2021.07.26

「法外なもの」とは何か――『相模原障害者殺傷事件』を読む

仲正昌樹 政治思想史・ドイツ文学

社会

元職員による徹底検証 相模原障害者殺傷事件―裁判の記録・被告との対話・関係者の証言

西角純志

ちょうど5年前(2016年7月26日)、相模原の知的障害者施設で起こった殺傷事件は当時大きな話題になった。19人もの人が命を奪われたこと、犠牲者たちが知的障害者であったこと、容疑者が元職員であったこと、容疑者の言動が不可解であり、彼自身の責任能力が怪しく思われること。少なくとも四重の意味でショッキングな出来事であり、障害者福祉のあり方、個人による大量殺戮の可能性、陰謀論的な妄想と刑事責任能力という三つの大きな社会的課題が絡んでいた。

これまでこの事件について多くの書籍や論考が刊行され、雑誌の特集や連載が組まれてきた。本稿で紹介・論評する『相模原障害者殺傷事件』(西角純志、明石書店、2021)は、著者自身がかつて4年間この施設に勤務した経験があり、かつ、ドイツ語圏を中心とする社会思想史の研究者でもあるという特殊な立場にあり、その両面性を生かして論述を進めているところに特徴がある。昨年3月の判決を踏まえ、裁判を通して明らかになったことと、明らかにならなかったことについて考察している点も本書の強みだろう。

「内なる優生思想」という語りのうさん臭さ

事件が報道された当初、哲学者や社会学者を含む多くの論客が相次いでコメントを発表したが、正直言って、私はそれほど関心を持てなかった。ただ、メディアや論客たちのほとんどが、容疑者が重度の障害者は人間ではなく、彼らを殺すことが社会を変えることに繋がると発言していたことをもって、ナチスに類似した優生思想が背景にあると強調していたことには違和感を覚えた。彼がナチスの思想についてほとんど知らなかったと分かっても、「内なる優生思想」に拘る論評が多かったので、何か的を外しているように思えてならなかった。

多くの人命を奪う凶悪犯罪が起こると、マスコミも識者も、単一の分かりやすい犯行原因を特定したがる。2001年の池田小学校事件の場合は、宅間守のエリートに対するコンプレックス、2008年の秋葉原通り魔事件の場合は、派遣社員であり非モテに悩んでいた加藤智大の疎外感と、犯人の人格性格形成と疎外感に焦点が当てられた。犯罪者の動機特定の定番である。しかし、このケースでは、やたら「思想」が強調された。そうなったのは恐らく、本書の著者西角氏が示唆するように、植松聖が友人も多く、つき合った女性も複数いて、人間関係で孤立してはいなかったこと、攻撃の対象が明らかに犯人より弱い立場にある人たちであったことから、通常の図式で説明しにくいので、彼の言動を特徴づける「優生思想」に注目が集まったのだろう。

知識人、とくに思想・哲学系の研究者(あるいは、そう自負している人)は、凶悪犯罪者や問題発言で物議を醸す人物の“動機”を分析する際、本人によるものであれ、熱心に読んでいるものであれ、テクスト化された「思想」を参照点にしがちだ。自分たちが普段やっていることの延長で、処理できるからだ。しかし私は、プラトン、マキャヴェッリ、マルキ・ド・サド、キルケゴール、ニーチェ、ザッヘル・マゾッホ、オットー・ヴァイニンガー、サルトルなどを徹底的に研究して、彼らのテクストで示唆されている実践を、個人としてそのまま実行した、という知識人に個人的に出会ったことはない。カント、ニーチェ、ハイデガーを生きていると称する“思想家”が、極めて平凡な生き方しかしていない例ならいくらでも知っている。

マルクスの場合、実践している人間があれほどいるではないか、と言う人がいるかもしれないが、それはマルクス主義を標榜し、共同生活を送る集団が結成されているからである。統一教会の信者として11年半にわたる共同生活を経験し、その後、何年か新左翼系の(元)活動家たちとかなり親しくつき合い、雑誌編集やイベント企画などを一緒にやった私の経験からして、人間は、「思想」のテクストを一人で読んで、過激な行動に動機づけられることはほぼないと思う――そういう奇特な人がどこかにいる可能性は否定しない。密な人間関係の中で、その「テクスト」の教えについて語り合い、一緒に実践しようと試み、その過程において対立したり、仲間と比べてダメな自分にコンプレックスを抱いて孤立感を覚えたり、自信を喪失した後、再度絆を確認したり、といったことを繰り返すなかで、一人ではとうてい無理な行動に出てしまうのではないかと思う。「思想のテクスト」にこだわると、そうした「テクスト」を媒介に展開する関係性の連鎖が見えなくなる。

