支援とボランティアを考えるトークセッションを開催します。

また、現在首都圏にお住まいの山元町ゆかりの方を対象に、同じ会場を使い、被災写真の東京での返却会を実施します。複写した写真データを使い、PCとタブレットを使って遠隔地で被災写真をご確認いただく、初の試みになります。

日時 : 2012年8月4日(土) 東京返却会 : 10:30~15:30 活動報告会 : 13:00~16:00 ※16:00~17:30まで同会場で懇親会を行います。

場所 : アーツ千代田 3331 地下1階 AFTオープンスペース 東京都千代田区外神田6丁目11-14 http://www.3331.jp/access/

主催 : 思い出サルベージ

入場料 : 無料

内容 :

1.これまでの活動のご報告 2.返却の様子を映像でご紹介 3.ボランティアトークセッション 4.これまでのこれからの支援を語るトークセッション

販売 :

「LOST&FOUND PROJECT」ポスター 「おくの細道2012」 DVD

展示 : 山元町の方にご協力いただき、実際に被災した写真・アルバムをお預かりしています。当日はこちらからご覧いただけます。

http://jsis-bjk.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/84-23c3.html

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