植松の場合、ナチスの優生思想さえ体系的に学んだ形跡はないのだから、「思想のテクスト」に関連づけて理解したつもりになるのは、なおさら的外れである。詳しくは、西角氏の叙述の手法を説明する際に述べることにするが、様々な体験が重なって、ある時期から、「障害者を殺すこと」が、彼にとって「自分の人生に意味を与える使命」に思えるようになり、その固定観念を補強するために、ネット上に散らばっているヘイトスピーチや陰謀論の言説の断片をかき集め、その都度それらしい正当化の言い分を、知り合い相手に語っているうちに、自己暗示がエスカレートしていった、と見るべきではないかと思う。これは植松に限らず、あまり体系的と思えない、妄想的な世界観を語る人全般に言えることである。何かのきっかけで囚われた固定観念に、うまく当てはまりそうな「思想のテクスト」の断片をかき集めてくるのであって、「思想のテクスト」が過激な行動を生み出すのではない。

加えて、「優生思想」がある時点から植松の思考を支配していたと考えると、施設の職員でありながら、自分がケアしている入所者の人間性を否定するに至った彼の言動の不可解さが説明できたような気になる。命を失った障害者は、日本に蔓延しつつある「優生思想」の一方的な犠牲者ということになる。知識人は、たとえ生き残ったとしても自分の意志を明確に表現できない知的障害者を「代理」する、という使命を果たしたことになる。これまでは、そうした、いかにも啓蒙知識人的な図式で書かれた本や雑誌記事が多かったように思われる。

植松の先輩職員に当たる西角氏の叙述の仕方で卓越していると思われるのは、犠牲者たちを「津久井やまゆり園の入所者」ということで一括りにしていないことである。分量として全体の4割弱を占める第4~第9章にかけて、彼らが入居していた6つのグループホームごとに、それぞれがどういう人となりで、家族や職員とどういう関係を築いていたか、遺族や担当職員の証言を抜粋するかたちで再現され、それと犯行時の被告の行動を照らし合されている。この部分では、西角氏自身のコメントはあまり挟まず、資料に語らせる手法が取られている。元入居所の家族であるデザイナーによって描かれた園内の居室図や写真が挿入されており、これらが証言と一体となって、犯行の行われた空間と、そこでの犯人と犠牲者の肉体的な接触の光景を、リアルに想像するよう読者に迫ってくる。

サバルタン研究の第一人者であるスピヴァックは『サバルタンは語ることができるか』(1988)で、植民地時代のインドに生きた女性たちを例にして、サバルタン(被従属民)が自分たちの言葉で自分たちの歴史を書き残すことの不可能性を示唆し、サバルタン研究の自己矛盾を露わにした。それに対して、フェミニズム法哲学者のドゥルシラ・コーネルは、サバルタンとされている人たちは実際に多くのことを語っている、私たちにそれを聞き取る感受性がないだけだと応じている。やまゆり園の職員であった西角氏は、そういうスタンスのもとに、犠牲者たちの「声」の痕跡を拾い集めたのではないか、と私には思われた。

『掟の門』と正義について植松が語ったこと

彼はまた、(裁判では責任能力が争われた)植松の「声」にも可能な限り耳を傾けようとしている。三つの異なった角度からのアプローチが試みられている。第3章で、被告と面会し、カフカの『掟の門』を読んでもらい、感想を語ってもらうことで、彼と「法」との距離感を測ろうとしたユニークなアプローチが試みられている。これは西角氏でなければできなかったアプローチだろう。

「掟(法)」の門の前に番人が立ちはだかっていて、どうしても中に入れてもらえない、そのうち自分はだんだん老いて力を失っていく、という寓意的な状況を描くこの作品についてレポートするようにという西角氏のリクエストに、植松は答えている。本書に掲載されているレポートは、全体として見ると、この作品を直接解釈しようとするものではなく、(知的)障害者をめぐる日本の法制度についての彼なりのイメージを書き連ねるだけの、ズレた応答をしているように見える。

しかし、①「法律で決められている」というフレーズを使うのは、弁護士や精神科医など「高学歴」「高収入」の人間だけであり、やっとの思いで権力を手に入れた彼らは、法律(で決められている障害者の扱い)について再考しようとしないこと、②人間が集まる空間にはヒエラルキーが生じ、「殺戮が認められる空間では、それが一つの正義」となること、③カフカの提起したのは、「正義の神はじっとしていなくちゃ。でないと秤がゆれて、正しい裁きが下せない」、という問題であること――といった、そこだけ見れば、作品の解釈として結構、的を射ているのではないかと思える指摘もしている。

この三つを統合すると、以下のような解釈を導き出すことができる。「正義」は、社会的な権力関係によっていかようにでも恣意的に変動可能であり、不安定なものであるがゆえに、人々がそのことに気づいて“正義”をやたらにいじらないよう、「正義」を実現する手段としての「法」の番人は、「法」は決して変動しないし、アクセスできない、という外観(掟の門)を維持し続けねばならない。植松が実際に、たとえ断片的にでも、こうしたメッセージを読み取っていたとすれば、驚くべきことである。こうした「正義」と「法」の現実の関係を真っ向から否定できる法理論家はいないだろう--この点についてまた後で触れる。

レポートには、植松によるイラスト風の、カフカの似顔絵と「掟の門」のイメージが添えられている。カフカの似顔絵は、いかにも(ナチス風に見えなくもない)潔癖症な感じを表現した、ある意味、よく見かける雰囲気のものだが、「掟の門」の方が印象的だ。タイル張りの床の上に、大理石のような模様のついた石造りのきれいなアーチが立てられているが、番人はいない。門の向こう側は光輝いていて、次の門ではなく壁のようなものが見える。天国への門であるようにも、単なるアーチでその先にはただの壁があるだけのようにも見える。

「意思疎通できない知的障害者」への関心

第9章では友人たち、第10章では交際女性たちの証言が、第4~第9章と同じように、可能な限り資料そのものに語らせるかたちで紹介されている。中高時代の植松が「不良」と呼ばれる人たちとつき合い、キレやすく、問題行動を見せる一方、社交的な性格で、部活動もやっていた、という両面性を示していたことと、大学卒業後の彼が脱法ハーブや大麻に手を出し、次第に妄想癖が強まっていく中でやまゆり園に就職したこと、園を退職する前後に「重複障害者が人間ではない」と発言するようになり、イルミナティカードにはまっていったことが明らかになる。上司とぶつかって退職する前後の彼が次第に、「重複障害者」の殺害を自らの使命とする、妄想の物語を紡ぎ出そうとするようになることは読み取れるが、それ以前の彼のキャラクターはなかなかイメージしにくい。そもそも陽気な不良だった彼が、どうして「障害者」施設に就職したのか、余計に分からなくなる、という印象を持つ読者は私だけではなかろう。

第12章では、事件とも当事者たちの物語からもいったん離れ、戦後の日本における「安楽死・尊厳死」の歴史を、日本安楽死協会の設立者である太田典礼と、安楽死法制化に反対した松田道雄の思想的対立を軸に再構成し、そこに植松の「内なる優生思想」と通底するものがあるのではないか、と示唆している。これも一種の「思想のテクスト」によるアプローチだが、ナチスの人種主義や優生思想と強引に直接結びつけるのではなく、植松の主張とは文脈的に距離がありそうな、「安楽死・尊厳死」問題との間の微かな共鳴を示唆するにとどめることで、植松の言動にたびたび現れる一つの要素を浮き彫りにしているように見える。それは、社会的な「弱者」の死を、本人と社会のために願う発想である。

この章で、西角氏は、植松が太田たち安楽死法制論者と同様に、「強者の立場」に立っていると断定的に述べているが、第9~第10章の彼を知る人たちの証言やそれに対応する被告人自身の裁判での発言を見る限り、彼が自らを「強者」と確信していたとは考えにくい。第9章に掲載されている、イルミナティカードについての、弁護士による被告人質問では、重度障害者を殺すことが「社会に貢献する」ことだと語りながら、その直後に、自分がそういう話をしても、「人生がうまくいっている人はあまり興味がなかったかもしれません」、と言っている。彼自身は「充実した人生」を送っていないのである。

植松は、自分に使命があると言いながら、社会的自己評価は低いように見える。その両極端な態度から見えてくるのは、自分の社会的立場についての不安と、その不安を緩和するために、自分より弱く、社会に貢献していないように見える、「意思疎通できない知的障害者」への関心である。「意思疎通できないゆえに、社会の重荷になっている知的障害者」という一面的なイメージは、彼自身の不安の過剰投影だとすると、「彼ら」(=社会の役に立っていない自分)をどうにかしないといけないという強迫観念に取り憑かれたこと、彼らのために何かしないといけないと思って施設に就職し、仕事を覚えようと努力したこと、その挫折経験から、彼らの死によって最終解決する、という逆の方向へと飛躍したこと、彼の前で入所者を杜撰に扱ってみせた先輩や上司には怒りの矛先を向けようとしないことなども、ある意味、納得がいく。

そうした私なりの読みを裏づけているように思えるのが、元交際女性Cが語る、映画『テッド2』を見て感銘を受けた植松の様子である。西角氏はこの映画の影響を重視して、映画の中身を紹介し、簡潔な分析を加えている。テッドはぬいぐるみの熊だが、命がやどり、行動し、会話ができるようになる。しかし、同じ見た目のまま、精神的に年を取り、マリファナをやったり、売春婦を呼んでいかがわしいこともするが、持ち主=親友の家を出て、働いて生活するという自立性も持っている。『テッド2』では、人間の女性と結婚したテッドが子供が欲しくなり、精子提供者を求めるが、医療機関から拒絶され、次に養子縁組しようとするが、「法」の壁が立ちはだかったので、突破しようと弁護士を依頼し、法廷闘争を準備する。前作で彼を誘拐しようとしたストーカーの男は、裁判の過程で彼が人間ではなく、所有物にすぎないことが証明されれば、彼を盗み出して解体し、仕組みを解明して、大量生産すれば儲かると、玩具会社の社長に持ちかける。裁判に勝利して、テッドは「人間」であることを認められ、無事、養子を迎えるが、判決の決め手になったのは、彼の「自己認識」と「複合感情を理解する能力」「共感する力」であった。

西角氏は、これが植松が「意思疎通できる」かどうかにこだわり、殺害する際の選別基準にした大きな要因になったのではないか、と見ている。私もこの分析は妥当だと思う。補足すると、植松自身がテッドのように、自分が「人間の条件」をクリアしているかどうか不安だったからこそ、自分よりは条件を満たしているかどうかよりギリギリであるように見える「知的障害者」に関心を持ち、「言語」で意思疎通できることではっきり線引きできる、という彼なりの結論を出したのではないか、と推測できる。『テッド2』のDVDを見る前、障害者抹殺計画への支援を求める衆院議長への手紙を出したことで、精神の正常性を疑われ、措置入院処分を受けたため、彼のテッド的な不安はかなり高まっていたと考えられる。その前提で考えると、弁護士が彼の責任能力を否定したのに、彼自身は死刑になる可能性が高いと分かっていて、自分に責任能力があると主張したことも理解できる。「人間」の側でいたかったのである。

「生きるに値する生」と「生きるに値しない生」の境界線

この前提で突き詰めていくと、植松は、「人間」の定義を勝手に狭く捉えたまま、「しゃべれない障害者」の「声」を聴こうとしなかったがゆえに、自分の“人間の証明”のために、身勝手な行動に出た、ということになりそうだ。施設で働いた経験があり、安楽死・尊厳死問題や障害者の権利に詳しい西角氏は、「人間」についてのより深く、広い理解を確立することが問題解決の一助になると考えているのではないか、と思う。ただ、もっぱら思想史家としてこの問題を見ている私は、別の可能性もあるのではないかと思っている。フーコーやドゥルーズ、アガンベンなど、一時期ポスト構造主義と呼ばれたフランスやイタリアの現代思想の系譜では、「人間」概念にこだわることが、「正常 normal/異常 abnormal」を区別し、後者をマークし、排除することで、自分たちが「正常(普通)な人間」であることを証明しようとする、倒錯した思考を生み出す、という考え方がある。

近代科学的な意味での「人間」概念が確立したのは、それほど昔のことではなく、それ以前は、「人間」とそうでないものの区別はさほど厳格ではなかった。他者に共感を持ち、愛情を注ぐのに、「同じ人間である」ことを前提にする必要はあるのか。

第1章で西角氏は、自分がやまゆり園に勤務し始めた時の心境と、当時公開されたジブリ映画『千と千尋の神隠し』の主人公の置かれた状況を対比し、その気持ちを綴った文を津久井やまゆり園の分会論集『菜の花』に寄稿したことを報告している。西角がこの映画の感想を植松に伝えたところ、さすがの植松も呆気に取られたようだ。

この映画は、「人間」の条件について考えさせる。「千尋」ではなく、「千」になっていた間の主人公は、「人間」だったのか?異界の者たちと会話でき、彼らと働くことができたのは、彼女が「人間」ではなくなったからではないか?最後に、ハクにまた会いに来ると約束したのは、彼女が依然のままの「人間」ではなくなっていたからではないのか?宮崎駿の映画は、人と人ならざるものの境界線をテーマにするものが多いが、この作品はとくにその傾向が強い。無論、私はフーコーやアガンベンの議論やこの映画を根拠にして、「人間」を捨てよ、と言い切れるほど、大胆でも無責任でもない。

「人間の条件」をめぐる問題は、カフカの『掟の門』とも密接に関連している。西角氏が指摘するように、カフカの世界における「法」は、門の内に入るもの、包摂するものと、入ってはならないもの=排除するものを選別する。境界線を守るため、「法」は時に何の前触れもなく「暴力 Gewalt」を発動する。西角氏は、カフカの他の作品に、そうした「法」の暴力の発動を示唆する場面がみられることを指摘する。虫に変身した息子に林檎を投げつける『変身』の父親、年老いて弱っていたにもかかわらず、突如ベッドから飛び起き、息子に自殺を命じる『判決』の父親、ただの酔っ払いのようでありながら、時に強大な権力(Gewalt)をふるう『城』の長官クラム。カフカの世界で、弱そうな人間が急に何かに憑かれたように、暴力=権力の化身になる、という指摘は的確だ。

「掟の門」は、法の下で平等に保護される「生きるに値する生」と、「生きるに値しない生」の境界線でもある、という。無論、国家は少なくとも公式的には、障害者ではなく、死刑相当の罪を犯した者を「生きるに値しない」と判定するのだが、西角氏は、植松はそれとは別の「法」の境界線を主張しようとした、と見ている。植松の視点から見れば、自らの言葉で権利を主張できない重度の障害者たちは、明らかに「門」の外にあり、「生きるに値しない」のである。

「しゃべれない障害者」に暴力をふるうことの意味

「法」の暴力によって「門」の外に押し出され、保護を失う犠牲者を、西角氏はデリダやアガンベンたちに倣って、「法外なもの」と呼ぶ。彼はまた、「法」を「法」たらしめている暴力もまた、「法外なもの」と呼んでいる。以下のように述べられている。「法の内側にある『法外なもの』が暴力だとすれば、法の外にある『法外なもの』とは法の外に追いやられた犠牲者たちである」。

「法」が行使する「暴力」も、その暴力によって「法」の保護の外側に追い出される人たちも、「法外」と形容できるというのはその通りだ。しかし、これだけだと、「法」と「暴力」の関係がどういう関係にあるのかはっきりせず、植松の暴力と国家の権力=暴力の違いが曖昧になる。さらには、死刑囚である植松と、彼の犠牲者も、共に、「法」あるいはその前提条件である「法外な」暴力によって、押し出された“法外なもの”ということになりかねない。西角氏は当然、いずれも「法外なもの」である、植松と彼の犠牲者の本質的な違いを示そうとしているが、「法」とは何かはっきり定義しない限り、哲学的に有意味な区別はできない。

どこに焦点を当てるかによって、「法」はいかようにでも――部族の掟、神の法、自然法、人間の行動を支配する法、国家が制定する法律、個人が自発的に従っている法……――定義できてしまうが、私見では、西角氏がこの事件を記述する文脈で一番適切な定義は、「人間」たちの共同体が、自然な暴力に訴えることなく、共同体内の紛争を解決するために作り出した言語的なルールの体系、ということになろう。

予め書き記されたルールを参照しながら、当事者と仲裁役=判定者による言語による交渉を通して、どのように処理するのが「正しい(正義に適っている)」のか決めるのが原則だが、決定に従わない者もいることを想定して、「暴力」装置をつねに配備している。「法」のルールに従って、「暴力」装置を動かす権限が「権力」である。「法」による決定がスムーズに実現されるには、「権力」が動員できる「暴力」装置は、共同体の正規メンバーであれそうでない人であれ、「法」に従うべき諸個人の「暴力」を上回るものでなければならない。『掟の門』の主人公は門番の力が恐ろしくて、暴力に訴えて門の内側に押し入る勇気を持てなかったし、植松は侵入時、自分より体格がいい職員がいないか気にするそぶりを見せた、という。

「法」は、誰がそれを共有する「人間の共同体」の正規メンバーであるか予め規定する。その規定に従って、メンバーシップを奪うことも、部分的に停止することも、あるいは部分的に付与することもできる。また、紛争処理のための交渉で使用される言語のコードも、「法」によって厳格に定められており、それを自由に駆使して、決定(判決)に本格的に関与できるのは、ごく少数のエリートだけである――カフカは、「掟の問題」という短編でこのことに言及している。「人間(法)の共同体」の正規メンバーでも、この言語をマスターしたと――「法」の規定に従って――公式に認められない限り、決定に直接関与できない。法の専門家であるエリートに「代理」してもらわねばならない。知的障害者で言語による意思疎通自体が難しければ、「代理」の「代理」…というかたちでしか、「法」のプロセスに参加できない。植松は、言語で意思疎通することができるので、法廷や拘置所で自分語りをすることができるが、それは、「法」のコードで語られていないので、「法」の決定(判型)に関与することはできない。

植松は、自分の知らないところで自分の生き方を決め、「門」の内側でのその決定の過程に参加させてくれないように見える「法」に異議を申し立てようとするが、番人――具体的には、やまゆり園の上司、総理官邸や衆議院議長公邸の警備に当たる警官、津久井警察署、精神保健指定医、相模原市担当部署職員など――によって門前払いを食わされ続け、自分の位置よりもう一つか二つ外側の「門」の前にいるように見える「しゃべれない障害者」に暴力をふるうことで、自分も「法」の内側にいることを確認しようとする、あるいは、もっと内側に入れてもらえるかのような妄想にふける。こういう風に「法」の定義に即してイメージすると、西角氏の叙述に出てくる人物たちの位置関係が見えやすくなるのではないか、と思う。

理由も分からず被害に遭った人たちのために

第10章の末尾で西角氏は、「事件に及んだ動機や真相が十分解明されなかったのは、そもそも被告自身にその経緯や動機を語らせる自作自演の劇場型裁判の手法をとったからではないか」、と述べている。「動機や真相」ということで念頭に置かれているのは、どうして彼が障害者施設で働きたいと思ったのか、働き始めた当初、彼が経験した入所者に対する非人間的扱いは本当か、彼はそのことについてどう思ったか、それは上司や同僚、入所者の家族、入所者との関係に影響を及ぼしたのか、「しゃべれない障害者は殺すべき」という考えが確信に変わったことに具体的なきっかけはあったのか、といったことだろう。これはこの事件を取材しているジャーナリスト等も感じている疑問である。

もっともな疑問であるが、刑事裁判というのが、被告人が実際に処罰されるべき罪をおかしたのかを法のルールに従って確認したうえで、本人に可能な限りの抗弁の余地を与える場である以上、本人が口にしない“真の動機”を探り出すことはできない。哲学者というもの、とくにポストモダン系の思想の影響を受けた哲学者は、こうした言語的ルールの体系として構成される「(近代)法」の限界を指摘したすぐ後で、デリダの『法の力』などを引用して、「…だから、法の彼方に、他者たちのための正義を求めねばならない」、と分かったようなことを言って締め括りがちである。私もかつては、そういう物言いをしていたこともあるが、それはあまり意味のあることではない、と今では思っている。

西角氏が求める「動機や真相」を明らかにするには、被告人に対する刑罰を定める刑事裁判とは別に、理由も分からず被害に遭った人たちのために、事件が起こった背景を総合的に解明する別の法的プロセスが必要だろう。植松だけでなく、彼と関わった施設職員や、指定管理者である「社会福祉法人かながわ共同会」や県の担当部署の当時の責任者にも、当事者として証言してもらい、記録に残す必要があろう。ただ、そういうもう一つの法的プロセスを構築するには、どういうケースでどういう関連部署に証言する責任を負わせるのか、犠牲者や家族の同意を真相究明をスタートさせる前提条件とするのか、といったことを決めねばならないので、制度設計は容易ではなかろう。

いずれにせよ、刑事裁判だけで真相究明できるかのような幻想は捨て、しょせんは暴力を制御するために暴力を背後に隠し持つ、形式的なルールの体系にすぎない「法」に、どういう機能を担わせることができるのか、担わせたいのか、リアルな議論をするしかないだろう。本書は、こうした法、言語、他者をめぐる様々な考察へと刺激してくれる好著である。

プロフィール

仲正昌樹政治思想史・ドイツ文学

1963年広島県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。金沢大学法学類教授。著書に『集中講義!日本の現代思想』『集中講義!アメリカ現代思想』『悪と全体主義』『現代哲学の最前線』(以上、NHK出版)『カール・シュミット入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンティ・オイディプス〉入門講義』『フーコー〈性の歴史〉入門講義』(以上、作品社)など。

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